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吟行、編集会議、校正と続きようやく一段落した今朝、秋風を感じながら職場へと急ぎつつふとこんな事を考えていた。「私って、仕事の合間に俳句をやっているのかしら。それとも俳句の合間に仕事をやっているのかしら」と。まあ、いいか。どちらも好きだから。最近思うのだけれど、4、5日休んだ後の職場は新鮮でいい。タイムカードを押し、手早に制服に着替えると真っ先に彼女の病室に行った。すると朝食後の茶碗やら、コップやらスプーンやらを食べ終わった自分の前掛けで四角に丁寧に包み込んで縛っている。「あらあらまたー、どうしたの?」と私。「帰るから降ろして!」「ちょっと待っててね、片付けてからね」。こんな会話で一日が始まるのだが、是非87歳の彼女の楽しい語録を紹介したい。(昨年の12/6日のブログでも書いたけど…)ア、ハハハハー。まったくねー。いまなんじ?。猫?犬?、そう、お父さん元気?。あんたもお上がり、よかったねェー。まったく。ア、ハハハハー。わあ!かわいそうーに。ああ、どうもおせわさま。あそこに猫ねてる(天井を指さす)、そう!よかったねェー。きのう来ればよかったに。アハハハー。あらまあ!、まったくねェー。と、目をくりくりさせながら連続で喋りどうし。思わず吸い込まれて一緒に笑ってしまうのだけれど、楽しい独語。ところが、眠いときにヘルパーさんがおむつ交換などしようものなら「なにすんのよー。助けてー。いじわる!。やめてー。どろぼー。お母さんに言いつけてやるから」などと怒る。けれど終わると「どうもおせわさま」と笑いながらぺこりという。゛二度わらし゛というけれどいい性格をしている。認知症になると本当の性格が出るっていうけれど、本当かも。今日も彼女から元気をもらって帰る。 鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨
2007年09月25日
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私は今夢中になって読んでいる本があります。E・キューブラー・ロス著/鈴木晶訳「死ぬ瞬間と臨死体験」という本です。タイトルでちょっとびっくりしましたが、読むほどに胸に染み込んで時間の経つのを忘れます。著者はスイス生まれの医学博士。様々の体験の中から生と死を見つめ、世界中を飛び回って講演をし、セミナーを主催し続け、日本にも訪れているそうです。そんな折々の講演が編集されたものです。早速、抜粋させて頂きます。 死期が迫っている人は一人残らず、死が近いことを知っています。そのとき傍らにいる貴方は、「私には彼の声が聞こえるだろうか」です。たとえば病人が「あなたの誕生日は7月だったわね。そのころ私はもうこの世にはいないのよ。」と言ったとします。すると「そんなことを言ってはいけません。快方に向かっているんですから」などという自分を取り繕うためのことを言ったら、もうそこでコミュニケーションがとぎれてしまいます。中略。 もし貴方がそのとき何を言ったらいいか分からなかったら、ただそばに座って「おばあちゃん、何か私に出来ることがありますか?」でいいのです。ある若い女性が老いた祖母を訪ねました。老人は自分の指輪を外し、何も言わず黙ってそれを孫娘に渡しました。孫娘は「まあ!おばあちゃん、そんなことしないで。この指輪気に入っているんでしょ。ずっとはめていて」などとは言いませんでした。彼女はこういったのです。「本当に私がもらっていいの?」祖母は黙ってうなずきました。 孫娘はさらに「どうせなら…もう少し待ってクリスマスにもらえない?」と言おうとしたのですがやめました。彼女ははっと気が付いたのです。叔母は自分がクリスマスにはもうこの世にいないことを知っているに違いない、と。その叔母は孫娘に指輪を贈ることが出来て心から満足していました。彼女はクリスマスの2日前に亡くなりました。これが言葉によらない「象徴言語」というものです。後略。 死は涼し残りしものの飲めば酔う 松田ひろむ(句集・飛景)所収
2007年09月14日
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二日間の休みを終えて出勤すると、居たはずの患者さんのベットが空になっていた。予防着(前掛けのようなもの)に手を通すのももどかしく「ね!どうしたの?」驚いている私に「昨夜の夜勤帯に入ったときからレベルダウンがあって、今朝方…だった」とのこと。ああー。○○さん72歳男性は、脳梗塞による半身麻痺があり、燕下不良の為に胃瘻のチュウブが入っていた。それに気管切開後のカニューレが入った状態で声も出せず、他の病院から転医されて来たのだった。それでも意識はしっかりしていたので、訪室のたびに書いたりゆっくりと問いかけることで目で頷いたり、首を振って返事をしてくれるので意思の疎通は出来ていたから、職場に行く楽しみの一つにもなっていた。それが、3ヶ月休んで職場復帰したときには、完全に寝たきり状態でほぼ痛覚も無くなっていて(この間脳梗塞の再発があり)余りの変わりように心を痛めていた矢先だったので、何ともやりきれない思い。たった一言も話せずに逝ってしまった患者さんと、ほぼ直前まで会話が出来ていた主人のことがふと重なってしまう。急に消えてしまった人のことを偲んだ一日。どうにもならないことがつづく。 逝く夫(つま)に礼言われたること極暑 諏訪りんどう
2007年09月05日
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