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自分の書いたブログを読み返して気づいたことなのですが読みようによっては、余りにも 自己中心的 に過ぎる表現が前面に出すぎていたようですね。全く、私・草加の爺の本意ではありません。少しばかり、興奮しすぎていて周囲への配慮が欠けていたかもしれません、確かに。 今回のタイトルに掲げた如くに、この世に 選ばれて 生 を享けたお人は皆が皆「神」から絶大な祝福を受けているのだ、そう申し上げたかったのでありますよ。何よりも。そして、私もその例外ではなく、71歳になった今も、精神年齢10歳で張り切って、納得できる「青春」を謳歌しようと、まさに意気込んでいる…。 そもそも、この意気込み方が少々、尋常ではない。ーつまり、そういう事になってしまうのですが、それは仕方のないこととして暫くお許し下さい。誰だって私のような立場に立ったならば、少しぐらいは 興奮 しないではいられないでしょうからね。 私は人一倍の苦労性でして、子供の頃から、そう小学生の10歳の少年の頃から自分は一体「何のためにこの世に生まれてきたのだろう?」といった疑問に悩まされ続けて参っております。それが、思いもかけず還暦を過ぎ、古希も過ぎた今になって、突然のように 神の啓示 を受けて、人生における自分の役割を知らされた。知らされて、素直に納得できた。世の中は 持ちつ持たれつ でありますね。七十年の長かった助走を経て、大きな、精一杯のジャンプを試みよう! つまり、そう思っているにすぎません。皆さんからの心温まる声援や励ましを全身に感じながら……。
2014年08月31日
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これ、例えばイエス・キリストの受け売りではありませんで、私・草加の爺が七十年余りの人生で実感した、心の中の声無き声でありますね。これって、現代人の大半が、いや、百人中百人が正反対の考えを持っている事からすれば、異端中の異端であり、へそ曲がりもいいところでありましょう。しかし私のような変人が一人ぐらいいても、世の中に害毒を流すわけではありませんから、許されて良い道理ですね、実際。武士は食わねど高楊枝ー、つまり、やせ我慢や、下手な精一杯の見栄を張っているわけでもありませんよ。真っ正直な、素直な本音なのでありますから、他人様が驚こうがあきれ返ろうが、何の痛痒も感じないのです、はい。第一、私の年齢になったら傍からは「齷齪として働いている」ような日常を 楽しむ ような芸当は不可能でしょうから。以前から私のブログに親しんで下さっているご奇特なお人はくどくど説明しなくてもご存知のことですが、私は或る全国展開している大手の学習塾の草加教室で、大学生や院生たちに交じって十年間もの間講師をしています。この学習塾は生徒が講師を指名できるのがひとつの売りでして、いくら私が教えたいと思っても生徒からの指名が来なかったなら、お茶をひかざるを得なくなる仕組みですよ。ですから一口に十年間と言いますが、ずっと切れ目なく 人気のチューター で通すことは想像以上に大変な事。これ、自慢話ではありません。つまり、私が貧乏であるから有り難い事に勤労意欲がムラムラと湧いてくるのですよ、実際のところ。また六十までテレビドラマのプロデューサーでしたが、身分は中小企業の一社員でした。全国放送の番組でタイトルが出て、虚名的な有名人でありましても、個人的に使えるギャラは雀の涙程のものでしかありませんでした。たとえ何億、何千万の制作費を自由に動かして、大変な権力を行使しているように端からは見えていたにしても、それはキイ局からお預かりした 公金 でありますから、個人的には常に貧乏人でありましたね。それも今から振り返って見ると、やはり貧乏だったから人一倍頑張れた側面が大だった。有り難い事に?それにも懲りず、七十を超えた今、これからまたもや、貧乏人である身分を弁えずに、少し大袈裟に表現すれば未曾有の大事業を敢行しようと、既に行動を開始している!それが、家内の生まれた故郷であり、長男が 心のふるさと と大切に思っている青森県上北郡の野辺地町を 売るという事。どんな成算があるというのでしょう…。何、成算などありはしません。ただ、どうしてもそうしなくてはならないと思うように自然になったから、なのです。そして、どうせやるからには、命懸けで、ベストを尽くそう。そう考えて、真一文字に突き進むのみ。そう決意していますが、悲壮感などかけらもありませんよ。「神」の祝福を全身に感じている。私にできる事の全てを全力で行う。結果は自ずからついてくる。はい、掛け値なしにそう思っているのです。そして、始めから確かな手応えを感じているのですから、またもや「神」に感謝であります、はい、実際。
2014年08月24日
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学習塾のお盆の休みを利用して、二泊三日の久しぶりの休暇を満喫して来ました。八戸迄は東北新幹線、そして青い森鉄道に乗り換えて野辺地まで。駅前でレンタカーを借りて息子の運転で先ず家内の実家のお墓に直行して、亡き義父・慶吉氏の墓前にお線香とお酒を手向けました。八月中旬で太陽が照りつけるとやはり暑いのですが、街全体の雰囲気は既に秋の気配がそこはかとなく漂い、のんびりとした気分に浸り切ることができました。お盆ということもあるのでしょうが、第一に首都圏との空気感がまるで違います。人間らしいゆったりとした気持ちに自然に入っていますよ。町役場のお方との一時間あまりの面談の後で、取り敢えず予約している旅館にチェックインしようと電話したのですが、この電話が繋がりません。正直、私は焦りましたよ。息子が冷静に取り敢えず近くのスーパーに入って地元の特産品などを物色して時間を潰そうと提案してくれました、河原ケツメイ茶やら、豆腐、納豆などなど、物珍しさでたちまちに時間がけいかしていました。そして再び予約してある旅館の前に車を横付けして電話しましたが応答がありません。一階が改修工事中であることは前もって知っていましたが、取り敢えず車から降りて横手に廻り、裏の方まで行って声を掛けましたが、人の気配が全くありません。そうこうしているうちに木村さんと言う女将から電話がかかってきました。横手のドアには鍵がかかっていないので、構わずに入って、自販機の横に鍵を置いてあるのでお部屋にお入りくださいとのこと。この様な経験は生まれて初めてですので流石にびっくりしましたね。部屋はツインのベッドがあり、ビジネスホテル風の作りですが、結構空間にはゆとりがあり、清潔な部屋でした。息子とは勿論、別々の部屋を確保できました。五時半に野辺地駅前の松浦食堂で待望の茶粥膳を特別に予約できていましたので、ブラブラと街中を散策しながら、ゆっくりと駅に向かって行きました。町のメイン通りなのですが本当に閑散として人の気配もまばらなのですね。お盆という特別な時期の特殊な現象かも知れませんが、何とも贅沢な体験が出来ました、実に。 松浦食堂さんには、お盆なので午後からはお墓参りに行きたいので営業は休もうと思っていましたが、わざわざ遠方からおいでくださるのでは頑張ってお作りしましょうかと、親切な計らいを得ていました。電話のお声がなんとも懐かしい年配の女性のお声なので、お会いするのが楽しみだったのですが、期待にたがわず素敵なご婦人でした。ご主人とお二人だけで食堂を切り盛りしているのですが、ケツメイ茶を畑で栽培して、手間ひまかけて完成品まで仕上げ、そして特製の茶粥に…。感動しました。まさに日本の古き良き時代の伝統を今に伝える、理想的な職人の姿がそこには有りました。採算など度外視して、自分の気が済むまで徹底して仕事に、もの作りにこだわる。それにしても、この様なお人が、現代の日本には稀にしか存在しないのはなんと嘆かわしいことでありましょう。この老夫婦にお会いできただけでも大きな収穫でした、本当ですよ。
2014年08月16日
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家内、義弟、に続いて私が出会った野辺地の人は義兄の登さんでした。遠洋漁業の船で遠方に出向く途中で晴海に立ち寄った際、家内と一緒に船員会館の中で初対面の挨拶をして、ビールを一緒に飲み世間話などをしました。夏の暑い盛でビールが一段と美味しく感じましたが、その時のツマミに登さんがご馳走してくれたのが ホヤの塩辛 でした。半年から一年近く航海に出る彼でしたから、船の中で毎晩寝酒のおつまみとして自家製の塩辛を用意していたのでしたが、私のために惜しげもなく大半を提供してくれたのでした。正直、閉口しました。初めての体験でしたから、あの独特の苦味と臭いが邪魔をしてお世辞にも旨いとは感じなかったのですが、登さんの精一杯の好意の表明ですから感謝しつつ食しました。勿論、現在では大の ホヤ 好きになっていますがお酒のテキーラ以上に癖の強い ホヤの塩辛 の初の体験は強烈そのものでしたね、実際。登さんは手先が器用で、実に見事な工芸品を手作りして外洋での長い長い無聊を慰める趣味人でもあります。気は優しくて力持ち。そんな形容が本当にぴったりとする海の男です。そして、いよいよ真打の登場ということになります、はい。 先年亡くなった義父・慶吉氏との出会いであります。非常に深い感銘を私はこのお方から受けております、実際。本音で申して、いい加減 人間嫌い、そして強い人間不信に陥っていた当時の私に、誠実と優しさが渾然一体となって光り輝いている慶吉氏の人間性は、一種の畏敬の念さえ惹起しないでは置かない、感銘の出会いでありました。捕鯨船での長い航海を終え、帰国した義父を家内と一緒に横須賀まで出迎えに行ったのが最初の顔合わせでありました。身長は余り高くないのですが、胸板が厚く健康そうに日焼けした全身から、磁気のようなオーラが溢れ出ていました。殆ど口を聞きませんが私に対する態度は非常に謙遜かつ控えめです。家内から前もって、彼女が父親からどれほど溺愛されているかを聞き及んでいました。前にも書きましたが、当時の私と言ったら「誠に誤解されやすい職業」についておりましたので、お腹の中ではどれほど気を揉んだり、心配していたか解らないのでありますが、その様な様子はけぶりにも出しませんでした、本当ですよ。有難い事だと感謝しております。その後四十年に及ぶお付き合いですが、この義父からは私は優しい笑顔と信頼の眼差ししか受けた試しがありません。本当に、有り難く、また勿体無い事と深く、深く感謝致しております。それにしても、この義父のような人間が皆無に近い現状は実に、全く、嘆かわしいかぎりでありますが、日本人の将来の姿を思うとき絶望的な思いに駆られるのは、本当に私一人切りなので有りましょうか?
2014年08月10日
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近代的なビルと大きな木の下駄の取合せ。誠に奇妙な印象を抱く人が多いと思いますが、当時の私の受けた印象はむしろ爽やかで、微笑ましいもの。本物の人間が どこからともなく立ち現れた!言ってみれば、そんな感じですね。早めに家内と一緒に待ち受けた私に対して、守さんは緊張して、そして堂々とはしているのですがどこかぎこちなく 喧嘩腰 であります。何しろ、相手は得体の知れない「海千、山千」のテレビプロデューサーですし、敬愛する姉を突然 かどわかした 恐ろしい男なのですから。今では、それから守さんとどんなことを話したのか詳細は忘れましたが、「とにかく、一旦姉をこちらに引き渡して下さい」と、最初からそれだけを要求して来る守さんに、私は二つ返事で「いいですよ」と返事しました。守さんとしては何か拍子抜けがしたように、急に緊張が解けて、和やかな表情になったのをよく今でも覚えていますよ、ええ。とても姉思いの弟……。私の受けた義弟の第一印象ですが、今でも、四十年が経過した現在でも、守さんの姉思いはずっと変わらずにおりますよ。その喫茶店を出てから二三軒、駅周辺の居酒屋などで食事をしながら、家内と三人で談笑している間に、「分かりました、もういいです」と守さんが言い出したので、私たち二人は思わず顔を見合わせて笑っていました。完全に、誤解が解けたのでした。短時間のうちに、実に和やかに……。
2014年08月07日
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このブログで青森県の野辺地町に少しでも関心をお持ちいただいた方々には是非とも上北郡野辺地町役場のホームページをご覧くださいますようにお願い致します。このブログを以前からご愛読いただいている皆さんにはくだくだしい説明など必要ないと思いますが、ちょっとだけ釈明させて下さい。 この一見企業の宣伝文と同じような文言は、通常のその種のメッセージとは本質的に違うものなのです。私の60歳以後の生き方の基本は「世のため、他人のため」でありまして、金儲けや、その他いかがわしい目的や下心があってのことでは御座いません。本当です。その真心が天に嘉されたのか、実に通常では起こりえないような プチ・ミラクルが続発いたしております、つまり私の周辺で。 これは何も人様から嫉妬されたり、羨ましがられる事柄ではないのですが当人にとっては本当に有り難く、もったいない事と自然に 強い感謝の念 が胸中に霧のように湧くのでありますね。つまり、殆どが他人から見た場合にはありがたくも、もったいなくも無いような事に対してなのですから。つまり独特の 価値観 に起因するような事柄なのですよ。ですから、これは万人が同じような幸福に浸り切ることが可能な「万能薬」のような心境なのです、実に。つまり、努力しても、もがいても、どのようにしても 不幸な境遇 から抜け出せずいる人がいたならば、お金をかけずに即座に幸せを実現できる幸福法なのでありまして、金儲けにしか興味を持てないように、教育され育てられた現代人にお薦めの、特効薬であるのですが、残念ながら、実に残念ながら私のような変わり者以外には、興味や関心を抱く人が皆無に近いのであります。 それで、実際に「現代流行の風潮」に敢えて反逆して、ドンキホーテ的な大冒険に向かってまっしぐら。つまり、論より証拠というわけでありますね。金儲けのようでいて、全く本質を異にしている。そういう試みを実地に試してみようという、孤独な旅立ちなのでありますが、天や神のご加護がありますので大安心。私は只、人事を尽くすことだけを心がければ良い。そう思っております。皆さん方も、けっして損にはなりませんので、(時間の損、その間に銭が儲けられる)などと悪態をつかないで、是非このブログを末永くご愛読下さいますよう衷心からお願い申し上げます、どうぞ。 さて、野辺地といえば私にとって掛け替えのない人たちとの出会いがありました・勿論、神に命じられて(無論、本人にはその自覚がありませんが)はるばる東京くんだりまでやって来た美人の悦子との出会いが始まりでありましたが、義弟の守さんとの出会いが忘れられません。前にも書きましたが、当時の私は華々しく活躍する若手のテレビプロデューサーでしたから、周囲からは色眼鏡や偏見の眼差しを受けていた訳なのですが、突然、一緒に上京して来た姉が姿を消した。どうも古屋というプロデューサーが下手人であるらしい。ある日、築地の電通恒産ビルの2階にあった私の会社に守さんから電話があった。「姉のことで、お話がしたい」と青森訛りの朴訥な話し方。つまり、私が責められているのですが、決して悪い印象はない。むしろ姉思いの心情が前面に出ていたので、直ぐに好感をもった。結局、新宿ステーションビルの喫茶店で落ち合うことになった。勿論二人共初対面ですから、分かり易い場所がよいと思ったのです。板前の修行中だった守さんが大きな下駄を履いて姿を現した。
2014年08月03日
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