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最近、ちょっとネットオークションにはまってしまっている(苦笑)たいした買い物はしてないんだけどね。でもそれで気づいたことが色々あり、社会勉強になってます。なんと、世の中の(都会の若い人が中心だろうけど)いわゆる「ブランドバック」をもっている人の多いことか・・・特にコーチやヴィトンのバックが幅を利かせている。友人の話だと、20代になると、「ブランドバッグ以外のものは恥ずかしくて持てない」という感覚の娘が多いらしい。「つけまつげを着けないで、外出するなんて、恥ずかしくて出来ない。」と言う若い娘が多いというのも聞いたことある。これは、単なるブームなのか、そう思う心理は何なんだろう?「馬鹿にされたくない」「一目おかれたい」「貧乏だと思われたくない」「センスが悪いと思われたくない」「仲間はずれにされたくない」ということなんでしょうか?たぶん、自分が自分らしく、ありのままでよいそれぞれが個性的でどれも最高に素敵という考えとはまったく違うんだろうな。日本人のブランド好きというのは、前から噂で聞いていたけど、その勢いは加速されているのかもしれないし、あるいは下火になりつつあるのか?私にはそれさえも分からないけど、分からない私が、どうやら世の中から外れた感覚なんだろうな。自分がよいと思う個性的で人の手がかけられた丁寧でしかも手ごろな値段のものは、多くの人は良いとは思わないというか、関心がないらしい。私にとっては、なんとも不思議な世界だなあ。という私は人からみたら、単なる変わり者ってことか。改めて、「高級ブランド」というものの本質についてあれこれ考えているのだけど、「高級ブランド」=社会的「ステイタス」の高さみたいなことか。これは社会的パワーや権力にまつわる問題なのか。人はその「高級ブランド」を入手し、身につけ、それを人に知らしめることで、自分は価値の高い人間だと人に認めてもらおうとしているってことなのか?でもそうだとしたら多分、そのブランドの力に頼っているだけだといつまでも本当の自尊心は高まっていかないよね。そっか、日本人はいまや、精神的に自尊心が低下する一方だから、そういうモノをほしがるのか。そうなると、結構、由々しき問題だなあ。どうしたら、この国、あるいは社会構成員が本当の自尊心を高めてゆくことができるのか。近代文明の大きな課題なんだろうと思う。近代社会は、貧富の差による搾取、富の独占が行われやすい。富めるものは益々富み、貧しいものはますます貧しくなるような社会構造がつくられている。貧しいものが、高級ブランド物を身につけることは、本当はますます、その社会のひずみを大きくしてゆくことになってゆくような気もする。だって、高級ブランドを売り込むのは、富裕層だし、自尊心の低さを補う力を渇望する、「一般人」はブランド物を身につけるような安易な方法によっては決して、決して、「本当の自尊心」は身につかないから、さらなる「高級ブランド」モノを入手したくなり、そのために、貧富の差はますます二分化が進む。その輪からはずれるためにはどうしたらいいのか?私たちが答えをみつけてゆかないといけないんだろうね。今日の独り言でした。お付き合いいただきありがとうございました。詩音
2014.09.28
敬老の日自他共に認める「老人」となった両親と、今日も一緒に過ごせる幸せを感じつつ、この敬老の日の一日を終えることができました。前回、ブログにも書いた、来年のコンサートの件、エネルギーは必要だけど、思いの他、順調に進んでいます。人をまとめたり、引っ張っていく力が自分にあるとも思えないんだけど、でも、気がつくといつも、立場上、プロジェクトを実現化させるための中心的な役割を担うことが多いです。最大の理由は、たぶん私がエネルギッシュで「わがまま」だから。傲慢で自信家で、どこか勝気というか闘争心が強いところもあるので、よくも悪くも、物事を自分のパワーで押し切って進めるところがあり、それが、いい形で働くと、よいリーダーシップになり、不調和な形で働くと、スタンドプレーだと非難されたり、知らないうちに、一揆を起こされたり(苦笑)することもあったり、人間関係というのは、やっかいなものです。エネルギーが強いので、それだけでも、私を煙たがって避けるようになる人がいるのは確かなので、普段は出来るだけ問題起こさないように静かに影を潜めて生きているんですけどね。そういえば、私も、人生の底にいたときは、エネルギッシュな人は、近くにいるだけで暑苦しく、息苦しくて疲れるので、できるだけ、ひとりの殻に閉じこもって安全なスペースを確保しながら生きていた時期があったんですよ。それを思い出せば、今の元気な私は、積極的に関わっていい人と、近くに寄らずに、そっとしておいてあげたほうがいい人をちゃんと見抜いて関わらなければいけないハズ。時期によっても、誰かとの「適切な距離」は変わってくる。親子だって、夫婦だって、友人だって、どんな関係でもそう。それにしても、親離れ、子離れが難しいのは世の常人との関係には、執着も愛着も不安も心配も生じるので、ああ、なんと難しいこと!そんなことに、思いをめぐらしている内に、「魂の次元で愛してる」という感覚が直感的に自分のところに降りてきました。人間的な好き、嫌いの感覚でなく、魂レベルでの愛おしさや愛着とでも呼びたくなる感覚がふっと生まれてくる。そのとき、なんだか、クスっって笑ってしまうような、なんとも嬉しくて可笑しい感覚が一緒に来る。「あー私は、この人のこと、理屈抜きに、存在そのものが、好きなんだなあ」と思ったりする。そして、そんな時、人間的に誤解されたり、拒絶されたりして、どこか寂しくて傷ついている自我が、ちょっと癒されている感じがします。ふわっと、楽になるから。私も、なんかの過渡期に来てるのかもしれないなあ。
2014.09.15
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