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ラジオで「とうしょうだいじてん」と聞いて、「なんの大辞典だって?」と思ってしまった。鑑真(688-763) 688年(0歳):唐の江陽県で生まれる 701年(23歳):僧になる 753年(65歳):苦節6回目で来日(阿倍仲麻呂たちの船は遭難) 758年(71歳):唐招提寺を建てる 763年(76歳):日本で死去吉備真備(695?-775?) 695年(0歳):現在の岡山県の吉備で生まれる 716年(22歳):第8次遣唐使に任命、翌年出航 735年(40歳):帰国、囲碁などを伝える 743年(48歳):男児生まれる 751年(56歳):入唐副使に 753年(58歳):遣唐使船帰国途上、屋久島に漂着 754年(59歳):帰国 770年(77歳):右大臣辞職 775年(82歳):死去阿倍仲麻呂(698-770) 698年(0歳):大和国で生まれる 717年(19歳):第8次遣唐使団で唐へ 725年(27歳):洛陽の司経局の校書に任官(正九品下) 728年(30歳):長安で左拾遺に(従八品上) 731年(33歳):左補闕(従7品上)→秘書監、従三品、国立図書館長に 753年(55歳):一時帰国前に沖縄から遭難ベトナムに漂着 755年(57歳):長安に戻る 761年(63歳):ハノイの安南都護府に6年間在任 770年(73歳):長安で死去(年齢は生年より引き算)唐にやる留学生は、アタマがいいのは当然だが、現地の人のうけがいいよう、美男子が選ばれていたそうな。(容貌を褒める記述が残っているらしい)いつも百人一首で「あまのはらふりさけみれば」の説明をすると、留学生たちは神妙に聞く。一生帰れない外国人と自分を重ねて思うのだろう。かすがなるみかさのつきにいでしつきかも
2005年01月31日
カレンダーに「今年は昭和80年」とあった。夏になれば、戦後60年と言われる年だ。戦争に関する生きた語り部も少なくなったが、まだいる。時間距離が等しい乙酉の年の出来事を並べてみると、わりと時代のターニングポイントが多い。2005(平成17):今年1945(昭和20):終戦1885(明治18):内閣(伊藤博文総理)発足、新橋横浜間鉄道8年目1825(文政8):異国船打ち払い令、イギリスで世界初の鉄道1765(明和2):田沼意次時代、ワット蒸気機関発明1705(宝永2):将軍綱吉時代1645(正保2):将軍家光時代1585(天正13):秀吉関白に任命人生50年の時代とはいえ、運よく生き残った白髪の長老もいるだろう。60年は生き証人が「昔はこうぢゃった」と史実を語れる限界の単位なのではないか。以下、興味のある範囲のトピックで遡り続ける~室町時代~1525(大永5):ザビエル19歳パリへ留学1465(寛正6):応仁の乱の前々年、足利義政29歳1405(応永12):守護大名の時代、義満47歳、世阿弥42歳、義持29歳1345(興国6、北朝は康永4と貞和元年):尊氏40歳、~鎌倉時代~1285(弘安8):弘安の役の4年後、永平寺建立1225(元仁2、嘉禄元年):藤原定家63歳「新古今和歌集」~平安時代~1165(長寛3, 永万元年):平清盛47歳、太政大臣になる2年前1105(長治2):源氏の台頭、「今昔物語」前年1045(寛徳2):末法思想、藤原頼道53歳 985(永観3, 寛和元年):藤原家全盛、道長は19歳でまだ 925(延長3):「竹取物語」とか「伊勢物語」とか 865(貞観7):摂政藤原良房61歳 805(延暦24):最澄38歳天台宗開く、翌年空海29歳で真言宗開くだんだん、距離感覚がわからなくなるなぁ。~飛鳥・奈良時代~ 745(天平14):行基77歳大僧正になる、鑑真57歳まだ唐 685(天武14):持統天皇40歳 625(推古33):聖徳太子51歳、推古天皇71歳 565(欽明26):欽明天皇56歳、のちの推古天皇11歳 時間間隔、近いところもあり遠いところもあり。
2005年01月30日
貯めて書いている日 ↓1/16 : 79 1/17 : 2 1/18 : 8 1/19 : 71/20 : 67 1/21 : 26 1/22 : 5 1/23 : 11/24 : 431/25 : 135 1/26 : 10 1/27 : 19 1/28 : 33 1/29 : 1 書かない日は減る。今更だがどうなってるんだ、これ。
2005年01月29日
これから70日間、どうやって時間を過ごそうか考える。2箇所の図書館で計20冊借り、古本を5冊、新刊本を5冊買ったが、内容がうすっぺらいものもあるので、今月中に半分くらい消化できてしまいそうだ。季節柄か、書店には自己啓発的な本がたくさん並んでいたけど、ぱらぱらめくってみると「読む時間を節約して、自分の時間を作ろう」とあったりする。ネットや雑誌などを読んでいる時間を削れば、他のことがいろいろできるだろうということらしいが、こんなに楽で楽しいことを我慢して、他に積極的にしたいことなんて何があるだろうか。まずは外出しろってことかなぁ。でも、花粉や埃を避けられる場所って、どこだ。
2005年01月28日
振袖を着ている人をみて、あいうえおから学習時間400時間目の学生が、「あの人は、結婚しない人ですか」というので、「それをいうなら、結婚していない人です。結婚しないというと、結婚しないと決めた人のことになります」といったら、「ああ、これからまだするかもしれません、そうですか。わかりました。いつも日本語勉強ですね。ほんとうです。しつれいでした」と納得してくれた。お振袖きていた人が30歳前後だったんで、微妙に配慮が必要となるところだった。
2005年01月27日
品種にこだわりはないが、「とちおとめ」を一番多く食べる。「あきひめ」は、やや高いのか、食べていない。「にょほう」とか「とよのか」とか、見なくなったな。「さちのか」とか「さがほのか」とか、名前は知っているけど味や形はよく覚えていない。このあいだ、358円~498円といういつものゾーンのものでなく「あまおう」というのを食べた。甘いだけでなく香りも強く、いちごの王様だな。高くてでかい「アイベリー」よりインパクトあった。TAKANOの1個600円のケーキは、あまおうを2~3粒くらい使っているが、すごいボリュームにみえる。でもケーキに使うのはもったいない。生クリームに合うのは、酸味のきつい昔のいちごだ。いちごは陸送に限界があるのか、東京だと栃木や静岡で作ったものと、九州からの空輸ものばかりが目立つ。東京からの時間距離が微妙なところでは、1パック298円とか2パック300円とかなので、一度に食べられる量が増えるのでうらやましい。地域といえば、やや高めの「バインベリー」という、種がぶちんぶちんいうのを食べていたことがあるが、地域限定で流通が限られているのか東京では見かけない。エンゲル係数を高めている原因は果物だ。酒代もおやつ代もほとんどないのに。常に3種類以上の果物がある生活。いちごは、週3~5パック程度のペース、12月~5月まで続く。
2005年01月26日
かんきつ類は皮もおいしい。酸味と苦味が、中身の甘みとで絶妙。大粒(398円)のほうが甘い。庭木に実っている小粒(100円)を朝市で買った。4倍食べられる計算になるが、量より質だったか。夏に食べてもおいしそうだ。保存食にするにはどうしたらいいんだろう。ゼリーとかジャムとか、種無し金柑が出てこないと難しいか。
2005年01月25日
なにゆえ日本は4月始まりなのか。1年の始まりと終わりが中途半端な位置に2回ずつあるのでややこしい。十年くらい前だったか、欧米にあわせて9月始まりにしてはどうかという会議が文部省であって、「風邪の蔓延する季節に入試になるのでよくない」という意見も出てたけど、最近は「一般入試」とわざわざ区別して言わなければならないくらい、推薦入試やらAO入試など一年中入試がある学校が多いので、今この議論をするなら、インフルエンザは根拠にならないだろう。この会議で「桜が咲く季節こそ入学式にふさわしい」と発言して、沖縄の人に呆れられていたのを思い出したが、本土の桜の季節にあわせるなら、最近なら3月でもいいじゃないかと思う。3月~6月(7・8月夏休み)9月~12月(1・2月冬休み)が理想的だ。まるで韓国のようだが。秋始まりだと、所属のない若者たちが、開放的な夏の季節にますます暴走しやすくなるだろうから、春始まりがいい。新春を1年の始まりとしていた古くからの四季の感覚にもあう。馴染みかけてすぐゴールデンウィークに入るより、少し疲れたところで連休があったほうがいい。梅雨のような雨季と熱い夏は、団体を動かすのは難しいし快適な環境にするには光熱費もかかる。めいめいの体力にあわせたペースで生活するほうが、お互いのためだ。残暑を少し我慢して後期を終えたら、正月から学年末までが一区切りの冬休みになり、やはり光熱費削減にも有功だ。サマータイムなんかより経済効果が高いと思う。
2005年01月24日

「夫婦茶碗は、なぜ男が大きく女が小さいか? 女はたくさん食ってはいけないという意味か?」・・・というのは、時々外国人にきかれるネタだが、日本の食習慣では、お茶もごはんもおかわりをするものなので、食べる分量とは関係がない。米食文化で比較するならば、日本の茶碗は基本的に持ち上げて掌で包み込んで使うものなので、掌にあったサイズとして男女の体格比にあわせて作られているのだ、というのがもっともらしい説明。箸も同じく、子供用もあり、掌のサイズにあわせて長さが違ったりする(菜箸は用途の問題)というのも、裏づけの一つ。だから、男女差別じゃあないのよといえるのだが、ならば厳密に体格に応じて、例えば蚤の夫婦ならば違うのかというとそうでもなく、一般の習慣に従って、男は大、女は小の茶碗を使うことになる。ところで、緑茶はおいしいと思うのに、飲む習慣がない。たぶん何かが馴染めないからだと考えた。何が問題なのか。葉っぱの処理が面倒くさいからかと考えたが、紅茶やエスプレッソなどはもっと面倒くさいのに飲んでいる。味や片付けの問題ではないのに、何故避けているのか。一番よく飲むコーヒーは、マグカップで飲む。ちょっといい茶葉の紅茶は、ソーサーつきカップで飲む。エスプレッソはデミタスカップで飲む。それでようやく気づいた。つまり形状の問題だ。と気づき購入したのがこれ。緑茶は、がぽがぽ分量を飲むもので、熱すぎずぬるすぎず飲むものだ。 この湯のみならば、急須一杯分入るくらいでかいのでなかなか冷めないし、熱いお茶をいれても、写真左側の人形(よく見ると顔も描いてある)に親指を添えれば持っても熱くない。こんなことで解決するとは驚きだ。緑茶は日本酒と似ている。(1)もともと嗜好品は贅沢品だったから貧しい時代には大量に飲めないものだったため、少量ずつ飲んでも満足できるような習慣が定着した。(2)基本的に個人で楽しむより、人々が集う場面でもてなされるものとして飲まれてきたものなので、手酌でなく「ついであげるべき」という作法がある。(3)飲料全般、それぞれおいしく飲めるための温度があるのだが、人肌+αという人間が微妙な差を感知しやすい温度が、素材の味を最大限に引き出すために適切な温度となっている。(4)ゆえに、様々な配慮が要求される社会的な飲み物として位置づけられている。以上、無意識に刷り込まれた慣習から、個人で飲むのをためらい、一般的なサイズの湯のみを使い、複数の人間と飲む場合にいちいち残量が気にしなくてはならないのが煩わしかったため、避けていたのだということに気づいた。「茶をいれないのに、なぜ茶碗ですか」という質問も時々ある。「なんででしょうね」で済ませちゃうけど。「その昔はご飯を食べたあとでお茶を注いでいたからです。ごはん粒もとれてきれいになるし、無駄なく栄養としていたところに昔の人の知恵が感じられますねぇ」などといえば、説明としてそれっぽい雰囲気になるが、庶民がお茶を飲む習慣なんて、せいぜい百年ちょっと前からなのだから、それほど古い呼び名ではない。紅茶茶碗など茶の碗もあるが、普通ただ茶碗といえば、飯茶碗(飯碗)をさす。筒状で日本茶を飲むものは、湯を飲む用途でなくても湯のみだ。湯のみ茶碗ともいう。湯のみ変えたら、緑茶、美味いよ。ジョッキで日本酒飲んだら、体に悪そうだけど。
2005年01月23日
原理は、ミキサーとポットが合体し、茶漉しを内蔵しているといったもの。容器に水をいれ、籠にいれた洗った乾燥大豆をしずめ、スイッチをおすと、20分くらいでほかほかの豆乳ができる。めんどうくささは、まあまあという程度。前の晩に大豆を浸し、ミキサーと鍋で手間をかけて作るのが普通なんだろうけど、乾燥大豆で放置してもできるのは楽。おからがものすごくたくさんでる。他の用途としては、お粥が作れるらしい。豆腐が作れるほどの濃さは無理か。煮詰めればなんとかなるか。
2005年01月22日
めずらしく固有地名。http://www.noritake.co.jp/square/html/top.htmlおもしろかった。プレステージで、オールドものなど見て、目の保養。ボックスで、アウトレットの大量買いを夢想。パレットで、少しだけ買い物。テラスで、お茶。30分~90分くらい楽しめる。食器自体で美しいものが、料理をひきたたせるかというと、そういうもんでもない、ということは写真を撮ったときによくわかったけど、お茶の場合、中身はかならず単色になるので、内側がみず色が栄える白または白っぽい色ならば、外はどれだけ派手でも地味でも、お好み次第でよさそうだ。真っ白い食器、いいなー。
2005年01月21日
たっぷり使用したため、いよいよ不便になってきたので、車と携帯電話と靴を買い換えたら、とても不便になった。慣れていないからなのだけど。エアコンやラジオまわりが手探りで調節することがうまくできず、寒さや暑苦しさに耐え、やかましさや聞き苦しさに耐えながら走る。メールの文字変換が候補が出るようになって、たぶん便利な機能なのだろうが、画面が予測しない動きをするため、見つめていると酔う。候補を選択するのがめんどうくさいので、先にあがってるやつでいいやとなってしまい、文体が変わってしまう。靴はあちこちきちんと測定して、足にあったものを選んでいるので、痛いというわけではないのだが、何年も柔らかい靴ばかり履いていたので、足が窮屈だ。ただ脱いだ時の開放感が以前の靴より何倍も増している点では良い。どれも、じきに慣れて忘れる問題。引っ越したり、結婚し直したり、職場を変えたりしても同じだろう。
2005年01月20日
どっかで引用されていたのだけど、どこのHPだったか忘れてしまった。「不健康な食事をさせられる夫」http://umi.no-ip.com/simple/pdone.html?id=317お金や時間に余裕のできたとき、夕食の支度をどうしたいか 1)いままでどおり 2)高級レストランを利用する 3)家庭で手間をかけた料理を作る 4)安全で健康な食事をするソースの山田氏の調査にあたっていないが、これは選択肢に問題があるんじゃないだろうか。(何が調べたくて調査したのだろう。あらかじめ意図があってその都合にあわせたのか?)夫と妻で調査したところ、妻のほうが4を選択した人がはるかに多いから、日頃妻は不健康で危険な食事を作っていて、夫にもそれを食わせているっていう結論?(1)食事に関して、お金の余裕と時間の余裕は、別の問題だ。どちらを大きな問題にするかによって、答え方が変わる。3は、手間と時間は直接結びついているが、お金がなくても時間さえあればできることだ。普段、手間をかけられないのは時間がないせいだと認識している人しか3を選択しない。2の店しか、他人の腕を利用することを、積極的に意味していないというのも、選択が狭すぎる。お金さえあれば、遠出して、高級食材を仕入れたりデパ地下の惣菜を買い込んだりすることもできる。あるいは、時間や手間をかけず、「出前をとる」「シェフをよぶ」ということをしたい人もいるはずだ。(2)複数選択じゃないと、「いままでどおり、高級レストランを利用する」「いままでどおり、家庭で手間をかけた料理を作る」「いままでどおり、健康で安全な食事をする」「家庭で手間をかけて、健康で安全な食事をする」「高級レストランで、健康で安全な食事をする」「いままでどおり、家庭で手間をかけて、健康で安全な食事をする」「いまでどおり、高級レストランで、健康で安全な食事をする」というものはどうなるのか。4項目が、別々に成立するものだとしたら、「いままでどおりの食事や、高級レストランや、手間をかけた料理では、安全で健康な食事ができない」という前提があることになる。実際、夕食をうちで食べている夫の割合ってどんなもんでしょう。お金と時間の余裕は、趣味などにあて、夕食に関しては「いつもどおり安全や健康を度外視して高級レストランじゃないところで外食する」ってのも、結構いそう。ハンバーガー齧ってパチンコに寄るとか、かけそば食べてキャバクラに行くとか。(3)顕著に差のあるところで比較すれば、お金や時間にあることと夕食の支度の関係が、直接結びつくことであると考えるかどうかの違いがある。お金や時間に余裕があるのなら、夕食の支度を変えるべきだと思う妻が8割もいるのに、夫は5割程度でしかない。妻より夫のほうが、高級レストランに行ってみたいと思う割合が若干高いが、高級レストランだけに限られるからか、非常に少ない。「手間をかける」ことの意味は、ファストフードなどの手抜き外食や、家庭で食べているインスタント料理をやめることを指しているのかどうかはわからない。例えば、魚の小骨を普段はそのまま調理しているが、時間があればピンセットで抜く手間をかけることができる。また、市販品でない自家製にこだわる場合、手間をかけていると考えるか、安全と健康を重視しているか、どちらかわからない。夫の方が、手間をかけた料理にこだわる人の割合が高い。妻より夫の方が、時間やお金があれば、手間をかけた料理を家庭で食べられると考える割合が高いため、夕食の支度に不足しているものは、時間であると考えるのは、夫の方が多い。時間の余裕を、夫自身が腕をふるうことにあてるのか、手抜きをしないように支度をする妻を監視することにあてるのかはわからない。妻の方が、健康で安全な食事が、時間やお金の余裕によって得られるものだと考える割合が高い。健康と安全についての捉え方は、おそらく様々である。お金があれば、鮮度の落ちた物を買う必要がない。無農薬をうたう健康や安全を積極的にアピールする差別化食品を買うこともできる。時間があれば、体に悪そうな食品添加物や保存料のいっぱい入っていそうなインスタント調味料を使わずに、自家製手作りにこだわることもできる。しかし、この選択肢を目にした場合、よりおいしい味を追求するという行為も、安全面や健康面に気を配っているものだと解釈し直す妻が多いんじゃないかと思われる。塩分や糖分やカロリーが多くても、味覚によって精神的な満足が得られれば、健康が維持されたと考えることもできる。被調査者は、夕食の支度について聞かれていても、それについてはあまり考えていないんじゃないかと思う。食べることにこだわりのない人は、支度についてもこだわりがないし、食べることの好きな人は、普段の夕食の支度を、好きなように変えられるとしたら、まず「もっとうまいもんを食いたい」と考えるだろう。手間をかければ旨くなるのか、健康で安全な食事なら旨くなるのか。ということは、うまいとするものの根拠の違いに、妻と夫の差があるということが調査結果からわかるのか。
2005年01月19日
「ですが」は「から」より丁寧ですか?と、学習者(韓国人)から質問をうけた。どういう場合かというと、1)「昨日、欠席したんですが、プリントもらえますか」2)「昨日、欠席したんですから、プリントもらえますか」というようなもの。授業外で普通に会話をしていたときに、相手から、「から」は失礼だから「ですが」で言えと指摘されたそうだ。文法上の誤りはない。1の方が、一般的な使い方で、2の方は、プリントをもらう当然の権利がある、という強い主張になり、プリントをくれないほうがおかしいといわんばかりな具合になる。よって、えらそうじゃない「ですが」の方が、結果として丁寧になる。ということで、納得はしてもらえたけどね。これは「の(ん)」と「です」が作用している問題。日本語母語話者は「のだ(んだ)」「ので(んで)」で使われるような「の(ん)」をどのように使い分けているのか、という説明は非常に難しい。仕組みはわかっていないくせに、意識していなくても使えて、普通じゃない言い方をされれば、配慮がたりないぞとカチンと来る。なんと日本語は繊細なんでしょう。めんどくせー。
2005年01月18日
新聞の投書欄は、職業・年齢も含めて主張となる。というか、それに相応しいキャラクターであることが、編集者に好まれるんじゃないかと思う。たとえば、「主婦」の場合、平凡な日常の中に、他人の親切のありがたみ、幸福であることに漠然と感謝するとか、大病の思い出、現在の健康などをあげ、なぜか「夫に感謝する」という内容でしめる、善女が多い。最近は、60代じゃあまだ「中年」の部類。それいじょうになると、職業欄に「元××」とか出てくる。見たことはないけど、「元中学生」なんてあったら、過去の自分に対する手紙形式で、シメは今の若者も同様、応援しているんだぞっと、というスタイルの妙に溌溂としたポエムとかで、全紙あわせて5年に1回くらいありそう。「元主婦」で、離婚しましたというのも、10年に1回くらいありそうだな。キャラクターとしては、何らかの問題に関して、現状の打破に関し、右もしくは左に偏った非現実的なプランを熱弁するというのは、団体職員や大学関係者に多いように感じる。「団体職員」なんていうのは、投書欄ではよく見かける。というか、そんなところでしか見ない。非営利団体で固有名詞をいれないとそうなるんだろうけど、小中学生の頃は、団体旅行をお世話する職員かと勝手に勘違いしていた。
2005年01月17日
適切なほうを選べ「火事の(原因・理由)は、たばこの火でした」「原因」と「理由」の違いは、原因はモトが何かということで、理由はそうなるまでの説明だが、どう使い分けているのかとなると、バリエーションのある例文をいくつも思いつかないと説明が難しい。使い分けが難しいだろうと予測できる問題は準備できるし、これまでのいろんな人の経験の積み重ねによってまとめられた本もあるんで、前もって例文を覚えておいたりするもんだが、タイミングだけでなく、どこでどんなレベルで何に拘るかは、予測がつかないことも多い。ネイティヴは、なんで使い分けられているのか不思議だと自分でも思うのだ。考えるのがめんどうくさければ「伝わらないことないからどっちでもいいよ」といいたくなるが、日常の世の中では、それでまかりとおらない場面も多いので、そういうわけにはいかないことも多い。だいたいどこの言語でも、日本語と同じように「原因」「理由」に相当する二種類(あるいはそれ以上)の単語があって、使い分けがあるんだろうと思うのだけど、微妙に使用法上の習慣で違う表現がある言語もあるようで、混乱する人もいる。<[名詞]の原因>と<[名詞]の理由>で例文を考える。欠席の( )は、風邪です。 ○理由 △原因営業停止の( )は、食中毒です。 △理由 ○原因転倒の( )は、この石です。 ×理由 ○原因渡航の( )は、観光です。 ○理由 ×原因体重増加の( )は、バンダム級の試合です。△理由 ○原因体重増加の( )は、年末年始の暴飲暴食です。×理由 ○原因離婚の( )は、私の浮気です。×理由 ○原因離婚の( )は、妻の浮気です。○理由 ○原因ここでまとめていいものか。他にも例文があるかな。結論保留。
2005年01月16日
助詞を選べ A:「交差点( )人が集まっていますね」 B:「交通事故のようですよ」「交差点で人が集まっている」というと、もともと集まることが目的で、場所がとりあえず交差点になったという感じ。例えば、 B:「授業料値上げ反対のデモですね」というのなら「で」でもいい。めんどうくさいから、「集まる」のときは、ふつうは「に」。と言ってしまえばいいのだが、「どこに集まりますか」じゃなくて「どこで集まりますか」とかも使っているからややこしい。
2005年01月15日
というタイトルのドラマ。久しぶりに冬彦さんをみて、いつのまにか「昔」になっているものがあるもんだということに気づいた。車の形が古い。妙に四角い。目元の化粧が濃い。髪型が爆発している。それから、カクチカコが、元恋人のフセ何某と久しぶりにあって、仙台の定食屋でごはんを食べるんだけど、フセがコップの水を一気に飲んでカラになったのを、すかさずカクチカコが立ち上がって給水機で注ぎ足してやっている動作が、どうにも古い。ドラマは当時も今もほとんど見ていないので、ドラマ的リアリティのほどがよくわからないが、現実いまどきの男女ならば、かつてつきあっていた者同士だとしても、水が飲みたきゃ黙って自分で汲むんじゃないだろうか。あるいは、おねがいするか、水を持ってくる申し出をするか、行動の前に、ことばがあるものだろう。当時はお茶汲みが主要な仕事であるOLもところによっては雇えた時代。お茶汲みの習慣がなくなってきたのは、女性差別がどうとかいう問題がだけでなくて、習慣が変化したことも理由にあるだろう。「よきにはからえ」で、全員に同じお茶を注いでいれられれば問題がないが、部長は玉露、課長はブラック、鈴木さんはお砂糖2つ、山田さんはクリープ多めなど、いちいち個人の好みを聞かなくてはならないようなことになると、仕事量がものすごく増える。好みを聞かず、同じものを配っていれば、まずいとか別のものを飲みたいとか言う不満を言うのも出てくる。そんな不満を「仕方ないでしょ、ここでのきまりなんだから」と流せられるような時代ではなくなった。他者に害を与えない限り欲求に従って行動することが正常なのであり、個人の欲求をおさえつけ行動を制限するのは異常なことになる。そうなると、何か飲みたきゃ飲みたい人が飲みたいときに飲みたいように飲めばいいじゃないかとなる。それで自動販売機や給湯器やお茶やコーヒーサーバーなんかが、紙コップとともに置かれるようになったりする。ただし、この方式のデメリットは、「お茶ばかり飲んでさぼっていると思われたくない」と他人の目が気になりすぎる人や、仕事に熱中しすぎるあまり水分補給をすることすら忘れてしまう人などの健康を害るす危険性があることだ。飲みたくなかろうと、目の前にお茶がおかれてしまえば、邪魔だし飲んでしまうので、お茶汲み制度があるということは、全体平均の最低レベルを維持するための健康管理には有効だったのだろう。
2005年01月14日
タイトルは今年もらった年賀状。本人大真面目なんだろうけど、濁点多いよ。実際「あげばじでおべでどうごじゃいばす」というような具合の風邪っぴき。加湿器は洗濯物だが、これは菌まみれになっているということか。このページは、いまログインも20回くらいやって、やっとできたくらい忘れていた。12月は年末を迎えるために忙しいし、年末は年始を迎えるために忙しいし、年始年始のせいで仕事始めからいきなり忙しいし、きーっって感じである。イエ電は鳴っても一切出ない。出ても良い話は一切ないから。まとまったことを書くのは疲れるので書き散らし。謹賀新年昨年は、手術で入院したり、就職活動を始めたもののいくつもいくつも落ちたりと、例年以上にいろいろあった年でした。今年もよろしくお願いします。1月吉日・・・これではまるで、不幸自慢のようである。
2005年01月13日
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