・・・

・・・

2006年02月11日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
お世継ぎ問題もあいまって、各紙建国記念日についてあれこれ語っていそうだ。
わざわざコンビニにいって新聞を買ってきたというのに、まるで話題になっていない。今日の夕刊がない理由に載っているだけだな。
国威発揚の場である鶏のオリンピックがあるので、日の丸はダメとか言ってられないのだろうか。一貫性がないなあ。

建国の意味を問い、イザナギ・イザナミが作った島ではない北海道や沖縄だって、併合された歴史があるという見方から話題にしてみろよ~と思うのだけど、朝日新聞の社説は、
「かつて日本は朝鮮半島や台湾を植民地支配をした。だがそれは必ずしも悪いことではなかった。麻生大臣はそう言いたくて仕方がないかのようだ。」
という切り出しだが、建国問題とは絡めていない。

「かのようだ」と言われても、あまり説得力はないと思うのだが、読み手が文体をあまり意識していないと「そう言った」と記憶に残してしまいそうだ。でも、そんな麻生さんなら「植民地支配」なんて言葉使わないでしょ。

しかし、あの時代をいつのまにか植民地支配というわかりやすい言葉を使っていることが多いが、当時公的に使っていた「併合」という言葉の方がもっとえげつない。
例えるなら、「ストーカー」という言葉がなかった時代でのその被害を、「熱烈な片思い」といった方が、当時の出口の無い不気味さ悲惨さが増すだろうに。



ところで、ごかいにんの問題は、あちこちで話題になっているが、ちょっとイマドキ珍しい視点で語られているブログがあった。
(右クリックできないようにしてあったので、ページのソースを開いてカット&ペースト)


子供が出来にくい体質=男の子ができにくい体質 であったりもするんで。
<中略>
意地悪な発想かも知れませんが、これで紀子さまに男の子ができたりしたら、何だか結構、‘長男の嫁’(しかも将来の天皇陛下の妻)としての雅子さまの面目丸つぶれって感じですよね・・・。
愛子さまが民間に嫁がれたら、雅子さまは皇居内に自分達の子供は一人もいないって人生が待っている訳で・・・。
ん~・・・、複雑ですよね。
最近、男の子二人っていうママを見ていると、(余りにもお嫁さんが強い社会事情を背景に考えて)『男の子ばっかって、子育て大変な割には将来報われないわよねぇ~・・・。』って、ちょっと同情してしまいます。
が・・・・、皇室では全くこれと逆の発想なんですからね・・・。


一応、この方のいうとおりに従うと、
高齢になると妊娠自体が難しくなるということはよく聞きますが、高齢になると男児ができにくくなるという常識が一部の世間にあることを知りませんでした。
そういえば、昭和50年代に、
「男のきょうだいのいない女子は“女腹”が遺伝していることがあるので、男子は自分の配偶者として相応しいかどうか、その点も結婚するときに考えたほうがいい」
と、小学校5・6年の担任(当時44歳のハゲ・2男の父)が教室で言っていたのを思い出しました。
跡継ぎの必要な家で、次男の嫁が男児を生めば、長男の嫁は不当な任務から解放されて良いんではないかと思っていたのですが、これを「面目丸つぶれ」という評価を持っている人があるということに驚きました。
となります。

まるで『嫁と姑サスペンス』とか『家庭ミステリー』なんかに出てくる姑のような感じなのですが、これが37歳くらいの女性のブログです。
彼女は1男1女の母。


この人のような世の中の見え方ができたら、すごく気持ちがいいでしょう。

何も考えないで、「好きなものは好き」と言っている善良な天使とは少々違って、「いろいろ考えている自分」が好きな人です。
自分の現状に沿った価値観で語られた情報だけを積極的に取り入れていき、また公平な視点で書かれた情報すら自分にあった形で補正して取り入れていくので、自分の価値判断は「ちゃんとした世の中」でも裏づけされた正しいものだという自信に満ち溢れています。
論理自体の整合性は必要ありません。自分の状況という結果にさえ結びついていれば、それは論理的だという判断になります。
単語レベルでも、定型の誤字や、単語の意味を誤解しているところが、ふんだんにあるところからも、彼女の世界観が伺えます。


全体にこんな調子なので、他人と関わる日常生活でも、時々真っ向から否定されることが多いようで、そんなエピソードも散りばめられているのですが、「なぜ客の要求どおりにできないのですか」とか「それはあなたの勝手ですから」とか「迷惑です」とか「私がうらやましくてひがんでいるんでしょう」とばっさり切り捨てます。
相手は、どうやっても話がかみあわない相手と戦っても仕方がないので、関わることをやめます。
そんなことを繰り返しては、戦っても負けない、はっきりと物が言える、そんな「強い」自分をまた誇りに思っています。

ただ、他人の価値観にあまり左右されないのはいいのですが、男の子2人のママにひそかに「同情」しているところもなんかもそうですが、時々幼稚園ママなど他人に会ったときには「最近は引け目を感じなくなった」とか「平気だ」とか書いたり、ご近所の人に奇想天外なファッションに驚きをこめたコメントを言われたりすると、もってまわったイヤミだとピリピリ反応したりしているので、自分にとって無意味であるはずの世間に無反応でいることはできず、自分とあわない世間には過剰に反応して、積極的に否定することで何とか生きている、ということがわかります。
他人と張り合おうとするということは、同時に幸せな自分を他人からもうらやましがられたい、という気持ちを持っているということなので、そこがややこしい人という印象を高めます。

選択できる人間関係だというのに、夫婦や恋人という単位だと不可解な関係が時々あるのですが、彼女の例をみて、なぜそういう組み合わせができてしまうのかがわかりました。
ちょっと姑や友達として関係を築きたくないタイプなのですが、こういうわかりやすい女性を妻にしたら、幸せな人生が過ごせるだろうと考える男性は多くいると思います。
お互いに賛美しあって、二人だけの雑音のない世界を築き、しんどい現実から逃避できるのですから。

はっきりと物を言うことでは、彼女と似たようなところがあると思うのですが、彼女の様な自己肯定感がもてないところが根本的に違うところです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006年02月11日 16時35分52秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Keyword Search

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: