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今日は一日中、日本の職場に。片道約2kmの往復はゆっくり歩いた。本当は少しでも走リたいのだが、ここは心を鬼にして歩くだけにとどめた。そのお陰で脚の具合は少しずつ良くなってきた。夜は家で食事 (写真)。 そういえば、ボストンマラソンの申し込みの締め切りが9/23だったのだが、帰国して直後にその結果が届いていた。ボストンマラソンの応募条件は、過去1年以内に性別、年代別の基準タイムをクリアしていること。前回までは、基準タイムをクリアしている人なら応募先着順で出走券を得られたのだが、今年からは先着順ではなく、自分の持ちタイムと基準タイムの差が大きい順に出走権が得られるという方法に変わった。私の年代の基準タイムは3時間20分00秒。そして私の持ちタイムは3時間19分35秒だった。まあ、期待しないで待っていたのだが、予想通り、私は落選した。私の年代の最終的なカットオフラインは3時間18分46秒だった。前回は申し込み初日の夕方5時半頃に申し込もうとしたが既に定員締め切りとなってしまっていた。そして今回も申し込み方法が変わって出走は叶わなかった。次回のボストンマラソン (2013年4月) の時には私は確実に日本に帰ってきているはずなので、これでもうボストンマラソンに参加する可能性はほぼなくなった。ちなみに次回は私の年代の基準タイムは3時間15分00秒と厳しくなってしまうのでいずれにしても難しいのだが・・・。ちなみにその次なら年代が繰り上がるので3時間25分00秒と緩くなる。ボストンマラソンの参加基準タイムの設定に関しては、客観的に男女間 (女子が有利)、年代間 (高齢者に有利) でかなりな不平等があることは皆が感じていることと思うが、大会側がそのように設定しているのだからそれに従うしかない。それが世の中というものだと割り切って、私は別の大会でマサチューセッツ州を制覇することにする。本日のラン なし
Sep 30, 2011
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今回の帰国の主な目的のひとつはビザ延長の手続きをすることだった。当初は今週中のアメリカ大使館での面接の予約が一杯だったので郵送による申請を考えていたのだが、昨日チェックしたら今日の朝8時15分からの枠を押さえることができたので、急遽大使館まで出向くことにした。朝は6時半前に家を出て、アメリカ大使館には8時過ぎに到着した。すんなり受付を済ませて順番を待っていると、本来呼ばれるはずのない窓口からお呼びがかかった。アメリカの職場からの招待レターのようなものはないのかと言われ、期間が延長されるだけなのだからそんなものはないと答えたら、通常は期間を延長するための理由などが書かれたレターを添付しなければならないと言われた。昨年更新した時にはそんなことは一言も言われなかったので、ただのいちゃもんに過ぎないと判断して、ないものはないと押し通したら、それでOKになった。しかしもうひとつ注文をつけられた。持参した写真がコンピューターで取り込めないので違う写真を提出してくれと。写真の見た目は問題ないと相手も認めているのだが、何故コンピューターで取り込めないのかは解らず、別の写真を提出しないと手続きを先に進められないと言うのだ。新しい写真はその場にあるインスタント写真機で用意するしかないのだが、1回1000円。何というぼったくり。さらに、大使館の入り口の荷物チェッくで財布を預けてしまっているので、一旦荷物チェッくの場所に戻って財布を受け取り、再度建物の中に入るための荷物チェッくを受ける長蛇の列に並ばされた。結局新たな写真を提出した時点で、既に時刻は9時半をまわっていた。どんなに遅くても10時には手続きを終了できるだろうと思っていたが、結局終了したのが11時前。急いで地下鉄の駅に向かった。実は今日も点滴をすることになっていて、その予約が11時半だった。もう絶対に間に合わないのだが、たまたま小田急線直通の電車に乗れたので少しでも早く戻れるかと思っていたら、小田急線のダイヤが乱れていて、代々木上原で各駅停車に乗り換えさせられてしまった。色々あって、結局病院に戻れたのは12時半過ぎだったが、何とか点滴してもらえたのでよかった。 写真は今日の夕食。本日のラン なし
Sep 29, 2011
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羽田空港で税関を通過したところで日付が変わってしまい、どうやって自宅まで帰ろうかと心配したが、自宅最寄りの駅までの最終バスが0時05分発だということが判り、急いで切符を購入して駆け込むことに成功した。最寄り駅までは奥様に迎えに来てもらい、無事に自宅に辿り着いた。しかし、家に帰ってシャワーを浴びるときに蜂窩織炎が拡大・増悪していることに気付いてしまった。ただ、ここは勝手知ったる日本なので、朝になったらきちんと受診することにした。 今日の予定では、日本の研究室のミーティングに出席することにしていたのだが、とりあえず受診を優先させた。隣接した大学病院の皮膚科で受付を済ませ、順番がきたら呼んでもらうようにしたのだが、ミーティングが始まる前に呼ばれてしまった。診察室に入ると先生にいきなり「本物だ」と言われた。その先生は私が学内の会報に書いた写真入りのいくつかの記事を読んだことがあるらしく、私のことをよく走っているということも含めてご存知だった。症状の経過を説明したところ、安静にしていたかどうかを訊かれたので、とりあえず日常生活程度と答えておいた。しかし採血もしてくれることになった段階で、2日前にもフルマラソンを走っていることをカミングアウトした。抗生剤を点滴してもらい採血結果を確認したが、何と筋原酵素はおろか白血球や炎症反応すら上がっていなかった。症状との乖離がこれほどまでとは思ってもみなかった。研究室に戻ったら、既にミーティングは終了してしまっていた。その後はしばらく研究室で仕事らしきことをして夕方帰宅。久し振りに本物の親子丼を堪能した (写真)。本日のラン なし
Sep 28, 2011
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今日の1日は短かった。アメリカから日本へ戻るときは日付変更線を東から西へとまたぐので、1日が半日ほどで終わってしまった。それもほとんど飛行機の中で。飛行機の中では珍しく映画を3本も観た。1本目は「岳」。日本の映画なので、音声が日本語で字幕が英語。これはなかなか英語の勉強になった。次が「127 hrs」。これは7月にフィラデルフィアの屋外イベントで観たばかりだが、再度観てしまった。3本目は「This is it」。これは故マイケル・ジャクソンのコンサートリハーサルの模様でほとんど英語力を必要としなかった。途中で医者を求めるアナウンスがあったので、とりあえず申し出てみた。以前にアメリカの国内線でアメリカのライセンスを持っていないという理由で拒否されたが、今回はそういったことはなかった。具合が悪くなった方は、多少血圧が低めのようだったが、その他のバイタルサインは安定していたので、横にして脚を軽く上げてあげて様子を看ることにした。その後はだんだんと回復して、羽田に着く前に私のところに挨拶に来てくれた。そんなこともあり、機内では約2時間仮眠をしただけで羽田に到着した。入国審査、荷物受け取り所、税関を通過した時点で日付が変わってしまった。 写真はとりあえず機内食。本日のラン なし
Sep 27, 2011
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今朝はレンタカーを9時半までに返さねばならないので、ホテルで朝食を摂った後、8時過ぎにホテルを出発した。9時過ぎには無事にレンタカーを返却して、空港で2時間ほど時間を潰した。インターネットが無料ではなかったのがちょっとした誤算だった。デモインからミネアポリス経由でロサンゼルスに到着。ロサンゼルスの空港では出発前にどうしてもインターネットに接続したかったので、仕方なく$7.99支払い24時間接続可能のプランを購入 (実際に繋いだのは出発までの2時間半)。待合所は当然のことながら日本人で溢れていた。これでしばらくはアメリカとお別れ。写真は昨日食べた親子丼。本日のラン なし
Sep 26, 2011
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今日のレースは7時スタートで10kmとハーフも同時スタートなので、早めに会場入りすることにした。5時半にホテルを出たのだがまだ真っ暗で、ハイウエイへの入り口をカーナビの指示に従って入って行ったら、何とそのレーンは出口のレーンだった。まだ本線に入り込む前に対向車が来てくれたので、自分が逆走していることに気づき事無きを得た。会場では運良くスタート地点に面した駐車場に車を停めることができた。まだ蜂窩織炎がくすぶっている状態なのでゴール予想タイムは3時間半から4時間と幅を持たせ、今回は走らない妹とゴール地点で再合流することにした。スタート時はそこそこ気温が低かったのでランニンググローブを装着した。2マイルほど走ったところで身体も温まりペースも落ち着いてきた。今回は先日購入したNEWTONのお試しレースでもあるのだが、ただでさえ慣れるまではふくらはぎに負担がかかるであろう靴なのに、蜂窩織炎の影響で下腿用のSKINSを装着せずに走った。予想通り早めにふくらはぎに疲労感が出てきたが、そんなにひどいものではなかった。例の如くハーフまでは大混雑なのだが、その後は一気にランナーの数が少なくなった。ハーフの通過は1時間48分台。ここからはペースを維持していくのが難しくなり、とりあえず24時間走の時のようにゆっくりだが淡々と走り続けることにした。途中で、NEWTONで摺り足ピッチ走法が可能かどうかも試してみた。道中は無理な走りは極力しないように心掛けたが、サブ4ぎりぎりになってしまったのでラスト2マイルだけは多少ペースを上げて3時間56分42秒 (後半ハーフ2時間8分台) でゴール。これでDC+37州目 (ネブラスカ州) 制覇となった。ここ1週間は蜂窩織炎の影響で全く走らずに臨んだのだが、何とか走ることができて良かった。 ゴール後はすぐにホテルに戻り、荷物をまとめて今日の宿泊先であるエイムスに向かった。そのホテルのフロントでは日系人が働いていて日本語も通じた。一休みしてから、妹が渡米直後にホームステイさせてもらっていたTammyと夕食を採ることにして日本食レストランに行ったのだが、何をどうしたらこういう料理が出来上がるのか不思議だった。私は親子丼を頼んだのだが、釜飯の釜で出てきて、最上面には焼かれた鶏肉、その下に卵が敷いてあり、ご飯はかやくご飯のようだった。味もとても濃く、私にしては珍しく半分ぐらい残してしまった。Tammyが注文したカツ丼も妹が注文した鍋焼きうどんも、日本では絶対に見ることのできないもので、2人もやはり半分ぐらい残していた。テレビCM (ローカル) も流しているようなレストランなので、せめて味ぐらいはちゃんとしていてほしかった。日本人にきちんと料理を教わるか、メニューの名前を変えるかした方が良いと思う。その後2人をそれぞれの自宅に送り届けてからホテルに戻り就寝。本日のラン 42.2km (3時間56分42秒) 第36回オマハマラソン(月間走行距離355.6km)(週間走行距離42.2km)
Sep 25, 2011
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朝4時過ぎに何とか作業を終了して、タクシーで空港に向かった。フライトは6時発でデトロイト経由デモイン行き。デモインはアイオワ州の州都でそこから車で45分ほど北のエイムスという街に妹が研修しているアイオワ州立大学がある。最初の機内では爆睡した。デモインの空港でレンタカーを借り、エイムスへ。無事に妹と合流し、そこから西に向かい約2時間半でネブラスカ州のオマハに到着した。 まずは宿泊予定のホテルに行ったが、チェックインの時間まで30分待ってくれと言われたので、荷物だけ預けてマラソンのEXPO会場に先に行くことにした。EXPOは大したことなく、ビブとTシャツだけ受け取り早々に退散した。妹がショッピングモールに行きたいと言うので近くにある大型のモールに連れて行った。その後ホテルに戻ったら、フロントデスクに人が溢れていた。これはとても時間がかかるなと思ったが、何か様子がおかしい。皆事前に予約している人たちなのだが、もう部屋がないという理由でチェックインできないらしい。私は最初2時半にホテルに顔を出して5時半に戻って来たのに、事前に支払いを済ませている客が締め出されるという信じられない対応だった。明日はオマハではマラソン以外にも色んなイベントがあるらしく、市内のホテルは一部の高級ホテルを除いては全く空き部屋がない状態だった。結局、ホテル側が近隣の街にあるホテルを紹介したのだが、そんなところに行かされたら当たり前だがスタート地点まで歩いて行くことはできない。それでも仕方ないのでそこに泊ることにしたのだ。しかし、どうせ離れた所に泊るのなら自分で改めてホテルを探せば良かったと、ちょっとだけ後悔した。夜は新たなホテルの近くにあるアメリカンレストランで食事をして、早めに就寝した。 写真はエイムスからオマハへ向かう途中のアイオワ州の典型的な景色。風力発電の風車がうじゃうじゃ生えていた。本日のラン なし
Sep 24, 2011
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今日が今働いている場所での最後の日となった。3日後にアメリカを発つのだが、約4週間後にフィラデルフィアに戻る時には、ラボが新しいビルに引っ越しを済ませている予定だからだ。そんなこともあって、今日は簡単な仕事に加えて、職場の身の回りの荷作りをした。夕方はラボの仲間の誕生日を祝う小さな食事会があり、EmanuelaとSoon Yewと参加した。お皿には色々なプロスポーツチームのロゴがデザインされていて、Soon Yewのはシアトルマリナーズだった (写真)。 帰宅後は日本に帰るための荷作り開始。実際にアメリカを出発するのは3日後だが、その前にアイオワ州で短期研修をしている妹のところに寄ることにしたので、荷作りのタイムリミットは明朝4時。さらに私の不在中に部屋のオーナーが床を全面的に張り替えてくれるということになり、部屋の片付けも並行して行わねばならなくなった。もちろん徹夜での作業となる。本日のラン なし
Sep 23, 2011
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今日は午後にビザ申請のための書類をオンラインで作成、提出した。昨年も同じようにやったので、今回はとてもスムーズに頭もあまり使わず短時間で終えることができた。夕方はフィラデルフィアランナーで、ランニング障害についてのスポーツトレーナーの人の話があるということで顔を出した。ピザが用意されていて、ちょうど良い夕食代わりとなった。Rossとも話をすることができ、NEWTONとHOKAについて相談してみたところ、私にはNEWTONの方が良いだろうとアドバイスされた。その一言が決め手となり、その足で昨日のシティースポーツに行って購入。モデルはGRAVITY Neutral Trainer (写真)。まずは週末にこの靴でフルマラソンを走ってみようと考えている。あくまでもNEWTONに慣れるという目的で。本日のラン なし
Sep 22, 2011
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今朝起きてみたら、患部は確実に改善傾向にあった。それにしても、やはり筋肉痛は全く発生しなかった。夜はSoon Yewと中華レストランで食事をした (写真)。そして帰りに、夜9時半まで開いているシティースポーツに立ち寄ってみた。お馴染みのフィラデルフィアランナーではお目当てのものの取り扱いがないため致し方ない。実は神宮外苑24時間走では、今まで履いてきたスカイセンサーは一休みさせて、別のシューズを履いてみようかと考えている。その候補が2つ。NEWTONかHOKA。ネットで特徴を調べたりもしたが、やはり実際に履いてみないと何とも言えない。HOKAのシューズを取り扱っている店は、おそらくフィラデルフィアには存在しないが、このシティースポーツにはNEWTONは置いてあった。早速、昨日の日記の写真と同じモデルを試し履きした。感じ的には悪くなさそうだったが、この靴に慣れるには1ヶ月ぐらいの期間が必要とHarveyも言っていたので、とりあえず購入は保留とした。本日のラン なし
Sep 21, 2011
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状態はまだまだ万全ではないが、少なくとも患部の悪化は認められないので、薬は効いてきていると思われた。もちろん今日も走らずにできるだけ安静を保った。 写真はレース後にHarveyの履いていたニュートンについて語り合っている様子。私が着ている黒いシャツは彼がレース中にくれたもの。本日のラン なし
Sep 20, 2011
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24時間走から一夜明けて、通常ならばあるはずの筋肉痛が全くなし。如何に全力で走らなかったかということがはっきりと解る。ただし患部は良くなるはずがなく、大きな水疱が破れないように激しい動きは控えてみた。それでも、出勤後に患部をチェックしたら、水疱は見事に破れてしまっていた。夕方Najiと連絡がとれ、新たな抗生剤を処方してもらった。最初に行ったCVSでは調剤の窓口が閉まってしまっていて、2軒目のCVSでようやくゲットできた。夜から内服を開始したので、明日以降、徐々に回復していくであろうと期待している。 写真は最後の1時間をスキーウエアを着たまま歩いている姿。本日のラン なし
Sep 19, 2011
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左膝外側の蜂窩織炎の患部に違和感を感じつつもペースダウンして様子を窺っていた。気温はどんどん下がり、さらにコースの半分が向かい風で、体感気温は5?C前後 (実際の気温は8-9?C) になっていたのではないだろうか?向かい風の区間では走ると余計に寒くなるので走れず、寒さをしのぐために、まずはSKINSのアームカバーを装着。次の周回では長袖のシャツを重ね着した。しかしそれでも寒さをしのげず。雨避けのために用意していたビニール袋を被った。この時点で、この異様な寒気は蜂窩織炎が原因のひとつになっているのではないかと思い始めていた (実際には本当に気温が下がっていたのだが)。ビニール袋姿でゆっくりと周回を重ねていたところ、一昨年のスパルタスロンで私のことを見たというHarveyが見るに見かねて、自分のサポーターに頼んで長袖のシャツを提供してくれた。さらに今回私たちをサポートしてくれているLaurieがスキーウエアを貸してくれた。これでほぼ完全に寒さをしのぐことができ、19時間で141km走った (歩いた) ところで患部を観察してみた。患部の下側はSKINSでカバーされているのだが、上半分は解放された状態だった。そしてその解放されている部分に巨大な水疱が形成されてしまっていた。これを見て、万事休すとなった。さすがにこの状態で走り続けることは良くないという医者としての判断で、完全にストップすることにした。3時間程寝かせてもらい、残り1時間を切った時点で再びコース上に戻ることにした。幸いにも全身状態が悪いわけでもなく、筋肉などは全くダメージを受けていない様子だったので、患部を気にしながらゆっくり歩くことにした。他の仲間たちは皆ラストスパートで頑張っているのに、私がコースに戻ったことを喜んでくれていた。結局最終的には24時間かけて148.639kmと、アメリカでの24時間走で最低の記録となってしまった。優勝したのはPhilで約247kmだった。私以外はそれぞれが目標を達成した良いレースだったと思う。今回は体調が万全でなかったので仕方ないと諦めるしかないが、今後の24時間走のことを考えると、何かを根本的に変える必要もあるのではないかと思う。 表彰式などでも色々なランナーと交流を深めた後、空港まで車で送ってもらった。帰りの便はクリーブランドーボストンーフィラデルフィアという変則な形だったが、身体的にはダメージがほとんどなく、飛行機の中でも辛いことはなかった。途中でNajiに連絡して、新たな抗生物質の処方箋をお願いした。本日のラン 23.7km (9時間) ノースコースト・24アワーエンデュランスラン(月間走行距離313.4km)(週間走行距離162.9km)
Sep 18, 2011
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9時のスタートに合わせ、6時に起床。別にオフィシャルホテルでもなんでもないが、朝食会場には知った顔が多く見られた。7時半過ぎにホテルを出発したが、そこでPhilとByronに再会した。会場まではKinoの友だちのMarkの車に乗せてもらったが、一緒に乗ったDavidは7月にバドウォーターのレース後にホテルで会話した仲間だった。今日のレースは24時間走のアメリカ選手権なので参加者はそうそうたる顔ぶれだが、その多くは既に私がどこかの大会で一緒に走ったことがある仲間だった。 コースは0.9マイル (約1.45km) の周回で、1周を9分前後のペースでいけるところまでいこうと考えていた.スタート後、先頭集団からはどんどん離されたが、1周目のラップは8分59秒と予定道りだった。気温がさほど高くならなかったこともあり、50kmの通過は約5時間10分と順調そのものだった。その後もエイドやトイレでのロスは多少あったが走り自体は全く問題なく、100kmの通過が約11時間だった。今回の目標は190~200kmの設定だったので、本当に快調に進んでいた。夜になり少しずつ気温が下がり始めたが、まだまだ脚は動いていて、日付が変わる15時間の時点では125kmを超えていた。しかし、この時点で蜂窩織炎の患部が悲鳴をあげ始めているのに何となく気付いていた。 写真はスタート前の元気だった頃の姿 (以前ニュージャージーからフィラデルフィアまで車で送ってくれたRayおじさんが撮影)。本日のラン 125.0km (15時間) ノースコースト・24アワーエンデュランスラン(月間走行距離289.7km)(週間走行距離139.2km)
Sep 17, 2011
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徹夜での準備の甲斐もあり、発表は無事に終了。最低限の仕事だけして、午後2時頃にラボを出てコンベンションセンターへと向かった。実は今週の日曜日にはフィラデルフィアで大きなハーフマラソンの大会があり、1年前にその大会にエントリーを完了していたのだ。結局走らないことにしたのだが、EXPOだけは行っとこうということで参加賞などをゲット。オフィシャルグッズのブルックスブースでは、Rossがシューズの販売を手伝っていた (写真)。早々にEXPO会場からは退散して、本来の目的地であるクリーブランドに行く準備をしに家に帰った。飛行機の時間に合わせて家を出たのだが、レース用ではないインソールを装着してしまったことに気づき、電車を諦めてタクシーで空港まで行くことになってしまった。クリーブランド空港には日系2世のKinoと彼の幼なじみのJacquelineが迎えに来てくれた。何となく先日完治させたはずの蜂窩織炎が再燃しそうな気配はあったが、明日に備えて10時過ぎには就寝。本日のラン なし
Sep 16, 2011
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明日の朝に自分の仕事の進み具合を発表しなければならないので、例の如く、職場に泊まり込んで準備をすることにした。夕飯はSoon Yewと一緒に近くの中華料理屋で済ませ (写真)、そのまま職場に戻った。今日は何故かものすごく冷え込んで、夜の気温は10?C以下になった。それでも、明朝に寝過ごすという心配は無いので安心。 ちなみに今晩は徹夜をする予定にも関わらず、週末は24時間走を走ることになっている。大会のホームページで「Updates will be posted HERE during the race.」と書かれているところの「HERE」の部分をクリックすると、ほぼリアルタイムの途中経過をPDFファイルで見ることができるようだ。スタートは現地時間で17日の朝9時、日本時間だと17日の夜10時ということになる。本日のラン なし
Sep 15, 2011
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今日の昼は、昨日持ち帰った夕飯の残りにプラスして、Soon Yewが用意してくれたご飯と野菜の煮物を食べた。栄養たっぷりの昼食となった。一昨日、昨日とほぼ走っていないので、さすがに今日は練習会に参加した。今週末にフィラデルフィアで大きなハーフマラソンの大会があり、メンバーの多くがそれに参加するということで、今日の練習は比較的軽めだった。練習後は職場に戻り、金曜日に予定されている発表の準備に追われた。 写真は先週の大会の様子。9月11日に因んで開催されている大会だけあって、星条旗を掲げて走る人や、軍服姿の米軍の兵士なども参加していた。本日のラン 9.7km (58分) 水曜練習会 4.5km (30分) 帰宅ラン (Walnut St. 経由)(月間走行距離164.7km)(週間走行距離14.2km)
Sep 14, 2011
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今日も走らずに体力の回復に努めた。夕飯は職場近くの中華料理屋で、いつものようにSoon Yewと (写真)。食べ切れなかった分を持ち帰ることにして店を出たら、目の前にバスが停車していた。しかし、乗ろうと思ったら発車してしまい、次のバス停までダッシュするはめになってしまった。お陰で何とかバスを捕まえることができた。途中でバスを降りてWhole Foodsに寄り、豆乳を買ってから帰宅した。本日のラン なし
Sep 13, 2011
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昨日の強行日程による疲れはあるものの、走ったペースが非常に遅かったため、脚のダメージはほとんど感じられなかった。それでもランはお預けにして、夜はSoon Yewと一緒に中華街にジャージャー麺 (写真) を食べに行った。安くて味もまあまあだった。本日のラン なし
Sep 12, 2011
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今日は9月11日。10年前、私は長野県の病院で腎臓内科医として勤務していた。あの日の夜は温泉旅館で食事をし、温泉に入ってゆったりしていたのだが、テレビをつけたらとんでもない光景が目に飛び込んできた。とても現実のものとは思えなかった。あれから10年、まさか自分がそのアメリカで暮らしているということは想像していなかった。 昨晩は一睡もせず、朝6時発の飛行機に乗るために4時前に家を出た。今日の空港でのセキュリティーチェックは厳しいかもしれないと思っていたのだが、時間が早かったせいもありあっさりと通過。飛行機はデトロイト経由のカンザスシティー行きで、ファーストクラスに無料でアップグレードされたのだが、全行程ほぼ爆睡してしまった。カンザスシティー空港からはレンタカーで45分程のオレイサ (Olathe) という街にある巨大なショッピングモールに向かった。今日の大会はこのモール内に設定された1周1マイル (約1.6km) のコースで行われる。私が走るのはマラソンの部だが、メインイベントは9時間11分走。スタート前にIrlanとも6日振りの再会を果たした。 スタートは昼の12時で、その時点で気温は27?Cだった。コース上に日影は無いため体感気温は更に高くなっていたと思われる。レース中の最高気温は29?Cまで達していたようだった。この炎天下なので、もちろん最初からゆっくりペースで進んだ。それでも最低限サブ4をと考え、1マイルを9分前後で進むことにした。しかしハーフ手前で早くもペースを維持できなくなり、ハーフの通過が1時間59分40秒だった。何となく、数年前に走って撃沈した彩湖マラソンや、灼熱の中で何度もリタイアした北海道マラソンを思い出した。もうサブ4は無理と確信し、ここからは24時間走の後半を想定して、ゆっくりだがコンスタントに進むことだけを考えて走った。結局ゆっくりだが走り続けることはでき、4時間35分54秒 (後半ハーフは2時間36分台) でのゴール、DC+36州目 (カンザス州) 制覇となった。このタイムは私がアメリカで走ったマラソンの中では事実上最遅タイムだった (楽しみながら走ったディズニーワールドマラソンを除く)。それでも男子40代では3位だったので、完走メダルに加えて、同じデザインの銅メダルも貰えた。 予定していたゴールタイムよりも1時間近く遅れてしまったので、ゴール後は選手用の軽食などで栄養補給をした後、速やかに空港へ向かった。そこで問題が発生。空港近くのガソリンスタンドでガソリンを入れようとしたのだが、財布が見当たらない。可能性のあるポケットやバッグの中やトランクなど、ありとあらゆる場所を探したがみつからず。会場の駐車場で落した可能性も考えたが、この時点で会場まで探しに戻ったら確実に帰りの飛行機には間に合わない。頭の中を整理し、再度車の中を確認することにした。すると、助手席側の椅子の脇に挟まっている財布を発見。事無きを得た。帰りの飛行機はシカゴ経由だったが、往路同様こちらも爆睡して、日付が変わった午前1時過ぎに無事にフィラデルフィアに到着した。本日のラン 42.2km (4時間35分54秒) ペイトリオッツラン(月間走行距離150.5km)(週間走行距離141.4km)
Sep 11, 2011
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今朝は8時半スタートの練習会に合わせて自宅から美術館裏まで走り、そのまま練習会に合流した。今日の練習会のメニューは14マイル (約22.5km) だったが、私は明日マラソンを走る予定なので、ゆっくり2時間15分かけて走った。練習後、昼食を摂り家まで送ってもらったが、その時点で既に午後1時過ぎだった。帰宅後にちょっと仮眠して気付いたら3時半になっていたので、気合いを入れて出勤。夜8時過ぎまで仕事をして、その後Soon Yewと韓国レストランで夕食を摂ってから帰宅した。 写真は先日ロズウェルで見かけた、ボロボロになったホンダN360。本日のラン 27.2km (2時間39分) 土曜練習会 5.7km (39分) 帰宅ラン (Walnut St. 経由)(月間走行距離108.3km)(週間走行距離99.2km)
Sep 10, 2011
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今日は良い天気だった。夜はEmanuelaとSoon Yewと一緒に中華レストランへ。Soon Yewが無料のムーンケーキのクーポンを持っていたので、それが目的だった。食後にムーンケーキ (写真) を食べたが、中国では所謂中秋の名月に合わせてムーンケーキを食べるらしい。和菓子のような感じだった。本日のラン 5.1km 帰宅ラン (Walnut St. 経由)(月間走行距離75.4km)(週間走行距離66.3km)
Sep 9, 2011
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今朝も雨。ここのところ天候が悪い日が続いている。それでも日中には天候も回復し、木曜練習会に行くつもりで準備をしていた。夕方職場を出てフィラデルフィアランナーに向かった。時間的には少し遅れてしまったのだが、いつもの練習コースを逆走して店に向かったので、皆とすれ違うことを想定していた。しかし、誰とも会わずに店に到着してしまった。実は今日の練習会はいつもとは違ったコースを走ったということだった。とりあえず皆が戻ってくるまで店で時間を潰すのも何なので、近くのリバティープレイスのフードコートに行って、閉店間際のプレッツェル屋で割り引かれた揚げプレッツェルのスティックを食した。その後はフィラデルフィアランナーに戻り、7月に行ったバドウォーターの記事が載っている雑誌を購入。自分用以外にも日本へのお土産用として計4冊 (5冊しか入荷されていないにもかかわらず) も購入してしまった。それと、現在使用しているインソールがへたってきたので新たに購入。おそらくこれで、今月と来月の24時間走を走ることになると思う。夕食はチームフィリーのメンバーで近くのLadder15というバーに行き、ハッピーアワーで半額のハンバーガーを食べた。 写真はロズウェルの国際UFO博物館内の展示物。本日のラン 4.7km (28分) 帰宅ラン (Walnut St. 経由)(月間走行距離70.3km)(週間走行距離61.2km)
Sep 8, 2011
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今朝も天気は今ひとつで今にも降り出しそうだったので、傘を持ってのバス通勤となった。午後からは雲も晴れて良い天気になったのだが、水曜練習会のことをすっかり忘れていたためランニング用のパンツを持ってきていなかった。仕方なくフィラデルフィアランナーで現地調達した。新学期が始まったということもあり、若い人たちが何人か仲間に加わっていた。 写真は一昨日の大会で入賞者に贈られた亀の置物。本日のラン 10.2km (65分) 水曜練習会 4.1km (30分) 帰宅ラン (Walnut St. 経由)(月間走行距離65.6km)(週間走行距離56.5km)
Sep 7, 2011
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今朝は起きたら雨が降っていたのでバス通勤。昨日走ったことによる蜂窩織炎の再燃や筋肉痛などは全くなく、脚の状態は問題なかったが通勤ランはできなかった。出勤すると、夏休みでイタリアに帰省していたEmanuelaが帰って来ていて、結構日焼けしていてびっくりした。帰宅時も結構な雨が降っていたので、やはりバスを利用した。 写真はロズウェルで見かけた郵便ポスト。スターウォーズのR2-D2がデザインされている。本日のラン なし
Sep 6, 2011
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今日は月曜日だが、ここアメリカでは数少ない国民の祝日のひとつ、レイバーデイ。日本的に言うと労働者の日。勤労感謝の日とはちょっとニュアンスが違うかもしれない。朝は3時半に起床し、準備を済ませ4時15分にホテルを出発した。Soon Yewと2人で2km程の道程を歩いていくつもりだったが、部屋を出たところで昨日空港から一緒だったおじさん、Kevinと遭遇して、またまた会場まで送ってくれることになった。お陰で会場には4時半頃に到着し、余裕をもって準備できた。しばらくしてからIrlanとも再会を果たした。今回のレースは進行性の神経疾患、多発性硬化症のための基金とタイアップしていて、スタート前には、6ヶ月前に奥様が同疾患で亡くなられた参加者のスピーチもあった。 朝5時半、真っ暗の中をスタートした。最初の2マイル (約1.6km) 弱は公園の中なのでほとんど灯りが無く、慎重に走らざるを得なかった。例の如く、Soon Yewは私の後ろをピッタリと追走してきた。公園を抜けて広い道路に出てからしばらくすると、空が薄らと明るくなってきたが、ここから折り返し地点 (ハーフ地点) までは基本的にはだらだらとした上りが続く。無理せずに走っていたら、5マイル (約8km) の通過が45分台と、相当遅いペースになっていた。ただ、腹の調子があまり芳しくなく、これ以上のペースで進むのは危険だった。このレースでは有人のエイドステーションはハーフとフルの折り返し地点にしかなく、しかも用意されているのは水とスポーツドリンクだけ。その他に、約2マイル毎に路上にペットボトルの水が置かれていた。何故路上なのかと尋ねてみたところ、テーブルを用意してその上に置くと大会参加者以外の人たちに盗られてしまうからだそうだ。路上に置かれているペットボトルを拾い上げる動作はかなり負担になり、時間的なロスも生じるが致し方ない。それと、コース上にトイレは1箇所も見つけることができなかった。そんな辛い状態だったが、なんとかハーフ地点までSoon Yewと並走して到着。タイムは1時間56分台だった。帰りは下り基調だから何とかサブ4は達成できるだろうと甘く考えて折り返したが、何と向かい風になっていた。Soon Yewは折り返し地点で離れてしまったので、ここからは完全に一人旅になった。おそらくこの時点では7、8番手を走っていたはずなので、じっくりと無理せずに前を追うことにした。とは言うものの、見晴らしの良い場所でも先行するランナーは全く見えなかった。 結局後半は先行するランナーを1人も見ることなくゴールまで辿り着いた。タイムは手元の時計で3時間50分03秒 (後半ハーフは1時間53分台) だった。とても簡素なゴール地点だったのでゴールラインがよくわからず、最後のダッシュができなかったが、あと3秒ぐらいなら余裕で縮めることができたはずなので、ダッシュしなかったことがちょっとだけ心残りとなった。ちなみに男子40代では4位だった。これでDC+35州目 (ニューメキシコ州) 制覇となった。さらに、通算70回目のサブ4達成となった。しばらく待っているとSoon Yewも無事に帰ってきた。4時間16分台と、後半はペースダウンしてしまったが、ゴール後も元気だった。そして年代別 (男子30代) では2位に食い込んだ。参加賞はTシャツと小さな亀の置物。 その後は2人で話をしながらしばし休憩していたら、10時頃からお楽しみ抽選会が始まった。私は小物を入れる手作りの箱 (写真参照) を獲得した。そして最後の賞品となったのがアウトドア用の折畳み椅子。私は小声でSoon Yew、Soon Yewと祈願していたが、別の人の名前が呼ばれてしまった。しかし当選者は現場に居らず、次に名前を呼ばれた人も登場せず。そして3番目に、何と本当にSoon Yewが当選してしまった (写真でSoon Yewが背負っている赤いヤツ)。この大会の参加費はたったの$20だったので、これだけでも十分に元を取ったことになった。 ホテルまではゆっくりと歩いて帰って、11時半にチェックアウトできた。空港まではタクシーを利用したが、ロズウェルにはタクシー会社が1つ、タクシーが2台、ドライバーが4人しかいないらしい。空港は、実はかつてのアメリカ空軍の基地で、広島、長崎に原爆を投下したエノラゲイの所属先だったそうだ。フライトは概ね順調で、フィラデルフィアにはほぼ予定通りに到着。帰りに中華街で栄養補給してから帰宅した。本日のラン 42.2km (3時間50分03秒) タートルマラソン(月間走行距離51.3km)(週間走行距離42.2km)
Sep 5, 2011
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昨晩は目覚ましを5時15分にセットして、1時前に就寝した。しかし、今朝起きたら6時45分だった。8時半発の飛行機に乗るためにSoon Yewと7時に空港で間に合わせていたのだが、絶対に間に合わないのでとりあえず30分ほど遅れると、Soon Yewに連絡を入れた。タクシーで空港に向けて急いだつもりだったが、ハイウェイでは後続の車にどんどんと抜かれる有様。結局、空港到着は7時40分になってしまったが、Soon Yewは文句ひとつ言わずに待っていてくれた。それでも空港はガラ空きで、余裕をもって搭乗することができた。 今日の目的地はダラス経由のロズウェル。ロズウェルはニューメキシコ州の小さな街だが、空港にはとてもたくさんの飛行機が停泊していた。中にはボーイング747の姿も、絶対に営業運行では使用されていないはずだが、なぜ大量にあるのかは不明。ダウンタウン迄は10km程だが、機内で知り合った同じホテルに宿泊予定のおじさんのレンタカーに便乗させてもらった。そのおじさんは2週間前にパイクスピークマラソンを走ったそうで、数人の私の友人とも知り合いということだった。ロズウェルは、その近郊で1947年にUFOが墜落したことで有名で、街の中心部はUFOや宇宙人が溢れている。ホテルにチェックインを済ませた後は、歩いて国際UFO博物館へと出向いた。途中で立ち寄ったビジターセンターでは宇宙人の出迎えを受けた (写真)。UFO博物館は入場料が$5とお手頃。ただし、あくまでも観光客相手の商売といった感じで、貴重な資料が展示してあるというわけではなかった。 夜はホテル近くのイタリアンレストランでパスタを食べて、そのまま明日に備えて早めの就寝となった。本日のラン なし
Sep 4, 2011
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今日は土曜日なので、基本的には仕事は休み。なので午前中は家で洗濯や掃除などをして過ごした。昼過ぎに通勤ランを敢行。とりあえずゆっくり走ってみたが、何とか走ることができた。午後は目一杯仕事をしたが、Soon Yewが家で調理してきたパスタとツナサンドイッチ (写真) をご馳走してくれた。 夜9時半頃まで仕事をし、その後の帰宅ランもそれなりに走れたので、脚の状態は徐々に良くなってきていると思われる。本日のラン 4.6km (32分) 通勤ラン (Walnut St. 経由) 4.5km (28分) 帰宅ラン (Walnut St. 経由)(月間走行距離9.1km)(週間走行距離9.1km)
Sep 3, 2011
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今朝起きて、患部の様子を確認。悪くなってはいないのだが、やはり腫脹や熱感は遷延するようだ。抗生剤が効いていることは間違いないので、今朝は追加でイブプロフェンも内服してみた。案の定、その甲斐あって見かけ上の患部の改善が見られた。ただ、これは試してみただけなので、イブプロフェンを継続して内服するつもりはないのだが。 今日も1日普通に仕事をして、夜はSoon Yewと一緒に、少し奮発して「富士山」という偽日本食レストランに行った。ここは以前にEmanuelaと行ったことがあるのだが、味はそれほど悪くなかったと記憶していた。奮発した理由は、今日が私の誕生日だったから。私はちらし寿司 (写真) とざるそばを注文したのだが、やってきたちらし寿司は日本人の私がイメージするものとはかけ離れていた。あまりにもシャリの量が少ない。そして具の種類が少ない。ちょっとがっかりした。 今日は、国籍を問わず何人かの仲間からフェイスブックを通じて誕生日を祝うメッセージが届けられた。これ迄の誕生日ではこういう形でのメッセージを受けた記憶がほとんどないので、とても新鮮でありがたかった。本日のラン なし
Sep 2, 2011
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今日も1日4回抗生剤を内服した。お陰で症状の悪化は認めず、普通に仕事をこなすことができた。ただ、患部の状態は劇的に改善するわけではないので、辛抱強く薬を飲み続けねばならない。 今日から9月で、ここアメリカでは新年度の始まりとなる。うちの研究室では何の前触れもなくラボテクニシャン (技術員) が2人解雇された。さすがに研究員が突然解雇されるようなことはないが、それでも働きが悪ければ契約は更新されない。私の場合は現在の契約が今年の11月迄で、ただいまその後の契約のための書類を作成中。予定ではあと1年こちらで仕事をするつもりでいるが、どうなるかは私の働き次第といった感じがする。 夜はSoon Yewと中華レストランでココナッツベースのシンガポールヌードル (写真) とタイ料理を食べた。本日のラン なし
Sep 1, 2011
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