全9件 (9件中 1-9件目)
1
今、「ハトホルの書」という本を読んでいますが、様々な宇宙の変動に対する最新情報が書かれていてとても面白いです。他の多くのチャネリングの本と同様に愛と思いやりの重要性をといている、とても素晴らしいエネルギーの本です。この本には、地球は2010年から2020年頃に大きな変化を迎えると書いてあります。次元上昇、アセンションと呼ばれるものです。この本は、その時期を迎える私たちの手引書のひとつとして「ハトホル」と呼ばれる集合意識から与えられたものだと書いてあります。この本の伝えたいことを一言で要約すれば、今まで以上に「愛と思いやりと気付き」のある生活を送りなさいということに尽きます。なんら突飛な行動が必要だとは書いてありません。ただ、自分の意識を拡大させ、地球やより大きな存在とのつながりを取り戻す様々な方法もいくつか紹介してくれています。私は最近、自分の潜在意識から受け取るメッセージが「大変化」「生まれ変わる」「稲妻が落ちる」というようなものだったので、一体何なのだろうと不思議に思っていました。日々の日常生活では別に驚くようなことはまだ起こっていなかったからです。でも、今になって考えてみたら、この「アセンション」に関係していることかもしれません。すでに地球の「アセンション」のプロセスは始まっているので、物事が起きるスピードは日々加速され、めまぐるしく世界は変化しています。スピリチュアリズムの世界ではもうだいぶ前からアセンションについていろんな情報が飛び交っていてこの時期に起きるだろうということも多くの人は情報として聞いたことはあると思います。バシャールもセスもそういう情報を流してくれています。でも、具体的にどんなことが起こるのかは地球人はまだ体験していないのでよく分からないし、この「ハトホルの書」でも地球のアセンションは特殊なので、地球以外の意識存在でも誰も正確には予測できないと書いてありました。それにしても、これは非常にスリリングで面白い体験になりそうですね。今の私自身は、自分が今この瞬間に何をすればよいのか、何を基準にどういう選択をすることが最もよいのかについて迷いはほとんどなく、そしてその選択に対しても、あまり躊躇なく行動に移すことができます。最高の愛と思いやりを動機とした選択を常にするということが全てにおいて何よりも大切なのだと気付いているということです。私自身が今回、地上に生まれてくる際に、この時期までにこういう気付きの状態を達成しておくように自分で準備しておいたという自覚がはっきりあります。今の時期を、赤ちゃんでもなく、老人でもなく、もっとも活動的で精神的にも安定するような年代で迎え、しかもこの情報を得ることができる日本にいるということは、私はよっぽどこのアセンションと呼ばれるイベントに対する興味があったのでしょう。しかも観客席ではなく、実際に内側から体験する側にいるというのもすごいことですね。今後、このイベントを成功させるためのスタッフとしてさらなる自覚的な意識をもちながら、日々の愛と受容と気付きに取り組みたいと思います。
2005.03.29
今日はバシャールを読み返していたのですが、やっぱりいいですねえ、バシャールは。とてもポジティブな気分になります。本を読んでいて、こういう一節に目がいきました。「これが望ましい私の姿。なぜなら、私は無条件の愛に値しているから。そして私の人生は魔法に満ちているから。」バシャールは、私たちがそんな風に思って人生を謳歌できるようになると書いてあります。この「無条件の愛」というのは、人間関係の中ではなかなか経験できないので、感覚的に味わうのは難しいかもしれないけど、でも想像力を使えば不可能ではないですよね。私たちは想像力を使うことで、この三次元に存在しないもの、まだ現実化していないもの、すでに過ぎ去っていて存在していないものでさえ、自由に体験することができます。「天国」や「地獄」、「天使」や「悪魔」さえ想像できるのなら、「無条件の愛」だって想像できます。今日、バシャールを読んでいて、昨日の日記に書いた「自我の抵抗」の理由が分かりました。それは「無条件の愛」で愛されている認識が欠けていたのです。何か欲しいものを手にいれるために「欲しい」と言うだけでは手にはいらないと思っていました。「無条件」ではなく「条件つきの愛」で愛されているという発想だと、何か欲しいものを手にいれるには交換条件が必要だということになり、その条件を探し満たそうとします。でも、無条件に愛されているということなら「欲しい」と意思表示するだけで宇宙はその実現に向かって動き出します。どちらが真実なのかという問題ではなく、どちらの発想がより人生の質を高めてくれるのか。そういう観点で私は自分の観念(世界観)を選びます。人生の質を、より高めてくれる観念(世界観)の方が、より大きな真実(より高い霊的波動)だと考えているからです。自分の居心地の悪さの原因が分かったことで、今日はスッキリ軽くなりました。これからは自分を含め全ての存在が「無条件の愛」に値することを深く信頼しながらさらに大胆に「望ましい私の姿」をイメージし、この地上をより楽しい場所にしてゆこうと思います。
2005.03.24
どうも今の自分のことを言葉で表現することが難しく、ぴったりする表現が見つかりません。どうやら今、自分の意識が「生まれ変わる」とでも言うような変化にさしかかっていることはここしばらく自分が受け取る様々なサインから分かるのですが、一体自分がどうなってゆくのか皆目見当がつかないし、(もちろん見当がつくのなら今までと同じ延長上にあるので「生まれ変わる」ことはできません)そして、今の自分の選択に対して今までのような「自信」がありません。まだこれと言った結果がはっきりと現れていないので、「これでよい」という確証を得ていないのです。多分、誰もが大きな変化を予感するときは、不安と期待の入り混じった感覚を味わうものなのでしょう。この「不安」という感覚も、昔と比較したらだいぶ柔らかいものになりました。しばらく前から、自分がこの肉体をもっている生き物だという意識(自我と呼ぶことにします)と、もうひとつ、霊的次元からその自我や肉体を眺めている自分の意識が常にあります。その別次元から眺めている自分というのは、いわゆる人間くさいと言われるような感情がありません。人間的な感情というのは、執着や不安感、強い喜怒哀楽とか、そういうものです。実にさっぱりしていて、達観していて、そして何より楽観的で平安です。その別次元の自分は、別にこれから起きることが分かっているわけではなく、全てを忘れているという意味では、この肉体の中にいる意識(自我)と同じなのですが、忘れていても何も問題なく、全ては上手くいくという感覚を常にもっています。「何も知らない。でも知らなくても大丈夫。」という感じです。常に今この瞬間自分がすべきことは、一言で言えば「ワクワク」感じる事を選択し、行動することで、経験上もそれに間違いはないことは分かっていますが、実は自我の部分は、現在ちょっと「抵抗」しています。「自我」は、何か「困難」とか「頑張っている」感覚が欲しいのかもしれません。あまりにもスムーズだと、「自我」は「こんな簡単に上手くいくはずない」と抵抗するみたいです。可笑しいですよね。今、「自我」と「霊的意識」のこの二つの焦点の間を私は行ったり来たりしながら、何かを確かめているのかもしれません。よく分かりませんが、とりあえず何の心配も必要なく大丈夫だそうです。また、はっきりした変化がつかめたらこの日記に書きたいと思います。
2005.03.23
ここしばらく自分のやっているカウンセリングについて考えていました。一体私は何を伝えたいのか。どういう形で話をしてゆくのがいいのか。私の信じている世界観と違う世界観をもつ人たちには、何をどう伝えていったらいいのか。などなどいろんな疑問が出てきて、なんだか訳の分からない状態になっていて、考えても仕方がなさそうだったので、とりあえず毎瞬すべきことをして解決する時期を待っていました。そして、違和感を疑問を感じ始めてから今日で約1ヶ月がたち、ようやく少し気持ちがすっきりしてきました。今日、ふと気がついたのは「真実」という言葉が指すものについてです。私は自分のカウンセリングの中で「真実」あるいは「真理」というものを伝えないといけないのだと思っていました。その「真実」という意味は自分にとっても他人にとっても同じように「真実」である普遍的なものです。でも、私は本当にその「真実」が分かっているのだろうか?自分が信じているのは間違いなく「真実」なんだろうか?急に疑問を感じ始めました。それは、自分の信じていることこそ、他人にとっても「真実」なのだと思っている人たちと出会うことによってさらに考え込んでしまいました。私もこの人たちと一緒なのかもしれない。きっとこの人たちは私の鑑なのだろう。世界中にいる、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの宗教、あるいはどんな分野でも自分達の信念体系こそ絶対的で他は間違っていると信じこんでいる人たち。その排他的な姿勢は争いの種となっています。でも今日、思いました。「真実」はひとつじゃない。よく聞く、あるたとえ話があります。巨大な象と初めて会った数人の盲人たち。ひとりは象の足を触り、象とは大木のような生き物だと言い、象のしっぽを触った人は、象とは長く細い枝のような生き物だと言い、象の腹を触った人は、象とはまるで壁のような生き物だと言い、象の鼻を触った人は、象とは長くしなやかに動く大蛇のような生き物だと言った。というような話です。誰が正しいのでしょうか。誰が間違っているのでしょうか。皆、部分的には正しいし、しかもより大きな観点からすれば間違っています。正しく、また同時に間違っているのです。どれがひとつ正しい真実があるのではなく、どんな真実にも、さらに大きく包括的な真実があり、より大きな真実から見たら、より小さな(部分的)な真実は間違っているように見えるかもしれない。でもそれは単に限られた一部というだけで別に間違っている訳ではないのかもしれない。現時点での私たちには理解不可能なほどの本当に大きな「真実」と比較してみたら、私たちが地球人としてこの脳で理解できる「真実」など大海の中の一滴なのだろうと思います。「真実」の理解度はその人の「意識レベル」によるでしょうから、大きな「真実」が何らかの形で情報が与えられていても、受信機の精度が低ければ受信も理解もできません。100年後、あるいは10年後であっても、今私が信じている信念体系はとても視野が狭い旧時代のものになっているかもしれません。いや、きっとそうなっているでしょう。それ程、現在の私たちの意識変化は加速されているし、より大きな「真実」と思われる情報がどこからともなく怒涛のごとく流れてきています。だから結局、私であれ誰か他の人であれ、誰かに何かを伝えたいとしても、この変化の流れの中で「今この瞬間」の自分が理解し、信じることができる最大限の「真実」だと思われるものを人に伝える以外にないのではないでしょうか。より大きな真実が常に存在するのであれば、当然、私と他の人の「真実」とは違います。それは象の尻尾を触った人と足を触った人の違いなのです。でも、もしその人が私の信じる「真実」つまり「信念体系」が自分の役に立ちそうだと思うならばその人が自己責任で、その考え方を採用すればよいのではないでしょうか。私は、他人に対して、私が話すことは究極の真実だなどと言うつもりは全くありませんし、私が「真実」だと思うことは、私の成長に伴って毎瞬微妙に変化してるのです。今日、話すことと明日話すことが違っていても何の不思議もありません。でも、変化の方向性は多分変らないだろうと思います。より愛があり、包括的で、恐怖がなく、自由で平和な考え方がより大きな真実だと思います。でもこれは言葉の捉え方によりますから、本当は自分の感覚だけが頼りです。「今の自分を分かち合う」だけどその自分はあくまでも発展途上で意識変化の途上で常に変化し続けるもの。人と違っていて当然、より大きな真実から見れば常に、ある面間違っているとも言える今の信念。でもそれぞれ違う自分、現時点での最大限の自分を表現することで、何かお互いに得て、そして与え合うものがある。お互いに関わることで、互いにより大きな真実を理解する手がかりを得るかもしれない。そういうスタンスで、カウンセリングをしてゆけばいいのではないかと自分なりに腑に落ちたところがあります。
2005.03.21
夕方から映画を観にいきました。「オペラ座の怪人」なんと素晴らしい歌声、そして美しい女優、男優。そして豪華絢爛たる映像美。こんな風に歌えたらなんと素晴らしいことでしょう。全ての人の中で隠された素晴らしい才能が眠っています。使わないなんてもったいない。それは自分も周囲も本当に幸せにしてくれるはずです。
2005.03.18
今朝、起きたときにとても重要なことが分かりました。「時間と空間」の認識についてです。「時間と空間」は三次元の「ものさし」で、霊的な次元では存在していません。それは私たちの「自我」の視点なのです。「自我」とは三次元に焦点を合わせた意識のことです。「自我」がなくなれば「時間」も「空間」も存在しなくなる。まるで数式を解くような感覚で、寝起きにそれが分かりました。最近、どうも意識が物理次元にいなくて、別次元にいっています。どういうことかと言うと、とても言葉で説明するのは難しいのですが、今まで見聞きしていたことが全く違った意味だと気がついたりするのです。あるいは今まで意味づけしていたことが全く記憶から消えてしまって分からなくなったりします。いや、説明しようがありません。。。自分が人間であることや女性であることの認識が消えかけていて、まったくこの世界に属していない訪問者で、「エネルギーの塊」のような感覚になってます。たまーにこういう感覚になることがあります。初めてではないので、別に不安はありません。でも、意識が人間ではなくなっているので、他の人につたえる言葉がみつからないのです。その感覚のまま書いてもしゃべっても他の人には全く意味不明になってしまうはずです。今、私はそういう意識を体験すべき時期なのでしょう。流れに任せるしかありません。今はとても無理して意識を地上に降ろして書いてますが、こういう状態が続く限りは、日記も書けませんので、しばらくお休みするかもしれません。でもこのプロセスが終了したらまた地上に戻ります。まったく意味不明ですよね。すみません。でもそういう言葉でしか表現できない感覚なのです。。
2005.03.16
今日からジョセフ・マーフィーの本を読み始めました。これ以上クリシュナムルティーの本を読み続けると、カウンセリングも出来なくなってしまうし、気分もウツウツとしてしまうので、とりあえず彼の本は脇に置くことにしました。マーフィーとの出会いは昨年の今頃です。彼の本は前にも少しは読んでいたのかもしれないけれど、本当に出会ったのは昨年の今頃です。「この本にはとてつもないことが書かれている」とその価値に突然気がついて、驚愕しました。いや、大げさではなく本当に「驚愕」して雷に打たれたような感覚でした。今までずっと求めていた「絶対的な法則」あるいは「神」と呼べるようなものに、ついに出会ったと思ったのです。その思いは今も変らずにあります。実際、私はその後の人生が本当に一変してしまって、内面的には昨年の自分と今の自分は全く別の人間のようです。そういう意味では、マーフィーは私にとって最も新しい先生であり、最も信頼のおける親しい家族の一員です。前回この楽天日記で、カウンセリングについて書きましたが、クリシュナムルティーと同調して彼のエネルギーを取り込むと私はああいう風に考えるようになります。でも、マーフィーの考え方に同調しているときは、多分そんな風には考えません。文章も書く内容も全く違うものになるでしょう。クリシュナムルティーもマーフィーも、私にとってはとても影響力のある存在なので、彼らに近づいただけで私は彼らの色に染まってしまうようです。さて、どちらを選ぶのか。。。でもどちらも、私には必要なのでしょう。なので、その時々で自分の魅かれる存在と最も心地よい距離を保ちながら影響を受け、理解して取り込んだ様々なエネルギー(考え方)を自分の中で混ぜ合わせ、そして統合してゆく。今までも繰り返ししてきたことですが、今回もこれからしばらくその作業をする必要がありそうです。正直なところマーフィーの本を読んで「ほっと」しました。ようやくクリシュナムルティー主催の「修行の旅」から、とても居心地がよく、癒され、元気が出るマイホームに戻ってきた感じです。でも修行の旅に参加したからこそ、この後いつもより深い気付きを得られるような気がします。とにかく今はゆっくり温泉につかって疲れをとりたい気分です。。。
2005.03.10
3月に入ってから、確かに状況が一変してきました。お誕生日休暇と名付けて、1週間ほど静かに内面と向き合う時間を過ごしていましたが、その頃から、毎日OSHOカードをひいています。そして、出てくるカードは、「生まれ変わる」とか「変容」「変革」「稲妻のような大変化」とかそんなカードが多く、一体どんなことが起きるのだろうと思っていました。内面的な変化としては、突然、あまり「カウンセリング」がしたくなくなりました。1月2月と、全く疲れを感じることなく楽しみを感じながらやっていたカウンセリングなのに不思議です。その変化の理由のひとつは、私が役に立てる人と、そうでない人がはっきりしてきたことかもしれません。今までカウンセリングをしてきて、あまり上手くコミュニケーションできなかったなあと感じるのは10人に1人位でした。そしてそのこと自体あまり気になりませんでした。でも、どうも最近はひっかかるのです。どういう人たちと話が上手くいかないのか、あれこれ考えています。例えば、かなり深刻に精神的に病んでいて、自己認識を自分で変えることさえ困難な人たち霊界に興味をもっていて、生まれ変わりや死後の世界、守護霊や死者との対話、自分の今の生活より、そういうことに強く関心をもっているひとたち自分が全く努力することなく、なにか霊的な情報や秘密があってそれを知れば人生がうまくいくようになるのだと思っている人たちあくまでも自分の考えや信念の枠を広げるつもりはなく、ただ自分の疑問に対する自分の聞きたい答えを人の口から聞きたいと思っている人たち自分の考えを変えようと取り組む前に、まず他人から証拠を見せてもらいたいと思っている人たち多分、スピリチュアルカウンセリングでなく、普通の心理カウンセリングでも相談者が自分の信念に凝り固まっている場合は、カウンセリングは何の役にも立たないだろうと思います。「非常に依存的」「まだ自分自身の人生に取り組むつもりがない」「自分で考えることもしてないのに、安易に人からの答えを欲しがっている」「自分の聞きたい答えに執着しているので新しい考えに心を開けない」そういう人たちとカウンセリングで関わるととても「空しさ」を感じてしまい、カウンセリングをすること自体やめてしまおうかと考えることもあります。でも一方で、「自立したスピリチュアリズム」の考えに共感を示し、私が話しをすることによってとても役に立つ人たちもいるようなのです。なので、そういう人たちのためにも、今はカウンセリングを続けようと思いなおしたりもするのです。カウンセリングはHPで無条件で申し込みを受け付けているので、私自身があまりクライエントを選べません。実際に話をしてみないと、相手の方がどんな考え方と必要性をもっているのかが分からないのです。それは仕方のないことかもしれません。でも、自分のエネルギーを本当に役に立てる人たちのために使いたいという思いは強くあり、そういう意味で、スピリチュアルカウンセラーの江原さんが個人カウンセリングをやめて、出版、広報活動に多くのエネルギーを注ぐようになった心情はとてもよく理解できる気がします。例えば本なら読みたい人が読めばいいのです。そして一度に多くの人に伝えることもできます。今現在、私はたぶんかなり精神的に自立しています。なので、不安のために依存的、神経質、無気力、あるいは攻撃的になっている人たちの感覚がよく分からないところがあります。私が自立しているのは、欲しいものがあれば、それを他人や世俗や社会などといった外側にあるものに求めずに自分自身という宇宙の中に見つけてゆくという取り組みを意識的にしてきたからだろうと思います。今の私は必要なものは人に何かを求めるということもなく、ほとんど自己調達して現実化させ、そして得てしまいます。そして得られないものは今の私に必要のないものとして、わりと簡単に手放すことができます。だけど、もちろん最初からそういう状態だった訳ではありません。でも私がスピリチュアリズムを学んできたここ20年ほどは、スピリチュアルカウンセラーなどという人はいませんでしたから、自分の波長に合うスピリチュアリズムの本を読み、そして自分の人生の中で長い時間をかけて、その考え方でうまくいくのかどうか実際に人生の中で必死に取り組んで身につけてゆくという方法でした。今、江原さんやその他の方々のお陰で、スピリチュアリズムの考え方が急激に広まってきましたが、本当にその考え方を身につけ、人生を変化させてゆくためにはかなりの勇気と根気と覚悟が必要だという気がします。スピリチュアリズムというのは、自分が不幸な原因が外側にあり、その外にある原因を取り除くためにあるわけではないのです。いかに自分と向かい合うのか、自分と人生を知る取り組みを真剣にしてゆくのか。そのひとつのツールとしてスピリチュアリズムというのはあるのです。自分の人生から逃避したり、他の誰かに依存したり、今さらどうしようもない過去生でのトラウマを自分の人生が上手くいかない理由にしたり、そういう自己逃避のお手伝いはしたくありません。そんなことをしばらく考えているのですが、とりあえずカウンセリングについては、自分ができるところまでやってみようと思っています。そのうち、どうしてもやりたくないという時期が来るかもしれないし、クライエントを私の方で何らかの形で限定するという形もあるのかもしれません。少なくとも今の自分の愛を分かち合う形としてのカウンセリングが別の形に発展してゆくまではこのまま、いろんなことを感じつつ進んでみようかと思っています。
2005.03.09
3月2日に誕生日を迎えました。なんとなく一人になりたくて、自分で勝手にお誕生日休暇を設定して一週間ほど仕事から離れていました。休暇中は主に「クリシュナムルティー」の本を読んでいました。彼の考えは私にとってあまりに刺激が強く「危険」過ぎて、今までは一度に多量服用するのを避けていました。(笑)彼の考えはあまりに鋭く厳しすぎて気分が暗くなってしまったり、考え込んでしまって私はその世界に入り込んでしまうと日常生活を送ることさえ難しくなってしまうことが常でした。なので今まではクリシュナムルティーを読んだ後は、思いっきり明るく軽い「バシャール」を読んでテンションを上げてバランスをとるということをしていました。今回も本を読み始めてからしばらくして、何時も通り自分の中がごちゃごちゃになりかけたので止めようかと思ったのですが、今回はここでやめずにもう少し服用を続けてみようと思い、最初の予定では三日間だった休暇を七日間に延ばして本を読み続けてみました。なんとなく一人になりたかったのは、自分が今やっているカウンセリングに対して今まで感じたことのない違和感を微妙に感じ始めていたので、その違和感の正体をつかみたかったのです。そしてそれに対する答えは、この「クリシュナムルティー」が知っているという直感がありました。だからどうしても彼の考えを今まで以上に理解したかったのです。その作業はまだ途中です。とりあえず、中和剤である「バシャール」はまだほとんど読まずに、彼から伝わってくる深刻さや厳しさから逃げずに自分と向き合っています。少しずつ分かってきたこともあります。カウンセリングという形態で沢山の人と関わることは、そう長くはないだろうということ。今まで以上に自分の人生に対し妥協を許さない厳しさをもって臨まなければならない時期にきたこと。自分の本当にすべきことに焦点をしぼり、それ自体にもそれ以外にも未練や執着をもたないようにすること。つまり、常に何にも執着も依存もしない自立した状態を確立すること。誰も歩いたことのない道を切り開いてゆく覚悟で、(つまり誰からの承認も得られなくても)世界でただひとりの自分というユニークな人生を開花させるという責任を果たすこと。そんなようなことです。まだ自分の中では曖昧で言葉にできない部分が沢山ありますが、これからも明らかになるにつれて書き留めてゆきたいと思います。
2005.03.07
全9件 (9件中 1-9件目)
1

![]()
