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相変わらずのキネシ三昧のNORICOですたまの休みの日も、おさむと実験しながらキネシオロジーのセッション。最近の私は、趣味キネシ、仕事キネシ、遊びキネシ、勉強キネシという感じです。それにしても、勉強したり研究したりすればするほど、おもしろい〜♪最近、原始反射をいろいろ研究していて私に原始反射の中の吸啜(きゅうてつ)反射が残っていたことが判明。吸啜反射とは、赤ちゃんが唇に入るものに強くしゃぶりつく反射。おっぱいを飲むために必要な反射です。ある時期になると、この反射はなくなってゆきますがこの反射が統合されずに残っていると、滑舌が悪くなったり、どもったりもごもご何を言っているかはっきりしなかったり。私も、自分が時々どもることはわかっていたものの、それほど気にしていなかったのでそれについてセッションをやったことはなかったのですが。そういえば、大学時代に先輩から「のりこ、飴を出してから話せ!」とよく冗談で言われてたのを思い出しました。吸啜反射が残っていると、飴が入っているかのような話し方になるのです。また、一つのことにのめりこむとやめるのが難しかったりするのも吸啜反射。ちなみに、私にはないですが、吸啜反射があるとよく爪をかむくせがあったり、筆記用具を噛んでみたり聞くことと見ることが同時にできなかったり(字幕を見ながら、声を聞くなど)過食の傾向があったりする方もいます。原始反射の統合の仕方は、ブレインジムの特別クラスでいくつか学んだのですが最近、Acutonic チューニングフォークで背骨の両側に当ててゆく方法が原始反射にかなり有効なことがわかりました。人によっては、速攻的に効果があるのがわかります。最近Actonic チューニングフォークは私のセッションには、なくてはならない道具の一つになっています。さて、先日、私自身のセッションで父から受け継いだ遺伝の体質を変化させる、DNAの調整を行いました。私の母は、もう恐ろしいほど健康な人で、これまで病気らしい病気をしたことは一度もなく、体力も素晴らしくて、70歳を越えた今でも毎日1000メートル近く泳ぎ、その上で何キロも歩いて、ダンスしてというような人。一方、私の父は、肝臓、腎臓、消化器系が悪く、喘息、腰痛、肩こり、便秘とありとあらゆるところに病気や不調を持っている人で、体力もなく。そして残念ながら、私は、遺伝的には父の体質を受け継いでいるのです。(あっという間にどこでも寝る、すぐに何でも忘れてしまう、かなりいいかげんなところがある、などという母の性質はしっかり受け継いでいるのだけど)なので、私も昔は肝臓も悪かったし(酒飲みすぎだったからですが)胃も弱くて胃潰瘍だったし、のども弱くてすぐに風邪を引いて咳が長引いていたし、という人でした。食事やいろんなヒーリングを行うようになってからは、もう何年も風邪も引かず今は健康体ですが、生活に気をつけないと便秘や肩こりになってしまう体質です。それで、先日セッションを行ってDNAの調整を行いました。最初に出てきたのは、運動不足というキーワード。そして、このDNAの調整を行うのは危険だ、という身体からのメッセージ。なぜ危険かというと、DNAの調整を行って、もし、どんな環境でも健康になったら私が運動しなくなってしまったり、働きすぎてしまうから、という身体からのお答え。遺伝は、いくら受け継いでいても、ある環境にならないと作動しないのですが私の父から受け継いだ遺伝子は、運動不足だったり、身体に無理をしたりすると作動するらしい。確かに、もし昔みたいに生活していたり、ヒーリングしなかったらとっくに身体壊していただろうなあと。DNAの調整の時には、よく遺伝が作動しはじめた年齢が出てきますがクライアントさんにその年に何があったかを伺うと大抵は大きなストレスとなることが起こっています。そこで「運動って、ヨガでいい?」って私の身体に聞いたら「ヨガだけでは不十分、歩くこと」というのが出てきました。ひや〜、確かに、私が朝から晩まで家でセッションをやっていて外に出て歩くのは、1、2週間に一度ぐらい。いくら家でヨガやストレッチをやっても、歩かないと身体は弱ってしまうのですよね。さすがに歩くことは、キネシでは代用できないよう。(って、当たり前だけど)身体から伝えられたメッセージは、一日最低15分歩くこと。ということで、先日から公園の周りを15〜20分ぐらい、スタスタ歩いている私です。公園の周りは坂になっているので、20分でも私にとってはちょっとした運動。少しずつ時間を伸ばしていこうと計画中(いつまで続くやら、とはおさむの弁)さて、DNAの調整も終了し、晴れて父からの遺伝の影響を手放すことができた私ですがセッションの最後に再び、身体が伝えてきたのは、働きすぎ。(というより、キネシやりすぎ?)週に2日は休め、と出てきます。え〜!!ようやく最近、何とか週に1日休みを取るようになったばかり。もっとセッションやりたいし、これ以上クライアントさんを待たせてしまうし週2日はさすがにムリ〜〜と思い、私の身体に『週1日半じゃだめ?1日は完全オフで、もう1日はセッションを2つまでにするから』と交渉してみたのですが「だめ!丸2日!」との断固たる身体からのお答え。やっぱり身体に交渉してもだめか〜ということで、私のマインドは、しぶしぶ週休2日を受け入れることになりました。来年1月はもうほとんどクライアントさんの予約が埋まっているので2月からの決行です。(セッションをお待たせしてしまう方、ごめんなさい〜〜)それにしても、私の身体は、少し前には「自分の使命を受け入れなさい」と言いつつ今度は「もっと休め」と、微妙なバランスを要求してくるなあ。そして、そのセッションの次の日に、おさむと「久々に遊びでカード引かない?」と筋反射テストでオラクルカードを選んでみたのですが私の身体が選んだカードは「Play Time!!あなたは今、働きすぎです。もっと遊びなさい」というメッセージ。は〜ダメ押しのカード。ということで、来年は遊びます〜〜
2012年11月26日
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先週のIH キネシオロジーのセッションは、セックスウィークでした。その日、そのクライアントさんの優先テーマは何になるかセッションをスタートしてみないとわからないのですが(身体がテーマを選ぶので)先週は、たまたまセックスやセクシャリティをテーマとして選ぶ人が多くこの1週間で7人。シンクロなのか、そういう流れになっている方が増えてきているのかわかりませんが、平均、毎日一人は性をテーマにセッションを受けられたことになります。人によっては、かなりつっこんだところまでのフォローが必要となってくるのでタントラを学んでいてよかったなあとつくづく感じます。もちろん、性がテーマと言っても、それぞれの問題や目標は違っています。セックスに対して受け身の方が、積極的に取り組んでゆくための調整だったりまたはセクシャリティを受け入れたりセックスを愛として受け入れるための調整だったりまたは、身体的な調整として、性欲や性感を高めるための調整だったり。(ちなみに私も性欲を高める調整はやったのですが、なかなかいい感じです)女性はいろんな問題から、性的な欲求そのものがなくなってしまってセックスを必要としなくなってゆく人が多いのできちんと性エネルギーが解放されないことになってしまいます。そうなるといわゆる「枯れた」状態。性エネルギーは、すべての存在にとっての生命エネルギーですからそれがなくなると、身体的、精神的、感情的様々な面でのバランスも失われてきます。女性に多いセックスがめんどくさい、やる気がしなくなるのは彼とのセックスがマンネリ、というのもありますし本当の意味での喜びを彼とのセックスで得ることはできないというのもあります。案外女性があげる問題として出てくるのは彼がセックスでなかなかイカナイ、ので疲れるというもの。女性にとっては、早すぎる、より遅すぎる方が問題という方が多いのです。これはセックスにおいて最も大きな弊害となっている考え方「イクこと=クライマックス」が目的、になってしまっているのでイカないと終わらない、ことになってしまい、体力も気力も続かなくなり面倒になってゆくのです。相手をイカせなければならない、もしくは自分もイカなければならないそうでなければ、このセックスはダメだ、という考え方です。以前にも書きましたが、OMメディテーションではオーガスムはクライマックスという意味ではなくセンセーション(感覚)であって、感じているすべての感覚がオーガズムです。またタントラでもタオでも「イクこと」では性エネルギーを解放できないとされています。タオでは基本的に「イクこと」は禁じられているそうですがタントラでは、イクことはセックスの目的ではないけれど結果的にイッテもよし、という感じです。例えば、女性によくある「イッタ振りをする」というのもこの「イカなければならない」という考えがベースになっています。「イッタ振り」なんてやってしまえば、彼としては、これでいいんだ~彼女は満足しているのだ~と思い込み彼女の本当に求めているものは得られなくなりますますセックスは面倒なものになってゆきます。イクことが目的となってしまった現代の私たちのセックスの認識がセックスを愛から遠ざけてしまっているのだなあと。セックスは相手を喜ばせるために行うものではなく二人のエネルギーをつなげ、愛をさらに深めてゆくために行うもの。ですから、基本的に大切なことは、言葉によるコミュニケーションなのです。OM(オーガズミック)メディテーションでもいちいち、そのストロークを若干やさしくして、とか少し左側にずらして、などと女性が男性に伝えてゆくのですが最初はそれが面倒な感じがしてしまって「言わなくても気づいてよ」みたいな意識があるのに気づいたりします。でも相手は言わないとわからないわけでそうやって根気強く伝えてゆくことで、本当に「言わなくてもわかる」状態になってゆくわけです。また男性も女性にワークしながら、聞く時にただ「いい?」と聞くのではなく少し左がいいのか、右なのか、やさしくがいいのか、強くなのか深くなのか、浅くなのかそういったことも聞いてゆくわけです。これって、普段の男女のコミュニケーションでも同じこと。女性は「言わなくてもわかってほしい」という気持ちがあるから言わない、男性としては、女性から言われなければそれでいい、ということになっていて女性の意向を自分から尋ねようとしない。それで女性の方は「私は充分にケアされていない」ということになるし男性はその女性の満たされていないエネルギーを感じて、また不満を感じ二人の思いはだんだんすれ違ってくるわけですね。セックスやセクシャリティは、は女性にとっても男性にとってもセンシティブな問題ですから、クライアントさん本人からそういう問題があると言われない限りは、基本的に、私はそのことに関して身体に聞いたりしないのですが最近、私がこういうことをブログに書いているせいなのか男性のクライアントさんからも、男性のセクシャリティの問題がぼちぼち出てきていて、これはいい傾向だなあと。男性が変わらない限り、女性もなかなか変われない部分もありますから。お互いのコミュニケーションは、あくまでも「あなたに問題がある」というスタンスではなく、あなたには全く問題がないけれど、私にとってこうしたい、二人で喜びを高めてゆきたいというスタンスでいる必要があるのですが全く問題がない、素晴らしい、と言うと、彼が二人のセックスを高めようとしないということにもつながってしまうので、難しいところです。私とおさむもまだまだこれから。さらなるエロカップルの道への探求をしていこうと気持ちをあらたにしております本当は性について、もっと突っ込んだところをいろいろ書きたいところなのですがこれ以上書くと、このブログがPG13に指定されそうなのでやめておきま〜すさてさて、明日は久々の1日オフ。今夜は、おさむがボジョレーヌーボーを買ってきてくれていてさきほど一緒に飲みながら、おさむのギターを聴いていたのですが最高に楽しい時間でした。二人ともワインは以前から好きなのですが、最近は特によく飲んでいます。先日はチェルシーにおいしいワイン+トルコのおつまみのお店を見つけました。ワインをテイスティングしながら、このワインは何点、とか点数つけたりそのワインの味を「まるでベルベットのような舌の上でとろける感覚」などと言葉で表現したりするのが、最近の二人の間でのはやりです。味を言葉で表現するのって、セックスにおいてのセンセーション(感覚)を言葉で伝えることと共通するのですよね。とはいえ、飲んだくれヒーラーにならぬよう、気をつけま〜す今日は月曜日。今週は何ウィークになるのか。(ってテーマが決まっているわけではないけど)どんな変化が待っているのか。楽しみです〜〜
2012年11月19日
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キネシオロジーのセラピーに来られる方は、精神的な問題だけでなく病気や身体の不調で来られる方も多いです。一般的に難病と言われているような病気の方もいらっしゃるし高血圧やアレルギーや頭痛や腰痛、便秘や胃潰瘍、皮膚炎生理痛など、よくある不調を抱えている方もいるし特に病名はなくても、身体がいつもだるいなどの症状がある方もいます。それぞれの不調や病気が起こった要因も違えば、遺伝的要因も違うし症状も違うのですが、でも、そういう不調を抱えている人の多くに共通して見られるのは、一言で言うと「自己愛の欠如」です。特に大きな病気を抱えている人のほとんどは、自分を愛していないそのままの自分を受け入れていないという問題を持っています。自分への愛が不足していればいるほど、身体の免疫力は下がります。最もそれがひどくなるケースは、意識、無意識関係なく、自分を許していない人。自分を許していないのですから、身体もそれに答えて、自らを痛めつけるのです。なので、そういう方は、他にどんな大きな問題を抱えていてもまずは「自分をゆるす」というテーマが選ばれることが多いです。自分を全く愛していない人は、出会っただけで「ああ、全く自分のことを愛していない方だなあ」とわかります。顔そのものではなく、エネルギーがくすんでしまうのです。自分のことが好き、という人でも、多くは「がんばっている自分が好き」とか「~~をやり遂げた自分がすき」という感じで条件つきの自己愛になっています。「がんばらなければ」というのは、楽に生きる自分を受け入れていないということ。例えば、そういう方が身体の不調を抱えていた場合身体は、身体的な調整より先に、ありのままの自分を受け入れる調整や楽に生きるための調整をやってほしい、と伝えてきます。そうしないと、例え身体的な調整を行ったところでまた元に戻ったり、別の問題を生み出してしまうからです。ごくたまにクライアントさんの身体は「まだ完全に楽には生きていないけど、今日は身体の機能的な問題を調整する」と伝えてくる時があります。私は何度も「それでいいの?」と聞いても身体がオッケーを出すので、そのテーマでセッションがスタートするのですがセッションの途中で、必ずといっていいほど、「機能的な調整をするのは安全ではない」と伝えてきます。例えば、がんばりすぎてしまう人、つい無理をしてしまう人が身体的な不調になることで、身体は「休むことができる」と感じているわけでだからこそ、身体はその不調を生み出したのに、身体の機能だけ調整してしまえばまたその人は無理をしてしまうので身体は「健康になるのは危険だ」と訴えてくるわけです。身体が「健康になるのが危険だ」と言うのですから、おもしろいですよね〜。しかも、最初に、これでセッションをスタートしてオッケーを出しておいて途中で危険というのですから、そのあまのじゃくさにおかしくなるのですがそんな時は、簡単な調整を行うと、ゴーサインを出してきます。身体というのは、本当におもしろくて楽に生きるための調整や自己を受け入れる調整を後日必ず行う、とわかっていれば機能的な問題を先に調整させてくれることもあります。さて、自己愛が失われてしまう要因の多くは親からの愛が充分でなかったということにあります。親から愛されれば愛されるほど、子供は自分を受け入れ愛することができるようになります。そして自分を受け入れれば受け入れるほど他人も受け入れることができるようになります。こういうあなたはだめ〜、こういうあなたはいい、そんな風に条件付きでの愛ではなく、無条件に受け入れられていること。IHの創始者でハート全開のマチルダを見ていると「彼女は本当に親から愛されて育ったのだなあ」というのをつくづく感じます。だから、他の人に対して、あれほど無償の愛を与え続けることができるのだなあと。ヒーラー、セラピストにとって、絶対的に必要なことがあるとすれば自分自身をどれだけ受け入れているか、ということ。それができていなければ、他の人の中に光を見出すことはできないし例えどんなすごい技術を持っていてもあまり意味はない、と感じます。もちろん、子供を無条件に愛するというのは、子供を甘やかすということではありません。むしろ、甘やかすのは、無条件に愛していないことになります。時には厳しい愛も必要なのです。例えば、自分の子供が他の子に乱暴を働いていても親がそれでよしよし、となっていれば、子供は本当のリレーションシップを学ぶことができません。子供というのは、本当に敏感でよくわかっているので親が子供への深い愛から自分を叱っているのか、それとも親の見栄や体裁や親自身の抑圧された思いから怒っているのかちゃんと感じることができるのです。そして親はただ叱るだけでなく、なぜそういう行動をしたかを子供とちゃんと向き合ってゆき必要があります。それが子供をありのままに受け入れるということ。受け入れる必要があるのは、子供の本質的なものであってその行動ではないのです。それでは親から充分に愛されなかった人は、ずっと自分を愛せないままか、と言えばもちろん、そんなことはありません。本当の自分の力を取り戻すのがヒーリングなのですから。それは、充分に愛を与えてもらった人よりも、人生はチャレンジになりますがだからこそ、それを越えた時には、本当に深い祝福を感じることができます。親も環境も、より深いところに到達するために、自らが選んできた教材のようなもの。自らの人生を呪い、人の幸せをうらやんでいるままではそれらは教材としての意味を果たさないですがもし意識を変えることができれば、すべては最高の祝福だったということに気づきます。これはけしていくら言葉で説明しても、実際に自分で体験しないかぎりわからないものなのですが。ですから、病気も祝福だと私は思っています。もちろん、そんなこと、実際に大きな病気を抱えて苦しんでいる方にに対してとても言えないですし、それは本人にとって辛いことであることは充分にわかっていますが魂レベルからみれば、身体の不調によって自分自身を大きく変容、進化させるきっかけとなるのです。「もし病気がなかったら、セッションには来なかったです」そう言われる方はけっこう多くて病気がきっかけで、スピリチュアルに目覚める人は少なくありません。身体は、その方が気づくためのサインとして、知らせてくれているに過ぎないのです。よく「病気と戦う」と言いますが、病気と戦っている限り本当の健康も幸せもないと私は思います。とはいえ、私のセッションでクライアントさんの身体が「病気を受け入れる」と言う目標を選んだことは、今までに一度もありません。受け入れる必要があるのは健康だけです。病気と戦わないことは大切ですが病気でも仕方ないとあきらめることとは違うのですね。知らせてくれた身体に感謝し、健康を受け入れ、そこから学ぶべきことを学んだ時に何かが大きく変化してゆくのです。以前、私のHPのキネシオロジーの説明で『キネシオロジーは身体的な不調にも有効です。ただし医療ではないので、専門的な治療が必要な場合もあります」などと書いていたのですが、これは大きな間違いだったことに気づいて1年ほど前に削除しました。そんなのは、ヒーラーとして責任を取りたくないという言い訳にしかすぎないなあと。身体も心も魂もすべてはつながっているのですから身体の不調や病気は医者に行って、精神的な問題はヒーリングでというのでは全くホリスティックではないですよね。私は、精神的な問題や経済的な問題はもちろんのこと身体的な不調や病気を持っている方こそどんどんヒーリングセッションを受けに来てほしいなあ、と思っています。(もちろん、何も問題がなくても、新たな可能性を開くための喜びとして来てくださるのもうれしいのですけどね)ということで、あなたの身体は今、あなたに何のメッセージを送ってきているかしら〜?(私は今、肩が凝っているので、自己愛もっと必要みたい)
2012年11月16日
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今日は、またIHキネシオロジーの感想から、了承を得てご紹介します。昨日たまたま二人送ってきてくださった方の感想がセッションでのテーマは違っていても、リンクしているなあと感じたので。一人は、ハートを開くこと、もう一人の方はグラウンディングがテーマでした。こちらは、ハートを開く調整となったMさんの感想から。昨日はどうもありがとうございましたーーーーー!!!!ハートを開く、、、人生の一大イベントです!のりこさんにこのテーマを、このタイミングでして頂けてとっても嬉しかったです!セッション中に、昔、先輩からある時”あーせっかくMちゃんが今心開いたのに、またすぐ閉じちゃった”って言われた事があるのを思い出しました。開こうとすると怖くなって、傷つかない様に昔から思考でプロテクトしていました。調整は、イロイロ私の体は要求していたみたいで強力ツールのオンパレードでしたね(笑)ハートをフォークを当てて波動+振動?を受けてる時は、なんだかハートを開く手術をしてる様で面白かったです。体中ムズムズしました。調整していただいてる間も、遂にハートが開くんだ!と興奮しっぱなしで至福感に満ちていました。帰ってから、ハートを開いた記念に祝杯しかねない勢いでしたので、帰り際にメンションして頂いてて良かったです(笑)帰りの電車の中で、至福感に充満されて、涙か込みあがってきました・・・家だったら押さえずに流したのですが、ぐっとこらえてしまいましたー。ハートを開く手術、っておもしろい実際は、ハートが開いていないのは、脳の問題と深く関わっていることが多いので脳の調整になることが多いですけれどね。脳の調整後に、ハートチャクラを開いてゆくのです。ハートが閉じているということは、思考優先になっているということ。私はほとんどのセッションで、ハートチャクラの開き具合を見ているのですがあまりにもハートが閉じている人はセッション後の効果を感じにくいということがあります。変化しているのに、自分の感覚を受け取れていないとわからないのです。でもいくらハートが閉じていても、もしまだ開く準備でできていなければ身体はハートを開くことをテーマとして選ばないのである程度、トラウマや傷の癒しができていることが先決になります。ハートを開く準備として大切なのは何度か書いているように、グラウンディングの問題があります。グラウンディングが不安定だと、ハートが開くと傷ついてしまうので無意識に傷つかないように閉じてしまうのです。そして、人生の中で何度か傷つくようなことが起こればハートはさらに安全のために閉じてしまいます。そうなると、例えば、何かが起こった時に「あれは、こうなのだから、別に私は大丈夫」というように、理屈で片付けてしまったり、そういう感情を感じないように、抑圧してしまうのです。感情自体によいも悪いもないのですがそれを抑圧するので、感性も失われてしまったりします。グラウンディングの調整だけでハートがより開いてくる人もいますが両方の調整が必要な方もいます。この方も、前のセッションでグラウンディングの調整だったのでその準備ができたのだなあと。ハートを開くためのセッションは、一緒に私のハートも開いてくる感じがして毎回のように私も感動で、うるうるなのです。さて、こちらはグラウンディングがテーマだったTさんの感想から。前回グラウンディングの調整をしていただいてから、いろいろとご報告したいと思っていたのですが、今回はいつもの劇的な変化とは様子が違ってじんわり、ゆっくりとやってきている感じでなにげなく過ごしていたら、気づいたらグラウンディングしていたというような感覚です。グラウンディングのテーマにたどり着いたのは、人間関係で疲れてしまう相手からのジャッジが気になる、というような問題だったのですが、最近ふと気づいたら、自分と違うタイプの人や意見が違う人のことを自然に好きになれている自分がいます。(前は「すっごく好き!親友になりたい!」か「合わないから(相手も自分を好きにならないだろうし)シャットアウトしよう」かどちらかふたつにひとつでした。)いい意味で軽い感じでもっといろんな人と話してみたい、自分と違うものを持っている人とふれあいたい、という気持ちもあって、そんなふうに感じたことは今まで本当になかったので、最近は毎日ふつうに生活していても新しい世界が自分の前に開けているようでとても嬉しいです。色とりどりのいろんなかたちの花があちこちに咲いているのが急に見えるようになったみたいな感じです。プラス、歩くときに自分の足取りがしっかりしているのを感じたり、バイト先のワイン屋でワインを運ぶ時に前より重くない!と感じたりもしています。そんなわけで、今は毎日楽しくて、自分のことも前よりずっと信頼できていて、なにがあっても自分でいることができれば大丈夫、むしろ何かあったときに自分から何が出てくるのか楽しみという気持ちで過ごしています。色とりどりのいろんなかたちの花があちこちに咲いているのが急に見えるようになったみたいな感じという表現が素敵これは、まさにハートが開いている証拠だなあと。この方の場合は、もともとハートはある程度開いていたのですがグラウンディングの調整で、よりハートが開いた、というのが伝わってきます。グラウンディングしたことで、安定し揺るぎない自分になったので違うタイプの人とつきあっても(潜在的に)傷つく心配がなくなりプロテクトする必要がなくなったのでハートをオープンにして、自然といろんな人と接することができるようになったということ。しっかりとグラウンディングして、ハートが開き、感受性が鋭くなるとすべてが今までとは違うように感じるのですよね。おもしろかったのが、ワインが軽く感じた、というところ。グラウンディングしていなければ、自分のエネルギーは浮いた状態になっているので物が重く感じる、ということかなあと。本質的にグラウンディングできていない人は、ほとんどが幼少の頃に起こったことが原因であって、多くはやはり脳の調整になります。このレベルで、グラウンディングできていないと、人のエネルギーを受けやすかったり、自然と防御の態勢になっているので人との深いコミュニケーションや自己表現での問題を持っている人が多いです。一方で、本質的にはグラウンディングは弱くない人なのだけど高層ビルに長い間住んで弱くなっていたりとてもショックなことが起こって、弱くなっていたりというようなこともあります。そういう場合は、脳の調整ではなく、別の調整になることがほとんどです。そういう方の場合は、コミュニケーションには問題なくても電磁波の影響や気圧の変化などに弱かったりします。今日のセッションでも出てきたのですが、金縛りなどが起こりやすいという人もグラウンディングの弱さがあります。ということで、しっかりとグラウンディングした上でハートを開いてゆく。これは私たち誰もが必要なことだなあと日々のセッションを通じて強く感じます。世の中には、そういう問題があっても、気づいていない人または、気づいてもどうしたらいいのかわからない方がほとんどです。いつかグランディングの調整の仕方やハートの開き方など私が自分なりにあれこれとやってきた中で、気づいてきた方法をある程度ヒーリングができる方たちに教えていくことができたらいいなあと。ということで、明日も走るのです〜〜
2012年11月14日
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昨日のおさむの日記に、セドナ、ホピのことを書いてあったので私も今、感じていることをつらつら書いてみます〜。少し前にアイルさんからのメールで2012年12月21日前後にホピで祈りのセレモニーが行われることを知ったのですが実は、その時は、おさむと、今回はセドナやホピに行くのはやめようかという話になっていました。この1年で私たちの意識も随分と変化しました。自分で言うのも何なのですがしっかりと地に足が着いたスピリチュアルになった、というか(ほんと自分で言うのは何だけど)自分がなすべきことが、よりクリアになったように感じていました。言葉では誤解を招きやすいけれど人にはそれぞれのお役目があるというか例えば、巡礼したり、祈りを捧げるお役目の人もいれば子供をしっかりと育てるというお役目の人もいれば絵を描くことがお役目の人もいるし、そのすべてが尊いものです。よく自分のお役目が何かわからないと言われる方がいますがつまりは、自分が魂からやりたいと感じていることをやるということ。そして、この1年に起こった様々な変化で私たちが今回ホピに行って、一緒に祈ることは今の私たちのお役目ではないような気がしていました。たぶん、去年の今頃だったら、絶対に行きたい、と感じていたと思うのですが今年3月のメキシコの巡礼の旅、それからの二人の関係性の変化おさむのグラウンディングとハートのセッション、私のヒーリングセッションの変化、そして9月のギリシャへの旅。そういったものがいろいろ影響して、感じ方が変わっているのを感じていました。アイルさんが「人数が少なくても、本当に同じ意識の人たちでセレモニーを行いたいと、ホピの長老は考えています」と言われていて私もおさむも意識としては同じところにあると言えるかもしれないけれどネイティブとは、歩く道は違っているし(先日、おさむも修行も手放したことだし)そんな私たちがホピの人たちが集まる大切なイベントに参加するのも何だか申し訳ないような気にもなっていたかもしれません。でも、一方で、この時期をどこで何をして過ごすかしら?というのは、私たちにとって、もう何年も前から意識の上にあったことでした。ドランヴァロ曰く、これから世界はより混沌としてくるだろう、そしてそれも新しく素晴らしい世界への変容のプロセスだと言われていますがその節目となる時期を過ごすのは、セドナか、それとも別の場所なのかそれともニューヨークなのか?何年もの間、事あるごとに、おさむと話をしてきました。そういういろんな思いがあって、今回はどうしてもセドナに行くとも、行かないとも、決断できず。いつも旅は、わくわくするから行くわけで、そこに迷いはないのでわざわざキネシで身体に聞いたりする必要はないのですが今回は、なぜかわくわくという直感としてやってこない。そういう時は、何か導きがやって来るまで待つ、のですがだんだん日にちも迫ってきてすでに1週間の休みは取ってあるもののもう日程をはっきりさせないといけなくなりました。それで、私の決断を防いでいるものは一体何だろう?とキネシオロジーのセッションを行ってみることに。最初に身体は「セドナに行かない」と反応したので私が「あ~やっぱりセドナには行く必要はないんじゃない?」とおさむに言ったのですがおもしろいことに、その言葉を私が発した途端私の喉が急激にひりひりと痛みだし、あまりの痛さに一瞬、何が起こったのかわからず。急に風邪でも引いたかと思ったのですが「どうやら、セドナ、ホピ行きに対する抵抗がこの喉の痛みに関連しているらしい」ということに気づきました。私の声は、私にとっての真実だけを語る声なのですから私にとっての真実でないことを言った途端身体は「それは違うよ」と訴えてきたのだなあと。最近、おさむも私も、意識と身体がますます直結しているのを感じているのですが、こんな風に、即応答するのもおもしろい。そこで、簡単なセッションを行ったのですが私が「セドナ行きを受け入れます」と言って、簡単な調整をした瞬間私のひりひりしていた喉は、すっかり治っていました。これまでいろんな変化は見てきたけれどそのあまりの激変には、さすがにびっくり。そしてセドナ行きに抵抗していたのは、私が自分のお役目を受け入れることに抵抗しているからだ、と出てきました。何となくはわかっていたのだけど、まだどこかで抵抗していたんだなあ。日々、いろんな方々を「がんばらないで、楽にハッピーになる」そういう意識に向けて、ヒーリング、調整している私自身ががんばってお役目果たしていたのでは、仕方ないわけでだからこそ、そこに抵抗もあったのだけどどうやら私の魂は、がんばらず、でも、お役目を受け入れることを求めているらしい。まさに「がんばらなければ、という思いも不要なら、がんばってはいけない、という思いも不要」なのですよね〜最近、あまりにも出会う方たちが「がんばりすぎて、本当に魂が望んでいる方向を見失っている」ことが多いので逆に私は反対の方向に行こうとしすぎていたのかもしれないなあ、去年、セドナのマリアさまから頂いたハートの石を見ながらそんなことを感じました。そんな経緯があって、今回ようやくセドナ、ホピに行くことが決まったのですが先日、ちょうどセドナでアイルさんにガイドしてもらっていたちかちゃんから「アイルさんから話を聞いて、自分も参加したいのだけど車が運転できないので、一緒に行かせてもらえないか?」とメールがありました。たぶん、普通ならお断りしたと思うのですがちかちゃんは、私のレイキのクラスも受けてくれて毎月のようにキネシオロジーのセッションに来られている人でクライアントさんというより、息子のような、妹のような(?)存在だし今回のアイルさんとのタイミングでこうなったというのもあって喜んで一緒に行くことに。セドナで他の人と一緒というのも楽しそう♪ということで、今回は3人の旅になったのですがせっかくなら、もう一人、一緒に行けたらいいのになあと。もしも、ホピでの祈りのセレモニーに興味があって参加したい方がいらしたらお知らせください。ホピへは12月20〜22日滞在。セドナは、私たちは18〜20日、23〜25日まで滞在します。(20日までにセドナまで自力で来れる方もしくは18日のフェニックス到着に同じ時間に来れる方)「スピ体験したいです〜♪」みたいな期待には、添わないかもしれないので一切の期待を手放し、極寒のホピで祈りたい方。(って、そんな人いないか Sounds like 修行だものなあ)ヒーリングのために行くわけではないのですでにある程度のヒーリングができている方。(毎日を心からハッピーに生きている、ハートに従って生きている、という意味で)そして、何よりも、新しい時代へ向けてホピの民とともに祈り、祝いたい方。もちろん、どこにいても、意識でつながっていれば、同じこと。それぞれにとって必要なプロセスを体験していきましょうね。
2012年11月13日
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時々、クライアントさんからの質問や話の中でヒーリングは、辛い大変なプロセスを経なければならないと思っている人がいることに気づきます。過去のトラウマや傷とちゃんと向かい合ってこそ、癒されるとかその時の感情を再体験しなければならないというように考えてしまうのですね。例えば「最近、ちょっといいなあと思う男性が出てきたのだけど少し前に別れた彼との心の痛みがまだ残っていてそんな状態で、新しい彼とつきあっても、よくないのではないかしら?ちゃんと前の彼との心の傷を癒してからでないと」などと考えてしまう人がいるのです。これはセッションによっても、人それぞれでも違いますが私のキネシオロジーのセッションでは、こういうケースで前の彼との傷を癒す、というよりもさっさと新しい彼と新しい気持ちでつきあえるようになる(そのために不要な思い込みを手放したり、変容を受け入れる)という調整になる可能性が高いです。前の彼との傷を癒すことが目的ではなくこれからの自分がよりハッピーになることが目的なのですから。これも「がんばって」何かをしなければならないという意識の表れです。ヒーリングは「がんばって、辛い思いをして」やるものではなく楽しいからやるものなのです。キネシオロジーのセッションでは筋反射で例えば身体が8年前、と反応した時に「8年前に何かありました?』と私は尋ねることがありますがそれは、その時の感情や傷を思い出すためではなくその時の出来事から感じたことが、今の自分にどう影響しているか?を知るためであって例え、それを思い出さなくても別に問題はなく情報としてインプットしておくだけです。セッション中に必要な情報はすべて上がってくるのでそれらをホルダーに入れるようにインプットしておいて、最後に調整する時に一気にそれらの影響を除去します。このプロセスは、IHヒーリングでもマトリックスエナジェティクスでも同じなのですが、ヒーリングのプロセスの中でわざわざ過去の痛みと向き合う必要はないのです。(向き合うことが楽しければ、向き合ってもいいけど)もちろん、セッション中やセッション後にその時の感情がこみ上げてきて、涙が出てきたりすることもありますがそれがいいとか悪いとかいうことではなくそれは一つのプロセスに過ぎないということ。だいたいインナーチャイルドのセッションでは、クライアントさんも私もよく泣きますが(インナーチャイルドの場合は、自分の意識とは別に自然に泣けてくることが多いからなのですが)全体的には、セッションでは笑って行うことの方が多いです。筋反射テストをしながら「こんな信念があるって、身体は言っていますけど?」と私が尋ねると「あ〜それ、あるある!!頭ではわかっていたのですけどね〜意識のどこかではそう感じていました」などという感じで、気づきを得ながら、プロセスは進んでゆきます。もっとも、もしその人が「私は幸せになれない」「私なんて誰も愛してくれない」「私は生きている価値はない」そんな風にあまりにも本来の自分を見失って、幻想に捕らわれてしまっていれば最初の頃のヒーリングのプロセスは楽しいだけではないかもしれません。私もセッションを行いながら、まるで毛玉のようにからまった信念体系のどこから外していけばいいのかしら?と思う時があります。思考がハートから離れてしまっていれば自分の思考が生みだした幻想の中に浸りきってしまって自分の本来の力を完全に忘れてしまっているからです。だから、今の現状が自分が作り上げた幻想だとはとても思えないし変えることができるとも思えないのです。でも、それでも何回かのセッションで、必ずふっと抜けてくる時がやってきます。最近は、顔を見れば、その方が今、どの状態にいるのか何となくわかるようになってきたのですが、実際は顔そのものではなく伝わってくるエネルギーが変化するのでわかります。そういう時は、その本人も自分の内面が変化すれば現実(と思っているもの)も変わってゆく、ということを実感し始める時。そうなると、もうヒーリングのプロセスは毎回、感動と喜びになってくるのです。私のところに、どんなに重い病気の方がやってきてもまた精神錯乱状態の方がやってきたとしても自殺願望のある人がやってきても私にとっては、ヒーリングのセッションはすべて喜びと祝福であってそれはどんな方が来られても変わりません。クライアントさんが潜在的に持っている力、本当の力を私は完全に信頼しているしそして、私自身の持っている力も完全に信頼しているのでその方の表面的に見えているものに惑わされないからです。ヒーリングに対する捉え方は人それぞれですが私にとってはヒーリングは「辛かったことを癒すこと」ではなく本来の自由で幸せな自分に戻してゆくこと。魂レベルの自分の導きのままに生きてゆくために行うことです。だからそういう意味ではヒーリングが必要でない人はいないと言えます。完全に魂レベルで生きている人は、とても少ないですから。(別次元ー魂レベルで見れば、ヒーリングが必要な人は誰もいないのですが)ヒーリングはただただ喜びなのです。
2012年11月10日
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昨日、今日と何人かのクライアントさんからの連絡で停電だったところも、電気が戻っているとのことで水も復旧したとのことで、ほっとしています。ある方からのメールで「水がトイレのタンクに溜まる音を聞いて、嬉し涙が出ました」というのを読んで、その光景を想像しただけで、私までジーンと来ました。電気もそうですが、特に水が充分にあるというのは本当に本当にラッキーなことだなあと。私も以前、ペルーの水道も電気もないジャングルから戻って熱いシャワーを浴びることができた時例えようもない幸せ感を感じたことがありますが普段、ごく当たり前だと思っていることの有り難さを感じることができるというのも、この人生の祝福だと言えるかもしれません。私は今でも時々、シャワーを浴びる時や水を飲む時に、その幸せ感を感じます。地下鉄も全部ではないですが、4番5番やDラインがマンハッタンからブルックリンまで開通したのでマンハッタンに住んでいるクライアントさんも来られるようになりほぼ通常通りになりました。私もあと2週間ぐらいは休みなしですが、サンクズギビングの前ぐらいからは週1で定期的に休みを取ることができそうです。よくみなさんに「そんなに休まなくてよく元気でいられますね〜」と言われますが、大好きな喜びのお仕事をやっていることとあとは、けして無理をしないので、元気でいられます。ちょっとでも何かを感じれば、自分へのヒーリングを行いますしセッションが立て込んで入っている時には他のことをできるだけしないようにしています。ご飯も作らないで、外食したり、おさむに作ってもらったり。クライアントさんで来られる女性の中には、結婚していても外で働きながら、家の中のこともほとんど自分がやろうとして知らずしらずのうちに無理をしている場合があります。すべてをやろうとせず、力を抜けるところは思いっきり抜く。頼る、任せる、できるだけ遊ぶ(クリエイティブではない遊びをする)私にとっては、これがパワーとクリエイティブの秘訣かも。最近はすっかり「ケアできる男」に生まれ変わったおさむが買い物も洗濯もやってくれたりするので、さらに楽ちん。少し前に「洗濯もやってあげるよ」とおさむが言い出した時にはほんとうに人はここまで変わるのだなあ、としみじみ。昔は全く人のケアなんてしようとしなかった彼だったのでとても考えられない変化です。洗濯や家事は、女性がやること、これは、理屈の上での女性らしさであって本当の意味での女性性とは関係ないなあと。大切なのは完全に守られ、ゆだねることができているという意識です。(と、私は昔から理屈の上での女性らしさもなかったかも)さて、なんだかんだで、今年も残り2ヶ月弱なんて信じられない早さで、過ぎ去ってゆきます。ドランヴァロが新しい本「The Mayan Ouroboros The Cosmic Cycles Come Full Circle」を先日リリースしたので昨日、Kindleでダウンロードして読み始めたばかりですがこの時代の私たちの急激な意識の変化が、時間を早く進めていると書かれていました。ドランヴァロ曰く、シュメール文明が始まった頃、6000年前ぐらいから1900年ADぐらいの学びを私たちは1900年〜50年の間に行いそして、それはどんどん加速して、現在の私たちは毎週、数週間のうちに6000年分ぐらいの学びを行っているのだそう。数週間で6000年分の学び、というと、かなり大げさな感じはしますが確かに、私もおさむも、私の周りの方たちを見てみても昔の時代なら、一生かかってもできないような学びを一気に進めているような感じがあります。それぞれ身体の不調や精神的な問題やその他の問題を通じて自分の内面と向かい合い、変容することを魂レベルで求められている時なのだなあと。そして、それができる時代なのですね。2012年12月21日。25625年に一度、地球と太陽と銀河の中心が一直線に並ぶ日。まだ具体的な予定は決まっていませんがこの日の前後は、私とおさむはセドナで過ごす予定でいます。この新しい時代への大切な時をハートに従って過ごしてゆきますようにサントリーニ島のフィラにて。新たな時代へのゲート。
2012年11月04日
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今回のハリケーンはニューヨークに予想外の大きな被害をもたらしたのですね。私の住むブルックリン、サンセットパークの近辺は全くといっていいほど被害もなく、停電もなかったのですがマンハッタンやニュージャージーでは、まだ数百万世帯が停電だそうで、何人かのクライアントさんに伺ったところダウンタウンに住んでいる方やオフィスがある方は電気もなく、水も止まっているとのことで、とても大変な思いをされていました。また流通も滞っているため、食料品店はほとんど物がなく不自由なことになってしまっているそうです。停電は明日の土曜日まで続くのだそう。しかも、ここ最近は寒くなってきたので暖房もなければ、とても過ごせないかもしれません。避難所や友人宅に避難されている方も多いようですが電気や水が供給されていることは本当にありがたいことだなあ、としみじみと感じます。地下鉄は限定された場所だけ動きだしましたが、今回のハリケーンでマンハッタンとブルックリンやニュージャージーをつなぐトンネルに大量の水が浸水しているので、それを修復するのに時間がかかるとのこと。バスも限定的に動いているものの、道は車でかなり混雑しているようです。こういう時、私は出勤する必要がないので家で、ごく普通通りの生活を送ることができることは、とてもありがたいです。何人かのクライアントさんは、マンハッタンやクイーンズから地下鉄しかないので来られませんが、ブルックリン在住の方や自転車や車を持っている方などはここまで来てくださっているので今のところ、1日二人ぐらいのセッションは行うことができています。食料品は、普段はマンハッタンまで地下鉄で出かけるのですがハリケーンの後からは、おさむが自転車でブルックリンのパークスロープまで買いに行ってくれています。おさむは仕事も休みでここ数日家にいるので、夕食も彼が作ってくれるし何だかこのハリケーンで、私はいつも以上に楽をしている感じです。さて、先日、私は自分自身のためのセッションをいくつかやったのですがその中の一つに「お腹が空いても元気でいる」ための調整がありました。これはたまたま台風が来ることを知る前のことでこれに備えてやったわけではなかったのですけれどね。私は昔からお腹が空くと、胸がどきどきしてくる人なのですがなぜか、断食する、と最初から期間を決めて食べない時は大丈夫だったので「飢えることへの恐れ」がどこかにあるのではないかなあと思っていたもののこれまで調整する機会がなく。以前はIHキネシオロジーのセッションをやっていて、私のお腹が空いてくるとクライアントさんの身体は「セッションができない」と反応してしまうのでセッション前は毎回食べていたのですが筋反射テストの方法を今の方法に変えてからはお腹が空いても問題なくセッションができるようになっていたので今回、セッションをスタートしてその問題が上がってくるまですっかりその問題を持っていたことさえも忘れていました。予想通り、その原因は脳の扁桃体にあり3歳までの感情にありました。私が3歳までにお腹が空いて、大変だったことがあったのかそれとも母の感情を受けたのかわかりませんが扁桃体に埋め込まれていた「飢えることへの恐れ」それがお腹が空くと、作動してしまっていたようです。こういう人は食べ物やお金を溜め込む傾向にあるのですが私の場合は溜め込む性格はなく、普段から全く備蓄はしていない状態。「いざとなったら10日間ぐらい断食しても死なないし何がなくてもなんとかなる」という気持ちでいるのが不思議(とはいえ、少しは備蓄した方がいいと思いますが)でも、おもしろいことに何かがあると身体は溜め込もうとして便秘になるのです。頭では断食しても大丈夫なことがわかっているので物質的には溜め込まないのですが身体は無意識に緊急時に備えて、溜め込もうとするらしくこれまで私が旅に出ると便秘になってしまうのは、そのあたりにあったようです。この調整の後、どのぐらい空腹に耐えれるかを試してみたのですがかなり長い間食べなくてお腹が空いても胸がドキドキすることはなくなり、いい調子です。今回、私たちは食料が不足しているわけではないですが何かの時に備えて、空腹に強くなっておく、というのは必要だったなあと。また、これは先日、おさむにも他のクライアントさんにも行った調整だったのですがストレスに対する力を高めるための調整。いつもとは違う状況では、ストレスがかかりますが例え同じ状況でも、人それぞれ感じるストレスは違います。もちろん、なるべくストレスにならない状況を選ぶことも大切ですが避けれないストレスがかかった時に、それに対しての免疫力を高めておくことも必要。おさむの場合、ハリケーンがストレスではなく新しいイベントやライブを始めるのがストレスになっていたので調整したのですがこれは、IHヒーリングでは副腎、脳下垂体、視床下部のホルモンのシンクロニシティを高めるという身体の機能的な調整になります。もちろん311の時のような、魂を揺さぶるような大きな事件に合った時はほとんどの人は、身体的、精神的、感情的、エネルギー的にかなりのヒーリングを必要としますが災害のための対策は、何か物を備蓄したり、状況を整えることだけではないなあと感じます。ある程度の状況でも、冷静で心が穏やかでいられる状態。人とのコネクションがちゃんとあって、いざという時に助け合える状態。そして、他からの影響を受けないこと、しっかりとグラウンディングしていることも含めていろんなレベルでの準備なのだなあと。今回ニューヨークにお住まいで大変な生活を強いられている方々がどうか1日も早く、いつもの生活に戻れますように。
2012年11月02日
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