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楽しみにしていた映画ダ・ヴィンチ・コードを観てきました。 率直に言って、「期待はずれ」でした。 短い(といっても2時間半と一般的な映画より長い)中にあのストーリー全体を入れているため、無理やり詰め込んだ感じがする。シーンがあっちこっちに飛ぶので、観ていて本当に分かりにくい。本を読まずに映画を観ると、ストーリーの面白さ、奥深さが全く分からないと思う。謎解きをしながら、聖杯というゴールに一歩ずつ近づいていくワクワク感を伝える表現になっていない。実際、一緒に見に行った娘は「何だかよく分からなかった」とつまらなかった、という顔をしていた。そりゃそうだ、って感じ。 世間一般での評判も悪いようだが、納得した。 ただし、本を読んだ人にとってはあのExcitingなストーリーが映像となって再現されるので、面白いと思う。本を読まずに見に行く人には、最初の部分だけでも良いから本を読んだ上で観に行かれることをお勧めする。本屋さんでの立ち読みでも構わないと思う。予備知識ゼロと「1」では大きく違うと思う。
May 23, 2006
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ついに!今日、映画「ダ・ヴィンチ・コード」の上映が始まった。初日から映画館は長蛇の列のようだ。私も早く見に行きたい!でも混んでるだろうなぁ。 「トム・ハンクス」が主演というのもたまらない。彼の映画を多く観たが、彼の演技は絶妙で本当に素晴らしいと思う。今回は、謎を解き明かす学者の役(主役)だが、間違いなく見事に演じてくれていることだろう。 世界各地ではこの映画に対する抗議行動が起こっているようだ。改めて政治や宗教をテーマとして扱うことの難しさを痛感する。アカデミー賞監督であるロン・ハワードは、TV(CNN)インタビューで「フィクション映画であり、宗教的理由で反対する人は無視して見なければ良い」と話していたが、キリスト教にとってはそんな簡単な話ではないのだろう。 数日前、「ダ・ヴィンチ・コード」(ダンブラウン著)の上、中、下を読み終えたが、やはり最後までワクワクする面白い本だった。読んでいながら常に「先を知りたい。次はどの謎が解かれるの?」と感じていた。ワクワク・ドキドキが続くので、短時間で読了した読者が多いのではないだろうか。 映画が始まり、今も書店には一番目立つ場所に並んでいるので、もしまだ読まていない方がおられるなら、強くお勧めする。
May 20, 2006
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「ザスーラ」をDVDで観た。 これは、1995年に公開され大ヒットした「ジュマンジ」のリバイバル版のような感じのSFアドベンチャーで、発生する各種の受難の舞台が宇宙に代わっただけという感じ。ストーリーはほとんど同じ。ジュマンジの中でのゾウやサイやハチが、この映画では宇宙船やロボットに代わっている。 正直、ジュマンジには全然敵わない。ジュマンジの方がリアルで驚きがあり、よっぽど面白かった。斬新なアイデアや驚きがなかった。コマを進めて起こる一つ一つの受難も詰めが甘い。どうすれば、何を達成すれば今の受難が終わるの?次の順番のプレーヤーがネジを回せばそれで今の受難から逃れられるの?といった疑問がつきまとう。宇宙を舞台にするのはよいが、その割には重力、空気といった基本的な部分で矛盾が多すぎて漫画に見えてくる。 ただその一方で、この映画のメイン・テーマになっている「兄弟愛」はめずらしいので、そこはよかったと思う。 何も考えず、細かいことは気にせずに観れば、「ザスーラ」も結構楽しめることは間違いない。でも、くどいようだが「ジュマンジ」の方が面白いと思うので、まだ観ていない人にはまず「ジュマンジ」をお勧めする。
May 19, 2006
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昨日、久しぶりにチーズケーキを作った。娘はクッキーを作った。 娘と一緒にキッチンに立って、あーだこーだ言いながら料理やお菓子を作るのはとても楽しい。 以前、海外に住んでいた時は時々、料理やケーキ作りをしたが、今はなかなか自分の時間が作れずにいるので、2年ぶりのケーキ作りとなった。 以前持っていた幾つかの料理、ケーキのレシピが引越しと共にどこかに行ってしまい(ショック!)昨日のケーキ作りは記憶をたどりながらの力作となった。 そういえば、先週、久しぶりに家族の夕食を作った。これも3ヶ月ぶりか、半年ぶりくらい。夕食といってもハッシュドビーフとサラダなので、子供でも作れる品だが、偶には家族に貢献せねば、との思いの表れである。でもあまり評価されていないようだが。。。
May 15, 2006
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今朝の日経新聞で気なった記事を2つ。1)大学就職率、最高の95% 厚生労働省と文部科学省の調査によると、4年制大学を今春卒業した就職希望者の就職率は95.3%となり、6年連続で改善、96年の調査以来、最高の数字とのこと。高卒も8年ぶりの高水準とのこと。 景気の回復に、団塊世代の退職が加わった結果のようだ。 この就職率の向上は社会にとってとても嬉しいニュースだ。世の中では就職意欲の低下やフリーターが問題になっているものの、就職を希望する若者のほとんどが職に就けるというのは素晴らしい社会だと思う。 最近は景気回復の話題が多い。それを実感しているかどうかは業種によって随分温度差はあるものの、全般的に回復基調であることは間違いないようだ。トヨタ自動車の驚くべき好業績などはそれを如実にあらわしていると思う。景気がもっと本格的に回復し、どの業種でも笑顔が見えるようになってもらいたい。(ここにきての急激な円高は問題だが) 2)ソフトバンク、アップルと携帯で提携 ソフトバンクと米アップルコンピュータは日本での携帯電話事業で提携することで大筋合意したとのこと。i-Pod内臓器を共同開発して年内にも発売されるとのこと。 これはまたBig Newsだ。auは着うたフルとパケット定額で大躍進し、ドコモも音楽ケータイ、着うたフルで追随している。今は音楽とワンセグ(デジタル)TVなしでは競争での勝ち目はない。ここにきてソフトバンク(ボーダフォン)も音楽ケータイで追随し、しかもその提携相手がi-Podとなるとこれまでの力関係が大きく変わる可能性がある。ケータイ業界は益々面白くなってきた。ただ残念なのは、ソフトバンクが第4のキャリアとしてではなく、ボーダフォンの買収による参加になりそうなことである。
May 13, 2006
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私は普段、占いなどしたことがないのであるが、友人がブログで「花占い」を紹介していたので気まぐれで自分もやってみた。 その結果は以下のとおり。 自分では「結構当っている」と思っているが、恐らく友達に言わせると「全然違う」ということになるのかもしれない。 皆さんも暇つぶしにやってみてはどうでしょう。■□■ 基本性格 ■□■思いやりが深く、気配り上手なコスモスタイプ。裏表のない素朴な性格です。人見知りをするので、はじめは穏和で大人しく見られますが、仲良くなった人には気を許して時々ワガママになります。とは言っても、人をよく判断するので、ワガママを笑って許してくれる人を自然と味方につけることができるでしょう。好奇心が旺盛で、いろいろなことに興味を持ちますが、すぐに手を出さずに眺めている傍観者。意外と神経質で潔癖症っぽい面もあります。■□■ 恋愛観 ■□■ひとみしりが激しいので、恋はスロースターター。友達が恋人に発展することも少なくないようです。甘えん坊なので、大きな心で受け止めてくれる包容力のある人が好み。ワガママで相手を振り回す割に、恋人の態度が少しでも変わると、不安になってしまう傷つきやすさも隠れています。■□■ 仕事運 ■□■物事の好ききらいが激しく、一度嫌いになったことには順応できませんが、感性の鋭さを生かし、趣味分野の才能を伸ばすのには最適です。人に教えることが大変上手なので、後輩の育成は得意です。しかし、欲がなく、社会的成功に興味がうすく、せっかくのチャンスを取り逃がしてしまうことも…。損をしないように気をつけましょう。
May 11, 2006
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もう1ヶ月も前になるが、子供と一緒に「ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女」を観てきた。 このディズニー映画は、20世紀を代表する英国作家、C.S.ルイスによる全7巻からなるファンタジー巨編「ナルニア国物語」シリーズの第1章が映画化されたものだ。主人公の子供4人が魔女によって氷付けになったナルニア国を救うファンタジー/アドベンチャー映画だ。ロケは、ロード・オブ・ザ・リングのロケでもお馴染みの、ニュージランドで行われた。 原作は評判が良いようだが、残念ながら映画の方の評判は散々である。映画を褒めている人はほとんどいない状態だ。残念だ。 私の率直な印象は、ストーリーは単純だし、ヒーローの子供4人の特徴が弱いし、観衆に対して訴えかけるメッセージも不明瞭だとは思うものの、あまり難しく考えずに、素直に観れば結構楽しいと思う。決して悪い印象ではない。子供と一緒に観たから余計にそう思うのかもしれないが。 ディズニーのアニメ映画は、1990年代に入ってから急速に進化し、大ヒットの連続だった。アラジン、ライオンキング、美女と野獣などはその代表例である。その流れの中で、観客はより面白く刺激的な映画に期待するのはよく分かるし、自分自身もそうであるが、元々のディズニー・アニメ(Old Tales)、例えばバンビ、白雪姫、ダンボを思い出すと、この「ナルニア国」も自然に受け止められるのではないだろうか。CGはなかなか見事である。 あまり評判を気にせず、気軽に観られることをお勧めする。 ちなみに私は4月上旬に私用でロサンゼルスに行って来た際に、「ナルニア国」のDVDを買って帰ってきた。 続編の制作も決まっているようなので、楽しみにしている。
May 7, 2006
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これは面白い!!絶対、皆さんに読んでもらいたい!! 既に日本でも話題になって、どこの書店でも店頭の入り口付近に置いてあるので、読み終わった人、今読んでいる人、これから読もうとしている人が多いと思う。私自身、何となく気になって、文庫本の「上」だけとりあえず買ってみたところ、あまりにも内容が面白く、なかなか途中で止められない。私の場合、主に通勤電車で読むが、ついつい帰宅してからも読みたくなる。今「上」を読み終えて、昨日「中」を買ったところである。 この原作は、2003年の刊行以来、44カ国語に翻訳されて、全世界での販売部数はなんと4,900万部を超えるベストセラーになっているらしい。日本での発売には裏話があるようだ。米国版がベストセラーになったので、ニューヨークの紀伊國屋書店が翻訳本を先行発売。これも大売れしてYahoo!ニュースでとりあげられた。これが日本発売前にクチコミで広がり、日本で2004年5月に刊行されたときには1万5000部だったが、すぐさまベストセラーになったらしい。それに拍車をかけたのがTVの特別番組と展覧会である。一昨日、六本木ヒルズに行ったが、森アーツセンターギャラリーでは今、「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」が開催されている。 「上」の中では、キリスト教、「聖杯」とそれを守る秘密宗教組織、「聖杯」を狙う宗教組織、レオナルド・ダ・ヴィンチと彼の作品(特に、モナ・リザ)、「黄金比」などなど興味をそそられるものが次から次に出てきて、しかも話が謎解きをしながら先に進んでいくため、読み始めると止まらなくなってしまう。お勧めの本である。 間もなく始まる「トム・ハンクス」主演の映画の方も楽しみだ。どの映画も原作を忠実に表現することは不可能なので、原作は原作、映画は映画で楽しみたいと思う。 私がルーブル美術館でモナ・リザを観たのは20年も前になる。小さな絵である。数センチの分厚いガラスで覆われていて、しかもガラス内の空間が確保されているので、細部はよく見えない。モナ・リザの本物を自分の目で見た、という満足感だけが心に残る。 この本を読み、映画を観た後でさらに多くの人が本物のモナ・リザを観にルーブルを訪れること間違いなしである。いつになるか分からないが、私もまた本物を観にいきたい。できれば本と映画の印象がまだ頭に残っているうちに。きっと前回とはまた違う、格別の感動があるように思う。
May 6, 2006
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しばらくブログをサボってしまった。公私ともに忙しくなったのを理由に、ついつい怠け癖が出てしまった。無理のないペースでブログを再開したいと思う。 昨日(5/4)のGW(Golden Weekであって、George Washingtonではない←一部の人にだけウケるギャグ)の真っ只中、富山湾名物、春の風物詩の蜃気楼が観測されたらしい。 富山は私の生まれ故郷であり、蜃気楼も懐かしい。毎年ニュースになるたびに見に行きたい衝動に駆られるが、ニュースになった後では時すでに遅し。富山湾岸に住んでいる人は別だが、富山県人とて見たいと思って見られるものではない。私自身、魚津の海岸で蜃気楼を見たのをはっきり記憶しているのは1度だけである。あの時はラッキーだった。 蜃気楼は、大気中の温度差で光が屈折して水平線上に遠方の風景が伸びたり、反転したりして映る現象である。遠くに見えるので、肉眼ではその「伸び」「反転」がよく分からないが、よーく見ると何となく分かる。私が子供のころ見た蜃気楼も、オフィスビルや工場が伸びている姿を確認できた。 世の中には不思議な現象がたくさんある。その不思議さがたまらない。富山の蜃気楼も毎年多くの人々に感動を与えてくれている。 ところで話は違うが、富山湾といえば、「甘エビ」「ホタルイカ」「海底林」である。特にホタルイカは今が旬である。考えるだけでよだれが出てくるが、ホタルイカの「光」もまた神秘的である。素晴らしい故郷を持てたと感謝している。
May 5, 2006
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昨日(3/26日曜日)から川越春祭りが始まったので、街中を少しブラブラしてきました。 少し肌寒かったものの、一番街、クレアモール、本川越駅前などはたくさんの人出でした。連繋寺でもいろいろな催し物が行われていた。 とても見にくい写真ですが、鉄砲隊(本川越駅前、一番街)、和太鼓(仲町)、大道芸(連繋寺前)の写真を撮ってきたので載せたいと思います。 今年の桜は例年より少し早い模様。新河岸川の桜も咲き始めており、満開になるのが楽しみです。4月2日(日)が新河岸川の桜まつりで、この日は川に船が浮かぶ予定です。今から楽しみでなりません。川越や埼玉県内にお住まいの人だけなく、東京にお住まいの人にも是非遊びに来てもらいたいと思いました。
March 27, 2006
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一昨日(3/10)埼玉県秩父市大滝の林道で、車の中で集団自殺を図った男女6人が死体で発見された。同日、青森県弘前市の山ろくで、やはり車の中で男女3人が集団自殺した。いずれも練炭自殺である。いつも思うが、何とも悲しく、痛ましいニュースだ。 この埼玉での集団自殺は、米国CNNホームページでも大きく報じられた。 このCNNの記事の中で、「90年代から始まったインターネット集団自殺は世界各国で報じられているものの、日本の自殺率は先進国で最も高い」と報じられている。2005年、日本において34のネット集団自殺で、なんと91人もが死亡した、とのことだ。 このCNNの記事が指摘するように、確かに日本の自殺率は、先進国で最も高いようだ。 世界保健機関(WHO)が2002年にまとめた99カ国の自殺率(人口10万人あたり)を見ると、リトアニアの45人を筆頭に,ロシア35人など旧ソ連諸国が上位に並んだようだ。 日本は26人で、世界の11位。G7諸国の中ではダントツの1位(2位はフランスの18人)らしい。 国によっては積極的な自殺予防策がとられているようだ。 例えば、フィンランドでは自殺率20%減を目標に掲げ,1992~96年に医療関係者の教育や市民への啓発活動などの自殺予防策が実施された。その結果,実施前と比較して9%減らすことに成功した(最悪期との比較では20%の減少)らしい。 スウェーデンでは1993年に自殺と心の病気に関する国立センターを設置し,啓蒙・普及活動を行っている。その結果,1990年から2000年の間に男性の自殺率は25人から20人に下がった。 日本では、新潟県松之山町の例が有名らしい。高齢者を対象にうつ病のスクリーニング検査をし,必要な場合には面接などを行う。10年の活動後には,自殺率はそれまでの3割以下になった。 日本における自殺の動機は、健康問題が一番多いようだが、最近の伸び率でみると、それよりむしろ金銭的な生活苦(経済・生活問題)と仕事がらみ(勤務問題)の増加率が高いらしい。 言うまでもなく、理由が何であれ、実際に自殺に至るところでは精神的な苦痛や絶望感が行動につながるわけである。それを予防するようなコミュニティーや専門施設による精神的なケアが益々重要になってきていると思う。「死にたい」と思うことは誰でもあると思うが、当たり前だが、そう思うことと実際に「死ぬ」のとは大きく違う。 以前、高校生時代にたまたま読んだ「生と死」というタイトルの本をなぜかよく覚えている。その本の中で書かれていたことを一言で言うなら「生と死は反対語ではない。なぜか?生には、死の反対プラスαがある。このαが生きがいである。自分自身がその生きがいを見つけること、あるいは他人がそれを見つけられる手助けをすることが、自殺を防ぐ最も大切な方策だ」という内容だった。まさしくその通りだと思う。
March 12, 2006
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先月になるが、「The Day after Tomorrow」をDVDで観た。約2年前にDVDが大々的に日本で販売され始めた頃からずーっと気になっていた。しかし、大々的なPRとは裏腹に、正直言って期待はずれの映画だった。期待が高かった分だけ、ガッカリした。 「地球温暖化」というテーマを映画化し、分かり易く表現しようとしているところは評価できる。しかし、ストーリーが雑で、乱暴だ。 まず、温暖化が原因で「氷河期」がやってくる、という課題設定が分かりにくい。映画の中での記者会見の場面でいみじくもある記者が質問しているが「なぜ温暖化が原因で、逆に氷河期になるのか?」という疑問は私たち観衆の誰もが持つ疑問である。確かに、専門家の間で実際にまた氷河期が来るという理論があるようだし、映画の中で「温暖化により北極の氷が解け、それが原因で太平洋、大西洋の海流に異常が生じ、地球が寒冷化する」と短く説明しているが、一般人にはピンと来ない説明だ。一般的には「温暖化によって海面が上昇し、無数の島が消滅する、日本を含む島国に住む人たちは住む土地を失う」という設定のほうがよほど分かり易いと思うが、大陸に住む米国人にピンとくるのは、ニューヨークが凍りつく寒冷化の方だったということだろうか。 また、温暖化というスケールの大きな課題を設定しておきながら、ストーリーは、周囲にたくさんの犠牲を払いながら息子を助けにニューヨークに行く、という傍若無人とも言える父親の行動が中心だ。多くの犠牲者たちはどうなったの?父親の行動に巻き込まれて死んでいった仲間たちは一体何だったの?といった疑問が一杯出てくる。 そして、父親が息子を発見した直後に、なぜか突然、寒冷化が止まり、地球は救われる。「は?一体何が起こって急に地球が助かったの?」という疑問だらけの結末だ。昨年「宇宙戦争」を観たが、あれと全く同じ印象だ。「は?あれ?」という感じだ。結末部分で地球を突然、劇的に救ったものは、「宇宙戦争」のときは「地球上の細菌」で、「ザ・デイ・アフター・トゥモロー」は「大気や海流」だった。いずれも、言うならば「地球の自浄作用」ということか。 もし地球の自浄作用、再生作用があるならば、最初から地球温暖化も寒冷化も問題でなく、地球のロングスパンの中での「小さな変化」にすぎない、ということであろう。これはまさしく、アンチ温暖化の人たちの考えだ。この点で、温暖化、寒冷化を主題とし、それが大変なことだという認識がベースになっている映画としては、矛盾しているように思う。 ところで、映画の中で、COPや京都議定書が皮肉られている。確かに、温暖化が科学者によって完全に理論的に証明されたわけではないし、人によっては、特に一部エコノミストは温暖化対策にかかるコストを嫌っている。しかし、やはり「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の報告以来、多くの科学者によって支持され、異常気象が多く発生し、温暖化を裏付けるデータが多く得られ、そして今アクションを起こさないと取り返しがつかなくなる可能性がある現状では、国際協調の下で地球規模の対策を行う必要があると思う。 私は以前、アラスカ、ヨーロッパ・アルプス、カナダのロッキー山脈などで氷河の上を歩いたが、各所で見た昔の氷河線との比較写真を見ると、氷河が急速に後退し、消滅しそうになっていることが実感される。 余談だが、1991年に竹下登元首相が座長を勤めて日本で開催した「地球環境賢人会議」や、1992年の地球サミットの頃がとても懐かしく思い出された。当時私は、民間の立場でこれらの会議を支援する仕事を少ししていた。そして京都プロトコルの時はその仕事から離れていたものの、個人的に注目し、その動きを追っていた。ロシアが議定書を批准し、発行が決まり、とても喜んだ。その一方で、米国の態度は気にくわない。 余談の余談であるが、「賢人会議」が開催された際に、「賢人」は英語で「eminent」(高貴な、著名なといった意味)という英単語が使われた。私はこの時初めてこの単語を知った。同義語としてよく使われる単語は、「Respected, distinguished, notable, outstanding」などだろう。あの時、「いろんな単語があるものだ。英語の勉強はほんと大変だ」と実感したが、その思いは今も続いている。
March 5, 2006
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ライブドア事件関連で、ここ1週間国会は、送金メール問題で紛糾・混乱した。 民主党の永田寿康衆院議員の国会での質問、その後の民主党の対応はお粗末すぎるものだった。国会であそこまで語気を強めて武部幹事長、小泉総理を追及しておきながら、実はメールは偽物でした、事前調査が不十分でした、というのでは話にならない。特に今回は武部氏の次男という民間の一個人を国会で名指しにして非難したわけで、その罪は重いと思う。 多くの人が2/28の永田氏の国会での謝罪会見をTVでご覧になったと思う。最初は頭を下げて謝っていたのに、後半では「メールの信憑性も含め全く事実がなかったということとは別の問題」などと、往生際悪く、送金について黒に近いグレーであると意地の主張を始めた。 この永田氏の謝罪こそ、前回の私のブログで紹介した「やってはいけない悪い謝罪 No. 1」である「言い訳や反論混じりの謝罪」そのものであった。 自民党や武部氏が納得しないのは当然である。結局3/2に再度会見を開き、全面謝罪せざるを得ない状態に追い込まれた。最初から潔く謝ればよいものを、変に抵抗したがために、折角謝っても、効果半減で悪い印象が残ることとなった。 改めて前回ご紹介した「許される謝罪」に書いてあるポイントの大切さを実感した次第である。 私個人としては、(民主党は別だが)前原誠司代表を応援しているだけに、今回のお粗末な対応にはガッカリした。野田国対委員長の辞任だけで傷が治るとは思えない。それより、秋の代表戦に悪影響することが危惧される。何とか逆転のホームランを打ってもらいたいと願っている。
March 4, 2006
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上司から「それなら許す!」(田中辰巳著)を渡され、読んでみた。この本は読みやすく、しかも面白かった。「あなたと会社を救う謝罪術」というサブタイトルがまた魅力的だ。 まず何より、実例が多く、分かり易い。最近では、ヒューザーの小嶋社長や東横インの西田社長のテレビでの謝罪会見のお粗末さに呆れている人が多いと思うが、数年遡るだけでも負けず劣らずの謝罪会見がたくさんある。 例えば、リクルートの未公開株譲渡事件、東芝ビデオデッキ購入者からのクレームに対する不適切な対応、三菱自動車のクレーム隠し、日本ハムの牛肉偽装販売、ソフトバンクの460万人分の契約者情報漏えい、古賀衆議院議員の学歴詐称、味の素の食品異物混入、丸紅畜産の鶏肉偽装販売、雪印乳業の集団食中毒、出光興産の石油タンク火災などなど、いずれも記憶に新しい事例だが、各々の謝罪会見について「何が悪いのか」具体的に書かれている。「おー、そう言えばそんな事件もあったな」と当時のことが思い出され、それだけでも面白い。 この本によると、「こんな謝罪は許されない」として以下のパターンが悪い見本として紹介されている。裏を返せば、その逆が「良い見本」ということになる。・言い訳や反論混じりの謝罪・嘘と隠蔽を含む謝罪・曖昧にぼかした謝罪・役者不足の謝罪・頭と下げる方向を間違えた謝罪・遅い謝罪・足並みの乱れた謝罪・安易な賠償が先走る謝罪・処分の伴わない謝罪・早とちりの謝罪 そして「許される謝罪とはどのようなものか」について、「心・技・体」に分けて、心構え、謝罪の手順、体制整備等で締めくくられている。 とても参考になる本だ。いざというときにこの通りうまくいくかどうか分からないが、普段からの心構えや準備が大切であることがよくわかる。 よくよく考えてみると、会社の立場での謝罪だけでなく、個人としての日常生活での謝罪にも共通することが結構あるので、誰にとっても面白い内容だと思う。皆さんにお勧めしたい本だ。
February 25, 2006
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日本航空の内紛は連日、新聞や週刊誌で報道されている。 乗員乗客合わせて524人もの死者を出したあの日航機墜落事故から20年以上経つが、あの時のあの悲惨さと、二度と事故を起こしてもらっては困る、という強い願いは、今も多くの国民の心に鮮明に残っているものと思う。にもかかわらず、ここ数年、運行トラブルや設備事故が相次ぎ、行政指導も数回受けている。当然、日航に対する国民の信頼は傷つくばかりで、実際に客離れが急速に進んでいる。(私自身も最近、JALより他の航空会社を選ぶようになった)これに燃料費アップが重なり、日航は2006年3月期連結決算を大幅に下方修正して、470億円もの赤字決算予測に修正したばかりだ。なのに、挙句の果てが「内紛」である。 以前より指摘されているように、日航は長い間「会社側」と「組合」が対立してきた。今も、確か9つの組合が存在する。もっとも大切な「お客様」「安全」の方を向かずに、内側を向いてきた結果がこれなのに、これらの問題に真剣に取り組み、正しい方向に舵を切ろうとする経営者がいないということである。 新町社長ほか代表取締役に退陣要求を突きつけているのは、日航インターナショナル役員4名、約350人もの管理職だという。新聞などでは「旧労務出身、旧営業出身といった社内の派閥争い」が原因とも言われている。もしそうなら情けない限りである。詳細な理由は何であれ、「あんたら何やってんだよ!」と言いたい。 山崎豊子著「沈まぬ太陽」を読まれた人も多いと思うが、まさしく「巨大航空会社の表と裏」「労使対決」「墜落事故の悲惨さ」「企業を変革する難しさ」などが赤裸々に描かれており、恩地という主人公の人生(=自分との戦い、企業との戦い)を通じて「航空会社のあるべき姿」を考えさせられる大作だ。JALの経営者、管理職、社員全員に読んでもらいたいと思う。特に第3篇(御巣鷹山)を読んでもらいたい。もし、読んだのに今の内紛をやっているとすると、もう救いようがない。。。
February 24, 2006
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「オリンピックは出場することに意義がある」とは言うものの、やはり日本人選手の活躍とメダルに期待が集まる。出場選手は誰もが全力で戦い、入賞者も出ているものの、残念ながらまだメダルはゼロである。やはり期待はハイライトとも言える女子フィギュアである。 ショートプログラム(SP)が行われ、荒川静香が、SPトップとなった米国のサーシャ・コーエンと0.71点差の3位と好発進した。2位は、金メダルの大本命スルツカヤであるが、この3人はほぼ横並びであり、誰が金メダルに輝いてもおかしくない状態だ。 村主章枝は荒川に次ぐ4位で、メダル射程圏内だ。安藤美姫は8位となり、フリーでの4回転ジャンプで逆転に賭けることになる。 私は今までフリーしか見たことがなく、SPを初めて見たが、短いプログラムの中に一通りのテクニックが組み込まれており、思った以上に見応えがあり、何より技術力の比較がしやすい。(といっても私はド素人なので、上手い、下手が分かるわけではないが) 私のド素人の目で見ると、トップとなったサーシャ・コーエンは「格が違う」くらいに美しく、安定的で、余裕を感じさせる内容だった。2位のスルツカヤと3位の荒川静香もノーミスに近かったのではないか。荒川はわずかに姿勢が不安定になったりしたが、全く不安を感じさせない滑りだった。村主の滑りも美しく、見事であった。なぜ3位の荒川と点差がついたのかよくわからない。フリーで十分にメダルを狙えるものと思う。安藤は、日本の最後の大会と同様、ミスがあり、少し精彩を欠く滑りだった。是非、4回転を含め、大胆にチャレンジして、大逆転を狙ってもらいたい。 さ、いよいよフリーだ。みんなで応援しよう!!
February 22, 2006
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既にニュースでご存知の方も多いと思うが、スキージャンプの原田雅彦選手はまたまたオリンピックで話題を作ってくれた。 何と、ノーマルヒル(NH)予選で、まさかの失格。95メートルのK点ジャンプを飛んで本戦進出を濃厚にしながら、体重がたったの200g 足りなくて「失格」となった。 どうやら、国際スキー連盟(FIS)の定めたルールでは、登録身長174 cmの原田選手が使用できるスキー板は身長の145%の254 cmまで。253 cmの板を使う原田は体重が61 kg以上なければならなかったが、予選ジャンプの直後に抜き打ち検査を受け、60.8 kgと、200g(ジュース1本分)体重が不足していたことが判明。規則違反により失格となったようだ。 本人は60kg以上と「勘違い」していたらしい。あまりにも間抜けな話である。 「原田!しっかりしろー!」と叫びたい。 原田は最近不調で、今シーズンの成績も悪く、「よく代表メンバーに入ったな」と思われていたところ、現地でのノーマルヒルの練習で大ジャンプをして、出場選手に選ばれ、「さすがベテラン」と国民に感心された矢先の出来事だけに、あまりにもアホらしい。 94年リレハンメル五輪の失速ジャンプの時の複雑な笑顔とコメント。98年長野五輪の団体金メダルで日本中を感動させたときの男泣き。これらは多くの国民の目に焼きついていると思う。94年の時の原田選手の内心の辛さを察することができた分だけ、98年の時は国全体が喜んだ。 そして今回の失態。呆れるばかりだが、そこは「いつも話題を作ってくれる原田らしい」と微笑ましく見ることができなくもない。しかし。。。 今回のこともあり、ラージヒルに出場できるのかどうかわからないが、もし出場されるなら、名誉挽回をかけて起死回生の大ジャンプを飛んでもらいたいと思う。
February 13, 2006
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もう1ヶ月前になるが、「Mr.& Mrs. Smith」を観てきた。 一目で恋に落ち、電撃結婚した殺し屋同士の夫婦。夫は設計士、妻はシステムエンジニアという仮面をかぶり、表面上は平和に穏やかに暮らしている。結婚も6年目に入り、何となく倦怠ムード。そんなある日、属する別の組織から同じ標的を殺せと命令される。そこで互いの正体を知ることになる。 組織のため、自分のプロとしてのプライドのため、一時はお互い真剣に殺しあう。しかし結局、夫婦で組織を潰し、以前より深く理解し合え、仲良くなるハッピーエンド・ストーリーだ。 全般的には、夫婦二人とも殺し屋で、お互いの正体を知らない、という現実的にあり得ない設定なので、深く考えるというよりは、アクションシーンを素直に楽しむ娯楽映画だと思う。 しかし、考えようによっては結構奥の深いストーリーだ。私たちは「殺し屋」ではないからといって、自分の仕事や毎日の生活を夫婦互いによく知り合い、分かり合っているかというと、そうではないように思う。何かを特段隠しているわけではなくても、よく理解し合っているかと聞かれると、答えは「No」だと思う。格好よく表現すると、男と女の関係は永遠に「謎」ということかもしれないが、やはり謎の部分は残していても、よりよく理解し合えることに越したことはないのだろう。 そしてお互いの理解度が浅いにもかかわらず、何不自由なく自然に夫婦生活を送っている夫婦が、劇的に理解を深め合うようになるためには、外から大きなインパクトを受け、お互いに銃を向け合うくらいの修羅場を潜り抜けなければならないのかもしれない。この映画はそのことを示唆しているように思う。でも私たちのような一般人にこのようなチャンスはあるのだろうか。。。
February 12, 2006
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映画「ミュンヘン」は難しい映画である。内容がかなり重たい。時代背景、社会背景を理解していないと面白さが半減する。しかし逆に言うとそれだけ奥の深い内容であり、深く考えさせられる映画である。私は何も考えずに笑える映画も好きだが、考えさせられる映画も大好きである。 ミュンヘン・オリンピックの時代、日本で言うなら赤軍派などの過激派や学内紛争が激しかった時代(60年代~70年代)を経験した人にとっては、当時のことが鮮明に思い出され、人種や宗教の違いによる紛争、反社会的行動といった、平和な日本で忘れていることを思い出させてくれ、考えさせられる深みのある映画である。また、当時のことをよく覚えていない人であっても、イスラエル・パレスチナ問題、宗教間抗争について知識のある人であれば間違いなく映画の後で「う~ん」と唸りながら、この根深く、多くの人たちの努力と犠牲にもかかわらず解決の糸口がつかめないイスラエル・パレスチナ問題や宗教間対立について考え込んでしまうこと間違いなしである。人によっては、今の平和な日本についても思いが広がるかもしれない。 この映画は、スティーヴン・スピルバーグ監督が、1972年のミュンヘン・オリンピックで実際に起きたパレスチナ・テロリストによるイスラエル選手の人質・殺人事件の真相を、事件に関わった人々のコメントや、史実に基づいて映画化した作品である。 選手が殺されたイスラエルは、国として極秘に復讐(=テロリストの殺害)を計画し、その特命を受け暗殺チームのリーダーに任命されたアヴナーが、11人の標的を殺害していく、というストーリーである。 今、世界の新聞は連日「イスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画への抗議が、全世界のイスラム世界で広がっている」ことを報道している。今日華やかに開幕したトリノ・オリンピックでは、デンマークの選手に特別警護が付いている。背景が違う部分はあるとはいえ、宗教間対立、民族対立という点では「ミュンヘン」との共通点も多いと思う。オリンピックに出場している選手にいかなる危害も加わらないことを願うばかりである。「ミュンヘン」が上映されている時に、トリノであの時の再現があってはならないと思う。 ヨーロッパ各国の自由獲得の歴史は、教会との戦いの歴史に他ならない。国によって差はあるものの、政教が分離され、表現の自由が確保されている国民にとっては「ムハンマドの風刺画の何が悪い」ということになるのだろうが、イスラム諸国にとっては「預言者ムハンマドの漫画を書くこと自体が重罪」である。ましてやその表現の仕方が不適切となると怒り心頭になってしまう。 国による歴史、民族、文化の違いをよく理解することの大切さ、他国、他民族への配慮がいかに大切かを改めて考えさせられるのが「映画ミュンヘン」であり「ムハンマドの風刺画」である。また、「報復」は「憎しみ」を助長し、「憎悪の連鎖」をもたらすだけで、根本的な解決にはならない、ということを教えてくれる映画である。 日本はどうだろうか。日本にも靖国参拝、従軍慰安婦、戦後保証、領土問題、対中ODAなどなど、周辺国との課題が山積みである。日本の政治家が映画を観て、新聞を読んで、周辺国との良好な関係構築に努力されることを願うばかりである。
February 11, 2006
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昨年来ベストセラーになっている「その日の前に」を読んだ。通勤電車の中でお父さん読者たちが涙を流して読んでいる、とちょっと大げさながら話題になった本である。 7編の短編で構成され、前半はそのつながりがよく分からないが、後半になってこれらが一つにつながる。 登場人物は同氏のほかの作品同様、ごくごく普通の家族である。だからいつも身近に感じられ、無意識のうちに自分自身が登場人物に重なってしまう。そしてどんどん本の中に引き込まれていく。 「その日」は、愛する妻との別れの日のことである。突然のガン発見。その時点で既に余命短い妻。告知。そして1年程度の余命と宣告された妻は、ガンの進行が速く、「その日」は思ったより早くやってくる。 終に「その日」が来て、妻が亡くなってしまう。「その日」までの夫婦互いの愛情、やさしさが深い分だけ、「その日」を迎えた時の悲しさも深い。 しかし一方で、ガンが告知される前の心配で不安な毎日の方が精神的に辛く、逆に告知された後は意外と淡々と日々が過ぎてゆく様子が描かれている。これがまたリアルで、人間の本質が描かれているように思う。 この本は、大切な家族がガンになった時の悲しさや苦悩がひしひしと伝わってくる作品である。ガンを告知された本人の複雑な心境も絶妙に表現されている。また、「告知」についても考えさせられる。 一般的に、家族の誰かがガンを患ったことがあるという人がほとんどではないだろうか。私もその一人である。本を読んでいて、父をガンで亡くした時の記憶が鮮明に蘇ってきた。やはり突然、余命数ヶ月と宣告された時は言葉では表現できないくらい大きなショックを受け、告知すべきかどうかなどいろいろと悩んだものである。 多くの読者が自分の体験を思い出し、そこに登場人物の深い愛、優しさに触れ、思わず涙してしまうのがよく分かる。そのような素晴らしい本である。 本の最後の章は、「その日」の後である。妻が亡くなって数ヶ月が経ったとき、妻が残した手紙を受け取る。そこには妻の愛情と優しさが込められている。 死を迎える前に、もし一通の手紙を書く時間が与えられたら、いったい誰にどのような手紙を書くのだろうか?
February 4, 2006
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はっきり言えば、広告倒れの感があった。TVでのPromotion Videoはよく出来ているので、期待で胸を膨らませて映画館に行く人が多いと思う。 ストーリーは、事故死した夫の亡骸を乗せた飛行機に、娘のジュリアとともに乗り込んだカイル(ジョディ・フォスター)が、機内で突然消えた娘を必死で探し、助けるというものだが、場面の設定やストーリーそのものにかなり無理があるため、何度となく「は?なぜ?変じゃない?」という気持ちになる。また、カイルの言動があまりにも傍若無人なため、同情どころか観客の反感を買うのではないだろうか。 しかし、そこに目をつぶって割り切って観れば、シーンとしてはダラダラ感がなく、最初から最後まで引き付けられる楽しい作品である。緊張する場面も多く、とても楽しかった。 舞台が狭い飛行機内のみにもかかわらず、広さ、深みをうまく演出している点も優れていると思う。 ここで強調したいのは、ストーリーそのものはカイルが愛する娘をハイジャック犯から救うという分かり易いものだが、この映画はもっと奥深いものを表現し、訴えようとしていると思う。 すなわちメインテーマは「ハイジャック」ではなく、「母子愛(娘を愛する母親の強さ、執念)」であり、さらに言うならそれ以上に「現代社会の人間関係の希薄さ、他人に対する無関心さ」を間接的に批判しているように感じた。また、日本人の観客はピントきたかどうかわからないが、米国らしい人種差別も露骨に表現され、批判されている。 確かに、自分自身を振り返ると、飛行機に乗って周囲にどのような人が乗っていたかなど覚えていない。アパートやマンションに住んでいて隣の人の顔を知らない人も多いだろう。また、米国に住んでいて、犯罪が起こったときにまず疑われるのが黒人でありヒスパニック系住民である。 日本の社会でも、コミュニティーの大切さが再認識されている中、周囲の人、地域の人との関係を見つめ直し、深める努力が必要だと感じた。 このような見方をしながらこの映画を見ると、結構面白い。
February 2, 2006
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映画「トロイ」は2004年に劇場公開された。その時、見ることができなかったので、ずっと見たいみたいと思っていた。先日、昨年買ったDVDをようやく観ることが出来た。 ギリシア神話、ホメロスの叙事詩、英雄アキレスというだけでワクワクするが、公開当時の迫力あるPromotion VideoもDVDを買った一因である。 誰もが「トロイの木馬」として知っている、紀元前12世紀頃のギリシャ連合のスパルタとその宿敵トロイの間に起こった戦争の話である。戦争のきっかけは、トロイの王子パリスとスパルタの王妃ヘレンに禁断の恋が芽生え、パリスがヘレンを自国へ奪い去ってしまったことにある。所謂、略奪愛である。 当時、トロイはその大繁栄により他国から妬まれており、トロイ侵攻の口実を得たギリシア王アガメムノンは、屈辱に燃えるスパルタ王メネラオスとともに、全ギリシャを挙げて進軍する。 戦争は頑丈で鉄壁の城を有するトロイがギリシアの攻撃をガッチリ守るが、ギリシアは「トロイの木馬」という秘策により一気にトロイを陥落させるストーリーだ。 映画公開後、必ずしも評判が良かったわけではないようだが、その戦いのシーンや船の侵攻シーンをはじめとした映像は壮大で見事である。一騎打ちのシーンもなかなか迫力がある。グラディエーター(Gladiator) を思い出した。 ただ、ブラピは無敵の戦士アキレスとしては線が細すぎると感じた。また、綺麗すぎて命を賭けた戦いの迫力、泥臭さが伝わってこなかった。また、誰もが注目する「トロイの木馬」は重要なハイライトであるが、その表れ方が唐突で、全然盛り上がっておらず、物足りなさを感じた。さらにいうなら、「神」についていろいろ出ては来るが、「神の存在、力」といったものがそれほどクローズアップされていなかったので、印象が薄かった。 これら多少の不満があるとはいえ、全体としてはギリシア神話に触れた喜びと、迫力ある戦闘シーンから得られる満足感はかなりのものである。全体として、お勧めの映画である。
January 31, 2006
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なぜ、ライブドアは、株価至上主義経営になったのか。 ・株価の上昇によって、キャッシュがなくてもM&Aを通じて企業が大きくなり、成長できる。 ・株価がすなわち「企業価値」という考え方。よって各企業に合った適切な株価レベルであれば株価総額が企業の価値と判断。ただし適性に評価されるためには、健全な市場、正直な情報開示が大前提だ。もちろん実態のある事業運営も伴わなくてはならない。 ・忘れてならないのは「ストックオプション」すなわち、「企業のため、株主のため、従業員のため」という顔をしているが、実は「自分のため」である。 ・経理操作、情報操作を使いタイミングよく買収や株式分割を実施し、株価を吊り上げ、利益をライブドア本体に還流させていた。例えば、関連会社ライブドアマーケティング(LDM)の株式100分割で、ライブドア本体が保有していた同社の株を売却し、34億円の収入を得た模様。とんでもない「売り抜け」だ。 ・株価が上昇→、それによりさらに買収や利益還流ができ、決算内容がよくなり、株価がさらに上がるという、ある意味、理想的な好循環を続けてきた。 ・しかし当然、これを「理想的」と呼べるのは、実態が伴い、違法行為がない場合の話である。 ライブドアの株価を押し上げた一つの要因は、機関投資家から個人投資家へのトレンドだ。 ・米国は個人投資家による投資額が大きい ・日本で遅れている個人投資→ミニ株、ネット証券の台頭 ・株式分割の効果=小学生や中学生でもお小遣いで株が買える時代に。→ライブドアの100分割、10,000分割には個人投資家、小口投資家が飛びついた。 ・株式分割は必ず成功するとは限らない。リスクも伴う。そのタイミングや情報開示(ライブドアの場合、情報「操作」)が大事 ・ライブドアの場合は、この株式分割で大もうけ。 本来、企業価値とは何か? ・1) 企業価値=総資産の考え方: 以前はこれが主流→負債の多い企業の価値は高い(信用と実績)→しかしある限度まで負債が多くなると、急に倒産の危険が高くなる。 ・2) 企業価値=株価総額の考え方: 最近は「時価」の考え方が基本なので、この考え方も主流になってきた→株価つりあげに必死になり、「身の丈にあった株価」という考え方が薄れてきた。 ・企業価値の向上は、一朝一夕で出来るものではない。株主、顧客、従業員、地域社会といったステークホルダー全体を考え、全てのステークホルダーに利益をもたらすような長期的な営みである。 ・本来「企業価値」はこれらのステークホルダーに提供する価値の総和であり、株価は一つの指標にすぎない。 ある著名なジャーナリストが人気TV番組で言っていた。「いつからか日本は、地道に汗を流して仕事する大切さを若者に教えなくなってきたのではないか。格好が良い仕事、知恵だけで楽をして大もうけられる仕事に若者が魅了される時代を作ったのは、日本の大人の責任ではないか」と。(私自身はホリエモンに近い世代だが)胸に突き刺さる一言だ。
January 29, 2006
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今回のライブドアの粉飾決算の手口は特別目新しいものではなく、過去の事例に良く似ている。 ・2001~2002のエネルギー大手エンロン、通信大手ワールドコムの粉飾決算を思い出す。 ・いずれも米国で急成長を遂げた新興企業が不正会計(粉飾決算)により株価をつりあげようとした。 ・両社とも、株価上昇をテコにした買収攻勢で急成長した企業で、株価下落を防ぐための利益水増しが発覚して経営破綻した。市場では企業会計全体への不信感が広がり、情報開示を強化する米企業改革法(サーベンス・オクスレー法)施行につながった(02年7月)。 ・85年に発足したエンロンは、90年代後半にネット上のエネルギー取引などの新規事業により、売上高が12兆円規模になり、米国のエネルギー卸最大手に急成長。その源泉となったのが企業買収。 ・エンロンは海外に設立した複数の投資組合(特別目的会社)を活用した帳簿外金融取引によって、本体の利益水増しや損失隠しをした。 ・米5大会計事務所のひとつで、エンロンの監査を担当したアーサー・アンダーセンは実質破綻に追い込まれた。 ・米国では事件後、両社の経営陣は相次いで逮捕、起訴され、ワールドコム創業者のバーナード・エバース元CEOは、2005年、一審で禁固25年の実刑判決を言い渡された。エンロンのケネス・レイ元会長の審理も間もなく始まる予定。 エンロンやワールドコムのケースはいずれも、今回のライブドアのケースにそっくりだ。エネルギー企業エンロンも通信企業ワールドコムもIT企業ライブドアも、自分の本業での実力をおざなりにして、株価至上主義に基づき、買収による急成長を志向した結果、必要(実力)以上の企業買収や会計不正に走ってしまった。 国内では、昨年、西武鉄道の有価証券報告書虚偽記載事件やカネボウの粉飾決算事件などの会計不祥事が繰り返され、コンプライアンス(遵法、企業倫理)、コーポレートガバナンス(企業統治)の重要性が再認識されていたところだ。ライブドア事件の衝撃は、多くの個人投資家を巻き込み、東証の脆弱(ぜいじゃく)なシステムを改めて浮き彫りにするなどその影響は西武鉄道事件などを上回る ある専門家はライブドアのことを「IT企業」ではなく「ハゲタカファンド(=外資系ファンドで、投資家などから集めた資金で破たんした会社や業績の悪い会社を安く買って再建し、価値を高めて売って利益を得ようとするもの)」と読んでいる。まさしくその通りだと思う。表の顔はIT先進企業で、その実態はM&Aにより傾きかけている企業や、企業業績・価値の割には株価が安い企業を買いあさり、利益をあげてきたのが明らかだ。ニッポン放送もその一つである。そのM&Aを通じて本当に利益を上げてきたのならいくら社会から批判されようともその存在意義があるのだが、ライブドアの場合はその利益の実態すらなく、単なる嘘つき企業でしかない。
January 27, 2006
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1月23日、ライブドアのトップ3人、堀江(トップ)、宮内(ナンバー2:財務責任者)、岡本(取締役、ライブドアマーケティング社長)の3名が逮捕された。 このライブドア・ショックは東京株式市場に大波となって伝播した。多くの投資家が大打撃を受けた。特に、ネット証券市場の急成長、ライブドアを初めとしたIT企業の急成長によって急増した個人投資家へのインパクトは甚大だ。私の友人でも株を保有している人は、異口同音に「ライブドアのバカヤロー」と叫んでいる。彼らは、つい先日までこのところの株価急騰を受けてホクホク顔をしていた人たちだ。 ライブドアの時価総額は、昨年末で約8,300億円。上場時の15倍。1月25日の株価終値であっと言う間に1/6に下落。まるでジェットコースターのような乱高下だ。経営陣の半分が逮捕され、建て直し監理ポストに入って、100円台前半まで下がっているという悲惨な状況なのに、昨日は売買が成立した。買い手がつくところが驚きだ。恐らく、今後、外資等による買収を見越してのことだろう。 「時代の寵児」と呼ばれてきたホリエモンは、政治、社会、経済とも大改革が求められている日本において、まだまだ保守派が多く動こうとしない現実に一石どころか大きな爆弾を投じてきたように思う。彼の大胆かつ先進的なやり方は、日本に変わってもらいたいと思っている層、特に若者に「成功者、あこがれ」として尊敬されてきたように思う。 しかし、ホリエモンがやってきたことは、意外に古いやり口だ。ライブドアの成長の軌跡も、会計不正(粉飾決算)の手口も、米国で問題になった多くの企業のやり方にそっくりだ。 最近の米国企業の例で思い出すのは、2001~2002のエネルギー大手エンロン、通信大手ワールドコムの粉飾決算事件だ。そのインパクトは、米国の証券市場だけでなく、経済界、政界にも大きく波及した。ホリエモンは、IT先進企業のリーダーとして、目指したのは「マイクロソフトのビルゲイツ」で、実際は「エンロンのレイ元会長」になったのではないかと思う。 事態がこのように急変して、ニッポン放送の買収劇、フジテレビとの提携のプロセスで、新しい風、時代の急激な変化を受け付けないどうしようもない守旧派に映ったフジテレビの日枝会長が、とても理性的で先見性のある経営者に見えるのは私だけだろうか。 ホリエモンは、その著書で「お金で買えないモノはない。人の心もお金で買える」と書き、世間の批判を浴びた。野球球団の買収、衆議院選挙出馬などの売名行為は、全てカネのためという見方ができる。企業価値を向上させること、企業を成長させることは顧客のためであり、従業員のためである、という姿勢は正しい。しかし絶対に忘れてならないことは、実態の伴わない急成長は単なる「まやかし」であり、すぐ先には没落が待っているということと、口でどれだけ格好の良いことを言っていても、結局、「ストックオプション」をもらっている一部経営者個人の利益のために株価至上主義経営を行っているということだ。 昨日、ある会合で、人事コンサルタントの人と話す機会があった。彼は、主に大手企業を顧客に持ち、その従業員の転籍を中心とした人事異動をアレンジしている人だ。彼によるといわゆる大手企業の社長でも従業員に対する考え方は千差万別のようだ。ある社長はリストラ(人員整理)のことを真剣に悩み、転籍する人たちのことを心から心配しているらしい。しかし一方、別の社長は従業員をモノのようにあっさりと切り捨てるらしい。彼いわく、「ヒトを大切にしない企業は絶対に滅びる。」全くその通りだと思う。 ホリエモン事件を、対岸の火事として看過するのではなく、他山の石として気を引き締めなくては、と思う。 明日、この続編を書こうと思う。
January 26, 2006
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映画(寺尾聡主演)にもなった「半落ち」(横山秀夫著)を読んだ。映画が上映された時は日本にいなかったので、観ることが出来ず、ずーっと気になっていた。 アルツハイマーに苦しむ妻を殺害したと自首してきたW県警の梶警部(49)が主人公。殺害については素直に供述したが、妻を殺害してから自首するまでの2日間の行動については口をつぐむ。その2日間の行動について、警察、検察、新聞記者、弁護士、裁判官、刑務官が真相を突き止めようと努力するが最後の最後まで分からない。 一番最後になってようやく謎が判明する。(本を読んでいない人のため、ここでは結末は内緒) 冒頭の部分で、重度のアルツハイマーになった妻を、愛するが故に殺してしまうその運命の罪深さ、悲壮さに心打たれた。そして本全体を通じて、梶の純粋無垢で愛情深い人物像、妻への思い、やさしさに感動した。その一方で、ストーリーとしては、様々な人たちが、その妻殺害後の空白の2日間の行動を調べるが、なかなか判明せず、そのヒントすら出てこないので、読んでいて悶々としてくる。最後の最後まで答えが全く見つからない歯がゆさである。読み終わってみて思ったのは、この長い時間、読者に対して何度も何度も「あなたは誰のために生きているのですか?」「あなたが何としても守りたいのもは何ですか?」「本当の優しさとは何ですか?」と問いかけているのだと思う。 多少イライラしながら読み続けると、最後は結構あっけない。しかし、すっきりした気分で、何ともいえない満足感が広がった。最後まで我慢したからこそ味わえる満足感だ。そして上述のように、振り返ると、いろいろなことを考えさせられた。 お勧めの本である。今度DVDを借りてきて、映画も観てみようと思う。 さあ、次は、昨年来ベストセラーになっている「その日の前に」(重松清著)を読んでいるが、前半の部分であまり涙するシーンがなく、少し不安になってきたところだ。後半が楽しみだ。
January 22, 2006
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私は「駅前留学(英語)」の生徒だ。1年半前に米国から帰国した際に、生徒になった。語学は使わなければどんどん錆びてしまうという危機感から申し込んだ。 しかし私ほどの劣等生も少ないのではないだろうか。最初だけは多少、受講したが、あっと言う間に志高き人から劣等生に落ちぶれてしまった。忙しさにかまけて、ほとんどレッスンを受けなくなってしまった。3ヶ月に1レッスンのペースにまで落ちた。 語学力を保つというのは本当に難しいと実感する。使わなければ明らかに色あせてくる。しかし勘違いしてしまう落とし穴があったりする。私はつい数ヶ月前に、帰国後1年以上経っているので、さぞかし英語力も落ちただろうと思いながら、5年ぶりにTOEICの試験を受けてみた。その結果は予想外によく、目標点を達成したので「何だ、大丈夫じゃないか」と一人喜んで、自信を回復した。しかし、最近、英語で会話する機会があり、全く単語が出てこなかったり、言い間違ったりして、確実に低下している自分の英語力を実感し、愕然とした。やはり所詮テストの点数は点数であって、実際の会話は別もだと思い知らされた。 そこで最近、「こんなことではダメだ」と思い、また駅前留学を再開した。といっても無理のないペースで、ということで毎週1レッスンを目標にしている。何とか継続させたいと思う。高い授業料を払っていることだし。 何事も、継続的な努力が大切だと改めて痛感している。
January 21, 2006
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先日、「男たちの大和/ YAMATO」を観てきた。これは名作である。涙、涙の「ヒューマン・ドラマ」である。中盤から終盤にかけて涙が出っ放しという感じだ。太平洋戦争をこのような「人間、家族、恋人、友人、愛」という視点で表現した映画は今まであまりなかったのではないだろうか。何度観ても深い感動を覚え、戦争について真剣に考えさせられる名画「Deer Hunter」や「Saving Private Ryan」と肩を並べる名作だと思う。 劇場に入ってまず驚いたのは、満員の客席のほとんどが年配の方々で、周囲を見渡すとおじいちゃん、おばあちゃんばかりだったことだ。戦後60周年記念映画というだけでなく、前評判の高さがあれだけの人々を引き付けたのだろう。皆さん戦争を思い出しながら、各々、若き頃の体験などを回顧しながらの映画鑑賞となったことだろう。映画が終わった瞬間には誰もが神妙な顔をされていた。 大和には3,300余人もの15, 16歳といったあどけない少年が乗船し、大和と共に水上特攻した。あまりにも惨い事実である。映画の中での台詞にもあるが、「いったい誰のために生きているのか?」「いったい誰のために死ぬのか。片道切符で特攻しなくてはならないのか?」「僕らが死んで何が変わるのか?」という問いかけは、戦争というものの悲惨さ、壮絶さ、人間破壊を如実に表している。 私は子供の頃に祖父からよく戦争体験について聞かされた。いやというほど聞かされて、戦争は悲惨だ、絶対にしてはならないということは理屈でよく分かっている。でもそれはあくまでも理屈上での理解であり、所詮、体験から得られる迫力、力強さがない。祖父や両親は「赤紙が届いた時の自分や家族、特に母親の心境」「お国のために死ぬのが勇気と教え込まれた教育」「現地での壮絶な光景」「国内での空襲時の地獄絵」などをよく語ってくれた。 では、普段、自分が戦争について何かを語ることがあるかと言えば、ほぼ皆無である。子供に対して戦争の話をすることなどない。自分が体験していないから、教科書的な説明はできるとしても、生きた言葉で戦争の悲惨さを伝えることはできない。 今は戦後生まれがほとんどになり、平和な日本では普段、戦争の話をすることはほとんどない。稀に出てくる戦争話は、海外の戦争話であり、所詮「他人事」である。 だからこそ、このような映画はとても貴重だと思う。重たい映画ではあるが、(そして多少、目を覆うようなドぎついシーンがあるが)子供を含め一人でも多くの人が観るべきだと思う。 真貴子(鈴木京香)が鹿児島県枕崎の漁師・神尾(仲代達矢)に60年前、大和が沈んだ場所まで舟を出してほしいと懇願し、小型漁船を走らせているうちに大和に乗り組んでいた神尾の脳裏に60年前の特攻のシーンが甦ってくるというストーリーであるが、この映画の焦点は、実は「死に行く人々」よりむしろ「生き延びた人々」だったように思う。戦争から運良く生き延びた人々がこの60年間何をしてきたのか?戦後生まれを含め、今生きている人たちは、日本の将来のために何をすべきか?という問いかけがこの映画のメインテーマのように感じた。 やはり多くの人たちに是非ご覧いただきたい。
January 20, 2006
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先日、キングコングを観た。ご存知の通り、1933年に製作されたキングコングのリメイクだ。オリジナルは子供の頃に観た記憶がある。野獣と人間(美女)との悲しく切ない恋愛を描いた画期的な映画だった。 今回のキングコングは、Lord of the Kings 3部作を監督し、アカデミー賞を受賞したピーター・ジャクソン監督による作品ということで、鳴り物入りで公開が始まった。興行成績も上々のようだ。 まず驚くのは映像の凄さだ。最近の映画はCG映像が見事なため、人工のものとは思えない迫力あるシーンの連続で、目が離せない。島や山川の景色、キングコングそのもの、恐竜(とキングコングとの闘い)、動物などの映像が見事である。山、岩、川といった映像部分は、Lord of the Kingsを思い出した。そっくりだ。 オリジナルと比較し、映像は大々的に変わったが、ストーリーは同じだ。冒険映画を撮影するために幻の孤島「スカルアイランド(頭蓋骨の島)」にやってきた女優のアン・ダロウが現地人に囚われ、生け贄としてコングに捧げられるが、コングは彼女をさらって恋愛が始まる。そしてコングは恐竜などの敵から彼女を守り、愛が深まる。彼女との別れも止むなしとなったところで、撮影班一行はコングを捕らえニューヨークに連れて帰って見世物にすることにする。コングはNYで暴れ、エンパイア・ステート・ビルで殺される、というストーリーだ。最後のシーンはとても悲しく、感動的だ。 しかし、今回の映画全体としては、それほど感動がなかった。映像は迫力があるが、心を打つシーンや台詞が少なかったように思う。気持ち悪い虫のシーンが妙に長かったし、恐竜との闘いのシーンも長かった。そして、ニューヨークに連れて来られてからのコングとアンとの心のやりとりはあまりなく、ただ暴れて殺された感じだ。率直に言って、あくまで「娯楽」映画で、感動は少ないと言ってもよいように思う。ちょっと物足りなかった。
January 19, 2006
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年末に上司から「この本読んでみたら。いろいろと考えさせられるよ」と言いながら、重松清著 「ビタミンF」を渡された。 重松清は、99年「ナイフ」で坪田譲治文学賞を受賞、01年「エイジ」で山本周五郎賞を受賞、この「ビタミンF」で直木賞を受賞した作家だ。ご自身が40過ぎとあってか、「家族」をテーマにした作品が多いようだ。 早速、お正月に読んでみた。 「ビタミンF」は7つの短編から成っている。いずれも「家族」「父親」がメインテーマだ。「オヤジ狩り」「子供の非行」「夫婦仲不和」「普段は会話のない父子関係」「学校でのいじめ」「若い頃(過去)の栄光、回顧」「老いた親」「自分の老後」などなど、誰もが日常生活で悩むことの多い話題がたくさん出てくるので、とても読みやすく、また考えさせられる本である。 話の中で、「30代、40代は中途半端な年代」と位置づけられている。また、親は老いていき、子供は手が掛からなくなり親から離れていき、夫婦関係は若い頃のようにはいかなくなり、仕事のほうも中間管理職という難しいポジションになる中で「自分の居場所はどこ?」という素朴な疑問・不安・不満が表れている。 私もこの世代で父親なので、共感する部分が多い。私の場合、幸運にも2度、通算5年半の間、米国に住むことができ、仕事だけでなく、家族との関係をじっくり考える貴重な機会を得た。米国滞在中は国内で仕事している時よりずっと長い時間子供と接することができた。もし、家族との時間を重視する米国で生活し、仕事をする機会がなかったら、仕事一筋で人生が終わっていたかもしれない。(元々そんな真面目な人間ではないが、周囲の雰囲気に流され易いので) この本の中に出てくる主人公(父親)たちは、その中途半端な世代、立場というだけでなく、やはりバブルの後遺症が残って元気がなく、悲観的であるように思う。そして私たち読者の共感を得ているように思う。 最近の経済情勢は明るさを増してきた。中年、父親としての難しさは普遍であろうが、仕事の面で明るさが出てきたら、人生も明るくなるような期待感がある。 今は、映画にもなった「半落ち」(横山秀夫著)を読んでいる。これまた面白い。 その後で、昨年来ベストセラーになっている「その日の前に」(重松清著)を読もうと思う。この本は涙なくして読めない本らしい。通勤途中に電車の中でお父さんたちは泣きながら読んでいる、と話題になった本である。楽しみだ。
January 18, 2006
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先週、会社の近くのパソコン量販店が店じまいセールをしていたので、自宅用の新しいプリンターを購入した。 これまでキャノンの古いプリンター2台(1台はA3カラー・インクジェット、もう1台はA4モノクロ・レーザー)を使っていたが、両方とも最近調子が悪かった。今回はEPSONのColorio(カラリオ)PM-A950を買ってみた。これはEPSONの複合型(多機能型)プリンターのハイエンド・モデルである。機能と値段を他機種と比べてこれを選んだ。 店じまいセールということで、元々このプリンターは量販店(安売店)にて4万5,000円程度で販売されているが、「店頭品かぎり」ということで約1万円引きになっていた。しかも自宅への送料もタダだったので、すごく得した。 届いたプリンターを早速使ってみたが、感動ものである。今のプリンターは本当に賢い。多機能型のものは、1) パソコンを介さずデジカメから直接写真をプリントでき、2) ネガ(フィルム)や写真、ドキュメントを高解像度(4,800sdpi)でスキャンでき、JPEGやPDFで保存でき、3) カラーコピーでき、4) 写真、ハガキ、ドキュメントなどがプリントアウトできる。 これだけできてこの値段は驚きである。しかも写真専用紙でデジタル写真をプリントしてみたが、その質はかなり高い。写真屋さん顔負けである。1枚あたりの単価は20円程度と少し高いようだが、便利さがそれを上回る。機能的にいろんなことができそうなので、もっと勉強して、楽しみながら活用したいと思う。
January 17, 2006
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昨日のブログで「イチロー」について書いたが、やはりいろんな点でイチローはすごいと思う。新年1/4に放送された「古畑任三郎」をご覧になった人もいるのでは?予告を見ていて、きっとオフの間にお遊びで出演するので、短い時間の出演なんだろう、と思い込んでいたら、なんのなんの、犯人(殺人者)役での主役出演であった。役者が専門ではないことを考えると、見事な演技だと思った。チンピラから強請られている兄を労わる優しさは、イチローの「地」も出ていたように思う。また、人を殺すシーンなどで、ぎこちないながらも厳しい表情を時折見せ、こちらも面白かった。少年たちが野球をしていたグラウンドで、古畑(田村正和)が投げたボールをイチローが打つシーンがあるが、ジャージ姿でいつものバッティングフォーム(右腕を伸ばし、左手を右腕、右肩に持っていく仕草も含む)をしたときには、何ともいえず可笑しかった。ま、格好良い男は何をしてもさまになる、ということか。 マリナーズにイチロー、佐々木、長谷川が同時に在籍した時の試合を観にいったときは興奮した。イチローがライトを守り、8回になってブルペンで大魔神・佐々木が投球練習を始め、その後ろのベンチに長谷川が座っているシーンをスタンドから見たときには、日本人として何とも表現しづらい嬉しさに包まれた。彼らを誇りに思う。 昨日のブログで紹介したように、新成人の尊敬する人のNo.1がイチローだったわけだが、様々な分野で世界に飛び込み、新たな道を開拓してきた人たちは素晴らしいと思う。その苦労、努力、精神力を想像すると、一人一人が尊敬されて当然だと思う。最近のスポーツ選手では、MLBの野茂、サッカーの三浦カズ、中田、(L)PGAの青木、岡本、丸山、NBAの田伏などもその代表格であろう。 野茂がドジャースに入団した当初から、ロサンゼルスだけでなく、サンフランシスコ、シアトルといった西海岸各地で(東海岸のことは知らないが)米国人は、日本人とわかれば、まず何より「野茂」を話題にしていた。彼の成績のよさだけでなく、独特の「トルネード投法」がうけていた。スポーツが国際交流に大いに効果的だと実感したのはあの時だ。 これからもたくさんの日本人が国際的な場で活躍していただきたいと願っている。
January 16, 2006
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今週の月曜日、1月9日は成人式だった。 新成人(昭和60年生まれ)人口は、143万人で、男女別にみると,男性は73万人,女性は70万人で,男性が3万人多いらしい。めずらしいー!人口の話しになると、大概、女性が多いものだが、男性が多いなんて、何となく嬉しい。 と、そんなことが大事なわけではなく、143万人という新成人の人口は過去最低らしい。少子化の表れであす。もっと深刻なことに、来年以降、さらに少なくなっていくようである。本当に待ったなしの状況だ。猪口さん、がんばってください! 成人式を祝して、日経新聞が新成人の大学生1,000人にアンケートをとった。その結果のうち、面白いものをご紹介する。Q1) 好きな国は? 1.英国、2.イタリア、3.フランス、4.オーストラリア、5.ドイツ、6.スイス、7.米国Q2) 嫌いな国は? 1.中国、2.韓国、3.米国、4.イラク、5.ロシア、6.イラン、7.英国Q3) 尊敬する人物は? 1.イチロー(10.8%)、2.小泉総理 (4.9%)、3.北野武 (4.3%)、4.松井秀喜 (3.8%)、5.緒方貞子 (3.5%)、6.堀江貴文 (2.9%)Q4) 日本が世界に誇れることは? 1.アニメなどサブカルチャー (73.1%)、2.伝統的な文化や芸能 (58.2%)、3.ハイテク技術力 (57.7%)、4.食文化 (51.3%)、5.海外で活躍するスポーツ選手の存在 (37.3%) これを見て、皆さんどう思いますか? Q1の「好きな国」では相変わらずヨーロッパが圧倒的に強い。その歴史、文化、景色、町並み、人などなど、あこがれるのは当然である。私もヨーロッパのファンである。日本から遠くてなかなか行き難いのもあこがれる気持ちが強くなる理由かも。にしても、米国が7位で、アジアが全然出てこないのはどうしてだろうか? Q2の「嫌いな国」では、中国、韓国と続く。どうして近隣諸国との関係が長年かかっても改善できないのだろうか。世界は今やBRICsを中心とした急進国に注目している。そうでなくてもバブル崩壊後日本は「Japan Bashing」→「Japan Passing」→「Japan Nothing」などとたたかれてきた。まず何より(欧米諸国以上に)近隣諸国と仲良くなり(関係を改善し)、アジア諸国から信頼を得、アジアのリーダーにならなくてどうする!といいたい。中国、韓国の反日感情、反日行動、政治体制、懸案事項(経済水域境界での中国のエネルギー開発、竹島問題、靖国参拝、戦後の謝罪・保証などなど)がある中で、一朝一夕に仲良くなれるものではないとは分かっているが、やはり政治家が率先して関係改善に動き出すべきではなかろうか。正直なところ、国民レベルではいがみ合っているのはごくごく少数であり、多数派は仲よくなりたいと思っていると思う。(ビジネス上、中国を嫌う人は多々いるが)私が海外に住んでいた際に知り合った中国人、韓国人は非常に理性的で、話の分かる人たちばかりだった。過去にこだわっている場合ではなく、お互いに信頼して協働できる将来を築かねば、と話していた。そのような一般人のほうが多いように思う。 Q3の「尊敬する人」は相変わらずスポーツ選手が多い。イチローは私もファンである。米国で、イチローの出ている試合を5回観にいった。やはりイチローは格好よかった。彼の動きの速さ、身のこなし方は他の誰よりもスマートで格好がよい。彼の打席での仕草、打った後の走塁の速さ、守っていてボールに向かってまっすぐしかも速く走る姿、矢のような送球などを見ると、心から感動する。一度、彼が守っていて、相手チームの走者が一塁で、ライト前ヒットを打たれた際に、イチローは補給後、ワンステップで3累に矢のような送球をしてランナーを刺した。もちろんノーバウンド。それを見たときには鳥肌が立った。 新成人が「尊敬する人」に選んだのは、彼の技術に加え、やはり素晴らしい人格を評価しているのだろう。日頃の努力、大リーグで新人から5年連続で200本安打という偉業を達成しながらも、常に謙虚な姿勢を崩さない姿は誰もが好感を持つと思う。そういえば、国民栄誉賞を辞退したときも格好よかったなぁ。 Q4の「日本の誇れるもの」ってなんでしょう?結構、悩む問いかけですね。アニメが圧倒的に強いのはよくわかる。今や日本のアニメがそのまま欧米諸国で放送されている。では他に誇れるものは何?やはり独自の歴史、文化、それから車やハイテク機器といった工業品になるのだろうか。大事な「ヒト」という点では、スポーツ選手になってしまうのだろうか?何か寂しい感じがする。
January 15, 2006
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1/10(火)ガーラ湯沢、石打丸山に日帰りスキーに行った。今シーズン初すべりだった。 最近は2日続けて休みを取れないので、一冬に数回、新幹線で平日日帰りスキーを楽しむようになった。新幹線は車と違って楽で便利だ。値段が高いイメージがあるが、日帰り往復の切符(新幹線指定席)に1日リフト権、さらに1,000円券(ガーラの湯=温泉無料券)が付いて、13,300円である。安いものだ。友達同士や家族で、車でワイワイ行くのも楽しいが、天気や体調を考えて、思い立ったときに気軽に日帰りできるという点で、新幹線スキーは便利だ。 1/10の午前中は珍しく快晴だった。雪の多いこの冬で、快晴の日はこれまでほとんどなかった模様。リフトで一緒になった旅館で働く地元の人と話をしていたら、年末年始はお客さまが多く大忙しで、そして他の日で晴れた日がなかったため、結局この1/10は彼にとっても今シーズン初すべりだと語っていた。空は真っ青に澄み渡り、山々は雪で真っ白という美しい景色を見たら、全てを忘れてすがすがしい気分になった。山が好きな私としては、これだけでスキーせずに帰ってもよいと感じた。 しかしやはり人間、貪欲で、スキーもしたいし、温泉にも入りたい。そこで2~3時間スキーをして、温泉に入って帰ることにした。 なんと、ガーラの積雪量は4mを超えていて、上のほうのゲレンデは雪の多さでclosedだった。ガーラをご存知の方なら分かると思うが、ただでさえ(交通は便利だが)斜面としてはあまり面白くないスキー場なのに、上部が滑れないとなるとすぐに飽きてしまう。1時間もしないうちに隣の石打丸山に移動することにした。リフトを乗り継いで行けるし、2,000円払えば、石打の1日券も購入できる。石打で2時間程度滑って温泉に向かうことにした。 何本か滑った後、そこで帰ればよかったものの、ついつい血が騒ぎ、コブ斜面(モーグル斜面)を滑って帰ろうと思った。これが失敗だった。 コブを滑っていて、自分のイメージ通りに滑れず、「えーい!もう1回!」なんてやっているうちに、腰を痛めてしまった。10年前に全く同じシチュエーションで全く同じ場所(腰の左側)の肉離れを起こしたことがある。今回はその再現だった。あまりの痛さにそこをしばらく動けず、何とかリフトを乗り継ぎ、ガーラに戻ってきた。 そして温泉で腰を暖めて自宅に戻った。ここまでは痛いながらも何とか無事だった。しかし夜から痛みは増し、ついに全く動けなくなった。寝返りも打てなくなってしまった。 翌朝も全くダメ。ついに会社を休むことにして、医者に行った。 出だしは最高だったが、結末は悲惨。今は早く治すことに専念している。これで今シーズン全てを棒に振るわけにはいかない。 それにしても、平らな斜面は今でも安定して滑れるが、コブ斜面については昔(学生~独身時代)の方がよっぽど上手だったと思う。毎シーズンの滑走日数が数日と少ないこともあろうが、やはり歳や体力の衰えがあるように思う。イメージは昔のままなのに、体力と精神力が付いてこない感がある。 今回のことがあり、改めて「こんなことではダメだ、もっと若々しくならないと」と自分に言い聞かせている。とはいえ、家族や友人からは「歳を考えなさい」と注意されている。これが現実だ。現実を素直に受け止めることも大切かもしれない。
January 14, 2006
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昨日(1/8)、川越市の丸広百貨店駐車場にて開催された消防出初式を見てきた。 やはりこのような儀式を見ると、厳しい寒さも手伝って、気持ちが引き締まった。 出初式を見たのは久しぶりだ。川越の出初式もなかなか素晴らしい。消防車の披露、人命救助、ハシゴ乗り、放水といったデモンストレーションも面白かったが、これらのいわゆる「定番」に加え、ヘリコプターによる丸広百貨店屋上からの人名救助デモンストレーションは特に見ごたえがあった。会場が駐車場ということもあり、放水の際には真上に放水したが、その高さが高く驚いた。風下にいた人たちは新春人工豪雨を浴び気の毒だった。(ごくわずかの人たちは喜んでいた模様だが) 消防出初式とは、1659年1月4日(4代将軍家綱の時代)に上野東照宮の前で『定火消』の顔見せの儀式が行なわれたのが契機となり、次第に儀式化され、慣例行事となって現在まで受け継がれているらしい。何とも長い歴史である。日本の文化の一部だと思う。 やはり一番の目的は、年頭という大事な節目で組織の士気を高め、連帯感を醸成することであろう。実際に式に参加している消防士さんたちは、緊張感いっぱいの素晴らしい表情と動きをしていた。見ている観客にもその緊張感がよく伝わっていたと思う。 1/3の喜多院での「だるま市」にも行ったが、1月は各地で新春イベントがたくさんあって、とても楽しい。そして楽しさの後には、充実感と緊張感が心地よく残っている。来年もまた行こうと思う。
January 9, 2006
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あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 元日に田舎(富山市)に帰省し、3日にこちらに戻ってきた。12月は積雪の記録を更新したそうで、正月を迎えた街にはまだ多くの雪が残っていた。 今回の帰省であまりにもショッキングなことを聞かされた。自分の母校である小学校が2年後になくなってしまうというのである。愕然とした。少子化とともに、小中学校が統廃合されているというニュースは聞いていたが、やはり自分の母校がなくなることになって初めてその意味深さを実感することになった。 私の母校は、近隣の他の4校と合併して、大きな小学校になるらしい。私が卒業した頃には、各学年3クラスで100名程度の子供がいた。最近は、1クラスでしかも30人を切っているらしい。それを聞くと、「仕方ない」とは理解できるが、やはりこんなに寂しいことはない。 先日、友人から都内のある私立大学が廃校になったと聞いた。学校がないからもう「卒業証明書、成績証明書を発行してもらえない」らしい。このような重要書類についてはもしかすると何らかの救済措置があるのかもしれないが、これらの書類が欲しいときにきちんと発行してもらえないようでは、求職時、留学時、資格試験等の受験時にも影響する。それ以上に「どこの大学出身?」と聞かれて「母校はもうなくなったの」とは返答したくない。 都内中心部では一時期、地価の急騰と共に居住者が減少し、子供が減少し、学校の統廃合が行われた。その都心部には人が戻ってきている。品川区や江東区(豊洲近辺)等は開発が進み、大きなマンションなどが建った結果、子供が急増し、小学校が足りなくなっているとも聞く。 どうしてこんなに人口の地域的なアンバランスができたのだろう。全国的に見て少子化の影響で子供が少なくなっているところに、人口が都心部に集中しているため、地方は悲惨な状況である。 三位一体改革、福祉改革、子育て支援、地域活性化策等が大胆に講じられれば、将来は多少明るくなるかもしれないが、残念ながらあまり大きな期待を持てそうな状況ではない。 年明け早々、暗い話題になってしまったが、Dog Yearということで、政治、行財政の改革が、これまでが嘘のようにスピードアップしてくれるといいのだが。。。おっと自分自身の改革も負けないようにスピードアップせねば!
January 5, 2006
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先日、ハリーポッター・炎のゴブレットを観て来た。前作までと同様、魔法という不思議な世界での不思議な出来事を2時間半という限られた時間でコンパクトに、濃く、楽しくまとめられており、期待通り楽しめる映画だった。 前作までも映像がすごかったが、今回の作品は、さらに迫力があったように思う。特に、ハリーとドラゴンの戦うシーンは迫力満点だった。 ストーリー面では、前作までと随分違う印象を受けた。ドラマになった感じだ。まず、伝説の“三大魔法学校対抗試合”が中心になっているが、これは、いくら「伝説」とはいえ、学校対抗というスクールイベントの雰囲気であり、「魔法」「ハリーの生い立ち、宿命」「悪魔(ヴォルデモート)の復活」といった精神面で緊張し、好奇心が駆り立てられるシーンが随分少なくなったように思う。また、社交ダンスのシーンや、(本当に理解不能だが)ハリーの入浴シーンが妙に長く感じられた。さらに、ハリーを含めた主人公たちの恋愛もクローズアップされているため、前回までの雰囲気が変わった印象を受けた。 私は原作を読んでいないが、原作を読んだ人たちにとっては、どうやら大事な部分を飛ばしすぎ、という印象らしい。 その大事な部分というのは、対抗試合での他校生の戦いのシーンや、最後のヴォルデモートの復活のシーンのようである。 私の目で見ても、最後の大事な、そして最もワクワクするはずのヴォルデモートの復活のシーンが妙にチャチに見えた。そして次作において、ハリーとの戦いがどうなるのだろう?どうしてココで終わっちゃうの?という残念な気持ちがそれほど起きなかった。 そうは言っても、娯楽映画としてとても楽しめる内容である。想像力をもっとかき立てて奥深く楽しもうと思ったら、原作を読むしかないようである。私はハリーポッターシリーズの第1作しか読んでいない。そのうち続きを読もうと思う。
December 31, 2005
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今朝、出社する前に、家族でケータイを買いに行きました。家族3人全員auにしました。これまでドコモだったので乗り換えです。 キャリア各社のメニュー、料金(割引を含む)、コンテンツは日々変わっていますし、端末の機種によっても機能が随分違いますので、選ぶのが大変です。ドコモやVodafoneもauに追従してパケット定額や家族割引を導入しましたし、Vodafone,やWillcomeなんかはついに通話定額まで始めました。しかも今のPHSは以前と違ってかかりやすい。いよいよケータイ大競争時代に入りつつあり、選択が難しいです。 各キャリアとも多様な割引メニューを用意しているにもかかわらず、ドコモからauに乗り換えたのはいくつか理由があります。 まず家族割、指定割、学割、パケット定額、ダブル定額等を組み合わせると、恐らく総合的に一番安くなるだろうと判断したからです。また、一般にあまり知られていないかもしれませんが、KDDIの固定電話と両方使用すると、請求書(領収書)が一つになるだけでなく、割引があったり、ポイントが合算できたりします。YOU選(番号の下4桁の希望が言える)も結構ありがたです。来年秋の番号ポータビリティー制度の開始を控え、今から自分の好きな番号を抱え込める魅力は大きいです。手数料は本来315円ですが、今ならほとんどのお店でタダでやってくれます。(315円でも喜んで出しますが)でも「ぞろ目」は無理です。 ちなみに私は、××××-COOL(2665)にしました。名前負けしないようにCOOLな(すごい、格好よい)人になれるように努力したいと思います。
December 29, 2005
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昨日のブログ「インド洋大津波からちょうど1年」の続きである。 「TSUNAMI」と書くとサザンの歌を思い出してしまう。私もこの歌が好きでよく聴いた。滅多に行かないが、たまにカラオケに行くと、ついつい歌いたくなってしまう。 この「TSUNAMI」や「カラオケ(Karaoke)」は、海外でも日本語がそのまま使われている数少ない単語のうちの2つである。それ以外に「ポケモン(Pokemon)」もそうである。ポケモンは、元々が「Pocket Monster」という英語であるにもかかわらず、海外でも「Pokemon」で通用している。 どれもそのまま(日本語のまま)海外で通用するという点では同じだが、「TSUNAMI」は学術用語として認められているという点で他の2つの単語と大きく違う。 従来、英語では「津波」を表現するのに「Tidal Wave, Seismic Wave」といった表現を使ってきた。「Tidal Wave」は「高潮」であって、「津波」とは意味も特徴も大きく異なる(下段参照)。「Seismic Wave」は「津波」とほぼ同じであるが、それほどよく使われているわけでなく、定着していなかった。この他に「Surge」も近い単語だが、これは開水路や管路における水の波を表すので、海には馴染まない。やっぱり「TSUNAMI」しかない。 どうやら「TSUNAMI」が英語として定着したのは、1946年にハワイ諸島を津波が襲った際、日系人が話していた「TSUNAMI」が地方紙に載ったのが始まりらしい。その後、1968年に学術用語として採用されて、英語として定着したようである。【参考】(1)「高波」:原因は「風」:波は海面上で風が吹くことで発生します。当然強い風が吹くほど高い波が発生するわけで、台風の接近した海域では場合によっては10mを超える高波が発生しますし、冬の日本海で波が荒いのもシベリア高気圧がもたらす強い季節風が原因です。(2) 「高潮」:原因は「気圧」:高気圧、低気圧と普段なにげなく言っていますが、そもそも気圧とは空気が周囲を押す圧力の大きさのこと。海の上では空気が海面を押す圧力の大きさのことになりますから、気圧が高ければ海面は強く押され、逆に気圧が低いときには海面を押す力が弱いために水位が上がる(吸い上げられる)ことになります。吸い上げの効果は気圧1hPaあたり約1cm。例えば950hPaの台風の中心では、吸い上げ効果だけで通常より約50cmも潮位(海面の高さ)が上がることになります。加えて、風が強い場合には強風によって海水が岸に向かって吹き寄せられて、さらに潮位が高くなります。台風が来たときに高波と高潮が合わさって被害をもたらすのはこのためです。(3) 「津波」:原因は「地震」:海底で地震が発生して地盤が隆起したり沈降したりすると、地盤の動きに合わせて海面も上下します。この海面の動きが同心円状に広がっていくのが津波です。 高波や高潮と比べて恐ろしいのが津波の威力とスピードです。普通の波は海面近くの海水だけが風により動かされているのに対して、津波は海底から海面まで海全体が地盤変動により動かされて生じるため、波の持つエネルギーも大きくなります。また高潮は海面がじわじわと上昇するのに対して、津波は水深5000mの外洋ではジェット機並みの時速約800キロ、水深100mの場所でも時速100km以上の速さで伝搬します。例えば1960年に南米のチリ沖で発生したマグニチュード8.5の地震では、約15時間後にハワイ諸島で最大10m以上の、そして地球のほぼ真裏にあたる日本でも地震発生から約1日後に数メートルの津波が押し寄せ被害を及ぼしました。 津波には、陸上の火山が爆発し、それによる地すべりで大量の土砂が海に突入することによって発生する種類のものもある。「島原大変肥後迷惑」という言葉で有名な寛政4年(1792)の島原湾の大津波が代表的な例である。島原半島での火山の噴火によって、雲仙岳眉山(天狗山)の東部が崩壊し、この大量の土砂が島原湾に突入し、有明海を経て対岸の肥後国沿岸を津波が襲ったもので、1万5000人あまりが死亡した。また、海底の大噴火が、津波を発生させる場合もある。
December 28, 2005
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昨日(12/26)、約23万人もの死者・行方不明者を出したインド洋大津波からちょうど1年が経った。多くの日本人も被害に遭い、40人の日本人が死亡、2名が依然行方不明の模様。昨日、インドネシア、タイ、スリランカ、インドなどの国で追悼行事が行われたようである。 時が経つのは早いものである。1年前のショックは今もよく覚えている。被害に遭われた方々のご冥福と早期回復を祈るばかりである。 津波による被害を防ぐ方法はいろいろある。防波堤・防潮堤の整備もその一つであるが、やはり即時の警告・避難命令が不可欠と思う。津波は震源地が近ければ数分から数十分で沿岸部に到達するため、警告・非難命令システムは時間との戦いである。 この1年間に地震感知・津波予測の国際プロジェクトが動き始めたそうである。またタイの観光地なのでは、既に津波警報システムが導入され、24時間体制で監視にあたっているとのこと。 太平洋、大西洋、インド洋といった大洋に接する沿岸部は気が遠くなるほど広く、これらの地域、特に途上国における防災システムの導入は容易なことではない。正確な情報が伝わっていないため、住民の危機意識の低い地域も多い。これらの地域全般に、ハイテクを利用した防災システムを導入することは時間とコストのかかることではあるが、必ずやらなければならないことだと思う。 ところで、1年前の津波で夫を亡くされた池橋みねこさんという人が、スリランカの被災者を支援するNGO「TECHジャパン」の副代表になり、女性自立支援、保育園解説などを積極的に推進されているそうである。ご興味のある方は、一度アクセスしてみてください。 http://www.techjapan.jp
December 27, 2005
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今朝の新聞で「ドコモが第2世代再投入」と書いてあった。 時代の流れに逆行する動きに、え??と不思議に思って記事を読んでみた。 するとFOMA(3G)の基地局の整備が思うように進まず、今もカバーしていない(すなわちかかりにくい)地域が結構残っているため、とのこと。それに対してMova(2G)のカバーエリアは広いので、一旦、端末新製品の投入を停止したものの、方針を転換したようだ。 「今さら2G?」と思ってしまうが、基地局を初めとした設備整備には時間とお金がかかるのに、競争相手は待ったなしで先に進むため、緊急措置をとったということだろう。 3Gへの移行を最もうまくやったのがau(KDDI)である。2Gから3Gへ移行するにあたって、ドコモは全然違う技術を導入した一方で、auは2Gの改良型(進化型)の技術を投入した結果、その移行のスピードとスムーズさに大差がついた格好だ。ドコモはFOMA(3G)のために基地局を新たに整備する必要があり、auは2Gの基地局がそのまま使える。 現在、国内でなんと9,000万件ものケータイ契約数がある。うち、ドコモが約5,000万件、auが約2,000万件である。全体の46%の人が3Gを使っているが3G率としては2社間で大きな開きがある。ドコモがたったの32%なのに対し、auは何と94%である(H18/8月)。 このところ強いauの強さの秘訣は一般的に最初にダブル定額制を導入したことや、着うたフルのメニュー(に加え、仲間由紀恵)といわれているが、実はこの3Gへのスムーズな移行(2Gと互換性のあるcdma2000の採用)がau飛躍の大きな要因となっている。 料金面やコンテンツで、最近、ドコモの巻き返しが激しい。でもauも負けていない。 来年(2006年)秋にはナンバー・ポータビリティー制度(電話番号を変えずにキャリアを変更できる)が始まる予定だし、2007年以降、はソフトバンク、イーアクセス、アイピーモバイルが参入してくる予定である。ますます競争が激化してきて目が目が離せない。 ちなみに私は今、ドコモMovaを使っているが、来週、家族そろってauに乗り換える予定である。いろいろなauの魅力に負けた感じである。
December 25, 2005
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今年の冬は、気象庁の予測が大きくはずれて厳冬となった。日本海側に降っている雪の量は半端でない。12月の雪としては記録的な雪で、日本全国20箇所で記録を更新したようである。 今朝、北陸にある実家に「雪見舞い」の電話をした。家は無事なようでホッとしたところである。 関東に生まれ育った人は雪国の冬の辛さをご存知ないと思う。毎朝、家の前の雪かきから始まり、雪の小道を通勤・通学するのは「辛抱」以外の何物でもない。今のようなドカ雪が降ったら屋根の雪下ろしまで必要になる。いつも雪で家が潰されないか心配し続けなくてはならない。 しかし、辛いことばかりでもない。面白いこと、楽しいこともたくさんある。そり、スキー、スノボー、雪合戦といったスポーツや遊びは雪国ならではである。 冬が近づくと、雪国の木々は「化粧」をする。まずは「雪つり」である。雪つりとは、木の枝が雪の重みで折れないように幹に沿って支柱や竹を立て、上から縄で枝を吊る仕組みである。 金沢の兼六園はその美しい日本庭園等で有名だが、この雪つりでも有名である。毎年11月になると、木々の容姿が変わり、情緒あふれる雰囲気に包まれる。以下のサイトに雪つりをした兼六園の写真がある。兼六園の雪つり1、雪つり2 そして何といっても本当の「化粧」は、そこに雪が積もったときである。木々の枝葉にうっすらと雪が積もった時には「自然のクリスマスツリー」という感じで、何ともいえない風情がある。 しかし、雪の降りすぎはよくない。風情というより単に雪に埋もれた公園になってしまう。よって人々の生活という点でも、街の風情という点でも今のドカ雪は迷惑である。早く寒波が遠ざかってくれることを願うばかりである。
December 24, 2005
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厚生労働省の人口動態統計の推計値で、2005年ついに日本における出生数が死亡数を下回る「人口の自然減」に転じることが明らかになった。1899年以来の統計で、人口が自然減となるのは初めて。 国立社会保障・人口問題研究所は、つい15年前には日本の人口減が始まるのは2011年と予測し、その予測が2009年、2007年とどんどん早まり、結局ふたを開けると、今年2005年には自然人口減が起こってしまった。 これは大変なことである。 人口は国を支える基礎であり、国の将来性は人口によって大きく変わってくる。人口減が続くと、国の経済力が低下し、社会保障制度の維持が難しくなる恐れがあり、現在ホットになってきている年金、医療、介護制度などの議論にも大きな影響を与えるだろう。 何より若者が少ない、生産年齢人口が少ない国は元気、活力を失ってしまう。日本がそんな風になっては困る。 ではどうすべきか。20年も前からこうなることが分かっていながら少子化現象を止めるどころか悪化させた政府の無策は非難されるべきだと思う。今からでも大胆な手を打つべきと思う。でも今から手を打って、仮に少子化が改善されても、来年生まれる赤ちゃんが大人になるのに20年かかる。 やはり海外から若いエネルギーを迎え入れるしかないのではないだろうか?外国人労働者に対して世論には賛否両論あるが、いつまでも閉鎖的な社会を維持できるとは思えない。むしろ積極的に考えて、開かれた日本、魅力ある日本を作って、海外から優秀で活力ある人材を受け入れる時が来たように思う。 人口減というショッキングなニュースは、逆に日本の国際化、海外からの労働者の受け入れについての世論を盛り上げる絶好の機会のように思う。
December 23, 2005
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ニュースで多少取り上げられているのでご存知の人も多いかと思うが、今、ニューヨーク都市交通局(MTA)の組合が、25年ぶりにストライキを行っている。NY市民は大迷惑を被っている。毎日約700万人の人が影響を受け、経済的損失は500億円以上と見られている。 驚くべきことは、彼らは公務員で、NY州法でストが禁じられているにもかかわらず、ストを決行したことである。組合が賃上げおよび年金改善を要求したものの、MTAの回答が不十分だったという理由である。 MTAのホームページでは、MTA総裁名で「すぐにストライキをやめて、職場に戻るように」というメッセージが載っているが、効果があるとは思えない。 このニュースを聞いて「米国らしいな」と感じた。まず、米国の労働組合は日本のそれとは全然違う。日本の組合は「企業内組合」が多く、経営側と利害が一致する(例えばストによって顧客に不安感を与えたり、信用を失ったり、収益の減少が発生すると労働者も困るなど)部分が多い。組合の関係者も組合員である前に社員である人がほとんどであるため、職場における人事評価、あるいは職場復帰後の昇進機会等を考えると、過激な行動に出られないのも事実。また国民性、文化といった点で、ストは好意的に受け入れられないため、組合交渉でも最終的にストが回避されるケースがほとんどである。 一方、欧州や米国では、労働者の権利が広く社会に認められ、組合も当然の権利と考えている。単一企業の組合より、「業界・産業別の組合」が多く、力を持っている(言いたいことを強く主張できる)。 次に、今回ストを行っている職員の給与は実際に低い。世界中の人たちは、米国は裕福だと考えているし、実際に国としてはその通りであるが、一般労働者の給与レベルは日本よりずっと低い。諸外国の人たちは、ほんの一握りの富裕層を見ているだけで、米国経済の強さを支えているのは、移民や黒人を中心とした低所得労働者層である。公務員の給与も一般的に低い。 米国に旅行した際に、空港の税関職員を始めとしたいわゆる「役人」の態度の悪さに閉口した人も多いのではないだろうか。米国のサービス業の質の悪さも、根本はそこでの労働者の教育の低さと給与・待遇の低さが原因だと考えられる。 CNNのホームページで今回のストに関するコメントを募っている。一般人からのコメントも米国らしいので、少し紹介したい。 A氏:「彼らのような低賃金の労働者は基本的に高卒である。より高い賃金と待遇を望むなら大学を出ればよい。もし何かを望むなら、その分働けばよい。」 B氏:「なぜ税金を支払って公共交通機関を利用している私たち一般市民が、同様に納税しゃでありながら組合に関係している人たちによって人質にされる(不便を被る)のか理解できない」
December 22, 2005
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昨日、TVドラマ「1リットルの涙」の最終回であった。「日記を書くことが生きている証し」と亜也が言ったのは、彼女が20歳を過ぎ、字が書けなくなっても必死に書き続けようとして、母親に「無理しないでいいよ」と言われた時である。もともと、亜也がその2~3年前に、自分で歩くこともままならなくなり「私は何のために生きているの?生きている意味は何?」と絶望感に浸った際に、母親が「あなたには日記があるじゃない」と励まし、以後亜也は、日記を書き続けることを生きがいにしてきた経緯があった。 その亜也の日記は生前から会報等で紹介され、多くの人たちに勇気を与えてきた。そして彼女の生前に本として出版され、今では文庫本にもなっている。 私は普段ほとんどTVを見る時間がなく、ニュース以外はあまり見ないが、この「1リットルの涙」は毎回ビデオに録画してもらって観てきた。毎回涙なしでは見られないシーンの連続だった。同じような思いをした視聴者の方々が多かったのではないだろうか。 本では亜也の14歳~20歳の日記が抜粋された形でそのまま載っている。それを読むと、当然のことながら弱い自分と励ます自分、心の揺れ、不安感、責任感、絶望、勇気、希望といった複雑な心情が素直によく記されている。そして家族の愛情に支えられて生きた様子がよくわかる。 脊髄小脳変性症という難病と闘い続けた亜也の言葉は時を超えて今もたくさんの人に感動を与えている。私も感動をもらい、生と死、生きがい、生きる力といったものについて考える機会と与えてもらった。 話は飛躍してしまうが、ようやく始めたこのBlog(日記)を絶やさないようにしなければ、とも思った。
December 21, 2005
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2004年の合計特殊出生率は前年に続いて1.29となり、少子化現象が回復していない事実がはっきりした。 団塊の世代が誕生した昭和22年頃の出生率は4.3だった。この第一次ベビーブームの後、出生数、出生率とも減少し続け、30年前の第2次ベビーブームの頃には「長期的に人口を維持できる水準といわれる2.07」に近づき、今では、なんと1.29になってしまった。2.0や1.5を割り込んで大騒ぎになったのはつい最近のような印象だが、それが今では1.29である。危機的な状況である。 是非、以下のサイトをご覧いただきたい。日本の出生率の低下の早さが分かるだけでなく、他の先進国との比較がされている。 フランス、スウェーデン、イタリアといった国のグラフに注目していただきたい。これらの国では政府が大胆な少子化対策を行った結果、急速に回復している様子がよくわかる。 日本も早く大胆な手を打たねば! http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1550.html
December 20, 2005
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つい先日、今大評判の「ALWAYS 三丁目の夕日」を観て来た。素晴らしい!の一言に尽きる映画だった。多くの人が絶賛している通り、昭和30~40年代の日本が自然に思い出され、何とも言えず懐かしく、嬉しい気持ちで満たされた。 少なくとも5回は涙が出てきた。でもこの映画の凄いところは、涙した後すぐに笑えるように作られているところだと思う。 話の中で、「口減らし」のために青森から集団就職するため上京してくる女子生徒、親の借金を返すために身売りする(ダンサーになる)女性、捨てられてたらいまわしにされる妾の子、といった当時珍しくなかった話がたくさん出てくる。 改めて、これらの話はついこの間の出来事だと知らされ、世の中の変化の速さが実感される。 また、扇風機の風(羽)に「あ~!」と声をあてたり、駄菓子屋で5~10円のくじを引いたり、子供が狭い隙間を通ったり、老人がたらいに水をはって涼んだり、街で初めてのTVが届いたり、冷蔵庫の中に(氷が不要になる)冷凍室ができたり、などなど細かい仕掛け(当時を思い出すシーン)が数え切れないくらいある。 必見の映画である。是非、他の方々にも見ていただきたい。【参考】昭和33年の古きよき日本を舞台に、家族の触れ合いを描いた心温まる人情ドラマ。吉岡秀隆、堤真一、小雪、薬師丸ひろ子らが出演。昭和の雰囲気を存分にかもし出している。建設途中の東京タワーなど、当時の日本が忠実に再現されている。
December 19, 2005
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私は、今まで一度も日記を書いたことがありません。中学生のときに一度チャレンジしたものの、たった3日で止めてしまいました。こんな私なので、興味を持ちながらもこれまでブログの世界から距離を置いてきました。絶対に続かない、と分かっているので。しかしこのままでは世の中から取り残されそうになってきましたので、一念発起して、ブログを始めることにしました。 「さとまつトレヴィア」というタイトルのとおり、他愛ないことを書き綴ろうと思います。 どうぞつまらないと感じてもお付き合いください。よろしくお願いします。
December 18, 2005
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