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またまた間が空いてしまった。ふとネットサーフィンしていたら自分のページがあることを思い出したので、久々に更新!!誰でもうそってついた事はあると思いますが、うそにも2種類あると思う。保身の為につくうそと、相手の為につくうそ。時に恋愛においてはこの「うそをつく」行為こそが優しさになると僕は本気で思って、今日までうそをついてきた。誰にでも過去はあって、間違いもあって・・・、でもそれを馬鹿正直に相手に伝える事で得られる事って何もない。聞かされた方は消化するのに時間がかかり、知らなければ良かった、と思う事が大半で、言った方は正直に伝えた事で「これで隠し事はない!」と胸を張れるかもしれないが、相手はかなりの重荷を背負うことになるし、その事で伝えた本人も何らかの重荷を背負う!本当の優しさは、その重荷を自分に背負いきり、うそをつき通す強さではないだろうか・・・。
2005年12月18日
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本当に久しぶりに日記更新します。長い間更新していないので、たぶん誰の目にも触れないと思いますが・・・。まっ、日記なんて自己満足の粋を出ないもんですからね・・・。さて、前置きはこれくらいにして、今日は仕事について思う事を書きます。サラリーマンにとっての『仕事』って、人によって考え方が違っていて、報酬を得る為の手段と割り切っている人もいれば、自己実現の為の鍛錬の場と捉えている人もいて、まさに千差万別だと思いますが、悲しいかな惰性で働いている方が相当数いる事も事実です。仕事柄、日々転職希望者と向き合っているので、普段は聞けない様々な本音が耳を塞いでいても入ってきます。そんな中で、果たして自分はどうなんだろう?と、ふと考えているときにある言葉に出会いました。====サラリーマンにとっての『仕事』とは芸術家にとっての作品と同じ。日々の一つ一つの仕事という「作品」を自分の納得のいく形に仕上げて、楽しみ、成長を感じ、その「作品」に触れた人に喜んでもらい、役立つ事。====自分軸、更には自分から派生して影響を及ぼす相手の事まで定義されているこの言葉に少なからず感動を受けました。今日はお盆で休みでしたが、明日からの仕事に全力で取り組めそうです。
2005年08月16日
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今日、友達の携帯電話が目の前で水没した。携帯電話のデータが消えるとたくさんの過去を失う。そんな時、失いたくない過去の事を思い憂う人の方が多いのだろうが、失いたい過去もある・・・。
2005年03月05日
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『信じてたのに』と言ってしまう自分のずるさ。『信じる』と言えない自分の弱さ。『信じない』と言ってしまう強がり。
2005年03月04日
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あるところに二匹のやまあらしがいました。 冬の朝、とても寒いので二匹のやまあらしは互いに 暖めあおうとして身を寄せあいました。 しかし、あまりに近く身を寄せあったため、 二匹のやまあらしは自分の体に生えているハリによって、 互いに相手を傷つけてしまいました。 その痛みから二匹のやまあらしは相手から 離れたのですが、今度はまた寒くてたまらなくなりました。 そこで、ふたたび二匹のやまあらしは、 身を寄せあいました。 するとまた互いに相手を傷つけてしまうのです・・・。 === これは哲学者ショーペンハウエルによる 「やまあらしのジレンマ」という寓話。 近づくほどに互いを傷つけあう。でも離れていては寒い。 恋人同士にも最適な距離感があって、それをつかむ為に 『痛み』や『寒さ』を感じる事は避けて通れないんだろうね。
2005年02月24日
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先日出会った人は幼いころ両親を亡くして、養護施設で育ち、夜間大学を出て一生懸命働いている青年だった。いろんな職を転々としているのだが、将来への夢を持ち眼の澄んだ飾らない、そして力強い青年だった。彼と話していると何故かこみあげてくるものがあった。それは自分より少し不幸そうな人に抱く同情ではなく、自らの苦労を笑い話にして、それでいて一生懸命生きている。そんな彼の姿が眩しくて、感動から目頭が熱くなった。生い立ちとか、家柄とかは関係なくて、その人自身がどういうスタンスで生きていて、周りの人に何を提供できるか、それこそが生きる意味なのだと思う。つまらない事に苛立ち、他人を責めている自分の生き方を反省するいい出会いだった。僕も誰かに感動を与えられる生き方をしたい!今を一生懸命生きることでそれは可能になると信じて。
2005年02月22日
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今日も終電でした・・・。月曜日の終電はいつも空いているから好きなんだけど、さすがに週のはじめから終電だとキツイと感じるのは歳のせいなのかなぁ~。しかも今週は土曜日も出社なので、一週間が長い。景気がいいのはいい事だけど、業務量が増えてお昼ご飯を食べるひまもない。スケジュールが分刻みなので、少し売れ出したタレントのような感じ。以上、心のつぶやきでした。
2005年02月21日
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久しぶりに日記を更新しようと、このページにアクセスして少しビックリ!?毎日誰かしらアクセスしている・・・。自分も見ていないこの画面に必ず誰かが迷いこんでいる・・・。さすが楽天日記。ユーザーが多いと何もしないでも誰か来るみたいだ。こんな閑散としたサイトにも来てくれる人がいるので今日は最近相談を受けた『恋愛』について考えてみたい。先日、とある人から「付き合っている人が何を考えているか分からない。二人に未来はあるのか心配。そもそも彼は私の事を好きなんでしょうか?」と、サイババでも答えようがない質問を受けた。事象面としては、デートをドタキャンする。一緒にいる時も楽しそうではない。ため息ばかりつく。事が多くなったらしい。はっきり言って、未来はないでしょう。と、誰が聞いても思う状況なのだが、三十路を過ぎた世間でいう『負け犬』のその人にハッキリ宣告する勇気はオス負け犬の僕にもなく、気休めを言ってその場はしのいだけれども、よくよく考えればそう悲観する状況ではないのかもしれない。恋人とは、心も体も時間も全てを共有したい!と願うのは人間の心理だが、そもそもそんな事は不可能である。全てを共有する事はできないし、相手の気持ちを100%理解する事は100年連れ添った夫婦でも無理だろう。その前に自分の気持ちだって常に理解している事はないのだから恋人とはいえ他人の気持ちを理解する事はできないのだ。だから、分からないという事を分かる事が重要で、それが恋愛にストレスを溜めない秘訣ではないだろうか。
2005年02月20日
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毎年ながら十日戎で一番札をGETする為に走っている人達を見ると感動する。僕の地元西宮戎では一番を札を巡って毎年徹夜で並んで、6時のドラの合図でみんな一斉に走り出す。ニュースでも流れるので関東の人もご存知かもしれないが、スゴイ迫力だ。そもそも一番札をGETした人達がその年本当に良い事があったのかの方が興味がある。それが検証されてないのに、毎年徹夜で並んで走る彼らを尊敬せずにはいられない。だって僕が人を尊敬する基準は、意味のない事にどこまで本気になれるか!なんだもん。今年は事前に整理券を発行して並ぶ人数を制限したらしいが、それよりも僕はまだ初詣に行っていない・・・。
2005年01月10日
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明日からいよいよ仕事が始まる!今回は例年に比べてわが社の休みは短かった。しかもこの1月で異動がある僕は引継ぎ等があり、休みの間も出社する事があったので、あまり休んだ気がしない。新しい配属先ではとにかく周りに出遅れる事なく、ロケットスタートしたいと思う!いつも巨人が言っている事だが、巨人のように口だけに終わらないよう成果を出さねばと思う。そこで、サッカー好きの友人が言っていた言葉を思い出す。「最初の3歩人よりも早く動いた選手がボールを制す」という言葉だ。サッカーの事は良く知らないが、それぞれの選手が役割に応じて動くあたりは一番ビジネスに近いスポーツなのかも知れない。しかも常にスピードと精度が要求される点も似ている。周りの社員が正月ボケしている最初こそ差をつける?いや、異動者なので追いつくチャンスなのかもしれないと身を引き締めて行きたい!
2005年01月03日
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また1つ年を取る・・・。元旦というよりもいつもよりお店が閉まっている土曜日の始まり、という感じしかしない僕はだいぶ世間から取り残されているのでしょうか・・・。そんな爬虫類並に孤独に強い僕ですが、せっかくなので今年のテーマを決めました。ズバリ!しなやかな強さどんな困難に直面しても柳のように全て受け流す、そんな強い自分でありたい。
2005年01月01日
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今日で今年も終わる・・・。そんな感慨に耽っていると、悪友から変なメールが来た。ペットショップで動物を衝動買いするなら何?そして、その理由は?唐突なメールだが、質問内容はもっと唐突だ。格闘技番組に飽きていた僕は無意識のうちに返信していた。決してヒマな訳ではない(少し強がり)。どうやら選んだ動物が自分を表しており、理由は自分をどう思っているからしい・・・・。どこにでもある心理テストのたぐいだったようだ。不覚にも「爬虫類」と答えた僕は理由を『孤独に強いから』と追い討ちをかけてしまった。確かに大晦日に紅白も見ず、実家にも帰らず独りで過ごす事に最近全く抵抗を感じなくなっている。大晦日に限らず新年の初詣の予定すらない。今日は金曜日で、明日は確か土曜日?というおぼろげな曜日感覚があるくらいで、土曜日は洗濯機を回す日だなぁと漠然と考えていた。自分では寂しがりやだと思っていたが、知らないうちに孤独に対する免疫が爬虫類並、いやそれ以上になっている・・・。来年はいい事がありますように!!!
2004年12月31日
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今年もあと24時間で終わる。公私共々本当にいろんな事があった。逆境は人を育てると言うが、程度の問題があることもわかった(逆境過ぎても育たない・・)。ただ言える事は、今できる事を精一杯やりきる。その繰り返しが長い目で見れば大きな成果に繋がるのだという事。イチロー選手の記録更新にしても、アテネ五輪のメダリスト達にしても、日頃の地道な練習の集大成が成果として表れたのだし、いきなり大きな成果をあげようと一発を狙うよりも、ゆっくりでも着実に前に進む事が大事なんだと学んだ。昨日よりもほんの少し早いスピードで今日を歩きたい。
2004年12月30日
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最近は新曲CDにしても、新刊書にしても何週間も1位を獲得するモノが少ないように思う。オリコンなどのヒットチャートを見ても1位は毎週変わる。トップアーチストでも2週連続その座を守ることは難しい。新曲をリリースするタイミングを微妙にずらして、1位を取りに行く戦略を否定するつもりはないが、なんか作為的な匂いがして、見ている側はあまり面白くない。確かに最近の歌手は、某「おはよう娘。」以外は歌が上手く、実力があるのに、この週変わりのサイクルではせっかく実力がある歌手でも人気が短命に終わる。なんとも残念だ。
2004年03月13日
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今日も送別会。ボクが新人時代の営業部長で、本当に尊敬していた人。時代と共に社内での立場は変わり、今回転職するそうだ。いろんな意味で鮮やかな幕引きだった。会社の中の昇給昇格・配置転換に関しては誰がどういう基準で決めているのか時々わからなくなる。特にボクの会社は査定基準は公開されているが、昇格に関しては完全にブラックボックスだ。そして、降格人事も制度化されており、実際毎年何人か降格する。このあたりの基準は明確にしておかないと、昇格した人も影で何を言われるかわからないし、降格した人は確実に腐っていくだろう。そして、周囲にも良い影響を与えない。
2004年03月12日
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職場環境の重要さを認識している経営者や管理職の人達は一体どれくらいいるのだろうか??会社によって格差はあるだろうが、大手企業を含めてもほとんど皆無だろう。職場のメンタルヘルスケアという言葉がようやく定着しだしたが、言葉だけが先行しているのが現実だ。人は以外と弱い。少し疲れていると思った時に適切な診断を受けた方がいい。自分ではなかなか気付かないので、周りの人のサポートも必要になる。遅刻、午前半休が増えてきた人がいたら声をかけてあげよう。
2004年03月10日
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今日は朝からお客さんに怒られてしまった。。。。昨日プチクレームがあり、お詫びのメールを書いたらなんとお客様の名前を間違えてしまって・・。本当にいい歳をして恥ずかしい限りです。しかも昨日の日記にも書いたように真夜中に少し感情をこめて書いたお詫びメールだったので、なんとも言えない気分です。お詫びメールは真夜中に書く事よりも誠心誠意を尽くして書く事の方が大事だという事に今更ながら気づきました。====長嶋名誉監督頑張れ!!!心から思います。
2004年03月09日
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昔、関西で働いている時の先輩に教えられた事の一つに「真夜中のラブレター」というものがある。これは、真夜中にラブレターを書くと、気持ちが高ぶりかなり恥ずかしい事まで書いてしまうという真理効果を利用して企画書を書くというものだ。更に、企画書よりも効果があるのが、詫び状や謝罪文だ。実生活において真夜中にラブレターを書いた事がないボクはピンとこなかったのだが、確かに夜中に書くと感情が高ぶっているのか、熱い文章が仕上がる。企画書などの場合は、実際プレゼンする時の場の空気(温度)と企画書の内容に温度差があるのだが、後半に差し掛かると、書いていた時の自分が現れて、一人だけ白熱して・・・、なんて事もよくあった。熱意が伝わって結果としては上々なのだが、上司との帰り道は何となく気恥ずかしい。今は企画書も雛形が沢山できて、一から作る事が減ったので、業務中に少しカスタマイズすると出来てしまうし、担当顧客数の問題もあり、あまり一社に熱い企画書を出す事はないが、詫び状などは未だに夜中に書く事がある。その際は会社ではなく、家に持ち帰って寝る前などに静かな音楽でも聴きながら書く事が多い。夜中にこの日記を書いていると、時々そんな話を思い出す。
2004年03月08日
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昨日、「黄泉がえり」をレンタルビデオで観た。久しぶりに心が震えた。涙が止まらなかった。もともと涙もろいので、「えっ!この映画で??」という映画でも泣いてしまうのだが、今回は泣きすぎて鼻水も止まらず、鼻が詰まってそのまま窒息死するかと思うほど泣いてしまった。そんなピュアな自分がたまらく愛しい時もあるのだが・・。既に観ている方も多いと思うので作品の内容には触れないが、この映画で生きる事、自分の存在価値や自分にとって大切な人の事について改めて考えさせられた。人間はどこかで自分の居場所を探していると思う。誰かの役に立った時、仕事で認められた時、誰かから深く愛されていると知った時に、自分の存在価値を認識し、生きる糧にする。逆に、誰からも認められない時、誰からも愛されていないと感じた時に、自分の存在を否定し、深く落ち込む。時には自ら命を絶ってしまう人まで居る。特に仕事をしている人はその世界が全てだと思い、上手くいかない時や大きな失敗をすると自分の存在を否定してしまう。しかし、世の中に存在価値のない人などは基本的にいない。何にもできない人だって、両親から見れば生きていてくれるだけで良かったり、恋人から見ればかけがえのない存在なのである。既に両親のいない人や両親から虐待されてきた人、恋人すらいなくて心の拠り所のない人もいるかもしれない。そういう境遇の人でも、その人の助けを必要としている人は必ずいる。いや、それは人ではないかもしれない。その人が飼っているペットかもしれないし、その人が育てている植木かもしれない。毎日その人に声をかけられている近所の雑草かもしれない。その人の優しい心に包まれて綺麗な花を咲かす事ができるかもしれないのだ。そして、その花に癒される人がいる。必要ない人なんて本当はいないのだ。そして、周りの人は必ずしもその人にスゴイ事をしてもらいたいなんて思ってないのだ。ただ居てくれるだけで、ただ声をかけてくれるだけでいいのだ。自分が誰からも認められていないと思っている人は、誰かを認めてあげればいいのだ。その事だけで、その人を必要とする人が現れる。ボクにもそういう人がいる。そしてボクもそういう存在であり続けたいと思う。
2004年03月07日
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最近のマンガ喫茶ってスゴイですね。というか個室になっているマンガ喫茶に初めて行ってビックリしました。週末に時々近所のマンガ喫茶に「1時間だけ」と決めて行くのですが、そこは普通に図書館と喫茶店が融合した感じのお店で、それでも結局4~5時間居てしまう。そんな意思の弱いボクが今日行ったところは、全て個室で、各部屋にリクライニングシートとテレビとPCが置いてありました。マンガ読み放題だけではなく、何でもできます。ちなみに渋谷のマンガ喫茶だったのですが、都会ではこれが常識なのでしょうか?頑張れ都立大!(ボクの地元)という感じでした。思わず営業中に行ってしまいそうです。。
2004年03月06日
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企業やその組織にとって本当に必要な人材とはどういう人なのだろうか??個人としてハイパフォーマンスを上げる人(営業職なら売り上げ数字の良い人)などは当然組織として一番必要な人材と考えられるが、もっと見えないところに本当に重要な人がいるような気がする。それは個人としてのパフォーマンスは中の上でも周りに良い影響を与える人達だ。言葉にするなら、モチベーションリーダーだったり、知恵袋的な人とでも言うのだろうか。その人に励まされて周囲の人が頑張る、その人に聞けば難解そうな業務もスムーズに回る。そんな人が皆さんの周りにも一人二人は居ると思う。それは必ずしも一番高い結果を出している人とは限らない。営業職を例にとると、どんなに売っている人でも平均値の1.5倍位だろう。しかもその場合でもその人が違う人に変わっても0になる事はない。落ちても2割減位だ。という事は会社としての損失はそんなに大きくない。まして周りの人間は全く困らない。※もし、この公式が当てはまらない位営業の成績にばらつき がある場合は属人的要素が強すぎるので、会社としての 仕組みを整える必要があると思う。一方で、モチベーションリーダーや知恵袋的な人達は数値化できる成果が突出している訳ではないので、いなくなってもそんなに影響がないように思いがちだが組織および周囲の人達が被る損失は計り知れない。前述のハオパフォーマーと比べると地味な存在である事が多いのでいなくなるまで気づく事は少ないが組織の中で働く僕としては、自分自身がそういう存在でありたいと思う。
2004年03月05日
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仕事を通して手に入れる報酬は何か?目に見えるモノとしてはお金だろう。しかし、それだけではない。スキル、人脈、肩書き、部下、職務権限、経費などなど・・、お金以外にも沢山のものを手に入れている。この中には有限のものと無限のもの、更には特殊なものと普遍的なものがある。人生の中で一番時間を使う仕事でもらう報酬は多い方がいいに決まっているが、どうすれば多くなるのか?と考えると意外と難しい。どうしても有限で特殊なものに目がいってしまうからだ。お金だったり、現在の会社の地位を上げる事だったり、これらには全て限界がある。限界のあるモノを更に伸ばすのはある一定水準を超えると難易度が極めて高くなる。そもそも、その一定水準に行くまでも難易度が高いのだが・・。では無限で普遍的な報酬とは何か?それは人格の成長ではないだろうか??使っても減る事はないし、転職したり退職しても奪われる事はない。更に自分の意思次第でどこまでも伸びるので、正に終わりがない。そして、成長する事によって周囲には良い影響を与える事ができるし、永遠の人脈を築く事もできる。理想の自分像、なりたい人格などの観点から日々の仕事に打ち込んでみると違った世界が見えてくるかもしれない。
2004年03月04日
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成功者がその秘訣を語る時、最後まであきれめなかったから、というコメントをよく聞く。その時は「そうか」と思いながらも、時間と共に忘れてしまい、気がつくと今まで通りの妥協にまみれた生活を繰り返してしまう。そこが成功者と凡人の分かれ道なのはわかるがなかなかできない。そして、成功する人は違うとおもってしまう。そもそも「成功者」という言葉を聞くと、お金持ちで地位や名声がある人を思い浮かべてしまうが、そんな成功者達もいきなり成功していた訳ではない。小さな成功の積み重ねが実を結んでいる気がする。そう考えると日常生活の小さな妥協が敗者を生み、何事にも最後まであきらめずに挑戦し続ける人が成功者に近づくのだとも思う。
2004年03月03日
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何か物事を進める時に回りの人が協力してくれる時と協力してくれない事がある。進めようとしている物事の社会性や難易度との関連性もあるが、この協力体制が上手く築けるかどうかはその人の信用によるところが大きいと思う。信用力とは何か?誰かを信用するポイントとしては、その人の普段の言動が最も大きく左右する。言動が一致しているか?約束を守るか?これに尽きるのではないか。仕事、プライベートを含め、約束した事を実行する人か、または実行できる人か、という事がポイントになる。10の事を周囲の人と約束し、10全部守り実行する人の信用力は100%だろう。逆に3しか実行できない人がいればそ、その人の信用力は30%で、その人が回りの人にお願いした事も30%しか実行されないだろう。当然外的要因などで実行困難な事もあるが、それでもやり遂げる人と、簡単に空手形を切る人とでは信用のされ方が全く違う。逆の立場になればわかるが、いつも口約束の人から何かを頼まれても本気ではしないし、先延ばしにし、結果期限までにできなかったという経験は誰しもあると思う。逆にいつも納期通りに100%実行してくれる人から頼まれた事は最優先で対応する事が多い。信用という銀行にどれだけ残高があるかで、回りの対応が変わってくる事を日々意識したい。
2004年03月02日
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最近の身の回りで体調不良で会社を休む人が増えた。たしかに楽な仕事ではないし、むしろ労働時間なんかを考えるとそこそこハードワークだと思う。しかし!サラリーマンとは言え、プロとして仕事をする以上は体調管理にも万全を期すべきだ。以前にも書いたが、体が資本なのはプロスポーツ選手や肉体労働者だけではないのだ。どんなに能力があっても発揮できなければ意味がない。企業のリストラが進む中、少人数で今まで以上のパフォーマンスを求められている人も多いと思うが、そんな時こそメリハリが大事だ。手を抜く時は抜く。自分でなくてもいい事は他人に任す。このご時世、全ての仕事に全力投球なんて無理だし、返って効率が悪くなる事の方が多い。仕事のできる人間とは手を抜いていいポイントを押さえている人なのかも知れない。彼等から手抜きのコツを学ぼう!
2004年03月01日
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今年はうるう年。だから2月が29日まであります。でも昔は30日まであった事を皆さんご存知でしょうか??2000年以上も前の事ですが、エジプトに遠征したシーザーはローマでも太陽暦を採用します。その時最終月だった2月は、通常29日、4年に1度30日という調整月になりました。そのローマ歴では、2月を含めた小の月(30日)と大の月(31日)が、それぞれ6ヶ月ずつになっていましたが、初代ローマ皇帝のアウグストゥスが自分の誕生日を暦に入れるように主張します。それが現在の8月(August)で、本来小の月でしたが、皇帝の誕生月が小の月では都合が悪いので大の月に変わりました。その時に減らされえたのが2月であり、28日になってしまったという言い伝えがあります。トップの一存で暦まで変えてしまう。別に暦が変わる位では誰かに迷惑がかかる事はないのですが、企業トップには他人の事情はお構いなく、自分の都合を最優先し、その結果、顧客と従業員に迷惑をかける人もいます。企業トップに関わらず、人間とはふとした拍子に周りが見えなくなるものです。そんな時は「世界の常識が見えるメガネ」があるといいですね。。
2004年02月29日
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人間の欲求は際限がない。楽しい事をしていても脳は慣れるので、同じ事をしていてはいずれは楽しくなくなる。更なる刺激を与えないと楽しみを感じなくなるのだ。これは仕事にも言える。新人時代は何をしても真新しいからいろんな刺激を受ける。そして成長を感じる。しかし、同じ仕事をしていると次第に慣れてきて、マンネリ感を覚える。マズローの欲求段階説もこれを裏付けている。 生理的欲求 安全欲求 社会帰属欲求 尊重欲求 自己実現欲求新入社員で入った会社で自己実現までする事はまずないので、どこかのタイミングで転職か独立を考えるのが普通だ。更に、欲求には個人差があり、欲求が強い人の方が次の欲求を求めるので成長スピードは早くなる(だろう)。
2004年02月28日
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会社で仕事をしていると嫉妬を買う事はよくある。別に仕事の場面以外でも他人から妬まれたり、言われなき反感を買って足を引っ張られる事は日常生活の中に山のように内在している。同じ仕事をしているはずなのに上司からの受けがいい人。同期の中で一番に昇格した人。コンパに行けば確実にイイ男(女)をいつもGETする人。同じ学力だと思っていたのに自分より偏差値の高い学校に合格した人。例をあげると枚挙にいとまがないし、誰しも妬んだり、妬まれた経験はあると思う。では、そういう人間の感情は何故生まれるのか?辞書にはないので俗語なのかもしれないが、「僅少差違の法則」という言葉があるらしい。僅少差違とは、読んで字のごとく「ほんの少しの差」という意味で、人間は身近な人(同じコミュニティの中にいる人)の成功を素直に喜べない感情を持っているという意味らしい。遠い他人におこった成功に一喜一憂する人はいないが、身近な人が自分より成功したり、いい思いをすると嫉妬心が生まれる。イチローや松井選手が大リーグで成功しても、素直に応援できるし、年俸が10億円になろうと本気で妬む人は少ない。しかし、自分と同じ仕事をしていて、ほんの少し自分より成績がいい同僚の年収が10億円になったら素直に喜べる人は少ないだろう。かく言うボクも喜ばない。。。人間は他人の不幸に同情する事はたやすく出来ても、他人の成功を我が事のように喜ぶ事はできないようになっている。他人の成功を心から喜べる広い心と、自分の喜びを本気で分かち合える友は何物も変えがたい財産になると思う。
2004年02月27日
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1850年代のゴールドラッシュに湧いたアメリカから「アメリカンドリーム」という言葉が生まれた。今の、日本のサラリーマンに言葉を作るとしたらどうなんだろう。さしづめ「ジャパニーズイマジネーション」だろうか。日本人の場合は自己主張しない分、うちに秘めた闘志が強く、やればできると思っている人が多いので、「オレだって、やればできる」と思っている何もしない人が多いのではないだろうか。身近な人間が成功すれば嫉み、遠い存在の人が成功すればあいつは違うよな~、と他人事のように扱う。そして、「オレもやればできるのに、やらないだけ・・・」と自分を慰める。ビジネスの世界に、やればできるという言葉はない。やったかやらないか、その結果、成果が出たか出ないか?それが全てではないだろうか。
2004年02月26日
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昨日の日記で決断する事、始める事、の重要性を書いて、自分を鼓舞したが、今度は継続する事の難しさを感じています。 決断する事 実行する事 継続する事どれも同じ位重要で、どれかが欠けても成果に結びつかない!
2004年02月25日
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『何かを始めるのに最良の日は今日、最悪の日は明日。』昨年は勢いでホノルルマラソンに出場した。ほぼ即断即決だった・・・。今、ボクには始めようと思って、始められない事がいくつかある。始められない、と言うよりは始めてない、という表現の方が正しいのだが・・・。そんな話しを帰りの電車の中で同僚としていたら、冒頭の言葉をビシッ!と、言われた。今やらない事は一生やらない。以前、この日記でも書いたが、その通りだ。この日記を書き終わったら早速始めようと思う。。
2004年02月24日
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人間の能力の中で、なくてはならいものが「忘却力」らしい。忘却力とは読んで字のごとく、忘れる力だ。自分は記憶力が悪い、と嘆く人もいるが心配無用!物忘れがヒドイ人は人間としての能力が人より優れているにすぎない。もし、人間は起きた事を全て覚えていると生きていけない。辛く悲しい事があっても月日と共に忘れるから生きていけるのだ。全て忘れることはできなくても、時間と共にショック度合いは薄れていく。楽しい事も忘れてしまうが・・・。ただ、勉強した事や仕事上のことなど、覚えなくてはならない事もある。そんな時に物忘れがヒドイ事は何の足しにもならない。記憶力をUPする為には口に出したり、9時間以内に復習するなど、いろんな方法があるが、実は睡眠時間との相関関係が大きい事は意外と知られていない。睡眠中の脳内で、記憶の定着が起こるのだ。しかも熟睡する必要がある為、断眠すると記憶力は著しく低下する。眠っている時に脳は疲れを癒す為、活動を低下させるのだが、記憶を定着させる活動のみは活発に活動しているのだ。ボクはあまりにも人間としての能力(忘却力)が優れているので、今日からは沢山寝る事にする。でも、寝ると忘れるとも言うような~
2004年02月23日
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日曜日なのに朝から名古屋に・・・。新横浜7:50発の「のぞみ」に乗る為に6時に起きた。休日出勤は苦にならないが、普段より朝が早いのはさすがに堪える。転職希望者向けのセミナーを午前と午後に行う為に行ったのだが、馴れない仕事は結構疲れるものだ。そして、名古屋の人達は東京のビジネスパーソンと比べると、転勤の無い地元勤務を希望する人が多かった。期待に応えてあげたい気持ちもある反面、このご時世に何を言うか!と渇を入れたい気持ちが交錯した。ご両親の介護など、明確な理由がある人もなかには居るのだが、総合職として転勤があるのは当たり前という観念があまりない人も多い・・。特に若い人は・・・。もっとも海外では仕事の為に家族を犠牲にするのはナンセンスという価値観もあるので、一概に何が正しいとは言えないのだが・・。見知らぬ土地で、「仕事と人生」に対する自分とは違う価値観に触れて、少し考えさせられる1日だった。。。
2004年02月22日
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ダイエーが経営危機に瀕して久しい。必死で再建に取り組んでいるが、なかなか既存店の売り上げは伸びないし、営業利益もボチボチ・・。そんなダイエーに久しぶりに買い物に行った。目黒区碑文谷にある7階建てのダイエーに(近所なので・・)。いつも食料品売り場にしか行かないが、紳士服売り場を覘いてビックリ!ユ○クロやギャッ○にも負けないくらいお洒落な服やYシャツがかなりの低価格で売っている。しかも紳士用肌着(Yシャツの下に着る白いTシャツ)などはユ○クロより安いものもある!男性用パンツは低価格のものから、ブランド品の高級パンツ、それに誰が履くのかわからいブーメラン型のパンツ(横がヒモになっている・・)なども売っている。若者でも充分楽しめる品揃えなのだが、残念な事にお客さんほとんどいなかった。しかもその少ないお客さんも中高年から初老の方々ばかり。さすがに初老の紳士がブーメランパンツは履かないだろう・・。客層と品揃えにギャップを感じた。また、ダイエーがこんなに若者向けの商品を扱っている事もあまり認知されていないのだろう。商品に機能的価値だけを求めるならダイエーは充分なのだた、買い物する行為という、感覚的価値を求めると少し違うのかもしれない。※「機能的価値」と「感覚的価値」のお話しは今年1月1日の 日記を参照して下さい。ボクがオヤジになったのか、ダイエーがスゴイのか客観的な判断はできないが、クセになりそうだ。頑張れダイエー!!!
2004年02月21日
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出張で那須(栃木県)に行った。東北新幹線で那須塩原に行き、そこから在来線で2駅のところにある「野崎」という駅に行ったが、なんと無人駅。切符回収箱というのが置いてあるだけ。。。更に駅周辺には『売り地』の看板が刺さった更地が広がっていた。東京から1時間半新幹線で来ただけでこんなにも違うのかと正直驚いた。先日2003年度のマンション販売数が発表されていたが、首都圏の23区を除いては軒並み下落していた。首都圏(特に23区)と、それ以外の地域との経済格差が広がりすぎるのも、考えものかもしれない。通信インフラが整い、SOHO勤務者が増えている現状を考えれば、人口と経済の一極集中現象は緩和されるはずなのに、何故かますます拡大している気がする。このままでいいのだろうか・・・。
2004年02月20日
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先日の新聞に、ハンセン病歴のある患者の宿泊を拒否したホテルが廃業する、という記事が載っていた。今週の月曜日には、熊本県が営業停止などの行政処分を行うという記事が載っていたばかりだが、その処分を待たずしての廃業なので、既に経営は悪化していたのだろう。今回の一連の問題は、企業のリスク管理という観点から非常に勉強させられる事が多かったと思う。ハンセン病患者の宿泊拒否、という根本的な問題に関してはコメントを避けたいが、国民や人権団体の感情を逆なでしたのは、むしろその後のホテル側の対応や、コメントにあったと思う。これは一企業に例えると、トラブルが発生した時の初期対応のまずさ、と言えるだろう。ホテル側の事情や考え方を一方的に伝えるだけではなく、倫理的は観点や、それを聞いた人達がどう思い、どう反応するか、そしてその結果どういうリスクが経営上発生するかを事前予測した上で対応するのが一般的なリスク管理の考え方だが、その観点が終始抜け落ちていた気がする。特に人権問題を絡む内容だけに、普通のトラブル対応よりもセンシティブな要素をはらんでいる。弁護士がついている一般企業でも難しい対応を迫られていたと思うが、廃業にまで追い込まれるとは・・・。組織人としては、リスク管理の重要さを改めて考えさせられた。
2004年02月19日
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今回のカネボウと花王の破談劇は疑問を感じる。日本企業同士のM&Aは最終局面で頓挫するケースが多いが、独自再建に目処がついての事なら、まだ納得できるが、再生機構が絡んでくるとなると話は別だ。上手く行かなかった時は国民にツケが回ってくる。それに今回の5000億円(推定)だって、そもそも税金ではないか。自由競争で運営している市場経済では敗者はそれなりのペナルティを課せられて退場していくのがルールのはず。敗者が復活する為の基盤を整備するならわかるが、敗者を是認しないようなシステムに税金が投入されていくのは、市場競争の阻害要因にしかならない気がする。中小企業の場合は、融資の際に社長やその家族が個人保証までとられるケースもあり、それこそ倒産したら自己破産する事もあるのに、債務が増えれば税金によって救済される仕組みは、どう考えても変だ。経営陣はせめて筋を通すべきだ。「最後まで責任を取るのが経営者の務め」などのセリフは詭弁以外の何ものでもない。-------カネボウの社員や製品に恨みがある訳ではないですが、年々給与から天引きされる税金額が増えるのを見ると、思わず文句を言いたくなった今日この頃でした。
2004年02月18日
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仕事のできるビジネスパーソンの大きな要素の1つに『健康』がある。どんなに能力が高くても病気で休みがちの人に仕事は任されない。これはビジネスの世界に限らず、プロスポーツ界などでは当然の事だし、まして長期入院するような大きな病気になってしまうと時に失業する事だってある。先天性の病気などでやむをえない人もいるだろうが、生活習慣病などは、本人の不摂生が原因なので、これではプロとしては失格だ。ボクは今、医療業界(機器メーカー)のお客様を担当している関係もあり、病気について話を聞く機会が多い。その中で、病気を引き起こす3つの原因について紹介したい。●遺伝子異常/老化●病原菌/ウィルス●生活習慣1番目の項目は不可抗力な要素が強いが、発病を促進する要素として精神的ストレスも含まれるので、そこは注意したい。2番目の項目は風邪やインフルエンザなどのウィルスが体内に入ってくる事なので、予防接種やうがい、手洗いである程度防げる。※うがいや手洗いを侮ってはいけない。3番目、これこそが我々が一番気をつけるべき項目だ。そして、生活習慣で気をつけるべき項目も3つある。 ・食事 ・運動 ・休養これに飲酒、喫煙なども加わるが、特に重要なのが、忘れがちな休養らしい。食事や運動は気にしている人も多いが、休養(睡眠)はあまり気にされていない。特に仕事が立て込んでいる時は無理をしてしまうし、余裕ができると徹夜で遊んでしまう。。。日ごろから充分な休養を心掛ける事が健康の秘訣と覚えておこう!※働けない状態で失業すると、失業保険も貰えないので、 健康管理は最重要項目だ。
2004年02月17日
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皆さんの会社の机の上は片付いていますか??自慢ではないですが、ボクの机の上は綺麗でした。。※過去形です(涙)。終電近くまで仕事をするようになってからは机の上がかなり汚くなってきました。というよりも、片付ける暇がないし、机がそのままだと次の日のスタートがきりやすい・・、などの理由からあまり机を片付けなくなったのだが・・・。結果的に業務効率が格段に落ちた気がする。。ある統計によると、平均的なビジネスパーソンが探し物に費やす時間は年間1500時間との事。1日4時間という事になる。。。この統計の真偽はともかく、なくなった書類を捜したり、結局見つからなくて、再度作り直したり・・、こういう時間も含めると上記のような統計結果になるのかもしれない。オフィス机の整理整頓する為の極意は、●モノの絶対量を減らす●モノを分類し、収納スペースを確保する●一度手に取ったモノは必ず収納スペースのどこかにしまうこの3箇条らしい。。会社で使う資料や書類は、半年間触らなかったモノを永久に触らない(不要)確率は95%以上との事。これまた、何が根拠分からないが、納得できない数字ではない。そして、書類を置く時は絶対に積んではいけないらしい。何の書類かわかるようにして、立てておくのがコツ。。。今日、法務の人から情報管理の観点から注意された内容だ。会社の機密を守る為、社員の整理整頓にまでアドバイスしてくれる彼等のプロ意識?には頭が下がる。。。・・・・・・。なんとなく明日から実践してみようと思います。成果が出たらまた日記に書きます。。
2004年02月16日
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今日は久しぶりに少し堅いお話です。転職や起業をする時の法律に関して、知ってると役に立つマメ知識を披露します。-------雇用環境が流動化する中で、転職はもはや当たり前の状態だ。更に得意分野/知識/経験を活かして起業する人も多いだろう。30歳を過ぎると、異業界への転職への門戸は急激に狭くなるので、必然的に今までいた業界に転職するケースが増える。その際注意したいのが、現職企業と『競合避止義務』に関する誓約書を交わしている場合だ。仮に誓約書を交わしていなくても、ある一定期間は競合企業に転職してはならない、とか、ある一定期間は同分野で起業してはならない、という事が就業規則に盛り込まれていれば同じ効力を持つ。一見、職業選択の自由(憲法第22条)に反するので、無効と思われがちだが、期間や場所を制限していれば、有効となるケースの方が多い。実際に裁判で争われた事もあり、判例としてもこれを認めている。更に退職後の守秘義務に関しては、特別な誓約書を提出していなくても業務上知りえた秘密は守る義務があるとされている。業務上の秘密が何を指すのか?という厳密な定義はないが、同業他社で勤務していても得られるであろう知識や経験以外が含まれてくる。要するにその企業固有のものは守秘義務の範囲として保護されているのだ。当然転職先では、この固有の技術だったり、知識・経験をあてにして採用している場合が多いのだが、あまり前職に不利益になる事をしてしまうと、サラリーマンといえどもいつ訴えられるかわからないのである。更に起業している場合などは、いきなり廃業に追い込まれる事もあるので慎重に進めたほうがよい。※過去の判例では、退職後1年位までは競合避止義務の有効性 を認めているので、それ以上経っていればおそらく大丈夫だと 思うけど・・。
2004年02月15日
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才能という言葉を聞くと、「ある」か「ない」かで判断しがちだが、そもそも「才能」という言葉の定義が曖昧である以上、ない人なんていないだろう。何か特定の能力を指して、それを才能と呼ぶなら、あるかないかの判断はつくが、ないとしても、たまたまその能力がないだけで、別の能力は必ず持っているはずだ。そう考えると「才能がない」人間はいない。先日、会社の後輩が胃炎になった。復帰後に理由を尋ねると、「自分には才能がない。その事が不安で・・・。」と、謙虚な事を言っていた。才能を、ある特定の能力と定義した時、そもそも能力が0という事はない反面、訓練なり努力をして磨いていかないと、「ある」と言い切れる状態にはならない。才能という言葉を使うと、自然に身についているものだと勘違いしがちだが、生まれつき身についている能力でも磨かないと人並み以上にはならないだろう。「ある」か「ない」かで判断する前に、努力によって磨いていくという、姿勢が必要な気がする。
2004年02月14日
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世の中のスピードは確実に早くなってきた気がする。スローフード、スローライフという言葉がもてはやされるのがその証拠だろう。そもそもゆっくり時が流れていれば、そんな言葉が脚光を浴びる事はない。現代のビジネスパーソンは常に時間に追われているし、上場企業では、今や四半期決算の数字を公表するのは当たり前になってきている。そして、投資家はその数字で判断し、企業を評価する。世の中のスピードがここまで早くなってきた原因はインターネットの発達(E-Mail)と、製造業の海外移転などだろう。生産設備(工場)が国内から海外に移転した事によって、サービス業が増えた。サービス業は日銭の世界なので、製造業と違い長期で物事を捉えない。人材の育成にしても、長期的に育てるというよりは短期的な結果を求める。製造業の衰退(海外展開/移転)こそが、ライフサイクルを短期化していると捉えると、今後この流れはしばらく続くだろう。そうなると、今まで通りのスピード感では取り残される。こういう時代のビジネスパーソンは、「石の上にも3年」なんて悠長な事は言ってられないし、組織もそれを要求してくる。新卒で会社に入社しても1年後には、ある程度の結果を出していないと既にリストラ予備軍として扱われるかもしれない。シビアな時代だが、四半期(3ヶ月)単位で目標を設定し、1年という時間は今までの4年分だと認識する事が大事だと思う。正に、石の上にも3年ではなく、「石の上には1年」だ。
2004年02月13日
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初対面の出会いでは、相手に対する印象は最初の5分位でほぼ決まってしまう気がする。そして、その印象はなかなか覆らないだろう。仕事仲間として長期に付き合う場合は時間と共に第一印象は薄れ、適正な判断ができるようになるが、それ以外の場合は第一印象は重要だと思う。特に営業時の初回訪問や、面接などでは失敗すると次はない。更に、人間は最初に感じた印象を確認する、という習性があるので、最初にマイナスの印象を与えてしまうと、それ以降の会話の中ではネガティブな発言だけを聞き入れて「やっぱりダメな奴だ」と判断されてしまう。逆に最初に良い印象を与える事に成功すれば、自然と会話は弾むし、少々ネガティブな事を言っても良いように解釈され、聞き手はプラスのキーワードばかりが頭に残り、最初に受けた印象が正しかった、と結論付けようとする。仕事柄採用面接に立ち会う事が多いが、だいたいの面接は最初の5分で決まってしまう。出足で躓くとリカバーはなかなか難しい。当然リカバーして場の雰囲気や自分への印象をひっくり返す人もいるが稀だ。面接にフォーカスすると、第一印象を上げる最も効果的な方法は、姿勢、動き、言葉使いだろう。まず面接会場(部屋)に入るときは背筋を伸ばしてテキパキと歩く。そして、最初の挨拶は相手より早くハッキリと名乗る。この時大事なのは語尾までハッキリ言う事だ。面接時の会話も語尾までハッキリ言うかどうかで印象がだいぶ変わる。また、会話の最後は「です」「ます」「ました」で括り、言い切る事だ。「~なんで・・」「~ですかね・・?」などと曖昧な表現は極力避けた方がいい。緊張すると、わかっていてもなかなかできないものだが・・。
2004年02月12日
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立場の違う両者の関係をバランスよく保つ為には、50:50(フィフティフィフティ)の関係よりも、49:51位がちょうどいいと思う。お互いが少し引っかかっている状態だ。例えば、組織と人(会社と従業員)の関係や、夫婦関係などで考えると、全くのイーブンという関係やどちらかに一方的に依存しすぎている関係は壊れやすい。会社と従業員の関係で考えると、一方的に依存している状態は、ぶら下がり社員だったり、頑張っている社員を不当に安い賃金で縛り付ける関係なので、クビになる、もしくは辞めていくのは明らかだろう。では、50:50では何故いけないのか?お互いが貸し借り0と思っている関係は意外ともろい。社員は他に条件の良いところがあれば転職するし、会社も特別に評価していないので、両者の関係は淡白なものになってしまう。なので、常にどちらかが、ほんの少しの貸し借りを感じる関係がベターだと言える。夫婦の関係においても全くのイーブンというのは意外と脆い。理想は、お互いが、自分は49だと思う事だろう。相手に対して少し引け目を感じる状態、少し感謝している状態こそが上手くいく秘訣ではないだろうか。専業主婦とサラリーマン家庭では、お金を稼ぐ人(夫)と、消費する人(妻)、と考えるのではなく、夫であれば自分が安心して仕事ができて、たまに夜遊びできるのも家庭を守ってくれる人がいるから、という感謝の気持ちと後ろめたさがあった方がいいし、妻も、夫のいない間に内緒の楽しみ(バーゲンに行ったりパチンコしたり?)に高じたり、ヘソクリを作る事で、少し引け目感じている方が優しくなれる(はず)。共働き夫婦は、稼ぎの少ない方が自然と家事の分担を多くするなど、イーブンになる為にバランスをとろうとする。この場合も全くのイーブンになるよりも、お互いが少し引け目を感じる状態こそがベストだろう。そして、初対面や関係の薄い人に対しては、施しすぎず、依存し過ぎず、自分が51になる(少しだけ与える)事を心がけると良いだろう。
2004年02月11日
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今日携帯電話が壊れた。朝起きるとディスプレーが「OFF」の状態に。充電しても反応がない(涙)どうやら天寿を全うしたようだ。。。これはかなり痛い!プライベートで使っている電話なので、古い友人達の電話番号は全てこれに記憶されている。実はこの携帯電話は8年も使っている代物で、未だに単音で、当然画像のやりとりはできない。あまりにも古い型で、ついこないだまでは人前で出すのが恥ずかしかった。しかし最近は古過ぎて、人に見せると懐かしがられ、話しのネタになった。そんな愛着ある電話だったのだ。電源もつかない状態だけど、メモリのバックアップはできるのだろうか・・・。かなり不安だ。もしできなければ交友関係は確実に2/3になる。いや、もっと減るかも。そういえば家のテレビデオも壊れた。えっ!?テレビデオを知らない!??・・・・・。
2004年02月10日
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最近よく人の名前を忘れる。先日も晩に後輩と入った会社近くのラーメン屋で、我が社の人事部長と出くわした。フロアが違うので毎日顔を合わす事はないが、人事面談などで話す機会は多い。でも名前が出てこない。我が社は役職ではなく、名前やニックネームに「さん」などの敬称をつけて呼び合うのが習慣なので、名前を忘れると呼べない。。後輩が名前を呼ぶの待っていたが、一瞬の事で聞き逃した。お陰でこちらから話しかける事はなく、不思議な沈黙が続く食事となった。。。今日も隣のグループの後輩と話していたが、途中で名前を度忘れして不自然な会話になった。途中で名前を忘れている事に気付くと、それが気になって会話に集中できなくなる。痴呆症の始まりかと本気で心配していたら、別の後輩から記憶のメカニズムについて心強い話を聞いた。その話しによると、脳の構造上、人の名前を覚えるのは本来かなり難しいらしい。脳は視覚から入る映像情報と、その時感じたイメージ情報を体系化して記憶していく。その為、単なる文字情報は記憶しにくい上に、忘れやすいというのだ。例えば、鈴木さんという人に会った時、彼が「サッカー好きの鈴木です。サッカー鈴木で、SSと呼んでください」と言ったとすると、「SS」と顔は覚える。そして、「サッカー好き」という事も覚える。次に彼の顔を見ると「SS」という事は直に思い出し、「サッカー好き」という事も思い出す。しかし、2番目の「S」、名前の部分はうろ覚えになっている事が多い。「佐々木?」「佐藤?」と「S」はわかるがなかなか出てこないらしい。ボクの場合はそれ以前の気もするが、少し勇気が湧いた。名前は覚えにくいが、間違われるとショックなものなので皆さんもお気をつけ下さい。
2004年02月09日
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週末によく行くイタリア料理店があるのだが、日によって味が違う事がある。少々味が違っていても美味しい時は文句はないのだが、パスタの麺が伸びている時などはスゴイはずれ気分で一杯になる。飲食店の経営学に関する知識はあまりないのだが、立地と味と値段が重要なのだと個人的には思う。立地は変えられないが、味と値段は企業努力の領域なので改善の余地が残される。更に味に関して言うと、製品のキモになる部分であり、いつ来ても同じ味、見栄え、量のモノを出す必要がある。リピート客はそれを期待しているからだ。チェーン展開している料理店は、そのあたりのマニュアル化に長けているので、どの店に行っても同じ味のものが出てくる。製造業でいうところの品質管理(QC)の概念だが、サービス業はまだまだ全般的に課題を残している部分だろう。特に製品そのものを持っていないコンサル会社などは、そもそも顧客毎にコンサルテーションするので均一的なサービスをする事は現実的ではない。しかし、ある程度サービスをパッケージ化する事で、サービス品質の最低ラインを担保する必要はあるだろう。飲食業に例えるなら、パスタの注文を受けた時に顧客の好みに合わせて「具」はチョイスするが、最低品質基準として伸びた麺は出さないと・・。--------パスタ屋さんに文句を言っているように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。出てきたパスタを食べて我が社のサービスの水準や品質などを改めて考えさせられました。。。
2004年02月08日
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人生の中でテレビに使う時間はどれ位なのだろうか・・。思わず考えさせられる1日だった。金曜日も夜中まで飲んでいたので、寝たのが明け方になったのだが、昼過ぎに起きて、そこからひたすらテレビを見ていた。気付いたら深夜1時を過ぎている。恐るべしテレビ!!インターネットを繋ぎっぱなしにしていたので、楽天日記の画像などを変更しながら見ていたが、見た番組の記憶がほとんどない。。。唯一記憶しているのは、土曜ワイド劇場。2000円札の偽造というテーマが興味深かった。でもそれだけ。。。ボクは以前阪神大震災に合い、4日間電気がない生活を送ったが、その時も同じ事を感じた。テレビがないと1日の時間がものすごーく余る。当時は学生だったので、仕事もなく、本当に余った。しかも夕方になると真っ暗になる。街も真っ暗。暖房もない。※当然水道、ガスもなし。懐中電灯で本を読むか、家族で話すか、寝るか・・。テレビがない生活は沢山の時間を与えられたようで、心が豊かになる気がしたのを思い出す。来週はテレビの電源を抜いて生活してみようかな。
2004年02月07日
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今日のお昼は回転寿司でした。営業中に船橋の駅前の回転寿司屋さんに行ったのですが、お昼時だけあってかなり混んでいました。ボクと同じような営業中のサラリーマン、えたいの知れないおばちゃんの集団、老夫婦、浪人生のような若者などなど・・。かなり狭いスペースをあてがわれたボクは流れてくるお寿司達を眺めていたのですが、ペースがつかめません。めぼしいネタが廻ってきても直前に誰かに取られたり、自分の前に来ても一瞬の迷いで動作が遅れ、次の人に取られたり・・・。ランチタイムの混んでいる回転寿司屋は正にサバイバルなのです。状況判断力と決断力、先見性、そして行動力が伴わないと食べたいネタにありつけません。仕事と同じような能力が要求されるのです。いつも行く近所の回転寿司屋は、先日この日記(1/24)で紹介したように、ネタが廻っていません。壁に貼っている今日のオススメとメニューを見ながら個別に発注していくので、すっかりそのペースに慣れてしまっているボクは回転寿司のスピードについていく事ができませんでした。慣れって恐いですね。そして、同時に供給者側の戦略についても考えました。もし、お客様がボク独りだった場合、多く食べさせた方が儲かる回転寿司屋はどういう戦略を取るのでしょうか?最初はお腹が空いているはずなので、利益率の高いネタから出すでしょう。5~6皿位食べ終わると空腹感はなくなっているのでボクはネタを吟味し始めます。そうなると板さんは、ボクから見てコストパフォーマンスの高いネタ、いわゆる高級なネタを握らないと皿数は伸びないでしょう。そして、最後はサプライズが必要です。10皿を越えると何も食べれません。そのボクに対して、お腹は一杯だけど、これは食べたい!こんなのあるの!?と思わせるようなネタを出さないと確実に帰られます。この原理は経済原理と似ていると思います。空腹感のある状態とはモノがない時代で、造れば売れます。空腹感がない状態とはある程度モノが飽和している時代で正に現代の日本です。寿司屋の理論(供給者のエゴ)では寿司は売れません。ある程度お腹が一杯の人にものを食べさせる為には、付加価値(サプライズ)が必要です。発想を変えて、お腹の空いている人が多い市場に行こうとする戦略は海外展開(生産工場の移転ではなく、販路拡大の為の海外展開)と言い換えられるでしょう。回転寿司って奥が深いですね。。。
2004年02月06日
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男女雇用機会均等法の施行により、目に見える形での女性への就業差別はなくなった。同時に女性の社会進出が進んだ事によって女性自身も自らのキャリアプランに対して長期的に考えていく必要があると思う。今までキャリアウーマンと呼ばれていた人達は、どちらかと言うと専門職志向の人が多く、いわゆるスペシャリストとしてのスキル形成を考えていた。女性の場合は、結婚・出産などで会社を辞める可能性が高いので、どうしても短期的な視点でキャリア形成を考えざるをえない事に起因している。そういう視点に立つと、短期決戦で仕事に埋没するか、子育てが一段落してから社会復帰できるようなスキルを身に着けるしか選択肢がなくなる。短期決戦を選んだ人もゼネラリストとして管理職を目指すのではないから、プレーヤーとして実績を残すべく専門領域に特化して行く事になる。しかし、これからの女性に求められるのはゼネラリストの視点であり、マネージメント力だと思う。そもそも男女間の差別がない外資系企業の日本進出の増加や、少子高齢化に伴う労働力不足などを考えると、女性の能力を上手く活用できるか否かが企業の命運を分ける時代になった。企業側の意識が変革していく中では働きである女性も意識を変える必要がある。短期スパンではなく、男性同様長期で自分のキャリアを形成していく必要があるし、スペシャリストとしてスキルを磨いてく場合でも経営者の視点や、組織の全体最適という視点から物事を考えていく事が求められる。(男性には以前から求められていた事なのだが…。)また、そういう視点で働く方が女性自身も成長を感じる事ができ、仕事を楽しめると思う。最近は女性の起業家も増えているし、閉塞感のある日本社会では女性に期待するところが大きい。。。
2004年02月05日
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