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★☆ 東電福島原発事故の最大責任当事者は国にある ★☆ Fukushima nuclear plant accident most responsible parties is the Ministry of Economy, Trade and Industry.~ 一民間企業に責任を押し付ける経済産業省 ~ 最近では、福島の津波による原発事故の問題については、事故当初に比べれば、かなり落ち着きつつあるようですが、それでも、後から出るわ出るわ新事実のオンパレードです。 TVのニュースなどでは、東電の社長が原発事故による避難住民や関係地方自治体など各所をまわり、平身低頭で謝罪を繰り返していましたが、避難住民などからは厳しい罵声の集中砲火を浴びていた光景がとても印象的でした。避難住民の先々の不安でいっぱいな感情から発する強い非難の声は当然と言えば当然でしょう。津波による甚大な被害を受けた福島第一原子力発電所の事故は、人為的なミスによる事故というよりは、100年に一度の大天災から被害を受けた2次連鎖的な被災事故です。事故から2カ月後、ようやく菅総理が「国にも責任がある」と謝罪したニュース報道 『 首相会見 福島原発事故「責任は政府にもある」』(YOUTUBE)この写真をクリック! CLICK! さて、そんな当初のTVの報道を観ての感想ですが、REALISTは、これは、最初から『おかしい』と思いました。東電の社長だけが厳しい非難や罵声を浴びながら謝罪している光景ばかりを強調するメディアのTV報道・・・何故?あれほどまでに「サブリミナル手法」で何度も繰り返していたのか?・・・と言う疑問です。この「サブリミナル手法」というのは、人間の心理学的な効果を狙った日本のテレビ報道ニュースやワイドショーなどで頻繁に使われている手法です。『ウソも100回唱えれば真実になる』的なある種危険な手法だと思います。つまり、その真相がわからない人や予備知識のほとんどない人にそれを映像的に何度も繰り返し流すことで、それが、あたかも「唯一正しい、真実だ」と信じこませるという一種の催眠術的手法なのです。その効果を狙って商業的に利用しているのがTVの企業CMであるわけです。This model is the soldiers aboard the Germany army marderiii IIIM (anti-tank vehicle artillery) during World War II.第2次世界大戦中ドイツ軍のマーダーIIIM(対戦車自走砲)に搭乗している戦士たちです。1944年ごろのロシアの春の見渡す限りの広大な大平原にて、戦車長は双眼鏡を胸に提げて高い位置の砲塔上に立って敵軍の動向がないか敵情視察中のイメージです。表情は二人ともどことなく明るく、カメラマンを意識したポーズをとっているようです。 ☆ 最大責任当事者が経済産業省にある理由 ★ REALISTは、今回の100年に1度の大天災による偶発的2次連鎖的な被災事故を、最初から一民間企業の東電だけに責任を押し付けていた経済産業省の態度はおかしいと思っていました。なぜなら、・・・そもそも国の原子力政策に従って民間が動いており、その設計から安全基準や危機管理に至るまで経済産業省が細かい基準を作って厳格に規制しているものであり、民間はその基準に従っているに過ぎないわけで、その国の示す審査基準をパスしてようやく認可をパスすることができるのです。その関門を抜けて初めて原子力発電所の建設や運用が可能になるという仕組み自体を国が定めているからです。しかも、その後も経済産業省(原子力保安院)などの行政機関が常に立ち入り検査や行政的指導・監督や必要な定期監査などのチェックを継続しているのです。今回は、そういう国の関与を得たうえでの大地震と大津波による被災事故なのです。今回の震災では、国も東電も「想定外だった」という結果が起きてから、当初は、国(海江田経済産業大臣)は、一方的に「東電に責任がある」とメディアを通じて大々的に記者会見で発表していましたが、これは、国が責任を弱者の民間東電1社をスケープゴート的な生贄(いけにえ)にして国民からの厳しい批判を回避しようと画策していたとしか思えません。そこには、政府や国(経済産業省の官僚)のズルイ根性が丸出しだと感じました。自分たちは責任逃れで知らぬ顔して火の粉が来ないように必死の構えだったのです。この点を見抜けずに政府の言う「東電に絶対的な責任がある」というコメントの記事をただ載せるだけの今時のマスコミ人やメディア関係者の分析力のなさにはあきれるばかりで、情報不足でその様な原子力行政の仕組みを知らない国民はそれをそのまま信じるわけです。それでも、ようやくその間違いを気付いたのか・・事故から2カ月後に菅総理が「国にも責任がある」と記者会見の席で国の責任を認め謝罪するに至りましたが、REALISTから言わせれば、「国にも責任がある」ではなくて、「国に最大の責任がある」という表現が正しいと思います。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/05/29
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★☆ 主人公ビンセントの地球侵略者との孤独な戦いを描くテレビドラマ ★☆ The Invaders( This article is about the television series. )~ いつもハラハラ、ドキドキだった戦慄のサバイバルドラマ ~ 『 The Invaders 』・・・この英語を直訳すると、「侵略者たち」、または「侵入者たち」という意味になります。 今回ご紹介する『 The Invaders 』(日本語読みの題名は「インベーダー」)とは、アメリカABC系列で、1967~1968年の間、全43話が放送されたテレビドラマで、日本でも、1967~1971年(再放送を含め)の間、NET(現テレビ朝日)系で放映された人気の高い外国テレビドラマでした。REALISTはまだ小学生ながら、主人公デビッド・ビンセントが、人間そっくりに化けて人間社会で地球支配を策動する宇宙からの侵略者たちから絶えず命を狙われる孤独な存在であっても、人類を守るという正義のために果敢に立ち向かう姿や絶体絶命の大ピンチの時など、いつもビンセントを自分に置き換えて「自分だったらこうする」と考えながらハラハラドキドキしつつ手に汗して観ていたサバイバル風SFサスペンスドラマであり、家族みんなで楽しめる娯楽作品でした。『 インベーダー 』のイントロオープニングシーンです。『 The Invaders opening titles 』 ドラマのプロローグシーンの冒頭に出るこのドラマの表題『 The Invaders 』ですが、1975年ごろから、日本国中で大流行したコンピュータゲームの「インベーダーゲーム」がありますが、そのネーミングからも、このアメリカ発のテレビドラマによる強い影響があったわけです。 このドラマの最初のナレーション部分は、こうです!・・・・・・・「・・建築家デビッド・ビンセントは深夜に車で仕事からの帰宅途中、迷い込んだ田舎(いなか)道で空飛ぶ円盤が着陸するのを目撃します。これにより、彼は宇宙からの侵略者(=インベーダー)の存在を知ってしまいますが、その事実を誰に説明しても信じてもらえません。しかし、ビンセントはインベーダーの陰謀を追って全米各地を飛び回るわけです。そのうち、他にインベーダーの存在を知る者が現れますが、その誰ももすぐに殺されるため、ビンセントは孤独な戦いを続ける。・・・・」・・・というもので、その中で43話が展開されるわけです。 毎週何曜日だったかは忘れましたが、夜の8時前後でなかったかと思います。海外作品ですが、毎週、楽しみにして親子で観た記憶があります。 主人公デビッド・ビンセントが仕事で疲れて、人里離れた空き地で止めた車の中で寝ていると、もの凄い轟(ごう)音とまぶしい光で目が覚め、ふと前方を見ると、大きな円盤が地上に着陸するのを目撃してしまいます。ここが、このドラマの出発点です。 このドラマの宇宙からの侵略者たちの特徴は、・・・・・・人の容貌に化けているので、その外見からはまったく普通の人間と区別がつきません。ただ、死んでしまうと、瞬く間に赤く燃え上がり、あっと言う間に黒い煤(スス)状となって蒸発して消えてしまいます。したがって、死体の存在がないために、その存在の証拠が証明できず、ビンセントが侵略者の存在を必死で訴えても、他の人はほとんど信用しません。他の特徴では、例外もありますが、手の小指が伸びきった状態で、曲げることができないと言うことです。ビンセントは、この点を外見上の見分け方としていました。また、彼らには、脈拍や心臓の鼓動もなく傷ついても血が出ません。酸素が彼らにとっては猛毒であり、酸素に触れないように人の姿の全身スーツで自分の身を保護しているわけです。 地球に向かう侵略者の円盤と進行中の円盤船内から目的の地球を眺める人に化けた侵略者たちのシーン。このドラマで気になったのが、バックグラウンドミュージックでした。それは、奇妙なリズムや響きであり、それが陰気で無表情な侵略者たちを表現する絶大な効果があったようです。 このドラマでは毎回、最初にストーリィのさわりの部分からまずスタートしました。その後、いつものイントロシーンが始まります。それは、このドラマの端緒となった出来事のシーンを再現し、そのオープニングナレーションで主人公ビンセントの境遇が理解できるようになっており、その後、ドラマのさわりに続く話が展開されることになります。この様なドラマスタイルのために、毎回、新しいストーリィを初めて観る人でも、容易にこのドラマが理解できるような構成に工夫されていました。 毎回繰り返されるオープニングナレーションの日本語版の内容はこうでした!・・・・・・「 ・・・遠く、暗い宇宙の奥から、地球を目指してやって来るもの・・・それを今、私たちは、『 インベーダー 』と呼ぼう。滅びゆく星からの侵入者たち、彼らの目的は、地球を我が物にすることにあるのだ。・・・デビット・ビンセントは、とある夜明け、仕事を済ませての帰り、激しい疲労と戦いながら車を走らせていたが、迷い込んだ田舎(いなか)道で、彼ら『 インベーダー 』を目撃した。・・・この一瞬から若き建築家の人生は大きく書き換えられたのである。 人間の姿をした宇宙からの侵入者『 インベーダー 』が地球にいる限り、デビッド・ビンセントは、この恐るべき事実を全世界に訴えなければならない運命を背負ったのだ。・・・」日本語のTV版です。このさわりの部分が終わると、いつものイントロシーンが始まり、日本語のオープニングナレーションを聞くことができます。これは、1967年2月に放映されたものです。この「脅威の核爆弾」は、続きもYOUTUBEにあるので、興味ある人はどうぞ!『 インベーダー 「脅威の核爆弾」 1 』 写真は、主人公デビッド・ビンセント役を見事に演じた俳優ロイ・シネスです。日本のテレビでは、その声優は露口茂氏が演じました。このドラマの制作総指揮はクイン・マーチン、制作は、アラン・A・アーマー、音楽は、ドミニク・フロンティアが担当しました。とにかく、ドラマに流れるシーンごとに合わせた音楽の独特な雰囲気が醸し出す効果は凄いものがあります。これまた日本語版での雰囲気あるナレーターは、加藤和夫氏です。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/05/23
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★☆ 画期的な逆転の発想による世界史分析の面白さ ★☆ History analysis book that applies focus to Caucasian's history of invasion in the world~ 大航海時代から始まった白人の世界侵略と日本 ~ これまで読んだ国内の世界人類史、学生時代の「世界史」の教科書・・・その分析手法に焦点を当てると、どちらかと言うと、旧白人支配層や戦争の勝者側からの視点に立った世界史が大半ではないかと思います。REALISTがその理由を考えるに・・・日本の戦後における世界史分析でも旧来からの歴史学者たちが何の疑問を感じるもことなく、ただ欧米の白人の視点に立った歴史書や論文・文献をそのまま鵜呑みにするだけで、白人の書いたものは何でも正しいのだという思い込みで、ただただ機械的に思考停止状態で翻訳してきた結果の所産ではないか思います。 しかし、今回ご紹介する千葉大学名誉教授清水馨八郎(しみず けいはちろう)著『侵略の世界史(副題~この500年、白人は世界で何をしてきたか)』では、世界人類史を古代から中世、近世と目を向けると、およそ500年前から爆発的に始まった白人による世界侵略の実態とそれが近世日本に与えた影響などを全地球レベルで歴史の真実を追求した画期的な歴史分析書だと思います。これを読めば、きっとそれまでの固定観念や疑問が吹っ飛んでしまい、歴史の奥深い面白さが見えてくること請け合いでしょう。侵略の世界史(価格:1,680円・税込、【送料無料】)千葉大学名誉教授清水馨八郎(しみず けいはちろう)著『侵略の世界史(副題~この500年、白人は世界で何をしてきたか)』大航海時代に始まった白人による世界征服と侵略の歴史では、・・・北アメリカ大陸の発見とイギリス・フランス・スペイン人による侵略と原住民インディアンの駆逐、南アメリカではスペイン・ポルトガル人によるインカ文明の滅亡と金採掘による原住民インデイオの奴隷酷使と死亡による激減化、中東・北アフリカにおけるイギリス・フランス人による侵略占領と植民地化、中・南アフリカに対するベルギー・オランダ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリアなどの侵略と原住民の奴隷貿易、オーストラリア・ニュージーランドへのイギリス人の侵略と原住民アボリジニの駆逐、インド・パキスタン・マレーシア付近のイギリスによる侵略支配による植民地化、ボルネオ・スマトラ・インドネシアへのオランダによる侵略支配と植民地化、フィリッピンへのスペイン、その後のアメリカによる侵略と植民地化、ベトナム付近インドシナへのフランスの侵略と植民地化、中国・香港のイギリスによる植民地化、中国・マカオのポルトガルによる植民地化、ロシアは極東方面に進出し中国から日本海側の沿海州(現在のウラジオストク付近)に侵略し占領、中国の旅順などに大要塞を築き旧満州や朝鮮半島にも南下、植民地化する勢いだった。・・・こうして、アメリカ・アフリカ・アジア大陸の大半が白人の侵略と現住民の駆逐、占領から植民地化される一方、いよいよ残された日本にもやがてロシア、オランダ・ポルトガル・イギリス・フランス・アメリカが植民地化を迫ってくるわけで、これが、元寇以来の国難ととらえ、江戸幕府を滅亡させ西欧列強に追いつく近代化のための明治維新へと急激に移行し有色人種で唯一白人勢力に対抗し植民地とならなかった日本は、日露戦争で優勢なロシア陸軍を破り、ロシアの誇る当時ヨーロッパ一の大バルチック艦隊を日本海海戦で撃滅するなど小国のアジア人でありながら白人勢力を駆逐するほどの力をもつ契機となったというもので、その後、アジアから白人勢力を駆逐し、植民地解放へと向かった・・・◆◆侵略の世界史 この500年、白人は世界で何をしてきたか / 清水馨八郎/著 / 祥伝社価格:648円(税込、送料別) (2018/10/27時点)楽天で購入(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/05/15
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★☆ 5月初旬は、トンボの季節なんだと確認しました! ☆★ Is dragonfly's season?・・・Trekking in the mountains ~ 子供の頃にはよく見かけた幻のトンボとの再会 ~ 先日、近場の山にトレッキングしていた途上で、偶然にも体長7~8cmの割と大きなトンボを発見しました。 トンボと言えば、REALISTが子供の頃には川辺などで遊んでいると、シオカラトンボ、麦わらトンボ、アカトンボ、オニヤンマ、ギンヤンマなど数多くの種類が飛び回っており、まったく珍しい存在ではありませんでした。しかし、最近では、比較的自然に恵まれているはずのここ山口県でもその姿を見かけることはほとんどありません。農薬などの影響から、彼らが捕食する蚊やハエ類の減少によるものだと考えられますが、全国的にもトンボの絶滅危惧種が増えつつあります。トンボの種類はわかりませんが、幼虫のヤゴから孵化してまだ生まれたばかりで羽を乾かしているのか?小川付近の草につかまりじっとしていました。山登りの途中で眼前に見える巨大な岩の塊(かたまり)の様な山が見えます。まずはその山を登り、目的はさらにはるか奥に見える山の山頂です。標高400m級の比較的低い山ですが、東京タワー(333m)よりも高く、東京スカイツリーの展望台(350m)よりも高い位置に登る感じです。 【送料無料】トレッキング実践学価格:1,470円(税込、送料別)【送料無料】今から始める山歩き価格:1,575円(税込、送料別)山登りやトレッキング好きな友人の誘いもあり、比較的近場の山を選びトレッキングをしています。健康的にも良いし、自然に触れる楽しみや低い山でも山頂に到達すると目の前に広がる素晴らしい景観と何がしかの征服感が味わえるのも魅力です。最近では、都会でも「山ガール」という山登りを趣味とする女性が増えているそうです。REALISTが、トレッキング中にしばしば険しい山を完全装備に身を包み単独で挑戦している女性と対面することも多く彼女たちの精神的な強さに驚いています。岩山をよじ登っている最中に下を見下ろすと、結構高い位置となり、眼下の建物などが次第に小さくなっていきます。首から下げたデジカメで落ちないように姿勢を保ちながら撮影しました。ここから足を滑らせて落ちれば、多分、大けがは間違いないでしょう。下にも大きな岩がごろごろしていました。岩山を制覇して、やれやれと目の前を見ると、またさらに前を遮(さえぎる)る岩山があります。ということは・・・あの岩山を越えなければ、目的の奥の山頂には行けないということです。急増する「山ガール」のTV取材番組のシーンです。★☆『 mixi女子山岳部 SUMMER』★☆しばらく、アップダウンの続く登山道や岩の道をよじ登る連続ですが、途中、緑のトンネルの様なホッとさせる雰囲気のある森の道を楽しめました。登山道は、急斜面や危険な個所は頑丈なロープが整備されていたのでそれを握りながら登りました。写真の様な大きな岩が山の斜面にいたるところにありました。登山道は、山岳会の様なグループが登山者のために道に迷わないよう、間違えそうな道の分岐点の様な岩や樹木に青や赤のスプレーペイントでマーキングされていました。 登り始めから、約1時間余りで山頂部分に到着、岩の上には山登りの人々が置いた小石が積まれていました。【送料無料】安心!山のぼりバイブル価格:1,365円(税込、送料別)山歩きやトレッキング入門書は、たくさんありますが、まず、自分のレベルや登頂目的に合ったものを選んだほうが良いと思います。トレッキングシューズやリュック、登山のスタイルに応じた装備にはどのようなものがあるかなどを知る必要があります。山頂から下界を眺めると・・・ここまで登ってきた山々が右側に流れる稜線伝いに見えます。また、さらに、遥か先を眺めると・・・ぼんやりと高速道路や町の景色も見えました。視線を右手に移すと・・・この山頂よりも少し高そうな山が見えます。あの山の山頂には、なんと、遥か昔の鎌倉時代に武将の居城があったそうです。REALISTは、既に昨年中にあの山頂や城跡には3回も登頂しています。この山以上に険しい岩山でした。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/05/11
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★☆ アメリカ発祥から今や世界中に広まった記念日 ★☆ "Mother's day' and carnations~ 日頃の母の苦労をねぎらい、母への感謝を表す日 ~ さて、昨日、5月の第2日曜日の8日は、『母の日(Mother's day)』でしたが、TVのニュース報道では、東日本大地震の被災地である福島県でも震災の津波被害を受けたはずのカーネーション畑から不死鳥の様に花が咲いたことから、それらを「困難にも負けないカーネーション」として店頭に出したところ、たちまちに売り切れたそうです。 『母の日』は、1914年に5月の第2日曜日に祝日として定めた発祥地のアメリカでは、白いカーネーションが贈り物のシンボルとなっていますが、私のイメージでは、ずっと赤色かピンク色でした。日本でも、1949年(昭和24年)ごろからアメリカにならって5月の第2日曜日に行われるようになり、『母の日』にはカーネーションなどを贈るのが一般的となりました。 みなさんは、『母の日』について何か思い出や心に残るものがありますか?REALISTは、私の母が20歳のときの子だったこともあり、みなさんと同様に母への感謝の思いが強くあります。幼少の頃は、いつも母の傍(そば)にいて、母の買い物などにもいつも一緒に手をつないで近くのスーパーなどに歩いて行った思い出があります。また、夕飯時の台所での母が食事の準備をしているときでも、いつも傍に付き添ってそれを見ながら育ちました。母は、若いころから洋裁がとても得意だったようで、私が幼少のころから大学生になるまでの間、洋服の生地を買っては、仕事の合間を利用して、私や弟たちの体を採寸して(半)ズボンやシャツ、上着、手編みのセーターやカーディガンなどを最新モードの本を見ながらたくさん作ってくれました。子供心にも「仕事や家事のこともあって忙しくてなかなか時間がないはずなのに、いったいいつ作っているんだろう?母さんはすごい!」と、とても言葉では言い表せない強い感謝の様なものを感じました。 私が、初めて母にカーネーションを買ったのは、小学校4年生の時でした。それは、多分、小学校の先生が『母の日』の意味や「母への感謝」について、詳しく教示されたことによるものだと思います。母の日に関する作文づくりもあったようで、好きな女の子の作文に、「私は『母の日』にハンカチを買ってあげました」などという内容があったことをいまだに憶えています。 カーネーションを初めて買ったときは、・・自宅から5~6km先にあった商店街の花屋さん(今はもう存在しない)に自転車で向かいました。母からもらった月々のお小遣いから貯めたお金をポケットに入れて、店先にいくとバケツにカーネーションがたくさんありました。代金がわからないので店員さんに「このお金でください」と言った様な、・・そして、「花ってこんなに高いのか!」と思いつつ、自宅に帰りました。そして、それから、「母にどうやってわたそうか?なんか恥ずかしいなー」と思いつつも、母の背中越しに、「母さん!これ!・・」と言う様な言葉を発して手渡しました。そして・・・母が「ありがとう!」と優しい笑顔を見せてくれたことがいつまでも心に残っています。 ここ最近、そんな温かい体験もほとんどなくなりましたが、いつまでたっても良い思い出です。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/05/09
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★☆ アメリカの誇る戦艦ミズーリより大きかった世界一の「大和」の雄姿 ★☆ In world history the most enormous battleship is Japanese "YAMATO" class battleship.~ 見ごたえある10分の1スケールの巨大戦艦模型 ~ 『大和ミュージアム』の目玉の展示物と言えば、何と言っても沖縄海上特攻に向かった最終型の『戦艦大和』を見事に再現した10分の1スケールの巨大模型でしょう。『戦艦大和』は、第2次大戦終戦後の1945年9月2日の東京湾で行われた降伏調印式をその甲板上で行ったアメリカの誇る「戦艦ミズーリ」よりも一回り大きく、現在でもこれを超える戦艦は存在せず、歴史上世界一の巨大戦艦でした。(データ比較、『ミズーリ』⇒(基準排水量)48,500トン・(主砲)50口径40.6cm3連装砲塔3基 9門 、『大和』⇒(基準排水量)65,000トン・(主砲)45口径46cm3連装砲塔3基 9門・零式水上偵察機7機装備) 今回は、この展示物の巨大模型をまだ観たことがない人のために、撮影した写真でご紹介しますので、どうぞお楽しみください。 この写真は、荒れ模様の南太平洋上を航行中の1941年の戦艦大和の雄姿です。This photo is of battleship YAMATO's sailing in 1941 to the stormy South Pacific Ocean. 『戦艦大和』は、沖縄特攻作戦で延べ数百機のアメリカ軍の戦闘爆撃機による集中攻撃を受け、魚雷10発以上、大型爆弾多数の直撃を受け沈没しましたが、『戦艦ミズーリ』は、終戦後も1953年の朝鮮戦争中の朝鮮半島への艦砲射撃やその後もトマホークミサイルやハプーン対艦ミサイル、ファランクス対空装備などの近代化装備が施され、1991年の湾岸戦争にも参加、イラク軍への艦砲射撃にも使用されました。現在は、ハワイのパールハーバーで戦艦歴史博物館として一般公開されています。映画『男たちの大和』より、実話を再現したものです。★☆『 男たちの大和 』★☆ 『大和ミュージアム』に入館すると、まずその大きさに圧倒される戦艦大和の模型です。あまりに大きいのでなかなか全体を収まった状態で撮影することが難しいのです。これはやや高い2階部分から撮影したものです。奥に見えるガラスケースの旭日旗は、戦艦長門で使用された実物です。 Yamato (大和) and her sister ship, Musashi, "were the largest and most powerful battleships ever built", displacing 72,800 tonnes at full load and armed with nine 46 cm (18.1 inch) main guns. 戦艦大和データ⇒⇒(基準排水量)65,000トン(満載時72,000)、(全長)263m、(全幅)38.9m、(主機関)艦本式タービン4基4軸153,553馬力、(最大速力) 27.46ノット、(航続距離)16ノットで7,200海里=13,334km、(主兵装)45口径46cm3連装砲塔3基、60口径15.5cm3連装砲塔2基、40口径12.7cm連装高角砲12基、25mm3連装機銃52基、25mm単装機銃6基、13mm連装機銃2基、(装甲)舷側 410mm、甲板 200mm~230mm、主砲防盾 650mm、艦橋500mm、(搭載機) 7機(カタパルト2基)、(レーダー)艦橋最上部に対空レーダー(21号電探)及び対水上レーダー(22号電探)装備 この模型は、写真の様に階段を降りて、周囲を360度船底部分からも観察することができます。カップルや家族連れが多く見学していました。できるだけ人気の途切れたチャンスを狙って撮影しています。大和の特徴では、あごの突き出た様な球状艦首(バルバス・バウ)を採用してことが挙げられます、これは水の抵抗を弱め船の推進力を高める高い性能があり、現在では世界中の造船技術に導入されています。 船首部分をローアングルで撮影しようとすると、とても大きくて全体が治まりません。戦艦大和の歌が!・・大和の艦内放送で流れていたのでしょうか?★☆『 <軍歌>戦艦大和の歌(戦艦大和艦歌) 』★☆ 主砲2番砲塔部分から船尾にかけてやっとどうにか写真のフレームに収まりました。 海に浮かぶこの巨大な戦艦を実際に目の前で観た人は、いったいどんな衝撃を受けたことでしょうか?何となくこれで雰囲気だけ想像できました。 これは、船尾側の46センチ3連装主砲3番砲塔付近及び防盾シールド付き25mm3連装対空機銃群の近接撮影です。 上部構造物を近接撮影すると、上空をにらむ針山の様な対空砲の群れが見えます。戦艦よりも戦闘機、爆撃機の飛行機の時代となり、戦艦大和も建造当時に比べ、大幅な対空防御や対空戦闘能力を高める大幅な改修が施されました。15.5センチ三連装副砲の上に、巨大なステレオ式レンジファインダー(光学測距儀)が見えます。これで遥か遠方の敵艦に対する正確な射撃照準ができました。 船尾側から撮影したものですが、船尾に2本のカタパルトが見えます。ここから、零式水上偵察機を発進させて、遠方の敵動向の偵察や情報収集、時には、敵潜水艦などに直接攻撃をすることもありました。こんな大規模な一部航空戦艦的方式は日本独自のものです。四角い部分は、航空機格納のためのエレベータです。 上から見ると、艦橋周辺にはぎっしりの対空砲、また主砲2番砲塔の上にまで対空機銃群が見えます。艦橋にはエレベーターがあり、艦内はエアコン(クーラー)が装備されていました。 右後方から見ると、主砲三番砲塔付近にトンネルの様な穴が見えますが、ここは小型舟艇が出入りする部分で、最長17mの定員100人の小型内火艇など16隻を格納していました。将兵が上陸する時は、これらの船を降ろして使用していました。 写真に見える航空機は、複葉式の三菱「零式水上観測機」ですが、これは実際は古いタイプで、大和の活動した最盛期では、既に単葉機の愛知「零式水上偵察機」が使用されていました。 船尾の下から見ると、巨大なスクリューが4基あります。これを153,553馬力のタービンエンジンが起動し巨大戦艦を最大時速27ノット(55km)で動かす推力をもたらしました。攻撃中のアメリカ軍戦闘爆撃機から大和をビデオ撮影したというものですが・・★☆『 IJN Battleship YAMATO VS U.S. Navy TBF/TBM Avenger - WW2 Gun Camera Footage (Oct.24, 1944) 』★☆ 左後方から見た戦艦大和の状況、この戦艦には他の国の戦艦にないバランスの良い美しさがあります。 「なんて凄いんだろう!よくも70年位前にこんな技術の結晶を作り上げたものだ!」・・まさに、大阪城の様な海に浮かぶ巨大な城を思わせる『戦艦大和』ですが、しばしば、立ちすくんで観察している人が多いのを見かけました。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/05/02
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