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最近は、いくつか新しいことに挑戦していて、いつにも増して、ご機嫌な日々を過ごしています。私は、常に気分がハッピーな状態でいることが好きなんだけど、一般的には、皆さんそうではないみたいで、どうして、そんなに幸福でない状態を選ぶんだろうと、私にとっては、人生最大の疑問なので、常に、答えを探そうとしています。周囲の人を観察しては、考えたりします。私が思うに、根本的な原因は、どうもエゴ(自我)があるからじゃないかな。だから、エゴの働きを弱めれば、かなりハッピーなれるはず。一体、そのエゴ(自我)って何よ?ってことなんですが、一言で、説明できないなあ。私は感覚人間なので、分析したりこういうところで、言語化するのは苦手目の前に、相手がいるといくらでも言葉が勝手に出てくるんだけどね。エゴが強まっているときは、人でも自分でも、よーく分かる。魂は苦しまないけど、エゴはいつも恐怖に怯えているから、苦痛を感じるし、自分でもつくりだします。でも、誰でも同じこと魂の視点と、エゴの視点と両方もってる。エゴの視点で見えるものを絶対視しはじめると問題がどんどん増えて生きることが困難になってくる。その状態は私はとても苦手なので、エゴを脱ぎ捨てて、身体から抜けて魂だけの感覚になっちゃったりするから、それはそれで、周囲には迷惑かけたりしてる。まあ、いろんな人がいるよね。おやすみなさい
2014.02.09
久しぶりの休日、というか急ぎの用事が入っていない「のんびり」過ごせる日でしたが、夕方から、お通夜に行く用事ができてしまいました。両親の知人の方のお通夜で、私は付き添いで一緒に行きます。人生は思いのほか短いものだし、私も、いい歳になっているし、それ以上に両親はいい歳なので、日々、人生の残り時間を意識して生きるようになってきています。「よりよく死ぬことを考えることは、よりよく生きることにつながる」とよく聞きますが、生命の誕生と死という、誰ひとり避けることのできない、絶対的な運命の前では、生きている間に出会うどんなことも、大した問題ではないように感じてしまいます。そして、私は死後の生命については、なんらかの形で存在すると信じていますが、たとえ、それが自分の思ったようなものではなく、自分という意識が完全に、消滅したとしても、大した問題でもないと思うようになっています。死ぬことは、特に怖れてはいないのですが、今、この瞬間に「生きている」自分をどうするのか何を選ばせ、何を体験させ、何を感じさせ、どんな風に時間を過ごさせるのか?については、特別に関心がありますし、今日にも、明日にも死んで自分がこの世からいなくなる可能性がある現実を考えると、多少の焦りもあります。「人類のために遣り残したことがある」というような立派な志があるからではなく、もう少しこの「人間を体験する夢を見させて欲しい」という執着かもしれません。それでも、「はい、時間ですよ。あなたの今回の時間はここまでです。お仕舞いにしましょう。」と、どんな形でも運命から指示がきたら、気持ちを切り替えて、晴れ晴れしく感謝いっぱいの気持ちで皆様と、この世界とお別れしたいと思っています。人の死と向き合うという時には、自分の死とも向き合うことになります。「あと少し、人としての夢を見させてください。ここは、とても刺激的で面白い世界だから、もう少し、遊ばせてもらえませんか?」とそんな気持ちで残された日々を大切に生きたいと思います。
2014.02.02
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