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真竹だけの朝市6月30日(土)は、多摩の団地の朝市でした。東京も昨日梅雨明けして、朝から夏の暑いひざしが挿しています。どんなに暑かろうと、寒かろうと、雨が降ろうと、人間が生きていくためには、いつの世も、新鮮な食べ物、野菜と果物が必要です。午前9時から、多摩と群馬の農家が新鮮野菜を提供する朝市が開かれました。当方も、ここで当面の新鮮野菜を調達しています。今日は、キューリ、トマト、ナス、小松菜、ピーマンを購入しました。これで、焼きナスと、野菜炒めのジャン料理の材料がそろいました。群馬からの野菜は、昨日仕入れたものですが、搬送費がボランティアですから、新鮮で、おいしくて安いんです。ですから、この朝市も定着してきており、お昼頃には品物がなくなっちゃうんです。当方はというと、この時期はみかんはシーズンオフになっています。ことによると、農家の奇跡的な裏ワザ―「青の清見」が出ることもありますが、今回は柑橘類はなし。その代りに、唯一の品物、真竹が並べられました。真竹は、シーズンが終わりで、鉛筆の様に細いものしか採れないんですが。4本で100円です。ミツバのおまけつきです。真竹は11束が並べられたんですが、午前9時25分には完売しました。まぁ、たまには早めに店をたたんで、ひと休みすることも良いかと思います。
2018年06月30日
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イノシシ用の鉄柵の到着と梅雨明け今日は早川のみかん園に鉄柵が到着しました。これは、イノシシの被害を防ぐ為の防御柵です。本日の主題は、何といってもこの150枚の受け入れです。小田原・早川の石垣山では、イノシシによる農産物への加害がひどくて、みかん園でも、その周りを鉄柵で囲わざるを得ないんですね。そうしなければ、地面とそこから1メートルくらいの作物は、ほぼ壊滅状態です。当地の農家にとっては、みかん畑を鉄柵で囲うことが一般的になっているんです。これまで、当方もイノシシの侵入を防ぐ為にビニールの網柵をしてあったんですが、イノシシがその気になりさえすれば、こんなものは簡単に破られちゃっていたんですね。やはりビニールの網では、イノシシに破られちゃう。とめることは出来ない。せいぜい、どこからイノシシが侵入してくるのか、どこが通路となっているか、そうした動向をつかむくらいの意味でしか役だたなかったんです。もちろん、何もしないよりかはましですが。限界があったんですね。イノシシの侵入を完全に防ぐには、やはり鉄の柵を設置するしか方策が無いんですね。その材料が、いよいよ到着したわけです。これからみかんが大きくなる秋口までに、みかん園のまわりに、この鉄柵を設置していきます。みかんづくりは、今やこうした前提づくりをしなければ、成り立たなくなっているんです。それが今のこの地の農家の実情です。石垣山の農家では、みかん園では、ほとんどの人たちがこうした鉄柵を設置しているんですね。当方は、この間、板で柵をつくったり、木酢や髪の毛をつるしたり、イノシシとの知恵比べをしてきたんですが、これで、これまで続いたイノシシとのいたちごっこから解放されるはずです。もっとも、それはこの鉄柵で囲えた範囲でのことでして、囲いきれないところは、それはまた別に対策を立てて対処していかなければなりませんが、それでも、そうした範囲は、ぐっと狭くなりますから、また手の打ちようも出てくるはずです。さて今日は、梅雨が明けました。こうした作業を朝からしていた間に、関東甲信越の梅雨明けが発表されたんですね。朝の午前6時半くらいには、時々小雨が降る。山の方面には綺麗な虹が出ていたんです。相模湾の方は、いつもとは違っていました。海が銀色にキラキラと輝いていました。朝のうちは、小雨もぱらついていたんです。「炎天下での作業よりはまし」、と思っていたんですが。ところが、鉄柵をトラックから下ろし終わったころには、事態は変わりました。午前9時ころでしたが、天気は、完全に夏の日差しになっていたんです。夏空の下、左側に小田原城が見えてますが、分かるでしょうか。こんな陽ざしの下でも、予定していた草刈りや、カミキリムシの防止対策を実施してきたんです。もう汗びっしょり、衣類を絞れば汗が搾り落ちるほどでしたから、もう完全にバテバテになってたんです。そんな中、昼近くのニュースで「関東も梅雨明けした」との発表がありました。今日は、鉄柵の受け入れもしましたし、カミキリムシ対策の塗布もしてきましたし、難行苦行の草刈りも予定の範囲を実施してきました。もはややるべくことは、やり切りました。午後は、もうこれ以上の作業は危険状態にはいっていきますから、いくら収穫や作業をしたくても、すべてをほどほどにして、早々に切り上げてきた次第です。
2018年06月29日
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蔵原惟人著「プロレタリア文学運動」の続き私などが蔵原さんという人を知ったのは、1968年の高校三年の時でした。私などにとって文学の世界はそのころまでまったくの馬耳東風の世界でした。前回も紹介しましたが、教科書に出て来る範囲内だったんです。ところが高校には個性的な人もいて、私などに蔵原惟人著『芸術書簡』を貸してくれた友人がでてきたんです。これが、古今東西の文学の広い世界を知るきっかけになりました。それが、プロレタリア文学運動への治安維持法による弾圧、検挙により獄中での読書によってなったものであるなどと言うことは、分かりませんでした。ただ、古今東西の文学の古典作品を縦横に紹介してくれていたんですね。もちろん、私などは名前でしか知らない作品です、それらの中身を一つ一つ丁寧に吟味されていたわけで、その努力に関心していたんですね。ロシア文学についても、その世界をそうした中で知りました。偶然でしたが、大学一年生の終わり、春休みの時に蔵原惟人氏の講演を聞く機会がありました。1970年3月「レーニンの思想と現代」で、東京・文京公会堂での生誕百周年の記念講演でした。それを私は確かに聞いていたんですね。ところが最近、知人が本をプレゼントしてくれたんですが、その中にこの講演がふくまれていたんですね。それが懐かしい、聞き覚えのある講演であることに気がついた次第です。そうした状況ですから、プロレタリア文学の作品についても、私はほとんど読めていないんです。だからこの「日本プロレタリア文学案内」(三一書房 1955年刊行)というのは、古い本ではあっても、私などには大事な案内書だったんですね。 戦前、蔵原氏が5年くらいしか評論活動が出来なかったということも、今回あらためて認識したところですが、一番の注目した点は、戦前日本の治安維持法の弾圧下にあって、文芸の分野では統一戦線的な組織がつくられたということですね。1925年11月日本プロレタリア文芸連盟がつくられる。1928年3月13日には日本左翼文芸家総連合が創立されている。1928年4月18日には全日本無産者芸術連盟(ナップ)がつくられている。1931年11月には日本プロレタリア文化連盟(コップ)がつくられている。この本の巻頭にある蔵原氏の「プロレタリア文学運動」は、1954年の時点に立っての、戦前のその活動の分析と評価なんですね。そこには、いろいろな問題があったたろうと思いますよ、この本も蔵原氏の小論も、それを整理するための検討でもあるんですね。最後は、戦争への道、戦時統制下で、解散させられるんです。そこにいたるまでは、厳しい思想弾圧の下でのことでした。蔵原氏も検挙された長期の獄中を余儀なくされたんですね。そうした流れのなかにあって、文芸分野の人たちが、思想的なそれぞれの立場を越えて、統一戦線的な組織をつくり共同して活動したということ、これは日本の歴史の事実なんですね。その戦前の歴史には、今でも学びうる問題が多々あると思うんですよ。しかし、戦後は壊滅の余韻を引きずっていたと思うんです。そして戦後は戦後で複雑な新たな事情もあったわけですから、これを正面から全面的に評価する作業は簡単ではなかった。私なども耳新しく知ることが、多々あるわけですから、蔵原氏などによるこうした努力は、日本の全体からしたら、やはり限られた人たちにしか共有されていなかったんでしょうね。私などのがもつ「空白感」も、そうした歴史の事情の中でのことなんですね。
2018年06月28日
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蔵原惟人著「プロレタリア文学運動」を読むこの時期のみかん農夫は、梅雨の合間の草刈り作業でヘトヘトなんですが。それだけに終わっていては、人生がもったいないですから、積んであった本から、なにがしかを引っ張りだしてくるようにしています。今回は、『日本プロレタリア文学案内』(三一書房 1955年刊)から、巻頭にある蔵原惟人著「プロレタリア文学運動」です。当方は、文学の本は学校の時の教材以上には読めてないのですが。1950年の戦後生まれからして、現在の憲法の社会というものが、昔からずっと自然なものとして続いてきた様に受け止めてしまうきらいがあるんですね。「はじめに」で蔵原氏は書いています。「私が戦前にプロレタリア文学運動に関係したのは、1927(昭和2)年ごろから昭和7年ぐらいまでの間です。・・治安維持法で昭和7年に検挙され、それから約9年刑務所の中にいたわけですから、その間のことと私の加わる以前のことは直接自分では知らないわけです。だいたい5年と少ししか直接参加していない。」(P9)たいへん限られた条件の中で、限られた期間の中での戦前の蔵原氏の活動だったんですね。この本の副題は、「日本プロレタリア文学の再検討」と題されています。1955年に刊行されたわけですが。どうやらその評価を定めようとする議論の最中にあったんですね。私自身にとっては、戦前から戦後の文学の歴史が「空白」のように感じていたんですが、それは個人の問題でもありますが、ある面ではそう感じることには、社会的な歴史的な根拠があったんですね。巻頭の蔵原論文ですが、1.日本プロレタリア文学の誕生と、文壇との関係、2.初期のプロレタリア文学が確立するにあたっての試練、3.「五.当時の諸思潮と、六.プロレタリア文学運動の分裂、七.ナップの成立」。この3.あたりは、蔵原氏が具体的にかかわってのこと。「日本左翼文芸家総連合」やナップの結成の経過と問題点。これは芸術分野での各団体個人の統一戦線への動きだったんですね。当時行われたいくつかの文学論争について。こうした流れを基盤にして、今日にも知られた文学作品がつくられたんですね。良くは知られてないことかと思いますが、そこには素晴らしい努力があったんですね。しかし、それらは1932年の3月から4月の大弾圧で、ほとんどの人たちが検挙されちゃったんですね。治安維持法による思想弾圧の下では、文学論争も公然と行える条件が無く、文学運動上の議論も交わされる条件が無く、ばらばらのまま敗戦まで弾圧されていた。だから、戦後になって、議論自体は交わすことが出来るようになったものの、弾圧の下での13年間の歪みは、それぞれの置かれた状況からして、簡単には意思疎通も整理も出来なかったということ。この1954年時点でも「再検討」もとめられ、議論が交わされていた最中だったということですね。こうした状況を知ると、私などが関東の片田舎から東京へ進学で出てきて来た時は、1969年でしたが、そうした社会状況も、歴史経過についても、ほとんどというより、まったくと言っていいくらい知らなかったわけで、それらを多くの初耳のことを通して、交わされている議論から、概観をつかむことしていたわけですが。それがしっかりとできなかったのは、(今でも材料に疎いのは変わりませんが)、ある意味では当然だったし、やむをえなかったことだったんですね。いま、こうして、置き去りにされていた本をめくることで事態が見えてくるわけです。これって、今さらながら、遅いけれど仕方が無いことだし、その不十分さについては今日にあっても一つ一つ埋めてゆくことが必要だということですね。
2018年06月27日
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巣枠の追加と草刈り梅雨の切れ間の昨日と今日、連続してみかん園に行ってきました。この時期の暑さの下では、やりたいことは多々あっても、無理が出来ないんですね。6月26日の今日は、昨日に比べると湿気が多くて蒸し暑くなりました。朝、石垣山を下る時の小田原の景色です。直ぐ近くの景色ですから、普段はこんなことはないんですが、やはり湿気が多いために、朝もやで街がかすんでました。これでも朝の7時半くらいなんですよ、小田原の街全体がかすんでいて、その中に小田原城が浮き立っていました。この時期ならでわの、幻想的なめずらしい景色です。連投で出かけてきた今日は、昨日出来なかった作業をすすめるためでした。まずは、何が何でも、今の様子の写真どりです。さて、昨日は、梅の木の剪定作業を中心にとりくみましたが、今日は本題の草刈りです。真鶴でも早川でも、朝からみかん園に草刈り機のエンジンを響かせてきました。これは、早川の市民園での結果です。午前6時30分から7時半までの、1時間の草刈りでした。広いので全体を一気には草刈りできません。本格的にやれば、ここだけでかなりの時間が必要なんです。今回は、今後本格的な草刈りをするために、せいぜいその道づくりをしたということです。それと、最近植えたみかんの苗木が、雑草に覆われていましたから、その周りを刈りました。みかんの苗木が、その存在を示しでしています。午前7時半には、真鶴園への移動です。こちらでも雑草の繁茂がひどかったんですね。昨日は、援農の人たちの協力を得て、朝の1時間でしたが、3本の木のまわりを草取りしたんです。今日の草刈りは、この真鶴のみかん園の全体にたいしての草刈りでした。こちらでも小木が草に埋もれていたんですが、その存在がはっきりするようになりました。木の根回りの草取りは今後の仕事として残されてますが、全体の草刈りは終わらせてきました。真鶴園では、昨日、ミツバチの巣箱の追加の作業がありました。スムシが繁殖しないように、昨日は、巣箱の基底部の交換をしたんです。そうしてみたら、巣箱の中はミツバチの巣づくりが活発で、3段目の針金が見えなくなっていました。もうちょっとで、基底部の巣枠にまで降りてこようとしていたんですね。それで、下部に4段目の巣枠を追加したんです。この間、梅雨の季節の中、暑い日々が続いているでしょう。気温が18度をこすと、ミツバチの巣箱の出入りが活発になるようです。外から働き蜂が、集めた花粉や花蜜を小脇に抱えて帰ってきます。私などが草刈りのエンジン音を立てると、巣門には警備係のハチたちが構えだして、巣箱をまもって、「それ以上、巣箱に近づくな!」と警戒態勢がしかれていました。すでに昨日、巣枠を追加してますから、今日は巣箱をいじることはないのですが。今日は周辺の草刈りをしてきただけですが。それにしてもミツバチはまじめですね。働き蜂と警備の蜂が、しっかり役割を果たしています。もう早川の草刈り作業で汗びっしょりですから、それに真鶴の草刈り作業でしたから、午前10時過ぎには終わりにしたんですが、もうヘトヘトです。しかし、このミツバチの仕事の様子を見ていると、どのミツバチもまじめですから、なぜか、見ているこちらとしても、気分が癒されるんですね。大勢のミツバチが、一致団結して働いているんです。「忘れた」とか、「記憶にない」とかの、誤魔化しなんか一切なしです。「くたびれた」なんて愚痴っぽい、なまけものの蜂もいないようです。それぞれが一生懸命、頑張ってます。外敵の侵入を防いで、自分たちの群れを守り大きくしようとしています。自然界では当たり前のことが、人間ともなるといろいろあるんですね。ということで、二日間連続となりましたが、梅の剪定と、草刈り作業でしたが、この時期の作業を、不十分さはあったとしても、なんとか全力で果たしつつあります。
2018年06月26日
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梅の枝きりに行ってきましたいや、まったく今日は暑い一日でした。引き続き、梅の枝きりに行ってきたんですが、ついに今日の暑さの中、一枚も写真を撮れませんでした。これは、前回の6月22日の写真です。この箇所の木は、白加賀だそうです。その梅の木を、間引きと縮小の剪定をしてきたんです。今回は、Iさんと、Hさん、そして私の3人がかりでの作業だったんです。最初に園主さんから、一番基本的な剪定の心得を実地に教えてもらってから、それぞれ担当する木をきめて、午前9時から10時50分まで、梅の木と格闘してきました。まず基幹に巻き付いているツルをはらって、立て込んだ中から徒長枝を切って、思い切って全体を縮小するようにして、樹冠の中に光が差し込むようにしました。それぞれが汗びっしょりになっての健闘でした。おかげで、密集し過ぎている枝について、かなりの部分を払い落しました。この奮闘の結果ですが、それがどの程度効果的であったかは、大汗の努力の結果がどのくらい報われるかは、それは、来年か、再来年に、それぞれの木の梅の実のつき方によって検証されます。とにかく、強い陽射し中で、果敢に奮闘したことは確かなんですが。
2018年06月25日
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梅の木の枝切り今日は、午後から関東も陽がさしてきました。梅雨の切れ間です。本日は、農夫はお休みですが、明日はふたたび遠出してきます。目下のみかん園のですが、中心は、草刈り作業と梅の木の縮小剪定をしています。これはこの時期の富士山で、6月19日に小田原から見た姿です。雨上がりでもあり、鮮明な姿を見せてくれました。雪もだいぶ少なくなっています。この6月19日も、梅の木の枝切り作業をしたんですが。次の写真がその結果です。右上のひさしの隣に、少し枝がすいた木がありますが、この日は、その密集していた枝を切ってきたんです。あまり目立ちませんが、これでもかなりの枝をすいたんですよ。その次に、枝切の対象にした木は、左側の小屋のすぐ右側にある梅の木でした。この木も枝が密集しており、やはりすいてやる必要がありました。ある人がアドバイスしてくれたんです、『梅の木は、思い切り伐り縮めても大丈夫で、わきから新しい枝が出て来る。木を大きくし過ぎると、手入れも収穫も大変になってしまう。枝切りしてやれば、それだけよい木になって復活してくるから、思い切ってやることだ』と。木の枝を切るには、それなりの見立てと、勇気と決断が必要なんですが、梅の木の手入れへの激励として聞きました。それで6月22日は、テレビ・ドラマのロケがあった日でしたが、ちょうどその撮影が行われていたころ、私などは、この木に対して、かなり思い切った枝切り剪定をしたんです。次の写真が、その結果なんですが。『なんだ、あまり変わってないじゃないか』と言われるかもしれませんが、これでも、かなり枝を切ったんですよ。しかし、こうしてみると、まだまだ不十分なんですね。高くなった枝をもっと切り縮めたほうがよいし、密集している部分については、さらに間伐してすかせること、作業した後の写真を見ると、さらにもっともっと思い切って手を加える必要があったことを感じます。たった1本の梅の木の手入れですら、こうしたことですから、こうした木は何本もあるわけですから、さらに引き続き頑張ることが求められているわけです。しかし、梅の木の手入れだけではないんです。さらにそれに加えて、みかん園全体の草刈り作業があります。みかん園はひろいですから、草刈り作業は、以前に草刈りしたところも、伸びています。今回は、再びの草刈りですが、それは、まだ一部分を始め出したばかりなんです。とくにこの時期は、ひと雨降るごとに雑草が新たに繁茂してきますから。この時期のみかん園の手入れは、とどのつまりは草刈りなんですね。草刈りがみかん園の必須の作業になっています。今、石垣山では、あちこちから草刈り機のエンジン音が聞こえてきます。しかもこの作業は、炎天下の作業となりがちですから、それこそ汗びっしょりの難行苦行の大作業になります。次の写真は、6月22日に草刈りした箇所ですが。本当は、みかんの木の基幹部分については、その周辺の草取りが必要なんです。というのは、これからゴマダラカミキリムシが発生する時期になります。カミキリムシは木の中から出てくる場合もありますが、園外から飛んでくる場合もあります。カミキリムシはみかんの木が大好物で、みかんの木の基幹に卵を産み付けようとしてやってきます。これを許してしまうと、みかんの木は枯らされてしまうんですね。カミキリムシが木の中に掘った穴で、地中の養分を枝の方に送れなくなってしまうんです。この6-7月が勝負なんです。カミキリムシの加害されるのを防ぐには、基幹に防虫剤を塗りますが、同時に、基幹のまわりについては、その動きを見つけやすいように草刈りではなくて、草取りをして綺麗にしておくことが大事になってきます。これからの時期、基幹あたりを見回って「御用」にするんです。ということで、この梅雨の時期は、雨が降っても、ふらなくても、農夫はみかんの手入れで大忙しです。少なくとも、草刈り作業と剪定作業を、梅雨の切れ間にすすめておかなければなりません。明日も頑張って行ってくるわけです。
2018年06月24日
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青の清美は好評です本日、6月23日の朝市ですが、主には清見オレンジを販売してきました。ちょっとヘンにおもいませんか?普通、清見オレンジは4月が旬じゃありませんか。それがどうして今ごろなのか・・・?なにか季節をタイムスリップしたような、そんな今回の清見オレンジの登場ですが。これは私などの推測ですが。たしかに今、Kみかん園では清見オレンジの収穫をしているんです。「青の清見オレンジ」といっていました。普通なら農家は清見オレンジを、その旬の4月のうちに木から果実をすべておろしてしまいます。そうしないと樹が果実に養分を取られちゃって、やせ細っちゃうからなんですね。そうなると、次回は極端な裏年になって、果実が着くのが少なくなるんです。そうした事態を緩和するために、4月の中頃までには、すべての果実を木からおろしてしまいます。ところが、視点を変えれば、はなから翌年に木を休ませるつもりで、4月の青い清見については採らずにそのままにしておく、そして樹上で完熟させるようにして、今頃まで待つようにすれば、「青い清見」であっても、甘夏くらいの大きさのものであっても、完熟して美味しくなってくるんです。私などは、単年度サイクルの認識ですから、「この木は表年」「この木は裏年」と区別はしても、その年の4月のうちに木からすべての清見を下ろしてしまいます。そして木を花の咲く5月までには、荷物を下ろさせて木自体を休ませるようにしています。ほとんどの農家はそうしていると思います。しかし、なかにはKさんの様にひと工夫して、季節外れの清見オレンジを楽しめるようにしている方もいるんですね。理屈では分るんですが、習慣と木の負担を考えると、なかなかそのようには踏み切れないんですが。販売ルートは一般には無くて、生産者個人が自主開拓しかないはずなんですが。だいたい今ごろは、市場のどこをさがしても清見を販売しているところなんてないでしょう。ものは旬をすぎれば、農協でのどこでも扱ってはくれないはずなんです。いくらおいしい清見だったとしても。自主流通で消費者の需要をつくるしかないんです。一般に農家はこの時期も、剪定やら、草刈りやら、施肥やらと、なんやかんや忙しいわけですから、なかなかそんな市場開拓まではしていられませんから。そうした今回の清見ですから、今回の朝市では、ドンドン味見をしてもらうようにしました。いわば奇跡の清見オレンジです。この「青の清見オレンジ」はこの農家のユニークな傑作品なんです。ですから、その努力と工夫を無駄にさせないように、私などの役目は、都会の団地の消費者にドンドンとその味を試してもらうことです。それが結果として販売出来たとしたら、消費者にも生産者にもさいわいじゃないですか。「さぁお立合い、だまされたつもりで、この「青の清見」を味わってみてほしい」「これを味わなかったら、あんたは人生を一つ損するよ、あぁもったいない、もったいない」などと、寅さんなら、きっと、そんな口上で、これを道行く人に売ってるでしょうね。
2018年06月23日
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テレビドラマの撮影の場所になりました今日は、午前6時35分に小田原・石垣山のみかん園に行きました。というのは、本日、テレビドラマのロケーションの舞台に、みかん小屋がなるからなんですね。当方の本日は、みかんの発送があるし、草刈りもありましたから、撮影が本格化すればみかん小屋に近づけなくなるし、草刈り機のエンジン音も撮影の邪魔になることもありえましたから。すでに午前6時35分には、撮影チームの先遣隊が到着していて、準備が始まろうとしていました。次の写真は、お昼休みのため、周辺の規制がとけた時のものです。なかなか大所帯なんですね、撮影チームの集団というのは。50名くらいが、色々な準備に係わっているのだそうです。私は撮影舞台の準備が始まる前に、草刈り機のエンジン音が邪魔にならないか聞いたんですが、『午前8時くらいまでは、間違いなく大丈夫だ』という確認が取れたので、ここから数十メートル下ったところなんですが、草刈り作業をしていました。その後は、音の出ないよう、ノコギリを使って、枯れ枝の除去をしていました。したがって、撮影の情況は分からなくて、準備と後片付けの時の様子を見れました。これは、撮影が終わって、テレビ局の人たちが片付け作業にかかった時のものです。このみかん小屋の前には、実際にはバスの停留所なんて無いんです。あくまでテレビドラマの撮影用に、セットの道具の一つとしておかれていたわけです。ドラマ名は「透明なゆりかご」という題名だそうです。NHKで、7月20日から10回ものだそうで、午後10時からとのこと。このみかん小屋と停留所のシーンは、8月24日に放映される予定だそうです。いったいこのドラマがどんなストーリーで、このみかん小屋とバス停の場がどんな形で出て来るのか。私などにはまったくわからないんですが。撮影の様子も見れてませんし。しかし、日頃使わせてもらっているみかん小屋ですが、いったいどんな形になって放映されるのか、楽しみにしているところです。私などはスタッフの人に「少なくとも、視聴率は1人ふえますよ」と言っておいたんですが。その方は、「今日は良い収録が出来ましたよ、楽しみにしててください」とのことでした。
2018年06月22日
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マルクスの名句はどこから生まれて来るのか最近、マルクスの『ドイツ・イデオロギー』を紹介してくれた人がいます。私も3年前ですが、マルクス著『ドイツ・イデオロギー』を読んでいました。その学習ですが、その時に何回かブログでも紹介したんですが。その第3回が下記のものです。https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201506210000/その時(3年前)に、かつて一緒に『資本論』学習した仲間から感想が寄せられました。その中で、この方にとって、この本の印象に残っている箇所として一句が紹介されてました。その文章とは、「社会が全般的生産を寄生するようになると、今日はこれをし、明日はあれをすることが出来るようになり、猟人、漁師、牧人、あるいは批評家になしに、私がまさに好きなように、朝は狩りをし、午後には釣りをし、夕方には牧畜を営み、そして食後には批判をすることが出来るようになる。」以上の箇所だったんですが。(新日本出版社の服部文男訳ではP44。大月書店の国民文庫の真下信一訳ではP64)面白いことに、最近になって、別の方が、やはり『ドイツ・イデオロギー』を紹介して、同じくこの箇所を記憶に残る印象的な言葉として紹介されていました。偶然ですが、別の方が同じ個所を紹介されてたんですね。私なども、その箇所は、印象に残っていたんですが。資本主義的社会生産の中での個人の置かれた問題を指摘していると思います。現在の私的企業が儲けを追及することで寄せ木細工の様な絡み合いで、実際に社会生産が行われているでしょう。それはまさにその通りでと思うんですよ。一つの部品、たとえネジの一本でも、一つの独立した企業に頼っていると思います。チョットした部分品が欠けただけでもおかしくなると、全体が動けなくなるというもろさをもちつつも、特殊な技能が組み合わさって全体としての生産が発展してきたというのも事実だと思うんです。企業も、人も、その特殊な一点が、全力を傾注した生産物、全体の部品になっている。しかしですよ、それはもろさをもっていると思うんです。東日本大震災は、実地にそうしたもろさを示したし、そのあり方に対する警告でもあったと思うんです。あの時に、わずかな部品が供給できずに、自動車生産の全体がストップしていまったように、震災により経済活動がマヒする事態に陥った。必死でライフラインを復旧させ、生活必需品・食料品を確保し、交通を確保して、経済活動をふたたび全体的に回復させてきたわけです。大阪の震災も、ニュースの取り上げ方は部分的なもので、やはり同じ問題に直面していると思いますよ。ここには、社会生活に対する大きな社会的な視野がもとめられていると思うんですよ。そして、現実にも様々な社会的な対応がはかられたと思うし、それらによって現在の情況回復があると思うんです。まだ、福島県民は回復で来ていないはずですが。むかしなら「神の見えざる手」といった言葉で、社会的な機能についての説明は、ある程度は済ませたかもしれませんが、しかし、現在ではそうはいきません。とくに現代の日本では、東日本大震災と原発事故を体験しつつある日本でもあるわけですから、これまでの様にあなた任せで、お上を・それが牛耳る社会を、まるごと素朴に信頼していて大丈夫なのか、ほんとうにだいじょうぶなのか。あの安倍政府の言うことを、そのまま真にうけれるのか、受けれっこないというのが現在の問題であり、では事態を打開するにはどうしたらよいのか、そこに問題がありますね。マルクスのこの言葉には、この社会的な視野、社会的な生産への見方が示唆されていると思います。ところで、最近映画『マルクス・エンゲルス』が上映されてますが、この「若きマルクス」(映画の原題)というのは、マルクスの言葉ののった『ドイツ・イデオロギー』の書かれたころでもあるんですね。唯物論的歴史観を発見したマルクスたちは、どの様な社会活動を展開していったか。もちろん今の日本とでは、時代も社会国家の条件も大きく違っていますが、しかし共通している問題もあると思うんですよ。その社会がどのようになっていて、どう動いているのか、そこにはどのような問題があるのか。そこで生きている人は、人としてどの様な努力が必要なのか。そうした基本的な問題と生き方の提起が、この著作にも映画にも含まれているとおもいます。古典とは、今を生きる人が、それから何を読みとるのか。その読む人なりに宝となる側面を見つけ出して、今を生活していく上で生きた力にしうるということなんですね。
2018年06月21日
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梅の巨木の剪定に行ってきました6月19日(火)は、台風崩れの低気圧もぬけて、梅雨の切れ間の晴天でした。今日の主題は、梅の巨木を剪定することでした。これが対象になっている梅の木々なんですが。梅の収穫は終わっています。ほんの少しですが、高枝の先の方に梅の実がついています。枝を切りながら、その実を収穫してきました。これでも剪定をした後の写真なんです。「いったいどこを剪定したの?」と言われても仕方がないんですが。今日は、これでも、二人で1本ずつ受け持って、3時間近くをかけて、木によじ登って枝切りをしたんです。しかし、大きな、たくさんの木ですから、ちっとも目立たないんですが、この努力の効果のほどは、来年確かめてみるということなんです。梅の剪定ですが、その作業は、必ずしも今の時期でなくてもよいのですが、今は梅を収穫した直後ですし、まだ枝先に少し残っているから、挑戦することにしました。「あとでやるから」なんて言ってると、時々の忙しさから、結局は、次々に先送りされることになるから、とにかく、ここを一勝負として「枝切りの剪定中心の収穫」とのつもりだったんですね。ところで今日の天気は快晴でした。当地の昨日は、一日中雨が降っていたそうですが。うって変わって上天気、明日からはまた雨が降り、しばらく雨が続くとのことですから、今日しかできない作業だったんですね。つぎは、朝の小田原と相模湾の様子です。午前7時ころです。まだ海の方は、岸辺に大きな波が押し寄せているようで、波しぶきが上がっています。次は、みかん園に出かけて来る途中、平塚から見えた富士山です。午前6時8分です。雨上がりの富士山は一段と鮮明なんですね。ここへきて雪もだいぶ少なくなっています。次は、さらに走って、午前6時25分、小田原SAから見えた富士山です。こちらは、より接近しているため、登山道のジグザグの道も写っていました。今日の作業ですが、やり足りない点は多々あるわけですが、しかし、梅の巨木のを、2本ではありますが、枝を間引きし、切り縮めてみました。この剪定によって、この数年のこの梅の木に、どの様な変化が出て来るか、楽しみなところです。
2018年06月19日
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『人間の尊さを守ろう』で、もう一つ今朝、大阪、日本の第二の都市で大きな地震がありました。夕方のニュースでみたら、帰宅しようとして道を行く人たちの様子が報道されていました。これは2011年3月11日の都心での体験に重なるものでした。福島の原発事故を体験しながら原発推進をはかる安倍政権へ、日本列島の自然があらためてその危険を警告しているものと受けとめるんですが。本題です。吉野源三郎著『人間の尊さを守ろう』(ポプラ社 昭和47年刊)を読んでますが、これは23編の小論が集められています。以前、6月10日には、リンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治」-1863年11月19日のゲティスバーグの演説の中身を説いた吉野氏が、日本ではどうか? と問いかけて。1947年4月の新憲法によってその原則が定められ、国民の権利となったこと。しかし、憲法で定められたことが、即現実になるわけではなく、そうなるためには国民の努力が必要なんだ(P134-145)と、吉野氏が指摘しているのを紹介しました。今回、最終編の「ヒューマニズムについて」を読んだんですが。ここでも説かれていました。「戦後の日本にとっては、ヒューマニズムはたんなる思想の問題にとどまりませんでした。当時、日本は敗戦によって二千年の歴史にかつてない転換をとげて、人間尊重の原則がはじめて最高の法規として承認され、この原則のうえに、戦後の日本が再建されることになっていました。そして、民主主義という名でよばれる原則の底に横たわって、この原則に生命を吹き込み、血肉を与えているものは、他でもないヒューマニズムなのです。人間を愛し、人間を信頼し、人間のこの地上における幸福を肯定しないで、いったい、どこに民主主義がなりたつでしょうか。」(P292)なかなか重い言葉だと思いませんか。戦前からの苦労を経て獲得した権利を、戦後に大切なものとして受けとめた実感が伝わってきませんか。おまけですが。この「ヒューマニズムについて」の冒頭ですが、古代ローマのテレンティウスの言葉「すべて人間的なものは、自分にとって無縁なものではない」が紹介されています。さらに、これをドイツ古典哲学のルードリッヒ・フォイエルバッハが、自分の新しい哲学のモットーにしていたということが指摘されています。たしかに、『将来の哲学の根本命題』(1843年)ですが、その55で「『私は人間である。人間に関するどんなものも私に無関係であるとは思わない』-この命題は、その最も普遍的な、最も高い意味において、新しい哲学者の標語である。」(岩波文庫 P93)とフォイエルバッハは宣言しているんですね。「人間主義」とされる点かとおもいますが。同じ言葉ですが、翻訳の仕方で表現に少しニュアンスの違いがありますから、これがテレンティウスからだとは気がつかなかったんですが。これは、やはりよく紹介されことに、マルクスの伝記などには「告白」があります。その中に、「あなたの好きな格言は?」との問いに、マルクスは『およそ人間的なもので私に無縁なものはない』と答えています。これはテレンティウスの同じ言葉ですね。続き合いがあるんですね。ちなみにマルクスにとって、「あなたがいちばん嫌いな悪徳は?」は、『卑屈』だそうです。これは、憲法の原則は投げ捨てるわ、自衛隊を海外の戦場には出すわ、裏腹に縁故政治を横行させるわ、それを一年以上もごまかし、しらを切りつづけて、あげくに公文書は書き換えるわ、逃げて逃げて逃げ回ろうとするわ、あげくに悪政を強行しようとする・・・こういった態度を『卑屈』といわずして何と言いましょうか。中身が裸の王様で、それこそてんこ盛りの卑屈ですね。支持する奴の顔が見たいものです。
2018年06月18日
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みかん園のグループ発信を開始これまでも「みかん栽培の四季」で、みかん園の様子を発信してきてはいるんですが。この2月からは、そのうちの何人かは、みかん園のオーナーになっていただきました。小田原・早川の石垣山のみかん園でのことですが。「オーナー」といっいも、実際に小田原まで足を運べる方は少ないし、現地のみかんの木の本数が限られているため、限定した方たちなんですが。一応、これまでみかんに係わって来られた方を対象とさせていただきました。従って、あらかじめ声をかけれてわけではないのですが。とにかく、この2月からは、すでに何人かの方たちは、収穫作業にも参加していただいてますし、その他の方にも、手探りでしたが、みかん園からの発信をさせていただいてました。そうした中、フェイスブックには、手軽にメモ程度ではありますが、グループ発信ができる機能がついていることを知りました。これまでのワン・ツー・マンで発信するのは、大変な作業になりますので、この機能を利用させていただいて、簡単な、内輪ではありますが、この機能を使って情報発信させていただくことにしました。なかなか、実際の現地のこまかな情況や、具体的な作業予定などですから、ことは内輪のことなのです。ですから具体的に関心をいただけそうな方を、相互交換できうる方を、当方の方で勝手に選択させていただいて、発信させていただくことにしています。そうしたことで、もしも迷惑な方があれば、その旨返信いただければ、対象から外させていただきますので、勝手な一方通行によるスタートですが、よろしくお願いします。
2018年06月17日
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二か所で朝市を開く6月16日は、梅雨空ではありましたが、さいわい梅雨の切れ間のひと時となりました。今日は、大忙しだったんです。多摩市の新婦人の会つどいと永山団地での朝市の、ともに場所は近くでしたが、それぞれの二か所で朝市を開設しました。いつも買ってくれる方が、品物を前にして迷ってます。«梅もきれいだしシーズンも終わりだし、またプラムも熟しておいしそうだ≫、どうしようか?「迷った時は、両方とも抑えておいた方がいいですよ。無くなれば、もう後の祭りです。きっと後悔しますよ」と。今回の団地の朝市は、第一・第三土曜日の定例朝市でした。多摩と群馬の農家から新鮮野菜が届いて、ずらりと並べられています。トウモロコシあり、ナスあり、キュウリあり、ニンジンあり、トマトあり、・・・。産直野菜で、新鮮でおいしく、おまけに安いんです。当方もここで野菜の仕入れをさせてもらっているんですが。なにしろ店開きとともに買っておかないと、ほどなく品物が無くなってしまいますから。その一角に、小田原・早川のみかん園からの産物が並べられているわけです。本日は二つの店を手分けして、Iさんにこの団地の朝市の方を当たってもらって、当方は、新婦人の会のつどいの方で、小田原産の物産の販売でした。こちらの方は、青梅と熟した梅にくわえて、真竹とフキの販売でした。残念ながら、今はみかんの季節ではないので、本題のみかんは提供できないんですが。それでも、みかん園で採れた多彩な産物が、つどいの会場入口に並べられました。新婦人のみなさんの見立ては、さすがですね。会場の中もにぎやかでしたが、出入りする際に否応なく目にとまるんですが、たくさん用意してあったた梅、真竹、アキタブキでしたが、つどいの合間に、次々に売れていき、結局それぞれがほぼ完売しました。このつどいは、明日をひらこうとする新婦人の街全体のつどいだったようです。こうした会の所での産直販売は、今回が初めてだったんです。まぁ言ってみれば、多分に押しかけの寅さんの色合いだったんですね。おそらく、その是非がこれから反省会の話題の一つになるでしょう。「誰よ、あんな人を呼んだ人は」とか。でも、あたたかく、めざとく、ほとんど完売しました。もしかして、これは、多摩の婦人の人たちにとっても、大きくみれば、小田原・早川のみかん園の存在が、一歩、近づく機会になったのかもしれません。私などは、勝手ながら、そう考えています。
2018年06月16日
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今年の梅は終了しました6月15日、小田原のみかん園へ梅の収穫に行ってきました。天気予報では午前7時くらいから小雨が降り出し、明日にかけて本降りになるとのこと。たしかに午前7時、小田原城の景色もかすみだしていました。今年の梅は、色づき出したと思ったら、すぐに木のまわりに落下した梅が目立ちだしました。成熟の変化が急速だったんですね。梅の木の写真がないのは、到着すると直ちに、収穫作業に入ったからです。雨が降り出す前に、どれだけとれるかが問題でした。すでにとりやすい場所にある梅は採り終わっています。あとは高い枝先や、下が崖になっている場所など、採りにくい位置にある梅ですから、量も効率も悪いんですが。それでも、落下してしまう前に、雨が降り出す前に、もう一頑張りしました。梅雨のこの時期、多少の小雨位なら、収穫作業にかかります。朝の時点では、まだ雨はなかったんですが、この写真の時点では降っていなかったんですが、それでも、それはやはり作業に夢中になっていたからなですね。一段落して気づいてみれば、上から下まで全身が完全にずぶ濡れ状態になっていました。これは石垣山の農道ですが、道の下の傾斜地に梅の木はあります。正面の箱根山から雨雲が下りてきています。足元の草や木の枝は、雨滴をしっかり含んでいますから、おまけに傾斜地のことで、ツルっと滑って危険なんですね。欲張るとケガにつうじますから、ほどほどの所で終了です。しかし、何とか明日の朝市に出す分は収穫することが出来ました。なんとか、希望していた人たちを、袖にせずにすみそうです。この次の作業は、梅の木の枝切りです。「梅を切らぬバカ」と昔から言われていますが、梅は放置しておくと枝がどんどん伸びてしまいます。当方は、この時期に枝先と密集部分を切り縮めるようにしておきます。「あとでやろう」なんて言ってると、次から次へと仕事が出てくるため、結局、やらずじまいになってしまうんですね。だから枝を切ることで、おまけの収穫を、自家用の収穫をすすめるわけです。ということで、今年の梅の収穫も、後片付けの段階に入りました。
2018年06月15日
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リンカーンに関して『余の尊敬する人物』今、私などは、なぜリンカーンが問題になるのか。この問題があるともいます。国論が二つに割れたアメリカの北部と南部、奴隷制度の問題と南北戦争がその背景にあります。リンカーンは、民主政治の発展と国家の統一に、イニシアチブを政治的に発揮したんですね。これって、今の日本の進路を考える上で、もちろん時代も問題も違いますが、それでも、そこにはなにかしらのヒントがあように、そんな風に思えるんですね。前回、吉野源三郎著『エイプ・リンカーン』(岩波少年文庫 昭和33年刊)を紹介しました。あとがきで著者は、この第一部から第三部が1936年に書いたものだと述べていました。戦前にアメリカのリンカーンをこの様に自分たちに引き寄せて書いていたとは、素晴らしい見識だし勇気を感じさせてくれる作品ですね。しかし同時に、やはりそこで言っているんですが、大統領時代のリンカーンについては、第四部は1958年のこの作品で書き加えるようにしたとのことでした。今回、もう一作、矢内原忠雄氏が『余の尊敬する人物』(岩波新書 昭和15年刊)の中でですが、「リンコーン」を、尊敬する4名の人物の一人として紹介しているんですね。昭和15年といったら1940年ですよ。前の年にはノモンハン事件がおき、この年の12月には大政翼賛会つくられる時代社会ですから。矢内原忠雄という人は相当に気骨もある人ですね。簡潔ですが、大統領時代のリンカーンについても、暗殺されるまでも書いているんですね。吉野源三郎という人は、岩波新書を発刊させた人とのことですから、岩波書店の出版社の立場にあったわけですが。当然、出版社の側としてその中身を知っていたでしようし、知っていたというよりも、その中身からして矢内原氏のリンカーン論を、自身の作品を別な角度から裏付けるものでしたから、戦時体制に向かう流れのなかでのこと、思想検閲・統制化の困難な事態の中でのこと。そうした中でも、きっと刊行される様にと応援していたでしょうね。今に至ってみると、リンカーンという人は有名ですから、英雄伝のように紹介する本が多々あると思うんですよ。しかし、この二人の著作から伝わってくるのは、民主政治というのは、リンカーンの主張と生き方というのは命がけだったんですね。この二人の紹介も、それを紹介すること自体が、大政翼賛の社会風潮の中で、命がけだったんですね。しかしそこには、独特の民主主義を発展させようという理論と魂が、時代の試練に耐えて、今輝いているように感じるのは、私などの勝手な思いでしょうか。この角度から、リンカーン演説集があるわけですから、なかなかその意味をとらえるのは容易ではないんですが、二人の先人によるリンカーン紹介を参考にして、あらためて読み返してみたいと思っています。問題は、どうしたら日本の今日の事態の中で、民主主義の制度や権利を、真に中身のある前進をはかれるか。どのような点でぬかるみと闘わなければならないのか、これが問題なんですが。
2018年06月15日
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民主主義とは、吉野源三郎著『エイブ・リンカーン』先日、吉野源三郎著『人間の尊さを守ろう』(ポプラ社 昭和47年刊)を紹介しました。そこでは、1947年の新憲法で、国民の主権者としての権利、すすむべき方向は、大きくは示されたけれど、それはけっして出来上がったものではなく、基本的なすすむべき方向が定まっただけであること。国民がその権利を生かして、民主政治の中身をつくるのは、その肝心なことは、国民のこれからの努力にかかっているとの指摘が説かれていました。今回は、同じ著者が書いた『エイプ・リンカーン』(岩波少年文庫 昭和33年刊)です。「リンカーンのような政治家の事業を理解するには、当時の政治事情や政治問題を詳しく知る必要がある」と著者はあとがきで述べていますが。私などが注目させられたのは、まさにその点なんですね。リンカーン(1809-1865年)がアメリカ大統領に当選したのは1860年11月でした。61年3月に就任しますが、その翌4月には南北戦争の火ぶたが切られました。63年1月に奴隷解放最後布告、同7月ゲティスバーグの戦いがあり、翌64年11月に大統領に再選される。1865年4月9日に南北戦争は終結しますが、1週間後の4月15日には暗殺されちゃうんですね。日本では、その当時は、1860年桜田門外で井伊直弼が殺されてますから、幕末の激動の時期だったんですね。このリンカーン伝ですが、当時のアメリカが、奴隷制度をめぐって南部と北部の緊張が高まる中で、リンカーンがどのような主張と、行動をとっていたか。アメリカにとって、大きな試練だったんですね。その状況の中で、どのように民主政治の基本に立ち返えるようにして、大きなゆるぎない一歩をすすめたのか、この点を明らかにしてくれています。このリンカーン伝は、第一部労働者エイブ、第二部いなか弁護士、第三部最後の勝利、第四部人民の父、の四部からなったいますが。私などが注目する一つは、この第一部から第三部が1936年に、戦前の日本で書かれたということです。日本が戦争に走り、検閲や戦時統制が強まりつつあった中で、このアメリカ大統領の伝記部分が書かれたいたということです。これはすごいことだと思いませんか。第四部の大統領時代もくわえて、このリンカーン伝の本全体がまとめられたのは、1958年11月だったとのこと。著者はあとがきで書いています。「敗戦の苦しみを経てやっと人間尊重の原則の上に新しい日本をつくることになった。それから13年、どうにか経済は立ち直ってきたが、民主主義がゆるがない制度となり、暮らし方となり、考え方となるには、まだまだ遠い道のりがある。私は、次の時代を築き上げる現代の少年少女諸君に期待をかけ、このリンカーンの物語を、その少年少女諸君にささげようと思います。」と。政治を一歩前に進めるには、どの様な下で、どの様な努力が必要なのか。民主政治は、その制度を生かして、一歩を前進させていくには、どの様な努力が必要なのか。この著者の問題意識というのは、今の日本でこそ、切実に求められている事柄だと感じています。紹介した2つの著作は、はるか前に書かれたものですが、現代人へのプレゼントとして読みました。この中にある問題を、学んで生かせるかどうかは、いつに私たち自身が問われているんですね。
2018年06月14日
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梅雨時のみかん園今年の梅雨は、雨が降るか、強い日照りか、の天気ですから、みかん作業としては農閑期なんですが、農閑期といっても、色々作業があって、なかなかきつい作業があります。一番は、この時期は、とくに雑草が一雨ごとに繁茂してきますから、草刈り作業がかかせません。草の繁茂する力というのは、すごいんです。畑仕事というのは、まずはこの自然との力比べなんですね。ここで負けていては、どんな作物もつくることは出来ません。お茶の木の栽培だって、お茶摘みの単純作業で苦労させられますが、さらにその後があります。上の写真の中にも、ところどころにお茶の木があるんですが、茶摘みした後には、お茶の木の整枝剪定が必要なんです。樹形を元の形に、コンパクトな状態に保つためには、それが欠かせないんですね。何とか、その作業も一段落させました。そして、先週で甘夏の収穫を終了しました。甘夏の収穫は、5月なんですが、今年は一部が6月までかかりました。5月の当地の甘夏は、甘夏として最高に美味しいものなんですよ。酸味が抜けて甘さがのって来るんです、しかもジューシーなんです。おかげで、東京の当方の団地でも、評判が定着してきているんですね。今季も、大量にあった甘夏ですが、そのすべてを完売することが出来ました。果実を下した甘夏の木ですが、なんとなく大仕事を終えて「ほっと」しているように見えませんか。それは勝手な人の想像だけではないとおもうんですよ。だいたい自然というのは、その果実の収穫は、人間の都合には合わせてくれません。人間の方が、自然のコンディションに、その旬に合わせるしかないんですね。八百屋さんで見ると、お金さえ出せば、なんでも、いつでも買えるように錯覚しますが、その産地では、作物の旬は、収穫の時期も、その量も、限定されているんですね。生産者というのは、うまくその時に合わせて収穫するしかないんです。消費者の希望は、旬を見定める力をもたないと、美味しいものは手に入らないんです。農家は、もちろんその時期を知っていますが、流通にまかせるしかありませんから。さて、今のみかん園は、梅の収穫が最終盤にはいりました。最初の頃は枝もたわわになっていますから、収穫もしやすかったんですが。今は違って、徐々に枝先や、高枝部分についている実に移って行きます。大きな木では、木登りも必要になりますから、サルの様なもの、危険が伴いますから、他人には頼めないんです。何たって、みかん園のある場所は小田原ですから。近くには3万5千本の曽我梅林もあります。一帯に梅文化が歴史的にあるんですね。みかん園のあちこちにも、ところどころに梅の木が植えられています。白加賀の青梅は梅酒用に、梅干用には追熟させた梅をと。今は、その梅の、収穫と出荷が、山場を越えたところです。今年の梅は、お店で見てみると、かなり高価な値がつけられています。しかし当方としては、便乗はしません。梅は、日本文化の一つですから。誰でも手軽に使えってもらえるように、値段も割安にするようにして、手作りの梅酒、梅ジャム、梅干づくりをすすめるようにしています。枝についている梅は、もうあと少しですが。できるだけ無駄にすることなく提供するようにしています。梅の木も、生育が顕著ですから、「梅きらぬバカ」ともいわれますが、収穫とともに、伸びた枝を剪定で切り縮めなければなりません。「農閑期」とは言っても、さらに、もう一頑張りが必要なんですね。
2018年06月13日
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みかんの枯れ枝を切る6月12日、台風5号一過の小田原のみかん園です。今日の仕事の一つは、みかんの木の枯れ枝を切ること。そしてその枝を園外に出すことでした。枯れた枝をそのままにしておくと、菌が広がって、枝枯れが広がってしまうというんです。従って枯れた枝部分を切除して、とりあえずそれをみかん園の外に出すようにしました。これを台風一過の、強い日差しの下で行ったわけですから、厳しいものでした。一段落して、目を周囲に広げると、今回の台風の雨で、雑草が生き生きと繁茂しだしていました。先日草刈りしたばかりなんですが、一雨ごとに繁茂してきます。お隣のみかん園では、草刈り機のエンジン音が響いていました。大体、この時期のみかん園の手入れは、草刈りなんですね。農家の人たちは頑張りますね。この炎天下でも、ご婦人の二人が、日よけのマスクをして、広い畑で、繁茂する雑草を相手に草刈り機をうならせていました。もう完全に汗びっしょりでしたが、炎天下にもかかわらず頑張っていました。私などは新米農夫ですから、広い畑で農家の方と出会うのは貴重なんですね。そうした機会があると、みかん園の手入れについて、日ごろの疑問をぶつけさせてもらって、色々と、あれこれの疑問を教えてもらっています。今回は、キウイの剪定について、教えてもらいました。やたらつるが伸びてしまうのですが、それをどうしているかでしたが。伸びるつる果実に養分が集中しなくなるようで、伸びたつるは切るようにしているとのことでした。お隣のキウイの木の棚ですが、去年はなった実の数が少なかったそうですが、今年は、早くも小さな実がめだっていて、すでにキウイの形になっていました。
2018年06月12日
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多摩の団地とみかん園が少し近づく毎週月曜日はみかん園の作業日ですが、台風五号の雨で今日はお休みです。梅雨入りしたこの時期は、雨が降ってくれれば、くたびれた体の骨休めです。以前に紹介したように、この5月末に多摩から小田原のみかん園へやってきました。これまでは、一方通行で、みかん園で収穫された産物が東京・多摩の団地に届けられるだけでしたが。温州みかん、ネーブル、清見、湘南ゴールド、ウド、フキ、甘夏、真竹、梅などなど、自然豊かな小田原の諸産物が、団地の朝市で販売されてきたわけですが。このツァーは、色々な産物がどのような場所で、どの様な園主さんの努力で提供されているか、消費者と生産者が、相互に交流する場でもあったわけです。みかん園の現地で、園主さんからみかん園の様子について、いろいろ紹介してもらいました。それだけじゃなくて、豊臣秀吉の小田原攻めで構築された一夜城のあった石垣山のこと、その史跡もみて、相模湾の地魚をたべて、湯河原の温泉で疲れをとって帰って来る旅でした。その後ですが、小田原の産地と多摩の団地との連携が、よりはかられつつあります。「あの時のフキが美味しかった。今回の朝市にはフキはないのか」「梅が欲しい。近所の人も欲しいというから、35キロを都合してほしい」「ビワがおいしかった。もうないのか」とか、新たに、いろいろな要望が寄せられています。だいたい甘夏などは、今年の収穫の最終段階だったんですが、大量にあった甘夏が、その後、直ぐに、すべてが売り切れてちゃったわけですから。このツァーで現地の状況を見て来た人は、小田原の畑から提供ですが、今何が可能で、何が難しいのか、収穫情況を察してくれるんですね。八百屋さんには全国の産物がいつでも並んでいますから、なんでも提供が可能の様に思っちゃうんですね。ところがここでは、小田原という特定の産地ですから、しかもみかん園とその周辺からの提供ですから、今が旬の限られたものが提供されるだけなんですね。しかし、それにしては、みかんだけでなく、ほかにもいくつかの豊かな産物が提供されているわけです。「新鮮で、美味しくて、安い」、今が旬の産物が提供されているわけです。なかには「秋のみかんの収穫ツァーはいつやるのか、早く決めてほしい」との声も寄せられてます。大よそでも、いまから秋の予定を立てておかなければならないということです。とかく現代社会の先行き不安な状況に囲まれている中にあって、今回のように、都会の消費者と近郊の農家が連携を強めることは、お互いの暮らしと、明日の希望をひらいていく、確かな力になっていきそうです。
2018年06月11日
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吉野源三郎著『人間の尊さを守ろう』から台風五号が近づいて来ているため、関東も今日は雨です。それで、休みと日ごろ残してきた事柄の整理です。近くの図書館で借りてあった本ですが、吉野源三郎著『人間の尊さを守ろう』(ポプラ社 昭和47年8月30日刊)からです。吉野源三郎(1899・明治32年-1981・昭和56年)ですが、彼は1938(昭和13)年に岩波新書を創刊し、1946(昭和21)年には雑誌『世界』の初代編集長を務めた方とのことですが、たまたま図書館でその彼が書いた子供たち向けの本を借りてあったんですね。その中にあった『人間の尊さを守ろう』と題した作品ですが、この本全体の題名ともなっています。この中で、私などにも読み流しにしてはならないと感じた点ですが。大きく世界の民主主義の歴史の流れについて、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、ロシアと紹介したあとですが、「ところで、日本ではどうでしょうか」として、2ページくらいが述べられています。そのもの全体を読んでいただくのが、短いものですし、一番よいのですが。そうはいっても、この本を簡単に手にすることは出来ないと思います。ここでは、こんなことを述べています。一、1947年4月からの新憲法で、これからの政治が「人民の、人民による、人民のための政治」でなければならないことが、はっきりときまりました。日本の人民がこれほどの自由と政治上の権利をもったことはこれまでになかったことですが。日本がどこに向かって進むか、疑問の余地がありません。 しかし憲法でこう定められたというだけで、民主政治ができあがってしまったと考えたら、それは大きな間違いです。二、それはなぜか。新憲法はこれからの日本の政治の大きな方向を示してくれています。いままでような日本の人民が望むような政府をもつのに妨げになってきた制度は、確かに取り除かれました。しかし、それは、民主政治が実際におこなわれるための道がついたというだけのことなのです。それが、実際におこなわれるためには、日本の人民が、その新たな道を努力して歩いていかなければだめなのです。道ばかりついても、その道をかんじんの人が歩いていかなければ、目ざすところには、いつまでたってもゆきつけません。それには、どの様な努力が必要なのか。この本は子どもたちに向けて書かれている本ですが、素直な心をもって、その基本が簡潔ですが書かれています。私なども、年寄りの部類に入るような年になりましたが、そんな人たちにとっても、この本の基本は大事にしたいと感じさせられるものなんですね。とくに昨今の国の政治をみていると、基本をないがしろにした政治がまかり通っています。政権党が全体として、また国の最高責任者がしでかした問題を、公務員をもまきこんで誤魔化し、かばい合おうとする「裸の王様」状態ですから。それが続いているわけですから。しかし、それを正そうとする力が、全国にいつにもまして大きくなった来ているわけです。今日は新潟県知事選の投開票日ですが、こうした状況を正す力は、そもそもは国民自身にあるんだということを示してほしいですね。なによりも、それぞれの場所において、はっきりと示していきたいものですね。要するに、吉野源三郎氏が書き残した課題ですが、それは私たちの前に厳然として存在しているというわけですね。そして、日本の人民が、実際にそのあるべき道をすすむことができるかどうかは、その権利を生かせるかどうかは、いつにして今現在の私たちの努力と肩にかかっているということです。この本は、今を生きる人たちに対して、そうした基本を問いかけており、もっともっと努力するようにと励ましてくれているわけですね。
2018年06月10日
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本日、今年の甘夏を完売しました6月9日は団地の朝市でした。5月に入っての甘夏は、一段と酸味が和らぎ美味しくなっていたんです。団地の道を通る人たちに、ドンドン味見をしてもらいました。こうして、今年の甘夏を、本日の朝市をもって、すべて完売することが出来ました。この味を楽しめたのは、何とも幸いなことです。この夏の様な暑い日差しの下で、酸味も和らいだ甘夏は、最高の味になっていたんです。さて、今の焦点は梅です。何しろ小田原産の梅です。自然のままの無農薬の梅なんですが、土地柄にあっているんですね。綺麗で大きい梅を、青梅は梅酒・梅ジャム用に、熟した梅は梅干用にと、今回はレシピも用意して、「作り方は簡単です。それで手作りの美味しい梅酒・梅干しが出来ます」「この時期、これを楽しまなくては、人生がもったいない」と。これまた、梅干、梅ジャム、梅酒を、試食・試飲してもらっています。おかげで、小田原から今回運んできたのは、甘夏、梅、真竹、ビワでしたが、そして、予約のフキでしたが、正午頃には、甘夏とビワは完売して、梅と真竹は8割方を売ることができました。露天商の寅さん式の販売は、これにて順調なうちに終了です。残りは、商店街の無人販売に切り替えて、販売するようにしています。昨日の早朝から収穫と搬送に当たってきた二人ですが、朝5時発で小田原・石垣山へ行き、午後7時に帰るまで、ハードに仕事が続きました。その苦労ですが、この販売によって、消費者の笑顔によって報われたわけです。これにて、一つのサイクルが完了し、生産と流通者は、ひと休みとさせてもらいました。そして、この梅仕事は、この6月の梅雨の時期に、さらに続いていきます。
2018年06月09日
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今日の富士山関東も、一昨日の6月6日に梅雨入りしました。しかし、昨日・今日は、真夏のような快晴であり、暑い陽気です。今日の農夫の仕事は、朝5時発で、苗木の植え替え、梅の収穫、草刈りなど、寸暇を惜しむスケジュールで、もうヘトヘトです。何しろ、帰ってきたのが午後7時で、あれこれの今日の作業に追い立てられました。結局、カメラに撮れていたのは朝の富士山の姿だけでした。その富士山ですが、次のは平塚から見えた富士山です。さらに走って、つぎのは小田原から見えた富士山です。富士山は、毎回、天候によってその姿を変えるんですが。梅雨入りして3日目の富士山は、夏日を思わせる姿でした。それでも、こうした快晴のでも、天候は西から崩れつつあるというので、苗木の植え替え、草刈り、梅の収穫作業等を、炎天の下でしたから、それこそ汗びっしょりになりましたが、予定した作業を、すべて果たしてきました。これから搬送してきた梅などの品々ですが、これを、明日の朝市に向けて、袋詰めなど準備する所です。
2018年06月08日
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『マルクス・エンゲルス』を見ての副産物-入会権先日、映画『マルクス・エンゲルス』を見てきました。今回も、この作品に関連して、触発されている事柄なんですが。この映画の冒頭の導入部分ですが、貧しい農民が林で枯れ枝を拾っていて、その農民たちを取り締まろうとする騎馬隊がかけて来るシーンから始まっていました。それは、マルクスが「ライン新聞」に連載した-「第六回ライン州議会の議事-木材窃盗取締法にかんする討論」を念頭にしたものです。1842年10月25日第298号から11月3日題307号までの6回の連載です。マルクスは1818年生れですから24歳ののものです。今、その論文を読んでいるところですが、私などは2つの点に注目しています。一つは、これが入会権の問題であり、ドイツと日本の国を隔てても同じ問題が存在しているということ。もう一つは、この問題のかかわりから、マルクスの社会観が前進しだしたということなんですが。私の昔の想い出なんですが、1960年よりも前、1955年よりも後のことですから、今から50年以上も前のことです。私などの郷里の神奈川県西部の真鶴・岩村でのこと。小さな子どもが父親にくっついて山林に入っていったんです。父は山林の傾斜地で枯れ枝や山菜を採っていたと想います。どの辺でのことだったか、うっすらとした記憶でしかわからないんですが。今にして思えば、それは村の人たちの入会地だったんですね。これまでまったくわかってなかったんですが。この映画を見て気がつきました。入会地の問題に関しては、最近手にしたものですが。日本の各地に、こうした入会地はあったということです。筑摩書房『人権の思想2』をみたら、〈小繋(こつなぎ)事件〉について3つの小論が出ていました。1.入相問題と入会紛争(渡辺洋三著)2.第一回裁判のありさま(篠崎五六著)3.乞食の道徳と小繋事件(戒能通孝著)これらの論文により、私などの遠い想い出が、そのもつ位置が分かってきました。それと同時に、この映画によって、マルクスの連載論文により、この入会地が洋の東西を問わず世界の各地にあったことを知りました。2つ目の問題です。マルクスは24歳にして、ライン州議会での議事録からこの入会地の問題を取り上げたこと。すでに検閲と出版の自由の連載では、「ここでは、個人ではなくて身分が論戦しているのである」とみて、各身分を代表する議員がどのような特徴をもって議論しているかを分析しています。やはりヘーゲル法哲学の批判も関連していますが、法律というものを社会の現実的関係が指定しているのであり、法律が社会をつくりだすものではない、この現実的な関係の理解をすることなくして法律の役割や動きは理解できない、この問題意識に直面しているということだったんですね。私などは、長年、ごちゃごちゃした論文に、読もうとして跳ね返されて、放りだしてきたんですが。この映画の刺激もあったわけですが、そもそも「若きマルクス」のぶつかっていた問題ですが、今日の日本の自分たち自身が直面している問題ですが、現代の今日にそれを解きほぐす力にもなる、重なってくる面があると感じている次第です。今ごろ気がつくのは遅いんですが、しかし気がつかなく過ごしているよりかは、ましかと思っています。
2018年06月06日
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甘夏の完全収穫と梅の収穫6月4日は、甘夏の収穫の天王山でした。もちろん梅の収穫もありした。援農の協力者の参加も得て、午前5時発で小田原・早川に行ってきました。そして、ついに本日午後2時30分、この間の懸案だった甘夏の巨木からすべての果実の収穫をやりきりました。これは、完全収穫したあとの甘夏の木です。次の写真は、3カ月前の2月27日の同じ甘夏の木です。この時点では、甘夏の実がたわわになっていました。「5月に入ると、甘夏は美味しくなる」と、当地の農家の人たちは、それぞれに言っていたんですが。まさにその通りでした。5月に入ると、酸味が抜けて、甘さが浮き立ってくるんですね。逆の方向から見た甘夏の木です。右側が甘夏の木で、農道の左端に小田原城が見えてますが、分かるでしょうか。甘夏の収穫作業が終わらないと、なかなかこの景色が目に入らないんですね。今日の主題ですが、この甘夏の収穫だけではなかったんです。今、最盛期に入りつつある梅の収穫があったんです。次の写真がその様子ですが。この梅の木は、「南高」でしょうか、「白加賀」でしょうか。とにかく、枝にたわわに梅の実が着いているのが分かるかと思います。みかんにしても梅にしても、収穫期というのは限られています。その限られた時期に、なにかと忙しい時間を一日さいて、収穫作業を手伝ってくれる-この援農活動が、昔も今も農家にとっては大助かりなんですね。大体、むかしの様に出稼ぎの人たちを頼んで労賃を払うなんて、余裕のある農家は今はどこにもいません。今は、夫婦の家族労働だけで、何とか農業を担っているわけです。草刈りなどの諸般の作業もありますから、収穫するにしてもすでにヘトヘトなのが実情です。今の政治はこの実情を知っていますか。知ってたらTPPの強行推進なんて出来っこありません。もちろん1000人に1人の農家の人は「問題はなし」とするでしょうが、999人の農家は「自由化なんて、何言ってるんだ。とんでもない!」との声をあげてるじゃないですか。それを聞く耳をもたない政治というのは、末期的な痴ほう症状ですね。国民の食料に責任を持つ政治を復活させることが求められていますが、それが実行に移されるまで、何とか援農を募って、農業を維持させていきます。しかし、この政治転換を早くしないと、国民生活に取り返しがきかなくなります。亡国の農政が、まかせてはおけない農政が、この間に続いているわけです。こうした援農は大海の一滴でしかないのですが、ストップ・ザ・「亡国農政」です。
2018年06月04日
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甘夏と梅を朝市に出しました6月2日は多摩の団地の定例朝市でした。多摩と群馬の農家が、キャベツやキュウリ、大根、玉ねぎ、鞘エンドウなどなど、生鮮野菜を出してくれました。当方の提供はというと、甘夏の最終盤と、青梅の本格的な販売を開始し、ビワも出しました。何たって、甘夏は5個で300円、青梅は1kで400円ですから、しかも立派なものです。青梅は、産地でも1kで780円もしていたんですよ。大変お買い得なんです。甘夏は、今や収穫の最終段階です。昨日なんて、木の上に登って採っていたら、足場の枝まで5センチたらなくて踏み外し、木から落下しちゃってんです。枝を握ってショックを和らげたんで、たたきつけられることは避けれたので、事なきを得ました。甘夏の残りは高い木についているんですが、その収穫は他人には任せられないんですね。その甘夏は、今が酸味が抜けて最高の味なんです。大きくてもパサパサなんてしていません。実際に大粒の果実を味見してもらい、納得してもらって買っていただいています。梅は、小田原・早川の石垣山の畑で採れたのは、大きくて、綺麗で、無農薬で素晴らしいんです。去年につくった梅酒・梅干しも、この場で紹介して、試飲・試食してもらっています。おそらく梅は、この10日間くらいが収穫の山場だと思います。だから、収穫のテンポを、さらにもっとアップしなければなりません。5月31日には小田原・石垣山の畑へ、マイクロバスで22名の方が来ていただきましたが、それに参加していただいた方たちも、この朝市にきて買い求めてくれてました。そうした中で、当方は、次回の梅の収穫のボランティアを募ったんですが、ありがたいことに、ボランティアで協力してくれる人が見つかりました。さっそく週明けには、てんてこ舞いしている農家に対して、援農作業に出かけます。梅の収穫作業ですが、もう一頑張りしてきます。
2018年06月02日
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小田原の梅は最盛期です6月1日、真鶴と小田原の梅と甘夏の収穫に行ってきました。残念ながら、現地の写真がありません。渦中に巻き込まれてしまいましたから。せめてもの、収穫した梅のひとコマですが。今回も、小田原・早川のみかん園は桃源郷の世界でした。最初に真鶴のみかん園で、かなりの梅を収穫したんですよ。真鶴では、梅の一部が落下しだしていたんです。だから梅の収穫が、いの一番の優先課題だったんです。ついで、午前9時でしたが、早川のみかん園に移動したんです。こちらは甘夏の収穫と、梅・ビワの収穫が主題だったんですが。今日は、お天気も良くて、小田原城をはじめ小田原の市街地や、三浦半島の景色が鮮明でした。小田原・早川のみかん園の梅ですが。この梅の木の状況が、まさに桃源郷だったんです。真鶴でも沢山の梅の収穫をしたところだったんですが、早川の梅はけた違いだったんです。梅の木のいっぱいに身がついていました。無農薬ですがきれいなんです。しかも粒が大きくてたいへん立派なんです。そうした梅の状態が分かったのは、今回小田原方面にいられる時間の最後の30分間だったんです。「もったいない」とよく深い当方が、状況に気がついたのは最後の30分間だったんです。必死になって収穫しようとしたんですが、完敗させられました。シンデレラではありませんが、時間が迫っていて、つづきは後日にゆだねざるを得なかったんです。せめて、朝の富士山です。これを見てた時は、梅が待っていることは知っていたんですが、よもや、これほどに待たれているのを実感したのは、最後の30分間だったんですね。採って採って、採りまくったんですが、自然の恵みの展開に気がついたのは、あまりにも遅そすぎたんですね。メインディッシュが出てきた時には、すでに満腹になっていたようなもの。この多産な自然に、正面から挑戦することは、後日にゆだねざるを得ませんでした。まぁ、この自然は逃げませんし、誤魔化すことはありませんから、次回に石垣山に来た時には、甘夏と梅の収穫に、初めから全力投球するということです。
2018年06月01日
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