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「神様が自民党に政権を戻したのは、原発の後始末を自分でしなさいということよ」。12月28日午後のテレビ番組に出演した茂木経産相に対し、長崎に投下された原爆で被曝した歌手の美輪明宏さんはこういい、使用済み核燃料の最終処分場も決まらないのに再稼動に突き進む姿勢を批判した。 押される一方の茂木氏だったが、原発を動かすのは大前提だと言わんばかりにこう言った。「すでに使用済み核燃料はある。再稼動しようがしまいが、大きな問題は残っていく」。 (2012年12月29日付朝日新聞) 最後の茂木氏の言葉についてどう思われますか・・・? 「大きな問題をさらに大きくしていくか、問題の拡大に歯止めをかけていくのか」という選択は重要な問題ではないのでしょうか。 問題はあるんだから、原発再稼動(さらには新規増設!)で問題が拡大してもどうと言うことはない? 長年の原発推進政策によって「大きな問題」(膨大な核廃棄物の処理、敷地内で複数の原子炉建屋が次々に爆発するという未曾有の大事故と放射能汚染)を引き起こした責任に対する居直りでは? 生まれたときにはすでに膨大な核廃棄物が存在していて、その処理を請け負わなければならない未来世代、前世代の残した膨大な国の借金返済を受け負わなければならい未来世代、前世代の「経済活動」によって破壊された環境の中で苦しみながら生き延びていかなければならない未来世代・・・、理不尽なこととは思いませんか? 新政権は原発の維持・推進にも公共事業の拡大(「人からコンクリートへ?」)にも熱心なようですが、上記の「理不尽な問題」をどんどん拡大していくことにならないでしょうか。 1992年、リオデジャネイロの環境サミットで12歳の少女、セヴァン・スズキは語りました。「私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです」。(・・・)「どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください」。 今読み返しても、心に響くものがあります。 私たちは、未来世代からどのような問いを受けることになるのでしょうか。「取り返しがつかないほど問題が拡大しつつあったのになぜそれを放置したのか」、それとも、「拡大しつつあった問題に勇気を持って向き合い、解決に向けて一緒に踏み出せたのはなぜなのか」。 「誰もが自分たちの子どもや孫(その世代)の幸せを願う気持ちを持っているはずだ」、とアル・ゴアは語り、同趣旨の自問自答をしていますが、今の子どもたちを含む「未来世代への責任」を軽視してはならないと思うのです。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) 〔 「しょう」のブログ(2) 〕もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)
2012.12.31
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これまで選挙が終わるたびに私が覚えていた違和感は、「政治家は選挙結果を都合よく勝手に解釈する」ということでした。正直、このたびも選挙前にはそのような結果になりはしないか、と危惧していたものです。 ところが、「選挙の出口調査と同時に行われていたアンケート結果」を報道によって知り、大変興味深く思っています。 朝日新聞によれば、投票を終えた有権者に原発を今後どうするべきか三択のアンケートをしたところ、『今すぐゼロ』(14%)、『徐々にゼロ』(64%)、『ゼロにはしない』(15%)という結果が出たのだそうです。 調査結果分析の記事 結果の表 「原発ゼロを求める有権者の票が分散し、必ずしも選挙結果に反映しなかった」というのが記事の分析ですが、私は、選挙の出口調査と同時にこのようなアンケートが行われ、結果が公表されること自体、大きな意義がある と考えました。 なぜなら、投票行動の直後に 「具体的なテーマ」に関する有権者の考えを確認することは、勝手な解釈(例えば「このたびの選挙によって国民は原発の新規建設も容認した」といった解釈)に歯止めをかけ、選挙後に白紙委任されたかのように振舞おうとする政治家の恣意を抑制することになるからです。 周知のように、政府の行ったパブリックコメントや「討論型世論調査」の結果、2030年時点での原発ゼロを求める意見が多数(約8割)を占めました。(このたびの「出口調査・アンケート」でも「今すぐゼロ」と「徐々にゼロ」を合わせると78%!) そもそも「脱原発」を掲げる政党が輩出したこと自体、パブリックコメントを中心とする「意思表示」の結果と見るべきでしょう。そして又、大飯原発の再稼動を決定した政府民主党が原発ゼロを打ち出したのも同じ理由からです。 さらに言えば、自民党の「原発に関する政権公約」も従来の政策とは大きく転換しており、河野太郎氏の公式ブログにも明記されています。〔「これまで原子力政策を推進してきたわが党は、このような事故を引き起こしたことに対してお詫びする・・・」と従来の原発推進の責任を認め、「全てのエネルギーの可能性を徹底的に掘り起こし、社会・経済活動を維持するための電力を確実に確保するとともに、原子力に依存しなくても良い経済・社会構造の確立を目指します」と公約している。〕(従来の姿勢から上記のように転換したからこそ「脱原発」が争点になりにくかったという点は否めないでしょうが・・・)、そのような「謝罪を含む政権公約」も「当然守られるべき」と釘をさしていくことが大切であり、具体的テーマでの意思確認という点では「マスコミによる出口調査」もなかなか有効だな、と感心した次第です。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) 〔 「しょう」のブログ(2) 〕もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)
2012.12.19
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この間、福島第一原発事故の検証にかかわる記事を二度にわたってアップしました。 検証・福島原発事故・官邸の100時間 官邸の作成していた「福島原発-最悪のシナリオ」 木村英昭をはじめとする朝日新聞の記者が「事故検証」のルポルタージュをまとめた意義の一つは「報道機関の信頼を取り戻す」ことでしょうが、それは同時に「垂れ流された不確かな情報」をただしていくことにもつながります。 私は、上記記事に関連した用語でネット検索をしてみたところ、以下のような興味深いものを見つけました。 「デマ情報を流した安倍晋三の配信」と、それをほとんどそのまま報道した新聞 内容が関連する別のブログ記事 これが事実であるとすれば大きな問題だ、と私は考えましたが・・・。政治家個人による情報配信は事実として行われているようです。 「福島原発事故について誰も責任を取らないだろう」という趣旨の発言をしたのは小出裕章氏ですが、私自身も 「本来責任を取るべき人たちが責任逃れをするために、時の政府・首相を攻撃したのではないか」、という疑問を強く感じて記事にまとめました。 1年以上前のものですが・・・。 同趣旨の意見もネット上にありました。 国会における「事故対応の追及」の問題点(yahoo知恵袋 ベストアンサーの意見) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) 〔 「しょう」のブログ(2) 〕もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)
2012.12.14
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官邸が2011年3月に作成した「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」という資料があります。 これは、福島第一原発が完全に制御不能となり、致死量の放射線によって作業員が撤退せざるを得なくなった場合、一体どの程度被害が拡大していくのか、技術的に予測したものです。 その中には概略、次のようなことが記されています。 「水素爆発で一号機の原子炉格納容器が壊れ、放射線量が上昇して作業員全員が撤退したとの想定で、注水による冷却ができなくなった二号機、三号機の原子炉や、一号機から四号機の使用済み核燃料プールから放射性物質が放出されると、強制移転区域は半径170キロ以上、希望者の移転を認める区域が東京都を含む半径250キロに及ぶ可能性がある」(『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』幻冬舎新書21~22頁) 上記著書はもちろん、当時総理大臣だった菅直人が書いたものですが、朝日新聞記者である木村英昭のルポ『検証・福島原発事故・官邸の100時間』(岩波書店)の内容ともよく合致していました。 そして、『検証・福島原発事故…』以上の切迫感とともに伝わってくるのは、「半径250キロ圏の高濃度汚染、想像を絶する規模の避難」という悪夢と向き合いながら対処せざるを得なかった「最高責任者の苦悩」です。 例えば一号機と三号機爆発後の危機的な状況について、次のように記されています。 「二号機は先に爆発した一号機と三号機の間にあったため、二つの爆発事故の被害を受けてしまったのだ。負の連鎖の恐怖だ。 海水注入がなかなか始まらない段階で、細野補佐官のもとに(信頼していた)吉田所長から、『これは駄目かもしれない』と電話があったという。このことを細野補佐官から聞いた時は、私も言葉が出なかった。吉田所長がそう漏らすからには、かなり危機的な状況と判断するしかない。」〔『同書』106頁( )内は引用者〕 上記は、極めて切迫した場面の一つですが、この著書の中で菅直人はシミュレーションした「最悪の事態」について次のように述べています。 「それにしても、半径250キロとなると、青森県を除く東北地方のほぼすべてと、新潟県のほぼすべて、長野県の一部、そして首都圏を含む関東の大部分となり、約5000万人が居住している。」(23頁)「そしてこれは空想の話ではない。紙一重で現実となった話なのだ。」(25頁) まさに、当時、最高責任者として原発事故対応にあたった前首相が、5000万人避難のシナリオが紙一重の現実だったと証言しているのです。 「もしベントが遅れた格納容器が、ゴム風船が割れるように全体が崩壊する爆発を起こしていたら最悪のシナリオは避けられなかった。 しかし格納容器は全体としては崩壊せず、二号炉ではサプレッションチャンバーに穴が開いたと推定されている。原子炉が、いわば紙風船にガスを入れた時に、弱い継ぎ目に穴が開いて内部のガスが漏れるような状態になったと思われるのだ。 その結果、一挙に致死量の放射性物質が出ることにはならず、また圧力が低下したので外部からの注水が可能になった。 破滅を免れることができたのは、現場の努力も大きかったが、最後は幸運な偶然が重なった結果だと思う。 四号炉の使用済み核燃料プールに水があったこともその一つだ。工事の遅れで事故当時、四号機の原子炉が水で満たされており、衝撃など何かの理由でその水が核燃料プールに流れ込んだとされている。もしプールの水が沸騰してなくなっていれば、最悪のシナリオは避けられなかった。まさに神の御加護があったのだ。 こうして(…)具体的な避難計画の立案を指示するという事態にまでは至らず、『5000万人避難のシミュレーション』は私の頭の中にとどまった。」(36-37頁) 確かに現場で命がけの対応がなされたことはまちがいない。しかし、最悪のシナリオを回避できたのは幸運に助けられた面が大きい、という前首相の証言を私達はどのように受け止めるべきでしょうか。 去る11月30日、原子力規制委員会は「110万キロワット級の原発1基から福島第一原発事故のおよそ半分の量の放射性物質が放出されたと仮定して」住民被ばく対策の試算を公表しました。 しかし、「紙一重だった最悪の事態(全人口の半数近くの避難によって、首都機能も含め、日本全体が壊滅的な打撃を受ける)」を考えると、そのような想定は本当に充分なのでしょうか。「そんなことを考えていたら原発が稼働できなくなるから『最悪の事態』など考えない、」ということで果たしていいのでしょうか。 そしてまた、5000万人が直面することになったかもしれない苦悩を、まさに現在味わっている福島の人たちについて、さらに、私達の次世代への責任・「未来への責任」についてどう考えていくべきなのか。 「原子力村」の宣伝に惑わされない、しっかりした判断・行動をしていきたいものです。 日本の原発における冷却系統の欠陥 停止中の原発の燃料プールにも警戒を 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) 〔 「しょう」のブログ(2) 〕もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など)
2012.12.04
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