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今朝はレビ記17章を読んだ。 後半10節以下には、血を食用とすることを禁止する教えが詳細に記されている。 「いかなる肉なるものの血も、決して食べてはならない。すべての肉なるものの命はその血だからである。」(14節、聖書協会共同訳) エホバの証人の兄弟姉妹たちは、これを輸血禁止の教えと受け止め、自分の子どもが交通事故に遭った時も、輸血を拒んで死なせた事例もあった。 こんなニュースを耳にするにつけ、ボクは思った。 「これは人身御供だ。この証人の指導者たちは、自分の信者の前に踏み絵を置いているのだ。」 これに対して、キリストは言われる 「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」(マルコ2章27、同) エホバの証人たちに神様のお守りがありますように。
2019年09月30日
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前にお勤めしていた教会に熱心なおばあ様がおられた。いつも聖書の御言葉と共におられた。この信徒さんが、とつぜんエホバの証人の訪問を受けるようになった。 断っても、誘われる。 歯医者さんに行くからというと、歯医者に迎えに行くという。 ついにエホバの証人の集会に出席。 それから報告してくださった。 「その証人たちの集まりに行きました。でもすぐにわかりました。ここはワタシの来るところではない。」
2019年09月13日
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エホバの証人(ものみの塔)との関わりは、とにかく長い。まだ30代の頃、駆け出しの伝道師だった頃から。その頃は、その証人たちは、教会にでも遠慮なく伝道にやってきた。自分たちの冊子を読むように勧め、ただでくださるのだがでは、こちらの冊子もどうぞ・・・といえば、要らないという。その頃は、中に招き入れ、彼らも入ってきて、会話したものだった。お祈りをしてからお話を始めると、2度目からは、お祈りは遠慮すると言う。神名(神様のお名前)について。キリストの神性について。三位一体について。同じ聖書を手にして、こうも話がすれ違うとは!逆に、聖書ってすごいと思った。八ヶ岳山塊のようなものなのだ。こちらから上るのとあちらから上るのと別々の峰に立ってしまう。
2019年09月10日
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ピンポンと鳴り出ていく。 帰ってくる。 「だれだったの?」 妻が問う。 「ものみの塔だった」とボク。 「優しく応対したね?」と妻 「うん、大丈夫」
2019年09月07日
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難病で死を前にした人が、友人の勧めに心を開いたのは、「墓に行きたくない」という思いだったと言う。キリストへの信仰を持つと、難病は寛解し、職場復帰した。それから一年ほどたって亡くなったそうだが、その一年は普通の人の一生と同じような価値があっただろうな。 ボクたちの人生のどん詰まりは、むろん墓ではない。墓をすり抜け、天の輝く御国。ハレルヤ。
2019年09月06日
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「邪悪で不義な時代」マタイ16:4 爛熟しきって慎みを失ったこの時代
2019年09月02日
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朝窓を開けると いつまでも当たっていたい涼風が
2019年09月01日
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