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ニューヨーク、一昨日のハリケーンは私たちが住んでいるエリアは、少し風が強いぐらいでそれほど雨もなく庭の草木もあまり荒れていない状態だったので、わからなかったのですがマンハッタンやブルックリン、クイーンズの一部やニュージャージーの方では、川が溢れて洪水のようになったり地下鉄のトンネルが浸水したりで、停電になったりで、大変だったようです。地下鉄はおとといから今日も止まったままです。でも、今日の午後からの予約の方たちはそれぞれ車や自転車で来られるということでセッションも再開できそうです。一昨日、昨日と私にとっては、本当に久々に家での2日続けての休みとなりました。旅以外での連休は、たぶん今年に入ってからは初めてかも。昨日は、ずっと描こうと思っていた絵の制作にとりかかることができてしばらく忘れていた喜びに浸っていました。さて、ハリケーン当日だった一昨日急におさむが歯が痛みだし、激痛だというので急遽、IHキネシオロジーのセッションを行いました。以前、私の方は、歯の痛みのためのセッションをやって以来もう痛むことはなくなったのですが、おさむの歯についてはセッションはやっておらず。あの時は、おさむとのエネルギーコードがつながっていておさむの歯の痛みを私も受けていた状態だったのでエネルギーコードを切ったのですが、肝心のおさむの方は歯医者に行った後、痛みがなくなったというのでセッションをやっていませんでした。例え歯の痛みであっても、歯医者での治療は本質的な問題を解決しないのだなあと。それで、セッションをスタートしたらこれが予想以上にディープな問題とつながっていて3時間ぐらいかかりました。1日オフの日だったからよかったもののおさむの身体は、無意識に私がオフの日を狙って痛みだしたのかしら?と思うぐらいタイミングがよかったです。最初におさむの身体が反応したのは、7、8年前、そして16年前、そして18年前。おさむに聞いてみると16年前は、はじめて歯が痛んで歯医者に行った年なんだそうで、その年から歯の問題が始まっているようです。そして18年前は、おさむがひたすら音楽に明け暮れはじめた頃。7、8年前は、おさむが「もう音楽なんてやらない」と一時期、音楽をやめていた頃です。今回、歯の痛みが始まったのは、おさむが一昨日に久々にレコーディングをスタートしてすぐだったこともありおさむの歯の痛みと、音楽の問題は深く関わっているということがわかりました。それでいろいろ調べていってわかったのが18年前頃は、おさむはそれこそ「歯をくいしばって」がんばっていた時期で、朝から夜まで練習にあけくれていた時期でした。歯の痛みと「無理すること、がんばること」は非常に関連していて例えば、何かをがまんしていたり、無理していたりすると無意識に顎関節や歯に力を入れている状態になります。特に寝ている間などに、顎関節に力が入ってしまう人はよくいます。それで、それが16年前に歯の痛みとして出てきたわけです。それから、7、8年前は、おさむが「もう音楽をがんばるのは嫌だ」と1年半ぐらい全く音楽をやめていた時期でしたがそれから再び音楽をスタートし、以前とは違う形で楽しみながら音楽と関わることができていました。そして、今回の歯の痛みのきっかけは、先週の土曜日、おさむの歯が痛みだした前々日にありました。この日、私は会話の流れで「もっと音楽をどんどんやっていけばいいのに〜。もうおさむはすべてを持っているのだから、後は行動のみよ」とおさむに喝を入れるようなことを不用意に言ってしまったのです私としては、おさむをはげますつもりで、特に他意はなかったのですがこの私の言葉が、おさむの中の、昔持っていた思いや感情を呼び起こすことになってしまっていました。音楽を情熱を持ってどんどんやっていきたいおさむの中にはそういう意識と同時に7、8年前に、音楽にがんばることに疲れてもうそんな風にがんばりたくないと思った意識もあり一方では情熱を持つことに抵抗している思いもあったのです。情熱を持って行動したい、という思いそれと同時に昔のようにがんばりたくない、という思い。おさむがレコーディングをスタートして、急激に歯が痛みだしたのはそんな彼の複雑な思いを、身体が感知して知らせてくれたのでした。は〜不用意にアドバイスなんてやってはいけないことは充分にわかっていたのですがまさか、おさむがこんな思いをまだ持っていたなんて。逆に言えば、今回のことで、おさむがまだ潜在的に持っていたものを呼び起こし、問題があることがわかったのでよかったとも言えるのだけど。ということで、このセッションの目標となったのは歯の痛みを取り除くことの他に「音楽に対してリラックスしながら、情熱を持ってやってゆく」ということでした。セッションで出てきたのは「記憶の部屋」おさむのそういう想いは、肉体的には歯に記憶されていたのでした。この調整には、おさむの身体はありとあらゆる調整法を要求してきて彼が抱えていた思いの深さを感じました。ようやくセッションが終了し歯に関する、このセッションの統合期間は1日と身体が反応した通りに次の日には、おさむの歯の痛みはなくなっていました。音楽に関する統合期間は3週間なので、おさむの潜在意識が完全に変化するのはまだかかりそうですが、自然と統合されてゆくでしょう。そして、これもたまたま偶然というか、シンクロなのですがこの日のセッションの後、おさむが疲れて眠ってしまった後に私はなぜか思い立って、昔のメールの整理をしていたのですがちょうど、おさむが7、8年前に私に送ってきたメールを見つけました。それにはそれまで、私と誠実に向かいあうことができないことへの謝りでも、自分でもどうしていいかわからないこと、何年かかれば、自分は人間的に成長できるんだろう、という不安。そんなことが綴られていて「俺には理屈では愛とか信じる事とか知ってるけど愛する事や信じる事を恐れて小さくなってる気がする。誰にも必要とされてないと思う時、その時が一番空しさを感じる。音楽もその空しさの前では全く意味を成さない。今はもう自分がいかに人として愛する事を学んで行けるかその事が音楽をする以前に重要な事」と書かれてありました。こんなメールをもらったことも、すっかり忘れていたのですがその頃の私との関係における想いも、彼の音楽との関わりにおいて様々な影響を与えていたのだなあと。そして、私もあの頃は、何とかおさむのハートを開かせようとしてがんばっていたことも思い出しました。(そんな風にがんばってみても、結局、おさむの潜在的に持っているものを変化させない限り、無理だったわけですが)そして、このメールを読んだ後、気づいたのですがおさむの潜在意識の中では、音楽に対して情熱を持つことと孤独でいることがつながっていたのではないかと。あれから7、8年経った今彼はちゃんと私と向かいあうことができるようになったし私だけでなく、いろんな人から愛されていることを感じていてハートは開いているし、本当に別人のように変わったことを感じます。だからもう、例え音楽に情熱を持って取り組んだとしてもけして昔に戻ることはないのです。今回のおさむの調整は、情熱を持ちながらも、がんばりすぎない、無理しないでやってゆくという、とても繊細なところを魂は求めてきたわけですがその人の癒しが進んでくればくるほど、微妙なバランスを求められます。魂にとっては「がんばらなければならない」という思いも不要なら「がんばってはいけない」という思いも不要なのです。大切なのは、自然にわき起こる情熱に従うということだけ。それにしても、毎回のように人の身体って素晴らしい。私たちが潜在的に持っているものをすべて見せてくれるのですから。さて、今日の午後からのセッションではどんな物語が出てくるのかしら。これから、一緒に旅してきます〜
2012年10月31日
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今日のNYは台風のため、昨日の夜7時から地下鉄など公共の交通手段は全面停止しています。今は、だんだん風も強くなってきましたが、昨日の夜はまだほとんど風もなかったのですがこちらでは、万全を期して早めに対応するのですよね。ということで、昨日の夜7時からのセッションはキャンセルとなり、久々に早くセッションが終わったのでおさむと家でituneでダウンロードして映画を見ました。『The Fountain』(邦題『ファウンテン 永遠に続く愛』けして、おもしろいから見てみて〜とお勧めする感じではないのですがとても印象に残る映画でした。右脳的に見ると、ストンと落ちてゆく感覚はあるのですが理屈というかストーリーとしては意味不明かも。3つのステージが同時に入り交じって展開してゆくのですが一つは、医師であるトムが不治の病で死に瀕している妻のイジーを救うために必死で新薬を開発しようとしているというお話。もう一つは、イジーの書いた小説の中の話で16世紀のスペインの王国の女王(イジーの前世的な存在)が親愛なる部下のトーマス(トムの前世的な存在)に、永遠の命を得るためにマヤの生命の木を探すように申し付け、トーマスは命をかけて戦ってゆくというお話。そして、もう一つは、丸坊主にした(未来の?)トムが生命の木を守りそこで祈り、ともに宇宙空間の中で生きているという不思議なお話。時代的にはずれているわけですが、一方でこれらは同時に存在していてまさに過去と現在と未来は常に同時に存在しているという感覚です。例えば、イジーがトムを誘って、雪の中の散歩に誘うのですが薬作りに必死で、焦っているトムにとっては、そんな時間ももったいなく思わず「いいかげんにしろ」という感じで怒鳴ってしまいそれを見たイジーは、悲しく一人で雪の中に出て行ってしまいます。もうあちらの世界に行く覚悟はできているイジーは残された時間をできるだけ二人で過ごしたい、今、この瞬間を精一杯生きたいと願っているのに対してトムは、イジーがこの世を去ってしまう恐れに捕らわれてしまって今のイジーと向かうあうことができないでいるのです。イジーにとっては、永遠の命、つまり肉体は去っても二人はずっと一緒である、と感じているわけですがトムにはそれを感じることはできません。でも、トムはもちろんイジーを深く愛しているから必死に新薬を作ることに没頭しているのであってイジーはそういうトムの愛もよくわかってはいるのです。例えば妻の方は、お金や仕事より、そばにいてほしいと願っているのに夫はこれは家族のためなのだ、と一生懸命働いていて彼女と一緒に過ごそうとはしない、そのために二人の心がすれ違ってしまう、女性にとっては、理解できないし男性にとっても理解できないこういう女性性と男性性が相容れない形になってしまう場面は見ていて苦しくなります。女性性は感性であり、男性性は理性。それらが上手く溶け合うことができた時愛は完全な一つのものとなるのだなあと。この雪の場面は何度か出てくるのですが、トムが未来の自分を通じて、本当の永遠の命とは何か?に気づくことができた時過去に意識を戻し、イジーの散歩の誘いを受けて、雪の中に入ってゆきます。するとスペイン時代のトムも、そして未来のトムも同時に変化するのです。私のIHキネシオロジーのセッションの中で前世のことが出てくる時は前世の影響を受けて、今に何らかの影響を与えているものを手放し本当の意味で、今の人生を生きることができるようにしてゆくのですがそのセッションの最中に、今が癒されると同時に前世も癒されているそんな風に感じることがよくあります。その時ヒーリングされているのは、クライアントさんの今であり同時にそのクライアントさんの過去と未来でありあらゆる次元なのです。映画としては、ちょっと重い内容ではあるのですが映像もきれいだし、このぶっとんだ感じ、私は好きです未来のトム、というより、イジー亡き後のトムの心の動きを表した場面はトムは坊主で座禅だし、カンフーみたいな動きもやるし宇宙に浮いているし、で、普通の見方としては意味がわからない感じですがたぶん、私たちの未来の世界では、いろんな文化や哲学が混じり合ってくるでしょうし違和感は感じませんでした。本当の意味での永遠の命。スペイン時代のトムが生命の木の樹液を飲んだ途端身体から草花が生えて、大地に還るシーンがあるのですが私たちはみんな土に戻ってゆき、土から生まれてくるという古代からのネイティブの教えだなあと。もうすぐやってくると言われている女性性の時代は、そういった感性の時代。この映画から伝わってくるエネルギーは何かそういう新たな時代への啓示のように感じます。ただ一つ、これは個人的な好みになるのかもしれませんがこのストーリーの中で、スペイン時代の女王の方は現代のイジーとは違って、永遠の命にこだわり親愛なる部下のトムにマヤの生命の木を見つけることを申し付けるわけで、男性が女性への愛のために命をかけるという意味ではシンクロしているもののここは女性性の感性や叡智が現れていないように感じてしまうのでここのストーリーがちょっと違えばよりシンクロ感とか、過去と今と未来が連動している感じが伝わるのになあ、などと感じました。さて、この映画をコンピューターにダウンロードしている間ちょっと時間があったので、私のIHキネシオロジーのセッションをやりました。軽く体調を整えようという気持ちで始めたのですが、意外にもディープな内容で、私の前世に関することでした。映画を見る前は、内容を知らなかったのですが後から見てみると、おもしろいシンクロだなあと。基本的にグラウンディングができていれば、前世の問題が出てくることはほとんどなくなるのですが、まれに出て来ることもあります。その内容に関しては、ちょっと不思議な感動だったのですがまだ結果もよくわからないので、しばらく様子をみて、またご報告いたしますね。だんだんと風も強くなってきました。今日も地下鉄は動いておらず、今日の予約はすべてキャンセルとなりました。こういう時、びっしりと予約が入っていると、他の日に振替するのが難しいので、もっとスケジュールに余裕がないとなあとつくづく思うのですがとりあえず、今日は絵を描いたり、ヨガをやったりでのんびり過ごそうと思います。どうぞNYのみなさまは、Stay Safeにお過ごしくださいますように
2012年10月29日
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シンクロなのか、そういう時期なのかわかりませんがこの2週間弱の間に、IHキネシオロジーのセッションに来られた方の中で正確には数えていませんが、確か8人ぐらいの方(の身体ー魂)が選んだその日の優先テーマは「楽に人生を生きること」でした。以前から、よく出てくるテーマですがなぜか、先週、今週はこのテーマが頻繁に出てきています。世の中には、苦労が好きな人がほんと多いのですね~楽に生きたり、楽に幸せを受け入れることを潜在的に拒んでしまっているのです。これは、年代とともに増えていく傾向にあって私と同じかそれ以上の年代の人は、非常に高い確立で持っている信念体系です。たまに30代の方にも見られますが。アメリカで長い間、女性で一人で仕事してきた方の多くは持っていますし小さい頃から家庭環境などで、苦労してきた方も持っていることが多いです。楽に生きれない理由としてよくあがってくるものをあげてみると☆苦労をしてこそ、人として価値がある☆人生は苦しいものであって、楽に生きれるはずはない☆楽をしたら、人から認められない☆楽をしたら、成功しない☆楽にお金は稼げない☆楽に生きることを受け入れたら、自分が怠けて、何もしなくなるような気がする☆苦労を乗り越えてこそ、幸せになれる(目標達成型人生)☆人や社会に貢献するためには、苦労が必要だ☆幸せの後には、不幸がやってくる(だからはじめから、幸せを受け入れないようにしている)などなど。私たちは、大変な苦労して、最後には成功した人の話や困難を乗り越えてきた人の話好きなのですよね〜。それが、苦労している=人間的に価値があるという図式になってしまうようです。このプログラム『楽に生きたくない病』を持っていると本人の頭では、幸せになりたいと思っているのにも関わらず様々な困難を無意識に生み出してゆきます。ある病気になって、それが治ったと思ったら、また別の病気になるまたは、人生の中で次々と困難が出でくるというような方の中にも、この信念体系が多く見られます。宇宙は私たちの潜在意識に持っているものをすべて望み通りに叶えてくれるので苦労が好きだと、人生は苦労の連続になってゆくのです。自分自身に楽することを許していない人は他人の「楽」も許しません。そういう方は、仕事場で、楽しているように見える人要領よくやっているような人に対して怒りが湧いてくるという方も多いです。また仕事だけでなく、例えば、恋愛でもなぜか自分が選ぶ男性はみんな問題がある人ばかり、などというのもこのプログラムが関わっていることがあります。その恋愛に乗り越えるべき困難がある時は、燃えるのだけどようやくその困難を乗り越えて、幸せになれる時になって何だか醒めてしまった、などということになってしまったり。また、このプログラムを持っている人の多くが☆他の人に甘えたり、頼ったりせず、自分一人でがんばらなくてはいけない☆完璧にやらなければならない☆一度何かをはじめたら、途中で投げ出したりせず最後までやらなければならない☆責任感を持ってやらなければならない☆正しい生き方をしなければならないなどの信念も同時に持っていることが多いのでさらに、人生は困難になってゆきます。(「完璧主義、正義感、責任感」この3つを「人生が困難になる3セット」と私は呼んでいます)楽に生きるというのは、別に家でだらだら過ごすとか南の島でのんびりする、とか、そういうことでなく自分にとって、本当に喜びとなることだけをどんどんやっていくということです。目標達成のために、または誰かのために、生きるのではなく今、自分が本当にやりたいことをやってゆく、ということ。正しい生き方、ではなく、喜びを感じることができる生き方を選択するということです。また、楽に生きれない理由として、お金の問題があがってくることもよくあります。潜在意識の中で、自分の無限の豊かさを信頼していないので苦労しなければ、お金が得れない、という信念体系ができているのです。そうなると、当然、苦労しなければお金を得れない現実がやってきます。ほんとうに宇宙は私たちのお望み(意識)通りに叶えてくれるのですよね。最近は、意識が現実を創っている、ということをわかっている方も多いのでそういう方は、セッションでの調整も比較的スムーズにすみますが中には、「楽をしたら、今の仕事はやっていけなくなります!」と強力に抵抗する方もいらっしゃいます。こうなると潜在意識を変えるだけではなく顕在意識を変化させないと、どうにもならないのであれこれと、私がその方の身体の声を代弁して、説明することになるのですが1回のセッションでは、なかなか変わらないこともあります。そういう意味では、スピリチュアルな本をいくら読んでも頭で理解しているだけで、実際の潜在意識は変わっていないことがほとんどですが、例え「頭で理解しているだけ」でも全く理解していないよりはいいと言えるかもしれません。(とはいえ、スピリチュアルの本を読んで逆に必要のない信念体系を生み出してしまっているケースも多いので何とも言えないですが)ということで、楽に生きるということの本質が上手く伝わるかどうかわからないのですがこれは、けして、がんばることがいけない、ということではなくそのがんばりが自分にとって心から喜びをもたらすものであったらそれでいいわけです。喜びのがんばり、は魂はウェルカムでも苦しいがんばり、は必要ないのです。こんまりさんの言葉を借りれば「ときめくがんばり」という感じかしら。例え「苦しいがんばり」をやっていても頭では「私はまだまだがんばりが足りない」と思っている人も多いので自分が「苦しいがんばり」をやっていないかどうかちゃんと自分自身に問いかけていく必要があります。(といっても「苦しいがんばり」をすることで得られるものがあると潜在意識で感じていることが多いので自分ではなかなか外せないプログラムなのですが)ということで、私は明日もまた「楽な人生、喜びのがんばり」でいこうと思います〜
2012年10月21日
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先日、ナッシュビルでのクラスを終えて、NYに戻る前日の夜のこと。クラスの間、英語づくめだったこともあってなんだか日本語の本でも読みたいなあ、と思いたち、ホテルでネットをいろいろ見ていて、ふっとあるサイトで目が止まったのがなぜか、お片付けの本。「人生がときめく片付けの魔法」近藤麻里恵著かなり売れて、ベストセラーになった本だそうなので読まれた方も多いかしら?これが、アプリで読めるというのですぐにipadにダウンロードして読んでみました。たった9ドル(日本では800円)日本の本は、こちらで購入すると倍ぐらいの価格になるししかも、配達の日数がかかるのでアプリで、即購入して読めるのは、ほんと便利。しかも本を増やさなくてすむので、とても助かります。kindleもソフトをダウンロードすれば、ipadで読めることを先日、クライアントさんから教えてもらって、早速使っています。そして、そのほとんど娯楽として読んだこの本が、予想以上に素晴らしくナッシュビルからニューヨークの家に戻るやいなや洋服や本をクローゼットや本棚から全部ひっぱりだしその日の夜は、いきなり引越しのような騒ぎになりました。あ~ほんと、やりたいと思ったら最後、次の日のことも考えず、とめれないこの性格(←調整する気なし)私は、確か8年ぐらい前だったか「ガラクタ捨てれば自分が見える」の本を読んで以来不要な物は即処分の人なので基本的には、家のリビングやセッションルームはいつも片付いているしそれほど困っていなかったのですがそんな私でも、この本を読んで、目から鱗の部分がいろいろあり今回、かなりの量の物を処分しました。この本の著者、片付けコンサルタントの近藤まりえさん通称、こんまりさん曰く「片付けは毎日するものではありません。片付けは祭りです。一度祭りの片付けを終えたら、もう二度と片付ける必要はないのです」うん、片付けを「祭り」と表現するのはとてもクリエイティブで好きだなあ。祭りなんて言われると、それだけで片付けをしたくなってしまうのは私だけかしら。まず、洋服を処分する基準は、私は着なくなったら、とか古くなったら、という発想だったのですがこんまりさん曰く、ときめかないものはすべて処分。クローゼットに入れたままではなくすべて取り出して、一つ一つ手にとって、ときめくかどうか?しっかり自分自身に問いかけながら、感じていかなければ見えてこないと言います。私は服や靴はかなり少ない方ですがわくわくしなくてもたまに着るから、と取ってあるものがありました。片付けは幸せになるために行うのにときめかないものを持っていること自体が幸せな時間を過ごしていないということ。う~ん、納得。でも、私にとっては、アメリカでは私が着たい服はあまり売っていないので、この基準で厳密に選んでゆくとほとんど全処分になりそうな感じなので若干必要性で選びましたが。これから、ときめく服を買いたいなあ。また私にとって、今回取り入れてよかったのは衣替えをしないという前提で片付けるということ。確かに、冬でも旅行などでTシャツが必要な時もあるし季節の変わり目など、衣替えをしなければならないのは面倒だったりします。最初にときめかない服を捨てていったら季節外れのものをクローゼットの奥に収納しなくても余裕のスペースになりました。それで、これまで季節外れのものを入れてクローゼットの奥にしまっていた一番大きなサイズのスーツケースが空になったので、それも処分。この大きなスーツケース、以前12年ぶりに日本に戻った時に一度だけ使ったものでそれ以来一度も出番がなく、きれいなままだったので家の外に出していたら、誰かがすぐに持っていってくれました。物を捨てる罪悪感は、私と同じぐらいの年代の人やそれ以上の方は、多くの人が持っていると思うのですがこの罪悪感がゆえに、物にあふれて逆に本当に自分にとって、大切なものが見えなくなってしまい結果、本当の意味では、物を大切にしていないことになってしまうこんまりさんは、そう伝えます。幸いなことに、私の家から2ブロック先に不要な服を回収して必要な人に送るための大きなボックスが設置してあって、捨てる服は、そこに入れておけば誰かに送られてゆくので、少なくとも服を捨てる罪悪感は持たずにすみます。これまで本は、家の隅に箱をおいて「ご自由にどうぞ」と書いておくとセッションに来られた方が持っていってくれるのでほとんど処分できるのでそうしてきたのですがこの本を読んであらためて感じたのはそれは逆に誰かにとっては「不要なもの」を増やしてしまったのかもしれないなあと。(そういいつつ、またお持ち帰り自由の本を出している私ですが)こんまりさん曰く「モノたちは、「今のあなた」を幸せにしていないことを何よりも知っているのです。 なので、持ち主のお役に立てていないと思っているモノたちは外にでたいと思っているそうなんです。 今はもうときめかなくなったものを捨てる。それは、モノにとっては新たな門出ともいえる儀式なのです。ぜひその門出を祝福してあげてください。物たちの声を聴く、家に言葉をかけてゆく、物を送り出す儀式。など、まさに目に見えないものの世界を大切にするスピリチュアルな意識での片付け。すべてはエネルギーなのですから、閉じ込められている物たちが発するエネルギーはあります。処分することを、モノへの新たな門出儀式、セレモニーにしてしまうなんて素敵また、こんまりさん曰く、片付けする順番は衣類から始まり、本類、書類、小物類、そして思い出の品は一番最後にすることが大切なのだそう。思い出の品は、なかなか捨てるか残すかの判断が難しいところだからとのこと。私は何年か前に、デジカメ以前のアルバムの写真は気に入ったものだけ、スキャンでコンピューターに取り込んだ後、全部処分したのですが、1年ほど前に、そのデータを入れていた外付けのハードドライブが故障してしまいいつか修理しようと思いつつ、ずっとそのままになっていました。これまで、壊れた電化製品は即処分していたのにこのハードドライブは取っていたのは、ここに思い出の写真が入っていたから。それで、ようやく、先日それを修理に持っていったら修理代の見積もりが950ドル!100ドルぐらいで購入したハードドライブの修理代が950ドルだなんてあり得ないと思うのですがそれを聞いて、ようやく処分する決心がつきました。考えてみれば、例え、コンピューターに昔の写真を入れていたっていつか、その写真を見直したいと思ったかどうか。単なる気休めだったのだなあと。そう言えば、何年か前に、20年間書き溜めた日記帳を思い切って全処分したことがありますがそれからただの一度も、読み直したいと感じたことはありませんでした。今となっては、20年前どころか、数ヶ月前のブログの日記でさえ読み返すと、あ~これ削除しようと思えてくるので読まないようにしているのですから過去の自分が書いたものなんて、ほとんど興味はないのですよね。それから、素晴らしいと思ったのがこんまりさんの収納の仕方。クローゼットに洋服をかけるのではなく、たたむ収納です。これまで私も、たたむのは面倒クローゼットにかけておいた方がいいと思っていたのですがこんまりさんの教えるたたみ方をすると、確かに、なぜかたたみたくなる。アプリでダウンロードした本を読むとたたみ方の画像までついているので、よくわかります。こんまりさん曰く服を1枚1枚たたむという行為で、その服に感謝を示し愛情(エネルギー)を与えてゆくということ。そう思うと、たたむという行為がとても愛情溢れた豊かな時間になってゆくのが不思議。物と一つ一つ向かい合って、ときめくかどうか、で処分するかどうかを決めてゆく。そして、残したものを大切にしてゆく。それは、ある意味で、ヒーリングのプロセスと同じだと言えるかもしれません。「これは~~さんにもらったものだし」とか「これはいつか使うかもしれないし」「これはこの前着たばかりだし」などそういう理屈はすべて頭(マインド)に従った片付け法。でも、ただそれを持っていて、ときめくかどうか、の基準で選ぶというのはまさにハートに従ってゆくということ。こんまりさんは、片付けをいろいろ学び、研究し理論的にも理解された上で、最終的に「ときめくものだけを残す」というハートに従ったやり方にたどり着いたわけですね。だからこそ、単なる「片付け」がクリエイティブな領域にまで高められてきたのだあなと。考えてみれば、片付けコンサルタントなんて仕事が成り立っていってそれがクリエイティブを発揮できる仕事だなんて昔は、誰も思いませんでしたよね。アートや音楽だけでなく、どんなことだって自分が好きなことならばクリエイティブさを発揮できる、そういうよいお手本みたいな人だなあと。自分はクリエテイティブではない、自分には何も得意なことはないそう思っている人は、そう思い込んでしまっているだけのこと。実際、彼女も以前は、片付けのプロになるなんていう発想はなく「自分は何がやりたいのだろう。何が向いているのだろう」とずっとわからなかったのだそう。それが、自分が小さな頃から好きだった片付けを研究し極めていったら、多くの人に必要とされるものになっていったわけです。マインドではなく、ハートに従っていけば本当に自分にとって、大切なものが見えてきますね。この本は乙女チックな感じなので、男性にはどうかなあと思っていたのですが、おさむもこの本を読んで先日から、彼の持ち物の大片付け祭りが始まっております。(ふふ〜実はこれも狙い通りなのだけどね)←サクリャク、さくりゃく♪私もキッチンの棚の中にはまだときめかないもの、もあるので明日の夜はキッチンの処分祭りを行う予定です
2012年10月20日
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NYはすっかり寒くなりましたね。私は世間の話題から遠ざかっていますが、みなさまはいかがお過ごしなのかしら?ナッシュビルから戻ってから10日間やっとのんびりするかと思いきや、以前にも増して怒濤の日々が過ぎてゆきます。以前「何が何でも1週間に一度は休みを取る」と決めたにも関わらず見直してみれば、旅行以外で1日休みを取ったのは、8月21日が最後で来週にようやく1日オフの日があるので、2ヶ月ぶりです。(決めたことをすぐに覆すのは、私の欠点でもあり長所でもあるのだけどね)こりゃやっぱり、やりすぎかな~と思いつつも、なぜか止まらない。おさむには、あきれられているし、クライアントさんにまで心配される始末でヒーラーが働きすぎてどうするんだ、とも思うのですがここまで私がヒーリングを行うのは何だろう、と意識を向けてみるともちろん、すぐにセッションを受けたい人が多かったりすることもあるのですがでも、けして人のためや社会のためというだけではなく(それも少しはあると思うけどね)やっぱり、これは私にとって、最高にクリエイティブな仕事なのでひたすら喜びなのだなあと。ちょうど今日、クライアントさんで友人のKちゃんから『ヒーリングは究極のアートじゃないかしら?! アートよりもっと深く探れる』というメールがあって、そうそう、全くそうなのよと同じように感じている人がいて、うれしくなりました。Kちゃんもアーティストなのですが、最近、ヒーリングを行うことに目覚めてきた人でいろんなことを学びつつ、天性の才能をどんどん開いていっているので会うたびに、私の方がいろんな気づきをもらっている感じです。ヒーリングをクリエイティブなワークだと捉えていない人は例えば「〜〜のクラスを取ったら、ヒーラーやセラピストになれますか?」などと質問して来られたり「このクラスを受ければ、あなたもヒーラーとして開業できる」なんてうたい文句に、踊らされたりしてしまうのですがヒーリングは、会計の資格や自動車の運転免許などとは違うわけでアートと同じですからクラスを受けたからどうということではないなあと。何度か書いたように例えば、一度も絵を描いたことがない人が、絵のクラスを1週間取ったからといって画家になれる、とは普通は考えないでしょうしダンスを踊ったことがない人が、2週間ダンスのクラスを取ったからといってダンサーになれるわけでないのと同じように何かのクラスを取って資格があるから、ヒーラーになるというわけではなくヒーリングは、ヒーリングを行う人の存在すべてで行うもの。クラスを受けることも、何かを学ぶことも自分のクリエイティブさを高めるために行うことだと思います。逆に言えば、何のクラスを取ったこともなくても自分で独自のヒーリングワークを行うことができれば、それでいいわけです。だから「あの人のようになりたいから」いう理由でそれに向かっていったとしても、魂の導きに添うことはできないしどこかで行き詰まってしまいます。私たちはみんな何者でもない自分自身の人生を歩くためにここにやってきているのですから。これまで私もいろんなことを学んできましたがME(マトリックスエナジェティクス)であってもIH(インテグレイテッドヒーリング)でもブレインジムでもタッチフォーヘルスでも、チューニングフォークでもそれらは単にツールでしかないのです。それらを統合して、私独自のヒーリングを行っているので私と同じヒーリングを行う人は、世界に他には一人もいないですし1回1回のセッションには、これまで私が生きて来た中で感じたこと、気づいたこと、人生のあらゆることすべてが出てきます。同じ絵の具を与えられても、人それぞれ全く違う絵になるように例え、どんなヒーリングツールを持ったとしてもヒーリングは、その人それぞれで全く違ったものになってゆくのです。例えば、IHは素晴らしいヒーリング法なのですが最近、私にとって、これは不要だと感じているところはIHの中で取り入れられているNLP(神経心理言語学)正直、心理学は限界を生み出してしまうと感じます。(ヒーリングの初期段階では有効な場合もあるのですが)なので、私のクライアントさんはこのNLPを使った(マインドの)調整法をほとんど選ばないのです。それは、今の私の意識は、それを越えているからであって以前の私のセッションでは、出てきたこともありました。でも、それが限界となっていたことに気づいてからはそこから私のセッションは大きく変化してゆきました。当然のように、私の意識の変化とともに、クライアントさんの身体が選ぶテーマも目標も調整方法も変化してゆきます。それがクリエテイティブであるということ。だから、ハートに従って、クリエイティブにやっていくと多くの場合、その型にはまらない自分なりのやり方や方向性が見えてくるのだと思います。ヒーリングに限らず、あらゆる仕事はクリエイティブであることが必要なのではないかしら?与えられたことをその通りにやるだけだったら、機械でいいわけでクリテエイティブな存在であることは、私たちの魂の喜びそのもの。仕事がおもしろくないのはその仕事自体が、自分のクリエイティブさを発揮できない仕事であるかもしくは、その仕事の中で自分がクリエイティブになれないか。アーティストやヒーラーに関わらずクリエイティブであり続けることは、すべての人にとって大切なこと。子供の頃って、ほとんどみんながクリエイティブだったわけでそれが大人になって、決められたことを決められた通りにやってゆくようになってしまうなんて、ほんとつまんないですよね。私がイチローが好きなのもそのクリエイティブさだなあと。(ヤンキーズ負けてイチローがワールドシリーズに行くのを見れなくて残念だったけど)そして、大切なのは、やはりグラウンディング。グランンディングができていなければ以前の私のように、いくらクリエイティブであっても『アイデアだけ。イメージだけ』で終わってしまい具現化していくことが難しくなるのですよねということで、最近は新たなツールAcutonicが増えたのでこれをどう使っていくかまた、どういうテーマや目標の時に使われるかほんとおもしろくて「おお、すごい、ここでフィボナッチが選ばれるのね〜」などと心の中で一人感動しながらセッションを行っています。この感動を誰にもシェアできないのが、残念でもあるのですがアート作品を作り上げる作業の一部(またはすべて)は一人で行うことが必要とされるようにヒーリングもクラアイントさんと一緒に作り上げてゆくものでありながら同時に私一人で行う根気のいるワークでもあります。絵を描くのも、曲を作るのも、作品を作り続けなければけして自分なりのスタイルは見えてこないのですがヒーリングも全く同じこと。やり続ける情熱があることを才能というのだと私は思っています。おさむ曰く「のりこはヒーリングオタクだ』もうヒーリング中毒とでも、オタクとでも何でも言ってちょうだい。(あ〜とうとう開き直った?)魂が喜ぶことだけをやってゆきます〜(←やっぱ走っているのよ)
2012年10月18日
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ナッシュビルでのワークショップからNYに戻って、次の日からセッションを行っていますが早速、Acutonicチューニングフォークが調整法として、よく選ばれています。そして、フィボナッチヒーリングもやはり出てきました。一昨日行ったIH キネシオロジーのセッションの中でAcutonicとフィボナッチに関しての感想を頂いて掲載の許可を得たので、シェアさせてくださいね。ありがとうございます今日は本当に素敵なセッションをありがとうございました。久しぶりにお話しできて楽しかったし、新しい調整方法が2つとも出て来るなんて、本当にタイミングなんでしょうね。Acutoincはその調節する場所が開いてくる感じがして、特に丹田の所はムズムズしました(笑)。フィボナッチヒーリングでは音叉を身体に当ててもらって振動を身体に通している時、チャクラが動いてるのが分かったり色々なビジョンが観えたりしました。でも64カ所という沢山の場所を昨日の今日でもう使いこなす事の出来るノリコさんはさすがですね〜。「自分の本当の価値を受け入れ、存在だけで完璧であること」の目標が出た時やっぱりこれだな!!と感じました。頭(顕在意識)では理解していても、潜在意識が後少しだな〜と感じていたので、IHによって後押ししてもらいました。フラワーエッセンスも頂かなくても大丈夫だと身体はわかってるんですね。ノリコさんのセッションを受け、もう20回近くになりました。もう1年半前の自分がどういう意識で生きていたのかも思い出せません(笑)。本当に今、変容へのエネルギーの流れが速いのが感じられます。ノリコさんに出会えた事、ここまで来れた事、これから向かう所、本当に感謝以外にはありません。これからも、自分らしく多くの人に関わっていこうと思ってます。完璧である今を楽しみつつ、自分のワクワクする事を追求して成長していきます。これからもよろしくお願いします。フィボナッチヒーリングでは、Acutonicチューニングフォークの中でフィボナッチセット9本を、身体の経穴(つぼ)に64カ所当てていくのですが64カ所と言っても全部違う箇所ではなく、8X8のシークエンスになっています。理論的にはそれほど難しくないし、これ自体は慣れれば誰でもできるヒーリング法です。ただ毎回のシーケンスは、右左と立ち位置も変わりますし手と足の順番や、また二つのフォークを持つ手も変えるので最初はこのプロセスを学んだ時には、正直「あ〜こんな面倒なプロセス、IHのセッションの中では使えないなあ」と思いました。この64回チューニングフォークを当てなければ、フィボナッチにならずこれは省略できないので、このフィボナッチだけやってもそれだけで30~40分の時間がかかってしまいます。これだけ行うのならいいのですが、ただでさえ2時間30分ぐらいかかってしまう私のIHキネシオロジーのセッションの中では調整法としては、無理かなあと。でもやっぱり出てくるのですよね〜クライアントさんの身体は、私が何を知っているか、何ができるのか?ということを瞬時にわかっているので、身体が反応するのです。今回は、目標設定などは比較的すぐに決まったので時間的には問題なかったのでよかったのですが。この方は、IHキネシオロジーのセッションを何度も受けられてきてご自分でもいろいろと学ばれていらっしゃるのでここ1、2年でかなり変化されていて現在は、状況的にも内面的にももうこれといった問題はなく素敵な人間関係を築きながら、やりたいことをどんどんできている状態。なので、セッションが始まる前は、テーマもはっきりわからず「何が出てくるのだろうね〜」という感じだったのですが出てきたのは、とても本質的な問題で最後の一押しみたいな微妙な調整でした。スピリチュアルな本や何かで頭ではもうわかっていたことでも潜在意識の奥では、まだストンと落ちていなかったこと「自分の存在だけで完璧であるという感覚」行動や行為によってではなく、自分が存在しているだけで意味があり、すでに完璧なのだという感覚です。私たちが生まれてきた時には誰でも持っている感覚ですがほとんどの人は、時とともに失われてしまうもの。「自分はまだまだ足りない」という意識で何かをやるのではなく自分はすでに今の時点では完璧である、ということを感じつつわくわくすることをやりながら、変容してゆくということ。別の言い方をすれば、魂とのつながり。今回のセッションの目標が決まった時「あ〜フィボナッチ出てきそうだなあ」と悪い予感がしました。(ほんとはうれしい予感なのだけどね)フィボナッチヒーリングは、あらゆることに有効なヒーリングですが特にハイヤーセルフとのつながりを深めるのでこういったテーマにはこれからも出てきそうです。また身体的にもいろいろ対応できますが特に神経系、脳の問題などに有効なヒーリングだそう。フィボナッチセットのチューニングフォークを当てる経穴は、奇経八脈の経穴です。この奇経八脈は、すごい経絡なのだということを今回あらためて感じました。この奇経八脈にチューニングフォークを当てることで私たちのオリジナル細胞、八つの細胞を活性化しそして、その細胞の中心にあるという「Great Void」(日本語で言うと「大いなる無(空)」かしら)にアクセスできるということ。今回のクラスの中では、般若心経の教えについても出てきました。「すべての本質は空である」そこへのアクセスというのはつまりは、仏教的には悟りスピリチュアル的にはアセンションということになるのかしら。私たちの最も根源的なものへのアクセスを可能にしてゆくものなのです。ロンがこのフィボナッチヒーリングに人生をかけている、ということの意味もよくわかります。さて、フィボナッチ数列は1、2、3、5、8、13、21、34、55、89、144、と続いてゆく数列です。1+1=2 1+2=3 2+3=5というように、隣り合った数を足してゆくと次の数になります。植物や動物、人間を含め、自然の中にはこの法則に基づいて作られているものが多いのです。それは本当に宇宙の神秘であるし、「神」そのものだなあと。こちらの映像を以前にもご紹介しましたが短い映像ですがとても美しく、フィボナッチ数列を「右脳的に」感じれるのでぜひ、見られていない方は見てみてくださいね。http://www.youtube.com/watch?v=kkGeOWYOFoA数列の中で隣同士になっている数字の比律は数が増えてゆくにつれて、黄金律に限なく近づいてゆきます。黄金律は私たちの身体も、またあらゆるところで見られる比率です。(身体に関する黄金律に関しては、こちらの映像がわかりやすいかも)ロン曰く過去(最初の数)+現在(次の数字)=未来(その次の数字)つまり、過去を知り、それを現在の自分と合わせて新たな未来をクリエイトしてゆく。これはまさにヒーリングのプロセスだなあと。例えば、キネシオロジーのセッションでも何年前、というのに身体が反応してそれについて、何が起こったのか、その時どういう感情や精神状態だったのか?を探ってゆくことが多いのですが自分の中ではすでに「終わったこと」として片付けてしまったことでもそれは自分の潜在意識の中で無意識的にいろんな作用をしているわけです。それを知ることで、今の自分をより深く知ることになるしそれが新たな未来を作ってゆきます。それと同時に、現在は、過去と未来と切り離されているわけではなく過去と現在と未来は、常に同時に存在しているのです。もっとも、ロンの言うところの「失われた過去」というのはアトランティス時代にさかのぼるのですが。このあたりの話も、すごくおもしろいのですがそれはまたいつかお話することにしてこのフィボナッチが、これから私のセッションの中で、どう使われてゆくのか楽しみです(←やっと走るのをやめて歩いている感じ)
2012年10月12日
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さて、クラスの話からはそれますが、2日目にブレンダンがこの日、ラコタ族のエルダーがスウェットロッジを開くのでもし参加したい人がいたら、クラスが終了した後、一緒に行こうとクラスのみんなを誘ってくれました。久々にスウェットロッジでデトックスするのもいいな~と私も参加することに。ロンはスウェットには入らないけど、ギャザリングには参加するということでブレンダンと3人で持ってゆく食べ物をスーパーで買い出ししこの会を企画しているダナの家へ。その後、クラスメートのクリスティーナもやってきます。ダナの家には、ラコタ族のグランマザーを中心に25人ぐらいの人たちが集まっていました。そのうちスウェットに入るのは10人ちょっと。ファシリテーターは、ラコタ族のジジ。(じいさんという意味ではなく、ジジという名前)ジジは、有名なミュージシャンでもあるそうでこのセレモニーのために、別の州からもやってきている人が何人もいました。まずは、ジジのお話。この伝統的なラコタ族のスウェットについての説明。浄化と再生のセレモニー。そして母なる大地と父なる空への祈り。先祖への感謝。それから、ジジがホワイトセージで一人一人、浄化してくれます。入る時には、all my relations (すべての存在たちに)と言い、スウェットロッジの中で、パイプを回す時もそう言って回します。スウェットロッジの中に入ると真っ暗だけど、外から見るよりは広く感じられました。焼けた熱い石が、13個ぐらい、外から運び込まれセージが焚かれます。だんだん熱くなってきて、ジジが何度か「もし、今の時点で外に出たい人がいたら、遠慮しないで申し出てください」と伝えます。「途中でやめることは、けして恥じることではない」と、ジジは言います。がまんして倒れてしまうより、自分の身体を知って無理しない方がずっといいのです。そのジジの声で、一人だけ外に出て、最後のコールが終わると完全に閉まって真っ暗になり、その後、焼けた石に水をかけてサウナ状態になります。スウェットロッジの中でパイプがまわってきたら声を出して祈りの言葉を唱えてもいいしまたは心の中で唱えてもいいし、次の人にすぐに回してもいいのですが私はふっと思いついて、祝詞を唱えることにしました。スウェットロッジでは、それぞれの自国の言葉での祈りはウエルカムなのです。暗闇の中、パイプがまわってきて、私の番になったので熱い中、できるだけお腹から声を出すようにして、身禊祝詞を唱えました。こんな風に唱えたのは、久しぶり。それから、何度か焼け石に水をかけて熱蒸気でどんどんロッジの中は熱くなってゆき、ジジが唄を歌い続けます。でも、ものすごく熱くて耐えれない、というほどではありませんでした。スウェットロッジは、毎回違うので、ものすごく熱くてこのまま焼け死ぬんじゃないかと思えるような時もあればマイルドな時もあります。今回は女性が多かったこともあったのか比較的マイルドなロッジだったと思います。私は今回は、スウェットロッジの中で、特に何かに対して祈ったというよりただ感謝の気持ちでそこにいました。かなり汗はかいて、終わった後はかなりすっきり、気持ちいい。ロッジの外にいたブレンダンが私の祝詞が聴こえたそうでスウェットが終わった後、「あれ、のりこだったのか~。あの唄、とてもマオリ族の唄に似ていたんだよ特に最後のフレーズを繰り返すところ」と言っていました。祝詞の節回しは、人によって若干違いますが私は、神主だった私の祖母の唱え方が、子供の頃に身についているので自然と出てきてきます。祖母はこの祝詞の最後に「かみながら」のフレーズを太鼓をどんどこ鳴らしながら、繰り返して唱えていたので私も今回、そう唱えたのですが、その部分の節回しがマオリ族の唄と似ているのだそう。他の人からも何人かに「あの日本の唄、すごくよかった」と言ってくれたのですがこのラコタ族の伝統的なスウェットロッジで日本の伝統的な祈りである祝詞を唱えることができて、とてもうれしかったです。と、ワークショップのためにナッシュビルに来てラコタ族のスウェットロッジに参加して、祝詞唱えているなんてここに来る前は、想像もしていなかったですが。ジジがやるのは何ヶ月かぶりだそうで丁度、このタイミングでスウェットロッジ開かれたのはとてもラッキーでした。スウェットが終わった後は、家の中でパイプのセレモニーがありました。ネイティブにとって、パイプのセレモニーは、神聖な儀式。パイプホルダーは、この神聖な儀式を執り行うことを許された人です。25人ぐらいが円になって座り、ジジが祈りを捧げた後一人一人にパイプを回しながら、みんな吸ってゆきます。パイプが一人一人にまわってきても、吸いたくない人は額にパイプの先を当てて祈るだけでオッケー。私はタバコは吸わないですが、こういう時はやはり吸わないとと思いっきり吸ったら、頭がくらくらしてきましたその後は、持ち寄った食べ物をつまんでの食事タイム。そして、何人かのミュージシャンによる演奏。女性シンガー&ギタリストの二人で、すごく盛り上がりました。それから、ドナのガイドのもと隣同士に座っている人がパートナーになり、座ったまま二人の手を合わせて、音楽に合わせながら手だけを動かすという手のダンス。これがけっこうおもしろかった。私はダンサーという男性の人と組んだのですが二人のエネルギーがぴったりと合った時には、手の動きが本当にすごくびったりと合って例えて言うなら手だけでセックスしているかのような一体感と深いエネルギーの交流があるのです。そんなこんなで、夜も遅くなってきてグランマザーのストーリーテラーが始まってきたのでこれ以上、遅いと次の日のクラスに差し支えるということで私とロンとブレンダンは退去することになりました。この日もまた祝福の日。ありがとうございます。サントリーニ最後の日の夕日。
2012年10月08日
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さてAcutonicというのは、どんなヒーリングかと一言で言うと天文学や宇宙学と東洋医学を一つにしてサウンド(チューニングフォークによるヴァイブレーション)を使ってヒーリングしていく方法です。私たちの心身は、太陽系の惑星の周波数と共鳴していて私たち一人一人が太陽系のエネルギーを表している、という概念を最初に知った時には、とてもわくわくしました。Acutonicのベースになっているのは天才的天文学者、物理学者であったケプラーの天文学。そして経絡、五行理論などの東洋医学。ケプラーは、それぞれの惑星の周波数を割り出しそれを音階として表したのですがAcutonicで使われるチューニングフォークはそれぞれ太陽系の惑星の周波数を表していて、例えば新月の周波数は約210HZ、音階としてはG#(207HZ)に近く太陽は126HZ、B(123Hz)に近く、ベースとなるのは、オームフォークの136HZC#(138HZ )に近く例えば、オームフォークと新月のフォークを使えば、5度オームフォークと太陽フォークを使えば7度の音程になるわけでその音程によって、エネルギーが変化するわけです。もっとも、その音階は平均律の音階とは、ずれています。このAcutonicの本にも書いてあったことですがバッハの時代にはまだ平均律はなかったのですよね。現代の西洋音楽は、平均律に基づいているわけですがそれは私たちの心身にとって自然な「宇宙」の音階ではないのだなあとあらためて感じました。Acutonicは、土星や水星など太陽系の惑星ニビル星やセドナ星まで、すべでの惑星のチューニングフォークがありそれぞれに3つずつ、さらにゴングなどもあるのでもしレベル7までクラスを取れば、何百という道具になりひと財産の道具をそろえることになります。こういったAcutonicが作られた背景やサウンドヒーリングまた東洋医学の経絡、幾何学、マカバなどについて午前中は、ロンが本から抜粋したり、プロジェクターで映像を見たりしながらの講義午後はヒーリングの実践という形でクラスは行われました。特に今回、経絡の中でも、奇経八脈について詳しく学ぶことができたのはとてもよかったです。奇経八脈については、タッチフォーヘルスでもIHでも学びますが簡単な調整を行うだけで、ここまで詳しく知らなかったし経絡名も中国語読みで覚えるのです。『Awakening The Illuminated Heart」の時もそうでしたが今回もロンは最高のティーチャーでした。深い信頼と愛に包まれて、みんなが家族のようにリラックスして学ぶことができる空間でした。ちなみにどうでもいいことなんですが、ロンは、私の20年来の友人であるフィンランド出身のアメリカ人マークにそっくりで顔や体型などの身体つき、話し方、ちょっと縦に揺れるようにして歩く歩き方ジョークの言い回し(ロンはマークと全く同じジョークの言い方をするので)表情、笑い方、そして何よりその声がそっくりなので最初に『Awakening The Illuminated Heart』のロンのクラスを受けた時におさむと「ロンがマークに見えてしかたないよね」と話していました。おさむは「いつかあの二人を対面させて見てみたい」などと言っていたのですが、私も二人が対面したらおもしろいだろうなあなどと想像していました。中身は全く違う人間性なのに不思議。そして、クラスのメンバーも素晴らしかったです。バーバラは、昔、ドランヴァロと一緒にワークショップを開いていたそうでとても67歳とは思えないバイタリティと頭の回転のよさ。過去にはドルフィンスイムなどのワークも行っていてハート全開で、人への思いやりと愛に溢れている人です。ある日、ランチにみんなで行ったレストランで、私がホットティーをオーダーしたらホットティーがなかったので、代わりにアイスぬきのアイスティーを頼んだのですが次の日の朝、バーバラが大量にティーバックを持ってきてくれて「もし今日行くレストランに、ホットティーがなかったらこれを飲んでね」と言って、私に差し出してくれた時には感激。そんな風に人をケアするのって、なかなかできないなあと。ブレンダンは、ニュージーランドのマオリ族出身なのでネイティブとしての意識が非常に高い人。私はヒーリングのプロセスを覚えるのが早いので(早いからいいというわけではなく)彼は、そういう私の動きをいつのまにか横から見ていて「すごい。のりこはもうマスターしているんだなあ。のりこの身体の動きやエネルギーは俺に何か大切なものを思い出させる」と言って冗談で「のりこマスター」と、私に向かって合掌するので笑いました。彼はクラスの間も、言いたいことをばんばん言うのですがほんと子供みたいに無邪気。確か、クラス2日目の終わりだったのですがクラスの中でブレンダンがハイと手をあげて、ロンに向かって「なんか俺、このチューニングフォーク、ピンと来ないというかこれから自分がこのチューニングフォークを使っていくような気がしないんだよね~」などと発言していました。ロンは、もちろん何を言っても気を悪くするような人ではないし二人の信頼関係があっての発言なわけですが自分が企画しているヒーリングのワークショップで講師であるロンに向かって、この発言。ほんと自由な人だなあと。それに対してロンは「私たちは今回のクラスで、大海のほんの表面に触れただけ過ぎないのです。それぞれの関わり方があっていいのですが、すぐに結論を出してしまわないこと。しばらくやってみて、自分なりの関わり方を見つけてゆくことだよ」と答えていました。そういえば、私も最初にレイキを学んだ時「あ~こんなかったるいこと、私には向いてないなあ」なんて思ったことを思い出しました。それが今では、レイキを教えているわけでそれだけでなく、さらに「かったるい」こともわくわくしてやっているのですからちょっと学んだだけでは、その奥の深さもまた自分に合っているかどうかなどもわからないわけです。時として、直感的に決めることも大切ですが一方で、すぐに結論を出してしまわないことが大切ですね。さて、二日目にAcutonicチューニングフォークを使ったチャクラヒーリングを学びました。その実践の時、ロンがチューニングフォークをチャクラの上で回しながらどのチャクラがオーバーエネルギーでどのチャクラがアンダーエネルギーなのかを感じてそれを調整してゆく、とデモを見せてくれました。でも、まだAcutonicのチューニングフォークに慣れていない私たちにはその微妙なチャクラのエネルギーをチューニングフォークで感じるのはかなり高度な技。そもそも、ロンは人のマカバが見えるほどの超サイキックなのでたぶん、チューニングフォーク使わなくてもチャクラの状態はわかるのではないかしら。バーバラが「ロン、人それぞれ感じ方が違うのはわかるけどオーバーエネルギーの時はどんな感じなのかアンダーの時はどうなのか教えてくれる?』と尋ねるとロンは「光なんだよ」と一言。そんな説明でわかるかい!と心の中でつっこみつつもちろん感覚を教えるのは無理なわけですからまあ、とにかくやってみようと二人一組になってはじめました。私が組んだのはジョーダン。私が受け手になって、ジョーダンが最初にやってくれたのですがやっぱり、どのチャクラがアンダーかオーバーかよくわからないということで結局、ロンが私のチャクラの状態を見てくれることになりました。それでロンが私のチャクラを見立てた結果は「第1、第3、第4、第5チャクラはよし。第2チャクラが若干アンダーエネルギー。そして、第6、第7は、非常に飛び抜けて活性化しているけどこれは、のりこのサイキック能力、いろんなことが観える能力なので調整する必要はない」これには、びっくり。まだ、第2チャクラはもう少しワークが必要だなあというのは何となくわかっていたのでアンダーエネルギーというのは納得だったのですがサイキック?観えるというのは、人のエネルギーを感じれる、とか自分の内なる声を感じれる、という意味かもしれませんが私は視覚としては何も見えない人ですし、私の周りのサイキックの人たちを見るにつれどう考えても私はサイキックではないなあと。でもサイキックでなくても、私はそれを補うものがあるので何も不足は感じていないのです。(おさむは、サイキックであることをいいかげん認めろなどと言うのだけど)むしろ、このクラスの中では一番サイキック能力がない方だと思うのですがロンがみんなに私のサイキック能力について話したのでクラスの中で、すっかり私はサイキックということになりました。さて、私がジョーダンに行う番になって一応、チューニングフォークでチャクラの状態を感じてみたのですがやっぱりチューニングフォークを振動させながら、チャクラを感じるのはよくわからず。レイキのように、手でチャクラにあてると、感じますがアンダーかオーバーかまでは、はっきりとわからないのです。ということで、やっぱりこういう時は、必殺、筋反射テスト。筋反射(+エネルギー反射)で見ると確実にどれがアンダーでどれがオーバーかもまた、それぞれのチャクラがどのぐらいの活性率でどこまで調整が必要かも、はっきりと出てくるので超簡単。(だからサイキックじゃなくても大丈夫なのよ)なので、私は筋反射でジョーダンのチャクラの状態を調べた後チューニングフォークでヒーリングを行ったのですが終わった後、ジョーダンが目を輝かせて「すごかった。すごい光が第3の目のところに見えたよ。ロンの言うようにやっぱり光だった」と言っていました。これまでチャクラヒーリングは、チャクラ用のチューニングフォークやクリスタルボールなど使ってきましたがこれから、このAcutonicのチューニングフォークが加わってどうなるか?が楽しみ。私にとって最も興味があるのは、クライアントさんの身体がこのヒーリング法を選ぶかどうか?ということ。いくら新しい方法を学んでも、それをクライアントさんの身体が必要としなければ、使えませんから。ということで、ただ思いつくまま書いていますがまた続きを書きます〜
2012年10月07日
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トルコ、ギリシャ旅日記も、あともう1回で終わる予定だったのですが今、ナッシュビルで新たな体験をしているとあの旅が遠い昔のようになってしまった感があって今は、ここでのことを書きたくなったので残りはおさむの日記に任せることにします。(中途半端でごめんなさ〜い)さて、トルコ、ギリシャの旅から戻ってからの5日間は朝から夜までセッションが入っていたので、怒濤のごとく過ぎてその間に何とか用意をし先日から、ニューヨークから飛行機で1時間半の距離のテネシー州ナッシュビルに来ています。ここで、Acutonicのレベル1とフィボナッチのクラスが行われています。トルコ、ギリシャの旅では、のんびりできたのですが旅の前後はかなり忙しかったのでもうこのクラスを受けるのは、やめようかしら?と思ったものの何かに突き動かされるようにやってきた感じがあります。やめようかと思った理由は、時間がなかったということの他にいくつかありました。一つは、このAcutonicというのは、チューニングフォークのクラスなのですがシステムは確立、体系化されていて、レベル1からレベル7までありそれぞれに必要なチューニングフォークやゴングなどがあります。今回、レベル1とフィボナッチのクラスだけでもチューニングフォーク代、クラス代、それに飛行機代、滞在費を含めると何千ドルにもなりそれはまだいいとしても、もしこれだけで終わらずこれからしレベル2、3と受けることになれば何万ドルにもなり時間もかなりかかってしまいます。私はあまり後先考えないで、受けたいワークショップはどんどん受けているものの私の今のIHキネシオロジーの中で、セッションに必要なもの、つまりテクニックや手技や知識や道具などは充分だと感じているのでこのクラスを受ける必要性を、あまり感じていなかったこと。それともう一つは、このクラスが全くオーガナイズされていなかったということ。このクラスをオーガナイズしているのはブレンダンというナッシュビル在住のヒーラーでこのブレンダンが、全くもってオーガナイズが苦手な人でクラスの情報がほとんどわからない状態。前日まで、クラスが何時に始まるのかもわからず。クラスが行われる場所だけは聞いたのでホテルからの距離をグーグルで調べてみると歩くには遠そうなので、タクシーが必要かしらと連絡してみたのですがよくわからないとのお返事。普通こういう少人数のクラスではホテルからクラスルームまで送ってくれたりするものですがそういうこともなく、質問しても的を得ないのです。このクラス、以前、一度キャンセルになったこともあって飛行機の予約をした後で、クラスが急にキャンセルになる可能性もありもし、そうなったら目も当てられないなあと。それでも決めてやってきたのは、やっぱり好奇心なのかな。この好奇心だけはどうにもならないようです。フィボナッチ数列を使ったアトランティスのヒーリング。そして、このクラスの先生がドランヴァロワーク『Awakening The Illuminated Heart』の先生だったロンでなければ絶対にここまで来なかったでしょうから、これもまたつながりなのだなと。そして、私の心のどこかにちょっとあったひっかかりも初日には完全に吹っ飛びました。クラスルームに入り、ブレンダンに初めて会い、ロンと再会した瞬間に私は、ここに来るべくしてきたということはすぐにわかったし本当に来てよかったと感じました。それは理屈ではなく、感覚的にわかるものです。今回の参加者は6名。みんなバラバラのバックグラウンドで個性的な6人でした。ブレンダンは、ニュージーランド出身で白人だけどラコタ族の名を持ち、ネイティブと深くつながっている人。ボディワーカーであり、チベットのチゴンマスターに学びエネルギー的なグラウンディングはできているのだけどオーガナイズは、ほんとできていなくて全く子供みたいなエネルギーの人です。他のメンバーは、最近「Awakening The Illuminated Heart」の先生になり、ヨガと瞑想の先生でもあるクリスティーン。それと、指圧師であり、東洋医学に詳しいメリー。非常にまじめで勤勉なエネルギーの人です。また67歳のサイキックヒーラーであり、超おしゃべりでいつも明るいムードメーカーのバーバラ。一番ユニークなのが(エネルギー的にという意味で)元ミュージシャンであり、今は映画監督であり様々なヒーリングを学び、興味があることは何でもやるというジューダン。都会っ子のインディゴチルドレンといった感じで年は45歳だそうだけど、どうみても30代にしか見えません。男性2人に女性4人です。ここに来てあらためて思ったのは、これは、非常にマニアックなクラスだなあと。第一にハートのワークや聖なる幾何学を理解していないとすべてのヒーリングのコンセプトが見えてこないのでドランヴァロワークは必須だと思うのですがそれでいて実際にヒーリングを実践してゆくのは経絡や五行や経穴(つぼ)の知識に基づいているので東洋医学を全く知らなければ、それも難しいでしょうしその上での、エナジーワークなので参加する人はかなり限定されてきます。まあ、それだから、1年に1回ぐらいしかアメリカで開かれないクラスなのにたった6人しか参加者がいないのでしょうが。ロンは、フィボナッチヒーリングを教えることができる世界でたった一人の先生なのです。初日に説明があったのですが、彼はフィボナッチを教えるためにAcutonicの先生になる必要があり、2年かけてレベル1と2を教える資格を取ったそうですがいまだにレベル2を教えたことはないのだそう。レベル1を学べば、Acutonicチューニングを使えるようになるのでフィボナッチヒーリングを学ぶことができるのです。つまり、彼はAcutonicの先生ではなく、フィボナッチを教えるためにAcutonicと契約して基礎であるレベル1を教えているだけで彼が教えたいのはActonicチューニングフォークを使ったフィボナッチヒーリング。なので、Acutonic自体を教える先生としては、全くだめだそのことを理解してほしい、ということだったのですが実際、ロンの経絡や経穴や五行についての知識は私とそれほど大きく変わらないレベルだったのでこんなものでいいんだなあと、ほっとしました。基礎的なAcutonicの本だけでも、ものすごい情報量なのでこれらを全部覚えることは、到底無理だなあと。ロン曰く「東洋医学を学ぶだけでも、一生かかっても学びきれない。私にはその時間はない。もし知識という意味でいえば、私は遥かに劣ってしまうけどハートに従っていけば、すべては完璧に導かれてゆきます。どんなヒーリングでも最初にそのヒーリングのやり方を学びある程度のフォームに従ってゆくことは必要になります。でも、一旦それが身についたら、後は自分の直感が動き出すので感覚にままにクリエイトしてゆくことができるのです。ここで学んだら、後はそれぞれが自分のやり方でやってゆくことが大切です」それを聞いて、これは私がやっているやり方だったのでとてもうれしく感じました。私はどんなヒーリングを学ぶ時でも、クラスの段階では教えられたことはできるだけ覚え、マスターしますがその後は、実践を通じて、感じるままに変化させ発展させてゆきます。なので、MEでもIHでもタッチフォーヘルスでも教えられたやり方とは違ってきたりするわけですがそれぞれのエッセンスは、私という媒体を通じてミックスされ統合されて、一つの新たなものとなってゆくと感じるのです。私がこれから、このヒーリング法をIHキネシオロジーの中に組み込ませながら、私なりの使い方でクリエイトしてゆくのだろうということは、今回すぐに確信できました。ということで、3日間のレベル1のクラスが、今日終了したところです。明日から本番のフィボナッチ。フィボナッチヒーリングが一体どんなものなのか私にはまだわかりませんがロンがこれほどまでに深く信頼しているヒーリングであるということはビシビシ伝わってくるので、わくわくしています。まだAcutonicについても説明していないですが長くなってしまったので、また次回〜
2012年10月06日
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