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さて、突然ですが・・・私、果樹☆に、新しく子供(女児)が授かりました。生後4日。早いもので、もう歩くことが出来、オムツも外れました。 え・・・?申し訳ない。この間紹介したゲームソフト、ザ・シムズ2の世界での話です。驚かせちゃいました?・・・って生後4日で歩くなんてあんまりだよなぁ。馬か何かじゃあるまいし。私自身に似せたキャラを作り、同居人との間に子供が出来たのだ。歩く練習・話す練習・トイレトレーニングをして情緒を発達させるおもちゃを与え、適度に遊んでやったり規則正しい生活をさせてやると後に「いい育ち方をした」として、それなりの人間に成長する。シム人の一日は、現実の人間の数ヶ月分か数年分と同じだから操作する方は忙しい。もちろん彼らは判断力を持っているから、操作しなくても勝手に育つ。だけど、ついつい構ってしまうのだ。二次元の世界のキャラでしかないことは分かっている。しかし、“我が子”の成長を見守るのもなかなか悪くない。“我が子”の父親ですか・・・?それはノーコメントで(;´Д`)決して手が届くことのない、高嶺の花と言っておきましょ。というわけで、夫に見られたらまずい。と言うより恥。気を取り直して・・・明日は伊吹の遺伝科の健診と栄養指導の梯子。食事面で私の方が多少工夫するようになっただけで、伊吹自身に関する新しい報告はないという感じ。食べる量は少しだけ増えたから、体重もそれなりに増えているといいが。前回の計測で、やっと9kg近くだった。甲状腺ホルモンの異常も疑われたが、結果正常値。食事に興味を持ってくれること、それが全てのスタート地点なのだが・・・
2005年01月31日

昨日、金曜日の分として書くべき日記を、間違って土曜日の分として書いてしまった。内容を削除しようとしたら出来ない。編集をやり直すしか選択出来ないわけだ。何だかなぁ・・・一時期は同じ内容の日記が二日分になってしまい、ご迷惑をおかけしました。というわけで、また後で。====================今日になってから、アクセス数が10000を超えたらしい。気づいたときにはキリ番を踏んだ人が誰だったのか、分からなくなっていた。親しくして下さっている楽天の方だったら尚嬉しい。だけど、キリ番ゲット記念に何かを計画していたわけではないので何もさしあげられないが・・・カウンターが20000になった時には、何か計画しようかと思う。でも、何をしたらいいだろうか?三男が、どこにもつかまらずに1分ぐらい立つことが出来た。お座りの姿勢から、自分で立ち上がることが出来る。こうなったら歩き始めるのも遠い日じゃないかな?↓慌てて撮影したのでピンボケになってしまった。 眉間に皺を寄せ、真剣な顔の息子。 伊吹も頑張れよ。近頃は私につかまって歩く歩数がまた少なくなってしまった伊吹。こうした退行のような現象は、運動面だけでなく食事面で顕著だけれどダウンの子ではある程度は仕方なく、気長に付き合うしかないのだろうか・・・
2005年01月29日
前にも書いたのだが、長男(もうすぐ11歳)は「学習障害」の可能性ありと診断されている。一時はかなりよくなったように見え、また、親の私も下の子たちのことで忙しくなり暫くは様子をつぶさに観察しなくなっていた。しかし、先月学校の面談で、集団活動において自分の役割を十分にこなせない、相変わらず先生の話を理解出来ずにいる、と聞いて1年生の頃から度々お世話になっている市の教育相談室という所に週一のペースで再び通うことになった。実は、私が一番心配なのは学校での様子も勿論そうなのだがいわゆる「キレやすい子」になりつつあるということ。学校でも、何かミスをしたりして誰かに注意されると、途端に大きな声で反発するらしい。そして、そうなってしまった根底にあるのが、学習障害(?)という性質もあるだろうけれど幼い頃からの家庭環境にもあると、私も相談員の先生も見ている。両親―私たち夫婦―の、育児に対する意見の食い違い。これが今まで長男を振り回してきてしまった。夫は一言で言うなら「厳しい父親」であるし、私はどちらかと言えば「甘い母親」かも知れない。まあ、その一言で表現できるほど単純なことではないが、その辺を今ここで説明出来る時期ではない。相談室に通い始めて、先生には心の奥をだいぶ開くようになったようだ。そのうち私もここできちんと語れる時期が来ると思う。=======================今日は伊吹の療育の日。設定テーマは「豆遊び」。もうすぐ節分だからね。何のことはない、米袋3つぐらいの分の大豆を床にぶちまけ、その上を裸足になって感触を味わったり、コップに入れたり頭からかぶってみたり。伊吹はというと、足の装具を外して久々の裸足ということもあってか足に豆が触れるのをとても嫌がっていた。前は裸足で砂場に立つことも平気だったのだが・・・装具も良し悪しだ。それですっかり拗ねてしまったのか、手でもほとんど触ろうとせず豆だらけのスペースから離れた床に寝そべり、指しゃぶりをしている始末。おまけで連れてきている三男は、口に入れてしまう危険性を考えてか先生や見学の中学生に抱っこをされ通しで、豆遊びはさせてもらえず残念。まあ、仕方ないだろうけど。そう、今の中学生は授業の一環として幼稚園や療育施設などに見学や手伝いに時々来るのだ。どこに行くかは自分たちで選択するらしい。三男にずっと付いていてくれた(そうするように言われたのかも知れないが)女の子二人がいてずっと抱っこしたりおもちゃで遊ばせたりと、かいがいしく世話をしてくれた。普段は多少の人見知りをする三男だが、遊んでもらってずっと上機嫌。自分の一番上の兄ちゃんとさほど年が変わらないお姉さんだからリラックスして懐くことが出来たのかも知れない。お姉ちゃんたち、どうもありがとね。ここの療育施設には三つのブループがある。一つ、伊吹が通う毎週金曜日、主に就園前の子が通う「つくしんぼグループ」。二つ、月曜から金曜まで、午前から午後まで母子分離で通う「通園グループ」。就園の年齢でも、障害があって幼稚園などに入ることが難しい子など。三つ目は、毎週水曜日、就学前の子が幼稚園や保育園が終わってから母子分離で通う「てんとうむしグループ」。私としては通園グループ希望なのだが、伊吹自身が体力的に付いていけないだろうということ(午前中だけでぐったりだから)平日みっちり通うとなると三男の保育も考えなくてはならないが(母子分離と言っても、行き帰り数時間は一緒に過ごさないといけない)何しろ乳児を預けるとなると、情けない話だが金銭面で大変なことになるので今まで思うように出来ないでいた。なので、先生の案でつくしんぼグループから通園グループに籍を移動し週一、二回程度、午前中だけ「遊びに行く」感覚で通園に通うことにした。つくしんぼにも並行して通うことが出来る。三男については、通園グループだと面倒を見切れないのが施設側の本音のようなので施設のすぐ隣の保育園に一時預かりを頼むことになる。一時保育を週に何回かなら、何とかなる。というか何とかしないといけない。実際のところ、三男を保育園で見てもらうのが結構楽しみだったりする。普段はなかなかよその子と触れ合う機会がなくて、可哀想だったから。子供が4人いれば4通り、母のスケジュールも4通りだが自分の時間は少しでも保ちつつ、毎日を頑張って生きて行こうと思う。
2005年01月28日

私は乾燥肌で、特に秋から春先にかけて手のあかぎれが酷くなる。今年はチビが二人もいる影響か、今までにないほど酷くなった。指の関節と指先のみならず、指のほかの部分や手の甲もピシピシ切れる。最も酷くなると、指の腹も切れる。絆創膏をいくら貼ってもきりがないので、水絆創膏を塗るのだが剥がれてくると皮が剥けているみたいで汚いし、関節部分は役に立たない。手だけではなく、足も踵のほかに指の付け根、指の腹と続き、昨日ついに足の裏の重心をかける部分が割れてしまった。足を引きずらないと歩けないほどの痛みだった・・・そういえば・・・アメリカに行ったときは丸一日で手足両方のあかぎれが治った。手は、水仕事をやらなかったからだと分かるが、足も治ったのだ。考えられる原因は一つ。「靴を履いた状況で生活するから、足の裏は乾いた空気にさらされないし 水分(汗)も若干は逃さない」と今更気づき、昨日から家中を室内履きで歩いて生活している。スリッパではなく、踵部分がちゃんとあるというのがポイント。そしたら、昨日と比べると割れた部分が痛くないのが明らかに分かった。足だけが欧米の生活を送っている。やり過ぎて水虫になったりしなければいいが。室内履きは、何の変哲もないもので靴下も普通に綿とポリエステル混合?の安もの。手足に塗るクリームは、尿素20%のやつならメーカーを問わない。同時に、手も普段から手袋(綿)をマメにするようにした。やり始めて一日以上経過したが、新たなあかぎれはできていない。旅行中の時のように、何とか年齢相応の皮膚を取り戻すことができた。「あかぎれや主婦湿疹には手袋」こんなことは私が書かなくとも、一般常識として誰もが知っていることだと思うがこれからはもっと毎日マメになりたい。以上、めんどくさがり主婦の独り言。↓三男(0歳11ヶ月)の写真。脈絡なし
2005年01月27日

本題に入る前に・・・今日、三男がカタカタ(手押し車)を押して、居間から廊下の端まで往復10メートルちょっとの距離を前進した。カタカタのスピードの方が三男の短い足より速く、すぐにへっぴり腰になってしまい、むしろ「歩かされている」みたいだが本人は夢中!褒めると満面の笑み。偉いぞ!着実に幼児へと成長しつつある君を見ると、とても誇らしく、同時にちょっと寂しく思うよ。将来はお婿になんか行かないでおくれ。(←危険)=====================さて、タイトルにあるゲーム。エレクトリック・アーツ社から出ている、WINDOWS版ゲームだ。内容は、言わば「人生シミュレーション」か。外見・性格・星座・人生における願望を細かく設定した人間を作り上げ、彼らの家を建築し、家具などをコーディネイトまたはデザインし、職業を選ばせて生活させる。無職も可。彼らは人生の中で人を愛し、憎み、勉学をし、食事や排泄をし、結婚・妊娠・出産も経験し、最後には天に召される。子孫は遺伝情報を受け継ぎ、延々と繁栄していく。こうした生活を“神”であるプレイヤーは覗き見をし、あやつることが出来るが必ずしも絶対操作可能ではない。彼らにも意思があるからだ。多くのRPGを始めとしたストーリー性のあるゲームとは一線を画する。何故なら、このゲームはプレイヤーが遊ぶのをやめない限り、終わりというものはないしどういうプレイの仕方が正しい・正しくないというマニュアルがないからだ。だから逆に言えば「徹底攻略してスカッとしたエンディングを迎えたい」「遊び方のルールがなければどうしたらいいか分からない」という人には不向き。某所に、こんな風な名言がある。「大きな画用紙を与えられて、『何でも自由に描いていい』と言われたとして『わーい、何でも好きに描けるんだね』と喜べる人には向いている。『テーマを与えられないと何も描けないよ』と憤慨する人には向いていない」また、子供の頃にお人形遊びが好きだった人にも受けるゲームだろう。私も、ここでもちょっと暴露出来ないようなストーリーを頭の中で作っては完全なる自己満足の世界に浸っている。実はThe Sims2の前身はSim Peopleというゲームで、こちらはThe Sims2の舞台が住宅地・近所の公園やショップだけなのに対しアメリカらしいダウンタウンやリゾート地にもキャラ(シム人)を行かせられたりその他多種多様なことが出来る。最大の魅力は、ゲーム内の家具などのオブジェクトやシム人の外見(スキンという)を作成している職人がネット上にごまんと存在しており、彼らが配布してくれるものを嫌というほど沢山DL出来る点。アニメキャラや実在のスターのスキンも豊富。ただ・・・シム人が“バカ”なのだ。動作といい、行動の選択肢の少なさといい、どうしても「ゲームのキャラ」という印象から脱することが出来ていないと思う。グラフィックもThe Sims2の方が断然にリアル。なので、私は両方持っているが今ではThe Sims2しかやっていない。Sim Peopleのダウンタウンなど、LAの町並みにイメージがよく似ているのでまた眺めて遊びたい気もするが・・・というわけで、決してメーカーの回し者ではないが興味をもたれた方、試されてみてはいかがだろうか。ただし容量をかなり喰うので、動作環境は要チェックだ。ザ・シムズ2国内公式サイトはこちら
2005年01月26日
正確には今日のことではなく、5日前のことであるが書き留めておきたかったこと。『春歌』のフリーページにも書いた、春歌がお腹にいた頃に出産予定日がほとんど一緒だった知り合いの女性。その人、Uさんには何の恨みもないに関わらず、共通の知り合いの悪気ない(?)酷い言葉に完全に打ちのめされた私は、その後4年間Uさんとまともに向き合うことが出来ずにいた。幸い、Uさんの長女さんとうちの長男の学区が異なり、死産以降は顔を合わせることはなくなっていたのだが長男が4年生に進級する時期に、我が家は引っ越した都合で学区がUさんと同じになり、彼女と再会。更に今年度は同じクラスになったので、必然的に顔を合わせる機会が多くなった。長男の転校以来、Uさんと表面的には雑談が出来るほど普通に立ち振る舞えていたがそう出来たのもUさんの次女―春歌と日をほとんど違わずして無事に生まれた娘さん―を連れていなかったからであった。学校の用事の時は実家に預けている、と聞いてはホッとし、来年度二年保育で幼稚園に入れるが、長女さん(と、うちの長男・次男)が通っていた所ではなく他の所に入れる、と聞いてはホッとした。何故か?何事もなければ春歌も入園していたであろう幼稚園の制服を着た、Uさんの次女さんと春歌の姿をダブらせてしまって悲しいからだ。初めて次女さんを見たのは、長男が卒園して半年後、幼稚園の運動会の「卒園児かけっこ」に参加するため会場に来ていた時だった。Uさんも来ていた。腕に女の赤ちゃんを抱いて。健康的にプクプクと太り、前髪をチョコンと結んでいた。顔立ちはまともに見ることが出来なかったので、よく覚えていない。二度目に見たのは次男の入園後。幼稚園のバザーに遊びに来た、2歳前後の頃の姿。バザーで売られていたソフトクリームを母親に買ってもらい、上手に食べているその後姿。顔は見る勇気がなかった。Uさんがこちらに気づいたようだったが、私は気づかないふりをした・・・春歌も生きていたら、こんな風にプクプクと太って、少ない髪の毛を可愛く結んでいたのかな。生きていたら、スラリと背が伸びて、上手にソフトクリームを食べていたのかな。同じ頃に生まれたよその子が、人生を着実に積み重ねているのにどうして春歌はいないのかな・・・もちろん、これらは私の勝手な思いであるし、Uさん自身には何の関係もないこと。穏やかでチャーミングな、いい人だ。だからこそ、彼女と自分、次女さんと春歌をダブらせて嫉妬したり悲しく思ってしまう自分が嫌だと常々思っていた。そして・・・先週19日。またしても学校の用事でUさんとばったり。次女さんを連れてきていた。幼稚園のバザーから2年後の再会。Uさんには挨拶をしても、次女さんには言葉かけはおろか顔を見ることも出来なかった・・・始めは。しかし、その後私は初めて次女さんの顔をはっきり見ることになる。学校行事の説明会会場の後ろのスペースには小さなカーペットが敷かれ、おまけで連れて来られた小さな子が遊べるようになっていた。と言っても、小さな子はUさんの子とうちの伊吹・三男の三人だけ。三男が、絵本を読む次女さんのことをとても気になったらしく何度もハイハイで傍に寄って行った。始めは邪魔そうに逃げていたが、次第に鬼ごっこのようで楽しくなったのか笑いながら三男と遊ぶUさんの娘さん。Uさんはそれを時に恐縮した顔で、時に微笑んで見守っていた。私も、多分Uさんと同じ顔をしていたと思う。説明会終了後、私はやっとここで初めて次女さんと目を合わせ、「遊んでくれてありがとうね」と、しっかり声をかけることが出来た。長女さんとは少し異なる顔立ちの、Uさんに似た優しい目をした女の子なのだと知った。「お名前は?」と私は尋ねた。「ほのちゃん。」Uさんが「ほのかです、でしょ?」とたしなめた。なるほど、“か”が最後に付くところが春歌と同じだけれどただそれだけのことだ。誕生日を訊こうとも思ったが、脈絡がないのでやめておいた。春歌と誕生日が近く、無事に生まれて4年の人生を刻んだ女の子、ほのかちゃん。もう彼女に会うのが全く辛くなくなった、と言っては嘘になる。これからも春歌と姿をダブらせ、「今頃はこんな感じかなぁ」と思ってしまうと思う。しかし、今更だけれど気づいたこと。それは、「姿がダブるからと言って、ほのかちゃん自身まで拒否するべからず」彼女は4年の人生を刻むうちに、小さな子を可愛がったり出来る優しい心の少女に成長していた。それを、「春歌とは違う」というだけの思いで顔を見ようともしないのはほのかちゃんの人格まで拒否しているような罪悪感を感じる。三男と遊ぶその姿に、春歌が成長した姿が重なり、涙が出そうになったがそれは悲しい・辛いというだけの涙ではなく、もっと何か他の気持ち・・・ほのかちゃん自身への親しみと感謝、そして改めて春歌への愛情を確認できたことの喜びの涙でもあるような気がした。
2005年01月24日
気が付けばまた一週間経っていた・・・近頃PCなどの機械類をいじるのが大好きな三男のお陰で、彼が起きて近くにいる間は一切PCを触れない。夜、力尽きて眠ってくれた時には私自身も力尽き・・・昼間は家事・育児に追われてネットどころの騒ぎではない。今は伊吹とじゃれあって?いるので、何とかこうしていられる。私が旅行に行っている間の、三男の大きな成長。それは言葉が出たこと。「いないいない(ばあ)」と言えるようになったのだ!正確には「いないいない」だけで、「ばあ」は言えないのだけどとにかく言葉が出たことには違いない。実家で母たちが懸命に教えたらしい。それで、普通なら最初の言葉は「まんま」などのところを三男の場合は「いないいない」になったようだ。他にもおもちゃを私に手渡す時に「どうぞ」らしい言葉をアダアダと言ったりしている。この「手渡しごっこ」がマイブームらしく、暫くの間は私とやり取りして楽しんでいる。今まで遊び方の分からなかったおもちゃでも遊べるようになり、「ほら母ちゃん見て!このおもちゃ面白いよ!」と言わんばかりの笑顔を私に向けてくれるようにもなった。つまり、感情表現が豊かになった。まあ、それと同時にいたずらも一人前になり、先述のPCの件だが・・・主電源は切るわ、マウスはカチカチするわ、キーボードは落っことすわ・・・取り上げれば絶叫して怒るし。こちらは「駄目!」と叱るけれど、それ以上何を言っても分からないし。ふぅ・・・また、手を持ってやると2,3歩だが前進するようにもなった。一度だけだが5,6秒間一人で立てた。しかし、まだフラつくので無理にはさせられない。何だかんだ言っても、三男の成長は嬉しくてたまらない。が、それと同時に伊吹を見ては「また追い越されちゃうよ、お前」とため息をついたり。しかし伊吹だって負けてはいない。私に対する甘え方や、甘えたい時の表現がはっきりしてきた。伊吹にとっては、私と身体をくっつけたり、一緒に布団でゴロゴロするのがとても幸せらしい。目尻の下がった笑顔を見ると分かるのだ。何だか時々室内犬でも飼っているような気分になるが、伊吹の幸せな時間をこれからも共有していきたい。話は変わり、帰国して2日後に、前にも書いた親知らずの抜歯をした。場所は左上。どんなに痛いだろうとガクブルものだったが、あまりにもあっけなく終わった。麻酔の注射は予想通り痛く、何度やっても慣れるものではないけど。聞くと、上の親知らずはまっすぐに生えていることが多いので、すんなり抜くことが出来るらしい。ともあれ、これで下の歯茎(親知らずに圧迫されてちょくちょく腫れていた)がまた痛くなることはなくなった。抜いたところの歯茎はまだ凹んでいて違和感があるけれど、そのうち気にならなくなるだろう。夫が「来年はオーストラリアに行こうか」と、『るるぶ』のガイドブックを買ってきた。気が早すぎるダロ・・・しかし、二人で旅行に行けるのも、資金面でも生活面でも多分これで最後?次はいつ行けるか分からない。今からゆっくり計画を立てたいと思う。
2005年01月23日

本題に入る前に・・・旅行から帰って来て、早1週間が経った。帰国後は時差ぼけから始まった疲れと、翌日からびっしり埋まった子供(特に伊吹)の用事でペースを取り戻すのにやっとで、PCの電源さえ入れない日々が続いた。まず昨日になってやっとオンラインアルバムを整理し始め、今日写真のコメントを全部書き終えた。皆さんから行ってらっしゃいのお言葉や、掲示板に書き込みをいただいていたにも関わらず全く手付かずの状態になってしまった。少しずつ再開するので、どうぞもう暫くお待ち下さい。=======================生まれて初めての海外旅行である。今まで一番の遠方は、埼玉から北海道までの飛行機の旅、それも修学旅行。今回は約10時間ものフライトで、しかもエコノミークラス。行きの飛行機の中で、「エコノミークラス症候群」というのを身を持って体験することとなった。どう姿勢を変えても身体全体がだるく、軽い吐き気がずっと続く。座ったままでは冗談抜きで死にそうな気分だったのでトイレを理由に何度も席を立った。一番落ち着く姿勢は、枕を前の席の背もたれ部分に押し付けてそこにかかんで額を押し当てる格好だった。帰りの飛行機の中では慣れたのか、それとも話をすることが多かったからか不快感はほとんど感じないで過ごせたから不思議だ。ロサンゼルスの大地が見えて来た時の気分は何とも言えない。空港周辺ということもあるだろうけれど、地平線がどこまでも伸び、本当に広い国だと思った。黒人の係員が飛行機を誘導しているのを見たとき、ああ、アメリカに来たんだなと実感した。観光した場所は、順にマリナ・デル・レイ、ハリウッド&ハイランド、ユニバーサルスタジオ、フィッシャーマンズ・ワーフ、ゴールデンゲートブリッジ、ユニオンスクエア。他、悪天候で取りやめた場所もいくつかある。それぞれの景色を「アルバム」のページにまとめてみた。撮影者は主に夫。ここだけの話、写真撮影のセンスはない。私なら風景写真を中心に撮るところを、我々の姿をメインに撮らないと気が済まないらしくオンラインでお見せするには何だかなぁ・・・という写真ばかりになってしまった。誰が中年&中年予備軍の不細工顔を拝みたいかっての。私だって何枚も何枚も顔を写されたくないっての。そんなわけで、せっかくの風景をきちんとお伝えできる自信はないがお暇な時に見ていただきたいと思う。ここで、旅行の感想を箇条書きにしてまとめる。◎風土秋ごろから半年ぐらいの間は梅雨に入る。「太陽の光が降り注ぎ、行きかう人々はいつでも夏らしい爽やかな格好」というイメージとはかけ離れていた。朝晩は結構冷えこみ、日中はコートは不要になることが多い。アルカトラス島へ行った日は冷たい雨と風で、正直辛かった。しかし2日間ばかり晴天の日があり、この時はタンクトップにサングラスの人々が闊歩し、“らしく”なった。まあ、寒い雨の日もタンクトップの人はちらほら見かけたが・・・季節感があるのかないのか、よく分からない。◎料理一言で表現すると、「しょっぱい」「甘い」反対にホテル内にあったタイ料理の店で出されたヌードルはほとんど味がせず、テーブルにあった醤油を多く入れるはめに。食べ方で面白かったのは、カフェで出されたパンと、フィッシャーマンズ・ワーフで出された蟹の剥き身。パンはビネガー酢と、醤油みたいな色の何かに浸して食す。ウェイトレスに「美味しいですよ♪」と言われて試したものの・・・(以下自粛)でもせっかくのお勧めなので頑張って半分以上いただいた。蟹は、アメリカ人は主にケチャップを付けて食べるらしい。ケチャップはまあ、理解できるのだが、そこのレストランではオリーブ油らしきものも出てきた。蟹の剥き身にオリーブ油・・・想像していただきたい。日本のレッドロブスターに、無性に行きたい気分になる。スターバックスコーヒーで始めの3日間の朝食を買った。私は日本のスタバには一度しか行ったことがないのでよく分からないが、売られているのがサンドイッチとマフィン、2,3種類のパン、それにサラダ、フルーツカクテルぐらいしかない。夫は最も無難なクロワッサンとコーヒー×3日間。私はサンドイッチやフルーツを試した。以外に美味。ただ、マフィンはどうしても買う気にはなれなかった。見るからに虫歯になりそうだから。そして、飲み物はスタバだけではないが、スモールサイズでも十分大きい。(もちろん大きいのは飲み物だけではない)コーヒーの味は・・・スタバに限らず、私の口には合わないようだ。ある所でチーズケーキを食べた。見た目はとても美味しそうだったが、ひどく甘かった。アメリカ人が一度太り始めたら極端に太るのが、よく分かる気がする。帰国直後は、何となく味覚障害になった気がした。◎女性のファッション私は男性のファッションについてはよく分からないが女性のファッションは日本のそれとはだいぶ異なると思った。一番の違いは、体型を隠すスタイルが流行っていないということ。それと、ボトムと言えば(改まった服装以外は)ジーンズばかりということ。Macy'sなどのデパートや、もっと安い服飾店、ブランド店、あちこち見たがどこを見渡してもジーンズ、ジーンズ、ジーンズ。他の素材のボトムやスカートもあるがごく僅か。そのスカートも、長くて膝丈、短くてお尻丸見えなんちゃうか、ぐらいに大胆な丈。日本で流行のスカート&バンツスタイル?下半身カバーのレイヤードスタイル?そんなコーディネイトのマネキン人形も人間も皆無だった。重ね着というのはこちらでも流行っているらしいが短い丈のキャミソール+短い丈のシャツといった感じだ。それと、気候柄か売られているものは薄手のもの中心。長袖よりも半袖の方が充実しているようだ。リーバイスの店でバーゲン品のジーンズを買った。29.99ドル。裁縫室のような所はあるのだが、聞くとバーゲンセール品は裾を直したりしてくれないそうだ。股下のサイズは色々あるので、それで合わせてくれと言う。ちなみに私の股下サイズは68~69cm。やっと丁度いいのが見つかったと思ったら、ジュニア用だった。まぁいいかと思い、買ったのだった。あの店にあった16ドルのコーデュロイのハンチング、やっぱり買っておけばよかったなぁ。私はいわゆる高級ブランド品にはあまり興味がない。いや、正直なところそんな余裕などないし、あったとしても他のことに費やしたい方だ。そんな私が好きな数少ないブランド品、と言うより「メーカー」品か?レスポートサックというバッグ。日本での販売価格に比べ、アメリカではその6割程度の値段で販売している。免税店ならもう少し安いだろうが、私は今回ユニオン・スクエアのMacy'sで購入した。写真のとは柄は異なるが、型番は同じ7507「デラックスエブリデー」。一回分ぐらいの調乳セットやオムツ、子供の着替え、貴重品などが十分に入るバッグとして、一部ではマザーズバッグとして人気があるようだ。数々の安い買い物をしたが、一番のヒットだったと思う。◎慣習慣習、と言うほど大したことではないだろうが、印象的だったのが「挨拶」。アメリカ人は、挨拶でもってさりげなく親しみを込めるのが上手いと思う。ランクを問わず色々な店の店員、ホテルのスタッフ。"Hi,how are you?("Fine,thanks"と答えると)"Good!"レストランでは食後に"Do you like it?"会計を済ませると"Thank you.Have a nice day,madam."人との関わりの基本である挨拶の大切さを学んだ、と言ったら大げさだろうか。始めはむっつり押し黙って店に出入りしていたのだがそれでは向こうは怪訝に思うらしい。笑顔で(引きつっていたかも知れないけど)"Hi!"と入って行けばお互いに気持ちがいいのだと分かってからは、彼らとの挨拶を心がけた。日本が他人との関わりで冷たすぎるのではなかろうか?と思いながら、帰国した途端、たちまち「むっつり日本人」に戻ってしまったが・・・◎言葉まず教訓。「英会話をしようと思ってはいけない」もちろん海外生活が長かったりして、ネイティブ並に話せる人は別である。問題なのは、自分は片言なら英会話が出来る、と鼻をくくっていざ海外に行く人。確かに、こちらから何か話しかけることは可能。ところがどっこい、向こうの返事が少しでも長かったり意外なことを言われたりすると聞き取れない。だから言い返せない。会話のキャッチボールが出来ない。そう、それは正にわ・た・し。始めに凹んだのは、ロサンゼルス空港のファーストフード店で"One cup of coffee,please."と言おうとして思いっきりドモッた時だった。「かっぷおぶかふぃー」・・・私的にはとても発音しにくい。トラベル英会話ブックや教科書通りに話そうとすると、人によっては大失敗する。これ以降は、コーヒーを一杯頼む時は指を出して「わんかふぃーぷりーず」と言うことにした。それで通じる。また、ホテルの貴重品預かりを頼もうかとトラベル英会話ブックにあった"A safe,please."と何度言っても通じなかった。たまたまガイドが見ていたので助け船を出してくれたが、何せ初日のこと、あれで最後まで通じなかったら立ち直れなかったかも知れない。夫の英語力は私より劣るが、これでも彼にとっては4度目のアメリカである。英語が分からない同士で旅行し、生きて帰ってこれているのだ。次回の海外旅行までに頑張って英会話を勉強しようかと思っていたが今はだいぶ考えが変わっている。勉強なんてや~めた、というわけではないが、もっと身体で、心で、旅行を楽しむのが先なんじゃないかと思うのだ。最後に。今回はツアーで行ったものの、オプショナルツアーがほとんどで目的もなく街を歩き回ったり、地下鉄やケーブルカーに乗ってみたりと細かい冒険もしたのだがそうしたことが出来たのも行動力だけは人一倍の、夫のお陰である。時には大胆過ぎて誤解を生む性格であり、今回もネイティブから明らかに顰蹙を買った場面もあったが方向音痴で石頭な女房を連れて行ってくれたことを、心から感謝したい。さて、また1週間の日常が始まる。
2005年01月16日
明日から10日まで、生まれて初めての海外旅行に行ってくる。場所はLA・サンフランシスコ。新婚旅行に行かなかったので、その代わりというわけでもないが子供たちは実家に頼んで夫と二人、羽を伸ばして来ようと思う。・・・そう、4人の子を預けるのだ。母の貴重な冬休みに五月蝿い小学生二人・障害児一人・目が離せない乳児一人。手ぶらではあんまりなので、夫から「迷惑料」としていくらか母に渡した。今はシーンとした室内で一人、邪魔されることなくPCに向かっている。嬉しいと同時に、何かが足りない、何かを忘れているような妙な感覚。夫が見ているTVの音を、三男の泣き声と聞き違えたり(笑)いかん、いかん。この1週間ぐらいは、自分と夫のことだけ心配していればいいのだ。でも、旅先では子供たちへのお土産ばかり気にかけてしまうんだろうな。ところで、夫はこれで3度目ぐらいの海外なのでそれなりに知識はある。それに反して私は全くのド素人。電気の差込口の形がアメリカも日本も同じだということを知らなかった。・・・皆さん、知ってます?夫に言ったら「恥ずかしいから外でそういうことを言うな」と呆れられた・・・米ドル札を見ても何だか安っぽくて(ごめん)、こども銀行券みたいだ。ありがたみが感じられないのは、きっと気のせい。英語力に関しては、高校時代は英検2級合格というレベルだったのだが今や話す機会がゼロなので、「です いず あ ぺん」by荒井 注程度か。やばい・・・今になって尻込みしてきた・・・まぁ、なるようになるしかないか?ユニバーサルスタジオやショッピング、その他ツアープランであちこちに出かける。帰国したら色々と報告したいと思う。無事に帰って来れることを願いつつ、明日の昼前に家を出ることにしよう。
2005年01月03日
今日、1月2日は、夫の母の命日。生きていれば、今年の桃の節句で69歳になる。車で片道50分程度のところにある墓地に墓参りに行ってきた。もうすっかり通いなれた場所だ。義母の肺に癌が見つかったのは、平成12年の12月。分かった時には余命3ヶ月と言われた。経緯は忘れたが、本人も全てを了解しての入院。入院の前々日ぐらいに、義母のきょうだいやその連れ合いを呼んで食事会を開いた。泣きながら酒を飲む夫の叔父、陽気に振舞おうとする叔母・・・夫はその日の様子をビデオと写真に収めた。そこには、姉思いのきょうだいたちに囲まれて笑う、見た目元気そのものの義母が映っている。今でも夫は辛いのか見たがらない。私もだけど。入院後、何度か息子たちを連れて見舞いに行った。時季は丁度クリスマス。ロビーにある大きなツリーを次男と手をつないで見ていた義母。屋上で息子たちと一緒に撮った写真が、最後の写真となった。私のことを最後まで気遣ってくれたらしく、友人に「嫁のことをよろしく頼む」と言っていたそうだ。私に向かっては「たった一人でいいから、心から分かり合える友達を作りなさい」と言い残した。身体の痛みだって、私には想像もつかないがきっと辛かったろう。自分の命がいくばくもないと知っていて、それでも頑張って生きたいという強い願いもあったようだ。痛いとか悲しいとか、そんな顔は少しも私には見せなかった。大晦日、一時退院の許可が下り、家に帰ってきた。今思えば医師も分かっていて許可を出してくれたのだろう。義母の妹も泊まりにやってきて、水入らずで沢山語り合い・・・そして正月、2日未明。トイレに立ち、出てきてから突然倒れた。救急車を呼んで運ばれたが、倒れた時に既に息絶えていたそうだ。入院してからわずか一ヶ月足らずのことだった。あまりにも・・・あまりにも早過ぎる死だった。最後の正月になるだろうということは私も分かっていた。だからこそ、妹や息子と語り合う邪魔はなるべくしないようにとあまり顔を出さずにいたのだが、まさかあんなに早く逝くなんて。私もずうずうしくお邪魔して、話の輪に入ればよかったのだ。今後悔しても遅いけれど。デパートの惣菜屋でリーダー的な立場におり、持ち前の明るい性格と笑顔で職場の方々に好かれていた義母。フルタイムで働き通しなのに、たまの休みには幼かった孫たちと公園に行ったり私たちのために鍋いっぱいのおかずを作って寄越してくれた義母。夏になると一緒に旅行したっけ。もっとあなたと話をしたかった。そして・・・伊吹に、三男に、会わせたかった。今は天国で春歌のことを独り占めだね。甘やかしてもいいから、どうかよろしく頼んだからね。
2005年01月02日
あけましておめでとうございます。今年も私と伊吹を始めとする、果樹☆一家をどうぞよろしくお願いします。旧年から新年にかけて、「ゆく年くる年」その他民放のカウントダウン中継を長男と見ながら過ごした。生まれて初めての最高の夜更かし、長男も本望だったろう。夫が三が日もきっちり仕事ということもあり、どこにも出かけず寝正月状態。何よりも、一歩外に出れば雪が凍ってスケート場の如しなのでスケートの才能が皆無の私にとっては外は恐怖に近いものがある。朝はおせち料理(と言うか惣菜の寄せ集め)を食べ、昼は夫の家に伝わる(笑)雑煮を食べた。義母が存命中に教わった。ちなみに義母やそのきょうだいは新潟出身。新潟風の雑煮と言っていいのかどうか分からないけれど濃い目のしょうゆ味が素朴でおいしい。◎北国の雑煮・素朴風(勝手に命名) 1.具:鶏肉、人参、大根、ぜんまい、こんにゃく、油揚げ、長ネギ、 ちくわ、かまぼこ、小松菜(下茹でしておく) 2.だし汁(だしの素OK)、しょうゆ、みりん、酒、塩を 各5:3:1:1:少々の割合で煮立たせる(超適当) 小松菜以外の具を入れて煮る 3.最後にさっと小松菜を入れる 4.角餅を浮かべるぜんまいや油揚げを入れるのがポイント。汁は、しっかりとしょうゆの茶色が分かるぐらい濃い目の味。これが意外と飽きないのだ。ずっとお吸い物仕立ての雑煮しか知らなかった私は、初めてこれを知ったときは「何それ、雑煮らしくない」と思ったが今では当たり前になった。義母から教わった味、これからもこの味を忘れずに作っていきたい。
2005年01月01日
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