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代金引換のプレゼントをもらった。手配した人は、これで「あげたつもり」になっているようだ。納得がいかん。
2007年02月28日
わざわざ宅急便で結果が来た。評価を与える仕事をさせられているというのに、評価対象のほうから評価されるんである。サービス向上のためにでしょうけど。1つのほうは、のきなみ平均以上。もう何度もやって慣れているので、あたりまえである。もう1つのほうは、泣きながらやったのに、のきなみ平均ちょうど。来年はもっと真面目にみえるようにやろう。という気持ちになるためにやらされているんだろうか?で、またあった。「リラックスできたので、とてもよかった」???何を求められているのだろう。
2007年02月27日
春休み、唯一のイベント。渋滞に巻き込まれて、湯河原で回転寿司を食べて、熱海で貫一お宮の松と像を見て、一泊して、島に行って、露天風呂はいって、海鮮丼食べて、起雲閣に行って、渋滞に巻き込まれてきた。これで渋滞がなければとてもよかった。
2007年02月26日
第八章泣いて怒る貫一に対するお宮の語録・「堪忍して下さい」・「…………」・「堪忍して下さいよ、皆私が……どうぞ堪忍して下さい」・「まあ、そればつかりは……」・「余り邪推が過ぎるわ、余り酷いわ。何ぼ何でも余り酷い事を」・「そんな酷いことを、貫一さん、余りだわ、余りだわ」・「何時私が操を破つて?」・「さう言はれて了ふと、私は何とも言へないけれど、富山さんと逢ふの、約束してあつたのと云ふのは、それは全く貫一さんの邪推よ。私等が此地に来てゐるのを聞いて、富山さんが後から尋ねて来たのだわ」・「どうして、貫一さん、どうしたのよう!」・「そんな悲い事をいはずに、ねえ貫一さん、私も考へた事があるのだから、それは腹も立たうけれど、どうぞ堪忍して、少し辛抱してゐて下さいな。私はお肚の中には言ひたい事が沢山あるのだけれど、余り言難い事ばかりだから、口へは出さないけれど、唯一言いひたいのは、私は貴方の事は忘れはしないわ――私は生涯忘れはしないわ」・「だから、私は決して見棄てはしないわ」・「だから、私は考へてゐる事があるのだから、も少し辛抱してそれを――私の心を見て下さいな。きつと貴方の事を忘れない証拠を私は見せるわ」・「私が悪いのだから堪忍して下さい」・「貫一さん、それは余りだわ。そんなに疑ふのなら、私はどんな事でもして、さうして証拠を見せるわ」実は、尾崎紅葉は、こういうタイプの女が好きなのかもしれんと思ってしまった。ところで、有名なせりふは「来年の今月今夜」だが、あの蹴っ転がされた場面の言葉は、「嗚呼、私はどうしたら可からう! 若し私が彼方へ嫁つたら、貫一さんはどうするの、それを聞かして下さいな」 木を裂く如く貫一は宮を突放して、「それぢや断然(いよいよ)お前は嫁く気だね! これまでに僕が言つても聴いてくれんのだね。ちええ、膓の腐つた女! 姦婦」 その声とともに貫一は脚(あし)を挙げて宮の弱腰をはたと(け)たり。地響して横様(よこさま)に転(まろ)びしが、なかなか声をも立てず苦痛を忍びて、彼はそのまま砂の上に泣伏したり。と、舌打ちしながら(?)、はらわたの腐った女、かんぷ、と言ったのであった。
2007年02月25日
10年以上昔だが、「明日この世が終わるとして、何が食べたいか」という質問に、「卵かけごはん。炊きたての白いごはんに、こってりと新鮮卵をかけて、新しい丸大豆醤油をたらして食べる」と具体的なことを言ったまさに“その翌日”に、たまたま“複数の人”から・擂りたてのコシヒカリ(五合)・生みたての卵・キッコーマン特選丸大豆醤油をもらってしまい、「もしかしてこれで死んじゃうということなんだろうか」と思ったことがある。(ちょっと考えてから、ごはんを炊いてみて、やっぱりうまいなぁ~と食べた)いまだったら何を食べるかなぁ。・・・コーヒーと牛乳だけかも。
2007年02月24日
予算が少ない職場なので、なにかとけちけちした取り決めがある。紙は何枚までとかそーゆーことだ。それを「わざと」「正しい」ことを言ってみて、よりいっそう首をしめようとする人がいて、「今まで~ということで許可されていましたが、それならば~するべきではないでしょうか」なーんていってるもんだから、わざわざ不便になるようなことを提案するんじゃねーよ、と思ってしまった。本当に節約したいのか、節約方法に矛盾があることをあげつらおーとしただけなのか、規則の隙間をみつけたやつが憎らしいと思ったのか、どういう意図なのかはかりかねる。
2007年02月23日
宿題がたまりすぎたようなことになっているこのぶろぐ。何日分書かねばならんのだろう。NHKラジオの謎かけ問答がいらいらする。「謎かけ」っていうのは、落ちにひねりが必要だ。同音異義語とか、思いがけないつながりとかないと、意味がない。なのに、最近採用されるものがひどい。「締切とかけて母親の小言ととく」「そのこころは」「どちらも早く終わって欲しい」・・・こーゆー、ただ共通点を並べただけなのは謎かけとは言わん。いくら「おたよりいただきました」といっても、こういうのを読んで許容していたんじゃあ、なぞかけ自体が和変容してしまうではないか。文化を損なうんじゃねーぞ、NHK。おたよりが足りないときは、自分らでひねりだすくらいの技量がないとだめだ。
2007年02月22日

久しぶりにムサカを作った。写真は食べかけである。ムサカはギリシャで食べて、こんなうまいもんがなぜ日本ではやらないのだろうと思った料理だ。上から、・薄く切った茄子(いためておく)・トマトと挽肉(いためておく。シナモンを少々いれるとギリシア~中近東~インド風の風味になる)・ジャガイモ(チンしておく)・同トマトと挽肉・同茄子という順番に並べ、上にクリーム系のソースをかけてオーブンで焼くというものなんだが、生クリームなんぞ買ってきたら、全部消費しきれないので、カルボナーラソースのレトルトをかけた。こんなもん食っているから太るんだよ。ということで、ダイエットを始めることにした。(スカートがはけないのが出てきた)
2007年02月21日
「自然にはいっているはずのシャツがない」といわれ、むかついたので、自然ではないことを強調していくことにした。歩くたび、動くたび「じゃあ次はシーツを洗おう」「お皿は洗剤で洗って、ガラスはメラミンスポンジで拭こう」「床にごはん粒がくっついていて黒くなっている。紙ではとれないなぁ」「トイレ用の洗剤がなくなったから、詰め替え用で入れ替えよう」「靴下を2枚組にたたむのが面倒くさいなぁ。テレビみたらやろうかなぁ」「タオルをたたむのをテレビをみながらやろう」とか解説をしながらやったら、非常に働き者であると認識された。言わなきゃわからんのか。
2007年02月20日
ディスカバリーチャンネルで、ケネディーが病気だった話をみた。常に背中が痛くて、公務はバスタブで寝転がりながらしていたこと。持病の薬のせいで、性欲が異様に亢進していたこと。特効薬を持ってきた怪しげな医師は、実は覚せい剤を打っていたこと。めちゃくちゃである。暗殺されていなかったら、健康問題か、女性スキャンダルか、シャブ中の咎で、社会的に抹殺されていたかもしれないという人だったとは。偉人の伝記には裏がある。どのような生き方をしたかではなく、どのような死に方をしたかということは、語り継ぐべき歴史にとって重要な問題であるのか。
2007年02月19日
ディスカバリーチャンネルで、たてつづけにレーガンの特集を2本みた。1つは、暗殺未遂事件について、いかにたいへんだったかという話。あまりよく覚えていなかったけど、レーガンは銃で撃たれたのだ。6発のうち、3発が人にあたった。(結果、みんな命は助かったらしいのだが)レーガンにあたった弾は、車にあたって跳ね返ったので、円盤形につぶれてわき腹から入って、肺をカッターのように切ってしまったということだった。番組は手術の大変さ、政府に指揮官がいない空白ができてしまったことなどを特集したもの。印象的だったのは、「アメリカ至上最高齢の大統領」を強調していたこと。69歳で選挙に勝ち、すぐに70歳になったというのだが、年齢ではじじい扱い。日本でいえば70歳は、まだ「前期高齢者」と呼ばれる世代である。政治家では脂がのった時期を過ぎたとはいえ、まだまだ現役。当時、側近だったり秘書みたいなのだったりして40代だった人たちが、「実際自分がいま70歳になってみて、レーガンの若さには本当に驚かされる。私のひざはチタンがはいっている」とか言っているのである。日本とは寿命が違うので、年齢の捉え方が違うのだな。「若さ・強さ」が大事なアメリカなら、40代の大統領が出てくるのももっともである。日本じゃあ50そこそこの人が首相をすると、中間管理職が社長になったような具合になって、非常にぎこちない。あべさんは、「ぼっちゃんが何をしとるんだか」とじじいたちにせせら笑われているので、ひじょーにやりにくそうである。もう1本は、大統領の病気の話。暗殺未遂で血液の2分の1が流出してしまったレーガンは、それがきっかけでアルツハイマーを発症していたらしい、ということだった。レーガンは引退数年後、アルツハイマーであることを発表していたが、実は在任期間中もかなりおかしかった、ということを「みんながそう思っていたが、そういえなかった」というのだ。そんな人が冷戦なんかやっていて、核ミサイルボタンのブリーフケースを常に身近に携えていたというのだから、すげーことである。世界は少数の人間によって、でたらめなあやうい状態で動かされているのだな、ということをあらためて思った。番組に出ていた、シークレットサービスの屈強な男はかっこいー。消防士とかもそうだけど、イイ!自分がそうなりたいとか、そういう人と結婚したいとかはないのだけど。でも軍人と警察官に萌えないのは何でだろう。
2007年02月18日
米軍飛行場の近くのジョイフルほんだに行ってきた。広~い。商品棚が低くしてあって、見通しがよくしてある。でもきちんと並びすぎていてつまらなかった。(店員さんが不慣れなのは仕方ない)ドンキホーテまでごちゃごちゃしていると憂鬱になるけれど、もう少し圧迫感があってもいいかも。しかし遠かった。帰りに回転寿司にいったので楽しかった。
2007年02月17日
三越とジョイフル本田。どでかい駐車場つきで、どちらも狭山湖とか横田基地の近くにあるらしい。これは行かねば。
2007年02月16日
とうとう「予約はいったから返してちょうだい」の電話があった。はずかしい。いや、こんなマニアな本、読む人いるのね、と思ってしまったけど。洗濯機が欲しいので、とりあえずパンフもらってきた。大きさの巻尺がついていて便利。洗濯機置き場の入り口は通るのだけど、かんじんの玄関扉の幅が足りず、一番ほしい機種をあきらめる。となると、どれを買ったらいいのか。どうせまた今のやつと同じく、15年くらい使ってしまうのだろう。しかも15年もしたら、うちには還暦過ぎの人がいることになる。ひょえー。車とか家電とか、一生に買える数はそんなんい多くないのだな。
2007年02月15日
来月から、PASMOというやつが発行されるらしい。電車も、バスも使えるということらしいが。http://www.pasmo.co.jp/ちゃんと宣伝しているのかな。見たことないけど。株かっておいたほうがいいのかな。買える額ならばだけど。
2007年02月14日
記事こぴぺはげ山をペンキで「緑化」?…中国・雲南省中国・雲南省で、緑色のペンキが塗られた山肌=ロイター 【北京=末続哲也】中国南西部・雲南省富民県の当局が、“はげ山”の山肌数千平方メートルに緑色のペンキを塗りつけ“緑化”していたことが国内報道で判明し、中国社会をあぜんとさせている。 中国紙・新京報などによると、同県当局は昨夏、農村住民の年平均収入の約140倍に当たる47万元(約750万円)を投じ、採石場跡地などがあった山肌にペンキを吹き付けた。住民側は「この金で苗木を買えば、いくつもの山に植林できる」と批判している。 事業を行った同県農林局は詳細な説明を拒んでいるが、“はげ山”の真向かいに建設している中国共産党同県委員会の新庁舎の「風水」を良くするのが目的と指摘されているという。(2007年2月20日0時3分 読売新聞)
2007年02月13日
ドイツ製のを買った。メタリックでかっこいー。じゃーまにーの刃物といえばゾーリンゲン。と婆ちゃんに習ったけど、これはstaedtlerとかいてある。http://www.staedtler.co.jp/products/01_writing/02-sharpener/index.html欲張って2穴タイプにしたが、片方はどういうのに使うのかわからない大きすぎる穴だった。100円ショップのやつで削るとぼろぼろになる。鉛筆の素材が悪いのかと思っていたけど、刃物のせいだったのね。久しぶりの鉛筆。やっぱりなぐりがきは鉛筆にかぎる。
2007年02月12日
2日前の日記の「理系の日本語」の間違いは以下のようであったおもりで[×重たそうだ→たわむ]ひもが[×ゆるんでいる→たるむ]ひもを[×だらんとぶらさげる→たらす]塗料が[×はげている→はがれる]塗料が[×ぼろぼろになっている→浮く]プラスチックが[×曲がる→そる]アルミホイルが[×まるまる→まくれる]角棒を[×さす→ねじる]リード線を[×まとめる→よじる]蛇口を[×まわす→ひねる]ぶつかって[◎へこむ]面が[×そろっていない→ずれる]板が[×曲がっている→ひずむ]まあいろんな単語が出てきても仕方ないんだけど、理系的視点がないので、それがどういうことを示したい問題なのかわからないというだ。
2007年02月11日
拾って読んだ本たち。もう作者名もどうでもいいんだけど・・・。『ストレスに弱い人・強い人』『女は見た目が100パーセント』『読むだけで元気になる本』『大人の女の気品のつくり方』『ツキをつかむ70の法則』『夢をかなえる力』『運をつかむ人・ツキを逃す人』こういうこと書いて本が売れて儲かるなら、やったほうがいいのかなぁと思ったが、不特定多数の、しかもこういうタイトルに惹かれそうな人たちからファンレターとかもらったときに、あまりうれしくないだろうから書く必要がないなぁと思ってしまった。占い師にしても、自分が自分の一番の信者である態度がないとダメなんだろうね。いんちきだと思っていると、そういう気持ちってわかってしまうから。「あなたは幸せになれる」ということを言うために、「こういう人はダメです」という例をやたら載せているので、なんか意地悪な感じでいやだ。読者は引っ込み思案で何事も経験の少ない人しかいないという想定だろうな。少ない経験と狭い考えで出した個人的意見を、一般化した法則としてみせるというのがワザなんだろう。
2007年02月10日
『理工系の日本語コミュニケーション』丸善株式会社慶応理工の先生がまとめたものだ。平成8年刊。写真があって、それにふさわしい単語を書けって問題なんだけど、文系中の文系でしかない日本人にはめちゃくちゃ難しい!!!おもりで[たわむ]ひもが[たるむ]ひもを[たらす]塗料が[はがれる]塗料が[浮く]プラスチックが[そる]アルミホイルが[まくれる]角棒を[ねじる]リード線を[よじる]蛇口を[ひねる]ぶつかって[へこむ]面が[ずれる]板が[ひずむ]真面目に解いてみたのに、「へこむ」しか当たっていなかった。わー。難解なものにこういうものもあったかと驚きであった。
2007年02月09日
長寿世界一は日本人女性(114歳)40代で夫を亡くし、5人の子供を育てた。老後に夫と同居→妻の死亡確率2倍2007年01月29日03時00分 老後に夫と暮らすと、妻の死亡リスクが約2倍に高まる――。そんな調査結果を発表した愛媛県総合保健協会の藤本弘一郎医長が愛媛医学会賞に選ばれ、28日に松山市で授賞式があった。藤本医長は「夫が日常生活の多くを妻に依存している高齢者が多く、肉体的にも精神的にも妻には夫の存在が負担になっている」と指摘している。 調査では、96~98年に松山市に隣接する旧重信町(現・東温市)で、60~84歳の男女約3100人に配偶者の有無や喫煙習慣、糖尿病や高血圧の治療歴など17項目を答えてもらった。 約5年後の01~02年に対象者の生死を確認。調査中に死亡した男女計約200人と生存していた約2900人を比べ、配偶者の有無などが死亡に与えた影響を60~74歳と75~84歳(いずれも96~98年当時)で分析した。 その結果、75~84歳では、女性は夫がいる方が、いない場合に比べて死亡リスクが2.02倍に高まった。一方、男性は妻がいる場合、いない場合に比べて0.46倍に下がっていた。60~74歳でも同様の傾向が見られたという。 藤本医長は「夫の依存が妻に負担をかけている一方で、妻に先立たれると夫は身の回りのことを助けてくれる存在を失い、逆に死ぬ危険性が高まる。夫が家事などを覚えて自立することが大切だ」と話す。 asahi.com 「離婚に備えあり」女性の4割2月9日10時1分配信 日刊ゲンダイ 世の亭主族はのんびりと構えていられない。既婚女性の4割が「離婚に備えている」という実態が浮かび上がった。 損保の三井ダイレクトが全国のサラリーマン、OL、主婦計500人を対象に行った「我が家の『もしもの備え』意識・行動調査」アンケートの結果による。その中で「離婚した場合に備えていることは?」の問いに、「お金を貯めている」「法律や年金分割制度の勉強をしている」などと答えた女性は4割以上もいた。一方、既婚男性では9割が「何も準備していない」と回答。辛うじて1割が「家事を覚えている」などと答えた。 女性は年齢が高くなるほど離婚への備えをしている割合が増え、男性は逆の傾向にある。「熟年離婚」は増える一方だ。 最終更新:2月9日10時1分「熟年夫婦」の約4割が共有時間増加に「憂鬱」と回答 ダイキン工業2月13日17時51分配信 住宅新報 ダイキン工業(大阪市)が首都圏と関西圏の団塊世代の「熟年夫婦」と団塊ジュニア世代の「新米夫婦」を対象に、「空気の感じ方」をテーマとした調査を行ったところ、夫婦の共有時間が増加することについて「熟年夫婦」の38.5%が「憂鬱」と回答した。同調査はウェブを通じて行われ、対象は54歳から64歳で結婚歴20年以上の男女200人と26歳から33歳で結婚歴3年未満の男女200人。 夫婦だけで過ごす時間については、「熟年」は「増えている」が59%で、「新米」は「減っている」が36.5%となった。 エアコンの温度調節の決定権は、「新米」「熟年」ともに「妻」が過半数を占め、温度調節でもめたことは「ほとんどない」がいずれも多く占めた(「新米」が71.5%、「熟年」が64.5%)。もめた場合の対処法は「妥協する」が最も多かった。 最終更新:2月13日17時51分http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070213-00000002-jsn-indなんか最近、こんな記事ばっかり。
2007年02月08日
関根恵子主演。1971年。ということは16歳だが、これまた美少女というか、もう立派なオトナの女性である。優秀なクラスメート。学生運動をしている実兄が警察官の実父と口論の末、刺し殺してしまう。心労で実母も他界。高校を辞めて、ひとりで暮らして兄の裁判費用を・・・というところを関根恵子がついていくのである。上野発で長野電鉄のある駅までいくのだが、その下宿がたぶんセットではなく実物なんだと思うけど大正時代?という感じで、「格差社会」というのは、こんな時代のことをいうんじゃないかと思った。王道中の王道、というか先の展開が台詞までいちいち簡単に読める悲劇ドラマであった。おもしろかった。首がいたい、肩がいたい、もう半月もおかしい。ちょこれーとのたべすぎが原因かも。と全く因果関係があるかわからんのに、なんとなく反省要素をくっつけてみる。
2007年02月07日
関根恵子主演。1970年の映画をみた。17歳という役柄設定だけど、実際15歳だったという肢体の大胆さはすげぇー・・・というところが見所なんだろうけど、それより興味深かったのはストーリー。みなしごの女子高校生レイコは、下宿先の男に強姦されそうになって家を飛び出し、夜の街で偶然知り合った舞台女優の手伝いもあってアパートで一人暮らしをはじめる。保育園のアルバイトをしていて、園児のひとりに気に入られ、その子供を迎えに来る寡夫(設計士)と出会い、彼の手がけたゴーゴーを踊るクラブなんかに行ったりして、お酒も飲ませたりして(高校生なのに)、他に少しエピソードがあって結婚するんだけど。酔っ払ったろくでなしが出入りする安アパートまで送っていって、こんなところにかえしたくないからとプロポーズ。彼女は少し考えて、学校の先生にも相談。「子供のいる相手で、しかも男というのは大きな赤ん坊だ。そんな2人をかかえることになるんだぞ」というようなことを言われたが、「でも1人で苦労するより2人で苦労したほうがいいと思ったんです」と答え「そこまで覚悟が決まっているなら俺は応援する。が、みんなが賛成するとも限らない」みたいなことをいって、オールドミスの先生がにらみつける。(懸念どおりあとで意地悪を言ったりする)しかしあれほど熱心にプロポーズした男が、結婚式当日、「結婚は苦労の連続だから覚悟してほしい」というようなことを言うのだ。はぁ?という感じ。「子供を甘やかさないで欲しい。なんでも買ってやったらきりがない」「あの古雑誌を捨ててしまったのか。今後書斎には立ち入らないで欲しい」みたいなダメだしばかり言われ、彼女は同級生の前でしょげていたりする。「私、失敗ばかりしているの。でも彼、怒らないの」とか言っているけど、こんな文句ばかり言われて男に何も言い返さないのがすごいなぁ。過去の女がつきまとう。自宅に電話もかかってくる。彼女の家で飲んで振り切って運転して帰ってくる。わー、飲酒運転じゃん。さすが法制化直前の1970年だ。レイコはシャツの口紅のあとを発見し、「結婚したばかりなのに女の人なんて、ひどい」と泣いて家を飛び出し、舞台女優のところに行き「やっぱり若すぎたんだわ」と泣きじゃくる。いらいらと自宅で娘と待っている男に舞台女優は電話して、思い出のゴーゴーのクラブにいることを告げるのだが、迎えに行った男にレイコは「私、楽しいの」と無視。男は一人で帰るのだが、レイコは舞台女優に「彼を愛しているのなら、帰る家を間違えちゃだめ」といわれる。男が娘を迎えに保育園に行ったら、「さきほどお母さんが迎えに来ましたよ」といわれる。娘と妻をみつけたが、妻レイコは娘に「パパだ。逃げちゃおうか」とおどけて3人で笑顔で追いかけっこをして完。で、何がおもしろかったかというと、1970年代当時、こんなフィクションが、ある程度リアリティをもって見られていたんだろう、ということだ。若い肉体がイイということもあるんだろうけど、「両親がいなくて、幼ければ、妻は男の言うことを素直にきくはずだ」という男の幻想・理想が描かれている。ありえねーと思うのだが、男視点だけで描かれているのが70年代までの映画やドラマ。片側からの言い分で作っていれば、それはそれでリアルと感じられてしまったのだろう。向田邦子が女性としていらいらしたり、いつのまにか自分もおっさん化してしまったのがわかるなぁ。作り出す側の層が偏っていることを考えると、当時に生産されたものをみて時代の気風とか精神構造を考えようとするのは難しいんだな、と思った。
2007年02月06日
大森貝塚を発見したアメリカ人の生物学者モースは、日本人の優雅と温厚に感銘し、「なぜ日本人が我々を南蛮夷狄と呼び来ったかが、だんだんわかってくる」と書きました。(藤原正彦(2005)『国家の品格』新潮社)・・・しかし東夷、西戎、南蛮、北狄と外国の民族を蔑称で分類したのは、中国である。引用元のほうが勘違いしている、ということを知っていてあえて引用するというのは、なかなかずるい方法だなぁとおもった。たとえば、新井白石は、京都のことばには、信長、秀吉、家康などの京都進入とともに、尾張・三河の方言が浸透したと考察し(ています) ・・・こういうフレーズ、たとえば尾張・三河の選挙区の人に「愛知遷都」の内容を話す中で使ったら有効かもねぇ。宣長は「悉曇家は誤っている。古代インド語などに、ンの音のあるのは、外国音はすべて防いだからである」と答えた・・・といって、宣長が言っているんだからそれは本当かもとか思う人は少ないだろうけどね。支持されやすい俗説を権威ある人が言った、とすれば限りなく事実に近く感じて読者は受け取る。大衆を動かせる話し方の技法のひとつだ。ヘボン式のヘボンさんは、オードリーヘップバーンと同じヘップバーンさんと発音すべきである、ということはよく言われるが、「日本語を母語としない人には、長音の聞き分けが難しい人が多い。そのため、ヘボンは「平凡」にも通じる音を気に入り、敢えて自分の呼び名とさせていた可能性がある。」とか、まことしやかな典拠もないようなことを言っている人はどっかにいそうだ。
2007年02月05日
とりあえずテーブルの上だけは片付けた。万年床も久しぶりに片付け・・・かけて放置。シーツひっぺがす。外に出ると具合が悪くなってしまう。なんだろうこれ。中国東北部の人には冬になると関節痛になる病気の人が多い(だから「休みます」という学生がいた)というが、そういうやつかなぁ。日本には病名として認知されていない症状が他のアジアではいくつかあることをきくけど。で、文房具屋に行き損ねて、また読書。図書館にも返却できていない。ああ期限過ぎているというのに。『人物でつづる近代日本語の歴史』 杉本 つとむめっちゃおもしろい。この雄山閣BOOKSというのは他の本もおもしろそうだ。 http://www.yuzankaku.co.jp/yuzankakubooks.htm杉本つとむ先生の本は、他にもいくつか読んだことがあるが、どれも博識な先生の落語家のような語り口で聞かせる本という感じである。ご高齢であるのにいまだ現役であるらしい。しかし民間でも学会でもあまり注目されていないように感じるのだがなぜだろう。早慶の大学は知名度も偏差値も高いのだが、生え抜きの先生がそろっているせいか、内部だけで完結していて他大学の人との交流とか連携がある人が少ないのかなとちょっと思った。というか、国立の島と私学の雄の島とがきっぱりわかれているせいかもしれん。この本は、平成時代のこのたぐいの本と違って、内容は難解でもないのに1ページを読むのにえらく時間がかかる。(漫画でたとえると、あだち充と川原泉くらいの違いがある。)書評とかタイトルつけておきながら、どれも書評になっていないね。読書感想文でもない。書き込みがところどころあるんだが、「→プリント」とかあった。どっかの国文科の学生が講義のタネ本をみつけたということなのなぁ。かなりどうでもいいことばかりで、太安万侶と稗田阿礼という名前にだけ線がひいてあったり、ヘボンの奥さんが暴漢にあって血みどろになって帰ってきたとかそういうものに着目してあった。江戸時代というのはごく最近のことで、案外短いんだなと思った。明治から急に近代化・西洋化したわけではなく、幕末という時代はかなり欧化したものがはいってきていたのだな。(とかいうと、「何いまごろバカなこと言っているの」と家で専門家にののしられそう。あちらは1840年アヘン戦争以降が近代だから。)「鎖国」という言葉を作ったのは、長崎通詞の人でかなり幕末に近い。だから時代劇で、綱吉とかが「わが国は鎖国をしいておろう」とかいうのはおかしい。たとえるなら太陽族に「かわいこちゃんがストーカーにあって困ってるぜ」とかいわせるようなもんだ。本居宣長はかなり変人である。息子の春庭のほうがまともだ。しかし変人のいうことのほうが、インパクトはある。
2007年02月04日
肩が凝って頭痛がする。いたいよぉ。うええ。なんつーか、本調子とまではいかんわな。食欲は完全復活というか、それを超えて食べているような気がする。。。やばい。掃除しなきゃ痩せなきゃこの2つの言葉を繰り返して、何年も過ごしているような気がする。今後もたぶん続くのだ。今年、掃除機をかけたのは4回。週で割ると、そんなもんか、やっぱり。風呂掃除はしていないけれどきれいだ。たぶん誰かがやっているに違いない。気づくといろいろ言われそうなので、気づかないふりをしておこう。今月はまだシーツ洗ってないので、洗おう。(初旬だからはっきりといえる)豆まきをしたまめがまだ部屋中に残っていて、踏んでごみを増やしてしまう。押入れから出てくるのは今年の豆なのだろうか。あたまかゆい。いつものように冬の頻度で洗う回数を減らすと、暖冬なので(?)かゆくなる。とりあえず、つめを切った。本当は普段のほうがいろいろと滞っているはずなのに、時間に余裕があるときは滞っていることに気づいてしまう。時間のない人の手伝いとかしているうちに、半日が潰れてしまったり。郵送の封入とか、人海戦術でやらないからかなり時間くうのだな。単純作業なだけに、失敗したときのクレームもでかい。これからは、ダイレクトメールにも感謝しよう。文房具屋さんに行きたい。いまから行って来ようかな。
2007年02月03日
日本の伝統色の本を読んだ。タイトル忘れた。これを覚えたら、なんんか本物に近づけるんじゃないかと錯覚した。本物とニセモノはどう違うのかとか最近考えてしまう。ケッコンしていても子供がいるわけでもない。主婦をしていても専業的にきりもりしているわけでもない。仕事をしていても、どの仕事も臨時的なものである。趣味は、ジャンルを決めていえるような趣味はない。好きでやっていることは、パロディに共通することばかりである。毎日とか毎週とか定期的に決めてやっていることは何一つない。自分を説明すればするほど、すべてが仮のもので、ニセモノちっくである。それで困っているわけじゃあないし、悩んでいるわけでもないのだけど。
2007年02月02日
買うのはちょっとハズカシー本の『国家の品格』を拾って読んだ。ウケがいいわけがわかった。がやはり欧米に留学した人の日本観というのは、ちょっとものたりないと感じた。日本だけに特殊なことなのか、アジアの共通していることなのか、暮らしていなくてもちょっと考えればわかりそうなことなのだが。調べてみたところ、著者は満州生まれだそうなのだが、昭和18年生まれじゃあ記憶にはないわな。新田次郎・藤原ていの息子。いずれも信州諏訪の出身。なるほど。
2007年02月01日
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