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理解には自己理解と自分以外の人や社会、その他諸々の自然現象などを理解するという二方向からの捉え方が、普通には考えられますね。普通に「理解」とは、物事に接してそれが何であるか、何を意味しているのか、を正しく判断すること。で、義務教育を始めとする学校教育や、社会人に対する教育などでは、通常の家庭生活や社会生活が支障なく送れるような、極めて常識的な知識や、判断力、行動の仕方などを教えますし、学ぶのであるます。 ですから、その理解が正しく行われているかどうかは、日々の生活の中で円滑に支障なく行動できているかどうかにより、検証され、試されており、誤解などがあれば適切に矯正され得るものであります。が、一応その範疇での理解ということに留まるのであればさしたる問題はないのかも知れません。勿論表面上は、という但し書き付きであるますが。 しかし、よくよく考えてみますとこの常識的な理解の範囲内でさえ、理解は考えるほど簡単ではないし、むしろ誤解や無理解が横行しているとさえ、言い得るのですから厄介至極なのでありますね。第一に、同じもの・対象を見ていると言いましても視点が違いますし、見ている人が違っている。対象そのものも刻々と変化してやまない。同じ判断や評価を下しているつもりでも、いくら公平さを誇示したところで、前提そのものが相違しているのですから、事は複雑そのもの。そして、各自が各自の「正しい判断」を相互にぶつけ合うのですから、収集がつかなくなるのは当然の成り行き。現在の世界情勢などをざっと見渡した場合でも、同様な事態が進行しているのが明瞭に見て取れますね。
2014年04月28日
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長いあいだブランクがありました。この拙いブログを辛抱強くご愛読頂いている皆さん方には、いかがお過ごしでございましょうか? 私は突然、二番目の東日本大震災に襲われたような大きな、大きな衝撃の渦の中にあって、未だに周章狼狽、手の舞い足の踏むところを知らないような、大混乱の最中におります。それがブログを再開したということはそれなりの理由があります。末期ガンの宣告を受け、それも手術不能の状態まで悪化してしまった家内の態度から、教えられるところがあってのこと。 家内は還暦を過ぎた現在も会社勤めをしておりますので、毎年定期的に健康診断を受けております。先月の検診で貧血症状が見られるということで精密検査をしたところ、胃がんであることが、それもステージ4という手術が出来ないところまで病状が進行していた事実が判明し、担当医から余命半年との宣告を受けたのでした。本人はもちろんのこと、私を含めた家族や、親戚の者たちの驚きと悲しみは簡単な言葉では表現しようのないもの。驚天動地、茫然自失…。 しかし家内は言いました。少しでも根治の可能性があるのであれば、痛みや辛さに耐えて抗がん剤治療を始め、考えられる治療法を受ける覚悟もしますが、そうでない以上一切の延命治療を拒否して、可能な限り自宅療養を続けて、最後のステージはホスピスで安らかに時を過ごしたい、と。 昔々、在原の業平は、「ついにゆく道とはかねて聞きしかど、昨日今日とは思わざりしを」と詠ったと聞いておりますが、自分自身の事としてではなく、最愛の妻の冷厳な事実としてこのようなショッキングな事態に直面するとは、それこそ夢にも考えなかったこと。長男の言葉ではありませんが、「オヤジさんの方が、てっきり先だとばかり考えていたんだけれど」であります、実際の話が。私と妻とは八歳と五ヶ月余りの年の差がありますし、暴飲暴食の限りを尽くしてきた私・草加の爺こそ健康上の問題がいつ生じてもおかしくは無い、生活ぶりでしたから。佳人薄命。憎まれっ子 世にはばかる、とはよくぞ言ったもの。 しかし、われわれ人間は、「死すべき運命のもとに、生まれている存在」である以上、いつ何時、死という忌むべき運命が背後から襲ってくるか、分からない道理でありました。ただそれを、その時期を私たちは知らされていないだけの話で。
2014年04月18日
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