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今日は小学生の授業のときに、上の絵を見せました。「この絵が何なのか分かったら、もうそれしか見えなくなります。さーて、何に見えるでしょうか?」「ええ!マジで!?」といってみんな真剣に考えます。…で、しばらくすると「ああ!!分かった!!」と1名の声が上がりました。すかさず僕は「ちょっと待って!言ったら駄目!何に見えたか、こっそり教えて!」○×△・・・・「正解!なっ!もうそれしか見えへんやろ!」この分かる瞬間ってのは、本当に笑顔です。これは、難しい問題が理解できたときの瞬間と変わらないと思います。なんだかよく分からないものが、急に分かるようになったときその瞬間は絶対に笑顔です。今日の授業の最後に、高校生の生徒にこの絵を見せたらずっとオッサンの顔しか浮かばないようです。でも、彼は偉い。一度寝て、オッサンの顔を消してから、再び挑戦するようです。オッサンの顔が消えたとききっと物凄い笑顔になっていると思います。追記の絵です。何に見えるでしょうか。なお、上の絵と下の絵の答えはコメント欄に載せておきます。ですが、一度見えたら、もうそれしか見えなくなりますのでギリギリまで考えたほうが面白いです。
May 31, 2006
中学校の中間テストも終わり昨日の中2数学の授業は連立方程式の計算のところから始めました。中間テスト前に、すでに計算は全パターン終了していたので演習中心で授業を進めました。生徒さんが演習しているときは僕はその子たちの解き方を、細かくチェックしているのですがひとり、なかなかやる気がおこらずその子の実力の割には、ゆっくりのペースで問題を解いていました。よくノートをチェックすると問題を写してから、丁寧に解いていました。けれど、その子の実力からして問題は写さなくても、ミスはしないと僕は直感的に感じていました。ミスをしないのだったら、早く解けたほうが普通に考えて得だと思います。また、いかにして早く正確に解くのかを考えながら解いた方が地味な計算にもやりがいが生まれると思うのです。自分の力量と向き合いながらギリギリまで合理化を図る。その快感は、実感してみないと理解できないと思うのです。そこで僕は、その子に一度、鉛筆を置いてもらい、こう話しました。「いいかい。○○さんの力からして、式を写すのはもったいないよ。その2行を写すだけで、物凄くテンションが下がるんじゃないかな。○○さんなら、もっと早く解けると思うんやんか。そういう早く解ける感覚は、一度見ておいたほうがいい。だから今から、○○さんが解いた同じ問題を僕が今からやってみるから、よく見ておいてね。」僕はできるだけ早く、無駄なく解いてみせた。そして解いた後、どのあたりに無駄がなかったのかを説明しました。そういう細かなこだわりの積み重ねがかつて感じたことのない、計算するときの感覚を実感することができると思うのです。そして、その実感こそが地味な計算問題であっても、新たな意識を生み出すと思います。
May 24, 2006
今日は中3のY中の生徒たちが修学旅行のためお休みでした。今日はあいにくの雨だけど、あの子たちは思い切り楽しんでるに違いない。雨が降ろうが槍が降ろうが、羨ましいくらい元気な子たちです。あの元気はどこから来るんだろう。仲間意識が大きいのではないでしょうか。彼女たちはクラブ活動の中で身につけたものだけどそういう意識って本当に素晴らしい。その意識は受験に向けて、必ずプラスになると思います。すでにそういう雰囲気を、僕も感じています。さて、そんなわけで、中3の社会と英語の授業がぽっかりと空いてしまい、担当の講師の先生にお休みになるのはN中の中間テスト前のこの時期に、もったいないと思ったので急遽、中1の生徒たちを呼んで、社会のテスト対策をお願いしました。僕自身は受け持っていなかったんですけどそれでも、いつもの金曜の雰囲気とは違いました。そこで得られる、かつて体験したことのない実感を大切にしたい。そういう実感が、積み重なっていくことにより新たな意識が生まれることがあるからです。思い起こせば、1対5によるテーブル型指導は勤めていたときに、偶発的に行ったものでそのとき、かつて体験したことのないような実感を感じました。その実感は、今までの経験してきた実感よりも上質のものに感じ、それが新たなる意識を生み出してくれました。すでに知っている実感だけでは、新たな意識は生みだしにくいのではないでしょうか。未知の実感は、新たな意識を生み出しやすくしてくれるように思います。
May 19, 2006
僕の塾では、個別指導と銘打っていますがただの個別指導ではありません。最大1対5までによる、自立型個別指導です。個別指導と一斉指導を兼ね備えた指導法をとっています。僕の塾に机はありません。その代わり、6人掛けのテーブルが4つあります。講師が中央の席に座り、それを取り囲むように同じ学年の生徒が5名座るようにしています。まずは講師が授業の導入を行いそれが終わったら演習に入ります。ここからが個別指導になります。生徒が解くときは僕はできるだけ個別指導を行いたい。それは講師時代のときからずっとずっと切に思っていたことでした。できれば、同じ目線で生徒たちがどこでつまずくのかを直接確認し、すぐさま指導したかった。生徒たちのつまずきを直接、この眼で確認することはとても重要だと考えます。そこに真実が詰まっていると思うからです。生徒が、非常に危なっかしい解き方をしているときに講師がすぐさま手を差し伸べてあげられる。それが僕の理想でした。また、経営的にも個別指導で一般的な、1対2の指導よりもコストパフォーマンスはいいです。導入をうまくやりさえすれば1対5であっても個別指導はスムーズになります。講師時代、独立にあたって僕を一番悩ませたのは指導方法でした。勤めていた塾は一斉指導でしたが演習中は、もっと生徒の解き方をこの眼で確認したいと思っていました。ですが個別指導だけでは一斉指導のときほど導入にパンチ力が出せないように感じました。また、効率も悪くなり、それにより月謝が上がることは僕の理想の塾ではありませんでした。今日の中2の数学の授業も生徒によって解いた量、または質にバラツキが出ました。力のある子は確かにドンドン進みます。今日はちょっとシブい等式変形の問題もでてきました。1/a + 1/b =1/c をcについて解けこの問題は導入のときは指導していません。演習中に出くわして、その場で説明します。基本が定着していない子に、ぼくはこの問題を解くことは無意味だと考えています。一方、基本が完成してきた子にとってはこの問題は、等式変形において身につけるべき技と発想が詰まっていると考えています。一応、僕の解き方を載せておきます。1/a + 1/b = 1/c両辺にabcをかけます。bc + ac = ab左辺の式を c でくくります。c(b+a) = ab両辺を b+a でわります。c = ab/b+aよってc = ab/a+b
May 16, 2006
僕がこのブログを始めたのは自分の塾に対する想いを確認するためにはじめました。匿名ブログなのは、地域の塾の競争の中で手の内を知られたくないためです。当時も(今も)弱者の戦略というものに大きく影響を受けていたので念には念をいれて、僕の塾の授業風景や、指導法については具体的には触れないようにしていました。正直なところ、授業に100%自信などありません。地域の強い塾の情報は耳に入ってきます。でも絶対に負けたくはない。自分の塾生にためになる、もっと効率のいい、刺激になる授業をしたいといつも願っています。塾ブログの人たちは本当に素晴らしい。とても刺激になっています。僕の考えられないことや、知らなかったことや、行動できないことをしている人たちがいます。刺激を受けて、書きたい衝動にかられることもあります。だから絶対に誹謗中傷はしたくない。これは綺麗事かもしれないですが、そう思っています。僕のブログの記事には嘘はないけれど僕自身の内面の断片的な部分のみを書いています。記事の締めくくりは、塾に対する想い…つまり理想だけを書いています。見せたくない部分は、全く見せていない。僕自身の全体が描かれているかというと決してそうではありません。反省しなくてはいけない部分はあると思います。自分のために書くんだったら、楽天で書く必要はないです。くだらない、不愉快な記事を垂れ流してはいけない。ちゃんと気付いたら、変えていこうと思います。
May 13, 2006
高校生の時、この映画を観て 当時はよく理解できなかったものの 心のどこかに強烈に引っかかったまま 何度か繰り返し観ました。 この映画が好きなのは 熱帯雨林のギラギラした雰囲気です。 昼間は濃い植物の緑 血の臭いがしそうな濃い血液の赤 しかし夜になると、その色彩は暗闇に塗りつくされ 火薬の煙と臭いが立ち込める中マシンガンの音と悲鳴だけが絶え間なくこだまする。 「恐怖が人を狂気に駆り立てる」 そういうことがあるんだと この映画を観て思った。 ウィラード大尉とカーツ大佐が出会うシーンが 一番好きです。 カーツ大佐は完璧な人間だった。 けれど、ある決定的な悲劇を見て 狂気に走った。 しかし最後は 狂気に走った自分を 自分で裁くことができず ウィラード大尉に殺されることを 望んだ。 カーツ大佐の台詞の中で ずっと心に留めている言葉がある。 「恐怖と友達になることだ。」 狂気に走った人間が 言う台詞です。 ウィラードもこのとき すでに狂気の領域に入っていたと思います。 そういう領域に入らないと 実感できない真実があるんだろう。 それは人としては、間違っているのだけど とても美しい世界だと思いました。 考えて見ると 仕事にしても何にしても 常識破りの凄い人たちがいる。 普通からすれば、狂気じみている。 狂気に駆り立てられたのは恐怖か… 僕は恐怖だと思います。 けれど 狂気には2通りあって 良い狂気と悪い狂気がある。 悪い狂気に陥ると 結局、カーツ大佐のように 地獄に落ちる。 どうせ狂気に駆り立てられるのなら 良い狂気を選びたい。 今ならそう思える。
May 7, 2006
「勝算はある?」と聞いて 「そんなことは関係ない」と答えれる人は 自由な人だと思います。 高校の時、「パピヨン」という映画を観た時にそう思いました。 牢屋に入れられたパピヨンは 何度となく脱獄を試みては失敗し それに応じて、肉体的にはドンドン不自由になっていくのですが それに反比例するかのように 僕はパピヨンを自由な人間だと感じるようになりました。 これは同じ時期に観た「ショーシャンクの空に」という映画でも 同じような感覚を感じました。 本当の自由は心の中にあって 肉体的には自由は奪えても 心の中にある自由は誰にも奪えないということです。 心の中で、自由でありたいと思うものは ずっと大事にしていきたいと思う。
May 7, 2006
歴史の授業で、古墳のところを説明していたときでした。 「はにわ」を教えますが、そのとき頭の中で どっかで見たなぁ…という感覚に襲われました。 授業が終わっても、ちょっとだけ引っかかっていました。 やはり、どっかで見たなぁ… はにわ… あにまる? いや、違う… はにゃ… !! そうか! はにまる王子だ! その瞬間、はにまる王子の主題歌 「おーい、はにまる♪はにまるおーじ♪」 が頭の中で流れてきた。 はにまる王子とは、僕が小学校のとき NHK教育テレビで放映していた 言葉を学ぶ番組(確かそういう趣旨だったと思います)でした。 学校を風邪とかで休んだとき、よく観たなぁと 思いもかけず思い出してしまった。 どうでもいい記憶は、本当に忘れてしまいますが 完全に忘れてしまったわけではなくて 頭のどっかで覚えているもんだなぁと思いました。
May 7, 2006
塾講師1年目の頃を思い出します。物凄く授業が下手糞だった自分とそれを見かねて、徹夜で研修をしてくださったY先生とI先生のことを思い出す…授業が終わって、電車の中いつも授業の反省ばかりしていた。どうやったらもっといい授業ができるのだろうか…けれどそれを教えてくれる人はいませんでした。僕が担当していた教室には勤めていた塾でも、一番の看板講師として知られるK先生が配属されていました。ですが、その先生は立場上は非常勤講師でしたので立場上は社員である僕にあまりアドバイスはしてくださいませんでした。一番印象的だったのが「授業を見せていただけませんか?」と伺ったところK先生は右腕で、ちからこぶをつくって「非常勤講師というのはね、コレで食っているんですよ。だから授業というのは他の講師には見せられないんだ。」とおっしゃった。僕の担当する教室は僕が一番上のクラスを持っていて真中のクラスはK先生が担当していました。トップクラスの生徒さんのひとりがクラスを落ちてもいいから、K先生の授業を受けたい…と言ってきました。本当にショックだった。自分が解けることと、教えることは違うことを実感しました。ですが、僕には教えることとは何なのかよく分からないでいました。そんな悩みを抱えながらいつも帰りの電車の中で自分の授業を分かりにくそうにしていた生徒たちの表情を、頭の中で思い出しながら帰っていました。そんな僕を見かねてT駅前で、Y先生とI先生がホームのベンチに腰掛けながら電車に乗っている僕を見つけると手招きをしていた。「平日のこんな時間に…」と思いながらも、藁をもつかむような気持ちで僕は下車していました。教室に入って数学と理科の授業を僕はひたすら模擬授業をしました。授業後、いつもI先生に言われたのが「で、何を伝えたかったのかな?よく分からなかったんだけど」僕は、おっしゃっている意味がよく分からなかった。「いえ、完璧に、もれなく説明できたと思いますけど」「いやいや。君の授業はテキストに書いてあることをそのまま板書して、説明しているだけやん。君の授業をわざわざ聞かなくても、テキストを見れば仕舞いやんか。いいか?塾の授業は、指導要領とかに縛られる必要はないんや。そんなことばかり意識するんやなくてその単元の本質を、もっと簡潔に、面白く教えたほうがええんちゃう?ちゅーことで、Yちゃん?お願いしていいかな?」そこでY先生がすかさず、おなじ単元を模擬授業に入られた。…目から鱗でした。こんなに違ってくるものなのか。心底、塾の授業ってこんなにも素晴らしいものだったんだと素直に感動しました。授業というものは何を伝えるべきなのかそこが重要だったのです。わざわざ僕の授業を受けなくてもテキストを見れば済んでいたような授業では価値はないんです。それを実感することで理解できました。もっともっと学びたいと思いました。そのときの僕は僕の授業を食い入るように受けてくれる生徒の顔を、ただただ見たかった。それからというものT駅で待ち構えているY先生とI先生の手招きを心待ちにしていました。そこからが、僕の塾人としての成長のはじまりだったと思います。
May 2, 2006
必要以上に生徒数を増やしたり多店舗化したりそういった塾の拡大はするべきなのか、するべきでないのか勤めているときにも、よく考えました。個人塾をするようになってもそれは、よく考えます。勤めるのを辞めて個人塾を開くようになったのは100%、自分の授業を自分の考えたシステムの上でやりたかったからです。それは確かに塾長自身が商品という独自性のある商品だと思います。しかし、ひとりの人間が抱えられる生徒というのには限りがあります。そのため、仮にどんなに素晴らしい教務力があったとしてもそれに比例して、いつまでも生徒が増えていくことはありえません。では、どうすれば塾は拡大できるのか。それはその塾の授業、システム、または塾そのものをもっと多くの地域の人たちに提供したい、という気持ちを塾長だけでなく、スタッフも共有していくことです。仮に、かなり離れた地域で、店舗を増やした場合当然、今の塾と同じシステムを導入しますがそのシステムを十分に理解し、使い慣れていて心底惚れ込んでいる人に任せなければ必ず質は下がります。塾の拡大はこの共有化…つまり人材育成なしにはあり得ないと思います。もし塾を拡大するのならまずは人材育成について考え、そして実践していくことでしょう。
May 2, 2006
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