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今日の中3理科の授業は金星の満ち欠けのところを説明した。 金星がいつ頃見えて 大きさがどうで 満ち欠けがどうで… 図に書いて説明したものの ひとりの生徒が凄く眠そうだった。 「おーい。この金星の問題はめっちゃテストに出るねんから 頑張って理解せなあかんねんで」 そう言ったものの 金星の満ち欠けなんて 肉眼で見ることなんてできない。 そもそも金星自体、見たことがないだろう。「それなら、あれだ。 月やったら興味あるやろ。 君ら、どんな月が好き?」 「新月!」 !!? 「渋いねー。新月って見えへんやん。」 そう言いながら、さっきよりも反応が良かったのを感じて 月の満ち欠けを説明することにした。 図に書いて説明した後 「今日の月は、ほぼ上弦の月(右側半分が光った半月)のはず。 今の時間が8時前やから、南南西くらいの方向に見えるはずやね。 見てみよっか。」 窓を開けて見てみたら 南南西の空に上弦の月が浮かんでいた。 生徒たちはなんだか笑顔だった。 席に戻って もう一度、月の満ち欠けの話をした後 改めて金星の満ち欠けの説明をした。 さっきよりもきっと理解できたはずだ。 「来週の今ごろは あの月は満月になってる。 ちょっと過ぎちゃってるから、少し欠けてるやろうけど。 また来週見てみよう。」 夜は月が見えるから 塾が夜で良かったと思えた。
Oct 31, 2006
久しぶりに 幼稚園のころからの幼なじみのNに会った。 就職してから、彼とはほとんど会っていなかった。 最後に会ったのは4年くらい前だったと思う。 あれだけ小さい頃からよく遊んだのに こんなにも会わないでいたというのは 今になって不思議に思えてならない。 働きだしてから きっと僕の中で何かが変わっていったんだと思う。 久しぶりに会った彼は 見た目はちょっと大人になっていたけど 性格はほとんど変わっていなかった。 幼稚園から知っている彼そのものだった。 確かに話す話題は 昔のそれとは違っているから 僕達は当然子どもではなくて大人なんだけど 話すたびに、何ともいえない安心感を感じた。何事にも正直だった子どもの頃を ともに過ごしてきたからだと思う。 6年半 僕は塾の仕事に 結構のめり込んできたかもしれない。 そして今も、働くことで お互いに違う世界で頑張っている。 そうやって 自分自身が変わっていっているように思う。 変わっていくことは決して悪いことではない。 むしろ成長していくために変わっていかなくちゃいけない。 そうやって自信をつけているんだと思う。ただ一方で 変わらない自分らしさというものがきっとあって 普段は自分自身でそれには気付かない。 しかし、仮にどこかで大きな挫折を経験し自分を見失ったとき、失ってしまうものは後から身につけた自信の場合が多いんじゃないかと思う。そんなとき、普段気付かなかった自分らしさだけが心のなかでぶら下がっているように感じる。そういった変わらないものを 昔から知っていてくれて、理解してくれるのはNのような幼なじみだ。大切な友達だと思う。
Oct 23, 2006
塾に就職して2年目 僕は縁あって、新教室の教室長になった。 春の募集で最終的に集まった生徒は20名程度。 理系担当が僕で、文系担当が新任のT先生。 そしてお目付け役としてKJ先生がサポートに入るという 体制だった。 KJ先生は第二次世界大戦の時、海軍の通信士として 活躍された人で、英語はベラベラ。 街で外国の人に出会う度に必ず話しかけるという 年齢を感じさせない、かなりパワフルな人だった。 僕が社員として復帰し、新教室の教室長になれたのも KJ先生が塾長に伝えてくれたことが大きかった。 KJ先生の授業はとても硬質な感じだった。 ちょっとでも生徒が喋ろうものなら 「黙れ!」 と一喝する。 教師と生徒の境界線をはっきりと分けた そういう授業だった。 僕はそれが生徒にとってもいいと思っていました。 それはKJ先生の生徒に対するスタンスが 自然に思えたからです。 硬くても、ぶれる事なく 最後まで授業をやり終える。 ぶれない… これは僕の中で、自分にないものだったように思う。 KJ先生の生徒に対するスタンスは たぶん最後まで変わらない、そんな感じがあった。 僕はまだそれを模索しているような段階だった。 その頃の僕は 生徒とキャッチボールがしたかった。 1年目のときの挫折感が それを助長させたのかもしれないし 塾講師を志した当初から どこかで思っていたことだったように思う。 学力はバラバラだったけれど クラスは分けなかった。 学力差による進捗の遅れは確かにあったけれど それを無視できるくらい生徒のパーソナリティに魅力があった。 出来る子もそれをよく理解していて みんな認め合っていたように思う。 そうやって僕は やっと仕事に生きがいを見出していくようになった。 日々の授業が 自分にとって、何かしらの糧になっている実感があった。 それが何かはよく分からなかったけれど 塾の世界で生きていく上で 感じなければならない充実感のように思われた。 新教室を立ち上げて1年目の2月末 文系担当のT先生が塾を去ることになった。 KJ先生も塾を引退されることになった。 僕は悲しかった。 T先生やKJ先生のことが大好きだったからだ。 飲み会をしたときにT先生は僕に言った。 「先生の授業はあまり上手いとは思いませんでしたけど 熱くやっておられるから大丈夫ですよ。 僕はずっと塾を続けてはいけませんわ。」 酔いつぶれて、朝起きたら教室だった。 黒板を見たら 「お世話になりました。」 と大きく書かれてあった。 それを見て僕は 複雑な気持ちだったが 自分を見失ってはいなかった。 まだまだ頑張ろうと思っていた。
Oct 18, 2006
最近、授業を通じて生徒の口からよく出るフレーズがあります。「ほんまそれ」ああ、流行っているんやろうなと思った。おもしろいのが中学生だけでなく小学生も結構使っていることです。念のため、その意味は「本当にそうですね」という相手の意見に同意するときに使います。そういえば僕の中高生の頃にも流行った言葉がありました。「おにすごいな」「おに」とは簡単にいえば「とても」という意味です。さらに、その派生として「おまえ、おにやなー」とか「おにおにおにおにやなー」などがありました。この「おに」は今でも使うことがあります。彼らも「ほんまそれ」を何年経っても使っていくんだろうか。そうだったら、またおもしろいなと思った。
Oct 17, 2006
愛知県岩倉市で塾をやっておられる國立さんが自分自身の塾を開くまでのリアルタイムのブログを開かれて1年が経ったようです。僕が見る限りたぶん1日たりともブログを休んだことはないと思う。僕などは「日誌」という題名をつけていながら不定期な更新ばかりをしている。毎日ように更新しておられる塾ブロガーの皆さんは本当に凄いと思う。さて、ちょうど1年くらい前のこの時期に國立さんが僕の塾に訪ねて来られた。そのときのことは良く覚えています。印象的だったのは國立さんの目が輝いていて今から独立するんだという本気の覚悟を感じたことです。僕は絶対、國立さんは独立するだろうとその雰囲気から感じ取っていた。塾は他の業種に比べると、開業にかかる費用はそんなにかかるものではないと思う。そういった意味でリスクはそれほど大きくはないのかもしれません。でも安定した収入を捨てるということには不安はありました。そんな中同じ志をほぼ同時期に違う土地で暖めていたことに共感を感じずにはいられなくて嬉しかった。何を信じていたのかというと自分です。簡単に言えば自信です。どれだけ凄い塾人を見てきていながらも自分自身にしかできない授業があるんだって強く信じていました。でも未来のことは分からない。なぜなら初めての体験だからです。それでもなお自分を信じていたんだと思う。失敗は考えなかったわけではないです。もし失敗して経済的な何もかも失ってしまったとききっと涙や鼻水を垂らしながら物凄く悔しい思いをするのだろうけど後悔はしなかったと思います。後悔はしないという思いは何か新しいことを始める上での重要な条件だと思う。それが覚悟なんだと思う。
Oct 6, 2006
昨日の中3の理科の授業は天体のところでした。天体を教えるので難しいことは3次元のものを2次元(紙や黒板の上)で説明しなくてはいけないところです。そして特に大切なことは地球の自転(地球自身が地軸を中心に1日1回転している)と公転(地球が太陽の周りを1年かけて1周している)を理解させることだと考えています。これを学校ではどうやって説明しているんだろうと思っていました。生徒さんに聞いてみたところ面白い答えが返ってきました。「めっちゃおもしろかったんですよ。先生がクルクル回りながら教室を走り回っていたんですよ。」こういう話はかなり好きです。正直、体張ってるなぁと尊敬します。かなりインパクトがあるので理科が嫌いな子でも「なんで先生は回りながら、教室を走り回っているんだろう?」と思うに違いありません。それがきっかけとなって自転と公転を理解してくれるように思います。たとえ10年たって、自転とか公転とか忘れてしまったとしてもその先生が回りながら、教室を走り回っていた光景だけは覚えているように思う。そういう話を聞いて僕も心に残る授業をしなくてはと思いました。
Oct 4, 2006
今日の帰りの電車の中で ばったりと高校のときの同級生と会いました。 降りる駅が同じだったので 缶コーヒーを買って 駅前の階段で1時間くらい話しをしました。 高校時代の事はあまり話をせず 今のお互いの仕事についてを話し合った。 面白いもので 話す感覚は学生の時と変わらない。 あれから何かを得てきて 一方で何かを失ってきたんだろうけど やはり根は変わらない。 話しながら気付いたことは お互いに何かを求めているということでした。 ああ、そうか… やはり情熱は消せません。 自分の求める何かを そう簡単に諦めることなんて できやしないんです。 普段、なにかと誤魔化して 生きていくことに慣れていますが 決して諦めているわけではありません。 計算高くなって 慎重になりすぎているけど 情熱は変わらないんだと思う。 いつか、情熱を失ったとき 諦めというものを受け入れるんだろうけど 今はまだ、感じるこの熱に 僕は突き動かされてしまうんだと思う。だからやっぱりそう簡単には諦めちゃいけないというか諦めきれないんだと思いました。
Oct 3, 2006
思えば社会人1年目というのは 自由だった学生時代から ある日を境に その生活が全てが 仕事という日々に変わるという 劇的な変化を意味する。 僕はそれにとまどい、翻弄され 悩みを抱えたまま その1年を終えた。 2年目は、縁あってか Y先生から引き継いだ 数名の中3生を率いて 新しい教室で 教室長としてスタートすることになった。 その中にIがいた。 彼はなんでも器用にこなせるタイプの人間で 勉強もクラブ活動も両立していた。 そんな彼は、僕の授業を盛り上げてくれて そのおかげで 僕は授業に対して、自信を取り戻していった。 何事も不器用な僕は そんな彼を尊敬していた。 たかだか15歳の男だったが なにかを為すであろう可能性を 感じさせる男だった。 ある日の授業の終了後 I達と雑談で盛り上がってしまい 終電を逃してしまった。 「ああ!やってしまった。 俺は教室で寝るから、君らははよ帰りや。」 「ホンマですか。それやったら僕らも泊まりますよ。」 「マジで?お母さんとかメッチャ心配するんちゃうか?」 「いや、大丈夫すよ。メールしておくんで。 一度教室に泊まってみたかったんですよ。」 教室に戻ったら、ほとんど朝まで下らない話やゲームで盛り上がった。 ほとんど、中学生の修学旅行の夜と変わらなかった。 そんな中、笑いながら僕が考えたことは こういうのも悪くないな ということだった。 そして何よりも僕を安心させたことは 自分の仕事は 塾にあってもいいんだ と思えるようになったことだった。 とにかく1年間、頑張ってみようと思った。 未来のことは 何も分からないけれど 彼らを最後まで見ていくことが きっと次の何かに繋がっていくような予感だけは 大きかった。
Oct 2, 2006
とあることで 昨日から悩んでいることがあって 今日は一日カラ元気だった。 1コマだけ 無力感に悩まされて どうしようもなかった。ネガティブな感情は伝わってしまう。申し訳ないと思う。授業が終わって教室を出たとき 杉山先生が訪ねて来てくださった。 車で神戸まで送ってもらった。 神戸に着いてからも車の中で色々とお話を伺った。 ああ、物凄く元気をもらったような気がする。 僕なんか足元にも及ばないけれど 同じ塾人でいることに誇りを感じる。 それがとても嬉しい。杉山先生は塾に対して努力しておられる。それは自塾だけでなくて色んな塾がもっと輝けたらいいというスタンスで努力しておられる。けれど、何よりも僕を惹きつけたのはあふれ出る自信そのものだ。その自信を僕も手に入れたいと思う。迷うことのない、信じられる絶対的な何かを早く掴みたいと思う。とにかく自分を信じて、前に進むしかない。 自分が本当に良いと思ったら 胸を張っていい。 頑張ろう。
Oct 2, 2006
授業の終わりに、久しぶりに生徒さんが問題を出してきました。右手の人差し指の指先を左手の小指の指先から薬指、中指、人差し指の指先まで順番に「タム・タム・タム・タム」と口ずさみながら指先同士を当てていく。そして最後は右手の人差し指の指先を左手の人差し指の先から親指の先にかけて這わせながら「メンソレータム♪」と口ずさむ。そしてその後ですかさず「これは閉じています。」と言った。次に、最初からさっきと同じ動作を繰り返して今度は最後に「これは開いています。」と言った。で、「さて、なにがでしょう?」「はぁ???」何を言っているのかさっぱり分からなかった。とりあえず5分くらい何度も繰り返しやってもらった後「ああっ!!」ようやく分かった。やはり分かった瞬間というのは一瞬でした。おもしろいもので、もうそれしか見えなくなります。決して指先ではなく、その開いた脇や閉じた脇しか見えなくなるわけです。くだらないですが、結構受けました。
Oct 1, 2006
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