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高学年の親御さん、お子さんの門限は決めていますか?我が家は季節を問わず、5時。ぴったりでなくても、まあ5時半前ぐらいまでは良しとしている。家に友達が来ていても、5時には帰らせることにしている。この間の日曜日のこと。6年生の長男が、同学年の友達3人と一緒に、徒歩2,30分行った所にある映画館に行くことになった。雪が降った翌々日だったろうか、まだ道が凍っている所が多く自転車では危険だと思い、歩いて行くよう私が言ったのだった。午前中に出発し、お昼を食べて間もなく映画を観る予定だったが昼過ぎに友達の携帯を使い、長男が家に電話をかけてきた。「1時に始まる映画がもう満席で観られない。次が5時上映なんだけど、それを観て来ていい?帰りは7時過ぎちゃうんだけど。チケットもう買っちゃったし」満席?払い戻しはしてもらえないのか、立ち見は出来ないのか受付の人に聞きなさい、と一度電話を切ったのだが、今の映画館はどこもそうなのだろうか、立ち見も払い戻しも不可。長男と一緒に行った友達の中には、女の子も一人いる。どの辺に住んでいる子か分からないが、夜の一人歩きは危険だろ・・・親は心配じゃないのか?その他の子もどうなんだろう・・・どの子も長男曰く「家の人の了解はとった」と言うのだが、念のため確認しよう。と私は思い、一人一人の自宅の電話番号を聞き、かけてみたのだが2件は留守。唯一、日中は主に家のことをしているらしいおばあちゃんが出た家では「まあ・・・何も聞いていません。そうですか~。お宅ではしっかり躾をなさっているんですね(別にイヤミっぽくなく)。うちは無事に帰って来ればそれでいいので・・・でも、同じ映画を観に行くんでも良い映画ならともかく、ホラー映画だなんてねぇ・・・」・・・って問題はそこじゃないだろ・・・まあ、私自身もホラーは好きだから、その辺はコメント出来ないが。そして、このお宅はどちらかと言うと「放任主義」らしいというのは以前から知っていたので、期待したような返事が返って来るとも思ってなかったのだが。さて、どうしよう。アイスバーンだらけの夜道の帰宅。一人は女の子。(つーか、何で人んちの娘の心配までしなきゃならんのよ)いつもの門限よりずっと遅い帰宅。ただでさえ翌日は月曜日。疲れてしまうだろう。それに、夕方の上映までの時間、小学生が保護者なしで長時間ウロウロしていると不良(死語)に絡まれないとも限らない。選択肢は三つ。・我が子だけ映画を観させずに帰らせる。・全員を説得して帰らせる。・受付の人の襟首を掴んで無理矢理チケット代を返金させるに 何とか払い戻しなどが出来ないか頼んでみる。どれも不可能なら、仕事が休みでパチンコに行っている夫に早く帰って来てもらい、私が付き添いとして映画館に行こうかと思った。しかし、今から5時のチケットを余分に買えるかも分からないし・・・悩んだ私は、夫の携帯に電話をして、事情を説明した。「じゃあ、とりあえず携帯を持ってる子にかけてみるから番号教えて」というので、長男がかけてきた着信番号を教えた。しかし応答がないというので、クラスの連絡網に載っているもう一人、Aくんの携帯番号(後にこの携帯は親御さんのもので、自宅に置いて来ていたと知ったのだが)も教えたところ夫がびっくりして「おい、お母さんが出たぞ?」と私にかけて寄越した。「今から映画館前でそのお母さんと待ち合わせすることにしたから、それからどうするか決めるから」ということになった。数十分後、再び夫から私に電話。「受付に言ったら、『振り替えチケット』っていうのをもらえたから日を改めて観に行けって子供たちに言って、全員帰らせたから」そう言って、また颯爽とパチンコ屋に消えて行った・・・かどうかは分からないが、またどこかに出かけた夫だった。振り替えチケットは期限が決まっているものの、映画鑑賞を他の日に替えることが出来るらしい。夫から連絡があってから、すぐにではなかったが早い時間に長男は帰って来た。結局、他の子たちの親御さんが事情(子供の7時過ぎの帰宅)を本当に了解していたのかどうかは今でも分からない。長男曰く。「Aは明日勝手に観に行くって言ってた。俺、AとBから言われたよ。『お前、もっと親に反抗しないと駄目だ』だって。『そのまんまじゃ、いつか爆発しちゃうよ』ってさ」おい、AとB。余計なことを吹き込むなよなぁ・・・とも思ったが、頭から否定出来ない言葉だとも同時に思った。春には中学生。そんなことを言ったり思ったりしても当然の年頃なのだから。私は長男に聞いてみた。「そうA君たちに言われて、お前はどう思ったの?」と。返ってきた答えは「う~ん・・・確かに最近イライラしてる。お父さんに叱られた時とか、部屋に閉じこもってムシャクシャしてる」だった。「お父さんやお母さんがお前を叱るのは、お前が憎いからでも嫌いだからでもないんだよ?どうでもいい存在なら、始めから叱ることもしない。無視してるよ」と私は答えたが、分かってくれたかどうか・・・いや、そもそも私は的外れな答え方をしてしまったのではないか。結局映画館を去ってからAくんの家で皆で遊んだらしいが、Aくんはお母さんに「ばばあ、邪魔!」「うぜえ」など言っていたらしい。お母さんのことは私も以前から知っているが、息子が最近反抗的で困っているということを時々聞いていた。友達の前だからと、大げさにポーズをとっているだけならいいのだが、と私はまたもやお節介な心配をしてしまうのだが、「あ~あ、Aさんの家は大変だな」で済まされる他人事ではないのだと常日頃から思っておかないといけないなと思う。ちなみに、長男は映画は他の友人と二人で来月行くことになったそうだ。その子の中学受験の結果が分かってからだとか・・・いい結果が出るといいね。
2006年01月27日
ここ2年ぐらいは、ず~っと食事=麺類オンリーだった伊吹。がっ!!!今週に入ってから、大変革とも言える嬉しいことがあった。米飯も食べるようになりました~!!!それだけではなく、柔らかく煮た野菜やスクランブルエッグまで!!米飯も、おかゆ状のではなく、普通の固さのやつ。何かをかけなくてもOKだし、シラスをかけても食べる食べる。兆候は12日のOTでのことで、短い麺、それに(麺と一緒に)茶碗蒸しを食べたということは14日の日記にも書いた。それから3日後の15日。パスタにかけた、カレールウに入っているジャガイモとひき肉を麺と一緒でなくても食べてくれたのだった。いつ口からベェッと出すかとハラハラしていたが、本人は何事もなかったような顔をして食べ続けた。翌々日の17日、ついに大変革がっ!前述の米飯、つまり米のご飯(そのままだが)。これを三口程度だが、同じく何事もなかったような顔で食べた伊吹。いぶちゃん、すごいよ、すごすぎるよ~!!と、某お笑い芸人ばりの歓声を上げてしまった私。しかし、主食が麺でおかずが米飯ってどうなんだろう。でも、始めから贅沢は言っていられない。何せ米をすすんで食べたのなんて、1歳ぐらいの頃以来だから・・・フリーズドライのベビーフードの、粉みたいに細かい粒のおかゆなら、麺と一緒に騙し騙し食べてくれることもあるのだが、普通の米粒大だと拒絶反応が著しかった。それを平気で口に取り込めるようになった驚きというのは・・・筆舌に尽くしがたい。更に翌日、翌々日も米飯を子供茶碗の半分ぐらい平らげ、正真正銘の“おかず”として野菜の煮物。大根、かぼちゃ、人参、いんげん、里芋、そして厚揚げ。まるで「昔から食べてました」というような顔をして食べてくれた。そして今日も変わらず、「ご飯が美味しいぜ」と絶好調である。里芋は途中からベェッと出してしまったが・・・流石に立て続けに似たり寄ったりのおかずでは飽きるらしい^^;あと、ヨーグルトを箸でつまんで食べさせようとしたが、これは拒絶された。冷たいのが嫌だったのかも知れない。温めればイケたかも知れないが。(よせ)それにしても・・・突然こうなった、さしたる理由がはっきりと分からない。敢えて言うならば、小児医療センターでの小うるさい熱心な歯磨き指導により、私も以前と比べて伊吹の口中に触れることが頻繁になり、その結果口中の(悪い意味での)敏感さが薄れた・・・のかも知れない。あとは、S園での先生方や、H学園での療法士の先生、小児医療センターでの栄養指導など・・・の働きかけの賜物だろうか。訓練や診察の一回一回では、目に見えた変化は分からなかったが積み重なってみて、初めて分かった伊吹の変化。これから色々と食べさせてみるのが楽しみである。問題点としては、ちゃんと噛んでおらず、丸呑みらしいということ。丸呑みで食物を取り込むことが、いいわけがない。上手な咀嚼の仕方を学ばせるのが、今後の大きな課題であり、新たなハードルでもある。今日は夕方6時から、次男の通う放課後児童クラブの話し合いに出席する予定だったが、雪がすごいため欠席する旨を伝えた。車で行くのも、チェーンも持っていないので運転に自信がないし自転車は問題外。歩きで行くとなると、学区の端から端までの移動になり3~40分かかるだろう。暗い雪道を片道3~40分。死ぬ・・・3月に行われる「学童まつり」の手伝いの役割分担を決める、ということだが、当日は私も手が空いており、何をさせられようと無問題なので、役員に一任することにした。かったるいもん、出ていられないよ・・・(;'A`) (本音)というわけで、今日は自宅でまったり、である。
2006年01月21日
今週の10日から、上の子たちの学校が開始。同時にS園も開始。(5日から始まっていたが、うちは10日から行った)いや~疲れた。帰省中は消えていた頭痛と肩こりが再びぶり返している。やばい。鎮痛剤と湿布でごまかしているが、どこまで保つだろうか・・・11日は小児医療センターの耳鼻科受診。半年ぐらい前だったか?左耳に入れた「鼓膜チューブ」がいつの間にか取れて無くなっていた。鼻水も出ている最中だし、今は聞こえもあまりよくないだろう言う。3ヶ月後にまた診て、必要ならばまたチューブを入れましょうということになった。・・・また、あの麻酔をする作業で大変な思いをするのかぁ・・・麻酔薬を耳に入れて10分かそこら、ず~っと泣いて暴れる伊吹を押さえつけないといけない、あの苦痛な作業。翌日12日、かかりつけの耳鼻科で、チューブが抜けたことを話すと、半年ぐらいで抜けるのが理想的だそうだ。抜けるのが早過ぎても厄介だし、かと言っていつまでも入ったままでも、鼓膜に穴が開きっぱなしで穴が塞がらなくなってしまうらしい。ということは、今抜けてよかったのだろう。出来ればこのままチューブ不要になればいいのだが、そうもいかないのだろう。同日、H学園にてOTとPT。この日はとても頑張れた伊吹だった。今までメインの食事は、ある程度の長さのある「麺類」しか受け付けなかったのだが、2cmぐらいの長さの麺でも文句も言わず口に運んでくれた!駄目もとで茶碗蒸しも食べさせてみた。これも食べてくれた!まだ茶碗蒸し単品では嫌がって出してしまうし、麺と一緒に口に入れないと駄目だが、麺はたった1本だけでも大丈夫だった。今までは麺以外の「異物」を食べさせる時は麺を何本も同時に口に運ばないと駄目だったのだが。ただし、食べさせる側は大変である。柔らか過ぎて崩れやすい茶碗蒸しを、麺の上に乗せて箸で食べさせるのは至難の業。OTの先生も、手が攣りそうになったことだろう。M原先生、すみませんでした・・・OTはこの日は10時半からで、お昼までまだ早い時間帯だったが食事をほとんど平らげて上機嫌だった。胃が空っぽになる前に、こうして早めに食事させた方が伊吹にとっては快適なのかも知れない。いっぺんに沢山の量は食べられないので、三度の食事と言わずに、回数を多く与えた方がいいのかも知れない。でも、自宅で実行するのはなかなか困難である・・・食事に関する今後の目標としては・・・何よりも、麺類以外の食感に慣れること。あと、箸以外の道具(スプーンなど)を用いても嫌がらないこと。普通に考えればあり得ないぐらい簡単なことなのだが、伊吹にとっては高い高いハードルである。とりあえず茶碗蒸しはスプーンで食べようぜ、イブちゃん。そして昨日は・・・和樹を連れて皮膚科へ。寒くなってから、背中がやたらと乾燥して痒くなったのだろう、引っかき傷だらけになってしまい、ここ数日のうちに今度は目の周りが赤っぽくなってきてしまった。次男が軽度のアトピーなのだが、それと症状が似ている・・・さすがに心配になって受診したら、やはり和樹もアトピーの可能性が高いという。血液検査でアレルゲンを調べて欲しかったのだが、まだ血管が細すぎて検査は難しいと言われた。ひとまずステロイド系の薬と保湿剤を塗って様子見。お陰で、背中を床にこすり付ける様子は見られなくなった。が、大変なのはこれからだよなぁ・・・一度薬を付けたからといってピタリと治るようなものではないし。和樹よ、お前もかい!という感じである。彼だけは何のトラブルもないと思っていたのだが、子育てはそう甘くもないや。私のスケジュールに、和樹の病院通いが新たに加わった。・・・頑張ろう・・・
2006年01月14日
今年もよろしくお願い致します。元旦に、夫の母の命日(1月2日)前日に墓参りを済ませ、2日から昨日まで実家に帰省していた。義母が亡くなり、早5年。嫁である私としては、和樹たちを見て「ああ、この子たちのことも義母に会わせたかったな」と思うことは時々あれど、義母がここにいないことについては年々それが「普通」の状態になりつつある。大好きな人だったが・・・寂しさの度合いが違う、または寂しさの中身が違うのは、やはり実の親ではないからだろうか?夫の心の中は分からない。しかし、子供たちを連れて墓参りに来る度「ばあちゃん、お前らが来て喜んでるぞ~」と言っているところを見ると、何年経とうと親子の愛情は薄れるどころか、これからもずっと結ばれ続けるのだろうと思う。昨年、実家の近所に古くから住む、Eさんというおばさんが急死したことは、日記にも少し書いた。自分の孫は勿論、近所のよその子供たちのことも好きで、私や母がうちの子たちを連れて散歩しているとちょくちょく顔を合わせ、世間話をしたものだった。噂話や憎まれ口も達者で、正直カチンとくる時もあったがそういう人なんだと解釈しているので憎めなかった。Eさんは自分の健康に自信があり、現に「殺しても死ななそう」というイメージしかなく、急死した時は勿論、今でも現実感がない。今回、私は葬儀以来初めて帰省したので余計にそう思う。和樹たちと散歩していてEさん宅の近くを通る時「か~ずくん!大きくなったねぇ!果樹☆ちゃん、また太ったんじゃないの?!」などと大きな声で言いながらひょっこり家から出てきそうなのに、Eさんはもうこの世にいない。赤の他人の私なんかより、Eさんのお子さんやご主人の方が悲しみが何倍、何十倍も大きいだろうとは承知しているものの「いて当たり前」だった人が、ある日突然、どこを探しても存在しなくなる、ということ・・・寂しくてたまらない。しかしながらEさんの死も、数年後には「普通」のこととして受け入れるようになっているのだろう、きっと。他人だからだろうか?それとも順番から言って、自分より早く死ぬのが当然の人だからだろうか?春歌の死は・・・完全に受け入れた、と言っては嘘になる・・・きっと、自分が死ぬまで受け入れることは出来ないだろう。自分の両親には、長く元気に生きていてもらいたいな・・・知人が何人も亡くなった昨年のことを思うと、つくづくそう願わずにはいられない。新年からしみったれた日記ですみません。義母の命日に色々と想いが重なり、書かずにはいられなくて。一昨日5日は、私の母が私を産んで34周年の日だった。・・・まわりくどいって?私、34歳になりました~!!母にとっても私にとっても、記念すべき大切な日だ。私自身、34という年齢は嬉しくないけれどバースデーケーキを母が買ってきてくれたことは感激だった。夫には洋服を買ってもらった。ただし冬物バーゲン品。母よ、私を産んでくれてありがとう。未だに時々(いや、しょっちゅう)子供たちのことでご迷惑をかけてごめんなさい。長生きしてね。
2006年01月07日
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