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不断散歩の時にカメラを持ち歩くという習慣は無いが、先日余りに天気がいいのでポケットの偲ばせた。今街では花ミズキの並木が美しい。ワシントンへの桜の返礼として贈られたことはあまりにも有名である。学名はCornus florida だが普通Dogwoodの名で知られ、floridaの名がつくがアメリカのいくつかの州で州花とされている。Floridaの語源は”花”なので州名と植物名は関係がないのだろう。ちなみに普通花ミズキの花と言われているものは正確には花ではなく萼(がく)だそうだ。この日余りの好天に少し遠出をすると立派な門構えの寺があった、以前から区内の銘刹として名前は知っていたので入ってみると数名の人がいて花を愛でていた。その鐘楼はとてつもなく大輪のボタンの花で囲まれていて、お向かいにもボタン園があり見事に咲き誇っている。なんでもここの鐘楼は文化財に指定されているらしい。本堂と庫裏の間にも色とりどりの見事な花々である。ボタンの上にはまだ少し早いが藤が咲き始めている。五月の連休ごろは見事な花房が垂れ下がることだろう。藤はマメ科の植物で確かに花の色や形は多くの野菜豆のそれに酷似している。庫裡の前に苔むした一本の巨木があり、ソメイヨシノの名板が横綱の褌みたいに巻きついている。桜は短命と言われるがこの木は由緒あるこの寺の歴史を見つめてきたことであろう。漫画に出てくる森の名主の態である。
2015.04.30
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区議会選挙の投票所になっている中学校の道路とネットの隙間にPTAが四季いろいろの花を植え込んでいる。情操教育の一環と街の美化に供するためであろう。有難いことにここの花のほとんどすべての株に名前札が添えられている。近年街の園芸店では新種に素敵な商品名を付けて売っていることが多い。中学校の名札は在来種には聞きなれた名前が添えられているが、新種のものは商標よりは学名(或いはその一部)がカタカナで記されている。そうなるとかえって花の名の由来が想像できなくなる。[バコパ」、 この語には何のとっかかりもありませんが 古い学名の属名だそうだ。現在は「ステラ」が属名で、ステラは恒星とか星座のこと(星座 constellation)、花型からの連想でしょう。ここでも花の色違いがいくつかあります。[ビオラ」は近年実に多様な花を咲かせるようになりましたね。[ポピー」 ケシと同属で実際ポピーはケシ属全体をさす場合もあるようです。ほかに最近道端で良く生えている小さなヒナゲシもありますね。ヒナゲシなど小さなケシ坊主を作りサイズ違うだけで麻薬のケシそっくりです。でも園芸種のポピーや野生のヒナゲシには全く麻薬性はない。最近話題のヒマラヤの黒いケシは麻薬性がありそうですね。それとケシの種をまぶしたパンがありますね、あれはどのケシなんでしょう。もっとも麻薬を取るケシも栽培自由の国も多いそうですから気にすることもないでしょうが。ヒナゲシの種など黒光りする砂みたいで綺麗ですね。時々散歩中に採取してもてあそんでいます。[アヤメ] いずれがアヤメ科カキツバタ など言うが、花菖蒲、ショウブと4つどもえで花形から識別することは難しい。以前花の文様から区別する方法を調べてブログに記録した気がするが思い出せない。[モッコウバラ] 学名はRosa Banksiaeで、あのクック船長に同行し、ロンドンのKew Gardenを作った植物学者Banksの夫人にちなんだ命名とか。Banksについては何年か前のオーストラリアPerthへの旅行記で詳しく記録した。[デイジー] 非常に多くの近縁種があり菊の仲間だけにみな素敵な名前が付けられている。
2015.04.29
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昨日練馬区議会選挙があった、投票所はごく近所の中学校である。2週間前目黒の美術館に出掛ける時前を通りかかるともう準備が出来ていた。なんと76枡の掲示板である、その数に驚き目黒について探してみるとここは56枡である。調べてみると練馬区の人口は71.7万、目黒区は26.7万で議員定数はそれぞれ50、36である。さらに調べてみると世田谷区人口88.5万、練馬区71.7万、大田区69.6万でいずれも議員定数は50。一方少ない方は千代田区4.8万(定数25名)、中央区13万(30)、台東区18万(32)となる。これらが皆分割なしの1選挙区で投票される。ちなみに最大の都市横浜(人口371万)は18の選挙区に分かれて投票され、大阪市(269万)は24の選挙区に分かれている。であるが橋下さんが大阪都にしたいと騒いでいる大阪市は横浜市よりはるかに小さな都市なのだ。横浜都にするなどと言う話は全く聞かない。余談はさておき幕を開けてみると練馬区議選の立候補者は70名、目黒区は49名それぞれ絶妙の掲示板ではないか、どうして余談事前にこの数を予測するのだろう。[ジャノ(蛇)の道は蛇」と言うけれど、どこにそんな蛇が潜んでいるのだろう。さて投票前に写真を撮ると69枡埋まっている、1名ポスターを作る余裕のない人がいる様である。投票所の中学校はPTAの活動として道路脇を何時も花で飾っている。今は1年でも一番一番きれいな時である。黄色のモッコウバラは今大分カットされているが昨年まではグラウンドのネット上部まで伸びていて緑と黄色の巨大なスクリーンになっていた。花を見に行こうということで0.01%位は投票率を上げているのではないだろうか。
2015.04.27
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前回のブログにも記録したが春は桜のソメイヨシノの花見に始まり桃、テューリップ、ツツジ、サツキ、バラで一息つくがこれは我が家の春の定例行事のようなもので文句を言わずにお伴をさせてもらっている。立川にある昭和記念公園は広大で東京ドームの38倍、甲子園球場の47倍もの面積を有している。入り口も7か所あまりあり、いずれもマイカーでは便利であるが我々電車族には西立川口が便利である。ここはJR西立川駅ゲートが直結しており、チューリップ園にもほど近い入口である。チューリップ園は小さな渓流に沿ってデザインされており、すべて緩やかな傾斜地にあるので見通しも良く色の組み合わせもたくみに考慮されている。したがって多くのチューリップ園のように畑仕立てではないので全体が一編の絵画のようである。最近は色も多彩でその形も変化に富んだ種が次々に算出されている。いわゆる遺伝子工学の成果なのだろう、とてもテューリップとは思えない形まであるが私はや はりテューリップはテューリップらしい造形を保ってほしいと思う。どちらかと言えば「希少を持って貴重とせず、心うつものをもって美しい」としたい方である。新種には命名にも凝っており、ロマンチックな名が多い。したがっていちいち名前を気にすることは今回避けた。以下の写真でも名前を併記することはしなかった。テューリップ園に隣接して広大な運動広場の周辺にいろとりどりのポピーが咲き誇っている。これも見ごたえがあったが今回はテューリップが主役である。
2015.04.25
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熱海桜、湯河原の梅、古河の花桃、都内各地のソメイヨシノ、新宿御苑の八重桜、昭和記念公園のテューリップと付添人として各地を引っ張り回されて過ごしている。そこでしばらく見はなしていた我が家の植え込みを見ると一度も植え付けた記憶がない草花がいくつか咲いている。いつの間に土や小鳥、風などに連れられてれられて我が家に来てくれた花々である。その労を認めてここに記録しておくことにする。野生種のスミレ園芸種のノースポール野草中の野草、母子草園芸種の黄色カタバミタツナミソウ(立つ浪)白いタツナミソウ斑入りのスズラン去年名前を調べたが忘れてしまった花何年か前に植えた覚えがあるガーデンシクラメン今いたるところで見られるサギゴケに似た小さな花夏の花であるハナズル草の狂い咲き
2015.04.22
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新宿御苑の八重桜については昨年のブログでも記したが、この日はこれを見るために新宿まで来たので全く触れない訳にはゆかないだろう。八重桜の時期ここに来ると桜マニアの人がよく来ていて写真帳やデータを鞄に詰めていて桜のことなら何でも答えてくれる。今年もその方はいたが今回はパスさせていただいた。ここにはほとんどの種類の八重桜が植えられているが「市原虎の尾」とか「兼六園菊桜」などのように園内に1、2本しかない木もあるが今回はそれらを探し歩くことはしなかった。園内には多くの種類の八重桜があるが数的に一番多いのは「関山」で次いで「一葉」えある。我々が訪れた時一葉は最盛期であったが関山はあと一息であった。 一葉 関山一葉と関山の2種の色はほぼ八重桜の色を代表している。あの結婚披露宴で飲む桜茶は多分関山だろう。 鬱金(ウコン)色調的には白地に薄い黄色がかったいわゆるウコン色花を咲かせる「ウコン」だろう。中々高貴な色に見えてくる。 御衣黄ところが上には上があり「御衣黄」と言うのがある。ウコン色の花ビラにさらに緑の筋が入ったもので御衣黄は天皇の衣の色である。 八重紅枝垂どこにでもある紅枝垂れだが御苑ではほとんど見かけなかった。 白妙これも一本しか見つからなかったが、白いという点だけを考えるなら「白妙」がいちばん白そうである。 霞桜これも一本しか見つからなかった。このまばらな咲き具合は霞の名にふさわしい。公園出口の近くにこの時期全く出番のない一本のモミジがあり、初々しい若葉と花が咲き誇っていた。桜もきれいに紅葉するのに多くの注目を集めない、一方モミジも立派に花を咲かせるのに人は秋の葉だけしか見ない。桜は若い人を連想し、モミジは年寄りを連想させるのも人の固定概念にすぎないがと思いながらカメラを向けてみた。
2015.04.20
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お花見気分も大分収まって次は八重桜を見る大人のお花見えある。都内で色々な八重桜が見えるところと言えば新宿御苑が一番。もの好きな年寄りが週末御苑に遊んだ。場内はもう人々々である。近年は外国人観光客が猛烈に増えている。インターネットで情報が得られるしナビシステムも充実しているので外国人の個人旅行が多く、一時のように旗を持った添乗員に従った金魚のフンのような光景は少なくなっている。御苑と言えば私個人的には東京で一番きれいだな思うNTTビルが隣接している。上層部がもう少しデコレイティブであれば良いのだがは通信アンテナらしいのでカバーされているだけまだましなのだろう。とにかく御苑の木々と合わさるとぐっと良い景色となる。その左側には新緑の葉が付き始めたメタセコイヤが聳えている。メタセコイヤとNTTのツーショットも美しい姿で、さらにその水面に映る影もゆらゆらとして水面に浮かぶ桜の花びらとともに心なごませる油絵である。変わった樹形の松も日焼けを気にする叔母さん達に格好の日影を作っている。母国のテレビ番組での日本紹介番組の撮影だろうカンボジアの民族衣装をまとったお嬢さんが美しいポーズをとっていた。日本のお嬢さんも花より団子とばかりにご機嫌である。アルコール類持ち込み禁止であるが多分人に酔っているのであろう。鈴掛けの木にまだ春の目覚めは遠い様でごつごつした冬型の枝を伸ばしている。
2015.04.19
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毎年4月になるとわが相棒の病気が起こり関心事は桜さくらである。何を言っても無駄なので素直にお伴をすることにしている。ソメイヨシノがやっと落ち着いたと思ったらなんと桜の名所目黒川のほとりに年中素晴らしい桜を見られるところがあるという。現代日本画作家による桜の美術館で年中満開の桜が見られるのだという。どう考えても強力なスポンサーなしには運営できないと思われるが、郡山と東京にある常設美術館である。建物の前壁面は下のような桜模様の鋳造タイルで飾られている。一週間前まで花見客でごった返していた目黒川から1ブロックは入ったところに何気無く佇んでいる。ちょうどこの日は競馬の桜花賞レース行われていたが目黒では桜花賞展が開かれていた。例によってカタログは購入しないのでパンフレットとポスターの絵を記録しておく。館内で最初に目にするのは御存じ「三春の滝桜」の大作である。私はこの姿の滝桜を見たことがあるが数年前の台風で左に張り出した中段の枝が折れた。次は根尾谷の「薄墨桜」 私はまだ訪れたことが無いが枯れかけた木を再生させた話はテレビで何度も見たことがある。絵は大樹全体を描いているが老木に敬意を表して樹相を示しておこう。 以下三点は今回の桜花賞展での入賞作で上から繭山桃子作 「苑」木下めいこ作 「桜鏡」谷中美佳子作 「花あかりに」下の二作は言わずと知れた吉野の桜を描いた屏風絵の大作。ソメイヨシノとは異なるあの山桜の光景は圧巻である。ここは上千本・中千本・下千本とゾーンが分かれ桜の時期であればどこかは満開と言う孝行桜である。豊臣秀吉が浪波からはるばる来て桜が散って仕舞っていたら何人か打ち首になっていたかもしれないが、さすが吉野山よく出来ている。 外に出てみると大舞台を終えた目黒川の桜が青葉を出し始めて生き生きと見えた。そして花の名残を楽しんでいるのか、或いは桜が咲いて人が集まるという目黒川を見物に来たのか何の変哲もない都会のコンクリート川に若い人が多く群れていた。
2015.04.17
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江戸東京博物館で常設展を見た時広重の「名所江戸百景」展をやっていた。「江戸百」は好きで何度となく見たことがあるがまた見ることにした、と言うのも何時も足を運んでいる練馬区立美術館で今明治の広重とも言われる「小林清親展」をやっており、その比較も面白いと感じたからである。以下例によってパンフレットの絵を挙げておく。広重の「亀戸梅屋敷」はゴッホが模写したことでも有名な絵。「大はしあたけの夕立」もゴッホが模写したことで有名。向う岸の遠景は幕府の軍艦を納めたお船蔵があるのでそれを描けない、大雨を降らせて雨煙に霞ませている。この絵では雨の描き方が主題となる。 「亀戸天神」のこの構図はモネ睡蓮でお馴染である。浮世絵とモネの関係はよく知られている通り。さて小林清親であるが、私がこの画家の名を知ったのは高橋克彦の小説[写楽殺人事件]を読んだときである。高橋は写楽のほか北斎、広重、歌麿を題材にした推理小説を書いているがその中で浮世絵の解説が微に入っている。「写楽」では秋田蘭画や小林清親など浮世絵最終期の知識がふんだんに披露されている。小林は江戸末期から明治にかけての絵師(画家)で最後の浮世絵師とも言われ、錦絵への移行、ポンチ絵なども描いている。浮世絵を精緻化した錦絵で広重の試みと同じ[江戸名所図」を描き、明治の広重と称されることもある。浮世絵が西洋画に影響した如く小林は西洋画の精緻さと色彩感を取り入れて「光線画」と称する新しい形態の版画を作り出している。「江戸名所図」では広重と同じ場所を描いたものも多く、下のポスターも広重の雨中の「大はしあたけの夕立」と同じ場所を描いている。時代が変わり川向くの様子もはっきり描かれている。次の写真は館内の壁に掲げられているもので清親の絵の部分を布にプリントしてポスター化したものの写真である。ここまで拡大しても見られるとは驚き。大判の屏風絵でさすがにこれらは肉筆の屏風絵である。練馬美術館は今回改装され館外に新しいオブジェが多く設置されて子供の遊び場になっている。 人物彫刻は台座が高すぎて頭が樟の木に埋もれそうだ、全身を葉っぱで覆われた熊の子供はどうして緑の毛皮を維持するのだろうか。
2015.04.16
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東京江戸博物館で関ヶ原展が開かれているので出かけた。お花見時期でもあり寒い週日なので空いているだろうとの予見である。どうしてどうして東京には知識欲の深い人が多いというか野次馬が多い、切符売り場は長蛇の列、列最後尾の立て看を持った整理員まで出動している。これでは入場しても押し合いへし合いだろうということで諦め常設展を見て帰った。常設展も今回江戸城のジオラマができて一新されている。日本橋の下にある中村屋の芝居小屋と毎朝新聞社は前通りである。日本橋界隈の町並みジオラマも変わっていないが江戸城のジオラマが加わっている。立ったままでは見逃してしまうが腰をかがめてよくみると松の廊下が正確に再現されている。鍵型の長い廊下であるが刃傷事件はこの長い方の廊下で起ったはずである。お芝居ではよく分からないが廊下は鍵形で左から右に曲がる吉良上野介を待ちかまえての刃傷である。それにしてもあの長く裾引く袴でこの長い廊下を歩くのは難儀であり良い運動にもなったことだろう。今回新たに加わったと思われるにに家康の孫で江戸初期の有力大名松平忠昌の福井(北の庄)藩邸模型がある。おどろいた、これはもう邸ではなくお城である。広大な屋敷はぐるりと二階建ての土塀を兼ねた長屋で囲まれている。最近の音声ガイドは良くできれていて言語を選択して無線機器で行われいる。気がついてみると観客のほとんどは外国人観光客である、イヤホンガイドの他にボランティアガイドに引き連れられた外国人がひっきりなしである。テレビで外国人観光客が増えたことを報じていたがこれ程までとは認識していなかった。しばし聞き耳を立ててみると鎖国はnational isolation 大名はfeudal lord 藩邸はmansion と訳していた。昔アメリカで日本の時代劇映画を見たとき「殿」をMy Lord, 「お控えなすって」をThank YouとかHow Do You do とかの字幕を楽しんだことを思い出した。上に記した長屋塀で暮らす藩士たちは皆単身赴任で煮炊きを省いて外食したそうだ。彼らを相手に繁盛したのが天ぷらや寿司屋で、早い話が現代のMcDonald や松屋のような fastfood shop だったそうだ。外国人向けガイドを聞くのもいろんな切り口の解説が聞けて面白かった。それにしても黒塗り金装飾の門が客や主人用と使用人用と二つもあったり屋根の破風飾りを見ても想像を超える豪華さである。江戸藩邸の豪華さで藩の勢いを誇示したかったのであろうが領民はたまったものでなかっただろう。金の象嵌がふんだんに施され、室内には源氏物語の蒔絵が描かれた駕籠は16代将軍の生母本寿院の物とか、私は豪華さよりもその重々しい作りに感心した。4人で担ぐにしても大変な重量である。滑稽なのはそのすぐ横に江戸時代の肥樽が置かれて天秤棒で担ぐよう指示されている。外国人が入れ替わり立ち替わり担いでいたが昔の内容物を知っていたらどの位の人が担ぐだろうか。
2015.04.14
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前ブログから石神井川にかかる桜に囲まれた橋の名前を追っている。橋はこの時期桜のか決まれていたが、梅と違って桜に群れる小鳥はほとんどない。桜は人間には楽しいが小鳥にとっては何の魅力も無い花と思われる。石神井川にはスズメ、セグロセキレイ、ヒヨドリ、ムクドリ、鴨、鷺(1羽)、カラスなどがいるが、どれも花には目もくれない。何年か前にムクドリが腹いせのように桜の花をもぎ取って地上に散らしていたのを見たことが有るが、多くの鳥は全く無視している。考えてみれば生物の食物連鎖にとっても桜は全くの役立たずなのだろう。こう考えてみると真っ先に滅亡しても地球上の生き物にとって影響のない役立たずであり、それだけに切実感なしに楽しめるのかもしれない。そんなことを考えたのも橋めぐりをしていて、日ごろ川淵の広場を生活圏としている鳩達が生活の場を奪われて水道管橋に避難生活していたからである。彼らにしてみればはやく雨が降って風が吹いてを散らしてくれるのを待っていることだろう。橋の命名に戻ろう。 「平成みあい橋」 平成になって川の拡幅工事が行われ、新設された木造橋でY字形の「三会う」と橋上が小広場になっているので人々の「出会い」を兼ねての意味を持つ橋。「南田中橋」 ここの地名が南田中なので何の変哲もない命名。「和田前歩道橋」 「和田」には何の関連も思いつかない。「山下橋」 昔からの街道が通っていたところで、いま「憩いの森」となっている小高い丘が隣接してあるのでその山の下の意味だろう。丘と山の区別は難しい。昔「丘を山にした男」と言う映画が有って、石を運んでを高くした物語であるが、確か八郎潟には標高0mの富士山が有るはずである。大阪の天保山」も確か2-3mしかない山である。「坂下橋」 はてさて周りに坂は見当たらなかったが?「憩い橋」 鉄製の橋なのに木目調のシートでカバーされており、風情のある歩道橋である。大きな憩いは得られそうにもないが。「豊島橋」 この橋を渡って真直ぐ行くとあって豊島氏の居城跡の三宝寺池に通じている。豊島氏は武蔵野の豪族であったが、太田道灌に攻め落とされて「照姫」と共に三宝寺池に入水して果てた。毎年5月には照姫を中心にした武者行列が池の周りを巡っている。この地は昔の豊島郡で東京都になってからも豊島区に属していたが近年になって練馬区が独立した。橋はまだ延々と続くが練馬の祖、豊島にたどり着いたところで終わりとする。大体これが私の散歩コースに有ってでいつも通りかかる橋々である。
2015.04.07
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石神井川の桜並木を見ていて気が付いたのは川の両側から流れに向かって垂れ下がる花を見ようとすると必然的に橋が有れば必ずその上に出て川上・川下の写真を撮っている人がほとんどである。殆ど100m毎位にある多くの橋の名前が気になった。昔からある道路に架かった橋はそれにふさわしい名前が付いているが昔の農道に出来た最近かけられた橋などその命名に苦心の痕が窺える。桜の花そっちのけで橋の写真を撮ってみた。以下桜並木のある下流から遡って橋名を探求してみた。「大野橋」 辺りに大野の地名は無いが実はこの当たり「大野」性の昔の農家が沢山ある。「こぶし橋」 多分近くにコブシの木が有ったのだろう。「谷原三の橋」 このあたり今は高野台であるがかっては谷原村であった。「桜見橋」 そのものズバリであるが花見が出来るのは年間一週間位しかない。「谷原二の橋」 三の橋が有るのでその上流で二の橋は当然。いかし「一の橋」が見つからないのはどうしたことか。「すずしろ橋」 すずしろ はダイコンの別名である、この辺り練馬大根の本場なので当然だが、いままで使われていなかったのが不思議な位である。「高野橋」 高野台にあるのでこれも文句なし。高野は近くの「東高野山・長命寺」からの命名だろう。「富士見橋」 高野台の対岸は「富士見台」なのでこれも文句なし。今は数十歩の距離だが橋の無い時は別の村だったことだろう。「高富士見橋」 一つ上流の橋は苦労して「高野台・富士見台」の折衷命名か。「下薬師堂橋」 西武池袋線の線路を挟んで至近距離に二つの橋が有る。確かこの辺りに薬師堂が有ったはずだが今は見つからない。「薬師堂橋」 橋上が一寸した広場になっており、赤い欄干もあるので近辺随一のフォトスポットである。ここでは通りがかりの人のスマホカメラが多い。
2015.04.06
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川淵の桜並木の悲哀はのびのびと枝を四方に伸ばさせてもらえないことである。枝はほぼ片側に川の水面の上を這うように伸びて行く。樹下の遊歩道は自転車も走る、枝が低いと枝が頭をぶつけてしまうため低い位置の枝は主幹から刈り取られてしまう。中にはそれに抗議するように太い幹から直接花を咲かせているのをよく見かける。一方川側は伸ばし放題で花も川の上に集中することになる。橋の上は絶好のカメラポイントとなる。あまりの不均衡に年を経るにしたがって主幹も川側に段々傾いでくる。しかし川面を覆うように重なった花の雲は実に見ごたえがある。遊歩道にはところどころ公園とまでは言えない程度の広場が点在し、そんなところでは桜木も山型に成長しており、その下では花見客も悠々とシートを敷いて遊山(ピクニック)を楽しんでいる。この辺りは郊外で家賃も手ごろなためか外国人あ多く、特にIT関係で働くインドの人が多く住んでおり、彼等も郷に馴染んでよく花見ピクニックを楽しんでいる。2,3年前まではサリーの婦人が多かったが最近のインド人のお母さん達はほとんどジーンズになってしまったのは残念である。
2015.04.05
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マンションの8階にある我が家の直下には石神井川が流れている。そしてその上流・下流にはそれぞれ1キロ余り川淵の桜並木が広がっている。普段は人々の散歩にしか使われていない遊歩道も桜の時期だけは賑やかな通りとなる。今年は3月末から4月初めにかけて狂ったような陽気が続き、開花から2,3日で満開を迎えてしまった。ベランダから下を覗くと上の写真のようになっている。特に変わった花が咲いた訳でもないが春の到来を記録するため今年も記録写真をブログすることにする。遊歩道を覆う花の散歩道はなんとも贅沢である。大きな帽子を冠った貴婦人が馬車に乗って通りかかる昔のヨーロッパの映画を彷彿させる光景である。普段ならここはジョギングする人が多いがこの時期の花見客は横の階段を下りて広い水際の遊歩道で思い思いの過ごし方をしている。ところどころにある柳の枝からは若緑がそよぎ桜と爽やかな対比を見せている。少し遅れてきてまだ咲き始めたばかりのしだれ桜もたわわに水面に向かって枝を降ろしている。
2015.04.04
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桜の時期に板橋区内の石神井川を下り帝京大学病院からバスで王子駅に出て北区・北トピア展望台室に行くのが恒例化している。そして毎年のように春霞にけぶるスカイツリーをカメラに収める。眼下の景色としては白いアーチ橋の下は隅田川、画面では水は見えなが赤い水平線は荒川堤の上を走る高速道路。現在の隅田川はこのちょっと左にある岩淵水門で荒川から分かれて都内を延々と蛇行し東京湾・竹芝ふ頭まで流れている。この時期、多くに人がこの無料展望室に登るのは眼下の飛鳥山公園の桜と電車の写真を撮るためである。白く見える細長い丘が飛鳥山公園である。この台地は武蔵野崖線の端で石神井川が深く掘れ込んで流れる窪地を挟んで王子神社、名主の滝へと続いている。飛鳥山公園は江戸時代からの花見の名所で、上野公園が武士階級の花見場所だったのに対してここでは庶民が早起きをし江戸中から集まり無礼講を楽しんだらしい。平屋の街並みの上に関東一園の景色も楽しめたのであろう。広重の浮世絵にも花見の様子と富士山が描かれている。王子駅と飛鳥山公園を直結する跨線橋から見ると色々な電車が観察できるのでマニアにはたまらない場所である。新幹線に限っても青森、秋田、山形、新潟、長野、金沢への列車がそれぞれ違った装いで走っている。この写真のように色違いの二つの列車が繋がって走っているのがはっきり分かる。これは山形行きと青森行きが連結されているのだろう。一番山側には貨物線が有り時々とてつもなく長い編成の列車が走ったりしている。公園の奥の方桜林の向うに見えるのは紙の博物館である、この辺りは昔から製紙会社が多く、王子製紙・十条製紙などが有名である。
2015.04.03
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昔から川の土手には桜が付きものである。その理由は諸説あるが人々を花見に呼び寄せ土手を踏み固めさせるというのが通説である。そうなると土手を無くしてコンクリート壁で固めた都市の川には無用とも思えるがどっこい都市の景観として川淵の桜は定番である。東京にはいずれもコンクリート壁の川であるが桜の名所として目黒川と石神井川があるが前者はマスコミにもてはやされ後者は地元の年寄りにもてはやされている。個人的な意見であるが前者はお花見の場所としては最悪である、歩道は非常に狭く、柵が高いため見通しは非常に悪い。さらにおびただしい数の人出である。それもシャンペングラスを手にしたカップルなどが人目かまわず振る舞っている場所である。そこへゆくと石神井川は歩道も広く人影も薄く花見には絶好である。こういう言い訳をして今年も出かけてきた。近所の畳屋さんが毎年橋の上に新しい畳をおいて花見客の休憩に供している。孫とお婆ちゃんの楽しい光景であるが目黒川ではこうはいくまい。川床には水草の植栽アイランドがしつらえられており、花の影を映して落ち着いて見える。実は石神井川の拡幅工事が下流からおこなわれたためその後の植樹であるこの辺りは樹齢約30年位の桜が多く今彼らの壮年期でその花量は半端でない。橋ごとに立ち止まる客はあるがそれでも数人を越えることは無く、落ち着いて花を愛でることが出来る。ところどころにデザイン化された橋などもあり花景色に花を添えている。板橋区の名は石神井川に懸っていた中山道の板の橋に由来している。勿論規模も大きくされ、コンクリート製の「板橋」となっているがこれがその橋で「日本橋から2里25町33間(10.642キロ)の標識が立っている。現在の新板橋は勿論はるかに重量観のあるものである。まだまだ川沿いの桜並木は続くが私たちの決まりのコースはさらに川に沿った道路にも桜並木が伸びて4列の桜に覆われた帝京大学病院前で終わる。ここには野外ベンチなども設営されているので一休みするにはもってこいの場所である。例年通り花見散歩はここまでとしバスで王子に向かった。
2015.04.02
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古河花桃園の芝生に腰をおろしてふと見上げると大きな風船が見えた。そう言えばここ古河には利根川の広大な河川敷や渡良瀬川遊水地があり、熱気球大会が毎年のように開かれている。気球と言えば有名なジュール・ヴェルヌの「80日間世界一周」を基にした映画「80日間世界一周」(1957年日本公開)を思い出す。海外旅行など夢のまた夢だった私にとってぞくぞくするようなスクリーン光景であった。80日間で世界一周すると賭けをしたが出発当日汽車が不通となり発明されたばかりの気球に乗ってロンドンから東周りで出発しヨーロッパアルプスを横断する。後はあらゆる交通l機関を利用して世界一周したが主人公の時計では81日間を要してしまった。ところが一緒に旅した執事が街の新聞の日付が一日前のことに気が付いた。日付変更線で1日得をしていたわけだ。見事賭けに大勝する物語。日本を含め世界中の風物が見られ、数十名の有名俳優が世界各地の登場人物として出演していた。ただこの気球が水素ガスを詰めた気球か熱気球か私には今はっきりとしたが無い。いづれにしてもアルプスに浮かぶカラフルな気球は当時の若者の夢をにした光景であった。江戸時代の初期に権勢を誇った古河公方の館に通じる橋の上からは正面に登って行く気球がはっきりと見えた。近づいてみると体験乗船が行われている。「パイロットの指示に従ってください」とアナウンスされている。船なので「船長」かと思ったが格下のパイロットらしい。もっとも航空機だとパイロットは「機長」も兼ねるので気球は航空機の範疇に入るのだろう。飛行機と同じで離陸時はエンジン(?)を吹かすので焔の大きさと轟音は半端ではない。ジイジと孫たちを乗せた気球が離陸するとバアバは撮影に忙しい。体験飛行なので風にあおられないように4方からロープで固定し高さも余り高くは無い。しかし近くの富士見塚よりは少し高いかもしれない。この辺は関東平野のど真ん中なので一寸高みに登ればはるかに富士山が望見出来るらしい。目の前の池には千葉県検見川の遺跡から発掘された種から発芽させた古代蓮の大賀ハスの葉っぱが見える。夏にはきれいな花が咲くのだろう。ともあれ池の面に映る花や人の影を見やりながら初夏の陽気の公園はのどかそのものである。この日近くの街では25℃を記録したという。
2015.04.01
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