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★☆ 謎の爆沈『 戦艦陸奥 』の巨大な主砲、錨などが印象的な正面玄関 ★☆ Externals of 'Yamato museum' ~ 海の神ネプチューンが守護神の『大和ミュージアム』 ~ REALISTが、広島県呉市宝町5番20号にある『呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)』を訪れたのは7年前に続く2回目ですが、最初に訪れたときは、他に用事があったため時間もなくじっくり見ることができませんでした。それで、リベンジとなったわけです。 ここを、訪れたこともない人のためにも、まずは、その施設の特徴的な外観をご紹介したいと思います。写真は、「戦艦大和」が発祥の地の呉海軍工廠があった呉港側から見た『大和ミュージアム』の建物の外観です。一面のガラス張りが特徴的な建物で自然の採光が建物内を明るくします。エンジ色の建物の外壁にある白い「大和ミュージアム」の文字がとても印象的です。 瀬戸内海で謎の爆発で沈没した「戦艦陸奥(むつ)」の巨大な舵(かじ)です。その先にもスクリューが見えますが、これらは、海底から引き揚げられた遺物の一部です。付近の乗用車と対比するとその大きさがわかります。これが「戦艦陸奥(むつ)」のスクリューです。目の前で観ましたが、確かに巨大でした。こういうのが4個も動いてその推進力で戦艦を動かしていたのですね。★☆『 独軍軍楽隊による軍艦行進曲 』★☆Performance by German Army Japanese Nevy march Warshipこれが、「戦艦陸奥(むつ)」の41センチ主砲の砲尾側から見た状況です。陸奥は「戦艦長門(ながと)」と姉妹艦だったので、長門にも陸奥同様にこの砲の2連装を4基の計8門装備していました。 たった1門ですが、とにかく巨大な大砲です。最初は、てっきり「戦艦大和」級の主砲のレプリカだと思いましたが、これも沈没現場の海底から引き揚げられた「戦艦陸奥」の41センチ砲です。だとしたら・・・「戦艦大和」の46センチ砲がこれよりもさらに大きく、いかに巨大かが想像できます。この41センチ砲は、長門、陸奥の建造当時では、世界最大の艦載砲だったそうです。陸奥と同型の長門は1917年8月28日に八八艦隊計画の第一号艦として広島県の呉海軍工廠にて起工、1919年11月9日に進水する。1920年11月25日竣工。建造費は当時の価格で4,390万円に上った。ワシントン海軍軍縮条約において41cm(16in)主砲艦の建造が制限された為、長門と姉妹艦の「陸奥」、イギリスのネルソン級2隻、アメリカ合衆国のコロラド級3隻を指して世界最強の7隻としてビッグ7と呼ばれた。「戦艦陸奥」は、長門型戦艦の2番艦で、八八艦隊計画二番手として、1918年(大正7年)に横須賀海軍工廠にて起工され、1921年(大正10年)に完成した。1番艦の長門と共に、日本の力の象徴として戦前の国民に長く愛された。戦前の学校の教科書に描かれたり、男子がイメージする軍艦といえば、当時の連合艦隊旗艦である長門や、陸奥であったといわれる。第二次世界大戦中には僚艦長門らと共に温存されていたが、1943年の6月8日、原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没。戦後に浮揚作業が行われ、1970年には、艦体の一部や菊の御紋章、主砲身や主砲塔などが回収され、日本各地で陸奥の装備が展示された。( 「ウィキペディア」より)これも、陸奥の巨大な錨(いかり)の部分です。人の大人の身長よりもずっと大きく、高さは2.5m以上ありますね。 こちらがこのミュージアムの正面玄関側の状況です。こちらも海側と同様にガラス張りになっています。Neptune's guardianこのミュージアムの正面に場違いの様な銅像があるのでよく観たところ、ギリシャ神話の海の守り神「ネプチューン」の像でした。 像の下にある銘文に、このネプチューン像が置かれた理由が書いてあります。それは、「呉の港に建設された大和ミュージアムを守り、永遠の発展を祈念して」という理由があります。次回は、いよいよ、10分の1サイズの戦艦大和の巨大模型などの紹介です。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/04/29
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★☆ 旧海軍から伝統的な金曜日メニューの『海軍カレー』 ★☆ Curry and rice of naval forces ~ 洋食もOKだった海軍の特権的食事メニュー ~ 旧海軍では、艦艇内の食事メニューに毎週金曜日に「海軍カレー」を指定していたそうです。カレーが出たことで、曜日感覚のない遠洋航路の将兵たちは、週末の金曜日であることを知ったそうです。海軍将兵は、食料事情の悪い陸軍に比べ、洋食の部類となるカレーライスが食べられるという海軍の特権のようなものを感じていたのかも知れませんね。 『大和ミュージアム』に隣接するシーサイドカフェ「BEACON(ビーコン:日本語で”標識”)」に立ち寄り、窓越しに呉港を眺めながら『海軍カレー』を食べてみました。 このお店の定番メニューがどうも『海軍カレー』の様でしたので、注文したところ、やはり!海軍旗である旭日旗がライスに刺さっていました。これを見て、REALISTは、思わずニヤリ!見た目は、普通のカレーです。カレー通の私が食べてみたところ、・・・その味は、並みの「まあまあのお味」でした。 ドレッシング付きのサラダがサービスで付いていました。これも、普通のサラダでした。 コーヒー通の私は、コーヒーを食後に頼みましたが、こちらは風味も良く美味しかったですね。 食卓を飾っていたバラの花でしたが、あまりに綺麗な色や形だったので撮影しました。英語訳付きの『 月月火水木金金 』です。『軍歌:月月火水木金金 (Through the day, throughout the week)』 食事を済ませ、店を出たところ、右手に金色の「やまと」と銘文のある鐘がありました。これは、戦艦大和の『時鐘(じしょう)・タイムベル』と呼ばれるものでした。 時鐘(じしょう)の説明文を読むと、「大和の船内の将兵に時刻を知らせるために当番兵が30分間隔で鳴らした」とあります。船内の密閉された各部屋にいる将兵に知らせるには、おそらく放送設備を利用したのだろうと思います。 また、付近には、こんな上半身の犬の彫刻があります。どういう意味なのか・・・・・?よくわかりません。 そして、さらに完全な形の犬の彫刻が海に向かっています。 呉港に向かって勢いよく走る犬の彫刻が見えますが、何を意味しているのだろう?・・・としばらく立ち止まって曇り空を眺めていました。(Thanks) !! (ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/04/27
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★☆ 海上自衛隊の退役戦闘潜水艦『 あきしお 』 ★☆ I sailed Japanese combat submarine~ 潜水艦の「艦内は狭い」ことの実感体験 ~ 広島県呉市において、戦闘潜水艦「あきしお」に乗艦しました。 「あきしお」は、昭和57年度計画2,200トン型潜水艦8094号艦として、三菱重工業神戸造船所で1983年4月15日に起工し、1985年1月12日に進水、1986年3月5日に就役した後に海上自衛隊第1潜水隊群に配属後活動していたものですが、2004年に退役、2006年から海上自衛隊呉史料館に展示物として陸上で活動している国内唯一の戦闘潜水艦です。 この潜水艦は、全長76mの基準排水量2300t、乗員80名のゆうしお級ディーゼル推進型潜水艦ですが、ご覧の様にその外観を見ても、周囲の建物や自動車と比較するとかなり大きく感じました。 船体が大きいので全体を撮影するには、かなり離れて撮影しなければ無理でした。それにしても・・・海から陸に引き揚げられると、通常は海の下で見えないはずの底の部分まで見えてしまいます。 潜水艦の船尾部分です。後方にショッピングセンター「ユメ(youme)タウン」の5階建ての建物が見えますが、それと対比させても大きく感じます。 潜水艦の船首部分です。司令塔のある部分に翼の様な水平方向舵がありますが、最近の世界中の原子力潜水艦を含めて、このようなスタイルが一般的になっています。 ドイツ映画『Das Boot (Uボート)』より・・狭い艦内!緊迫のドイツ語が飛び交う!「急速潜航!」★☆『 Das Boot - Emergency dive scene 』★☆ 船首部分をよく観ると、この潜水艦に装備されていたHU-603 533mm魚雷発射管 × 6門(89式長魚雷およびハープーン対艦ミサイルを発射可能)の跡が見えますが、発射管は塞がれています。 この海上自衛隊呉史料館への入り口は、船底中央部の真下にありました。 この船の司令塔部分です。シュノーケル風の筒や潜望鏡でしょうか? 出入り口正面玄関部分です。「てつのくじら館」との表示がありました。撮影は、人のいない瞬間を撮影していますが、多くの家族連れや若者などの老若男女が観覧に訪れていました。玄関を入ると、若い女性の海上自衛隊員の方が受付をされていました。 この海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」は、広島県呉市宝町5番20号にある『呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)』の向かい側に隣接する施設で、(開館時間)9:00~17:00、(休館日)毎週火曜日(祝日の場合は翌日休館)と12月29日から1月3日、入館料は無料・・となっています。 中を進むと、船内は史料館改造されていて、様々な自衛隊関連の装備や潜水艦の仕組みや構造を知るための模型、潜水艦の歴史、機雷の除去や無力化するための水中作業に使用される様々な機器などが展示されていました。そして、この写真は、近づく潜水艦や船舶を感知したら爆発する水中機雷の実物大のレプリカです。この他にも世界中で過去から現在に至る様々な実物大の機雷が展示されていました。 この写真は、深海の水中で作業するための特殊な船外活動用の宇宙服の様な潜水用装備でした。展示物は沢山ありましたが、観覧する人が多いため撮影はままならず最小限にとどめました。 これは、メインコントロールルーム(中央指揮室)にある潜水艦の操縦席です。映画でも見たことがありますが、飛行機の操縦席の場合と同様に操縦席と副操縦席に二つの乗用車のハンドルと同様なものが並んでいました。この写真で見てわかるように潜水艦では、前には前方の状況がわかるモニターや窓もなく計器類を頼りに操縦することが分かります。おそらく、操縦の細かい指揮を受けながら操作をしているのだろうと思います。 ベテランは、これらの計器類のデータを読み取って、潜水艦の進行方向や角度、左右の傾斜度、深度、速度、潮の流れ、その他の情報を瞬間的に確認しているのだろうと思います。 これは、水中レーダーやソナー、音波探知機ではないかと思います。この指揮室には、重要な機器類が集中しており、壁や天井などに様々な計器類や操作板などが所狭しと詰まっていました。ここが潜水艦の心臓部であり、船の運動の操作から戦闘指揮、船外の敵や障害物の探知、潜望鏡による海上の視覚的把握が行われますが、広さは意外と狭く、畳の間にしてせいぜい6~8畳の間程度だろうと思います。 第2次大戦中に活躍した「Uボート」のカラー記録動画と「Uボートの歌」が流れます。★☆『 U-Boat Lied 』★☆ これは、潜水艦の重要な目となる潜望鏡です。この潜水艦にはこれと同じものが、この撮影のカメラ側にももう1基あります。それが、「1番潜望鏡」で写真のものは、表示にもあるように「2番潜望鏡」です。覗いてみたところ、視界には外界の建物などの風景が見えました。魚雷攻撃の際の目標射撃照準位置を確認するための目盛表示などがレンズ越しに見えました。 以前、ドイツ映画「Uボート」を観たことがありますが、潜水艦の閉ざされたこんな狭い所で数カ月も生活するなんて、さぞ大変だろうと思いました。潜水艦は、悪天候の場合、急速潜航や敵の攻撃を受けた場合などは、縦に横に激しく揺れるため、電車の様な吊り革はありませんが、乗務員の転倒事故を防ぐためのとっさのバランス保つ必要から壁や手の届きそうないたる所に手で握るハンドフックのような物が設置されていました。 (Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/04/24
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★☆ 生命の息吹を感じた鮮(あざ)やかな春の風景 ★☆ Spring has come! ~ 花、鳥、鯉(こい) ~ 前回に続き、公園を訪れて生命の息吹を感じた春の風景をご紹介します。それにしても、公園の一角にある花壇を眺めていると、色とりどりの花々の鮮やかな美しさには、まるで心が浄化される様な気持にもなりました。災害の様な自然の脅威とは対比的に、この様な自然の神々しい美しさにはある種の感動を覚(おぼ)えます。 それほど大きな花壇でもありませんが、よく整備された花壇でした。REALISTは、あまり植物に関する知識がありませんが、周囲に咲いていたのは色とりどりの「パンジー」でした。 ここに映っている中心にある花は、その種類がわかりませんが、サルビアなのでしょうか?それとも、ローズマリー??とても美しい色鮮やかな花たちでした。 周囲に黄色のパンジーが配置しており、中心部に背の高い花が咲いていますが、花の種類がわかりませんでした。 紫色のパンジーがあり、中心部に背の高い花が咲いていましたが、これも花の名前や種類はわかりせん。パンジーにも色のバリエーションが沢山あることを知りました。 パンジーの色々な種類が混ざっているようですが、黄色のパンジーを見ていると、その中心にある黒っぽい模様から、ついつい動物のパンダの顔のイメージが重なってしまいます。 ここから、チューリップが続きます。チューリップにも数多くの種類があるようです。品のあるピンク系の色のチューリップです。美人の女性をイメージしてしまいました。 黄色の細身の花びらとこれまた細身の葉が特徴的なチューリップの一種です。一見してチューリップではないように見えます。若い女性をイメージしました。 花びらが大きく数も多いように見え、まるでバラの様に見えてしまうチューリップです。 スリムで白いエレガントな女性をイメージしてしまう様なチューリップです。 このチューリップは、ツバメの子供のつばくろたちがまるで親鳥に餌をねだっている様な口ばしの様子をイメージしてしまいました。 この花は、色こそ珍しいタイプですが、形状は通常の代表的なチューリップだと思います。 公園の中にある湖を見たところ、岸辺の突堤に1羽の「アオサギ」の仲間の様な鳥が、餌を狙っているのか、じっと湖の水面を見ているようでした。 湖の中をカップルの「マガモ」1組が仲良く移動していました。色が鮮やかな方がオスらしいようです。 湖の中を体長が50センチ以上ありそうな大きな鯉(コイ)がゆうゆうと泳いでいましたが、突然、浮上したところを写真撮影しました。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/04/20
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★☆ 「春が来た!、春が来た!」・・新たな気分で頑張ろう! ★☆ Spring has come!・・・Blow off dark news! ~ 暗いニュースなんか吹き飛ばせ!リフレッシュ! ~ 3月11日の「東日本大地震」以来、暗いニュースの連続の毎日ですが、それでも、これほど世界中の国々の人々がYOUTUBEなどで苦境の日本に対する応援や励ましの声をあげていることには不思議な感銘を受けました。あとは、一日も早い復興や福島原発の危機を乗り越えることをただただ祈るばかりです。一方で、この春、わが職場にも20代の男女各三人の新人たちが戦力に参入し勤務体制や環境も一新しました。 新たな気分で、先日の15日、久しぶりに近くの公園に足をのばし散策してみると、自然は確実に元気な春を迎えていました。 散歩の前に、REALISTお気に入りの宇部市内では有名なオムライス専門店「DUNKS(ダンクス)」を訪れてのランチです。ここのコーヒーは、最高にまろやかで美味しいのです。コーヒーカップもスプーンも高貴なイメージがあります。落ち着いたお店の雰囲気で手作りケーキもあり、特に女性に人気があるようです。 いつもは、オーソドックスなオムレツを注文するのですが、今回は、一風変わった「オムライス丼(どんぶり)」にしました。ふわっとした卵は、甘く口の中で溶けました。このお店のシェフは、有名なホテルのシェフを経験されたそうですが、ご夫婦で経営されていて気品のある奥さまが注文をとられます。 懐かしい日本の唱歌です。幼年時代、母が唄ってくれましたね。『 春が来た(唱歌) 』(YOUTUBE)この写真をクリック! CLICK!子供のころから見ていた、この花「タンポポ(dandelion)」は素朴ですが、春になって、いつ見てもとても懐かしさや親しみを感じる花です。 道すがら、「日本水仙(Narcissus tazetta var. chinensis)」を発見、この花の原産地はヨーロッパの地中海沿岸なのですが、室町時代に中国経由で伝わったそうです。青々とした草花があちらこちらに咲いています。この風景を観ても確実な春の風景がわかります。この日は、生憎(あいにく)の曇り空でしたが、緑は明るく微笑んでいるようでした。 小さな池とその周囲に生える草、異様な枝ぶりの木が気にかかり撮影、付近一帯の雑草には生きる力の強さを感じることができます。 「イノシシ注意」の看板と遭遇しました。こんな所にもイノシシが出没するようです。 こちらでは、まだ桜の花が満開です。少しづつ花は散り始めているようですが、まだつぼみもたくさんありました。桜の木のアーチ状のトンネルをしばらく歩いてみました。 桜の花もよく観察すると種類が違うことがわかります。この桜は、花びらの肉厚があり、フカフカとした牡丹のように見えます。 まだつぼみがたくさんありました。この桜は、5枚の花びらがどれも大きく開いた形の花です。 この桜は、ひときわ赤く花びらはちいさく閉じていました。 「ミシマサイコ(Bupleurum scorzonerifolium)」は、セリ科の花で、近年では乱獲により絶滅危惧種となっているそうですが、古くから解熱、鎮痛作用のある漢方薬の薬草として知られています。これは、「アブラナ(B. rapa var. nippo-oleifera )」の花畑です。主に食用の野菜として栽培されているようです。 この花は何なのでしょう?花の名がわかりませんが、勢いよく元気に飛び出たように咲いていました。 ふと歩いている地肌を見ると、小さな花の群生がありました。白とピンクの花が咲いていました。 こちらは上の写真と同じ種類ですが、ピンクの群生です。 (Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/04/17
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★☆ わずか4時間のTVチャリティー番組で21億円の義援金を集める ★☆ Taiwan is the most pro-Japanese people like Turkey Japan favorite country~ トルコと並び日本が一番好きな親日国民の多い台湾 ~ 先にREALISTが指摘していたように、各メディアで異なる今回の震災の呼び名については、・・・遂に、政府が4月1日の持ち回り閣議で、『 東日本大地震 』と呼ぶことに決定したそうです(4月2日付読売新聞)。 ここをクリック! CLICK!(YOUTUBE)『 台湾チャリティー応援ソング- Believe 相信愛 完整版 (日文歌詞) 』 ところで、今回の日本の震災について、他国のことにもかかわらず、世界中の国々の政府ばかりか、特に民間やその国民レベルから『PRAY FOR JAPAN !』と、続々と支援の輪が広がっていることに驚くばかりです。ある国では、貧しいスラム街の住民からも「困ったときに助けてくれた日本に!」と自発的に義援金が集まっているそうです。そういう記事を読むうちについつい涙もろくなってしまいます。これも、終戦後の敗戦で焼け野原となった国土から戦勝国側の巨大なアメリカに次ぐ経済力に見事に復興したその過程で、その日本を支えつつ貧しい国々の援助にも心がけた先人たちの努力と足跡の結果だろうと思いました。 今回は、数々の支援国の中でも、特に戦前から関係の深い「台湾」について注目してみました。『日本加油!台湾小学校一年生、みんな「日本 頑張れ」』(YOUTUBE)この写真をクリック! CLICK! 台湾(中華民国)は、トルコと並び日本が一番好きな国民が多い親日国です。その年齢層は戦前の日本統治下時代を経験した高齢層から日本のマンガやアニメ、ポップス、文化などに対する特別関心度の高い若い年齢層と幅広い層にまで及んでいます。しかし、例外もあり、反日的な人もいますが、それは、第2次大戦後に中国本土から流入した中国人で構成される『外省人(がいしょうじん)』と呼ばれる人々だそうです。台湾には、戦前から住んでいた『台湾人』と先の『外省人』に大きく分かれていますが、人口比では全体の13%を占めるのが外省人だそうです。『【68億円超!】東日本大震災: 台湾のチャリティー番組で義援金21億円超 』(YOUTUBE)この写真をクリック! CLICK! 台湾の歴史について紐(ひも)解いてみますと、17世紀には、オランダ(東インド会社)及びスペインの植民地統治下時代(1624~1662)がありました。その後、中国の満州民族系の清朝に対抗する旧明朝系の漢人勢力の鄭成功の軍勢が台湾を反清朝側の拠点とするためにオランダ人やスペイン勢力を駆逐してしまいます。しかし、その後、鄭成功は、台湾を統治(1662~1683)しますが、清朝から攻撃を受けることになり、当時の日本の徳川幕府に軍事的支援を求めるも得られず、遂に、反清朝勢力の撲滅を目指す清朝側との戦いに負け、降伏、台湾は清朝に統治される結果となりました。実は、REALISTの亡き父は、幼年期から旧制中学(当時の台南第一中学)までの日本統治下の台湾で生活しており、確かに、「スペイン人の城跡が残っていたのを見たことがある」と述べていたのを記憶しています。『【100億円超】相信希望-日本地震賑災Live 台湾で義援金20億円以上 』(YOUTUBE)この写真をクリック! CLICK! 次に、台湾が清朝から日本の統治になった経緯ですが、決定的なのは、日清戦争(1894)で清朝が敗戦、勝者の日本と清朝政府との間で結ばれた『下関条約』に基づいて、台湾は正式に清朝から賠償金とともに日本に割譲(譲り渡し)されたわけです。よって、大日本帝国の外地として台湾総督府が置かれ、日本統治の時代(1895~1945)となります。そのため、日本は、台湾のインフラ整備や現地の子供たちを在留日本人と同じ学校で日本人としての教育政策を進めました。当時の教育方針である「教育勅語」や礼儀作法なども本土と同様であり、そのため、いまだに当時の教育を受けた台湾の高齢者が当時の綺麗な日本語が達者で日本の童謡や歌謡曲、日本昔話なども暗記しているのもそういう経緯があるわけです。当時の壮麗な日本台湾総督府(日本の東京都庁や県庁と同じ)の建物は現在も残っており、台湾総統府の建物として引き継がれています。『 相信希望Fight & Smile募款?會主題曲(4分鐘完整版MV ) 』(YOUTUBE)この写真をクリック! CLICK! 第二次世界大戦後の1945年、日本軍の武装解除のために、中国本土から蒋介石率いる中国国民党軍が台湾に上陸、事実上の中華民国南京国民政府の統治下となります。また、その後、中国本土での毛沢東率いる中国共産党軍(八路軍)と蒋介石の国民党軍との内戦状態となり、この内戦に敗れた国民党軍の敗残兵の多くが台湾に逃れてきます。また、その後の統治の過程では、親日的な台湾人のリーダー的存在の人々・自由主義的な知識人など多くの人が徹底的な弾圧を受けることになります。反中共(中国共産党)で自由主義・民主主義国勢力で親アメリカ的な台湾と現在の自由主義・民主主義を否定する共産党一党支配の全体主義国家中国とは、水と油ほどの違いがあり、その後も現在に至るまで事実上の別の国である二国の状態が現実となっています。『 「讓愛轉動整個宇宙」日本の平安を祈ります。 』(YOUTUBE)この写真をクリック! CLICK! 次に、大戦中に台湾同様に日本の統治下にあった韓国が、それとは対照的に、中国と同様に反日的で国民の一番嫌いな国が日本であるという割合が圧倒的に多く親日的な同国人をつるしあげたり、追及・差別したりしているのは何故でしょうか?・・・それは、韓国も中国共産党の国策同様に「日本人や日本を憎む」思想、そして、「日本を打ち負かす」と言うことに特化し固執した教育を幼少から徹底して叩き込んでいるからです。そこには、国民の誰も疑問の余地は一切なく、韓国政府の考え方や中国共産党の考え方が普遍で絶対に間違いないということにしているわけです。おそらくこれは、私の自説ですが、国民の不平や不満を内政面に向かわせないようにして、そのエネルギーを日本と言う敵に絶えず向けて結束させることで国の発展に利用しているのだろうと思います。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~にほんブログ村♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/04/03
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