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ここしばらく、ちょっとしたストレスにさらされていて、どうも疲れが抜けない。めったにこういう感覚ないんだけどな。ストレスのあることは出来るだけ避けて生きているので、ストレスで心身がぶれることがあまりない。そういう選択が出来ること自体、私は相当な、幸せものだとは思うけど。でも、今回は直感的には、特別気の重いプロジェクトに、仕方なく関わることに決めてしまった。そのことが、相当なストレスになってしまっているらしい(苦笑)まあ、大人だからね。そういうこともたまにある。運命ならば受け入れて、やるだけのことをやってみるだけ(と自分に言い聞かせている)でも本音はその過程で感じるストレスは相当なものになると容易に予想できる。結果が追い詰められるのをわかってて関わりたくはないよね。しかも、さらなる問題はどんなに時間を使っても、多分ほとんど無給だし、私自身はプロジェクト自体にそれほどの情熱をもてない。でも、今回は仕方ない!頑張って、積極的に勉強と思って関わろうと思います。途中で楽しくなってくるかも。きっと一回り器が大きくなったりするはず(笑)
2014.08.30
皆様 こんにちはだいぶご無沙汰してしまいました。生きてます。今の時期は、残念ながらあまり発信したい意欲がわいてこなくて、カウンセラーの立場的には、この混迷した時代にネット上で何にも発信できないというのは役立たずっぽくて困ったなあという感じですが、カウンセラーと言っても、このわたしは元来、一般ピープルから外れてる変わり者なので、言葉で多くの人に広く何かを訴えるということも、自分の考えや、自分の行動、気持ちを誰かに知ってもらうことにもあまり興味がない。どだい話をしたところで飛び過ぎててほとんど分からないだろうし。それで、ネットみたいな架空世界では生きているかどうか分からない感じになってしまいます多分、私は、時代遅れのアナログ人間で、リアルな現実空間は好きで、そちらではかなり行動的に生きれてて、目の前の人たちとは、沢山関わって刺激受けたり、与えたりってこともある。本当に感謝です。それに肉体さまさまです。肉体ないと、この三次元空間で何かを体験することができませんから。ネットと言えば、私は「スマホ」も「アイパッド」と呼ばれてる平たい硬い石版みたいなの持っていないので、ネット上のコミュニケーションはスローモーです。今、TVでよく問題になっているLINEを通じてのいじめや仲間はずれあまりにかけ離れた世界なので、イメージするのが大変ですが、一体、どんな理由でどんな仕組みや流れでこんなことが起きてしまうんでしょうね。色々考えてしまいますが、心が痛みます。時代遅れの私の感覚からすると、特に違和感を感じのは、人々の「依存性」の高まり です。「つながる」「支えあう」みたいなことが重要だと、3.11以降ずっと、宣伝されていますが、「つながる」と「縛りあう」は違います。「支えあう」と「干渉しあう」も違います。でも、その違い、誰もがわかるかというと、ある一定の、精神的な成長や成熟が達成されてないと、その違いさえ認識できないというのが事実なんじゃないかと思うんですよ。多くの犯罪、たとえばストーカー犯罪などは「つながろう」という強い思いをもって、結局は、ターゲットになった相手を追い詰めます。「つながり方」が自分勝手だからいけないんだと言っても、「自分勝手」なつながりと、「自分勝手」でないつながりと一体何がちがうんでしょうね。問題を起こした、その人も、誰かとつながりたくて仕方なかったという意味では、「つながろう」というスローガンに忠実に生きていたのではないでしょうか?私の意見としてはね、たぶんね。「つながる」順番が間違っているんだと思う。「つながる」のは、他人とではなく、「自分自身」とつながらないといけない。そこが最優先事項。もちろん、普通は同時並行。自分ともつながるし、社会の中で人ともつながる努力をして、人は精神的に成熟してゆく。いつからか、いかに自分とつながるのか。それを教えてくれる先生もいなくなってしまったし、それを学んだり、気づかせてもらえる機会も私たちは急激に失ってしまった。のかもしれない。それはどこで学べるんだろう?私は、それは誤解を恐れずに言うと、実は「地獄」の中だと思う。経験上、そこしかない。地獄とは、苦痛を感じる場所。地獄にいると、血の池や、針の山で苦しむ。なんとか抜け出したいから、必死に出口を探しまくる。実は、そこからの脱出口はただひとつ。自分自身の心の奥底。苦しいと、手当たりしだい、出口を探しまくる。見つかるまで探しまくる。中には、諦めて地獄の住人になって、人を地獄に引っ張ってくることが人生の唯一の生きがいになる人もいる。諦めないで探し続けた人は、運がよければ気がつく。出口は、自分の外にはどこにもないって自分の中の奥の奥の、もっと奥実は、そこは24時間、自動ドアが開いていて、そこを出るとパラダイス、あるいはユートピア(地獄と比較しちゃえば、どこでもそうなっちゃうけど)なんで、自分にもっとも近いところに出口はあるのに、ほとんどの人は、自分の外を探しちゃうの?教えてくれる人がいない。そんなこと怖くて、不快で、悔しくて出来ない?からかなあ。理由はひとそれぞれなんだろうな。世の中、こんなに地獄のように見えるのに、ほとんどの人がこの世界から本気で脱出しようとしてない!?私には、そう見えてしまうこともある。私たちには、地獄に居続ける自由も与えられているのだから。私は特に何も言わない。言うべきこともない。カウンセリングなどの機会で、出口を聞かれれば、ほら、そこにあるよと伝えてあげることはできるけど、そこから出るかどうかは、本人次第。それでも胸は痛む。痛み続ける。これがこの3次元の世界。2次元の世界に逃げないで、3次元の地獄の中で、常に出口の近くにいる。しかも完全に出口から出てしまわないで、半身だけ残しておく。人の叫び声や、泣き声や、わめき声や、嗚咽に耳を傾ける。本当の「つながる」というのは、そういうことなんじゃないかな。出口もわからず、自分自身が地獄でおぼれてるだけの人は「つながれない」血の池で相手につかまって、相手をさらにおぼれさせるだけ。それは「つながってる」わけじゃないからね。これはひとつの例えだけど。でも、私はこの世界が好き。誰もが確かなプライベートな専用出口をもっていて、自分次第でそこから別世界に抜け出れる可能性のある「人間」という生き物。それを存分に遊ばせて、体験させてくれる3次元。ここはワンダーランドだな。ではまた。
2014.08.25
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