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第二言語習得『外国語習得その学び方100の質問』(1995)水野光晴 研究社出版何回か借りて読んでいる本。借りるたびに誰かの書き込みとか汚れが増えているのが来るのでちょっと気持ち悪い。読みやすいことは読みやすいのだが、専門的な部分の噛み砕きが不足していてやや疲れる。『英語習得の「常識」「非常識」―第二言語習得研究からの検証―』(2004)白畑知彦編 大修館書店非常に明快。UpToDateな感じ。語学習得の俗説をつぶしていこうという内容。項目が細かくわかれ、対応する結論があらためてコンパクトにまとめられているので読みやすい。MLATやPLABのような語学適正試験は、オーディオリンガルメソッドの時代の言語教育観に基づくものだから語学センスを判断できるというのは難しい、というのは言われてみりゃそうだよなぁと思った。臨界期仮説も否定的。英語脳・日本語脳(右脳とか左脳とか)にも否定的。そのとおり、ということをきちんと説明しようとした本。
2007年01月31日
「機械よばわりするなんて、女性に対する侮辱です」ということで問題にしているが、そういうレベルのことではない。野党が嬉々として、揚げ足とりをしようとしているのでつまらん。次の選挙のためにという与党も、このレベルであるということにしておきたいらしい。厚生労働大臣の言い分からすると、「産めない人はしょうがないから、産める人に複数生んでもらうしかないですね」という話を噛み砕いて説明しようとしたらしいのだが、女性の意志だけで子供の増減が決まっているだろうと考えているところが甘い。少子化とかいっているけれど、根源的な問題は「子供を生む機械」に「子供を生む機会」がないことである。おっさんは、自分にも再び若い女があてがわれる機会さえあれば、子供を増やしてやることくらい簡単だぜ、と考えているのだろうが、「男は上原謙やファンファンのように、機会さえあれば何歳でも現役で子供くらい作れる」と信じてしまいがちだが、そんなのは稀だ。むしろ、そういう機会に恵まれるような魅力なり経済力なりのある男性が少ないから、子供は増えないのではないか。女性だって、65歳で双子を初産する人がいるのだから、技術と金さえあれば年齢は問題ではない。旧来の常識を保とうとする限り、金が足りないから、機会がないのである。人口減少の打開策は、「移民の緩和」とか「一夫一婦制度の解体」とか「中絶の廃止&養子制度の緩和」だろう。インドやアフリカや中国で余っている人に来てもらいましょう。父親が誰であるかはあいまいにしておいて、みんなでお金を出し合って育てましょう。育てられない子供でもとりあえず生んでおいて、育てたい意志のある人には年齢制限とか収入制限とか虐待するんじゃないだろうかと疑いの目でかかるような審査とかしないで、簡単に子供をもらえるようにしましょう。これで人口は増加する。しかし、いずれも、今までの平和が壊された不安に陥った状態を経なければならんだろうから、ありえへん。どうやったって変わるわけはないのだから、少ない人口で、そこそこの生活をしていけるように考えたほうがいいと思うのだが。ただ、現在の常識を保ちつつという中での、地味な解決法としては、いま独身である男性たちを意識改造し、婚姻数を増やすことである。生物のオスとして「あとひとつ」(またはふたつ)魅力が足りないだけのレベルの男性をなんとかすれば、もう少しだけどうにかなるだろう。1.29が1.5になる程度には変わると思う。魅力を増やす方法は、無駄なプライドを捨てさせて、別のプライドを与えること。だと思うのだが。
2007年01月30日
返却期限ぎりぎりで読む。『勘違いの日本語』(2000)日本語学研究所編 PHP日本語力測定試験の人たちが書いているらしい。世の中の人が「間違えやすい日本語」としているものがあがっているのだが、本当にそんなに頻繁に間違われることがあるんだろうか、と疑いたくなるような誤用例ばかりだった。大学生じゃあるまいし、いい大人だったら、普通、めったに使わないよく知らない語は避けて使わないもんではないのか。この本で初めて知った単語は「長広舌」「蘭摧玉折」。測定試験には、出題しても意味がないものが出ているということがわかった。『日本語“どうして”Q&A』(平成18年)中村幸弘 右文書院表題のわりにまともな内容。文献をちゃんと調べて回答。書き方もいやらしくない。(みんな間違っているけれど、正しいものはこれですと断定して、無知を嘲笑うタイプではない)Qは、普通に暮らしていて、それほど疑問に思うほどのものでもないような地味なものがほとんど。・「蒲公英」は外来語でなく和語であるのに、どうして「ん」や「ぽ」という発音なのか。・「大祓え」というように「祓え」といっているのに、どうして「お祓い」ともいうのか。・伊勢神宮の「五十鈴川」の「五十」はどうして「い」とよむのか。しかし妙に偏っているなぁと思ったら、やはり国学院系の方だった。出版年も西暦でない。「~ことになりましょう。」「~てくれましょう。」で結ぶ文体。
2007年01月29日
図書館に返却しなくちゃいけない本をあわてて読む。『日本語先生奮闘記―中国で思う外国語教育のあり方』(1993)大修館書店昭和一桁のじいさんが、58歳ごろに湖南省のほうでニホンゴを教えている話。本当に93年に出版されたもんなのだろうか?と思うくらい古い。日本の英語教育批判にしても、日本語教育のやり方にしても、「昭和?」という感じ。まあじいさんだから仕方ないけど。批判の内容が全部自分のやっていることと全く該当することに気づいていないのがすごい。主義主張が、まるで一貫していないところもあっぱれだ。日本では英語をやって仕事にしてきたというわりに、疑問に思うところがずれまくっているし、勘の鈍いこと。それでも的外れであることにも気づかず、適当に自分なりに結論が作れて納得しているところも、プロの仕事を書いた本ではなかなかお目にかかれないものだ。女房のこきおろしっぷりも、ああ昭和ひとけただなぁという感慨がある。ある意味、もう出ない本であろう。なんでこんなの借りたのかなぁ。
2007年01月28日
アインシュタインの眼という番組の宣伝番組をみた。内容は、毎回ばらばら。http://www.nhk.or.jp/ugoku/newprogram/program_bshi_02.htmlためしてガッテンとか、NHKの自然番組・音楽番組・スポーツ番組・料理番組などで、すでにやっていたようなことを、再度「うちのすばらしいテレビカメラの技術を使って」放送してみました、という持ち物自慢の番組だ、ということがわかった。アインシュタインの眼というより、カメラの眼?「がんばってるんです」とはっきり口でいうことが、がんばっていることをあらわすと勘違いしているんじゃないかなぁ。それより、持ち物自慢はスネ夫みたいなもんで、別にそれが何か?という感じなんですが。プラネットアースと同じような「がっかり」
2007年01月27日
ノートパソコンのときは気がつかなかったけど、デスクトップが使えるということは体を起こせるということ。これが難しい。しかし困難があると、工夫も生まれるものだ。携帯電話であちこちみる方法を覚えてしまった。パケ代、かかっとるだろうなぁ。
2007年01月26日
こんなひどい風邪をひいたのは久しぶりだ。しかも出先で悪化。・・・・最悪。1日目:水が受け付けられない2日目:砂糖水しかなめられず3日目:ジュース類4日目:プリン、いちご、おかゆというところまできた。不思議なことに体重が減らない。体脂肪はこれまでにみたことのない数値まで増えている(泣)顔もそうだが体がむくんでいるのだ。体、循環してくれー。
2007年01月25日
ラジオ第1・ラジオほっとタイム午後5時台「いきいきホットライン」 1月22日(月)~26日(金)は、「子どもの“学びの場”はどこですか?」と題してお送りします。 学校教育をどう立て直すのか関心が集まっていますが、子どもの教育の場は学校だけではありません。「学校のスリム化」が進むなかで、今、地域の「学びの場」はどうなっているのでしょうか?ということで、聴いた番組は「スポーツに何を期待しますか?」というテーマ。◎ あなたは子どもにどんなスポーツをさせていますか?◎ 柔道や剣道の道場とスポーツ教室はどう違うと思いますか?◎ スポーツや武道を通じて子どもに身につけさせたいものは何ですか?松原隆一郎という東大の先生がゲスト武道は、世の中が勝ち負けがあるんだよということを教えることができる。暴力を正当化したもの。負けたものがいるから勝てるということ、精神を教えるもの、等々いろいろお話があった。この番組は、はっきりいって、どういうわけか毎度ゲストがくそなのだが、今回だけは、ちょっと好感のもてるタイプのせんせいであった。
2007年01月24日
アメリカのは一般教書演説日本のは施政方針演説というということを今年はじめて知った。たぶんこの職業でこういう語彙を知らないというのは、かなりアホに見られる可能性もある。もちろん、アメリカで「いぱーんきょしょえんぜつぅ」などと発音されているわけはないので、英語はState of the Union Addressというそうだ。国の現状 (State of the Union) のaddress(正式なあいさつ、演説)演説はspeachとは限らんのだな。なんで教書と訳すのだろう。いつから?誰が訳語を作ったの?今度、ちゃんと調べておこう。
2007年01月23日
そのまんま氏とはいわれなんだ。東氏または東さんだったけど本名を使うとか。少女インコーで一時干されていたひとだというのに、大学へ通って勉強したりしているうちに、どういうわけか県知事になってしまった。不法な行為はしていないものの、たいへん下品なことばかり書いていたナルシストたなかやすおよりはましな感じがするのは、どういうことなのか。選挙戦の様子をテレビでやっていた。東こくばるさんは「~とです。」ということばだけでなく、アクセントからしっかり戻してあった。いや、戻っていたというべきか。(議会でも方言を使うようにしたほうがよかと。)たなかやすおは、ことばがダメであった。生粋の東京人よりも、わざわざいやらしい都会っぽさがハナにつく話し方をする。なのにその似非っぽさに気がつかない長野県の田舎ものが、まにうけちゃって名刺まるめて全国放送で大恥さらしたりしていたけどね。東こくばる知事の場合、今後あせって弁解している姿をニュースでみられそう。マスコミはあげあしとろうとこしたんたん。
2007年01月22日
いろいろとおわりにちかづくと、アンケートなるものが「すること」が義務付けられていて、(されるほうは義務ではない)かいてもらうと、そこにでてくることばが、「りラックスできてよかったです」というのがいくつもあって、しょうしょうかんがえた。フツーはこういうばあいにあまりかかねーのだろうな、こういうことは。とおまわしの嫌味なのか、やつらなりにほめことばのつもりなのか。じつはいやし系?いやしい系かもしれん。いやらしい系でなければいいか。とおまわしの嫌味といえば、日頃からあまり率直にものを言わないえらい人がいて、今度もまた「ねー、そこのへやだけどうして、休み時間もナニナニを、だしっぱなしにするのかなぁ」と言ってきた。ナニナニは3000円程度で買えそうな機器。これは、「15分の休み時間は道具をかたづけなければならないのに、出しっぱなしにするな」という意味だということは、ごよーろん的によくわかってるんだが、その道具を休み時間毎にかたづけろという決まりは今までなかったのだし、(どうせ理由をきけば盗難にあったらどうするんだとかいいだすにきまっているようなこともわかるのだが)そんな「突然ルール」のくせに、それに該当しない場合には理由が必要かのような、さも昔から決まっているかのようにいわれると、いやなものをかぎとってしまって、どうもかたくなになりたくなってしまって、「ああ、今日は2じかんめにつかおうとおもって。今日の1じかんめはなになにとこれこれをやって」とか関係ない話を続けてしまい、「てゆーか、そういうことじゃなくて!」とかいらいらさせてしまうのだが、こっちもいちどはじめたさっしがわるいんですキャラがおさまりつかなくなるもんだから、今日のもともとの予定と急に変更したこととか、まーるで関係のない話をした上で、「あー。そうか。いつものがこわれちゃったみたいなんで、こっちをかりたんですが、あ、もしかしてきょうこっちのほうをおつかいのよていでした?すみません」とあえてずれまくったことをわかっているのだがきいてみたり、あやまるにはあやまるんだが見当違いのところであやまってみせたりして、ますますじわじわと怒らせたりしてみた。「いわれなくてもわかるよね」という言い方には、「はい、わかりました」しか答えがない。それ以外だと、「いわれていないからわかりません」と答えてしまっても、それはもうわかっていることになるので、そもそもいわれていないから気がつかない、という態度ですすめていくしかない。えらい人は、まっこうからわかりやすくたてつけばもちろんすぐ気がつくので、そうなればきっと、そういう態度はどうかというような話になってしまうので、それならあたまのわるい人と思われたほうがいい。これが最初の嫌味の段階で、そっこうで「すみませんでした」といえるようなれいぎただしい人のことは、とことんつかいたおそうとして、そういう良い人といわれる人は、それでほんとうにからだをこわしてつかえていたりするので、それなら無礼な人とおもわれることのほうが当面困ることはすくないため、もうこれでいいやとおもったりする。上下関係をはっきりさせたいが「怒ったほうが負け」ということもわかっている人は、いらいらさせられると、上下だろうがなんだろうかそもそもあまり関係を持ちたくない、と遠ざけてくれるんじゃないかとちょっと期待。それでほされたらどうするんだ、というような重要ないちにないので、できるわざ。どうせなら、「やだ、ちょっと。これかたづけてよー」とストレートにいってくれるひとのほうが、らくである。が、そんなすとれーとにいうことは、そのえらいひとはしたくないのだろう。「なんで?」とかえされるほうにはなりたくないのだ。(だから先に「なんで」といってくるのだ。)「たった15分の休み時間かもしれないけど、その間にだしっぱなしにしていた機器が盗まれて、大騒ぎになってしまうところを想像してしまって不安になるので、毎回片付けるようにして」と言え。個人の感情を理由にすることのほうが、理不尽におもえない。むしろそんなことで不安になってしまうような人のためなら、喜んで片付けてやりたくなる。やっかいな性格でかわいそうにねぇ、と理解できる。でも個人の感情とは思っとらんのだろうからそれはないわな。自分の考えは一般的な考えだとしてかんがえているのだから。
2007年01月21日
せんせいが、お~になる。という敬語をやった。そのあとの作文。わたしはしゅくだいがすきです。しゅくだいがすきのりゆうは、わたしがしゅくだいをします。せいせいがおチェックになりますから、ぜんぶまちがえたところがわかります。そして、もういちどべんきょうしますから、おぼえやすいです。「チェックしてくださいますから」かな。
2007年01月20日
雪崩警報!!・・・ああ遅かった。メモがどこかにいってしまった。やはりレシートの裏を使うべきではなかった。なんのメモだったか思い出せない数字の羅列メモを発見。これじゃあないんだよなぁ。
2007年01月19日
♪春休み~長~い春休み中に、やってみたいこと・水泳・ピアノ・片付けって、20数年前に戻るだけじゃん。・・・しかもどれもいやいややっていたものばかり。
2007年01月18日
週刊朝日という雑誌は、どこを読んでもいらいらする雑誌である。合わん。「かもしれない」「みたいだ」「まるで~かのようだ」という文体が、本体の新聞とそっくりで、文を増やしていても中身が増えていない記事ばかり。今週のネタは教育についてだが、「おまえが教育を語れる立場かよ」というような面々に、いいっぱなしにさせている。反権力というスタイルのつもりなんだろうが、奇を衒っていりゃ正しいわけじゃないだろう。どこかで書かれていることを、まとめて書き直してみました~。答えは決まっているので、それに沿ってわかりやすく説明しますね~。みなさんの求めていることにあわせたものを事実として紹介してみます~。という「お勉強好き」が自分が優秀だと勘違いしているような、そういう変な感じ。根拠は「みんながそう言っているから」では、公平でも正確でもないだろう。
2007年01月17日
「ブログ検索」っていうのをはじめて使ってみた。検索語に“不二家”とだけいれると、・不二家はひどい・大好きな不二家製品が食べられないのが悲しい・なくなる前に不二家製品を買い占めてきたという話題ばかりになるが、“不二家”“報道”と絞り込むと、報道の偏向っぷりを疑わしくみるブログにいくつもヒットする。しかも「(基準を破ったということは)決して許されるわけではないが」という断りが必ずといっていいほど書いてある。結局、飴玉とかクッキー類も含めて、小売店では商品を置かないことになった。スーパーへ行くと、納豆のコーナーと同様にカラの段があったりする。「安全性が確認できるまでは」という断り書きとともに。物が流通していないのならともかく、そんなの消費者の意思に任せて並べておけばいいのに、そうはできないのは、「正しさを信じるお客様の苦情」が怖いからだ。「あの有名なニュースを見ていないんですか」「こんなものを並べておいて、もし間違って買う人がいたらどう責任をとるんですか」というようなたぐいのものが、発生しそう(or既に発生したこと)は容易に想像できる。同業他社で「撤退させた」といったなら、同調せざるをえない。・・・おまえが買わなければいいだけじゃないかと思うのだが、「正しいことはみんなで守っていかなくちゃね」というおせっかいも、正しい行動だとして肯定されなければならないので、こうした流れができてしまうのである。これっていじめの構造と同じではないだろうか。某新聞では、元旦のトップ記事からいじめの特集を組んで連載しているのだが、いじめが成り立つ背景をドラえもんになぞらえている。加害者のジャイアンと被害者ののび太だけでいじめが成立するのではなく、どちらについたら得かという判断で動くスネ夫と、何もせず傍観しているだけのしずかちゃんが、いじめに加担しているのだということを言っている。(たしか富山大のドラえもん学の人の話)ジャイアンが悪い、となぜいえないのか。強いものは、それだけで正しいからである。だから報道は正しいのである。嘘をいっているわけではないので「報道がおかしい」という方向での報道ができないので、ますます「正しさ」を味方に勢いづいている。ここは厚生労働省が「問題なし」というべきではないか。企業を守るためではない。大衆に求められている解答を出せば、世の中に対する不信感ばかりが増えるからだ。実際、ゴム長靴でふんづけられ鼻水のついた手で切り刻まれたような輸入野菜の流通を容認しているのだから、「(管理責任があるから)確認できたこと」だけを裁くのはおかしい。こんなバランスの悪い「清潔感」の上で、「食の安全」とか「信頼」とか言っても意味がないだろう。不二家のない地域で育ったため、あのケーキがどれほど大衆にとって郷愁を帯びたおいしいものとして記憶されているかが実感できないのだが、結局はこれが一応「権威」だからこんなことにまでなっている、としかいいようがない。・同族会社なのが気に入らない。・パートの待遇が悪いのが気に入らない。・知名度が高いのが気に入らない。本当の原因はこんなところだろう。あるいは株価をどん底に落としておいてから、買い占めてやろうとしている大きな勢力があるとか、そういう裏事情があるんじゃないか。
2007年01月16日
12年前の食中毒を公表しなかったということで責められておる。12年前といったら、オウムとか阪神淡路大震災の年で、まだ日本人の善悪の判断が大きく変わる直前である。バブルがはじけてすぐは、まだ日本人は楽天的だった。日本人が日本に自信を失い、「わるいものは悪い」と大きな声で言い出し、不信感を不信感として認めてもらえる機会が増えたのは、95年以降だ。それまでは「もしかすると被害者は自分だったかもしれない」という、たらればで危機を想像する力は、あまり一般的に強くなかったはずだ。時代背景が違う問題まで掘り起こして持ち出すのはおかしいだろう。かばうわけではないが、保身のためであろうと隠蔽してしまえば、いたずらに無関係な人にまで不安を増やすことにはならない。そういうことで「平和」が保たれてきたのだ。「寝た子を起こすな」ということだ。寝たきりにさせておくことは良いことではないが、要するに加害者と被害者の間で、謝罪や保障によってケリがついていることなら、何もあとになってから被害と関係ない人たちがどうこう言わなくてもいいではないか。被害者に対して、「そんな事実はない」ということで押し通したのなら、おおいに問題があるが、そういうわけではないのだから、この蒸し返しはおかしい。厚生省が立ち入り検査をするという。単に社内基準を満たしていないことは法律上問題はないのだから、実際にそれで問題がなかったかどうかということをチェックするらしい。「問題がない」という結果になったらどうするのだろう。問題がないと言ってしまった厚生省の問題を暴こうとするに違いない。不二家との癒着があるはずだ、ということになるのだから。そうなれば、今は不二家だけがやりだまにあがっているが、他社だって似たり寄ったりのいいかげんなところがひとつやふたつは見つかるはずだ。不二家ごときに、パティシエが作るケーキのようなクオリティを求めるほうがおかしいと思うのだが、現状では、誰でもいいから悪と呼べるものを糾弾してスッキリしたい、ということが目的になっているようで、魔女裁判じみた狂気を感じる。
2007年01月15日
何がどう悪いのかさっぱりわからん。だいたいそもそも誰がちくったんだか。韓国人で「卵の賞味期限は半年でした」というのがおるくらいだ。そこまですごくないにしても、1日2日過ぎたことが、どれほどの「裏切り行為」なのか、商品をすべて撤退させるほどのことなのか。雪印と同罪だというのか?誰も被害が出ていないというのに。会見で逆切れしたわけでもないのに。「ねずみ五十匹」ばかり繰り返し報道しているが、一時期そういうことがあったのを、解決したと続く。焦点がぼやけてきたせいか、「パートのせいにする正社員」が問題視され。誰がなんのためにこういう事件に仕立てているのかわからない。
2007年01月14日
記事はこんな具合坊さん受難 ―袋だたきうけ16万円奪わる―十二日夜八時ごろ、町田市小山町の住職桂俊道さん(五一)が立川市曙町を歩いていたところ、労務者風の四人組が「いっしょに飲もう」と呼びとめ、道路わきの駐車場にひきずりこんで腹をなぐり、背広のポケットから十五万六千円を奪って逃げた、と立川署に届けた。これだけでおしまいの記事。現代の新聞記事ではありえない記事だ。「坊さん」といってしまうことで、ステレオタイプ的なイメージがわく。背広着て、飲みに誘われるような坊主である。ポケットには、何に使う金か知らんが、いまの100万円くらいな価値の札が無造作に入っている。労務者風のならずものに目を付けられて当然であり、このような目にあうのは坊主だからである。・・・という感じに受け止められるではないか。あなたも被害者と同じめにあうかもしれないと心配する視点は全くない。ところが、そんな書き方をしているというのに、こういう記事を読んで嗤える立場にある人間と、そうでないものとに分けて考えられているところがあって、特に女子供は正面から他者を嗤ったら不謹慎だと禁じられていたと思う。で、いまの世の中は、その教育の甲斐あって、女子供が大きくなってもやっぱり嗤ってはいけないということになって、じゃあどうするかというと、他人事ではないと同情しようということになっているのである。
2007年01月13日
室内ラジコン。http://www.takaratomy.co.jp/products/aero_soarer/対象年齢15歳以上の玩具。それ未満の年齢だと壊してしまいそうだということだ。難しい。うまく飛ばないので、いらいらする。
2007年01月12日
違う。何が違うって、視点の置き方だ。読んだのは朝日新聞なんだけど、「都会人に7つの現代病」というタイトルの記事なんだが、まるで週刊現代みたいなノリ。マンション病高級マンションに住む若婦人のクビが曲がってきた。家族の出勤後、だれも話す人がいない。地階のスーパーに買物に行っても、井戸端会議をするような空気がない。心臓がドキドキするう。不安になる。人がみんな自分の悪口をいっているように見える。団地の主婦にもこのような心臓不安神経症がきわめて多い。マンションを孤独病といいかえるなら、それは単調な作業にあけくれる大工場の労働者にもある。首都圏のある家電向上女子作業員に最近五十人の腰痛患者がでた。孤独な単行作業への欲求不満、ホームシック…。オウム病世間のパターンを追いたい。人真似をしたい。「この気持が、日本人に特殊のストレスを作って、心身症の大きな原因になっている」とヘルスデザイナーの田多井氏は指摘する。これもマンションに住む若い主婦の話だが、隣家のデラックスな暮しに負けまいと、必死になったあげくに、結局鬱(うつ)病になってしまった。「いまのゴルフ、ありゃストレスのモトですよ。猫も杓子も満員のコースでクラブをふる。うまくなろうとする。あれじゃもう苦しみじゃないの」(銀座内科藤井氏)SEX病心臓がドキドキする。、体がかゆいと訴える婦人がごのごろずいぶん病院にくる。よく調べると、週刊誌などにハンランするSEX記事が原因、まるでオリンピックのように記録本位の記事を真に受け、欲求不満がつのり身体にいろいろの現象が出る。これも一種の現代情報病か。鬱に読み方がふってあるところからして、現代とはまったく違う。このほか、「成功病」「自動車病」「情報病」「テレビ病」があるんだけど、因果関係をあまりに単純にひとつに絞込み過ぎていることと、おかしくなってしまった人を嗤うような冷ややかな視点で終始している。(しかも、一貫して男目線である。)よく、「最近、世の中がおかしくなってきた」というが、そうではない。おかしくなっていることを、傍観者としてではなく、自分のことのように痛みとして表現するようになっただけだ。そう表現しなければ、にんぴにんと思われるようになってきた世の中に変化したといえる。
2007年01月11日
母校の学食で昼ごはんを食べた。ずうずうしくも教職員食堂に入ってみた。机といすが昔の食堂っぽくて、テーブルに紙ナプキンとドレッシングがおいてある。観葉植物みたいなのもあったかもしれん。チゲだったんだけど、これがうまい。かなり本物っぽかったんだけど、うちで作るのとどこが違うのかなぁと考えて、わかったのは、あさりをいれていることだ。キムチとあさりと豚肉。これがチゲの基本。メニューは「ちげなべ」と書いてあった。ケトル薬缶でお茶を沸かしたり、スプーンさじですくったりするようなもんである。ノート帳面にペンシル鉛筆で書き込んで、ブック本を読んだらいいではないか。でも、そうやって考えると「湯のみ茶碗」って変だよな。子供の頃、「お茶碗はお茶じゃなくて、ごはんをいれるのに、お茶碗というのはなんで?」と聞いた子がいて、それの答えとして「ごはんのあとにお茶をいれて飲んでいたから。昔の人は米粒ひとつでも無駄にしなかったということだね」というオトナがいて、子供心に、これはなんともうそ臭いこじつけっぽい話だなぁと思った。いつから飯椀を茶碗というようになったんだろうね。今度ニッコクでしらべておくか。しかし教職員食堂。利用者は少ない。えらくぱりっとしたスーツを着て座っている人をみてぎょっとした。学長だ。学長、こんなところで昼めし食っていらっしゃったのですか。(学長から見えない位置に座りなおしたのは言うまでもない。)なんか会議の打ち合わせみたいなことも話している。こりゃー専任は気詰まりだから来んわなぁ。学長とあっちゃうような食堂じゃあねぇ。
2007年01月10日
わー。本当にあったよ。「ふれあい新春シャンソンショー」 歌手…ク ミ コ 俳優…山谷 初男 フランス音楽評論家…永瀧 達治ふれあいラジオパーティーチャンネル :ラジオ第1 放送日 :2007年 1月 9日(火) 放送時間 :午後8:05~午後8:55(50分) ジャンル :- http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2007-01-09&ch=05&eid=14472
2007年01月09日
米がないと、おかずを作る気になれないので、ろくな夕飯にならない。<今日>主食:鳥だんごの肉うどん。(半値半製品+乾麺)副菜:チーズサラダ:はがして半分になったレタスデザート:みかん<昨日>主食:高菜ピラフ(冷凍)副菜:鯛のほぐし身(瓶詰め)椀:永谷園サラダ:アボカドデザート:レモン汁<一昨日>主食:ごまそうめん(乾麺)副菜:水餃子(冷凍)椀:昨日の味噌汁サラダ:キャベツの千切り<一昨昨日>主食:餅副菜:さばの味噌煮(お惣菜)椀:味噌汁サラダ:茹でブロッコリーあ、いまのところ今年食べたもの、全部順番に思い出せる。続けたら苦しくなるので、明日から忘れよう。それにはやはり、米を買って、平凡な献立にしよう。
2007年01月08日
もう本棚が限界・・・。
2007年01月07日
間違えてテンプレートに上書保存してしまい、wordが開くたびに同じ書きかけの文書が開いてしまうようになってしまった。しかも、教育の抱負なんちゃらかんちゃらいう内容で、先日期限ぎりぎりにむりやりだしたもので、読み返すのが難しいようなへたくそ文章。文章指導なんてできるわけねーじゃん、というのが露見しているようなものなんで、開くたびに鬱になる。「ctrl+A」削除でいちいち消して書いていたのだが、何を書くにもやる気がそげてから書くのがいやになってしまったので、どうにかこうにかそのテンプレートのありかを探し当てて、元に戻せた。ああよかった、というだけの話。漢文をやっている人が同名タイトルの2つの本を見せてくれて、「どこが違うと思う?」と聞くので、A 繁体字 縦書 昔の活字B 簡体字 横書 ワープロ活字という明らかな違いを言ってみたら、「そんな表面的なことではなくて」というので、わからなくて降参したら、「句読点の有無」というのが答えだった。句読点のない漢文というのは、どっから手を付けていいんだかさっぱりわからず難解である。で、そんな漢文を入力している人の校正を手伝った。みたこともない漢字がいっぱいあった。「にはたづみ」とよむものがあった。潦。大漢和でひいたら「にわたづみ」意味は「みずたまり」なんだけど、庭の水っつーことで、語構成はわりとそのまんま。検索したら、けっこう出てくる。しみじみと、よいことばですねぇというような系統の紹介として。酒の名前にあった。姓もあるみたいだ。http://www.zeus-ec.net/special/sake/kouchi/yuko/jyunmaiginjyou_01.htmlIMEパッドで手書き入力して探すのだが、全部書いてしまうと該当しないことも多いので、途中まで書いて候補から探すと早い。IMEで出てきた漢字は、カーソルをあてると音読みと訓読みが出てくる。しかし、その読みを入力したところで、変換してくれないものもあるので、熟語で出したり、部首や画数で探したり、ややこしい。漢和辞典だと「4画」となるりっしんべんも、したごころと分かれて、「小」のところにあるとか、くさかんむりも「3画」になるとか、ちょっと勝手が違うけど、旧字体を知らないものには、いくぶん合理的だと感じられる(両方から検索できたらなおよいのだが)。そんなこんなで一日が終わった。
2007年01月06日
一週間ぶりの我が家は・・・他人の家のようにきれいに片付いていて驚いた。冷蔵庫が空の段ができていて、ぴかぴかに拭いてあった。
2007年01月05日
すごく不安になった。ネットがなく、モニターもない生活というのは、漂流民になったような気分であった。おおげさだけど。携帯の電池は死にかけ。無料サービスの電話の電池は年明けに届いた。他社に行かれたら困るんで、そういうサービスをしているということらしい。
2007年01月04日
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