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読売新聞のコラムは楽しみのひとつで、どんなに忙しい時でも「編集手帳」だけは読むことにしている。本日の朝刊は日本語について「おひや」を頼めば水がくる。「ひや」を頼めば酒がくる。「にぎり」と「おにぎり」は別物である。「お」の字ひとつで差す品が変わり、日本語は難しい…。と書かれていて大変面白かったが、そこまで読んだとき、現代俳句協会の「データーベース」のコラムに、村井和一先生の書き込みが載っていたことを思い出した。 おにはにはにはにはとりがゐるはるは 大畑等俳句でいう「切れ字」が何処なのか、理解困難な掲句について「お庭には二羽鶏がいる春は」となります。と書かれていた。ああー。そうなのか!これなら私にも分かる!。と大変勉強になったが、続けて日本語に同音異義語が多いからです。と、たとえば、オショクジケンと書いたら=汚職事件か、お食事券か分からない。しかし、この特色を逆用して、日本人は古くから表現を楽しんできました。俳句なら「梅咲ぬどれがむめやらうめじゃやら 蕪村」や和歌では「ほととぎすなくやさつきのあやめぐさあやめもしらぬこひもするかな(古今集)」といったものがその例です。と書かれていて思わず舌頭に転がした。 しあわせやあやめもしらぬ語呂合わせ 村井和一(第四句集・もてなし所収) ああ、そうか世間は夏休みなのだ!
2006年07月28日
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誰でも一つや二つのトラウマは持っているのでは無いだろうか。私にはとても怖かった思い出があり、未だにそれに出くわすと固まってしまうものがある。今日のナース室での出来事。窓際の机で書き物をしていると、なにやら小さな黒い物がすすすっと近寄ってきた。何気なく横を向くと、う!(○_○)。私は思わずたじろぎ、そのうろうろ動く物から離れたが、とっさの行動は傍にあったシャーレ(皿状のガラスの容器)の蓋をそれにかぶせていた。急に自由を奪われたそれはシャーレの中で一挙に激しく動き回る。(@_@;)「どうしたの?」、病室から戻って来た看護師が私の指さす方を見て「なあんだ!」と言いつつティシュペーパーでふわっと包んで窓からそれを逃がしてやった。何を隠そう、とても大きな声では言えないのだけれど「蜘蛛」なのである。σ(^◇^;)このトラウマの始まりは高学年の頃であった。どこをどう歩いていたかは定かでないが「蜘蛛の巣」の真ん中を通って終ったようだ。(;゜)ウッ!、とたんに顔といい、頭といい蜘蛛の「囲」がべちゃっと張り付いてしまった。(゜ロ)ギョェ、急いで顔を洗ったが、いくら洗っても嫌な感触はとうとう取れず、その時の何とも言えない気持ち悪い思いは、今でも決して忘れることが出来ないのである。これが現在まで続く私の「トラウマ」。それにしても今日の「蜘蛛」は大きかった。くわばら、くわばら。 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり 三橋鷹女
2006年07月22日
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ブログを立ち上げてから2ヶ月が過ぎた。そのご多忙を極め、おまけに田舎に行く用事も出来、ブログをしばらく開けられなかった。日記は続けられないと嫌になってしまうが、こんなにさぼっても「空白が出来ない日記!」は有り難いかぎりである。さて田舎の事になるが、病人83歳(脳梗塞後、病状の安定はあるもベット上での生活)、介護者81歳(妻)。子供は3人いるがそれぞれが家庭を持ち、離れて住んでいるため付きっきりの介護は困難である。親戚も多いが、みんな自分達の生活があり迷惑は掛けられない、など。叔母は「頑張って3週間は看たけれどもう自分の身体が持たない!」と訴えている。みんなで頭を寄せ合ってやっぱり「○○ホーム」へ入れることになったようす。(と言っても順番待ち…。)核家族となってしまった現在「老々介護」は決して他人事ではない!と改めて感じるばかり。 紫陽花を剪り痛かった昔の手 村井和一(第4句集・もてなし所収)
2006年07月09日
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