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NHK「日本の、これから」の次回3月8日(土)テーマは「学力」だそうです。 NHKは、多くの人たちを対象に「アンケート調査」を行うようですが、私のような教職員からの意見も大切と考えて、アンケートに答えることとしました。項目は多いので、一つひとつ質問項目と「私の回答」を紹介します。(このたびが第5回)〔アンケートの項目〕教育についてお聞きします いわゆる“公立離れ”が進み、私立の学校を受験する子どもが増えています。 そのために塾に通う子どもも多くなっています。 こうした現状をどう思いますか?〔私の回答〕 問題だ なぜそう思うのか、ご自身の体験などをふまえ、詳しくお聞かせください。 この傾向は、「有名大学への合格」という一面的なものさしだけで親たちが学校を判断している結果だと思われるからだ。そのような一面的なものさし・見方が幅を利かせているから「中高一貫」の私立に対抗するため「世界史の履修をごまかす」といった問題が出てくるのではないか。 有名大学に進学できる「ごく一部の生徒」の要求を中心に「公立」の教育を評価するのではなく、社会全体に対して果たしている役割に注目して公教育を総合的に評価する必要がある。 OECD諸国と比べてはるかに「悪条件」であるにもかかわらず、日本の子どもたちが「高学力」をいまだに維持していることがむしろ驚くべきことだ、という点については先に述べたが、公教育の「成果」はそれだけではない。 注目すべきは日本の「犯罪発生率」が「教育条件」において恵まれていると思われる欧米諸国と比較してもはるかに低いことである。〔(2003年 殺人事件の認知件数は人口10万人当たりにして日本1.2、アメリカ5.7、イギリス3.3、ドイツ3.1、フランス3.6)(窃盗事件の認知件数 10万人当たり日本1752件、アメリカ3588、イギリス5815、ドイツ3670)いずれも日本の低さは群を抜いている〕 これについては大阪大学大学院の小野田正利教授も述べているが、「数値に表れない形での日本の学校教育の成果が相当に大きいのではないか」と考えられる。 「膨大な生活指導の領域を抱え(・・・)『一人ひとりの子どもたちのために』活動するわが国の教師たち。運動会や文化祭といった特別活動の領域の幅広さによって、勉強ができる子どもだけが評価されるのではなく、実に多様な活動の場がそれなりに設定されている学校・・・」。(小野田正利著『悲鳴をあげる学校』より) なるほど、確かに高校を退学していく生徒も少なくはないが、高校進学率98%に対して、年間の退学率は2%、青年期の男女(全人口)の90%以上は高校を卒業していく。欧米と比較しても群を抜いて大きいこの数字の背景には、上記のような学校の「特質」(例えば、特別活動を通した「学びあい」や「自己実現」を大切にし「集団の中での個人の活躍や成長」を柔軟に評価しつつ、個人と同時に「クラスが成長する」という視点を持った「生活指導」)があるだろう。「そのことはもっと評価されてもいい」とベネッセの関係者も述べていた。 水谷修も指摘しているが、現在は日本全体に「余裕のないイライラした状況」が広がっており、子どもたちはその犠牲者である。家庭の教育力は明らかに低下しつつあるが、「貧困層」が15%をこえている現実(『ワーキングプア3』)もその背景にあるだろう。 地域共同体の「教育力」もほとんど崩壊しているような現状、さらには「欧米では製造されていないインターネットつきの携帯電話が普及してさまざまな“犯罪”の温床になっているような状況下」で、上記のような犯罪発生率の低さは「奇跡的」でさえあるのではないか。 そのような「事実」に目を向けず、一面的なものさしで「公立」の教育があたかもダメであるかのような評価をすることに根本的な問題はないだろうか。 (小野田教授の講演会の内容はこちら) 次へ(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2008.01.31
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NHK「日本の、これから」の次回3月8日(土)テーマは「学力」だそうです。 NHKは、多くの人たちを対象に「アンケート調査」を行うようですが、私のような教職員からの意見も大切と考えて、アンケートに答えることとしました。項目は多いので、一つひとつ質問項目と「私の回答」を紹介します。(このたびが第4回)〔アンケートの項目〕“ゆとり教育”についてお聞きします いわゆる“ゆとり教育”の柱として2002年度、総合的な学習の時間が導入されました。 しかし、今年3月に発表される新しい学習指導要領では、その総合的な学習の時間が減らされ、 逆に、数学や理科など主要科目の授業時間が増やされる見込みです。 こうした、いわゆる“ゆとり教育からの転換”が、学力向上につながると思いますか? (総合的な学習の時間・・・体験的な学習を通じ、自ら学び自ら考える力を養うのが目的で、 それぞれの学校が独自に行っている授業。)〔私の回答〕 基本的に思わない なぜそう思うのか、ご自身の体験などをふまえ、詳しくお聞かせください。 今後、学力が低下する可能性がある大きな要因としては、子どもたちの「勉強嫌い」が明らかにある。「学力低下」と大騒ぎする大人をよそに子どもたちは勉強に「嫌気がさす」「うんざりしている」状況なのだ。 「総合的な学習の時間」は子どもたちの自然な知的好奇心を高めていく大切な試みであったと思われる。その時間が削られて教科の時間が増えても「知的好奇心」がどんどん伸びていくとは思えない。 ただし、文部科学省としては「総合的な学習の時間の発想を教科の中に取り入れて」PISA的な問題解決能力をつけていく、という考えのようである。しかし、それが充分現場に受け止められるかどうか。それに加えて「総合的な学習の時間」にしてもその成果が限定的であったのは、人員等の条件整備がなかったという問題がある。 体験や観察・実験を通して学んだり、「科学」の本質について創造的な活動や思考をとおして理解していくような授業は従来型のものと比較して準備においても実践においてもはるかに労力を要する。 人員増、時間数軽減などの条件整備をまったくせず、余裕もなくさまざまな問題に振り回されている「現場教職員の善意と頑張り」だけで成果があがるはずがない。すでに、限界が来ているのである。 教育という営みにはじっくり教材等を準備するゆとりや日々子どもたちと向き合うときの「心のゆとり」が大切だ、(「総合的な学習の時間」や「その趣旨を活かした授業」の成果を挙げるためにも)と言うことをなぜ文部科学省が理解できなかったのか不思議である。 ただし、2008年度の教育予算は若干だが増えそうなので、有効に活用すれば上記の学習が成果を挙げていく可能性はある。 なお、私の前任校(W 高校)で実施していた「総合的な学習の時間」の大まかな内容はこちらです。 次へ(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2008.01.30
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NHK「日本の、これから」の次回3月8日(土)テーマは「学力」だそうです。 NHKは、多くの人たちを対象に「アンケート調査」を行うようですが、私のような教職員からの意見も大切と考えて、アンケートに答えることとしました。項目は多いので、一つひとつ質問項目と「私の回答」を紹介します。(このたびが第3回)〔アンケートの項目〕 文部科学省は、学力を「基礎的な知識・思考力や判断力・学習意欲」の3つと定義しています。 あなたにとって、学力とは何だと思いますか?〔私の回答〕 「基礎的な知識・思考力や判断力」といっても間違いではないが、根本的に身につけさせたいのは第1に日常生活も含む「具体的経験」の中で生きる知であり、第2に「公的・社会的な問題に対する判断力」である。(当然それは、現状の社会に対する健全な「疑う知性」も含んでいる。)言い換えれば、「平和的な国家および社会の形成者」として「社会をよりよくしていく見通し」を開くような生きた知こそが必要な「学力」だと思われる。〔質問項目〕 また、学校や家庭ではそれぞれ何を重点的に教えるべきだと思いますか?〔私の回答〕 学校 : より良い社会を作っていくためには確かに「自然科学」「社会科学」的な知(環境問題等も含めて)を獲得させることが必要である。そのような「知」を獲得することで、社会の形成者として実践し生きていくための「見通し」もだんだん明確になってくるはず。 具体的には、急速な高齢化や生活の困窮などが問題になる今こそ、さまざまな領域で「憲法」や「生存権など基本的人権」の理念と現実、それらを実効あるものにしていく道などについて、問題を投げかけ一緒に考えていくことが必要であろう。『今こそ学校で憲法を語ろう』(青木書店)には、NHKスペシャル『ワーキングプア』を題材に「生存権の問題」を具体的に考えていく実践などが「報告」されている。 家庭 : 自分自身の大切さ、一人ひとりの大切さ、みんなが幸せになっていくことの大切さ、いい人間関係を作っていくことの大切さ、などを伝えていくことが大切。 全国で数多く結成されている「親父の会」では、さまざまな遊び的行事や自然体験・環境学習など、子どもたちにとって不足しがちな体験の企画・創造を通して上記のことを実感できるような機会を生み出すよう活発な取り組みが見られる。〔質問項目〕 なぜそう思うのか、ご自身の体験などをふまえ、詳しくお聞かせください。〔私の回答〕 HR担任や生徒会担当として教育に当たり、あるいは総合的な学習の時間などを企画・実践しつつ、「体験を通して健全な自己形成ができる」ということを実感する機会を数多く得たため。 自分自身が受けた教育は「進学校」のそれであったが、上記のような面が決定的に不足していたことを感じる。例えば「有名大学」に入って「国家官僚」になる場合にしても、そのような「自己形成」や「よりよい社会の形成者として実践し生きていくための姿勢と知」はきわめて重要であると思われる。 次へ(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2008.01.28
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NHK「日本の、これから」の次回3月8日(土)テーマは「学力」です。 NHKは、多くの人たちを対象に「アンケート調査」を行っていますが、私のような教職員からの意見も大切と考えて、アンケートに答えることとしました。項目は多いので、一つひとつ質問項目と「私の回答」を紹介します。(このたびが第2回)〔アンケートの項目1〕問1 あなたは、子どもたちの学力が低下していると感じていますか? 上記の問いに対して私は池上彰氏の著書を根拠に「感じない」と答えたが「ベネッセ教育開発センターの調査」1、算数、2、国語でもむしろ正答率がやや上昇している、という結果が報告されている。もちろんこれだけですべてを判断できるわけではないが、少なくとも単純に「学力低下傾向」を断定できないとは言える。問2 PISAの調査では、「将来、科学関連の職業に就きたい」という生徒の割合が7.8%と、 OECD加盟国の平均25.2%を大きく下回りました。いわゆる“理科離れ”をどう思いますか?〔私の回答〕 心配である なぜそう思うのか、ご自身の体験などをふまえ、詳しくお聞かせください。 〔私の回答〕 同じく池上彰氏が著書のなかで触れている点であるが、2003年のIEAの調査でも「数学・理科」の嫌いな生徒が増えている。(国際平均の約2倍) また、家庭での勉強時間は中学2年生で1.0時間と調査した45の国・地域の中で最下位である。 このような現状の中で、しかも一クラスの生徒数などの教育条件がOECD諸国と比較して最低レベルであることを考えれば、「それにもかかわらず、なぜ日本の子どもたちの学力水準は高いのか」を問うべきであろう。 実際、日本の子どもたちの学力は、読解力に関してはOECD諸国のほぼ平均、他の科目においてはOECD諸国の平均をかなり上回っている。明らかに小学校・中学校職員の献身的な指導が背景にあると思われる。(ちなみに中学2年生のテレビを見る時間は、2003年の調査では2.7時間と46か国中最大である。ゲームや携帯電話、テレビと向き合う時間が多く、読書の時間が少ない現状の中で、読解力がOECD諸国の平均に達している方が不思議なくらいではないか) ただ、日本では韓国とともに明らかに「勉強嫌い」が多い(数学嫌い:日本61%、韓国57%、国際平均35%、理科嫌い:日本41%、韓国62%、国際平均23%)。その理由としては、「しなければならない」という有形無形の「圧力」に対して子どもたちも「嫌気がさしているのではないか」ということや、小学校・中学校の教職員が心身ともに余裕がない状況の中、「自然な興味・関心を伸ばしていくような指導」がなかなかできていないことなどが考えられる。 そうした中でも「ポーランド科学アカデミーが主催する高校生物理論文コンテスト」(ノーベル物理学賞への第一歩)で3年連続入選した小石川高校の生徒を指導した上條隆志教諭の「実験・議論中心の授業」は注目に値する。。 次へ(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2008.01.27
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NHK「日本の、これから」の次回3月8日(土)テーマは「学力」です。 NHKは、多くの人たちを対象に「アンケート調査」を行っていますが、私のような教職員からの意見も大切と考えて、アンケートに答えることとしました。項目は多いので、一つひとつ質問項目と「私の回答」を紹介します。〔アンケートの趣旨と項目1〕 昨今、日本の子供たちの学力低下が問題視されています。 OECD(経済協力開発機構)が行った国際学力調査(各国の15歳対象。以下PISA)は、 子供の「知識量」をはかるのではなく、「実生活で役立つ能力」をどれだけそなえているかを 調べる目的で行われ、読解力・数学的応用力・科学的応用力の3項目が調査されます。 00年、03年、06年と3回調査は行われ、読解力(8→14→15位)、数学的応用力(1→6→10位)、 科学的応用力(2→2→6位)と全て順位が下がっています。 あなたは、子どもたちの学力が低下していると感じていますか?〔私の回答〕 感じない なぜそう思うのか、ご自身の体験などをふまえ、詳しくお聞かせください。〔私の回答〕 そもそも自分自身の体験をもとに、日本の生徒の「学力低下」について判断することには無理がある。従って「学力テスト」の結果を妥当な形で判断していくしかないが、「学力が低下している」という主張には根本的に疑問がある。 PISAの結果についての上記のまとめも、「学力は低下している」という結論を前提としたような形になっているが、ベネッセが紹介しているPISAの結果分析を見ただけでも、妥当でないことが分かる。〔2010年 11月 右のリンクを追加 「日本の子どもたちの学力は低下していない」〕 (なお、PISAの学力テストで世界一のフィンランドの教育についてはこちら) 『にっぽん 本当に格差社会?』のなかで池上彰は次のように述べている。「日本の児童・生徒の学力は、騒がれているほど低下していない。むしろ世界的に見ても依然として高い水準にある。国際調査のデータを正しく読み取ることのできなかった大人の問題であり、こちらのほうがよほど「学力低下」の心配がある」と。 池上は具体的なデータをていねいに検証しており、その主張には説得力を感じた。引用を続けよう。 「順位が下がったから『学力低下』だ、と騒ぐ発想は、実はそういう人こそ「学力低下」が疑われます。参加している国が同じで、順位に統計学的な差(有意差)があって初めて、成績(学力とは断定できない)が上がった、下がったと議論できるからです。(…)検証しましょう。(…) IEAの調査では、日本の中学2年生の数学が、1982年には1位だったのに、1995年には3位に後退しています。ところが、1981年の調査に参加した国・地域の数は20だったのに対して、1995年には41に倍増しています。しかも、1995年に日本が3位に後退したとき、1位はシンガポール、2位は韓国で、どちらもこの時初参加だったのです。 1999年に日本は5位に下がっていますが、このとき、1位と2位は変わらず、3位は台湾、4位は香港でした。台湾は、このときが初参加でした。 つまり、日本は強豪が参加しない試合で好成績を収め、「日本はトップレベルだ」と喜んでいたに過ぎなかったのですね。(…)強豪が加わるたびに、順位が下がる。その順位の数字だけを見て、「学力低下!」と叫んでも仕方がないのですね。 さらに、こうした調査には、統計学的な誤差はつきものです。数字に僅かでも差があれば順位はつきますが、統計的に意味のある差かどうかは別問題です。(…) OECDによる調査(PISA)も、同様です。2003年の「数学の応用力」は6位ですが、日本より上位の5カ国と日本とのあいだに(統計上の)有意差はありません。日本は「1位グループ」に入っているのです。 2003年の「読解力」の成績は14位になっていますが、これも日本より上位国の中に有意差のない国があって、日本の実際の位置は「9位グループ」ということになります。これだと、こちらも「前より下がった」と大騒ぎするレベルではない、ということになります。〔ちなみに2003年の科学に関する応用力(科学的リテラシー)は1位グループ、問題解決能力も1位グループであった〕 私の知るかぎり、「学力低下」論者のなかで池上氏の問題提起にたいしてまともに応答している人はいない。「わかったつもり」の人が多いように思われる。 そして、「学力低下」と騒ぎ立てることが、教育にとって果たしてプラスになるのかどうか。。池上彰も「ゆとり教育の集大成がまとまった途端、再び『学力低下』批判が起こり、教育方針は再度、転換を始めました。こうした右往左往ぶりのほうが、よっぽど心配なのです」と述べている。2011年1月追記: PISA2009に関わるニュースについてshira さんもブログ記事で述べていらっしゃいますが、2010年になっても日本の報道機関のデータ読解力は全く向上していないようです。 教育行政の右往左往を生み出した「マスコミの読解力不足」に関して報道機関にまったく自覚がないのは、日本の教育にとって大きな問題だと思いますね。 次へ(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2008.01.26
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ガソリン暫定税率、自民執行部が3か月延長で調整 1月25日3時9分配信 読売新聞 自民党執行部は24日、3月末のガソリンの暫定税率の期限切れを回避するため、暫定税率の期限を3か月程度延長する法案を議員立法で衆院に提出する方向で調整に入った。 今月中に衆院を通過させ、3月末までに成立を図る。 ガソリンの暫定税率を巡る与野党の対立は深まっており、与党は「このままでは3月末の期限切れを迎え、国民生活に混乱が生じる」と懸念している。自民党幹部は24日、「議員立法で3か月期限を延長することにより、政府提出の租税特別措置法改正案の中身について、落ち着いて審議できる。野党との接点も探ることができる」と語った。自民党は与野党で租税特別措置法改正案の扱いを話し合う検討委員会の設置も検討している。 以上引用 私は、本ブログの中で「暫定税率の1年延長」、「その間、『道路特定財源の環境税化』を含む論議を進めていくこと」を主張してきました。 さて、読売新聞配信の記事によると、自民党は「暫定税率を3ヶ月間延長する法案を議員立法で出す」ということのようですが、それは実質1年間延長するのと同じことですね。なぜなら、その場合、「国会」においても「地方議会」においても、「暫定税率が1年間は延長されることを前提に予算案を承認するしかないからです。 ここで、自民党は何を考え、何をなすべきなのでしょうか。一つは、正直に「暫定税率1年間延長」を提起することであり、もう一つは何ヶ月も時間をかけ、「道路特定財源の環境税化」等について論議し(野党との接点を探るといった国会対策だけでなく)、将来に向かって何を優先していくべきなのかという「公論」を国民とともに形成していくことではないでしょうか。 その場合、現在生きている人たちの「生存権」をどのように保障していくのか、地球規模の「環境問題」にどう対応していくべきか、ということは極めて重要な問題(今のペースで道路を作り続けることより)だと考えます。ちなみに、欧州では「環境税」を「環境と福祉両方」の対策に活用するという考え方が一般的のようで、「道路特定財源の環境税化」は、現代の重要な課題に応えていく極めて有効な方法であると考えます。 「洞爺湖サミット」の論議においても、ますますその重要性は確認されることになるのではないでしょうか。 ただ、国民を挙げての「公論」を進めていくためには、そもそも「環境税の創設そのものにどのような効果があるのか」ということを正面から取り上げていく必要があるでしょう。 スウェーデン(すでに炭素税を導入している)に在住のYoshiさんは、そのブログの中で「環境税」の本質的な役割に言及しておられます。すなわちそれは、環境対策を「個人の心がけ等で前進させるのではなく、経済的な動機付け(例えば「公共交通機関を使うなど環境に配慮した行動をとれば得をし、燃料の無駄遣いなど環境に負荷をかける行動をとれば損をする」といった仕組み、あるいは「環境によい技術」の普及を促進していく仕組み)を導入することで全国民的な環境配慮活動を具体的に実現していくツール、としての役割です。 環境税導入のような「急を要する課題」をしっかりと論議していくためには、「単なる国会対策に終始せず、将来を真剣に論議していく意思と姿勢」が求められているのではないでしょうか。 なお、上記とほぼ同趣旨の文章は、「首相官邸」と「自民党」あてに個人名で送っておきました。 環境問題に関連する記事を次のページにまとめておりますので、よろしければおいでください。“しょう”のページへジャンプ
2008.01.25
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民主党は22日、ガソリンを含む揮発油税の暫定税率廃止問題で戦術を変更し、「ガソリン代値下げ」の代わりに、道路特定財源の一般財源化などの制度改革に重点を置いて訴えていく方針を固めた。同党は、暫定税率廃止でガソリン1リットルあたり約25円の値下げをするキャンペーンに力を入れてきたが、人気取りとの批判に押され、「逆効果となってきた」(幹部)と判断した。 1月23日 産経新聞 配信 小沢一郎氏は「暫定税率は撤廃する」「道路建設は計画通り進める」「地方には一切迷惑をかけない」などと国民を愚弄するような「甘言」を連発しましたが、それに対する批判が噴出することは当然のことでありましょう。 私自身は、「仮に税率を維持するとしても『環境税化』を進めていくべき」と考えます。あるいは「一般財源化して環境対策にも積極的に使う」といった選択肢もあるでしょう。 いずれにせよ、国民や地方住民を「人質」にとった政治的な駆け引きよりも、このたびの「戦術転換」を機に、将来をしっかりにらんだ「公論」を展開してほしいものですね。 環境問題に関連する記事を次のページにまとめておりますので、よろしければおいでください。“しょう”のページへジャンプ
2008.01.23
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この間「学力低下」論議が一人歩きし、子どもたちを競争させ教職員を競争させ追い立てていくような検討が「中央教育審議会」や「文部科学省」などを中心に進められてきました。しかしご存じですか?「学力世界一」となったフィンランドは競争もテストもしない国なのだそうです。 『週刊東洋経済』1月12日号では「北欧」の社会や経済、教育をテーマに本格的な特集が組まれました。その一部を引用してみましょう。学力が高い子が育つ「フィンランド式」の真実 フィンランドの子どもたちは学力世界一であるという。(・・・) フィンランドの子どもたちが高学力を示したのは、PISAにおいてである。これはすなわち、OECDが各国の子どもたちに求めている学力を養うという点において、フィンランド教育が優れているということを意味する。 では、OECDが各国の子どもたちに求めている学力とは何か。それは、「問題を見出し、解決する力」である。そして、フィンランド教育の一つの特徴として挙げられるのは、就学前(6歳)から徹底して「問題解決力」を養うこと。つまりOECDのいう学力と、フィンランドのいう学力は一致しているのだ。(詳しい記述内容やコメントについてはHP“しょう”のページへどうぞ) また、フィンランドに何度も行かれた都留文科大学 福田誠治氏の講演や著書は、日本の現状を考え直す一石となりうるものです。ぜひ読んでみませんか。 福田誠治氏へのインタビュー記事もこちらです。HP “しょう”のページ グローバル化で大企業が海外の安い労働者を争って求める中、携帯電話の販売シェアで世界一を誇る「ノキア」がなぜ多くの労働者を国内で採用しているのか? フィンランドの教育にその鍵があるように思われます。 ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2008.01.21
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本日(1月20日)、首相官邸宛に以下のようなメールを送りました。 報道によると町村官房長官は、「揮発油税の暫定税率撤廃によるガソリン値下げを掲げる民主党に対して二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスを削減しようという世界の流れに逆行していると批判」したとのことです。 私は、この主張の一部には賛成できますが、物事の一面しか述べていないと思われます。問題は道路建設などインフラ整備による二酸化炭素排出量が莫大なものであることや、それがモータリゼーションを促進し、CO2の排出量を増やす役割を果たしてきたこと、に触れておられない点です。 去年、バリ島で行われたCOP13では激論の結果、数値目標の重みを確認することになったのではないでしょうか。洞爺湖サミットも今年開催される地元日本に対して、京都議定書での合意の履行が当然、強く求められることになります。はっきり申し上げて私は環境税や排出権取引などを採り入れること無しには実行不可能だと考えますがいかがでしょうか。 日経エコロミーの中で橋本賢(はしもと・さとし)氏はCO2を大量に排出している原因を検討していますが、以下は氏の結論です。 大雑把な分析ではありますが、以上の結果から一つのポイントが浮かび上がってきます。それは、最終消費財を作り、使う際のエネルギーよりも、「交通インフラの整備、自動車等の製造」、「生産インフラ(設備、工場)の整備」、「原材料や最終消費財などの輸送で消費するエネルギー」の方が大きく、CO2を排出しているということです。 私は、現行の揮発油税と同等以上の課税を行い(→環境税の創設)、それを公共交通の発展や自然エネルギーの普及、「環境対策」を通じた地域の振興(地産地消の補助等)にまわすことが大切だ、と考えます。 環境問題に関連する記事を次のページにまとめておりますので、よろしければおいでください。“しょう”のページへジャンプ
2008.01.20
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1月19日付 日本経済新聞 編集委員のコラム いつの時代も「減税」に反対する声は小さく、世論調査などでも民主党提案を好意的に受け止める人が多いようだ。 だが、この時期のガソリン減税が適切なのか、冷静に判断する必要がある。(・・・)今年、来年と国際政治の大きなテーマは地球環境問題だ。これまで後ろ向きだった米国の姿勢も徐々に変わり、昨年末には32年ぶりに自動車の燃費規制を強化する法律が成立した。7月の洞爺湖サミットでも二酸化炭素の排出削減が議論される。 その直前にガソリン減税が実現すれば「日本は CO2 削減に本気でない」というメッセージを国際社会に送ることにならないか。(・・・) 非産油国の日本にとって経済の脱石油依存は重要な課題である。(・・・)税制などで石油高騰の影響を中途半端に打ち消すと、進むべき技術革新が停滞し、経済の体質転換に逆行することになる。 もう一つの懸念はガソリン減税の埋め合わせとして、国債や地方債が増発されかねないことだ。つまり、現時点の家計や企業収益を助けるために、将来世代に負担を先送りするわけだ。長期の時間軸でみれば国民負担の総量は減らず、財政再建は遠のくことになる。(・・・)ガソリン減税についても、複眼的な視点で議論を重ねる必要がある。 以上 引用 民主党が「暫定税率廃止」のキャンペーンを張る中、日経新聞などの各紙はおおむね「冷静に判断すること」を呼びかけているように見えます。「郵政民営化選挙」の時に、小泉政権の「旗振り」の役割を果たした時とは違うようですね。 実際、国立環境研究所が行った試算(05年10月17日)では、仮に税率を戻してガソリン価格が下がった場合、短期的に600万トン以上、中長期では1000万トンから2000万トン以上のCO2排出増が見込まれている、ということです。 積極的な環境政策をホームページに掲載している民主党ですが、一体どのようにこたえていくのでしょうか。 環境問題に関連する記事を次のページにまとめておりますので、よろしければおいでください。“しょう”のページへジャンプ
2008.01.19
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私は、「道路特定財源」について次のような考えを主張してきました。 私の考えでは「揮発油税」を直ちに環境税へと切り替えることがベストですが、それが困難な場合は「道路特定財源の暫定税率を1年だけ延長し、現在1千億円あまりしか計上されていない環境対策に充てる部分を増やす。一年後に向けて「道路特定財源」の趣旨・名称を「環境税」へと変更する方向で検討を進めるというやりかたが現実的ではないかと考えます。(…) ところがそれに対して、「日本に緑の党をつくろう! みどりのテーブル」共同代表の小林一朗氏から以下の個人的なご意見をいただきました。氏は、自らの多面的な考察を踏まえ、次のように述べておられます。 検討すべき事項は多岐に渡るので、自公・民主党のように単純化して主張すのは難しいように感じております。(…)そこで、・これまでのような自動車中心社会の拡大再生産にではなく、・社会的費用/外部不経済、ピークオイルを視野に入れ、・自動車排除ではなく、自動車と公共交通・自転車・徒歩が共存でき、・かつ自動車の無制限な使用に歯止めがかかり、・現在の建設業者にいきなりの過酷な失業を招くのではない、・持続可能な社会の実現に向けた公共事業に使う という方向を打ち出す必要があるのではないか、と感じております。 自動車産業は反対でしょうが、建設業界は一定程度理解してもらえるのではないか、と。道路工事の削減よりも、棲み分け型の公共事業にし向ける方向でないと地方はたいへんなことになってしまうと思っております。 そして、小林一朗氏は「自転車道路」の建設などにも「財源」を振り分けていくことを主張しておられます。 12月にNHKスペシャル『ワーキングプア1、2』をまとめて編集したものも放映されましたが、農業が成り立たない状況の中、建設業に職を得て道路建設も含む(削減されつつある)「公共事業」などで細々と食いつないでいる人も多い「地方の現状」を踏まえると、単純に「廃止する」「環境税化する」というだけではダメだと思いました。 そうするためには、段階的に「地方の産業構造」も含めて変えていく必要がある、ということなのでしょう。「暫定税率廃止」と国民受けするスローガンを声高に叫ぶ民主党は、どのように応えるのでしょうか? 環境問題に関連する記事を次のページにまとめておりますので、よろしければおいでください。“しょう”のページへジャンプ
2008.01.18
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大切にしたいのは国民? 選挙? 民主党の小沢一郎代表(65)が「逆ギレ」した。同党定期党大会が16日、横浜市内で開かれ、終了後に会見した小沢氏は、新テロ対策特別措置法が再議決された11日の衆院本会議を途中退席したことが党内外から批判されていることについて(…) 1月17日 スポーツ報知 報道によると小沢氏は「新テロ特措法が国民にとって大事な法案だとは思わない」と発言したのだそうですが、それならばなぜ「審議引き延ばし」による抵抗戦術を取ったのでしょうか。大事でない問題で、国会を引き回されたのではたまったものではありませんね。 採決当日の行為からも分かるように、小沢氏にとって大切なのは「国民ではなく選挙」なのでしょう。「道路特定財源」についても、「国民の生活」を大切にするといっているのですが、単に「テロ特措法」より選挙対策上有効である(国民受けする)だけのことではないでしょうか。そのような疑いを持って、私は一昨日次のようなメールを民主党に送信しました。 最近の貴党の道路特定財源への動きを見るにつけ、「道路特定財源を選挙目当ての政争の具にしているのではないか」という印象を強く持っています。日経新聞の社説にもありましたが、一種の「大衆迎合主義」ではないか、と考えるものです。実際、「暫定税率は下げ、道路建設は進める」「地方には迷惑かけない」などという主張は「責任政党」としての主張ではありません。およそ実現不可能な国民を愚弄する「甘言」であると考えます。(…) 私の考えでは「揮発油税」を直ちに環境税へと切り替えることがベストですが、それが困難な場合は「道路特定財源の暫定税率を1年だけ延長し、現在1千億円あまりしか計上されていない環境対策に充てる部分を増やす。一年後に向けて「道路特定財源」の趣旨・名称を「環境税」へと変更する方向で検討を進めるというやりかたが現実的ではないかと考えます。(…) 「道路特定財源」を政争の具にしないでいただきたい、ということを重ねて申し上げ、貴党への私の意見とさせていただきます。 以上が「民主党宛」に送信した意見(一部)ですが、「環境税」の新設は急を要する課題であると考えています。 「環境税」の使途としてはさまざまなことが考えられます。 そして、「環境税」は環境対策だけでなく、疲弊した「地方」の活性化にも大いに役立つものと考えます。(また、EU諸国では「環境税」の使途として、「環境対策と福祉の二本柱で支出していく」という考え方が一般的なようです。) 私も車を持っていますが、いずれにしても燃料を消費することで環境に大きな影響を与えている以上、その対策のために税負担をすることは当然であると考えます。車を運転することで外部に与えている影響を取り除くために多くの社会的費用を支出しなければならない(すでに支出している)現状がある以上は、それが筋でしょう。 私が「暫定税率」引き下げ一点張りの民主党の動きに対して「選挙目当ての大衆迎合主義ではないか」(そうでないならば揮発油税の税率問題を契機に今後の環境対策も含めた公論を起こしていくべきではないのか)と考える論拠は以上のとおりです。
2008.01.17
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「仲間づくりと子どもたちの自立」3 教育の大切さについては、異論のないところでしょう。しかし、現状を踏まえてどのような教育をしていくか、ということについては具体的に考えていく必要があります。 私自身はこれまで所属する民間教育研究団体である「高生研」=高校生活指導研究協議会に多くを学びつつ、具体的に考え実践してきたつもりですが、大切だと思える事柄について、吉田和子氏の講演をもとに整理してみました。 生徒自身が活動の主体となり、組織の主体となり、自己形成の主体となっていくような活動は、どうすればできるのか?→ポイントはリーダーを育てていくこと。しかし、現状においてリーダーを育てていくためには、かなり緻密な指導が必要。1、リーダーの連絡・報告活動について 非常に重要な活動であるにもかかわらず、なかなかうまく出来ていないのが現状(実践例)担任「あなたのしゃべりかたにはメリハリがない。わたしのしゃべりかたもあまりよくないけれど、少なくともあなたの時より皆が聞いていると思わない?わたしのしゃべりかたで、いい点と悪い点は何か、かんがえてごらん。」→考えさせる生徒「先生は私よりも声が大きい。特に大切なところはもっと大きな声でしゃべったり、黒板に書いたりする。・・・」 このように考えながら訓練することで、彼らなりの連絡・報告のスタイルを身につけていくのではないか。2、リーダーの苦しさに共感し、問題について相談する「○○君が来てくれない。(言うことを聞いてくれない)」 個別に、またはリーダー集団(文化祭の実行委員等)と相談、状況を分析し対策を 考える→仲間に声をかけ、働きかける力を育てる。要求(仲間への要求)を表現する力、怒りなどの感情を適切に表現する力を育てていく。 リハーサル(仲間に声をかける、仲間を叱る)→1回目は必ず成功させる→自分だってがんばれる(あるべき自己像を認識)3、討議の指導 HRの前に議長を呼んで、「おまえがんばれよな」では指導になっていない。例)全体討議の指導 HR討議の状況を予想させる(誰も話を聞かない,学校祭に意識が向かっていないので、話し合いにならない等)→対策を一緒に考える・どうすれば話を聞いてくれるか ・どうすれば学校祭に気持ちが向かうか ・どうすれば、話し合いが出来るか 等々について 具体的な対策を一緒に考える。 二重討議の指導(うまく指導すれば、短時間でたくさんの意見を引き出せる) リーダー(班長等)を集めて、二重討議・班討議のリハーサルを行う 「○○のテーマについて、意見を出してください。」→司会(班長)は出た意見を整理「こんな意見とこんな意見が出ましたが、どちらをこの班の意見にしますか?」・・皆が発言できる。しかし、司会がしっかりしていないと私語集団になってしまう。※リーダーとは?(生徒の視点で常に点検を)教員と口論できる、教員をおちょくれる。 ユーモアのセンスがある、公・私の世界両方をわたり歩ける。(そうでないとクラス集団が見えてこない)4、「HR通信」の活用 活動の状況を、リーダーに報告させるとともに、「通信」をもちいてリーダーの頑張りを強調し、HRの世論に働きかける(→前向きのムードを ) ・リーダーのがんばり ・担任への批判的意見や・多数意見に対抗する少数意見 などを重視して取り上げる →クラスの中に「自由に発言できる雰囲気」ができる。(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…)
2008.01.16
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「仲間づくりと子どもたちの自立」2 教育の大切さについては、異論のないところでしょう。しかし、現状を踏まえてどのような教育をしていくか、ということについては具体的に考えていく必要があります。 私自身はこれまで所属する民間教育研究団体である「高生研」=高校生活指導研究協議会に多くを学びつつ、具体的に考え実践してきたつもりですが、大切だと思える事柄について、軌保学峰氏の講演をもとに整理してみました。Q 生徒会等の行事はどのような機会になりうるか 生徒が 1、活動の主体になっていく、2、組織の主体になっていく 3、自己形成の主体になっていく 貴重な機会。1、活動の主体 自分たちで決定して、自分たちで活動していけるかどうか。スタイル(原案提出→討議→決定→実行→総括)をきちんとつくる。・実践例まず、原案を作るための資料を出させる。(アンケート,グループ討議など)次に、その資料をもとにして原案を作成させる。(原案の例) 活動原案「教室中を水族館にしよう」(これだけでは討議にならない) 組織原案「3週間で生き物400匹を飾る水族館を作りたい。フナでもコイでもエビでも何でもいいので、自分の身の回りにいる生き物を1人10匹は最低集めましょう。」(一つの組織、仕事が明確で、実現できるかどうか具体的に討議できる原案) このように生徒自身の討議によって決定していくならば、生徒は活動の主体になっていく。(それでも動かない場合はじめて「皆で決めたのになぜ実行しない?」と言うことができる)2、組織の主体・任務分担をして、全員が活動に参加しているかどうかがポイント・どんなに小さな仕事であっても、たとえば劇の小道具係で葉っぱをつくる仕事であっても、そこの部分はその係(グループ)に考えさせる。・取り組み開始の段階から、毎日、何々グループはどこに行くとか、今日の計画・予定とか報告させていく。(「私たちは昨日ここまでいってここまですみました」といった、翌日の点検・評価も大切。) 企画や予定、昨日の活動などを報告させることによって、小さな小道具係が周りのみんなに認められる。3、自己形成の主体 「昨日までこうしていたけれど、今日のようにこうしている自分もいいじゃないか」この「いいじゃないか」が生まれてきたとき、自分のありようを考える。行事というのは、みんなの前に一人一人を引きずり出していくいい機会。 できるだけ一人一人が組織の主体で、みんなの一員として頑張っている姿で引きずり出すことが大切。そういう時にみんなから評価されたり、(あるいはだめなとき批判されたり)すると、その生徒は「いまある自分」「あるべき自分」の姿を自分なりに自覚できる。 「仲間づくりと子どもたちの自立」3に続く(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…)
2008.01.15
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「仲間づくりと子どもたちの自立」1 教育の大切さについては、異論のないところでしょう。しかし、現状を踏まえてどのような教育をしていくか、ということについては具体的に考えていく必要があります。 私自身はこれまで所属する民間教育研究団体である「高生研」=高校生活指導研究協議会に多くを学びつつ、具体的に考え実践してきたつもりですが、大切だと思える事柄について、複数の講演などをもとに整理してみました。※ いま、なぜ仲間づくりか? 「今日のいじめをはじめ、不登校、非行、学級崩壊、人間関係がとれない、人の話がじっと聴けない、言われないとしない指示待ちなどは決して個別的なものではなく、“根”は一緒だと思います。どれも生活体験、人間関係体験、自然体験、コミュニケーション体験、共同体験、困難(挫折)体験、自己決定体験など、子どもたちが発達過程のなかで当然すべき基本的体験が不足しているために起きている一つの症状なのだと思うのです。」 〔高塚人志著『すてきなあなたになるために』より〕 不足している「人間関係体験」「コミュニケーション体験」「共同体験」を学校教育のなかで補い創造していくことが大切ではないか。Q 現在までに試みられてきたことは?1、「生活指導」としての“集団づくり・仲間づくり” HR活動、学校行事、部活動などの教科外活動を中心に豊かな人間関係を体験できるような機会を創造していく。2、いわゆる「総合学習」 具体的経験のなかで生きる「総合的な学び」を生み出す学習Q 成長の原動力は何か? 問題行動に対する注意・指導は大切⇒しかしそれだけでは不充分「素敵な自分になっていきたい」「人間関係の悦び」「周りからの評価」などは、成長の原動力として重要である。(頑張って周りから評価されている自分もいいじゃないか) そして、問題があった場合「自分たちの問題としてとらえ、それを一緒に解決していく」といった体験を積むことは、成長にとってきわめて大切なことである。 Q 生徒会等の行事はどのような機会になりうるか 生徒が 1、活動の主体になっていく、2、組織の主体になっていく 3、自己形成の主体になっていく 貴重な機会。 「仲間づくりと子どもたちの自立」2に続く(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…)
2008.01.14
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プラグインハイブリッドカーの二酸化炭素削減効果について※「プラグイン」よりも「普通のハイブリッドカー」を! 朝日新聞に投書した意見(未掲載)です 環境問題等に関する特集についてはHP “しょう”のページ 10月5日付朝日新聞(10面)に「テクノ最前線」(トヨタ「環境技術の切り札に」次世代ハイブリッド「プラグイン」車 始動)という記事が特集されていましたが、以前から私は環境にやさしいといわれるプラグインハイブリッドカーの二酸化炭素削減効果について、疑問を持っております。 ガソリンのエネルギーを有効に活用する従来のハイブリッドカーと比較して、プラグイン方式でコンセントから充電する電気を用いると、発電等によって排出される二酸化炭素の量がむしろ増えるのではないか、という疑問です。(一般的に電力〔特に火力発電〕は「廃熱」をたくさん放出し多くのエネルギーを無駄にする効率の悪い“エネルギーのかたち”です。それは二酸化炭素排出量を計算する“係数”からも明らかです。) そのような疑問に応えることを意図した(と思われる)グラフが上記特集記事の左端に掲載されていましたが、残念ながら疑問の解消には不十分だと思えました。明確にすべき点が明確にされていないためです。 グラフの下にはCO2排出量は、「(車の燃料である)ガソリンの採掘から車両走行による排出までを含めて計算」と書かれていましたが、その場合、公正な基準で計算し比較するためには、「火力発電の場合、燃料である石炭や原油の採掘・精製・輸送の過程で排出される二酸化炭素の量を含める必要があり、原子力発電の場合、燃料となるウランの採掘・精錬・濃縮・輸送、さらには放射性廃棄物処理の過程で排出される二酸化炭素の量を含める必要がある」わけですが、グラフの説明の中には発電以前や以後に排出される二酸化炭素の量が計算されているのかどうか明確でありません。 トヨタ自動車に上記の点を電話で問い合わせましたところ「回答できかねる」という返事でした。(ただし、その後メールで問い合わせた結果「貴方の懸念はもっともである」という回答がありました。)そうだとすれば新聞に掲載されたグラフの公正さについても極めて疑わしい、といわざるを得ません。 以上引用(最後のみ省略) 「プラグイン方式」よりも普通の「ハイブリッドカー」のほうが環境に優しいのではないか、というのが私の見方です。問題提起とさせていただきます。
2008.01.11
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さて、スウェーデン在住のYoshiさんが、現地の家庭や教育体制を取材して記事をまとめておられます。それを掲載した雑誌を紹介させていただきます。 『週刊東洋経済』(1/12号 すでに発売されています)は「北欧はここまでやる ~格差なき成長は可能だ!~」というテーマで相当な特集を組んでいます。『週刊東洋経済』1月12日号 「労働権」、「生存権」や「教育を受ける権利」などを明記した日本国憲法をどのように「実現」していくか、を考える上でも大変示唆に富んだ情報満載! 素晴らしい特集です! Yoshiさんはスウェーデンの家庭の取材をし、記事作成に関わるとともに、スウェーデンの教育体制について2ページ分を執筆しておられます。 なお、その内容の要約・紹介について私のホームページ(“しょう”のページ)でも掲載しています。 『東洋経済』を買えなかった方も含めて よろしければご覧ください。 ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2008.01.10
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b>竹田青嗣の本を読もう この文章の趣旨は、竹田青嗣の著書の勧め(続き)です。 1980年代あたりから、いわゆるポストモダン思想がブームとなり、「実に浅薄な近代思想批判・哲学批判」がなされてきましたが、竹田青嗣はその当時においてもポストモダンブームに対して批判的な立場で理解し・評価をしていました(『現代思想の冒険』など)。 ここでは、私が竹田青嗣に送った手紙(メール)をもって、「著書の勧め」にかえさせていただきます。 『よみがえれ、哲学』の対談の中で述べられている点「観念論のポイント」(45頁)「理性的な議論では解決し得ないような、異論の対立をどう解くか。『純粋理性批判』は、これに体系的に首尾一貫して答えようとした見事な解答例であること」(47頁) 「ルソーの主張の核心」「政治権力の正当性の原理は広範な人民の“合意”と“一般意志”であるということ」(54頁)、「ヘーゲルの主張のポイント」「ヘーゲルはルソーの社会の原理を、人間の“自己意識”の原理とつなぎ合わせた」ということ(63頁)、 「人は互いに自由な存在であることを認め合うならば(自立的な意志として自由の相互承認を成立させるならば)そのとき初めて「法」や「権利」というものが実効性を持つ。→その前提によって、その決まり(ルール)を破ったとき、破った人間は罰せられることを引き受けるということが、(当為や要請ではなく)自由意志の必然的帰結として出てくる」(145頁)ということなど、当為や要請を持ち込まず「近代における自由の解放」を説明する竹田青嗣さんの一貫性を感じました。 さらに、『人間的自由の条件』の結論部分でマルクスによる資本主義社会の「仮象暴露」を評価されるとともに、社会変革の必要性に言及され、ヘーゲルとマルクスを対立させることなく現代的に再生させるべきことを示唆しておられることについても、共感して読ませていただきました。 以上、一部を引用しましたが、全体として非常に興味深い論考がなされています。『よみがえれ哲学』『人間的自由の条件』など、ぜひご一読をお勧めします。(私は、教育学部の出身なのですが、研究室は社会科の倫理社会(懐かしい呼称…)です。在学中から47歳の今にかけて、愛読した思想家はサルトル、マルクス、ヘーゲル、竹内芳郎、竹田青嗣、西研、長谷川宏などです。現実に向き合う思想についてHP“しょう”のページにまとめています。) ↓
2008.01.09
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竹田青嗣の本を読もう この文章の趣旨は、竹田青嗣の著書の勧め(続き)です。 1980年代あたりから、いわゆるポストモダン思想がブームとなり、「実に浅薄な近代思想批判・哲学批判」がなされてきましたが、竹田青嗣はその当時においてもポストモダンブームに対して批判的な立場で理解し・評価をしていました(『現代思想の冒険』など)。 ここでは、私が竹田青嗣に送った手紙(メール)をもって、「著書の勧め」にかえさせていただきます。 彼ら〔カント・ヘーゲル〕にとっては、「人間の自由な権利」が「市民国家」によって初めて確保されるものであることは自明のことだった(『人間的自由の条件』16頁)ということ。人間は「自由」な存在であるために、その自立的な意志を発動させて道徳的存在〔他者を尊重する主体〕となる、というのではない。 むしろ、他者を自由な人格であると見なそうとする「自立的な意志」の相互性(「自由の相互承認」)だけが、まさしく人間の「自由」をはじめて確保し保証する(30頁)というヘーゲルによるカント批判のポイント、など深く納得できるものでした。 「自由の相互承認」というのは『弁証法的理性批判』でサルトルが述べた「相互性」の人間関係に近いのではないか、とも考えていますが、それは竹内芳郎氏も『討論塾 天皇的精神風土との対決』の中で述べておられるように「人権」をも基礎づけるものでもあろうと考えます。 以上、一部を引用しましたが、全体として非常に興味深い論考がなされています。『よみがえれ哲学』『人間的自由の条件』など、ぜひご一読をお勧めします。(私は、教育学部の出身なのですが、研究室は社会科の倫理社会(懐かしい呼称…)です。在学中から47歳の今にかけて、愛読した思想家はサルトル、マルクス、ヘーゲル、竹内芳郎、竹田青嗣、西研、長谷川宏などです。現実に向き合う思想についてHP“しょう”のページにまとめています。) ↓
2008.01.08
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1月6日 20:00 毎日新聞(毎日jp) 文部科学省は、いじめの温床にもなっていると指摘されるインターネット上の掲示板「学校裏サイト」の実態調査を始めた。学校裏サイトは子どもたちが情報交換のために立ち上げた掲示板で、匿名性を背景にひぼう中傷の書き込みがエスカレートしがちだ。文科省は「子どもたちのネット利用を見守る体制を作りたい」と実態調査後の対策案の策定も検討しており、3月末までに調査結果をまとめる方針。(→ニュース全文) 「学校裏サイト」をめぐる大変な実態はニュースの全文を読むだけでもその一端がわかりますが、このたびは文部科学省という公的な機関が実態調査に乗り出したということに意義があるでしょう。ニュース記事の中では、おとな(公的機関)が監視することで「裏サイト」の暴走に多少の歯止めがかかることが期待されています。 そして、このたびの調査が保護者のあいだでもまだ充分共有されていない「実態」を広く共有していく機会になれば、と願っています。(「学校裏サイト」の実態や教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…)
2008.01.07
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竹田青嗣の本を読もう 「思想」や「哲学」というものは、自分自身や社会についてしっかりと考え判断していくのに大変重要なものですが、20世紀後半「構造主義」の台頭以降、「哲学」は時代遅れのものとみなされてきたところがあるように思います。しかし、「現代思想」の浅薄な大流行のさなか(1980年代)においても竹田青嗣はすでに、哲学的な立場からその問題点を的確に指摘してきました。この文章の趣旨は「竹田青嗣の著書のすすめ」ですが、個々の著作の紹介に替えて、私が竹田青嗣氏に送った手紙(実はメールですが)の内容を一部紹介します。 竹田さんの著書を私自身は10冊あまり読ませていただきましたが、最初のころ印象に残っている言葉は『哲学入門』の中の「耳学問のすすめ」です。たとえ「原典」にあたらなくても自分自身や世界について「強く深く考えるために」ために「哲学者」の思想やキーワードが役に立つのであれば、そのことは本人の人生にとって意味を持つのではないか、という趣旨の「すすめ」に共感いたしました。 現在45歳になりますが、私は20年あまり前、教育学部の社会科(倫理・社会)の研究室に所属し、文学部の教授の講義も受講しながら「JPサルトルにおける自由と状況」というテーマで卒業論文を書きました。明解に表現しようと努力しつつも苦労した記憶があります。一時期『ソフィーの世界』がベストセラーになりましたが、竹田青嗣さんの「わかりやすく表現」されている著作は哲学にたくさんの人たちが触れ、関心を持っていく上で本当に意味のあるものだと考えています。また、「現代思想と対比しつつ、現象学や近代哲学の意義を紹介」することで浅薄な近代批判の思潮に一石を投じ、まちがいなく多くの読者にその問題意識が共有されているだろう、と思っています。私の場合、現代社会、倫理の授業でも『初めての現象学』等、いくつかの著作を活用させていただいています。 さて、2004年度に発行された『人間的自由の条件』(そして西研氏との対談である『よみがえれ、哲学』)ですが、ルソー、ヘーゲル、マルクスを高く評価していた自分としても賛同・共感できる多くの点がありました。 竹田青嗣への手紙 2 に続く (私は、教育学部の出身なのですが、研究室は社会科の倫理社会(懐かしい呼称…)です。在学中から47歳の今にかけて、愛読した思想家はサルトル、マルクス、ヘーゲル、竹内芳郎、竹田青嗣、西研、長谷川宏などです。現実に向き合う思想についてHP“しょう”のページにまとめています。) ↓
2008.01.06
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NHKスペシャル「ラストメッセージ」最終回「この子らを世の光に」は、糸賀一雄、池田太郎、田村一二らを主人公としたドキュメントだった。「“障害者”も“健常者”もともに生きていける社会こそが豊かな社会だ」という信念のもと、強い意志を持って実践し続けた三人の生涯から学びつつ現代の「特別支援教育」について思うところを述べたい。○支援の必要な個人への教育(場合によっては保護・訓練) まず、障碍(しょうがい)児福祉教育を閉じたものにしないこと、「あらゆる個人が持っている人格発達の権利」を保障することの大切さを強調したい。(碍…妨げになるものの意味) 現在推進されつつある特別支援教育には発達障碍もその対象として含まれるということであるが、障碍児に限らず支援の必要な子どもや個人は多様に存在する。例えば不登校児、幼児虐待を受けてきた子ども、「いじめ」などで追い詰められている子ども、精神的重圧や発達障碍の二次障碍としても出現する「うつ」や「統合失調」の子ども、さらには近年急増している「薬物依存症」になってしまった青少年等々である。 鳥取県東部に設立された薬物依存症の回復施設「鳥取ダルク」によれば、鳥取県東部に出回っている覚せい剤の量は月々2キログラム。これは延べ人数にして2万人分(仮に依存症の一人が月々0.1グラムの覚せい剤を20錠服用していると計算しても1000人分)であるという。そして、そのような「依存症の増加・低年齢化」の背景には余裕を失った親たち(家庭環境)等の深刻にして複雑な問題がある。 以上のような実態を踏まえ、「支援教育」が目指していくネットワーク作りは、児童・青少年をはじめ多様に存在する「支援の必要な人々」を視野に入れる必要があるだろう。○ネットワーク形成の展望と条件整備 一般的に言うと「地域」がネットワーク形成において重要なポイントとなる。根本的には「共生思想」をもとに地域(地域のネットワーク)をどのように作っていくか、ということが課題となろう。※NPO等の団体の活動 鳥取県東部で活動するNPO岩美自然学校は、児童生徒を対象とする自然体験などを中心に活動している団体であるが、何年間にもわたって不登校生徒を対象とする体験教室〔チャレンジ教室〕を実施してきた。前任校で関わった生徒の一人は、学校に行けず苦しんでいた中学時代に岩美自然学校の「チャレンジ教室」を体験している。彼女は、同じように不登校で苦しむ仲間とともにこの教室に参加したのであるが、「(特に)岩美町外から参加していた仲間が短期間で見る見る元気になっていった姿がとても印象的だった、」と語っている。 岩美自然学校のホームページを見ると、プログラムの中に「ポニーと触れ合う体験」が組み込まれており、別のNPOである「ハーモニーカレッジ」と連携していることがわかる。逆に、ハーモニーカレッジのプログラムの中には岩美町熊井浜での自然体験がある。(湖山で活躍している「ぼちぼち」も今年度不登校生徒を受け入れているが、やはり、NPO相互の協力・連携を行っているようである。) このような、集団での自然体験や農作業、動物との触れ合いなどは「不登校生」だけでなく「発達障碍」等の子どもたちにも有意義ではないかと思われる。したがって、「教育(あるいは福祉)NPOの活動をいかにして無理のない形で拡大・発展させていくか」について、NPO事務局に対する行政の一層手厚い支援も含めて具体的に検討していくことが大切である。(教育問題や哲学・思想に関する特集も含めてHP“しょう”のページにまとめています) ↑よろしければ投票していただけますか(一日でワンクリックが有効です)
2008.01.05
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NHKスペシャル「ラストメッセージ」最終回「この子らを世の光に」は、糸賀一雄、池田太郎、田村一二らを主人公としたドキュメントだった。「“障害者”も“健常者”もともに生きていける社会こそが豊かな社会だ」という信念のもと、強い意志を持って実践し続けた三人の生涯から何を学ぶべきだろうか。 糸賀らの先進的な営みにも大きな刺激を受けながら、戦後の「障害児教育」は日本国憲法の「すべて国民はその能力に応じて等しく教育を受ける権利を有する」という条文の解釈変更を行いながら、「支援すべき対象」をひろげ「特別支援教育」へと発展してきた。 現在、さまざまな施設・団体を拠点にしつつ、「支援教育」のネットワークを作っていくこと、必要な支援の条件を作っていくことが重要な課題となるが、その実現のために大切なことはなんであろうか。一番大切なものが「目の前の現実から出発して行動しよう!」という強い意志であることは、糸賀一雄らの生涯を見れば明らかであろう。 一言でいえば糸賀の哲学は行動の哲学であった。無いものは皆と協力して創る=起業の精神をもとに、法制化に先立ってさまざまな取り組み〔近江学園(保護・教育・医療)、びわこ学園(重症児の発達保障)、地域づくり=中小企業家と読書会、信楽(池田太郎)、茗荷村(田村一二)など〕を展開した。片山前鳥取県知事の「現場主義」や「鳥取県を北欧のような地域に」という言葉も思い起こされるが、人口最小県においても「現実から出発して課題を実現していく」意図を明確にし、行動・挑戦することで全国に発信しうるような取り組みが可能となる。(そのような取り組みを通じて、「支援を必要とする諸個人」をとりまく「一般の人々」の意識がどのように変わっていくのか、ということも重要な問題となる。その際、糸賀らの先進的な取り組みで周囲の人々の意識が変わっていった事実は、貴重な教訓となろう。)○ネットワーク形成(課題の実現)に関する歴史的条件 ただ、現在においては糸賀の時代ではなかったような客観的な条件があることも確認しておきたい。今は、いかに保守的な政治家であっても「障碍者への支援」や「特別支援教育の条件整備」を進めていくことは「枯れ木に水をやるようなもので不要だ」といった発言を(公的に)するものは一人もいない。 その背景には、近代に原則が確立された「人権思想」の発展・具体化がある。すなわち18世紀の時点では実質的に「成人(白人)の男性」にしか保障されていなかった「人権」が、多くの人々や国連などの活動を背景に、有色人種、先住民、女性、児童、障碍者へと拡大し、「実質的に保障されるべきものだ」という合意が形成されてきたこと、その意味では「支援の必要なものにより厚く」といった条件整備がしっかりと前進しうる歴史的な流れがある、ということが確認できるであろう。 より恵まれた状況の中で、先人の「メッセージ」をどのように受け止め実践していくか、それがわれわれの課題であろう。(教育問題や哲学・思想に関する特集も含めてHP“しょう”のページにまとめています) ↑よろしければ投票していただけますか(一日でワンクリックが有効です)
2008.01.04
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NHKのスペシャル『ラストメッセージ』(2007年3月放映)に映し出された糸賀一雄、田村一二、池田太郎の実践は、真に「豊かな社会」とはどのような社会なのか、そして「豊かな社会」を実現していくために必要なこと(姿勢)は何なのか、ということについて深く考えさせ、強く示唆を与えるものであった。 特に注目に値する言葉・思想としては、1、「『人間』という抽象概念ではなく、生きた生命、個性のある『この子』として目の前にいる子どもたちをとらえ、だれとも取り替えることもできない個性的な自己実現の主体として『発達保障』という考え方を強調したこと、」2、「発達には『這い、立ち、歩く』といった縦の発達だけでなく横の発達があるということ、」3、「本来一人ひとりが光り輝く存在であり、障碍を抱えた人たちも分けへだてなく共に生きることのできる社会こそが『豊かな社会』であること、」などがある。 とりわけ3の思想、そして「この子らを世の光に」という言葉は、「近江学園」「あざみ寮」「第二琵琶湖学園」「茗荷村」など、目の前の現実から出発して次々に実践を重ねていった三人が常に自らに言い聞かせ、未来に託した言葉であった。 彼らの先進的な取り組みにも大きな影響を受けながら、歴史は「ともに生きる社会の創造」という方向に進んでいった。その過程でさまざまな思想・言葉が生み出された。〔リハビリテーション(回復・復権)、ノーマライゼーション(常態化)、インテグレーション(統合化…これは「本流に入れる」という発想)、インクルージョン(包摂化…適切な支援を行いながら一緒にする、「本流はない、みんな違う」という発想)、エンパワーメント(潜在力の発揮)〕 そして、現在「特別支援教育(支援教育)」の充実という方向で彼らの理想は具体化されつつある。「先人の取り組みから作り出されていった実践と歴史」の意義を私たちはあらためて確認する必要があるだろう。(教育問題や哲学・思想に関する特集も含めてHP“しょう”のページにまとめています) ↑よろしければ投票していただけますか(一日でワンクリックが有効です)
2008.01.03
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『高校生のための哲学入門』 長谷川宏著(ちくま新書)の紹介の続き。 第2章「人と交わる」のなかで長谷川は「対等」と「平等」との違いについて以下のように述べる。 万人が平等であると言うとき、言う人は高みに立って万人を上から見おろすようにして、みんな同じだ、と言っている。(・・・)〔竹内芳郎によれば普遍宗教(世界宗教とほぼ重なる)の登場とともに初発的な意味において「万人平等主義」が誕生したと言う・・・引用者 注〕 図式的に言えば、各人のちがいがまったく見えなくなる無限遠点まで昇りつめて、ただの点であるような人間をつかまえて万人が平等だという。それが平等の原風景なのだ。平等がイメージされるには、そこまでの抽象力が働かねばならないのであって、法の下の平等が近代法の基本原則だとすれば、それは、近代精神がそれだけの抽象的思考に耐えられるようになった証しでもあるのだ。 「対等」は、そういう抽象化の果てに立ちあらわれる観念ではない。人となり(人柄)に関心を持つ交わりの中で自分と相手が「対等」だと感じるとき、その「対等」は人種・信条・性別や、出身地・出身校・職業・家柄・容姿・趣味を剥ぎ取った、点としての人間同士の平等とはまるでちがう。(・・・)差別的な内容もそうでない内容もひっくるめて、自他の人となり(人柄)に関心を持ち、関心と理解を深めていくなかで、上下や優劣にこだわることが意味をなさなくなるような、そんな関係をさして「対等」な関係だというのだ。(・・・) 高校生の私が西洋近代小説を夢中になって読んでいたとき、わたしはそういう対等な関係のなりたちをさまざまな場面で目撃していたのだった。(『赤と黒』の)ジュリアンとレナール夫人、ジュリアンとマチウドは、その出身からして平民と貴族という階級差別を背負っている。(・・・)が、男と女、人間と人間との関係が深まるにつれて、たがいが差別を踏みこえていこうとするようになる。二組の恋愛は、社会的身分差別に安住するのではなく、差別を超えていこうとするからこそ、人間性ゆたかな恋愛となりえているのだ。 長谷川は、このような「近代小説」だけでなく自らの体験にも触れながら「対等」な関係の輪郭をくっきりと明らかにしようとする。そこで感じられるのは、小説の登場人物や自らの具体的経験と行き交うような形で「人間関係の本質」を明らかにしていることだ。 ここで長谷川は、まさに「具体的経験の哲学」を展開しているように見える。(私は、教育学部の出身なのですが、研究室は社会科の倫理社会(懐かしい呼称…)です。在学中から47歳の今にかけて、愛読した思想家はサルトル、マルクス、ヘーゲル、竹内芳郎、竹田青嗣、西研、長谷川宏などです。現実に向き合う思想についてHP“しょう”のページにまとめています。) ↓
2008.01.02
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『高校生のための哲学入門』 長谷川宏著(ちくま新書) 私が長谷川宏に「出会った」のは、『同時代人 サルトル』がはじめだったが、以来、彼の著作を何冊か読んだ。サルトル・ヘーゲルなど近現代におけるヨーロッパの哲学を学びつつ「知と思考の普遍性」を真摯に追求し、「その力を現実の中でいかに発揮させていくのか、」を問いながら「哲学を生きる」といった姿勢を感じ、共感を覚えた。 『高校生の哲学入門』は長谷川宏の最新作(2007年7月発刊)であるが、今その内容を拾い読みしつつ、著者の希望するとおり多くの若い人たちに読んでほしいということを私も感じた。 ここでは第8章「知と思考の力」の内容を一部紹介したい。 東京大学の大学院で哲学を学びつつ、全共闘運動を体験したという著者は、「大学で哲学を教える」というそれまで思い描いていた道を問い直し、「知と思考を積極的に鍛え上げる上でも、大学の研究体制の外に出て行くこと」を選ぶ。長谷川は、哲学の研究を続けながら塾の講師として生計を立てていくが「書斎で追求する抽象的・観念的な知と思考が日常的で具体的な暮らしのなかに容易に生かせないこと」に悩みを感じる。 「それから30年あまりの時が経つ。自分の思考の成熟度は測りがたいが、塾の日々は-とりわけ、授業とは別の夏合宿(山奥での10日間の集団生活)と演劇祭は-多くの仲間の協力を得て、抽象的な知と思考がそれなりに生かせる活動になったとは思う。個人の自由を認めつつどう集団の秩序を創り上げるか、年齢も能力も違う人間のあいだでどう対等な関係を築くか、信頼の上に立つ批判、批判を通しての信頼をどう確保するか、自由で実のある対話や討論をどう実現するか、ものごとの決定に全体の総意をどう反映させるか、活動の場面場面で個々人の能力をどう引き出し、集団の動きをどうおもしろくしていくか。(…)たとえば、合宿の進め方をめぐって中学生・高校生と議論しているとき、わたしはヘーゲルの『法哲学講義』を読むときのような緊張感を時に味わうのだ」 「青春とは、本来、哲学的な思考に向いている年代なのだ」と長谷川は言う。そのような若者を読者に想定したこの本は、日常の具体的な経験と哲学的な「知と思考」がどのように関わっていくのか、ということを様々な事例・角度から述べる。若者だけでなく、かつて「知と思考の力」を追求していこうとしてきた個人も含め、一読の価値がある著作である。(私は、教育学部の出身なのですが、研究室は社会科の倫理社会(懐かしい呼称…)です。在学中から47歳の今にかけて、愛読した思想家はサルトル、マルクス、ヘーゲル、竹内芳郎、竹田青嗣、西研、長谷川宏などです。現実に向き合う思想についてHP“しょう”のページにまとめています。) ↓
2008.01.01
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