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見出しの言葉に、前回は直接的には、ほとんど何も触れて居りませんので、あるいは何のことやらと訝しく感じられたお方もおられたかもしれません。しかし、注意深くお読みいただいている方なら、充分に 意味 が伝わるようには書いているのでして、殊更謎かけをしたり、読者を惑わすつもりなど毛頭考えてはおりませんよ。何より私・草加の爺は必死なのであります、命懸けなのでありますね。従って、余裕がないのであります、はいただ、それだけのことですので、多少の 説明不足はお許し下さい。 さて、綺麗は汚い、でした。綺麗と汚いは反対の概念を代表するものとして提示しましたので、正しいと悪、でも、あるいはまた、明と暗、生と死、などでも一向に構わないわけでありますね。つまり、両極端と見えるものは実は、その本質において同義である。融合して一つに合体してしまう。見分けがつかなくなってしまう。その様な意味合いを含意していました。何故、そうなるのか?私たちを生み出した宇宙なり、絶対的存在がその様な矛盾や謎を孕んだ存在であるから…。禅問答のようで、この種の本質的な命題に不慣れなお人には、難解と思われる真理なのでありますよ。 私達、人間の理解力というものは実は 狭隘 で非常に限定的なのであります、実際には。分析的、合理的、客観的、科学的、などという現代人にとって非常に「魅惑的な」言葉は絶対的な存在者の側から見れば「井の中の蛙の戯言」にしか過ぎない。驚くべきことに!「直感」という一見怪しげな言葉こそ、人類という 儚く また 脆い 存在にとって絶対者に回帰する唯一の方法なのであります、実に、悲しいことに…。 私は以前に、自分自身がこの世に生まれてきた意味が知りたかった、というふうに表現しました。そして、71歳を過ぎた今、普通では 遅きに失する年齢になって開眼し自己の使命と思われる目標をめがけて、まっしぐらに「猪突猛進」しようと意気込んでいます、張り切っています、実際。しかし、それは一面の事実であり言葉の綾というもので、実は、心は澄んでおります、意外でもなんでもなく、実に穏やかで、落ち着いてさえいます、不思議ですね。でも、絶対者から見れば当たり前のこと。何時も、人生の重要事は「差し迫っている」のであり、それゆえに、腰を落ち着けて「急がば回れ!」の精神を忘れてはならないのでありますよ。浮ついた、拙速な態度では何事も 成らない のであります、当たり前のことですが。
2014年09月29日
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私は目下、青森県の小さな町・野辺地町を日本全国に宣伝し、その魅力を 売り込みたいと念じて行動を開始しております。そして、その行動の一つ一つを同時報告的にこのブログで発信しようと公言し、実行し始めております、はい。この無謀な試みの意味するところを少しご説明申し上げたいと思います、真摯に、誠意を持って。 私は(何もわたしに限りませんが、有限なる存在の一例として取り上げれば、と言う意味とお考え下さい)、絶対者から由来し、この世に生み出されて来ている。そして70年余りの人生を閲して、父であり、母である絶対者からの 真に有難い メッセージ をしっかりと確かに受け止めることができた。自分を神の子・イエスキリストに擬えるのは不遜・不敬の誹りを免れないかも知れませんが、とにかく謎であった人物の足跡に、不思議な牽引力を感じ続けてきた神的存在の私に対する 訓え を自分なりに解明できた(そう確信した、と表現する方が正確かもしれませんね)今、みなさん方にも、同じような 悟り を体験して頂きたいと切に念願しているのでありました、実に、心の底から。断る必要もないことですが私・草加の爺は驕り昂ぶっているのではありませんよ、断じて! 誰もが 自分自身の天命 に目覚め、世のため、人のために自己を役立てるべきなのでありますよ、本当です、はい。そして、これもわざわざお断りするまでもないことですが、野辺地町だけが栄えれば他はどうなっても良いと考えているのでもありません。草加の爺流は実に応用範囲が広く、また工夫のよちも大きな行動様式ですので是非とも皆様方にも参考にして頂きたい。参考にしていただけたら幸甚であります、実に。 そんな風に考えておりますので、そして自分自身にプレッシャーを敢えて与えるためのある種、背水の陣を敷いた恰好なのでありまして、謙遜にして謙虚な態度からの行いなのです、実際は。加えて、勿論、クチコミ的にみなさん方にも絶大なるご支援をお願いいたしたいと衷心より念願致してもおりますね。どうか今後共よろしくお願い申し上げます。勿論、お願いだけでなく、ご協力してくださる皆さんにも大きな 幸福 が約束されておりますよ、間違いなく。
2014年09月28日
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私が最近、頻りに 神 とか 天 とか申すものですからある人から素朴にして、率直な御質問を頂戴いたしました。それが今回の見出しになった次第です。簡明にお答えいたしましょう。本来は神とか、天とかについて「簡明な」答えなどありえないのですが、ここでは私・草加の爺がその言葉によって意図している意味合いを、率直にお伝えしたい。そう思います。天とか神は、まず私達 有限なる 泡なような儚い存在ではなく、無限にして 絶対的な 偉大なる存在者 を意味しますね。ですから、私たちには本質的に「理解不能なる」存在であります、実在でありますよ。但し、その存在を暗示したり、方向性を示す試みは様々に試みられていますからそれはそれで結構と申しますか、他人があれこれ批判したり、異議を申し立てたりする筋合いではない。そう考えますね。唯一絶対の存在に対して無条件に帰依する。これもまた、われわれ死すべき運命の者にとって当然の態度でありますよ。それが当たり前では通らなくなってしまっている、それが、それこそが問題なのでありますね、実際。 現代人は、人類史上で最悪の精神状態に置かれている。そう断言しても決して過言では無い。敢えて、稚拙な比喩を用いれば、人類は今や生物、いや、万物の有機的な関連性を無視して暴走する 癌細胞 のような存在に成り果ててしまっている。驕れる者は久しからず! しかし、お前さんの云う事が仮に正しかったとして、個人は、善意の個々人は、一体どうしたら良いとお前さんは言いたいのか?そんな声が、どこかから聞こえてきそうですからお答えしましょう。現状は、病膏肓に入る でありますから、絶望しか無い様にお考えかもしれません。しかし、さにあらず、どの様な場合でも、希望はあるのですよ、確かに。現代人よ!大志を抱こう。そして確かな足取りで、一歩、また一歩と希望に向かって前進しようではありませんか。銘々が、それぞれの工夫と努力で、忘れてしまった真の存在者との絆を探り出そうではありませんか。その真摯な努力の只中から、必ず希望は、確かな光明は得られる筈なのですからね、間違いなく…。
2014年09月21日
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私たちは普通、当たり前のように生きています。そして幸福でありたい、辛いことが無い様に、苦しみが少ない事、できれば苦しみは皆無でありたい! ― そんな風に心の中で、無意識に願っている…。そして、生きるということは、時々刻々と苦痛や辛さや、悲しみや、痛さや、その他諸々の煩悩から逃れられずにいます。それが生活の、日々の日常のあり方でありますよ、実際。そして不平不満が絶えない毎日に苛立ち、思わず知らず怒りが誰に対するともなく自ずから湧いてくる。何で自分だけが、こんな理不尽な苦しみに遭わなくてはならないのか? 特別に 悪いことなど していないのに…。世の中にはたとえば おれおれ詐欺 とか、振り込め詐欺 とか、その他数え切れないほどの悪事が横行しているのに。理不尽だ、納得できない、許せない! ざっとこんなような不平不満が、しらずしらずのうちに身内から湧いてくるのを覚えます。 誰でもいいから「人を殺したかった…」などという大馬鹿が続々と後を絶たないかに思え、ぞっとさせられますが、斯申す私だって、どん底の辛い時期には、殺意に似た憎悪の炎を抑えられずに苦しんだ経験を、過去に舐めていますね。だから、今更偉そうな顔もできないのですが、悪は悪であり、絶対に否定されなくてはなりません。突然のように思われるでしょうが、教育の原点は 感謝の心を涵養すること にあるのです、実際は。それが家庭というものの本質的な役割なのですよ、本来から言えば。それもこれも、大人たちが 真の意味の 信仰心・神への感謝 という大切な事柄をすっかり忘れ去ってしまったからにほかなりませんね。つまり、私やあなた、大人たちがそもそもいけないのであって、子供たちに罪はないのであります、はい。大人たちは猛省しなければならないのです、そうです猛省ですね。天に唾する という言葉がありますが、大人たちはその典型例を毎日実践しているようなものなのですよ、実に。
2014年09月19日
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例えば、草加の町のあちこちに「子供は町の宝物!」といった立て看板が見られます。私は心の中でこう呟きますね、「本当かな、本当にそう思って、大人たちは毎日、子供達と接しているのかな?」と。 平和都市宣言の宣言文を目にするときも、私は心の中で違和感のような或る抵抗を感じずにはいられませんよ。こんな綺麗事で、世界平和がその実現が少しでも現実化するとでも、大人たちは、先進的な意識にいち早く目覚めた指導者たちは、真面目に考えているのだろうか?何かこうある種の空々しさを感じてしまう私が、へそ曲がりなのでしょうか?それとも…。 スローガンとか、その種の謳い文句というものは、ある種のおまじないと同じで、それを掲げて安心し、気を休めていいる善意の人々には意義があるに相違ない。だから、つぎつぎと新しい、望ましい事柄が人々によって考え出され、口々に唱えられる。そして、もう能事終われりとばかり、忘却の彼方にと追いやられてしまう。結構、けっこう、コケコッコー!なぜ、彼らは、善男善女は心の底から、神への信仰を改めて深め、己の心根を芯から清める努力を始めようとはしないのか?現代人の沽券にかけて、神とか、信仰心とかの死語とはきっぱりと縁を切ってしまっている。そして、科学という合理の権化を唯一の神と崇め、マニーというマンモンを奉り便利というお神輿を、わっしょい、ワッショイと無邪気に担いで喜んでいる。誠に、真に、おめでたいではありませんか…。
2014年09月15日
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私は、今、シェークスピアの「リア王」を高校生向けにダイジェスト 乃至 抜粋する作業を精力的に行なって居ります。それも東北の南部弁の一種である 野辺地地方の方言を取り入れた 画期的で意欲あふれる 試みを敢行中なのであります、本当ですよ。 誰に頼まれたのかですって ― 誰にも頼まれたわけではありませんが自ら進んで、むしろこちらから頼み込んで、お願いして 実験的に野辺地高校の演劇部の皆さん(実は、まだお会いしていません)や顧問の先生などのご協力が得られれば、という条件が付きますが…。 実は、先月のお盆の14日に、殆ど偶然に、家内・悦子の母校である青森県立野辺地高等学校に息子・貴信と一緒にレンタカーで立ち寄り、どなたか宿直の先生がいらっしゃったらお話などさせて頂きたいと、半ば恐る恐る職員室にいらっしゃった男性の方に、来意を告げましたところ、奥の方にたまたまいらっしゃった校長先生が、「いいですよ、どうぞ!」とすぐさま校長室に招じ入れて下さいました。前もって準備していたわけでもありません。殆ど咄嗟に、「リア王を野辺地弁で演じたなら、それだけでユニークなパフォーマンスになりますし、野辺地町民のやる気に火を点け、自信を取り戻すきっかけになるのではないでしょうか」と私。「いいですよ、教育的にも意義のあることですから協力しましょう」と即答してくださった校長先生。半ば以上、事の成り行きに狐にでもつままれたような心理状態でその場を辞した私達二人でしたね、はい。 事ほど左様に、数十年前から準備されていた 計画 は「人事を尽くしてさえいれば」自ずから 成る ように事が運ぶのであります、実際。 苦悩 = 不幸 = 生きる なのでありますよ。また同時に、 生きる = 喜び = 幸福 なのでありますから、われわれ人間は 現在の自分に許されている範囲でベストを尽くせば良い。偉大なる 演出家・神 の広大無辺なる み心 を信じて。 罰当たりな人間ほど、絶対者・神の配剤を素直に受け入れられずに、齷齪と己のちっぽけな 我・業 にしがみついて要らぬ 苦悩・心配・痛み などを呼び寄せる結果になっている。その見えやすい 真相が 現代では一番理解しにくい事柄になってしまっている…、いかがでしょうか?
2014年09月13日
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最初に、改めてお断りしておきますが、私は新興宗教を宣伝しようとか、その種の なにかいかがわしい 意図を持って神とか、神の啓示とかの表現を多用しているわけではありません。それだけは何卒、信じてやってください、どうか。さて、庶民感覚の 素朴極まりない信仰心は心底に僅かながら蔵してはおりましたものの、一般的に申して特定の既成宗教の信者ではありませんし、お墓参りを毎年欠かさずに続けているものの、故人や先祖たちとの精神的な交流を強く確信しているわけでもない。ごく一般的な日本人の一人だと思っています。長年通い続けている 浅草の並木の藪蕎麦のお店に寄るついでに、観音様にお参りしているような バチあたりの「善男善女」中の一人であると考えていますが、今回、生まれて初めて浅草観音へのお礼参りをメインにして、そのついでに藪のお店に立ち寄りましたところ、顔馴染みのお店の お姐さん から「今日はお酒の方は召しがられないのですか?」と声を掛けられましたよ。「ええ、まだ今日は子供達と接するものですから」と答える私。大切な私の 教師である生徒たちと顔を合わせるのに、アルコールが体内に残っていては申し訳ない。心底そう生真面目に考えているのですから。むかし、プロデューサーだった頃は朝から、必要とあらばビールを浴びるほど飲んで平気だった、同じ人間とは我ながら信じ難い思いであります。人は、変われば変わるものなのですね、実際。 そして、これからが本論と申しますか、肝心なところなのですが、人は皆現代人は特に、神という絶対的な存在との新たな関係性を築き直すべきなのだと最近、強く感じていますよ、はい。神とはその存在性を証明する対象なのではなく信じるための対象なのですね、実際。本当に信じるに足る もの を信じる。これが唯一、人間の取るべき正しい態度なのであります、本当に。迷信とか蒙昧とか、あるいは無知などといった言葉とは全く無関係のものでありますから。 この根本の事柄に鈍感であって、真の幸福が得られる筈はありませんよね。如何でしょう?反論のあるお方は、是非、ご意見などお聞かせくださいませ、どうぞ。
2014年09月08日
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