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「ちゆ」と「パオロ・マッツァリーノ」は同一人物なのではないか。・男性(ネナベだとしたらすごい労力がいる)・活躍していた時期がちょうどずれている(偶然かもしれないが)・つっこみどころとまとめかたが似ている(影響を受けているだけかもしれないが)・ネタがかぶらないのに視点が似ている(わざとという気がする)根拠が薄いけど。筆跡鑑定みたいなかんじで同定を比べる文体鑑定というソフトはまだ無いんだろうか。師匠がそれっぽいものを作っていたような気がするのだが・・・。パオロのほうをみると、いわゆる中の人はたぶん大学院くらいは行っていて、でも博士はとっていないような1968~73年くらいの生まれではなかろうか。文系だけど、言語学とか文学の院ではない。おそらく社会学。キャラクター的には、ちゆよりは強気。大学で教えているかどうかはわからない。教えていても専任ではなかろう。このまんまの授業だとしたら、特に早熟というわけでもない聴衆なら、20代後半からじゃないと、「承知の上で、あやしげな論理をつむぎ、ズレた結論を導き出している」という真意が伝わらないような気がするのだが。名詞とか動詞では、内容の違いしか出ないだろう。でも、句読点の数や位置、使用する接続詞の傾向、センテンスの長さと数、助動詞の傾向や体言止めの使用、これはかなり個人差があるはず。
2007年04月30日
全国一斉学力調査、・・・犬山市を除く。サンプルになった子はいやだろうけど、外野にとっては興味深い。問題と解答http://www.yomiuri.co.jp/feature/gakuryoku/20070424.htmすごい。各方面の声の大きい人に何も言わせないような良問を揃えている。さすがベネッセ。民間の力。これが文科省で作っていたら、予算はもっとかかるし、微妙な漏洩や糞問題や「これってこの人のために作った問題じゃない?」と露骨過ぎる偏りも出るだろう。これで国のおすみつき企業になったベネッセは、今後そういう経営戦略で行くのだろうか。それはそれで怖いが。算数だか数学だかで、「マンゴープリン」というのが説明もなしに出てくる普通の名詞として出ているのが驚きだ。今の時代、もう見たことがない子はほとんどいないのだろう。「マンゴウ」という表記だったら、「間違えている」という指摘が出るくらいに浸透しているものなのだろうな。ちょっと昔、高級フルーツ店にしかなかったころは「マンゴウ」「マンゴ」の表記もあったけど。こうやってみると、中学の勉強は、名詞の洪水をどうわたりきるかが鍵だろう。「現代かなづかいにしろ」という問題は難しくないが、現代仮名遣いという意味または「現代、かな、遣い」の単語からの推測がうまいかできないと答えられないんじゃないだろうか。
2007年04月29日
邦題「アンソニー世界を喰らう」http://japan.discovery.com/series/index.php?sid=681豚の丸焼きを食べていたインドネシアはとてもリラックスしてみえたが、韓国、アイルランド、ガーナ・・・厳しい場所が続く。アイルランドは、自国の伝統料理というものがないのだろうか。移民が増えて、アメリカ人のアンソニーの言うように多様性を認め合えるようになると、文化が豊かになる…のだろうか?韓国では押し付けがましい事務所のスタッフの韓国で育った女子に辟易している様子であったが、韓国らしさが伝わるいい人材をいれたものだなと思う。離散家族となった祖父の話にアンソニーもちょっと気まずそう。キムチを食べたことがないという駐韓米軍兵たちとブテチゲを食べにいくときは明るかった。放送されなかったが、彼らはきっと韓国の悪口をいっていたに違いない。白人のアメリカ人がアフリカに行くのはちょっとしんどいだろうなぁ。ガーナの観光大臣という人はすげえ。一見、気さくないい人とみえて、「アフリカ起源のアメリカ人たちにアフリカをみてもらいたい。そんな交流を望んでいる」と必要なことはちゃんと言う。外交って、そういう人が適任なんだろうなあ。辛口のアンソニーも何もいえない。
2007年04月28日
ディスカバリーチャンネルの「元寇 フビライ軍の難破船」http://japan.discovery.com/episode/index.php?eid1=845386&eid2=000000水中考古学というジャンルがあるのを知った。その林田さんという人は、いまは東京海洋大学の先生をしているらしい。長崎県の鷹島というところで、元寇の元軍沈没船の遺物が発見される。すげーな、今でも見つかるものなのだな。・碇の向きが一方向であったことから、大型台風によるものと推測できる。・船底に海洋船にあるべき竜骨がなく、底が平な川船だったから沈没しやすかったことがわかる。工期1年、突貫工事で4000もの船を作るのは無理。テキトーに中古の川船まで集めちゃったらしい。フビライの家は、騎馬戦は得意でも、海上戦は基本的な知識もなかったので、史上最悪の海難事故を引き起こした。軍の偉い人は死ななかったのは、そっちは立派な船だっただろうということ。当時、造船技術は世界最高峰だったはずの中国だが、「よくわかんないけど、これもっていけばいいんだろう?」「ちゃんと揃えないと何されるかわからねえから、早くしろパリパリ」「しかしこれじゃあ台風の時期にぶつからないか?」「こんな筏みたいな形の船で海へ行くのは無理だ。俺が乗るわけじゃないからいいけど」と船を集めていた沿岸部の大陸人半島人たちがいたことが想像できる。
2007年04月27日
楽天ブログは、アマゾンなど、他の商売へのリンクを許可しなくなったよーです。たぶん、直リンにならなければいいんだろうな。これからは、グーグルの検索結果などでリンクを貼ればいいのだ。
2007年04月26日
反社会学講座http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson1.html本も出ているらしい。何者だろう。
2007年04月25日
議事録、読んだ。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/kousei.html大学院は理系では内部推薦試験があるらしい、ということまではわかったのだが、最新の議事録は誰の発言かわからないので、非常に読みにくい。有識者の平均年齢、58歳。このメンバーはいったい…一応、各方面から文句言われないようにバランスをとったのだろうけど。( )は年齢(2007年1月1日)生年 出身地・出身大学池田守男(73)1933 香川県・東京神学大学浅利慶太(73)1933 東京都・慶應義塾大学中退海老名香葉子(73) 1933東京都・?中嶋嶺雄(70)1936 長野県松本市・東京外国語大学張富士夫(69)1937 東京都・東京大学野依良治(68)1938 兵庫県・京都大学葛西敬之(66)1940 東京都・東京大学小宮山宏(62)1944 栃木県・東京大学小野元之(60)1946 岡山県?・京都大学門川大作(59)1947 京都府?・立命館大学川勝平太(57)1949 京都府・早稲田大学・オックスフォード大学陰山英男(48)1958 兵庫県・岡山大学白石真澄(48)1958 大阪府・関西大学渡邉美樹(47)1959 神奈川県横浜市・明治大学品川裕香(42)1964 兵庫県・早稲田大学小谷実可子(40)1966東京都・日本大学義家弘介(35)1971 長野県長野市・明治学院大学じじいとばばあはいるだけ無駄な人だし、若手はいても弁が立たないので役に立たない人ばかりだ。どちらも、「自分の人生がうまくいっているように、今の子どもたちにも同じことをさせたい」という狭~いところから一歩も出ていない「自分語り」であって、何かを決めようとかいうことには向かない。こぶ平の母親は、親孝行を教えろと言っているが、祝儀袋問題は親不孝だと思っているのかな。浅蜊という人は「若者が問題だっていうの、こういう若者の心の闇っていうのをさ、舞台でやるといいと思うんだよね。ここのみんなの話はさ、聞いても早口でよくわかんないからパンフにして配っとけばいいんじゃん」という具合で、まるで他の人の話を聞いていない。自分の周囲3メートル以内の話しかできないのに、国家の計として考えようとは、座っていることにしか意味がないではないか。わざとこういう使えない人選をしたんだろうか。ただ「有名人」ということしか特徴がないではないか。50代以下なら、いま制度等を変えた場合に育った子どもたちがオトナになったときまで見られるが、70代の人に30年後の世界を考えさせるのは難しいだろう。平均年齢よりちょっと下の、商売的にもうまくいって売れている2人はやっぱり話すのがうまい。具体的だしね。しかし説得力がありそうでいて、やってきたことが「他を出し抜く方法」のようなものなので、彼らの発想の志向として、これからやろうとする話もそうで、これは国家全体に適用させるつもりの話にしては変だ。そこへいくと、「名古屋のドン」といわれる2人のほうが、もうちょっと広い範囲で考えている部分もある。座長がダメだ。なんか長のつく位置にしとかないと暴れるとか、そういう理由があるんだろうか。ものすごーく意地悪いし、無責任。「おまえらのいっていることなんか、できるもんか」という態度がみえみえ。「日本の大学はレベルが低いね。俺が戦犯。でも企業が悪いんだ」というようなそんな発言、本当にそう思っていても、言ってはいかんだろう。というかそんなことを思っているような人がいるのが間違っているのだが。他の脳ベル賞受賞者はもっと穏やかな印象の人ばかりなのになー。ところで、発言の仕方がぴかいちなのは、最高学府の総長だ。さすがに魑魅魍魎の渦巻くところで、そこまでのしあがってきた人、という感じで、実はダメダメな座長とは逆の考え方のくせに、以前の議事での発言に同調できる部分を出してみたりして、うまーく対立をさけるように話しとる。ピンとくる発言は、ぜんぶこの人のものだった。あやしい出典にはつっこみいれるし、データも何もないところでは答えないことを明言する。ごく当たり前のことができるのが、この人だけ。実際の信念で言っているんだとは思うけど、実際、この程度の集会で、日本の教育を根本からかえようというのがどだい無理。できることをちょこっとやればいいんである。という考え方だ。国際競争力とかいうのを、欧米に追いつけというような発展途上国的なとらえかたとしているのはよくない。母語で教育を受けられる日本というのを、もうちょっと見直せ、という立場。できそうなことは、たぶん・海外ボランティアをして帰ってきた人たちの雇用促進・新規教員採用に不足する世代枠を設け、異業種から中途採用して充当するくらいかな。
2007年04月24日
2ちゃんの誤爆(?)でひろったもの。☆「ボリショイ」とはロシア語で「大」と言う意味。つまりボリショイ大サーカスでは「大大サーカス」 ☆チゲと言うのは「鍋」と言う意味なので、チゲ鍋では「鍋鍋」 ☆クーポンと言う言葉は「券」と言う意味なので「クーポン券」では「券券」 ☆襟裳(えりも)はアイヌ語のエンルムからきていて意味は「岬」の事、つまり襟裳岬は「岬岬」 ☆スキーという言葉は元々ノルウェー語で薄い「板」を差す言葉なので「スキー板」では「板板」 ☆アラーの神と言う言葉、「アラー」とは「唯一神」の事なので「神神」 ☆イスラム・シーア派の「シーア」は派閥という意味で「シーア派」は「派派」 ☆トリコロールカラーと言う言い方「コロール」がカラーの事なので「3色色」 ☆サハラとは「砂漠」の意味なので「サハラ砂漠」では「砂漠砂漠」 ☆ガンジス川のガンジスとはサンスクリット語の川という意味の英語読み、つまりガンジス川は「川川」 ☆ナイル川のナイルも川。インダス川のインダスも、タイのメナム川のメナムも、チベットからインドシナ半島のメコン川のメコンも、中国~シベリアのアムール川のアムールも、すべて川という意味で「川川」 「かわかわ」気に入った。これ全部ほんとうかな?
2007年04月23日
どーやって他所から集めろというのだろう?大学・大学院に競争原理を積極導入…教育再生関連6会議4月23日13時58分配信 読売新聞 政府の教育再生会議は23日午前、第3分科会(教育再生)を首相官邸で開き、大学・大学院改革について、国立大学の大学院生に占める同大学の学部出身者(内部進学者)を最大3割程度に抑えることなどを柱とする素案を大筋で了承した。 内部進学者の制限は、大学の枠を超えて人材を集めることで大学院教育を活性化するのが狙いだ。素案は当初、「最大2割程度」を目標とする方向だったが、大学関係者の反発に配慮し、「3割程度」に改めた。 素案にはこのほか、<1>政府開発援助(ODA)予算を活用し、中国やインドなどからの留学生・研究者の受け入れを推進する<2>大学院教育の財政基盤を強化し、民間からの寄付を受けやすくする優遇税制を導入する――などが盛り込まれた。 大学院の存在を、他大学にもアピールしなければならん。宣伝費がかかる。もしかすると、学部が受験生を集めるような活動も必要かもしれん。「ぜひともおたくの優秀な学生さんをこちらに」とか。よそからひっぱるとなると、大学自体のレベルのイメージが、上位校から下位校へ行きたがる人は少ないので、学歴ロンダリングを目的とするような人材をいれろということになる。そのために内部から上がる予定だったより優秀な人材を落とさなければならなくなる。「外部からも優秀な人材をいれる」という見込みが間違いである。優秀な人材はこない。4年間かけてそこで基礎を作ってきた人と、他所で不完全な教育を受けてきた人ではスタートが違うのだから、元のレベルが同程度だとしても、そこから5年程度で追いつくわけがない。内部進学者の割合が減ることの利点は、あらかじめ後継者が大学院入学時に決定でき、同期同士の争いがなくなるという程度のことしかないのでは?逆にわずかにあった競争原理が働かなくなるのでは?分母を増やすために、どっかの国のどっかの研究科のように、知的好奇心があるだけの主婦やリタイアを集めるとか、同じ所属でも違う種類の人間をいれておく必要もあるだろう。あるいは、非公式にも同レベルの大学と提携しておいて、お互いの学生を交換するという手もある。競争原理というものを導入すると、レベルが全体に落ち込むだけではないだろうか。最底辺のかろうじて大学院をやっているようなところを潰そうぜということなのか。本当の意図がどこにあるのか、さっぱりわからん。
2007年04月22日
「知るを楽しむ」というNHKの番組は木曜日が「歴史に好奇心」これが今回とてもおもしろい。http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200704/thurseday.htmlタイトルは『日中二千年漢字のつきあい』となっているのだが、テキストの主旨は題とはちょっと違う。“「国格」を保ちながら外交するために、どうことばを使ってきたか”ということがずっと語られているである。こういうテーマで書いた場合、よくあるものでは、「われわれの漢字文化というのはすばらしい財産ですね」とか「漢字に工夫を加えてとりいれてきた日本人は、器用です or もともとの意味を知らないことがあってたいへん恥ずかしいです」とかいうまとめかたをするのだが、そういうのではない。「なぜそうしてきたか」ということを、後世の者の感想として昔は素晴らしいとかいう視点を交えるのではなく、「当時、外交上そうすることで損が防げたから」「当時の人はそうすることが楽しかったから」・・・という説明であり、実に冷静な視点である。(まともな歴史学者ってそういうもんなんかな。)p83「外から飛んできたタネでも、日本の庭で咲いたタンポポなら、それは日本の花です。外国起源のものでも、日本に根付いたものなら、日本文化です。「天ぷら」はもともとポルトガル料理だから食べるのをやめよう、とか稲は中国大陸から伝来したものだから食べるのをやめよう、などというアホな主張をする日本人は、めったにいません。ところが、こと「文化」になると、漢字はもともと中国から伝来したものだから使うのをやめよう、とか、カタカナの外来語の氾濫は日本語を滅ぼす、といった主張が、あるていど世間の関心をひいたりします。」というのが気に入った。国家の品格とか論議しても無駄で、面白い文化を創っていれば、別に無理にがんばらなても伝わるもんじゃねーの、という主張。しかし、従来「日中の漢字」をテーマにしてきた場合、悠久の中国文化を持ち上げる雰囲気があたりまえの前提としてあるのだけど、それがぜんぜんないので、相対的にナショナリズムをあおるようなところを感じるので、BSやラジオで放送するのはちょっと難しいかも。
2007年04月21日
<はしか>創価大で53人が集団感染 (毎日新聞 - 04月20日 00:51) 創価大(東京都八王子市)は19日、はしか=麻疹(ましん)=の集団感染が確認されたため、18日から来月6日まで同大と大学院を臨時休講にしたと発表した。 今月14日に同大学生寮の男子学生で初めて確認され、19日までに学生52人と教員1人が感染した。同大の調査によると、感染者の約8割が寮生活をする学生。高熱やせきなどの症状が見られるが、重症の患者はいない。 東京、埼玉などの首都圏では、はしかが大流行の兆しをみせており、小中高校で学級閉鎖や始業式を遅らせたところも出ている。【古関俊樹】 えええ。大学で?子どものうちにやってない人が多いのか、実は1回くらいじゃあ免疫ができないのか。これは、ゴールデンウィークごろにやってくるのかしら。
2007年04月20日
「かんもく」と読む。緘黙について:障害のある子どもの教育の広場独立行政法人国立特別支援教育総合研究所http://www.nise.go.jp/portal/elearn/jyoucyo-kanmoku.html話す能力があるにもかかわらず、「緊張」や「恥ずかしさ」などによって、学校などで話すことができなくなる症状。 http://www.geocities.jp/kannmoku/sikata.htmこの症状のある人は、中規模校なら学年に1人や2人いたと思う。小学校では何人も見たことがあるし、高校にもいた。いっしょに遊んでいるうちに、しゃべるようになった子もいた。別にこの症状自体が、異常行動をひきおこすものだとかいうものではない。留学生は留学生なんだけど、犯人は8歳のときからアメリカに住んでいる人だった。バージニアの大学の先生は、「彼ほど孤独な人はいなかった」という言い方をしていたが、この犯人は、場面緘黙だろうと思うのだが違うんだろうか。インタビューで高校時代の同級生が「彼が声を発したのをきいたことがない。「しゃべったら10ドルやる」と言われてもしゃべらなかった」といっていたが、それはいじめではないか。言葉の知名度も低いと思うけど、こうなってしまう人はどこの世界にもいて、一般的なものだということが、意外と知られていないんだろうか。
2007年04月19日
「日本語」の論文の中で、「意味が同じ文なのに違いがあるのはなぜか」という出発点であるものだと、理解が難しいことが多い。違いがあるとしたら、そもそも同じだと思うのが間違いで、もともと意味も違うと思う。「意味が似ている文なのに違いがあるのはなぜか」これも、なんとなくマヤカシっぽいものを感じる。前提の「意味が「似ている」」と思うところですでに「違いがある」ということが含まれているからだ。「違いがあるのに、似ていると感じることはどうしてか」というほうが、疑問としてまだわかるのだが。なので、この分野だけが好きな人たちのやりとりをみていると、「論理を積み上げていって、(自分を含め)いかに騙すか。」「騙されないように、どうやって論理の矛盾をつき崩すか。」そういう攻防戦が醍醐味なんかなーと思うときもあるんだが、前提でうだうだしているので、その面白さがまるでわからない。おおいに苦手な分野であるが、なんとなくそれっぽい説明をしなくてはならん。「同じ文」とか「似ている文」というのはどういうものか。日本語の「-が-が好き」という文から考える。「(1)花子がりんごが好き」ならばりんごのほうが好かれていると一般的に考えられる。「(2)りんごが花子が好き」であっても同じだ。しかし「(3)花子が太郎が好き」または「(4)太郎が花子が好き」ならば、好かれているのはどっちかわかりにくい。この違いは、「りんごは感情を持たない」と信じられているからである。しかし、りんごの文で比べてみて語順は「(1)花子がりんごが好き」のほうが「(2)りんごが花子が好き」よりも自然である。よって「(3)花子が太郎が好き」といった場合「太郎」が好かれている人で、「(4)太郎が花子が好き」といった場合「花子」が好かれている人だと解釈されやすい。ただし、「太郎という人は花子に対しそういった感情を持つことはないはずだ」と信じられるような場合は、いずれの文でも、「太郎」が好かれていると解釈されることもある。たとえば「太郎」の名前を有名人に置き換えて、「花子」の名前を無名な一般人と置き換えれば、そのように解釈しやすい。したがって、日本語でも、英語のような具合で語順からも意味を解釈するが、語順よりも単語の意味のほうが解釈に与える影響が強い。と思うのだが、これを「日本語の特徴」とまでいうには、他の構文でもいくつか例が必要である。反論としては「りんごが花子が好き」はものすごく不自然であり、文として間違っているという意見も考えられる。たとえば、好かれている人が「麻生太郎」だと解釈しようとしても、(5)花子が麻生太郎が好き (6)麻生太郎が花子が好き(6)のほうは、無名人である花子が有名人である麻生太郎から好かれているという解釈にしかならない。「花子に好きな人がいるとは思えないけど、いったい誰のことが好きなの?」という質問に対してでも、(6)という答え方はしにくい。「-が-が好き」だから、語順を入れ替えると不自然になる、と考えた場合。では、「-は-が好き」だったらどうか。 (7)花子はりんごが好き (8)りんごは花子が好き (9)花子は麻生太郎が好き(10)麻生太郎は花子が好き文から変なものを感じるのは(8)である。「りんご」なのに感情があり、花子はそのりんごから好かれているという異常事態を描くからだ。「-が-は好き」だったらどうか。(11)花子がりんごは好き(12)りんごが花子は好き(13)花子が麻生太郎は好き(14)麻生太郎が花子は好きどれも考えてからしゃべっていないような頭の悪そうなものを感じ、母語であるくせになんとか解釈しようと考えなくてはならなくなる。(考えたところで解釈は決定できない)しかし、比較的(12)は抵抗感が少ない。たとえば「清潔な部屋が俺は好き」のような語順は一般的にありそうだ。(12)は(7)と同じ句で語順を変えたものである。よって、「-は-が好き」と「-が-は好き」の場合、・一般的な語順は「-は-が好き」であり、「-が-は好き」は一般的な語順ではない。・「が」のつくほうが好かれるものであると解釈される。・感情を持たないものに「が」がつく場合、一般的な語順でなくても、解釈は容易である。ということができる。したがって、日本語も文は基本的には定型の語順を持つものであり、助詞によって意味役割が決定するものであるが、単語そのものの持つ意味によっては、語順を変更しても同一の意味役割を持つ文として解釈可能となるため、語順よりも助詞のついた句が文の解釈を与えているといえる。のか。というような積み重ね方で、構文論の人の考え方の説明としてよいのかしら。
2007年04月18日
ああいえば上祐・・・ということばも流行ったな。再び上祐氏の話。(敬称かえてみる)アーレフ信者用のメッセージに書いてあったが、上祐氏は、いわゆるマインドコントロールから抜け出すのに、オウムで教えられたことに立脚して考えている。「予言」は、日本国家の崩壊とあったが、それは日本国家を模したオウムの崩壊についての予言と考えると、その年代が奇妙に符合するというのである。http://blog.livedoor.jp/motoj/archives/53244814.html1997年 ハルマゲドンの予言の最初の年=麻原と全く連絡が取れなくなった。=教団にとってのハルマゲドン1999年 ハルマゲドンの予言=団体規制法制定 =教団にとってのハルマゲドン2003年も 核戦争の予言=上祐氏修行入り(軟禁だと思われ)、教団の方針が大きく変わった。2004年は 麻原の復活の予言=麻原死刑判決、密教のカッピナ師が修行中遭難死2006年 広島に原爆などが落ちて、ハルマゲドンが起こるという予言=麻原死刑判決確定、代表派と非代表派の分裂が決定的となった。麻原の予言:世紀末に日米決戦がある。日本が再び天皇を元首にする。実際:教団がアメリカを敵とみて米軍の毒ガス攻撃を主張、麻原が教団体制では、法皇(絶対神の化身・キリストとして世界を統治すべき存在)と位置づけられた↓大日本帝国が天皇を絶対神として大東亜共栄圏を形成しようとしたのと非常によく似ている。↓教団が大日本帝国を模したものには、「進めオウムヤマトのように」という歌や、毒ガス攻撃とコスモクリーナーなど、大日本帝国の戦艦大和の復活版のアニメの『宇宙戦艦ヤマト』に基づいた(上祐氏の記述では「パロディー」)ものがあった。一般人からすれば、「それがなんだ」と思う考え方なのだが、たぶん同じ信者なら考え方の道筋として、非常にわかりやすい説明になるんじゃないかと思う。末端信者だった人のかいたもので『麻原はただのオッサンだ』という、タイトルそのままの内容の事件後に出た漫画を読んだことがあるが、そういうレベルに貶めてすべてを否定するのではなく、麻原にはカリスマ性があり、宗教的な力も持っていたが、万能だというわけではなく「すべて正しい」と信じられるものではなかったのに、信徒である自分たちがそのように行動してしまったことで、教団全体がおかしな方向にいってしまったのが間違いであったというのが、いまの上祐氏の考え方である。そして、「そうした麻原を作り上げてしまった自分たち信徒」として、責任を負って生きて行くというのが上祐氏の決意である。上祐氏の4月15日の日記http://www.joyus.jp/diary/10/0012.htmlによると、上祐氏は、家康が好きで、かの有名な「人生重き荷物を背負いて長い道を行くがごとし、焦るべからず。不自由を常と思えば不足なし。」という言葉に感銘を受けたそうだ。この日記で興味深いのは、そんな上祐氏が、ひょんなことから数メーター単位で正確で詳細な経度が出るパソコンソフトで精密に調べたら、「現在の烏山の住居が真北に約百キロメーター行くと、日光東照宮の家康の墓があることがわかった」ということに、不思議だなあと感じていることである。いかにも理系の人間らしい。そして、自分を基準にして世界を捉えている人なんだな、と思った。文系の人間の発想だと、「真北」という方角については、まあなんとなく絶対的なものを感じてしまうのは、まあわからないでもない。真北は、常に同じ軌道を描きながら規則的に回っている地球の軸の片側の方向でしょ。地球は人間が作り上げたものでもないし、人間がまわしているものでもないし、現象の説明に数字を用いなくても説明できるから。けれども、メートル法・10進法での100という数字については、基準の違いによってどうとなるもんではないかと思ってしまう。家康が出てくるのなら、まず当時の尺貫法に置き換えて考えるべきではないかと思ってしまうし、100だからといって「ちょうどの数だ」という考え方もあまり持っていない。仏教の人だったら108という数字でも「ちょうどの数だ」と意味を感じてしまうかもしれないし、整数は循環小数よりかは「ちょうどの数」っぽいなあというのと、非存在をあらわすゼロとそれ以外の数字が違うというのはわかるだけど、もともと数字というのは、宇宙から与えられたものではなく、人間が作り出したもので、人間同士の取り決めで使用されているものではないか。十数年前、理系の院生で、「午前4時44分44秒に合わせ鏡をすると、自分でない自分が写るらしいよ。だから僕は夜中に鏡を見ないようにしているんだ」と大真面目に言っている原義的な意味でナイーブな人がいたが、時間を示すために12進法で数字を割り振って時計を作ったのが人間であるというのに、どうして超人的な現象が一致すると感じるのか、と理系人種(?)との違いを痛感したものだった。しかも、グリニッジ標準時とか明石標準時とか、そういうものってほんの百数十年の間、長い歴史の中でごく最近決められたもので割り振られた数字だというのに、どうして現代になって急に怪現象を呼ぶようになると考えられるのか。なぜ4という日本的な数字なのか。日本あるいはアジアだけに起きる現象なのか。それだったら、超人的な現象と思われるものであっても、結局は人間が作り出しているものであるはずである。ならば、何も恐れることもないではないか。つきつめていくと、「現象が起こる」場合に「原理がうまく説明できない」いうのが怖いのだろうか?そんなの、・もし実際に起きるのならいつかは原理が解明できる・あるいは現象そのものが実は起きないものである・現象が起きたという人と起きないという人がいるとしたら、個人の脳内で作り出した妄想による幻視で、科学的に存在が証明できないものであるそのどれかである。あまりおかしかったので、あたまっから否定するのもバカバカしいので、「午後4時44分44秒だとどうなの?」ときくと、「それは16時44分44秒だから大丈夫だと思うよ。午後四時ならまだ明るいしね。」というので、おっかしなやつだなーと笑ってしまった。(が、現在こいつは国家の要職についていて家庭生活でもちゃんと子どももいるような人であるところをみると、もしかすると、当時はいい年齢こいてバカかこいつと思っていたのだが、若い頃にこういう素直で柔軟な姿勢がある人のほうが、社会に溶け込めて上司にかわいがられ、うまくやっていけるのかもしれんなーとも思わんでもない。)16は4より安心できる数字らしい。4が4倍になって、ものすごくおそろしい数字になるわけではないらしい。上祐氏の場合、数字が絶対なものであるという前提を持っているから、それで大好きな家康と自分に強い繋がりがあると感じられる世界が作れ、そういった裏づけが持てることでたぶん何か安心するのだろう。仮に数字が宇宙の法則だとまでは考えていなかったとしても、長い歴史上での人間社会での共通の取り決めとして定着している数字とも繋がっていられることで、平穏な気持ちになれるのかもしれん。論理的な思考は、おもしろいなあと思うのだが、前提の設定で惑うものが多いので、なかなかその世界に入っていけないものがたくさんある。・・・それだから、いろいろとうまく進んでいかんのでしょうけど。
2007年04月17日
あたまがよくなったなあと思う日と、わるくなったなあと思う日がある。あたまがよくなったのではなく、たぶん人並みに成長してきているというだけのことなのだが、ほかの人の話を理解するのは、昔より簡単になったなと感じることが増えた。たぶん、ちょっとませた人なら、もっと若いうちから、そういうことができたのだろう。おつむというのは、絶対的な良し悪しよりも、成長の発達具合のほうが、かなり大きい問題なのだと思う。普通の人が35歳くらいで自然にわかってくるようなことが、25歳からできているように脳みそが成長していたら、こんな人生にはなってなかったはずだ。一方で、何かを思い出すのがめんどうくさいなと感じることも増えた。思い出すのが難しくて苦しむというより、もう思い出せなくてもいいや、としてしまっている。あたまが悪くなっていっている。脳みそも折り返し地点っぽい。あと生きても、長く見積もってもこれまでと同じ長さくらいだろうから、先は早いだろうなあ。この先何回葬式をしなくてはならんのだろう。イベントといえば葬式だらけで忙しいだろうなあ。
2007年04月16日
アメリカは銃を持つ自由があるのが伝統。規制するとしても、せいぜい「外国人」が持つことくらいだろうか。差別とかの問題があっても、テロとかでどうにかするとか。もともと悪者のインディアンを皆殺しにするのに便利な道具だったのだろう。悪者は、善良な自分を無差別に攻撃してくるから悪い。自分は善良な人は決して意攻撃することはない善良な人間で、悪者からは打撃を受ける前に防御したいという欲求がある。悪者か善良かの判断は、はっきり区別できる。銃を持つ自分は良い人で、打たれる人は悪い人、という一方向からの考え方で、いざというときのために、銃を持つと安心できるというと、持つ自由だって打つ自由となってしまうのは簡単なことで、打たれることは自由ではないので、これは出発点が間違っている。医薬品を買うくらいの気楽さで自由に持って、安心や安全が増えるわけがなく、結果的に自由はものすごく制限される不自由な社会に自動的になるのだ。「アジア系の学生」というと、東アジアにイメージが限定される。東南アジアは東南アジア系。西アジアはアラブ系かとかになる。当初、「上海」といわれていたので、中国人留学生の凶行にしては単独犯って珍しいよなあと思ってしまった。中国だと、もともと脅威を感じている人は多いし、国際問題に発展しかねないなあとも思った。しかし結局兵役義務のある国の人だったようだ。中国でないのなら、たぶん、国内で「異常な人間一人の問題なのに、アメリカが国際問題に発展させるかもしれない」と被害妄想的に騒ぐだけになるんじゃないだろうか。それにしても、米バージニア州のバージニア工科大学、総学生数は2万人くらいで、うちアジア系留学生は合わせて1000人近くいるというが、http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007041700837韓国人留学生:約460人中国人留学生:400-500人日本人留学生:20人以上このほか、韓国系米国人の学生も500人ほど在籍とある。日本人が意外と少ないなあとも思うのだが、自国で学べる国家というのは、留学の必要もあまりないのだな、恵まれているなぁと思った。アメリカにいる留学生http://www.fulbright.jp/study/res/t1-college02.htmlインドや中国は人口がめちゃくちゃ多いんだから、何をやっても上位にあるのは当然だ。しかし、日本の3分の1の人口の国が、日本より多くアメリカに行っているというと、おそらく国内の4年制大学の学生で「アメリカに留学した友達がいないという人はない」という状態だろう。ついでにいうと、英語で挫折したような学生は日本に留学するし、物価の安い国で楽しく暮らし将来的には商売で一山あてたいという学生は中国に留学する。短期大学を含め、「親戚に留学した人がいる」ということは、大多数がそうなのだろう。(親戚の範囲、広いし)一方農村・漁村部は、国際結婚が盛ん。今なら「10年前は生身の外国人をみたことがなかったが、今はどこでもみかける」という人はばっかりなのだろう。http://www.chosunonline.com/article/20070328000040結婚件数のうち4割の男性が東南アジア人女性としているそうだ。民族に対する固執があるくせに、意外と柔軟感じなのは、背に腹はかえられんということなんだろうけど、男性の血をひいてれば混血でも問題はないし、特に農村・漁村部は「われわれ」とは違う人種なので、普通に暮らしていたら血が混じることもない、ということなんだろうけど。社説のスタンスは、「多民族・多人種国家」になっていくことを受け入れているようなのだが、「彼らが安定した健やかな家庭を築けるよう、国や社会が積極的に支援していかなければならない」と結んでいるように、ちょっと他人事っぽい視点。http://www.chosunonline.com/article/20070416000043あれこれ流されやすいことが多いけれど、「農村・漁村に嫁いでこそ国家を救うのだ」というようなアジテーションだけは乗らないんだろうなぁ。同じ勢いで日本が国際化を進めようとすれば、たぶん日本という国がなくなる。これを食べられるから我々は日本人なのだとみんなが実感できるものはないし、この娯楽で楽しめるのが我々日本人らしい特徴だとみんなが思えるものもないし、この酒の飲み方が我々の国の伝統だとみんなが推奨するものもないし、この祖先の祭り方が我々日本人に共通するものだと思えるような唯一の所作だというものもないし、伝統的なきものもファッション的な意味合いがほとんどで、これを着ることが我々日本人の誇りであると思えるようなものでもない。日本だって、国内どこへ行っても、カラオケで歌って焼酎飲んで、花札をしたりゲームセンターで遊ぶことはできるのだが(現在の日本で花札は珍しいが)、そういうことをしたところで、ああ我々の国の文化だと実感できてうれしくなる・・・というようなことはない。(オリジナルは外国である日本からやってきた文化だとか、そんな野暮なことはぜったいに考えない)日本は、実はいろんな民族みたいなものが寄せ集まってできている国なので、伝統といわれるものでも地域によって家によってばらばらで、国に対する帰属感は本当のところ少なく、せいぜい故郷(地域)に対して愛着があるという程度なのだと思う。
2007年04月15日
百年茶というお茶が、ちょっとおいしいので、コンビニで飲み物を買う必要があるときはそれを選んでいたのが、コンビニに百年茶を買いに行ってしまった。カンゾウが入っているので、ちょこっと甘い。てんちゃとか、ルイボスティーとかもこんな味だったかいなーとか思いながら。干しムール貝をもどしたが、ミはぽろぽろ崩れておいしくなかった。出汁は濃厚。あみえびを箱買いしたが、たったの198円だった。くじらはこれを、がぼーっと食べるのだよな。細かいえびの食べ方を、サラダにまぜたり、味噌汁にまぜたり、細かい食べ方をしているので、なかなか減らん。そのうち、カリカリに炒めることになるだろう。サラダは、ドレッシングをかけるのではなく、和えるとうまいということがやっとわかった。しかも手でもみこんで(まるで韓国人だが)、葉物野菜のひだひだにまんべんなくからんでいると、こじゃれてうまい。いままで、だらだらーっとドレッシング味のところと、苦い野菜味のところで食べていたよ。あああ。あと9kg、痩せたい。(痩せてみたい)
2007年04月14日
上祐くんのオウム総括。読んで感じたことは、麻原が上祐くんをとてもかわいいと思っていただろうということだ。これだけ頭がよくてかつ素直な若者って、他にいないもんなあ。あの集団では。他にいた、少数の高学歴な人でも、単なる脊髄反応のイエスマンじゃあ麻原も物足りなかったのだろう。麻原が、サリン事件当時に、上祐くんをロシアに行かせていたのは、直接手を汚す仕事はさせたくなかったからなのかもしれん。上祐の入信は86年。麻原31歳、上祐23歳。(一般的に、この時期のこの年齢差は、オトナと子ども並に違ってみえるだろう。)衆議院選挙は90年。麻原35歳、上祐27歳。(話題によっては、対等に話せることも少しは出てくる年齢差。)上祐出所時は99年末。麻原44歳、上祐35歳。このときはまだ、今のような麻原を否定する心境には至っていない。現在は、麻原52歳で上祐44歳だが、生ける屍となっている麻原のほうは、サリン事件~逮捕の年の40歳から年をとっていない。現在の上祐にとって、年下の人のやったことだから、理解できることもあるのだ。たぶん。オウムなんか解散してしまえ、という世論があがっていたときに、江川しょうことか有田よしふとかが、反対していた理由もよくわかった。解散して、ばらばらになって、反社会的なことをする分子が潜伏するような事態になるより、まとまって監視できる単位となっていて、弱体化を待ったほうが、危険が少ない。マインドコントロールが解けるまでの時間は、人によって異なるだろうということもわかった。実は、上祐くんが推敲に推敲を重ねた文は、一読に値する。しかしおおぴらに勧めると、かつてのオウムを支持する人として誤解される危険性大だしな。
2007年04月13日
今シーズン食べたいちごランキング1.とちおとめ2.さちのか3.あきひめ4.べにほっぺ5.ひたちひめひたち姫、意外とうまい。あまり出回っていないけど。べにほっぺは香りが人工的ないちご香料に似ている。(?)あまおうのようにとてもかおりが強く、色も濃い紅色。あきひめは形が長細くてかっこいい。色は朱色。で、さちのかととちおとめは、一番出回っていて、一番よく食べるので、印象が「普通」となってしまった。ある意味プロトタイプいちご。基準。こいつらは、小さいやつが案外甘くてうまい。かつて食べたいちごたち1.バインベリー(タネがぶちぶちする。異なる食感。)2.あまおう(値段が高いよ。でかくてもうまけりゃいいけど、そうでないのもある)3.とよのか(年末まではこればっかり)4.アイベリー(とにかくでかい。それだけ)5.にょほう(さんざん食べたはずなのだが、記憶にない。)
2007年04月12日
上祐さんのサイトのことを、こうしゅうの面前でうっかりしゃべりそうになってしまいました。あぶねえ。旧約聖書の話で例にしておきました。説明が足りなかったけど、ある程度通じたようでした。「宗教的事実」というのは、当時の人の世界観がしのばれておもしろいです。
2007年04月11日
ストーカーは、なろうと思えばなれるなあと思った。会ったこともないんだけど、いっぽうてきに長年読んでいるwebのひとの子が通っている小学校が、久が原小学校だとわかった。外商は横浜そごう。毎日書かれたことを総合すると、日本全国そこと特定するしかなくなってしまう。こうやって丹念に読んでいりゃ、どこの誰くらいはかなり絞り込めるわな、たいがいのHP。
2007年04月10日
春なので番組が改変なのだが、やたらと多いのが歴史のクイズ番組。信長がしゃれこうべで酒を飲んだ話など、何度もきいている。番組の構成を、しゃべりのうまい芸人に「プレゼンテーション」させるというのがあった。当然台本とかあるんだろうけど、こういうのは時代にあっているんだろうな。これがたぶん歴史ブームになって、今度の入試では、史学科が少し人気が出るだろう。就職も上向きになっていることだし、食える学科でなくても受験したいという人は増えるはずだ。考古学あたりだと、化学や物理の知識も要求されるものがあるから、そこを売りにして、文系でも理系でもどうぞというアピールができるところは勝てる。さて、なんでこんな番組に偏りが生じたかを考えると、最近、科学的な雰囲気を装った健康番組の検証の仕方での問題が発覚したので、視聴者にもあとで確かめられる歴史に着目したんではないだろうか。しかし、同じように、あとで調べられることを扱ったものでも「ことば」に関する番組というのは、視聴者に対する態度が高いところから物をいうものばかりなので、あまり続けてみたいとは思えなくなる。バラエティの場合、視聴者にうっすら知っている知識があることについて、「実はそうではない」というどんでん返し的な意外なことを知らせることで、笑いが生じたりするものだ。クイズ番組は、視聴者やスタジオにいる人にとって、知らないだろう珍しい内容を紹介するのだが、「知らなかった」という態度をとる場合、日本史ならば、「へえ~」で済ませられるのだが、日本語だと「恥ずかしい」となってしまう。日本語だと、どうしても「バカを嗤う番組」という方向になりやすい。だから、複雑な話になると、「ふーん。日本語って奥深いんですね」と答えて、相手の説明を終結させてしまうのだ。日本語で、バカを嗤わず、「へえ」といわせるようなのは、アンケートくらいしかないかなぁ。絶対的な「常識」とされるものが、相対的な位置でどうなっているか確認することで、無知もそんなに恥ずかしいことではないと安心できるような具合で。アンケートといえば、「ウィー」というおもちゃがいまはやっているらしい。スペルはwii。任天堂だ。(いま調べた)同級生でも、小学校低学年の子どものクリスマスプレゼントに「買った」という金持ちの友達と、「まだはやい」と言った普通のサラリーマンの友達がいる。子どもでも使える玩具なのだが、オトナも使って楽しいものらしい。そのwiiのCMで、「アンケートが集計できる」という機能の紹介(?)があった。みんなで投票チャンネルhttp://www.nintendo.co.jp/wii/features/poll/index.htmlインターネットで直接できることを、分母をwii使用者とすることで、なんかおもしろい発見ができるんだろうか。
2007年04月09日
ディスカバリーチャンネルの「シリーズ:ゼロアワー」で「オウム地下鉄サリン事件」をみた。http://japan.discovery.com/episode/index.php?eid1=416194&eid2=000000客観的に時間を追って、事件を追っているのが日本の感覚と違って興味深かった。登場人物の当時の年齢が若くてびっくり。もう12年も経っているのだな。ついでに、上祐史浩のHPというのも読んだ。http://www.joyus.jp/mixiのページも読んだが、ブログと同じような内容だった。http://www.joyus.jp/diary/10/0000.htmlいまの上祐くんの希望は、最近出た島田裕巳の中沢批判本を読んで、中沢新一にオウムを総括して欲しいということのようだ。その本は読んでいないが、中沢新一という人は、チベット密教を日本語で紹介した人で、それを読んだ麻原がおおいに影響を受けてオウムがああなったということなんだが、それだけでは中沢氏には非があるとはいえんので、中沢氏のオウムに対する現在の態度がどうなのかということを言えということなんだろうか。というより、上祐くんは、チベット密教についてもっと知りたいから、中沢氏に本を書いて欲しいんじゃないかな。全体の印象として、上祐くんは「幼い」と思った。原義的な意味で、ナイーブな人である。この12年、上祐くんは、自分の頭で信仰について真剣に考えるようになったのだが、彼の場合は、自分で何かを作り出すことはできるタイプではなくて、他者の書いたものから考えていくタイプであるようだ。「チベット語を学んで、原典にあたってみればいいのに」と思うのだが、そういうことはしている様子はみえない。今後、上祐が指導者となるのは「弱い」と思う。が、それ以上の適任者がいないようなレベルの団体なんだろう。上祐くんは、3月3日のブログに「なぜ、これまで、元代表から自立できなかったのか」ということを書いている。http://www.joyus.jp/diary/10/0003.html「私は、私にとって、最も私を愛してくれた存在だと思うが故に、元代表を否定することができなかったのではないか」と、帰依ではなく、愛著(あいじゃく)だったと考えているようである。気になるのは、上祐くんは、自分の位置の示し方として、自分が男性であることを持ってくることが多いことだ。mixiだったかで、他宗教の人と話をできたときの感想でも、その人について「信仰も違う。性別も違う」とかいうようなことを書いていた。性別って生きて行く上でそんなに重要な区別なんだろうか???上祐くんは、一般人のmixiでの質問に対し、確かこのような感じで答えている。「上祐さんを見ると、胸がドキドキします。これは恋でしょうか」「あわれみだと思います」「松田聖子派ですか、中森明菜派ですか」「どちらかというと、同じ久留米市出身の松田聖子さん派でしょうか。彼女は我慢強い人です」「性欲の解消にどうしていますか」「ヨガをします」「大きいおっぱいと小さいおっぱいとどちらがすきですか。ぼくは小さいおっぱいです」「質問の内容上、回答しかねます」みたいな具合。上祐くんにとって、自分の性別が男であるということの肯定の仕方が信仰と直接結びついているのではないだろうか。
2007年04月08日
わからないことがあって検索していると、自然によく来てしまうのがこのサイト。http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/jiken.htmこれ作っている人、何者なんだろう。(右クリックどころか、左ででもコピーできないようになっている。)文がうまいので、長くても読めてしまう。子どものころは、よく拳銃で連続で殺人事件があったが、こういうことだったか、ということがわかる。当時、霊がどうの祟りがどうのという怖い話より怖かった。青酸カリがはいっているかもしれないから、誰が置いたかわからないコーラは飲んじゃいけませんという指導があったなぁ。「ファンタはいいですか」というわざとバカな質問をして怒られた男子もいたのだが。キンキロー事件はリアルタイムでは知らなくてもかなり有名な事件であったが、たぶん若い人はもう知らんだろう。「オーミステイク」と言った人だって、今も生きているとしたら、普通の人生をやって、事実を知らない孫のやさしいおじいちゃんだったりするんだろうか。
2007年04月07日
やまぐちおとやhttp://www.ishiikazumasa.com/reference/otoya/山口二矢の名前は、中学か高校の現代史で習ったような気がするんだが、教師だったか教材だったかは、これで日本の流れが変わってしまったとかいう大げさな取り上げ方だった。母親の父親(二矢の祖父)は村上浪六である。父親の手記、文がうまい。「オンリーワンでオンリーワンスな生命」という表現が大正時代的というのが、興味深い。ナンバーワンじゃなくてオンリーワンとかいうSMAPの流行った歌、作ったのは覚せい剤で一度消えたホモの歌手だったけど、これ読んだのかな。もしかすると、その彼氏の親か祖父あたりが大正時代が青春時代だった人で、よくそんなことばを口にしていたのをきいていた彼氏が、そのホモにもきかせていて、それが歌詞になったんじゃないかなぁとか想像をめぐらしてしまう。リベラルな家庭に育って、なんでああなってしまったんだろう。二矢の玉川学園とか兄の明星学園とか、そういう校風じゃないし。二矢を大東文化大学に入学させた(17歳なのに?)右翼関係者と知り合いだった事務の人は、辞めて自殺したというのが、やっぱりまだ戦後をひきずっているなぁと思った。
2007年04月06日
小5女児から2万円奪う──京都、若い男(4月2日) 1日午後5時ごろ、京都市北区衣笠大祓町のマンション駐輪場で、近くの小学5年の女児(10)が若い男にズボンのポケットに入れていた現金2万円を奪われた。女児にけがはなかった。 男は徒歩で逃走、府警北署は強盗事件として男の行方を追っている。 女児は約1.5キロ離れたスーパー前の路上で、別居中の父親から小遣いをもらって帰宅途中だった。北署は男が女児を尾行していた可能性もあるとみている。 調べでは、男は背が高く、紺色の上着に黒色のズボン姿。女児が自転車を駐輪場に止めた際に無言で接近、大声を上げようとした女児の口を片手で押さえ付け、現金を奪ったという。(共同) この記事を、1日午後5時ごろ、京都市北区衣笠大祓町のマンション駐輪場で、近くの小学5年の女児(10)が若い男のズボンのポケットに入れていた現金2万円を奪われたと間違って読んでしまい、その程度の額でわざわざニュースになるのは、他人のポケットにいれているところが変だからかと思っていたのだが、次のような結果であった。父からもらった2万円、落として慌て小5女児「強盗に…」 京都市北区で1日、小学5年の女児(10)が男に現金2万円を奪われたとされた事件は、女児がうそをついていたことが9日までの京都府警北署の調べで分かった。 調べでは、女児は帰宅途中に別居中の父親からもらった現金を落とし、見つからずに気が動転していたという。よく読みなおしたら「別居中の父」とあった。もし本当に強盗だったとしたらよけいな情報である。事の真相がよくわからなかったにしても、強盗事件としては疑わしいところがあって、それでわざとよけいな情報をいれてあったのかなと気づいた。
2007年04月05日
いまどきの病院は快適である。温度調節も食事も、昔と違ってかなりいい。で、タイトルの意味なのだが、怪我や病気には入院はとてもいい。しかしそれ以外の健康な部分が、入院によって冒される。軽症で入院すると快適すぎてしまい、娑婆でがんばりがきかなくなる。退院後の生活に夢が見られるような条件の悪い病院のほうが、軽度な人にとってはいいのではないか。でも、いまそんな病院はほとんどないからなぁ。
2007年04月04日
その先生のHPは「事情により、一時ホームページを閉鎖しております。再開までしばらくお待ちください。」となっていたが、インターネットアーカイブを使えば、出てくるものもある。業績いっぱいhttp://web.archive.org/web/20030515172636/wwws.hum.ibaraki.ac.jp/~zemi02/nonframe/bridge/worksl.htm趣味いっぱいhttp://web.archive.org/web/20030410111948/wwws.hum.ibaraki.ac.jp/~zemi02/nonframe/deepspace/deepspacel.htmこれだけ読めばまともであるが、前任校のゼミ生紹介を氏名・生年月日・出身高校全部書いてあるのはまずいなぁ。血液型もあるのは、信者なのか。http://web.archive.org/web/20030516162305/wwws.hum.ibaraki.ac.jp/~zemi02/nonframe/crews/zemisyoukail.htm2003年の世界って、そんなにプライバシーに関してゆるかったっけ。音楽がやかましいけど、遊びの掲示板も少しみられる。http://web.archive.org/web/20030801192814/www3.azaq.net/bbs/500/econtrek/やっぱりちょっと変な人かもしれない。
2007年04月03日
なんか問題点の設定の仕方がおかしな記事である。★教育配慮欠き女学生自殺、高崎経済大准教授を懲戒免職 ・群馬県高崎市の市立高崎経済大学(木暮至学長)は9日、「理不尽で教育的配慮を欠いた 留年通告」でゼミで教えている女子学生(20)を自殺に追い込んだとして、経済学部の 准教授(38)を同日付で懲戒免職処分にした。 女子学生は1月15日夜、同県みどり市の川で入水自殺した。大学によると、女子学生は 9月から参加するはずだったゼミに、2006年6月ごろから自主的に参加、8月に高度に 専門的な経済学史のリポートなどの課題を出された。准教授は12月、「1月15日までに 課題を出さないと即留年」という長文のメールを3人のゼミ生に送り、自殺当日は、課題を 出していない2人のうち女子学生だけに催促のメールを送ったという。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070409-00000014-yom-soci これだけでは、理不尽なのは学校である。2ちゃん&wikiの情報http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%B7%AF%E6%95%ACこれが確かなら、別の大きな理由があることが考えられる。きっかけだけを大きくとりあげるのはおかしいだろう。表面的に読んだ人なら、・教員は事前に留年の可能性を言ってはいけない・教員は学生に過大な要求をしてはいけない・今時の子どもは簡単に死ぬから配慮しなければならないとかいう感想が出そう。予想される今後の変化としては、大学が誰かを採用しようとする場合、前任校での素行調査を徹底的にやるようになるだろう。探偵に依頼することもあるだろうし、ネット情報の検索とか、ガセレベルでも追求するはずだ。
2007年04月02日
公職選挙法に詳しくないので、選挙終わってから書くことにする。投票してきました。結果はわかっていますが、参加すると結果をみるのがやや面白くなります。いろんな職業の人がいます。http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/h19tijisen/h19tijisen_kouhosyaitiran.pdf住所があったので、知事の家を探してみました。http://maps.google.co.jp/maps?q=%91%E5%93c%8B%E6%93c%89%80%92%B2%95z1-44-2&hl=ja&sa=N&tab=wl&btnG=%92n%90%7D%82%F0%8C%9F%8D%F5高級住宅街の中でも、大きいほうですね。
2007年04月01日
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