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こんなにも美味なら。中毒を起こしたって構わない。飽きるほど食べてみたい。来年は…あの臭い果肉に包まれたギンナンを集めに行こうと決意しました。果肉を腐らせ水洗いする手間、殻をむく手間、薄皮を剥ぐ手間、何もかも面倒だけど、それらを平気にさせるほどの威厳。どんな調理法も味付けも要らないと断言する肺乳。私の取っておきにします。犬のミロ君だって、上手く噛めずに、出しながら拾いながらしておいしそうに食べました。でもミロにはおやつでも私には主食だというのは、内緒。タダだし~。(よく見ると渋皮は2種類の皮が中央で合わさっている)
2012.11.30
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宝石のように輝くギンナンをひとくちつまむと、温かくて弾力があり、苦みと甘み、臭みと香ばしさ、穏やかさと怒り、そんな多様な感情を秘めているように思えました。ギンナンて…こんなにもおいしかったかしら? きっと熱々だからよ。卵も大豆もおだしも何の味も纏っていない、ただ純粋にギンナンの味わい。なのに様々な成分が絡み合い、複雑な味わいを無言のうちに披露しているギンナン。たぶん、この苦みが子供の口には合わないのでしょう。そう、お豆腐も百合根もクワイも、そういう類のものは年齢を重ねた今になって、おいしいと思える食材です。
2012.11.29
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この話題のさなか、丁度、母にギンナンをもらいました。殻が固くなんだか面倒でお料理にわざわざ使うほどの物でもなく、ここに写真でもupしてみようというつもりで。母は紙封筒に一掴みのギンナンを入れ、レンジでチンならぬ「レンジでボムッ」。簡単すぎるほど簡単に火は通り、やや臭みの残っていた実は香ばしい薫りを主張しつつ、艶めいた粒が現れました。透明な翡翠色であったり、不透明なクチナシ色であったり、でもそのどれもこれもが若葉や黄葉のイチョウと同じ色素。まるで、葉の色がすべて実に結集しているかのようです。
2012.11.28
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がんも(ひろうす)や茶碗蒸しになくてはならないギンナン。決して数多くというのではなく、たった1個か2個のギンナンだというのにその存在価値の高さは半端ではありません。茶碗蒸しの熱い蓋をそろりと開け、三つ葉と柚子の香りをしかと確認してから、匙でめくるように椎茸や卵を掬いつつ、またカシワやエビにぶち当たりつつ、ついに、ギンナン!かと思えば...ざらつくように崩れるほんのり甘いユリ根を舌先で確認する...。やがて卵をまとう翡翠色のギンナン。もっちりと、魚介ほどの立場はないのに特別の地位を確保しているギンナン!茶碗蒸しの中には、宝探しのような楽しくおいしい幸せが一杯詰まっていますよね。
2012.11.27
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色づいたイチョウを見かけると、やっぱり立ち止まってしまいます。これは、NTT敷地内でのイチョウ。根元からも枝が伸び、足元には幾重にも黄葉が散り敷いて、イチョウの神々しさを見たよう。近づいてみたくても休日で門が閉まっており、しかし、校舎のような白い建物にアカデミックな風情を持つイチョウは、ふさわしく感じられました。防虫効果のあるシキミ酸、認知症への薬効が認められたギンコール酸など、薬効の豊富なこの裸子植物には、いくぶん毒性があるので、頭を良くしようとギンナンやイチョウ茶を取り過ぎるのは却って危険なようです。(2012.12.2撮影)
2012.11.26
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薬師庵にほど近い場所に、ひときわ目を引く大イチョウを見つけ、車から降りて深呼吸してみました。イチョウは校庭や大学のキャンパスに似つかわしく、図書室の窓辺から眺める金色の葉にしばし頁をめくる手も止まります。大木を仰ぐと学生の時分のゆったりした時間が思い出され、懐かしい気持ちになりました。そういえば、イチョウの葉が紙魚よけになるから栞にするといいと何かで読んだことがあり、挟んだことをすっかり忘れ何十年もたった頃、くすんだ葉が出て来た時には驚いたものです。それは押し花のようになっていて葉の精油がうっすら本に沁み込んでおり、取り返しのつかないことになっていたのでした。(2012.11.25)
2012.11.25
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神嘗祭(かんなめさい)は新穀を大御饌(おおみけ)として伊勢の天照大神に奉る祭儀。外宮では10月15~16日、内宮では16~17日、賢所では17日。一方、新嘗祭は11月23日に天皇が神嘉殿で五穀の新穀を感謝する祭儀のこと、この日初めて新米をお召し上がりになられます。私も近くのお宮で新嘗祭に参列してまいりました。直会では、新米で作られた白酒(しろき)が振舞われ、これは甘酒ではないのですが白い濁り酒のようなもので、白酒の他には黒酒(くろき)というのがあるそうです。陛下がこの日まで新米を召し上がられないというのに、私たちは競って新米を頂いています。こういう時宜に適った‘けじめ’というのを大切にしていかなくてはと、珍しい白酒を巫女さんに注(つ)いで頂きながら決意を新たにした次第です。(稲穂が供えられた神前)
2012.11.24
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しかし商品化されたほうには椎茸の佃煮がほんの少しだけ、申し訳程度に入っていました。「そこんとこは僕んちのレシピと違うから」 そうなの…? オリジナルをいじられるなんて悲しいね。でもみんなで食べたおにぎりは最高で。むさぼり食べる子、お礼をいう子、持ち帰りたいと言い出す子、さまざまでしたが、おなかがすく年頃なので突如うれしい授業になったよう。しあわせなのは、優勝者以下教師含め9名。 http://news.guideme.jp/kiji/c5b74bc013791bc41a5898e6122e31df(さっそく買って来たおにぎりを前に記念撮影。男子テニス部2人は撮影拒否。苦笑)
2012.11.23
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「商品化されたら、おにぎりパーティ しよっか~!」ということで、ロゼーテクラスだけは、おにぎりパーティの開催となりました。茎ワカメの佃煮が混ぜこまれたごはんを海苔で巻き、その上に鯛のほぐし身をのせた「渦潮おにぎり」。普段からご家庭で握ってもらっているとかで、まさに‘家庭の味’が勝利したわけですが、こちらのご家庭は裕福さがやはり贅沢な具材に表れているな…と思った次第です。 (いづも庵にて)
2012.11.22
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塾の英文法のクラスで、中学男子が「しんどい」などと言ってきたんです。見れば目は充血してるし「ゲームで夜更かし?」と訊くと「おにぎり、ずーっと作ってた」って。よくよく話を聞くと、おにぎりコンテストというのがあって、その最終戦に勝ち残ったためスタッフに手伝ってもらいながらも、おにぎり300個を握ったというのです。「ふ~ん。えらいね。それで?」「優勝した」「えー!! おめでとう!!」 なんと、現金10万円の賞金と商品化が決定したそう。ああ、偉い偉い! 中学1年でその臨時収入とは、なかなか! 君らホントにたくましい…。涙
2012.11.21
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中学の娘がクラスのみんなで、深夜に流星群を見に行くから行っていい?と訊いてきました。最近、どうも天体観測がはやっているようで、理科の第2分野‘星の動き’を学習したせいか興味を持ち始める時期のよう。「いいわよ~。でももし、おまわりさんに補導されたら‘理科の宿題’って言うのよ」 たくさん観れたと喜んで帰って来たので、こちらも負けてはいられないと、愛犬ミロと寝る前の散歩に出かけましたが、一向に。諦めかけたその矢先、東から南へ地平線に沿って長く長く尾を引く流星が! 新幹線のような、いえ、龍が走るような滑らかな光り方でした。低い位置ではそのように尾を長く引いて見えるのですって。(2012 11 18 ピーク時の星座盤)
2012.11.20
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ワケギとアワビのヌタ和えを盛り付けるのも良し、乳脂肪たっぷりのほんのりクリーム色バニラアイスを盛り付けるのも良し、前菜であろうがスイーツであろうが、どんなマズイ手料理だって、おいしく見せるだけの色合いと風格! 小鉢でもなく茶器でもなく、といった中途半端な大きさ! たしかに、見れば見るほど…私だって目を引かれました。18の子が使うにはちょっと贅沢だから、まあ、ママと一個ずつのお揃いでも良いんじゃない…とあれこれ勝手に空想していたのですが、そこは断固として譲ろうとせず、大切な宝物は菊のご紋の立派な函に収められたまま…3年たった今でもいまだ日の目を見ていません!
2012.11.19
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1647年。近江小室藩藩主にして古田織部の弟子、遠州流茶道を興した小堀遠州が死去した徳川家光の治世、後陽成天皇の第一皇子・良仁親王(覚深法親王)が境内に築窯し、野々村仁清を初代として焼き物が始まった御室焼。以降、仁和寺より正式に御用達として任命された作家がこの御室焼の名称を継承されているそうで、作家号「仁秀」は、第43代 仁和寺門跡 建部瑞祐大僧正猊下が名づけられたものです。ろくろ手挽きで作られた一点ものばかりで、このように指筋の溝が特徴といえましょう。
2012.11.18
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畳の歩き方や襖の閉め方もわからないようでは、とお茶のお稽古に通わせたものの、嬉々として茶筅を振っていたのは長男だけで娘二人は茶道に興味を示さず終わりました。そんな和の物が好きな長男は他にも盆栽だの苔玉だの、まったく「おじいさん」みたいな子供でした。あまり物を欲しがらない長男が、御室会館の売店で珍しく物欲しげにしていたのが、この御室焼。ターコイズブルーの釉薬が珍しい、二客セットのフリーカップです。(つやはなくて、マットな焼肌)
2012.11.17
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子供たちは母に叩き起こされましたが、私が起こされたのは深夜に響く読経の声・・・。いったい・・・何時だったのでしょう。真っ暗な部屋。どこから聞こえるのかもわからず、なぜか、もう眠れませんでした。6時からの勤行のほかにもお勤めがあるのだろうか、一般の人は参加できないお勤めなのだろうか? 布団の中であれこれ考えてもわからず、結局、そのままになってしまいました。気味の悪いものではなかったものの、やはり気になり、後日、他の勤行の時間を聞いてみると、そのようなものはないとのことでしたが「併設の密教学院の生徒さんでしょう」という手掛かりを得ました。ああ、修行は厳しいのですね。朝のお勤めも別世界のような体験でしたが、暗闇の中でどこからともなく聞こえる読経も・・・まさしく異界でした。ondoyamaさんのサイトより「仁和寺の雪」↑http://kyoto-walkandfoods.blogspot.jp/2011/01/blog-post_04.html
2012.11.16
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そして。金堂を後にする二人の僧侶のうしろ姿を、私は忘れることはないでしょう。おしゃべりしながら歩いているわけではないのに、寒く静かな曇り空の下で鬱金色の衣を、晴れやかにさざめかせつつ歩む二人の僧を。数え13の末娘は初めての宿泊旅行にはしゃぎ、母としてもうれしい旅となりましたが、結局、それが最初で最後となりました。子らがいつか声明を耳にする時、この日を思い出すこともあるのでしょうか。(縮緬地で作られた‘さくらまもり’)
2012.11.15
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読経の間、お焼香を勧めて頂き、勤行(ごんぎょう)に参列させて頂いた私たちは順番に一人ずつ前に進みます。お焼香なんて、それこそ、お葬式の時ぐらい。我が子らも見よう見まねでご本尊様の阿弥陀様に上げさせて頂きます。最近は、葬儀会館で通夜から何もかも済んでしまうので本堂でお焼香する機会など、そうありません。天地に響く朗唱とともに刻々と夜は明け、お堂も白んで行きました。 (仁和寺 HPより ここは、たしか宸殿のあたりだったと思います)
2012.11.14
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眠そうな子らは本堂の端で正座していましたが、私は真正面。ろうそくに照らし出された鬱金色の袈裟をぼんやり眺めておりました。導師を中心にして各自、手燭の置かれた文机が正方形、いえ詳しくは凹型に並べられ、そこに着座されたかと思うと地の底から響きわたるような声がいくつも合わさり重なりして、朝の勤行が始まったのでした。 (平山郁夫 「仁和寺月華」)
2012.11.13
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仁和寺は真言宗御室派の総本山。御室御所とも呼ばれ、天皇がお住まいだった門跡寺院だけに床しく雅な寺院でもあります。こちらの御室桜という品種は染井吉野とは違って背丈ほどのこじんまりとした桜ですが、まだ花も愛でられない時期だったからでしょう、宿坊には珍しく空きがありました。和風旅館のような造りの宿坊は口コミに書かれていた通り、どこにも塵ひとつなく建物は見事に清められておりました。中庭の枯山水の白石は箒目が整い、僧たちもみな丁寧で品位のある方ばかりでいらっしゃいました。宿坊 御室会館の正面 HPより
2012.11.12
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このあいだ声明を聞いたのはいつだったろうか…記憶を辿っていくと、もう三年にもなっていました。嵐山の法輪寺へお詣りのあと、仁和寺の宿坊で一泊した時になります。情操教育のためどうしても宿坊だけは譲れなかったのですが、古刹・仁和寺にその巡り合わせを得、子供三人大人一名は、御室会館に宿泊することができました。その年の4月上旬はかなり寒く、遅咲きの御室桜はまだ蕾もほど遠いような時期、早朝の6時前はまだ薄暗く、三人を叩き起こして金堂に向かいます。渋々とはいえ、まだ母に付き従う年令でした。 仁和寺 金堂(国宝・非公開) 仁和寺HPより 読経中に焼香を勧められる参拝者(中央)
2012.11.11
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車で30~40分ほど行ったところに真言宗の比較的大きなお寺があります。かしこまって本堂に座っておりましたら、意外にも理趣経が始まりました。じつは、理趣経はいちばん好きなお経。子供の頃から聞きなれている節回しというのは、不思議と耳に馴染んで愛着が湧くものですが、私がこのお経を気に入っている理由はそれだけではありません。般若心経とは違って、抑揚が豊かなんです。僧侶数名が導師を正方形に囲み、ソロの部分と合唱の部分が絡み合いながら音声多重で朗唱していき、本堂いっぱいに響くさまはどこから音が発しているのかわからず、まさに宙で声明を聴いているよう。身体の中からも音が響くなんて!感動です。 長いのですが、さわりだけでも聴いてみます?1. http://www.youtube.com/watch?v=jWGEDpcQjn0中間部分は省略されて、後半部分は、ちょうどこちらにありました↓2. http://www.youtube.com/watch?v=mP91B2iBo20 聴きどころは、1.の、一番最初の鐘のなる導入部分あたりと、2.の1分43秒からの「せんざ~い せんざぁい~」と最後のあたりで調が転じる部分です。
2012.11.10
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35年前に亡くなった父の形見で、私が知る限りは碁石と碁盤、将棋盤、それに硯です。硯と言えば端渓が有名ですが、父のはたぶん端渓ではなく蓋も何もかもが石でできた25センチほどの大きさのもので彫刻などの装飾はなく、シンプルながらとにかく重いものでした。子供の小さな指では持ちあげることが難しく、かえってそんな大きさのものですから、バーベルではありませんがお習字は「たいへん」「立派」とかいう思いがありました。何年か前に、母のところから私の手元に来たのですが、使うこともはばかられ仕舞い込んでおりました。ここ数日のブログを更新しながら、あ、そうそう、あの硯で写経でもしてみようと思いたち、押し入れの中を探してみたのですが・・・よほど大切にしまい込んだのか見つかりません。父の「変体仮名事典」も見つからないので、それと一緒にしまってあるはずです・・・ 苦笑(鏡文字で印刷されている写経用紙の裏面。表を向けるとうっすら文字が浮かんでなぞりやすくなっている)
2012.11.09
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そんな育児に追われていた頃のこと。疲れてうとうとしていた時、ふと目を覚ますと1才の長男がおいしそうに筆を舐めているではありませんか。慌てて病院へ連れて行くと、胃洗浄。口からチューブを通して胃を洗うのですが、あのつらそうな姿を見、母親失格だと痛感しました。筆を持つ資格などなく、開業への夢はすっぱり諦めました。いずれにせよ、王義之への朱入れが理解できない時点で、書道のセンスなどなかったのでしょう。ちなみに・・・私より遅くお稽古を始めた筋向かいの奥さん宅のところは見事に開業し、生徒さんを集めて大いに繁盛しています。(集字(集王)聖教序 王義之)
2012.11.08
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楷書から始まった‘お習字’のお稽古はとにかくつまらないものでしたが、隷書体を見たときは滑らかく扁平で特徴あるその書体に惹きつけられました。高校書道では『孫秋生(そんしゅうせい)造像記』と万葉仮名と連綿のお稽古。書道のタクマ先生というのが自由闊達バンカラな先生で、かつ、澄んだまなざしを持つ芸術家らしい風貌だったので、私たち女子学生はとかく熱心に授業を受けていました。大学では藤原定家の筆跡に惚れ、子供が生まれてからは日展作家のH先生に師事。行書の『集字聖教序』からのお稽古でした。(孫秋生造像記 石碑に刻まれた文字)
2012.11.07
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書道が「書き方」と呼ばれていた小学3年の手習いの時間。硯の布団のせいかはわかりませんが、楷書の写しはちっとも楽しくなく、むしろ嫌いな教科でした。確か、楢本?子先生と言う神経質な先生に出された習字の宿題に‘臨書20枚’などというのがあったように思います。提出しなかったら次の日には40枚、それでも提出しなくて結局、半紙80枚に書かなくてはいけない羽目に…。深夜になっても書き終わらない私に呆れて、父が手伝ってくれていました。今では「ここのハライはこうしよう、ここはもっとハネてみよう」といった具合に夢中で御朱印書きの練習もできるのに、なぜあの頃はあれほど字を書くことが単調で苦痛に感じたのでしょうか。
2012.11.06
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学校のお習字の時間、そのお習字セットを開くと私の硯の下には、祖母だったのでしょうか、端切れが敷かれてありました。重い石の硯の下に柔らかいネルの生地。それは、クラスの中でただ一人だけでした。何度も外そうと取ったりまた畳んで敷いてみたりを繰り返して、それでも仕方なしに敷いていたように思います。青地の、熊ちゃんの顔がたくさん入った柄のパジャマの端切れのようなネル。面映ゆくないわけがありません。家族の愛情と言うのは、この年頃、いつも邪魔なものでした。
2012.11.05
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筆を持つのは小学生からで、いっせいにお習字セットを学校で購入します。これはご存知のように、硯、筆巻き、大筆、小筆、墨、水差し、フェルトの下敷、金属の文鎮、半紙がきちんと収まるような作りになっています。私が小学生の頃とは違って、現在のお習字セットの特徴は、硯が薄手の樹脂、文鎮は重さのある樹脂で、墨はほとんど擦らず墨汁を多用することでしょうか。硯が石でないというのは驚異で、こんな軽いもので墨が擦れるのか!と思ったのですが、よくよく考えると墨を擦るためではなく墨汁を張るものなので、こんな素材でも一向に問題がないのでしょう。だけど、じっくりと静寂と闘いながら墨を擦る感触と、あの竜脳の高貴な香りを味わえない子供たちは、気の毒だと言うほかありません。
2012.11.04
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平安時代の藤原良相(813~867年)邸宅跡で万葉仮名の書かれた土器 約20点が出土したとか。折しも万葉仮名のことをブログで話題にしていたところなので、興味深くニュースに目を通しました。http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2804H_Y2A121C1CR8000/土器、つまり、かわらけと言っても大皿のような裏に文字が書かれているのが奇妙で、内容は神楽歌「葛城へ渡る久米路の継橋の心も知らずいざ帰りなむ」という内容らしいのですが、見るからに祭器だったような様相を示しています。ということは・・・ここは邸宅と言うよりお宮だったのでは?と勝手な推理をしてみましたが、西山良平教授は邸宅内で神楽が行なわれていたとの可能性を示しました。しかし、おうちで「お神楽」というのも雅ではありませんか。さすが、時の貴族です。笑(今回、出土した祭器らしきもの)
2012.11.03
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父が書道を嗜んでいたせいか私もお習字には関心を持つことができ、子供ながらに好きだった隷書体で和紙をあれこれ選び勝手に席書大会へ応募したりしていました。大学の図書館で藤原定家の書を見つけてからは、その流麗で柔らかい草書にいっぺんで惚れてしまい何度も借りてきては臨書してみたものです。定家は初期の頃と晩年では筆跡がかなり違い、私は晩年の、強弱があり一字一字が連綿とならず独立したこの筆跡が好きで。でもどうがんばっても定家に倣えず「いったいどんな特殊な筆を使えばいいのか」と不思議に思ったものです。自分の未熟さは思いもよらず、羊毛ならどの程度の柔らかさか、いや、馬毛ではあるまいなどと、とにかく筆ばかり眺めていましたっけ。笑(藤原定家自筆 初學百首 詠百首和歌 春廿首より)出づる日の同じ光に四方の海の波にもけふや春は立つらむ伊津留日乃於奈しヒかりによもの海乃(改行)奈みに毛けふや者る八堂つらむ↑万葉仮名でこう書いてあります。英語のyのようなのは「に」(尓)と読みます。ひらがなの「わ」みたいなのは「り」。ただ一部、私では解読できない漢字(光のヒ)がありまして、(ここでは「む」みたいな字)悲か比か乾のどれかだと思いますが、おわかりになる方はコメントをどうぞ↓
2012.11.02
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大型バスの団体さんが参拝に見えると、ご朱印帳を一度に数十冊預かることがあります。ご朱印書き自体は難しくはないものの信仰のよりどころとなるものなので緊張します。これが、書き直しのできる拙著なら、どうも気に入らないサインになってしまった場合は買って書き直すこともあるのですが、ご朱印帳ともなればそうも行きません。いえ、当宮司は「間違えてもいいのよ~」なんておっしゃってくれるのですが、やはりそうはいきません。それで、ちらりと隣のページを見やると、あの明治神宮さんだったりするわけ。え~!! 明治神宮の次にロゼーテ?? 焦ります。(ラテン語のサイン)
2012.11.01
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