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道路自体の被害は防いだようです7月31日(火)、みかん園の草刈りで真鶴と早川に行ってきました。今日は、海は穏やかに普段の姿に戻っていました。というのも、一昨日(29日)、昨日(30日)と、ニュースは、台風12号の被害の様子を報道したでしょう。海岸通りで破壊されたパトカーや救急車の姿が報道されました。堤防わきのみかんの直売所も、窓枠を残すのみで、お店の方が片づけをしていました。付近のかさ上げされた道のガードレールは、波でへし曲げられて山側に押しやられていました。この点ではニュースの通りなんですが。私などの遠方の生活者にとっては、肝心の道路は通行できるのか、この肝腎な点も一言ニュースに加えてほしいものですね。以前の台風の時の様に海岸通りの道が波で削られて、それを補修するのに長期間の片側交通を余儀なくされた経験もちらつきます。あのパトカーや救急車を見たら、ホテルの被害を見たら、最悪の経験がちらつくわけです。今回、無事に支障なく真鶴の草刈りをしてこれました。道路自体への被害、道が波で削られるといった最悪の事態は避けれたんですね。この間に道をかさ上げした効果が検証されたんですね。国道135号線の海岸通りは通行できるのかどうか、この肝心な点も、ニュースは一言添えるべきですね。そうしないと被害のひどさばかりが印象付けられて、それが最悪のイメージを掻き立てる結果になります。被害は被害としてしっかり報道するのはもちろんですが、そのひどさばかりを強調していると、正確な報道にはならないと思います。生活者にとっては、道は日常の交通ですから、その肝腎な点も一言そえてほしかったですね。この「国道135号線の海岸通りの交通には支障なし」というのは、区間限定です。私などの生活圏の小田原―真鶴間の真鶴道路の範囲のことでして、それ以外の道がどうなっているかということは、私などには分からないんですが。(楽天ブログですが、フェイスブックとの連動サービスが昨日から出来なくなってます。これについて、何の断りもないんですが。一方的な状態です。普通なら変更する場合、説明が事前におこなわれた後で措置するのが、当然の責任かと思いますが。いったいどうなっているんでしょうかね)
2018年07月31日
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おそるべきイノシシの力7月30日は、引き続きイノシシ対策で小田原のみかん園へ行ってきました。前日の29日、台風12号のために小田原方面の海岸線では、大きな被害が出ていました。しかし、この数日間の被害は、台風だけではありませんでした。この間の鉄柵はりの効果でしょうか、みかん園内には大きな跡はなかったんですが、農道をはさんだ反対側で、今回新たに石垣が崩れていました。「台風の為かな?」と思い、近づいてみたら。近づいて見たら、これがイノシシの仕業だと分かりました。石垣の内側に穴が掘られていて、そこから石垣を突き崩して、通路をつくったんです。人間の力では、とてもこの石を動かすなんて、できることではありませんよ。今回は、この壊された石垣を修復している時間はありません。限られた時間で、イノシシの侵入防止柵を、引き続き張ることが一番の課題でしたから。「万里の長城」のように、みかん畑の内側にですが、鉄柵を張り延ばしました。これで、左側からイノシシが侵入してくるのを、完全にとめることが出来ます。「やった!」 これで、コの字形にまでは、みかん園を囲うところまで来ました。全体を囲うには、あと残りは1辺です。もうひと踏ん張りです。今回、みかん園の全体を見回してみたんですが、雑草の繁茂がすごいですね。柵作りに手を取られ生きたこの間ですが、カラカラだった畑でしたが、台風の雨もくわわって、この時期雑草が繁茂しだしていました。みかんの木には、その基幹に番号札が付けてあるんですが、1メートル近くの高さまで雑草が伸びたため、近づくことも確認することも出来なくなっていました。いやーっ、おそるべき雑草の繁茂です。これが自然の力なんですね。次回は、この雑草の刈り取りも、仕事の一つに加えなければなりません。温州みかんの場合、これらの雑草にからみつかれると、みかんの葉が生育できなくなり、全体として、みかんの木が弱ってしまうんですね。みかん畑の手入れとは、とどのつまりは繁茂してくる雑草を刈りたたくことなんですね。今回、台風12号は、海岸通りに大きな被害を残していますが、みかん畑の方は、幸いなことに台風による影響は、さしてなかったんです。しかし、その代り、イノシシと雑草の繁茂の被害は、すすんでいました。次回の作業ですが、みかん園の全体を草刈り機を使って刈り込むこと、木に巻きついたつる草をはぎ取ること、この大仕事が待っています。みかん園全体を刈りこまなければならなくなっています。
2018年07月30日
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鳩山談話はやはり必見です民主党政権で首相を務めた鳩山氏ですが、その談話が「赤旗日曜版」7月29日付に登場するとの案内記事を見て注目していました。かつては論争相手だった日本共産党の新聞に登場するわけですから、そのこと自体が変化ですし、さらに、ここでいったいどの様なことを語るのか、注目していました。宿縁ですね、「赤旗日曜版」7月29日付では、沖縄の翁長知事の、辺野古新基地づくり埋め立て承認撤回の記事と、この鳩山氏の談話とがちょうど重なったわけです。この鳩山氏の談話を、それぞれがどのような受けとめ方をするかは、色々あると思います。しかし、じかにこの談話を読んでみてほしいと思うんですね。二つテーマがあります。一つは、朝鮮半島をめぐる変化をどうとらえて、日本の政治はどの様な対応を、努力をしていくべきなのか。政権の政治の現状はどうなっているのか。二つは、世界的なそうした大きな変化のきざし中で、鳩山氏自らは挫折した沖縄の米軍基地問題ですが、今の時点で、どう対処していくべきか。この二つが、柱のテーマです。政治家の発言というのは、安倍首相が一つの典型です。自らの本音を隠して邪まな世界に国民をだまして誘い込もうとする、ウソとペテンの体質です。そんな政治を国民が信用しなくなるのも当然です。よりによったりで、Aの次はB、Bの次はCと、ぞろぞろとそのお仲間が寄り集まっている政権です。いくら愚痴っていても、口先で「批判」していても、かのお仲間政権の政治は続いています。こうした政治の現実をどうしたら変えれるか、ここに問題があるわけです。どの様な新たな政治をつくるのか、どうやって現実的なその力をつくるのか。ここには、鳩山氏なりの真摯な模索があると感じています。鳩山氏はここでも変化していると思うんですよ。私などは、その変化には、誠意と見識の確かな要素が含まれていると思います。この変化は、これまで、保守から民主党にかわり、さらにその民主党政権の挫折からさらに模索をしつづけている人々が、そこにはその背景にあるとおもうんです。大きく見れば、新たな国民的な共同が、様々な形で、様々なところから生まれつつあると思うんです。これまでの行き掛かりを横において。今、このいまわしい現状を変える為に、新たな対話と共同が始まりだしている。その一つだと思うんです。私たちの感度も、その動きをとらえて、それを一人でも多くの人たち紹介することが大事になっているとおもいます。まあ、私などが、この記事に注目し、紹介するのも、そうした努力の一つかと思っているんですが。この力が、もっと大きく、もっと早く広がれ、ということですね。この記事を読んでの感想でしたが、やはり注目すべきことですね。
2018年07月28日
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台風接近の下での朝市開催7月28日(土)-29日に予定していた多摩市の永山団地の夏祭りですが、台風12号が直撃するというので、中止されました。当方も、恒例になっている土曜日の朝市ですが、昨日の時点では、天気予報に即して朝市を中止にするつもりだったんです。ところがです。今日・28日(土)朝の最新の天気予報を見たところ。台風12号は、通例の左フックのコースではなくて、右フックして、多摩の団地に雨雲がかかるのは、今日の午後からであって、その後、明日の日曜日にかけて天気は大荒れになるとの予報に変わってました。要するに雨の時間が、後ろにずれていたんですね。こうなれば、いつも通り土曜日の午前中に朝市を開催して、昨日搬送してきたブルーベリーとミョウガを販売するということに、急きょ変更しました。いつもなら、外側の永山公園の側に向けてお店を出すんですが、今日はアーケードの内側向きです。当方の商品は、ブルーベリー、ミョウガと、バレンシアオレンジです。しかし、台風の最悪情報が流布されてましたから、道行く人がいつもよりまったく少ないんですね。朝市の他のコーナー、群馬と多摩の野菜販売ですが、昨日のうちに夏祭りの中止の連絡もあって、昨夜の前夜祭のなかで、用意してあった野菜の多くを出してしまったというんですね。いつもより品数が少ないと思っていたんですが、昨夜のうちに、みんなで売ったり、食べたりしちゃったというんですね。トウモロコシもシイタケもなしです。夏祭りが中止になったことで、前夜祭りのうちから、販売しだしていたんですね。結局、当方が今回、この朝市で入手できたのは、キューリとトマト、それと玉ねぎだけでした。当方の、個人的な野菜の仕入れの場所になっていたんですが、やむを得なかったわけで、昨日のうちから朝市をめぐる事態が動いていたんですね。当方も、この朝市に、そこそこの量の品を広げたんですが、ブルーベリーを33パックとか。しかし、天気予報が最悪のケースを想定して、各地の大変な事態を紹介するものですから、今朝の団地には、人通りがほとんど無い状態だったんですね。それで切り替えました。待っていても、人は来ず、買い物客はほとんど来ませんから、電話での注文とりです。まず第一は、これまでのお客さんに電話をすることで、誘い出しです。「午後から雨だそうだけど、午前中はいつも通り朝市をやっているよ」と。「○○を販売しているよ」と。二つは、電話での注文を取ってのおとどけです。見方によっては、「押しつけ商法」と言えなくもないのですが。「○○があるんだけど、買ってくれない。〇時ころにはとどけれるから」と。まぁ、ざっとこんな商法で、午前9時から始まった朝市ですが、午前10時10分頃には、品物の向け先が確定しました。要するに、今朝の朝市は、始まって1時間10分、雨の降りだす前に完売させたということです。こんな荒手商法は、そうそう使えるものではありませんが、台風接近の非常事態の下でのこととして、堪忍していただいたということです。
2018年07月28日
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ブルーベリーとミョウガの収穫7月27日(金)は、台風12号が来る前に、ブルーベリーとミョウガを収穫しようということで、嵐の前の静かなひと時を生かして、小田原・早川の石垣山に行ってきました。当方は、ブルーベリーを収穫していて、アシナガバチに腕を刺されてしまったんですが。二人してブル-ベリーの収穫に当たったんですが、これはまずまずの収穫でした。このところの暑い快晴の日が続いてきた折、集中豪雨の被害者の方たちにとっては不謹慎なことですが、関東では農家は一般的に適度な雨がふることが求められているんですね。一般的に、果樹や農作物というのは、太陽と適度な水の恵みなんですね。台風12号が近づいていますが、今夕からは関東も大雨の圏内に入っていくわけですが、今現在は、畑には水が無くて、カラカラ状態なんですね。この間、炎天下の作業で、ついつい様子を紹介し損ねたミョウガの収穫ですが。すでに、炎天下の作業をしてきたため、汗びっしょりのヘトヘトです。ミョウガは地面に這いつくばっての手探りの作業になりますから、「ミョウガは、20分間の時間限定の収穫でいくよ」とのことで、とりかかりました。何たって、ミョウガ畑は桃源郷の様な世界です。早川の細い路地の、道なき道を行くと、広いミョウガ畑が開けます。そこで這いつくばって、手探りすること20分。「もう、終わりにするよ」と声をかけたら、ミョウガをザルに採り集めて、相棒が立ち上がりました。ミョウガ畑も水不足の様子が出ていました。葉に水不足の枯れ込みが出ています。今回は、20分間のミョウガ収穫でしたが、天候と、時間と体力がありさえすれば、さらにもっともっと収穫できたんですが、仕方ありません。早川の石垣山は、ブルーベリーにミョウガと、この時期も自然豊かな宝の山なんですね。しかし今は、台風12号が接近しています。嵐の前のひと時でもありましたから、今日は、炎天下とあやしい雲ゆきの中でしたから、最小限の仕事をこなして、早々に引き上げてきました。明日に予定されていた多摩の団地の夏祭りしたが、台風12号の大雨になることが予想されるため中止になったとのこと。今回の農産物ですが、これは7月29日(日)の臨時朝市を開いて、提供することにしました。
2018年07月27日
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梅干が出来ました7月26日朝、ついに今年の梅干が出来上がりました。早々と6月29日に梅雨明けして、以来暑い日々が続いてきた関東ですが、昨日・今朝と夜中に雨も降ったようで、朝方は曇りの天気です。今年も梅干づくりが、6月7日の梅のつけ込みから始まりました。7月10日に赤ジソを加えましたが、何といっても肝腎なのは、「三日三晩の土用干し」の天気の見定めです。梅雨明け以来の暑い日々からしたら、土用干しの天気の見定めは、別に問題なしと思っていたんですが。やはり、そうは問屋が卸しませんでした。41.1度の最高温度を記録したところがある半面、この二・三日の関東ですが、あれだけ続いた暑い陽射しが、一日を通して続かなくなっているんです。生活する上ではヤレヤレなんですが、日中の蒸し暑さは厳しくて、熱中症が問題になるくらいです。土用干しの観点からしたら、いつから開始するか、これがやはり問題でした。7月22日(日)に土用干しを始めました。土用干しを開始した時には、晴れた日が続いてましたからまったく問題はなかったんですが。この数日は、さしもの暑さも、変則の兆しです。夜中には雨が降るし、台風12号がこの7月29日(日)には関東にやってきそうです。暮らしのうえでは、この暑さの中で、適度の雨は歓迎なんですが、晴れれば晴れたで41度、雨がふれば降り続いて大災害、となかなかままなりません。そうした中での、今年の土用干しでしたが、天候の不安定に変わる兆しが始まりだした所で、何とか無事に完了できました。やはり土用干しには、天気の見定めが大切なことを、今年の中でも実感させられました。
2018年07月26日
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英語が学びたくなる、「谷間のともしび」によせて私などは外国語を、67歳のこの頃まで、心から学ぼうとする気持ちがなかったんですが。義務教育や受験勉強での学びかたは、外からの押しつけられた課題としてあったんですね。最近になって、一つの私なりの英語の学び方に気づいたんです。これまで、じつにもったいないことをしてきたと感じています。そのきっかけは、アメリカの唱歌の「谷間のともしび」という曲なんですね。たまたま、手元に「世界の名曲・アメリカ篇」CDが残されていました。この中に19曲がはいっているんですが、そのうちの1曲でした。この「谷間のともしび」は1930年代に発表されたものだそうです。この中にあるフォスターの曲は1850年代かと思いますが、ともに、故郷への想いのこもった歌なんですね。最初は、英語の歌ですから、何を言っているのかさっぱりわからなかったんですが。歌詞はついてませんでしたから題名とメロディーだけでしたが、何かひかれるものがあったんです。ランプとか、小屋のキャビンとか、片言の単語は分かるんですが、いわば太平洋の中にポツンとある島の様なもので、何を言っているのかわからない。それでインターネットからこの歌詞の翻訳を引いてみたんです。そして、分からない単語を、とくにキーワードらしき言葉を辞書で知ったんですね。praying-祈る、longin-切望する、guide-案内する、roam-さまよう、など。これで、要所要所の言葉は分かるようになったんですが、それでも曲は理解できないんですね。知っているはずの単語ですが、その発音が微妙に違っているので焦点を合わせる必要がある。さらに単語の問題以上に、文章の独特の表現があるようで、それがわからない。For the boy she is longin to see(彼女が長い間会いたいと切望している子ども)As she rocks in her chair to and fro(彼女は椅子に座って、前後に揺らせている)単語ではわからない独特の文章表現があるんですね。やはり原語と原曲がもつ心に近づくいていくには、単語だけでは足りないんですね。むかし、ビートルズなどの曲を聞いた時、こうした努力をやっていた記憶があります。ただし、ごく個人的な片言であって、そのようにしてその曲を学ぶことが、英語そのものを学ぶ方法になるとは気がつかなかった。英語の語学を学ぶことと、ビートルズとは絶縁されていましたから。でも、人の人情、真実というのは、国か違っても共通性がありますね。表現の仕方は違いますが、同じ事柄なんです。しかし、その国の人々の想いは、その表現とメロディーでしか伝わらない。いわば、形と心が一番一致している曲というものがあるんですね。それをつかみ取るには、その言葉につうじるしかないんですね。1930年代と言えば、日本では小林多喜二が殺されたように、文化も戦時統制下に置かれていった。戦争を翼賛する以外には、文化も表現も許されなかった。取り締まられた。そんなときに、アメリカでは「谷間のともしび」等が発表されていたんですね。個人というものの尊厳が、ここにはっきりと出ています。もちろん、アメリカだって、当時の日本と同様な考え方人たちもいたはずですが。あとは、くり返し、くり返し、その曲のメロディーと歌詞の表現に親しむようにすること。すると、スルメをかむ様なもので、じわじわと感じてくるものがあるんですね。その国で人々の唱歌となった事情が、国民の愛唱歌となったわけが、少しですが、今の私などにも感じてくるようになるんですね。感覚的にその曲にひかれていた、そのわけが分かって来るんですね。ところで、これって、諸外国の文化や言葉を、この固有の尊厳を知るための一つの方法でもあるんじゃないでしょうか。今ごろになって、それを感じている次第です。もっと若いころにこのことに気づいていたら、もっと世界の諸国が近くなっていたでしょうけれど。残念ですが、でも遅かったとしても気がついたことは、さいわいなりです。
2018年07月25日
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イノシシ除けの鉄柵はり小田原・早川の石垣山へ、イノシシ除けの鉄柵はりに行ってきました。この日、7月23日は、熊谷で41.1度の国内の最高気温を記録したそうですが、途中の厚木でも、まだ午前5時14分なのに28度の気温を表示していました。イノシシの動きが活発なので、朝の早めに設置しようとのことで出かけました。今回もイノシシが掘りかえした穴があちこちにあけられていました。三日前には、ここには無かったんですが。ブルーベリーの木の下なんですが、直系メートル以上のおわん型の穴があけられていました。すでにこれまでに北側からのイノシシの侵入ルートは遮断しましたから、この跡は、イノシシが反対の南側からも来ていることをしめしています。午前10時半までかかりましたが、みかん園のブルーベリー畑の部分、南側の辺の半分を設置することが出来ました。右側からイノシシは来ているんです、柵をはるために草刈りをしているとけもの道が出てきます。今回、作業の準備をしていたら、早朝からお隣の農家の方も作業をしていました。「ビニールで柵をしても、イノシシは大きな穴をつくっていく。今日は、2人に頼んで、鉄柵をはろうとしているんです」と。お隣でも、同じことをしようとしていたんですね。帰りに見たら、農道に沿って新たな柵が設置されていました。この小田原の石垣山では、大自然が残っているわけですが、農家が農業をやっていくには、イノシシ除けの鉄柵はりが、欠かせない前提になっています。私などは、お相撲さんの汗ではありませんが、ボタボタと。喉が渇くので、冷たいお茶を飲むと、またボタボタと汗が噴き出してきて、とうとう5着もシャツを着替えることになりました。その苦労の甲斐もあって、今回、みかん園のブルーベリー畑の囲いを済ませることが出来ました。みかん園の園主さんは鍛えられます。私などより、もっと多く働いているのに、私のようには汗はかかないんですね。私などは、帰路に着けば、みかん園の苦労はチャンネルを切り替えて忘れちゃうんですが、園主は、諸々の仕事のただ中に置かれていますから、四六時中仕事がちらついているわけですからたいへんです。なかなか休まらないはずです。しかし、この日に関しては、ベリー園を鉄柵で囲うことが出来ましたから、一つの懸案事項が解決したということです。ヤレヤレということです。きっとイノシシは、いまごろ驚いていると思いますよ。みかん園を囲う柵の設置ですが、これで予定全体の三分の二まですすんできした。あと南側半分と、東側の農道沿いの設置が、まだ少し残っていますが。これ以外にも、対策がとりきれてない個所もあるんですが。こちらは、今のところは、みかんがまだ幼果なので実害はありません。みかんが成熟しだす10月くらいまでに、対策を完了すればよいのですが。しかし、これらについても、早めのうちに鉄柵とビニール柵を設置するようにして、イノシシを完全にシャッタアウトしようと思っています。もう一頑張りですが、当地の農家一般がとっているイノシシ対策ですが、ようやく当方でもとられようとしています。
2018年07月24日
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石垣山でブルーベリーの収穫7月23日(月)は石垣山のみかん園にイノシシ防止柵をはりに行きました。同時に、早起きして、その作業の前に、ブルーベリーを収穫をすることにしました。みかん園の一角には、ブルーベリーの木が植えられているんですね。一般に「みかん」と言えば、温州みかんです。それは、11月-12月が収穫のお楽しみです。今は、一年のちょうど反対側です。みかんの反対側の時期を収穫で楽しめるようにと、ブルーベリーの木が植えられているんですね。今がそのブルーベリーの収穫期なんです。今日は、いつもよりも少し早く、午前4時30分に東京を出発しました。イノシシ防止の鉄柵はりの作業の前に、ブルーベリーを収穫しておこうとの事情によるものでした。今年は、梅雨明けも早かったし、異常なほどの熱い日々が続いているでしょう。それは悪いことばかりではないんです。この暑さの中で、ブルーベリーの生育が早くて、著しいんです。それで、イノシシ柵をはりだす前に、現地に早く到着して、約1時間ですが、ブルーベリーの収穫に当てた次第です。この方は、同行のIさん、78歳です。私などは、大相撲の力士の様に、汗をボタボタ、息もフーフーなんですが、見ての通りIさんは、この炎天下にもかかわらず、コツコツと堅実なんです。しかし、そうであっても、この炎天下の日々、「畑で作業していた人が、熱中症で倒れていた」なんて、ニュースにのらないように、お互いに、声を掛け合い、体調を確認しながら、休憩も取りつつ、作業をすすめている次第です。園主さんの勘によると、「今年は暑いので、ブルーベリーも早め早めで、8月半ばくらいまでがシーズンじゃないか」とのこと。早朝に収穫をするなど、なるべく危険な状態を避けるようにして、あまり欲張ってとろうとして、逆にこちらの命を取られないように、など。しかし、なにしろこの豊かな小田原・早川の石垣山の自然の恵みです、なるべく収穫して、都会に届けようなどと話しあっています。
2018年07月23日
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三日三晩の土用干の開始7月22日(日)、ついに今年の梅干しづくりは、土用干しを始めました。真鶴と早川で採れた梅ですが、6月7日に3かめをつけておきました。それに7月10日には、赤ジソを加えておいたんですが、いよいよ今朝から、三日三晩の土用干しの開始です。私ども年寄りの仲間に入ったのを感じさせられる瞬間です。今年の土用は、7月20日から8月6日くらいだそうです。去年と違って、今年は天候のはずれは、ほとんどないようです。梅干づくりは、以前は「梅干しばあさん」なん毒づいて、馬鹿にしていたんですが。2006年くらいから、その評価がガラっと変わりました。日本の四季の変化をうまく生かしていて、まったくのありあわせの素材で、誰にでも簡単にできる。保存もきくし、ご飯のいたみもおさえてくれて、健康にもよいわけです。これは、古くから日本の風土をいかした暮らしの知恵だったんですね。今年は新たな波紋がありました。団地の朝市ですが、私などの梅干も紹介してみたんです。すると、「この梅干を分けてほしい」などという人まで出てきて、びっくり。考えてみれば、そうですよね。梅干は工場で生産するようなものではないんです。昔から各家庭で作っきたわけで、月とスッポンで、その方が美味しいんです。俄然、評価の変更が後ろ押しされたわけなんです。これから、当方の団地のベランダでは、3日間、季節の風物ですが、梅干づくりで土用干しが並べられます。
2018年07月22日
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アイスキュロスの「ペルシア人」を紹介どういう風の吹き回しか、当方が古代ギリシアの悲劇を読むなんて。アイスキュロスの「縛られたプロメテウス」に続き、「ペルシア人」を読みました。筑摩書房の「世界古典文学全集」8 で読んでるんですが。これらを読みっぱなしにしておくのは、もったいないと感じている次第なんです。名にしおう古代ギリシャの作品ですが、踏み込むのが遅れてしまいました。私などには、それらは、むずかしくて、大作で、簡単には理解し難いものとの印象があったんです。しかし、7月6日に紹介した『縛られたプロメテウス』を読んで、誤解していたのに気がつきました。沢山の作品が山の様にあると思ってたんですが、現在残されているのは、アイスキュロスにしてもソポクレスにして、それぞれ7作品にすぎないというんです。マルクスも「告白」の中で、「好きな作家」にアイスキュロスの名も上げてましたが、アイスキュロスの「しばられたプロメテウス」を読んでみて、人間に人知恵をあたえたがゆえに、その負担をしいられる、いわば「知恵の悲しみ」、「人のために良かれとしたことで、犠牲に耐える」といったように、テーマが普遍的で今日でも身近かに感じられるようなものだったんです。それで、これは案外「難しいものではないかもしれない」と感じ出した次第なんです。この「ペルシア人」ですが、この本で20ページの短いものです。訳者の呉茂一氏の解説によると、〈紀元前472年アテナイにおいて上演された。紀元前480年に行われた(ペルシアとの戦争)サラミスの海戦から8年後のことで、依然として小アジアやキュプロス地方では両軍が戦っていた当時の作品である〉と。私などは、ギリシア悲劇の古典、古代ギリシアのその国の神話伝説を理解しないと、なかなかその意味が読み解けないとの印象があったんですが、こんな当時の時事的なテーマについても作品になっているんですね。アイスキュロス自身がこのペルシア戦争に参加していたそうなんです。だから、迫真的な緊迫感も伝わってくるんです。そんな作品もあるんですね。しかも、これらの残されている諸作品ですが、これらは古代ギリシアのアテネの祭りで、あの円形の舞台で上演された演劇だそうです。ですから長いものではないんです。今日私たちが1本の演劇や映画を見るようなものなんです。どの作品も、その一つ一つは短いものなんですね。この演劇を見るのに入場料は無料だったそうです。お祭りのイベントでもあったんですね。国民の全体がみてわかるものであり、それを見た国民の一般的な評価によって、残されれた作品だということです。もちろん審査員が評価するんでしょうが、多くの国民に共感されたものであり、そうしたテーマでもあり理解される中身でもあったんですね。やたら小難しいようなものではないんです。ペルシャとの大戦争を戦って、たった8年の直後の、相手国のペルシアについての作品です。そのペルシアの宮廷ですが、負けるはずがない戦いのはずが、現地から連絡がない。不吉な夢を見る。やがて伝令が負け戦のしらせを届けてきた。戦争の結果を受けとめる宮廷の様子です。こうした歴史の史実を、というより近しい時事的ともいえる事柄です。こうした作品もつくられたんですね。私などは感じるんですが、アイスキュロスは、同じような目線でペルシアの宮廷を描いているんですよ。イケイケどんどんといった、大本営発表のようなものではないんです。同じ人として運命のうけとめをも描こうとしているんです。それが国民的な公の劇場で上演され、国民の大きな評価を得たというんです。これって、すごいことですよね。古代の都市国家の大義、古代ギリシアの民主主義の産物ともいえるんじゃないでしょうか。これも本棚で、ながくほこりをかぶっていた作品ですね。遠くむずかしく、疎遠なものと感じていたからなんですが、じつは意外と身近かで、今日の私たちにも、歴史を越えて訴えてくるものがあると、ようやくにして感じられると気がついた次第です。遅いですよね。いわば、映画を1本見るようなもので、短くて、色々考えさせられるものなんです。なにしろ古代の一般国民が共感を表明したところのものなんですから。なにかと忙しくて、読むものも沢山ある現代人ですが、それでも、これを読まないでいるのはもったいないし、また読みっぱなしにしておくのも、それもまたもったいないと感じた次第です。それで、あえて紹介させてもらいました。
2018年07月21日
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完売した今朝の朝市7月21日は、団地の朝市の土曜日でした。昨日、小田原・石垣山で収穫したブルーベリーとミョウガを販売しましたが、午前9時からは店開きして、9時50分には完売することが出来ました。昨日は暑かったので、午前10時半にはブルーベリーの収穫を終了したんです。今日の朝市の品は、ブルーベリーが19パック、ミョウガ15パックでした。ブルーベリーは、少しブルーベー・ジャムも作るようにして、試食もしていただきました。現代人は、とかく出来上がったジャムをスーパーなどで購入するのが一般的なんですが。お金を出しさえすれば、それは簡単に安く手に入るんですが。試食していただければわかるんですが、私などの素人の作でも、簡単にオンリーワンの美味しいジャムが出来るんです。最もシンプルな作り方としては、鍋にグラニュー糖ととともに煮込めさえすればよいのですから。そうしててきたブルーベリー・ジャムは、冷蔵庫に入れておけば、長期保存もきくし、ヨーグルトと混ぜあわせれば、綺麗ですし、おいしく食べれます。忙しい現代人にとって、この時期にひと瓶つくっておけば、手軽な健康食品になります。これを、寅さん商法で、怠け者の現代人に、というか商業宣伝にならされている現代人に対して、ズケズケ、ズケズケとなんの遠慮会釈もなく喧嘩を売っているんですね。最近では、予約をしてくれる人すらも、2人、3人と出てきているんですよ。これって、神奈川県西部の小田原・早川の産地と、多摩の団地の生活者が、まだほんの少しですが、現実的な連携をつくりだしつつあるんじゃないでしょうか。私などの努力は、たとえほんの少しであっても、この連携を促進することなんです。現代の資本流儀の大きな流れに抗して、生産地と消費者との連携をつくっていくことなんです。それは当たの前の暮らしの原点なんですが、それをあらためて確認していくことなんです。現代版のドン・キホーテかもしれませんが、日本人の、昔からの暮らしの知恵を確認して、現代に生かしていくことなんです。朝市が早く終了したこととは、これはまったく関係ありませんね。
2018年07月21日
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今日もブルーベリーの収穫です7月20日、関東は今日も引き続きくそ暑い。朝5時45分の時点ですが、厚木市の中津川の温度計は26度を示していました。そうした中、ブルーベリーとミョウガを採りに、小田原へ行ってきました。それは明日の朝市用だったんです。午前8時10分からブルーベリーの収穫を、2時間しました。この時期、炎天下の作業を「相棒」と二人連れでするのは、助かるんです。自分だけだと、過度の欲望か、怠けごころか、どちらかに傾斜するんですね。どちらかというと、欲望が服を着ているようなものですから、頑張りこんじゃうんですね。しかし、こうして二人連れで作業をしていると、お互いに声を掛け合えれるんです。相手は、年齢的には大先輩ですから、途中で休養を取ってもらわなければならないんです。そんなことで、お互いに休憩と、作業の状況を交流し合えるんです。「ベリー園のあちこちに、イノシシによる新たな穴が掘られているね」「前回イラガに腕を刺されてしまってひどい目に遭った。のどかのようだけど油断は禁物だ」「ブルーベリーの収穫は、佳境に入っているけど、この分では、まだ8月上旬まで続くね」「スローモーションのように、徐々に色づいていくから、根気よく収穫しなけりゃね」「やはり果実だから、丁寧に扱わなければ、良い状態で提供することは出来ないね」なによりも、熱中症にかからないように、お互いのコンディションを配慮し合えることです。きっと一人だと、のめり込んでしまうか、すぐに「やめた」と投げだすかもしれません。低木の中での収穫ですから、太陽にさらされて、熱い中での収穫作業になっちゃうんですね。しかし、二人とも、午前11時半にはミョウガも含めて収穫を終えて、無事に、午後1時半には、東京に帰ってきました。次の写真は、朝6時23分、小田原SAから見えた富士山です。朝は、晴れてはいても湿気があるせいか、富士山はかすんでいるんです。そこに富士山があることを意識していないと、ぼんやりとして見過ごしてしまうかもしれません。かすんでるからだけではなく、雪はすっかり見えなくなって、今は「青の富士山」です。次は、午前9時15分くらい、休憩した時のベリー園からみえる景色です。小田原の市街地と、オーシャンブルーの相模湾の景色です。この景色も、作業にかかるとまったく視野に入らなくなります。休憩して、初めて周りの景色が目に入って来るんですね。収穫作業中は、この素晴らしい景色も見えなくなってしまうんです。この炎天下に、草刈り機のエンジン音が響いていましたが、農夫はまじめですね、汗をかきつつみかん園を維持しようと頑張っているんです。畑の状態は、ウソ偽りなく、園主さんたちの努力がしめされています。口先だけの、調子のよいその場しのぎは、許されないんです。そうした努力があってこそ、当たり前のこの景観が維持されているわけです。西日本の方では、みかん園でも大きな被害が出たようです。大きなダメージは、住いや生活でも、各種の仕事や産業でも受けているはずです。この災害は、たまたま西日本に前線がかかり続けただけのことで、当地でも瞬間的には経験しました。今は日本のどこでこうした豪雨と日照りの災害がおきたとしても不思議じゃありません。国民生活は、今は足して二で割っての努力が必要なんですね。これまでの状況がつくれるように、それ以外の地域では頑張るようにすること。直接に支援することはもちろんなんですが、後方支援と国民生産の維持が大切です。そうした力が回りめぐって、現地の復旧にもつながっていくはずです。今日の暑さの中でも、頑張るのは、そうした要素もあるからなんですが。
2018年07月20日
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アイスキュロスの「ペルシア人」について紹介しようとしたんですが、何度もやったんですが、うまくいきません。エラーが出ちゃうんですね。機械オンチには、こんなことはたびたびなんですが。でも、この作品は、読みっ放しにするには、もったいないんです。「縛られたプロメテウス」もそうでしたが。でも、明日が早くて、時間がないので、また後日にでも紹介できたらと思っています。
2018年07月19日
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「うまずたゆまず」での山口二郎氏の反省談新聞を片付けていて、気になって探していたコラムでしたが、それを見つけました。少し前ですが、6月24日付『東京新聞』での山口氏のコラム「うまずたゆまず」でした。日々、この暑さの中でドタバタしていると、「あれっ」と思った記事が、どこかへ旅に行っちゃうんですね。何週間か過ぎてしまうと、「まぁ、いいか」となっちゃうんですが。このコラムも新聞の山の中に紛れちゃってたんですが、珍しくも片づけした中から、みつけました。この6月24日コラムには前談があって、その前の6月17日のコラムでしたが、山口氏は「(安倍首相の)自民党総裁選の参戦も確実視される中、ここは安倍首相にぜひ(日本と北朝鮮との国交正常化)難事業を成し遂げてもらいたい。」と、「皮肉ではなく、決意を期待したい」とまで述べていたんですね。しかし、やることなすこと、憲政を否定する安倍首相に、まともな政治を「期待」することなんて出来ないじゃないですか。いくら課題が切実であっても、政治的な人格からしてまともなことからはずれるのに定番の人に、ほとんど期待はできない。むしろ、きびしく監視・監督の目で見ていくことが必要なのであってね、甘い「期待」など抱きようがないじゃないですか。このコラムを読んで、そう感じていたんですが、その一週間後に投稿されたのが、この6月24日付の反省コラムでした。「けしからことを次々あげつらっても、どうせ高度プロフェッショナル制度もカジノも淡々と進むだろう。安倍首相はやすやすと自民党総裁三選を決めると思うと、批判の筆を執る気力が起こらない。ぼんやりしているうちに土曜日の午後になり、編集部からの督促の電話を受ける羽目になった。政権批判の先鋒を任じてきた私がこの体たらくでは、まさに向こうの思うツボである。ここは同じことの繰り返しと言われても、おかしいことをおかしいと言わなければならない。」これなら私なども納得です。「人間、過ちを改めるに、はばかることなかれ」、です。だいたい人間くたびれてくると、「今日のところはこれで、まぁ、いいか」などの心境もなります。私などは、この炎天下の中で、草刈りや野焼きをしていると、そうした心境になりますが。しかしそれは体調からして一服することはありますが、課題自体は歴然としてあるわけですから。だいたい、日本の戦後政治で、アメリカ従属の政治的病が指摘されてどのくらいの歳月がたちますか。その現象の側面は、日々年々新たな側面を示しています。おそらく、私などは小さくて知る由もありませんでしたが、1951年当時も、1960年当時も、当時の民主的良識人は、正義と科学の論陣をはったわけでしょうが、当時の政治的多数によってそれが否定されてしまったわけですし、おそらく心ある人たちは歯ぎしりしたと思うんですよ。60年安保にしても、一時的には、テレビや新聞の無視により、国民の意識の焦点からは薄れることもあったでしょう。しかし、それは今日の状況にはっきりと続いている。とくに2015年9月19日からの戦争法廃止・立憲主義の回復の課題ですが、これは単に理論の上での問題だけではありません、国民の大衆行動がおきているわけですから。明らかに国民の自覚が、以前とは違っていると思います。日々の日常では捉えにくいんですが、明らかに違います。その後も様々に課題が、紛々として問題になる中ですから、国民の底流の問題として、たとえ時々に問題の起伏はあっても、様々な形で燃え広がり続けているじゃないですか。そこに今という時代社会がもっている特徴がありますよね。くたびれているどころじゃないんです。この問題には、その側面として戦後政治で問われ続けてきた、日本政治のアメリカ従属の政治の問題がありますよね。沖縄問題もしかり、日本の政治の自主性回復の問題と直結する関係にあります。日本の戦後政治の基本問題ですよね。これも、期間が長いからといって、それにより曖昧に出来ることではありません。しかし、根強く長く続いてきた「対米従属」の病ですから、それを治すには国民的なレベルでも、それなりの意識的な努力が必要だということです。指摘するのはやさしいけれど、それを変えるには、相当の国民的な自覚が必要だということです。私なども、この時期の雑草の繁茂に、草刈りでへとへとになっているわけですが。しかし、それだけでは、世の中も自分たちの暮らしも、いっこうに変わらないということです。日々の仕事に加えて、さらにもう一歩の努力が必要だということです。山口氏のいう「うまずたゆまず」ということです。
2018年07月18日
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ブルーベリーの収穫と草刈り7月16日(日)は小田原・早川の石垣山のみかん園へ、ブルーベリーの収穫と草刈りで行ってきました。みかん園の園主が、みかんとしてはオフシーズンのこの時期に、何かしら収穫を楽しめるようにと、ブルーベリーの木を植えてあったんですね。ちょうど今、この時期がそのブルーベリーの収穫期なんです。今回も、このブルーベー狩りに、東京・八王子からお客さんをむかえました。今日もたいへん熱い一日でしたが、朝の7時から9時くらいの、比較的に涼しい時間に収穫していただきました。1人が2時間をかけて、2キロくらいの収穫だったでしょうか。当方はというと、その間は、みかん園の草刈り仕事だったんです。この間、イノシシ除けのためにビニールの網で柵をはってあったんですが、おもいきって、みかん園の全体を鉄柵で囲うことにしたので、その網が不要になりました。ビニール柵をはずすようにして、それに絡みついている草を取り除いて、これまで柵があるために草刈りが出来なかった部分について、そこの草刈りです。これが、今回の草刈りした部分なんですが。この時期はとにかく草が繁茂してきますから、約1時間くらいでしたが、草刈りで汗を流したんですね。次の写真ですが、中ほどに段差がありますが、そこから上が、ブルーベリー園になっています。右奥の森からイノシシが出てくるので、この部分を鉄柵で囲いました。この5月からですが、写真の右側にみかん園が続いているんですが。そこの木を手入れしたところ、枯れ枝がたくさん出て山積にしてあったんです。この間の仕事は、その枯れ枝の野焼きでした。だいたい、この炎天下に野焼きするなんて、気ちがい沙汰なんですが。放置しておくと、みかんの木に枯れ込みが広がってしまうんですね。かなり大量にあったので、焼却するしか仕方なかったんですね。さいわい、野焼きもすべて無事に済みました。いよいよ通常の作業にもどります。1.草刈り、2.ブルーベリーとミョウガの収穫、3.鉄柵の引き続く設置、この時期の作業として、この3つをすすめていきます。とにかく今日もたいへんな暑さだったんです。短時間の作業で、着替えた衣類ですが、汗を絞って乾かすようにしました。こんな時期は、「われ来て、われ勝ち、われ帰る」じゃありませんが、照り付ける陽射しがきつくなる前に、早朝の涼しいうちに作業を片付けて、帰りの道路が混みだす前に、早々に帰って来るようにしました。
2018年07月16日
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やった! 野焼き終了です7月15日(日)、小田原・早川のみかん園へ、野焼きの第2弾に行ってきました。7月13日に続いての第2弾の片づけでしたが、何しろこの暑さですから、後日に野焼きが出来るようにと、集めておくのが目標だったんです。とこが、早川のみかん園には午前6時に着いたんですが、まだ陽射しが、早朝ということもあり、それほどきつくはなかったんですね。そうであれば、野焼きするところまで、済ませることにこしたことはありません。この暑い時期に野焼きするなんて、普通ではありえないことなんですが、すでに7月13日に切り枝の半分の焼却は済ましていますから、やけくそです、熱さを我慢してでも、出来るなら終わらせるに越したことはありません。それにしても、みかんの枯れ枝とビワの木の剪定による切り枝がありましたから、両方を合わせるとかなりの量だったんです。天気は予報通りの「晴れ」ですから、時間がたつとともに、陽ざしはたいへんきつくなってきたんですが。消火用に水をバケツに用意して、四の五の迷わず実行あるのみでした。午前9時には野焼きはすべて完了することが出来ました。この市民みかん園の園主さんですが、半ば心配もあったと思うんですが、草刈りの形でつきあってくれました。本来、この時期は、早朝の草刈りが一般的な作業なんです。ところが火を使うとなると、刈草の乾いた部分に燃え移ると、とんでもない大事になりますから。にわか農夫による火仕事にたいしては、市民園の園主さんとしても、全体の社会責任を負ってますから、漫然としてはいられないんですね。もちろん、草刈り自体は、この時期のみかん園の基本的な仕事なんですが。午前9時には、熱かった仕事も終わりました。今回野焼きしてみて分かったんですが、みかんの木は燃えだすのに、木が硬くて時間がかかるんですね。それに対して、ビワの木は葉も枝もかなり燃えやすいんですね。それと落語に火消しが水をかぶって火事場に臨むとの話がありましたが、火に近づくには、「水をかぶる」というのは正解だし、それと、少しくらい厚手であっても、耐熱服を着て消火にあたるということも、納得できました。とにかく、これでみかんの枯れ枝の始末を、なんとか片付けることが出来ました。「みかん園の中に枯れ枝を放置しておくと、菌が飛び散って感染させて、枯れ枝を広げてしまう」これが、ベテランの方からのアドバイスだったんです。枯れ枝の量が、想像していた以上に実際には多かったんで、どうするか苦慮していたんですが、野焼きが許されている早川の大自然でしたから、早朝の2日間をかけての野焼き作業でしたが、ヤレヤレ、無事に終了することが出来ました。
2018年07月15日
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ブルーベリーの7月14日朝市関東では、7月中旬にもかかわらず、暑い日が繰り返しやってきます。この調子で8月になれば、いったいどんな事態になるのか。7月14日、多摩の団地では、多摩と群馬、小田原の農産物をあつめた朝市が開かれました。この暑い日々ですが、3地域から共通にブルー・ベリーが出品されました。昨日、当方が野焼きをしている間に、2人の方がブルーベリーを採ってくれていたんですね。これが、当方の本日の出品コーナーです。ブルーベーリーとバレンシア・オレンジが、小田原から出品されました。それと、裏高尾の力石から、サンショウの実が並べられました。当方は、主としてブルーベー・ジャムを試食してもらいました。寅さんじゃないんですが、「なに?! ブルベリー・ジャムをつくったことが無いんだって!試食しての通り、私ごときであっても、このようなものが簡単に出来るんですよ。グラニュー糖を混ぜて、フライパンか鍋で20分間、かき混ぜて煮るだけじゃないですか」だいたいブルーベリーを売るというよりも、ブルーベリー・ジャムの試食してもらって、その作り方の講習会なんですね。くわえて、『ブルーベリーを食べた方は、スペインに行きましょう。柑橘類の出回りの最後ですが、口直しにバレンシアオレンジを召し上がれ」っと、これもまた、試食してもらったんです。そんなやりとりをしている間に、午前9時から始まった朝市ですが、当方の商品は午前10時過ぎには完完売してしまいました。次の写真は、多摩市と群馬の農家から届けられてきた立派なブルーベリーに加えて、当方が、ここで購入したのは、トウモロコシ、トマト、ナス、ピーマンでしたが、そのほかにも、大根、シイタケ、ブロッコリー、枝豆、ゴボウ、玉ねぎ、キャベツ、しし唐からし、ほか、いろいろな野菜が、群馬の月夜野と多摩の農家から寄せられて、ならべられていました。今回、当方としても再認識させられたことがあります。ブルーベリーはやさしく扱わなければ、せっかくの果実がつぶれてしまうということでした。収穫を効率的にしようとの善意の発送でしたが、厚手の収穫容器に収穫したんですね。また、厚手の籠で収穫搬送してきて板ですね。ブルーベリーは、みかんよりもはるかにデリケートだったんです。後から知ってみればですが。そのあつかい方次第では、荷重が加わると、自身の重さでつぶれてしまう、今回もそうしたものが出て来ていたんですね。収穫容器が厚手のものだったり、搬送する時に荷重が加わったりすれば、乱暴に扱ったりすけば、せっかく熟した果実ですが、その果汁がしみだしてきて、ベチャベチャになっちゃうんですね。せっかくの収穫したブルーベリが、台無しになれかねなかったんです。だから、ベテランのある人曰く「ブルー・ベリーは、ビワや女性にたいして接するがごとく、あくまで、やさしくていねいに」しないとだめだと。もっと早く、聞き耳を立てていればよかったんですが、反省です。今回、炎天下に一生懸命に、少しでも多く収穫しようと汗をかいてくれた人にとっては、この結果は、苦い体験となりました。たくさん頑張れば、それだけ傷んだものが出てきてしまった。しかしながら、まだ、ブルーベー狩りは始まったばかりで、ほんの初盤のことですから、今後に生かすということです。今回の、この経験は、強力なインパクトで心に刻まれました。この次からは、都会からの初体験者、新たな収穫ボランティアの人たちにとって、「収穫の丁寧さが、ハートが、その産物の持ち味を生かして、消費者にとどけられていく」、この教訓は、都会生活者にとって、農業の初体験者にとって、初めて大汗をかいて努力でしたから、きっとこの教訓はつ、次の人たちへと、継がれていくと思っています。
2018年07月14日
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炎天下に、みかん園の野焼きをしてきました7月13日、早川のみかん園に、朝から煙が立ちあがりました。このご時世に、野焼きが出来るのは、自然環境が保全されているということですが。もっとも、この暑い時期に野焼きなどする人は、めったにいないのですが。本日、その野焼きが、昨日に引き続いて行われたんです。普通、野焼きは、冬の寒い時期におこなわれるはずなんですが。こんな暑い時期に野焼きなどと言うことは、常識的にはあり得ないことなんですが。みかん園の草刈りをしてみたら、みかんの木に枝の枯れ込みが、かなりあったんです。『放置すると枯れ込みが広がるから、早く切って園外に出した方がいいよ』とアドバイスがありました。枯れ枝部分を切ったんですが、次から次へと、それがかなりの量になったんです。園内からあふれ出して、ついにお隣の空いていた箇所に積み上げてしまいました。しかし、そこは何たって、よその人の土地です。他人の土地に、勝手にたくさんの枯れ枝を積み上げてしまったんですから、常識外の異常事態です。はやく始末して、片付けることが求められていたんですね。処分の方法は、野焼きをするしかなかったんです。地中に埋め込む手もありますが、何しろ分量が多いもので、それは不可能でした。そうなれば、野焼きをするしかないじゃないですか。それで、昨日関東は土砂降りの地域もある、不安定な気象状況でしたが、テストをしてみたんです。してみると、気ちがい沙汰には違いないんですが、不可能ではありませんでした。不法投棄の状況を、一刻も早く解消するには、今日この時に野焼きをするしか無し、でした。それで、炎天下での野焼きとなったわけです。これはもう全く「たい焼きくん」状態で、暑い中での熱い作業でしたが、ひたすら我慢するしか、仕方のないことでした。何をおいても、一刻も早く、不法投棄状態の、異常事態を解消させることが、最優先でしたから。午前7時半から9時までかかりましたが、お隣の空き地に、全くの他人の敷地に仮置かれた枯れ枝については、これで、すべての枯れ枝を、焼却し処分することが出来ました。まだ処分が必要な枯れ枝は、園のうちには半分が残ってはいるんですが、これは、他人様に迷惑をかけるているわけではありませんから、今後の課題です。さて、野焼きは、その後の火の始末が肝心なところでしたが、「まぁ、これでいいか」と、直接手掛けた私などは、疲れてもいて大ざっぱになりがちですから、くれぐれも不始末をきたさないようにと、冷静な他者による始末の状況を診断していただきました。その結果は、上の写真状態では、「不十分で、危険だ」とのことで。さらにしばらく時間をおくようにして見るようにして、さらに水かけして、周辺の枯草との遮断をはかるようにしてきました。これで、一つの懸案事項を果たすことが出来ました。やれやれ、といったところです。
2018年07月13日
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「蜜蜂が巣箱の外に」緊急の連絡を受けて今朝の7時半に神奈川県真鶴から緊急連絡が入りました。『ミツバチが、みんな巣箱の外に出ちゃっているよ』、大変だ、と。知らせを受けて、さぁ大事です。何たって、ミツバチに逃げられた経験は、この4年間の定番でしたから。さいわいにも、今日は当方は休養日だったんです。自由がきいたんです。こうなれば、何はさておいて、おっとり刀での出動です。そうはいっても、当方の住む八王子とミツバチのいる真鶴とでは、80キロのへだたりがあります。最大限にいそいで向かったんですが、ようやく真鶴に到着できたのは午前10時10分だったんです。してみたところ、蜜蜂さんはどこ吹く風で、涼しい顔でした。おそらく、この何日かは真夏日の様に暑かった気ですから。今朝は、天気予報を覆して、関東はかなりの雨が降ったわけですから。ミツバチたちも、「朝涼み」で女王蜂を先頭に、巣箱の外で涼んだんじゃないでしょうか。とにかく、3時間前には、きわめてたくさんの蜜蜂が巣箱の外にいたはずなんですが、当方が、すわ一大事と駆け付けたときには、ご覧の通りでした。きわめて平穏な状態でした。「やれ、やれ」でした。今日は、せっかく遠出してきたわけですから、日ごろやろうとして出来ずに来た仕事をすすめました。それは、梅の木の剪定です。これは、当方の真鶴のみかん園の入り口なんですが、二軒の住宅の間が、2メートルの入り口なんです。そこには梅の木があります。今年思うのに、その手前の木は「十郎」だと思うんですが。その期を植えた父が、2000年に亡くなってますから確かめれないんです。私などが、そこに梅の木があるのを知り、「梅ごころ」がついたのは2006年くらいからですから、その木が何んの種類の梅の木なのか、いかんせん確かめれないんですね。なんの種類かはとにかく、この木の梅は梅干に適しているんですね。南高の様に赤い実もつくんですが、南高の実よりも小さいんです。もはや、種類がなんなのか、確かめるすべはないんですが。今回の蜜蜂騒動の遠出でしたが、そのおかげで、梅の木の、高く四方八方に伸びる枝でしたが、隣の家に伸び広がらないように、また「梅きらぬバカ」といわれないように、この機会に、バチバチと梅の枝を切り縮めをしてきました。何本かありますから、まだ十分なものではありませんが、手を加えず、そのままでいたよりかは、これでいくらかはましになりました。とりあえずは、「やれ、やれ」といったところです。
2018年07月12日
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半分まで来たイノシシ柵昨日、早川のみかん園では、イノシシの加害をとめる為に鉄柵を設置してきました。全体を囲おうとしていますが、その半分のところまできました。この正面のうっそうとした森も、以前はみかん畑だったはずなんですよ。人の手が及ばなくなると、みかん畑は元の森にかえっていきます。そして今、そこにイノシシが住み着くようになっているんです。毎回、来る度にイノシシの掘った穴など、新たな痕跡が残されているんです。今はみかんは、オフシーズンで、みかんが無くて、加害しようがありませんが、秋ともなると、地面から1メートルくらいのみかんを、荒らされちゃうんです。この間に、ありあわせの板などの材料をつかって防止柵をつくったんですが、そこは止めれても、すぐ脇にはう回路がつくられて、勝手し放題なんです。今回は、みかん園の園主さんが、周りのみかん園のほとんどが対策を講じているように、抜本的に鉄柵でみかん園を囲うという措置をとることにしたんですね。全体で150枚の柵を設置する予定ですが、今回で50枚を設置するところまで来ました。この時期の暑い炎天下の作業になりますから、なかなかきつい作業なんです。だけど、イノシシの加害をとめるためには、この囲い込みが欠かせなくなっているんです。野菜づくりをしている人たちも、囲わないと食べられちゃいます。私なども、去年サトイモの30株以上を植え付けしてみたんですが、成育しだしたら、一つ残らず、すべてイノシシに食べられちゃいました。今では、この小田原・石垣山では、農業をしようとするものは、耕地の全体を柵で囲うことが不可欠の前提になっているんですね。石垣山は、一夜城の史跡をたずねて、大ぜいのハイカーたちが登ってきます。相模湾や三浦半島、箱根山の大自然の風景を楽しめるところなんですが、その自然の豊かさは、注意してみると、今や耕地のすべてが鉄柵で囲わないと営農してゆけない事態になっています。以前の全体として農家が活力があった時には、住み分けがされていて、イノシシはここまで大っぴらに荒らしまくることはなかったんです。ところが今は、耕作が放棄された土地は林にかわり、そこはかっこうのイノシシの住みかに変わってゆきます。農家の減少、高齢化は、ハンターの力としても、以前よりも低下しているはずです。ですから、イノシシによる加害は、自然との問題であるとともに、農家の置かれた状態の、社会的な問題でもあるんですね。とにかく、あと100枚の鉄柵を設置して、みかん園を囲って、イノシシ被害を防ぐということです。もうひと頑張りです。
2018年07月10日
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イノシシの北からの侵入を遮断しました7月9日は小田原のみかん園へ、イノシシ柵の3回目の設置に行ってきました。東京・多摩市を午前5時の出発で、みかん園に行ってきました。今回の目的は、引き続き鉄柵の設置だったんです。みかん園の北西側には、うっそうとした林があるんです。そこからイノシシがみかん園への侵入してくるのを封じる為の鉄柵の設置です。今日は、農業ボランティアとして、Sさんに新たに参加をしていただきました。これは、本日の北側の鉄柵はりを終了したところです。向かい側に見える赤い屋根の小屋まで、みかん園の西側の辺を南北に仕切ったわけです。伸び放題のつる草が木々にからみついています。まずそのつる草をを断ち切って、設置するラインの草刈りをしてから、その後で、ようやく鉄柵の設置にかかりますから、こうした下準備が大変なんです。ちなみに、今回も新たなイノシシの活動の痕を見せつけられました。前回以降、中一日置いただけですが、深さ30センチ以上で長さは1メートルくらいの新たな穴が、1か所、2か所と掘られていました。これが今日の鉄柵を設置する予定地です。ちらっと赤い屋根が見えていますが、そこまでイノシシとの住み分けの鉄柵を設置します。用意した鉄柵を支柱に針金どめしながら、「万里の長城」のように、鉄柵ををつないで、つぎつぎに延ばしていきます。正面の林ですが、そこは以前はみかん畑だったんですよ。人の手が入らなくなると、ご覧の様にうっそうとした林に変わってしまいました。水田が、減反政策により耕作放棄を強いられてしまっているのと同じなんですね。そこにイノシシが住み着いて、みかんや野菜を食い荒らしに出かけてくるわけです。ようするに、いわばこれは、自民党の最近の農政の結果なんです。イノシシ問題というのは、農家の自立的な営農を放棄させた、現在の自公の農政の結果なんです。ここを声を大にして言います。イノシシが勝手にみかん畑を荒しているのは、農家の営農衰退を強いているのノー政の結果なんです。当事者たちは、プライドもありますし、相互関係もありますから、「自由」に発言できませんが、当方は、そんなしがらみや、義理人情はありませんかに、見たまま感じたままに言わせてもらいます。これは自公政権の1970年代の後半から顕著になりだした、ノー政の結果だ、と。昔から、一国の存立は、その国民の食を守るために、為政者の第一のつとめは営農促進だったんです。ところが、車などの工業製品を輸出するために、海外の農産物を輸入する。国内の農家による農産物が余っていたとしても、ジャンジャン海外からそれを輸入する。減反政策の結果は、少しでも水田のあるところを通れば、明らかです。まして、今回の様な自然災害がおきている時、工業製品なら残業や徹夜をして、ある程度生産量を増やすことは出来るかと思いますよ、しかし農業は作付けしてないところに物をならせようがないんです。「農産物は海外から輸入すれば、なんとかなる」ノー天気な政治家には、一度草刈りしてもらって、汗を流させたいですね。日本歴史でこれほど無責任な、いいかげんな農政が闊歩している時はないと思うんですよ。農家は、日々忙しく疲れているだけではなく、この政治の現実に自身の意見を発言すべきだと思うんでする。そうした傾向は、確かに最近の選挙の結果に出ていますが、こんな程度で流れを変えれるかということなんです。営農の未来が、この程度で本当に安心できるようになっているのか、ということなんです。まあ、ぼやき漫才はこのくらいにして、とにかく、本日の汗かき作業で、イノシシの侵入・加害を抑えるための布石が、強力な一歩が、ここに敷かれたということなんです。この作業にかかると、周囲の景色も目に入らなくなるんですが。次の写真は、午前6時32分の小田原SAから見た富士山です。この時期になると、夏の「青の富士山」です。地上が暑いのもうなづけます。みえている残雪ですが、わずかに谷間に残るかすかな程度になっています。熱中症にかからないように、昼過ぎには、早々に作業を終わりにして、帰途に就いた次第です。きっと、今ごろは、イノシシも道をふさがれて驚いていると思います。
2018年07月09日
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明日は、鉄柵はりとブルーベリー台風7号は全国に甚大な被害を残していきました。被災をまぬがれた人たちは、被災者の分まで頑張ることが、全体としての復旧の力となります。小田原のみかん園では、今、イノシシの加害を防止するための鉄柵はりをすすめています。それと同時に、今の時期はブルーベリーの収穫の最盛期に入りました。みかんの収穫期というのは、温州みかんでは、11月から翌年の1月くらいまででして、甘夏が反対側の時期のものとして、夏ミカンとして5月までに収穫するようになっています。ですから、この7月の時期というのは、みかんとしては基本的には農閑期なんです。しかし、農閑期といっても、暇なわけではなくて、この時期繁茂してくる雑草を相手に草刈りしたり、木を枯らすカミキリムシを退治をしたりと、舞台裏のみかん園の手入れで、汗を流しているシーズンなんです。そうした中で、最近では、この地の農家の人には、ブルーベリーを栽培する人が増えています。5年以上も前からでしょうか、農家にこの時期の収穫物として、その栽培が奨励されていたんです。当方は、最近、早川のみかん園に係わるようになって、そうした事態をしりました。みかんだけに頼った収入では、限られていますから、副収入としてそれは貴重なんですね。そうした目で、周りの畑を見てみると、当地の農家では、その多くの方は、ブルーベーリーだったり、キウイだったり、みかん園の一角をつかって、多角的な栽培をするようになっていました。みかん農家も、みかんの一発勝負では、その収穫と相場の上下から暮らしが成り立たないんですね。全国的に、以前なら、ブルーベリーは珍しくて、希少価値のあるものとして消費者の目に映っていたと思います。近頃では、かなり一般的に各地で栽培するようになっています。スーパーで見ても、かなり安い価格のブルーベリージャムが販売されています。私の知人も信州の軽井沢でブルーベリーを専業的に栽培しているんですが、かなり手広く栽培しているんですが、なかなか苦労しているようです。この小田原・早川でも、ブルーベリー狩りの看板やのぼりが目立つようになっています。やはり年によって表年・裏年をくりかえす傾向ががあるようですが、多くの農家で栽培されるようになっています。同じ果実の収穫でも、みかんの収穫は、上もぎ、中もぎ、最終もぎと、全体を大きくは3回くらいで、収穫しているようですが、ブルーベリーの場合は、はるかに細かいものとなっています。日に日に成熟して来るスローモーションに合わせて、2日ないし3日おきに、何回となく畑を巡回して収穫するようです。これは、その時期を畑に縛られるわけですから、大変な収穫作業になるんですね。ブルーベリーの収穫はですが、今は7月上旬ですが、梅雨明けの日差しの下、すでにブルーベリーの成熟期に入っています。これから8月の半ばまでの間、夏の炎天下で、ポチポチと巡回の収穫をしていくわけです。一見のどかなようですが、やってみると、なかなか細かな、大変な地道な作業が続くわけです。一気に成熟してくれませんから、あくまでそのテンポに合わせなければなりません。当方は、みかん栽培と提供を、余生の仕事としているわけですが、この数年は、真鶴のみかん園に加えて、早川でのみかん栽培に係わるようになっています。真鶴よりも早川は、はるかに広大なみかん園の自然が保全されているんです。早川では、イノシシの加害を防止するために、みかん園全体に鉄柵はりめぐらすことが欠かせない前提になっています。今、早川の農家は鉄柵で畑全体を囲い込まなければならなくなっています。当方も、それに取り組んでいますが、同時に、この7月の時期は、ブルーベリーの収穫があります。明日もそうですが、この二つの作業で、この時期は多くの汗を流すようになっています。
2018年07月08日
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イノシシ防止用の鉄柵の設置7月7日(土)、小田原の石垣山へ、イノシシ柵の設置に行ってきました。台風7号崩れの低気圧は、各地に大変な被害を与えています。今回の小田原では、相模湾の様子がいつもとはだいぶ違っていました。相模湾の海の色がはっきりと仕切られていました。これは、酒匂川が上流から運んできた濁流を海に流しているためなんです。山の方では、当地でもかなりの雨がふっているようです。さて、当方は、この台風のために順延したイノシシの侵入防止策の設置に行ってきました。雑草の繁茂が、いかにすごいか次の写真がしめしています。ビニールの柵はつる草が巻き付いて見えなくなっています。この草の中にあるんです。去年の11月にこのビニール製の網を設置したんですが、それから半年余で、つる草にからみつかれて、網が見えなくなっています。今回は、ビニール網にかえて鉄柵を設置するんですが、そのためには、その前にこの草を草刈りして取り除かなければならないんです。次の写真が草刈り作業をした後ですが、なんたって、このつる草を取り除くのが大変な大仕事なんですね。今日なんて、台風の後で、まだ曇りがちだったんですが、それでも時々強い日差しがさしてきましたから、逃げ場がないんです。おかげで全身汗びっしょりにさせられちゃいました。この整地した後に鉄柵をせっちするんですが、今回は鉄柵を、前回の続きでしたが、新たに22枚を設置しました。その設置したあとの様子です。これで150枚のうち、30枚を設置したことになります。ツルの巻き付いたビニール柵をとりのぞいたあと、草刈り機をつかって予定地の草刈りをします。被さっているつる草を取りのぞきます。その後に鉄柵を設置してゆくわけです。この作業をしていると、あたかも人が踏み固めたようなけもの道が出てきます。イノシシがつくったもので、日常的にそこを通路として行き来をしているんですね。「そうか、ここが通路になっていたのか」と、そうした道に出くわします。エンジン音も快調に、巻き付いているつる草を取りのぞいていきます。ここも昔はみかん畑だったそうですが、いまでは、この木の生い茂った林は、イノシシの格好の住みかになっています。しかしですよ、その通路も今回鉄柵を設置することで、完全に遮断されることになります。これまでのビニールの柵だと、イノシシは食い破って、通路の穴をあけてしまうんですね。その破られた箇所を厳重にふさぐと、その隣にすぐまた別の通路がつくられますから、この間、何度も攻防が続いてきて、イタチごっこの状態でした。しかし、今回の鉄柵の設置で、イノシシはシャッタアウトされるはずです。おそらく、今ごろは、鉄柵の向こう側で、「なんだ、これは。どうなってるんだ」と。イノシシの家族は、ウロウロしているんじゃないでしょうか。まだ、全体の150枚の鉄柵のうち、今回までに設置できたのは30枚ですから、これから、引き続き暑い夏の日差しの下で、大汗を書かなければならないというわけです。この小田原の石垣山のみかん園では、農業をしていく上では、この鉄柵の設置が、かかせない前提になっています。私たちのみかん園も、これができあがれば、ようやく一般的水準に追いつくというわけです。それにしても、消費者の知らないところで、大変な事態と苦労が進んでいるわけです。
2018年07月07日
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「しばられたプロメテウス」を読む台風7号は、全国各地に大雨を降らせて通過中です。普通なら作業日の今日、みかん園のある神奈川県西部も雨とのことで、足止めです。そうした折、古代ギリシャのアイスキュロスの「縛られたプロメテウス」を読みました。筑摩書房の世界古典文学全集8(昭和39年刊)が、アイスキュロスとソポクレスの作品集なんですね。現在アイスキュロスの作品は7篇が残されているだけとのことですから、この本にはその7篇のすべてが収集されているということです。演劇にも、古典文学にも、当方は疎いのですが。古典作品でそのものを読んでいるのは、せいぜい指折り数えるくらいのものなんです。どういう風の吹き回しか、今回、アイスキュロスの作品を1作でも読んでおきたいとの気持ちになったんですね。「縛られたプロメテウス」ですが、古代ギリシャのお祭りで上演された演劇だそうです。そのシナリオ的な作品でしょうか、この本のページ数にして19ページ、3幕1場といった短いものです。そもそも「プロメテウス」については、ギリシャ神話で神の世界から火を盗んで人間に与えた神様で。そのためにゼウスの怒りをかって、山地にしばりつけられ、ワシに内臓をえぐられた。そんな話とそれを絵にしたものは、私などもどこかで見聞きしていたんですが。その程度のことしか知らなかったんですが。著者のアイスキュロスという人は、ギリシャのペルシャとの戦争に実際に参加した人だそうです。一般に伝えられているプロメテウス神話を元にして、プロメテウスはなぜ自分が岩に縛られることとなったのか。何故罪とされることにちっともものおじすることなく、その苦しみにたえれるのか。やがてはゼウスの絶対的な力を覆す見通しというものを自分の胸にもっている。ようするに、アイスキュロスという人は、伝説の話を、いわば単なるお話であったものを、この演劇作品のなかに、独特に迫真の現実的な社会的な問題としてつくりあげているんですね。人間を無力を憐れみ、火と知恵を分け与えることで、ゼウスの怒りにさらされた。すごいテーマを取り上げたと思いませんか。くわえて、古代ギリシャのお祭りの演劇の催しで、これが上演されたんです。市民はこの演劇を直に見て大きなショックを受けたと思うんですよ。そしてそれをその祭りの一番の演劇作品として評価したんです。そこには、古代ギリシャの市民の独特の力、ペルシャ戦争を戦った不安とともに青春的なパワーを感じさせるものがあるんじゃないでしょうか。しかし「針小棒大」ということもありますから、注意です。単に私ごときが、一編の作品を初めてですよ、ただの一度くらい読んだことで、「古代ギリシャのパワーを知る」なんて、たいへんおこがましいのです。しかし、この短い作品ですが、現在にも人間の努力を励まそうとする力をもっている、人類の作品としては一番古い時代の作品であるにもかかわらず、そんな感じを抱かせてくれるんです。古代の弁証法ということについても考えさせてくれます。要するに、現在を生きる人たちにとっても、名前を知っているだけじゃ、もったいない。人類の財産に対する怠慢になる。この作品は、是非一度、直に読んでみてほしい作品だということです。
2018年07月06日
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みかん農夫は台風の雨でお休みです台風7号は昨日、熱帯低気圧にかわったそうですが、ひろく各地に被害を残ました。当方もその影響を確かめたいのですが、遠出できるのは数日先です。目下の作業は、イノシシ対策での鉄柵設置と草刈りなんですが。台風のおかけで、しばらく足止めです。これは7月2日、前回ですが、草刈りした結果です。この草刈りで大汗をかきました。ここについては、これでしばらくの間は心配なしですが、しかしこれは全体の一部分です。次の写真も、これでも草刈りをした後なんですが、今回の台風の雨もありましたから、こちらはまた直ぐに繁茂してきそうです。この時期、農夫は、消費者には見えないことですが、草刈りの地味な作業に追われています。みかん栽培にとっては、ごく当たり前な基礎作業なんですが。都会の消費者や、最近の無責任な政治家には知らない世界であり、苦労です。草刈りは、雨が降ればできませんが、晴れれば晴れたで炎天の下での大変な作業になるんです。何着も着替えが必要になるほどの難行苦行なんです。そうしたことで、この1,2日は台風の雨の影響で、遠距離農夫はお休みです。ところで農家というのは、自然との体力勝負がもとめられますから、かなりくたびれています。だから今、自公政権によってTPPで農産物の自由化がどの様にすすめられつつあるなかですが、この大事な死活にかかわる問題ですが、その正確な情報もないし、ほとんど分かっていないんですね。こうした関係におかれています。そうした状況に当事者を置いたうえで、最近の自民党の無責任な無茶苦茶政治ですが、ヘイコラ議員と加担するやからをとりこんでいる、それが無茶苦茶を許している事情なんですが。国民のためには悪行しかしない連中です。私なども反省するんですが。ただ草刈りの自然との体力勝負に終始しているきらいがあるんです、それでヘトヘトになっている、これだけじゃあだめなんですね。この範囲にとどまっていては、今の亡国の農政の現実を変えることは出来ないんです。結局、その付けは自分自身に回ってくるということです。これとは全然関係ないことですが、やはり最近、フェイスブックを見ていて感じるんです。FBをみていると、「変革」を志しているはずの人たちが、自分自身が体験しつつある事柄を、ちっとも自分自身の言葉で自分たちの問題を発信しようとしないのは、これはどうしてなのか、と。安倍政治の問題と、それを変えなければならないという問題は、これは確かにありますよ。しかし、他人の問題ではありますが、ただそれを他人事としてあげつらっていたり、その批判を他人が発信したことを単に転送しているだけで、それで何かをしたような気になっている、(まぁ、何もしないよりはましでしょうが)、だけど、肝心のその人自身の姿が、その人なりの考え方が、あまり見えてこないのは、いったいどうしたことなのかと。そうだ、そうだと言ってる様にしか見えないんですね。まぁ、ひどい政治の展開を、それに鈍感になって、ただ見過ごしてしまっているよりかは、ましといえば、いくらかはましでしょうが。しかし、それだけじゃぁ、人として情けないじゃないですか。私などが、しがみつこうとしていることですが、たんに農作業に、自然との関係でヘトヘトになるだけではなくて、それに加えて、社会と知識で、なにか一点でも得たことを、くたびれてはいても発信することなんですね。それでなければ、今を生きている証が無いじゃないですか。大海の一点の滴であっても、それをつけ加えようとすることなんです。「労働とともに知」ですね。汗をかきつつも、眠たい目をこする。やはり、これを大切にしていきたいとおもってます。
2018年07月05日
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清見の臨時朝市昨日、小田原の早川から清見オレンジを10コンテナ預かってきました。普通、清見オレンジは4月が出回りの時期なんですが、普通、農家では「青色の清見」についても、木を弱らせないため全収穫しています。ところが、Kさんは木につけたまま、それが完熟するのを待っていたんです。それは、その木がその次の年には、極端な裏年になるのを覚悟して取れる措置です。その代り、普通はみかんが無くなっている時期に、清見オレンジが楽しめるわけです。当方が今回預かってきた清見は、選果したの後のダサい清見だったんですが。その多くは、知人にわけを話して、届けるようにしました。しかし、一般の人たちにも臨時の朝市をひらいて、提供するようにしました。予告などは一切なし、午前9時からの臨時朝市でしたが、ありがたいじゃないですか、用意した15袋ですが、当方がいれた午前10時までには、11袋が売れました。ダサいものでも味は美味しいと、ドンドン試食してもらったんですが、どこの国の人かわからない、ニュアンスのちがうおやこでしたが、失礼なんで「どこの国から来たのか」、やはり聞くことは出来なかったんですが、小さな女の子を連れたお母さんが足をとめてくれました。二人して試食してくれたあと、「お金を取りにいってくるから」と。当方はいろいろなお客さんに対応していて、そのことを忘れていたんですが、『どれがおいしいですか?』ふたりして、女の子が250円の硬貨をしっかりにぎってやって来てくれました。うれしいじゃないですか。人情は世界に生きているんですね。安倍なんかの感覚とは、月とスッポンで、大違いですね。今回の清見オレンジは、これまでのものとは、姿かたちが劣るものだったんですが、ドンドン試食してもらって、その味に納得してもらったんですが、預かった10コンテナ=200キロですが、臨時の朝市を前後して、いろいろ働きかけたんですが、その結果、ほぼ全体について、販売の目途がたちました。
2018年07月03日
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イノシシ対策で鉄柵設置を開始しました本日・7月2日は、早川のみかん園で、イノシシ対策の鉄柵をはりはじめました。いよいよ設置作業の開始です。これがその鉄柵ですが、最初の一枚目を設置したところです。早川の石垣山のみかん園では、イノシシの加害が激しくて、シーズンにはかなりの被害が生じます。この地の農家は、イノシシ対策をとることが、今では作物をつくる上で欠かせない前提となっています。当方のみかん園でも同様でして、園主さんとともに、ビニール製の網を、みかん園の周りにはってきたんです。ところが、このビニール網くらいでは、イノシシにとって食い破って通路をつくっちゃうんですね。何もしないよりかはましですが、イノシシの侵入をとめることは出来ていなかったんです。それで、農家が一般的に設置しだしている鉄柵ですが、これを、私たちのみかん園でも導入することにしたんです。これまで設置してあったビニールの網を撤去して、設置する線沿いに草刈りをして、鉄柵を雪駄していきます。これは、ビニールの網を外しているところですが。この間の陽気で雑草の繁茂が著しくて、網に巻き付いちゃってるんですね。このビニール網の撤去するには、巻き付いた雑草を取らなければならない、柵がはれるスペースをつくるには草刈りもしなければならない、この下作業が、一番の苦労だったんですね。本題の鉄柵の設置作業よりも、この下準備の方が、はるかに大変でした。何しろ今日は、早朝から強い日差しが照り付けていたんです。次の写真は、みかん園へ向かう途中の、平塚から見えた富士山です。午前6時7分時点で、すでにこうした真夏のような天気でしたから、鉄柵の設置は3人がかりで取り組んだんですが、もう暑くて、暑くて大変だったんです。今日は作業の初日でしたから、とにかく設置作業の要領を確かめる程度にして、熱中症の危険もありましたから、8枚を設置したところで、午前11時には作業を打ち切るようにしました。これから、機会をつくって、全体は150枚ですが、徐々に設置していきます。イギリスの囲い込み運動のようでもあり、アメリカの西部に鉄道を敷くようなものですが、これによって、イノシシの侵入と加害は、完全にストップできるはずです。秋までには、この鉄柵によるみかん園の囲い込みを完成させます。
2018年07月02日
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宮本百合子著「昭和の14年間」を読んで1950年生れの私は、現在の社会がずーっと続いてきたような思いになりがちなのですが。それはまた、それ以前の歴史の認識に「空白」感を感じることがありました。戦前から戦後への転換についても、一般的には分かっているつもりでも、生きた実感としては「空白」感がつきまとっていたんですね。だけど、最近、それは私個人にだけ原因するものではないと感じ出しています。その「空白」感はどこから生ずるのか、どういう努力により埋められるのか、問われていたんです。その原因ですが、その一端を理解させてくれる作品を見つけました。宮本百合子著『昭和の14年間』(1940年6月22日)です。これは「国民文庫」の『歌声よ、おこれ』(1977年刊)の中に、戦前の部の3編に入っていました。文庫にして50ページの分量がありますから、簡単な小品ではないんですよ。今年の2月でしたが、初めて読み通していたんです。ところが、初めてパリやロンドンに降り立ったようなもので、見聞きすることの多くが真新しくて、その感想がまとまらなかったんです。5月16日になってブログに「空白を探る手掛かり-百合子著『昭和の14年間』」を発信した次第です。従って、今回は周りめぐって2度目の発信になるんですが。この本の素晴らしさですが、1940年6月の時点で書かれたこと、これは不屈の理性の輝きなんですね。先日、蔵原惟人著「プロレタリア文学運動」(1954年)を紹介しました。蔵原氏は1932年4月4日に治安維持法違反で検挙され1940年10月まで獄中にあったわけです。戦前、執筆出来たのは1932年まで、敗戦に至るまで「空白」を余儀なくされていたんですね。蔵原氏が率直に語り・書けるようになったのは、1945年8月の敗戦以降になってからですね。そうした時代の中で、1940年6月に、戦時統制下にすすむ中で、宮本百合子はプロレタリア文学のはたした役割、業績について、当時の全体の日本文学の動きについて書いたんです。配慮された言葉により、腹蔵なく批評しているんです。日本社会が戦争に大勢が進んでゆく中で、当時の戦時統制の強まってゆくなかで、この仮借のない批判的な論評作品が書かれたんですね。これは勇気としっかりした見識が無ければ、絶対にできないことじゃないですか。「空白」感とは、戦時統制下で、バラバラにされ抑圧されていた理性でもあったんですね。この後遺症は、抑圧の蓋が取れたからといって、直ぐに社会的観念の形成が出来るわけにはいかないじゃないじゃないですか。もちろんここには、蔵原氏や宮本百合子の様に、直ちに発言し動き出した人もいますよ、しかしそれは全体の中では、まだまだ小さな光でしかなかったんですね。弾圧の蓋はとれても、新たな複雑な困難もともなって、権利を生かそうとする主体の形成も一路前進というわけではなかったんですね。いくら正しかったとしても、ただ待っていただけでは、自然に他人から与えられるものではなかったんですね。「もとめよ、されば与えられん」です。ちゃんと求めなければ、自然にどこからか降ってくるものではなかったんですね。過去の亡霊をみきわめて、それとしっかり闘わなければならなかったんですね。一点だけ、プロレタリア文学運動の業績を紹介しておきます。宮本百合子が1940年の評論で確認している点です。1927(昭和2)年の蔵原氏ですが、それ以前の主観的な印象批評に対して客観的根拠による「外在批評」がとなえられたことに、「マルクス主義文芸批評の基準」(1927年9月「文芸戦線」)の論文で、その社会性、客観性に中身を明確にしたこと。現在でもコメンテーターなどに勝手な「‥じゃないかと思う」などの態度が多々めにつきますが、政治家による独断的な改悪法規の押し付けもみられますが、ここで客観性と社会性をもつことを、科学的な精神を提起しているんですね。さらに蔵原氏は、翌1928年に「プロレタリア・リアリズムの道」(1928年5月「戦旗」)を発表して、19世紀の個人主義的リアリズムから新しい社会的なリアリズムへ前進させる課題を提起している。小林多喜二の『蟹工船』や徳永直『太陽のない街』、村山知義、中野重治、黒島伝治などの作品に、そうした提唱がいかされたというんですね。この一点でも、現在にも、実のある中身をつくっていく上で、明確にすべき観点だと思うんですよ。これは、ごく成果の一端であって、そこには今でも生かしうる大事な宝がたくさんあると思うんですよ。しかし、1934年にはプロレタリア作家同盟は、治安維持法により弾圧され、解散させらたわけですから、積極的に切磋琢磨することが出来ずに、内部の軋轢ものこして、率直な公然とした議論もできずに、関係者全員が取り締まりの対象となった。各人はバラバラにされ、監視されて、結局1945年の敗戦まで禁圧の11年間の空白を余儀なくされたわけです。長期に心に傷を受けて、禁圧がとけても、すぐにはまとまれなかったわけですね。それらは、1950年生れの、文学などとは関係がなかった私などですから、もちろん直接につながることではありませんが。それでも私などの「空白」感もこうした社会背景とどこかでつながっていることを、最近になって感じてくる次第です。それは国民全体の問題でもあります。今においても、けじめをわきまえないかつての亡霊たちの横行と、国民は自らの権利を守るために、しっかりと身を正して、闘うことが求められているということです。あいまいさは、くり返しの災いとしてのしかかってくる点にたたされているということです。
2018年07月01日
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