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今回の越後湯沢行きは毎年恒例となった越後湯沢・苗場のドラゴンドラに乗って谷越え・尾根越えしながら紅葉を楽しむためである。宿泊はNASPAニューオータニ、新幹線駅から送迎車で5分であるが窓の前はゲレンデでベッドからの景色が美しい、もう少し経てば紅葉が綺麗だろう。近頃は路線バスでの紅葉見物は、おばさんグループか75歳以上の後期何とかの人だけである。駅からの路線バスは9:15の次は11:40、朝寝坊の我々に選択の余地はない。ホテルロビーや駅待合室でごろごろして11:40のバスに乗る。このロープウエイは乗り継ぎなしで5.48kmもある。その場合、普通ロープは尾根と尾根を結び谷の上空を通る場合が多いが、このドラゴンドラはアップダウンを繰り返して谷は下り、尾根は登る、つまり山地に沿って樹林の上部を通過して行くので紅葉見物には最高に設計されている。さて色ずきはどうであろうかと思ったが昨年が峠を越えていたので今年は1週間早めて10月21日の訪問であるが残念、また最盛期を過ぎていた。地元の情報でもやはり今年は1週間早かったそうである。早割プランで宿泊料を安く済ませようとするとこういうことになる。かと言ってゆっくりしているとホテルが取れない。まあ中庸で我慢しろと言うことだろう。ロープウエイが尾根筋にかかった時二居湖(ふたいこ)が見えた、何時見てもこの湖の色調は素晴らしい。日本では確か蔵王や草津の火口湖がこの色だった気がする。また裏磐梯・毘沙門池もこんな色の沼だった気がする。スイスなどの氷河から流れ出る川の色にも似たものが多い。水の成分と言うよりは細かい岩屑粒子の大きさいわゆるコロイド粒子径が関係するのだろう。乗り換えなしで25分山頂駅に着くと天気予報とは違ってかなり霞んで見通しの悪い晴天、遠く霞んで雲がかかったのが苗場山であろう。まだ(これからも)登ったことは無いが苗場の頂上は平らな湿原で高山植物の宝庫だそうだ。小高い丘の道を10分位登ると別のロープウエイが有ってドラゴンドラとは対照的に二居湖の上空230mの高さを渡るる田代ロープウエイが有るが、二人とも足に問題が有り無理なので下りもドラゴンドラを利用した。日に照らされて紅葉観賞には登りよりも下りの方が美しかった。昨年より一週間早めにもかかわらず今年も最盛期を一週間位過ぎていた。ここは足に自信のない我々が簡単に行けるスケールの大きいい紅葉スポットであることに間違いはない。しかし足の便があまりにも悪く帰り便もまた1時間40分も待たされてしまったが湯沢からの新幹線は一時間もかからなかった。来年はどうなるのだろう、せいぜい精進することにしよう。ロープウエイ山麓駅に有った枯れ木のオブジェ。
2015.10.26
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今年は秋の訪れが早いと言う。近年は毎年、越後湯沢・苗場の紅葉を見に行っているが昨年は26日に出掛けて遅かったことから今年は20日に早めたがどうだろう。新幹線だと1時間で湯沢に着いてしまい、ホテルのチェックインには早すぎるので街中から直接ロープウエイで登れる湯沢高原アルプの里に登ってみた。ここには高山植物園が有り、紅葉も期待できるからである。ロープウエイ乗り場は駅から徒歩10分程の所に有る。降りてきた車輛のを見て驚いた、とにかく大きいのである。下の写真を見て側面の写真と思うだろうがこれは車両の後面である。推定30m(2)位は有るだろう、定員は166名だと言う。新幹線の大型車輌2台分の乗客全員をこの箱一台に乗せることが出来る。パンフレットには《世界最大級》と記されているが ”級” と記されているところをみると他にもっと大きなのが有るのだろう。Webで調べてみたが残念ながらヒットしなかった。がらがらの車内はこんな感じで建築中のワンルームマンションのようである。ロープウエイの側斜面は今紅葉真っ盛りであったが赤く色づくナナカマドやモミジは少なく、ほとんどが岳樺やブナの黄葉である。紅葉名所かと言われれば少し首をかしげるが頂上駅の周りは秋色に満ちている。ロープウエイの反対側に降りるには徒歩で10分、二人乗りリフト、サマーボブスレ―、体を固定してワイヤーで下るジップラインと言うのもある。老人は無難にリフトで降り谷間の高山植物園へ。もちろんこの時期高山植物が見える訳でもない、それでも湖面に写るmj雪国の谷合いは秋の風情に満ちている。底の浅い《あやめ池》は周りの秋景色を映して美しい。雪で窒息する前のつかの間の空気を吸いこんでいるコケ類や水生植物が今年最後の色化粧である。池畔はロックガーデンと称して庭園形式の高山植物園である。とはいってもこの時期は石段に舞う落ち葉の方が主役である。一画に白、ピンク、紅と美しい色の変化を見せて《ダインモンジソウ》が文字通り《大》の字形をして季節外れに咲き誇っていた。ロープウエイ頂上駅の近くには黄色い大型菊花を思わせる《ヤナギハヒマワリ》が咲いている、よく見ると確かに柳のような葉っぱである。そう言えばシシャモは《柳葉魚》と綴るなどと考えながら下りロープウエイの巨大な箱に乗りこんだ。
2015.10.25
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オルゴールミュージアムには主として二つのホールが有り、ほとんど交互にパフォーマンスが行われている。ヒストリーホールでのオペラ歌手による歌劇曲の披露に先だってオルガンホールでのMortier Dance Organsの演奏を聞いた。これは広いホール全体でが一つのオルゴールと言うべきもので、大きな正面舞台に並んだ人形楽師だけでなく両脇の壁の上で、丁度オペラ劇場のバルコニー席の様な所にもそれぞれ各パートの奏者が配置されていていて、演奏は正面中央の指揮者人形の指揮で進行する形を取っている。かって実際にヨーロッパのダンスホールでこのようなダンスオルゴールが活躍したそうである。ジャズの様な新しく生まれた音楽を使ったホールで多用されたとのことである。Mortierは1920年代のアントワープの作者で、当時新しい音を作り上げMortier Dance Organ は一大ブランドであった。ダンスホールではこのような大掛かりなオルゴールが使われたが、一方カフェなどでは前回記したジュークボックスの様なオーケストリオンが重用されたようである。 オルガンホールの後壁には小さな操り人形オルゴールが置かれ、周りに回転木馬が置かれて「乗らないでください」と書かれている。たぶんヨーロッパの縁日でこのオルゴールの後ろで小父さんがネジを巻きもう一人の小父さんが回転木馬を回していたのだろう。Dance Organ の演奏を楽しんだ後、暫く屋外の花を見てオルガンホールに戻ると今度はピアノ・ヴァイオリンの演奏付きでサンドアートのパフォーマンスが行われた。演奏は童話ピノッキオの音楽を奏で、ガラス盤の上で砂だけを使って素手で物語をまさしくアニメーションの制作現場にいるような光景を見せてくれた。複雑な絵のシーンが終わると掌で砂をさっと掻き除き、また新しい場面を描いて行く。手の影もそっくり画面に現れ、クジラに呑みこまれたピノッキオのいる胃袋の中や太陽の下、たなびく雲の濃淡など神業としかいいえないような演技で表現してゆく。終わりの場面はかき消されずにそのままだったので近々と見せてもらった。B5大のガラスの周辺に細かい砂が置いてあるだけだった。サンドアートと言えば瓶の中にカラーサンドを詰め、細い棒を入れて砂を移動させて描く”sand art in bottle"の妙技に感心してエジプトで買い求めたものがいまも我が家のサイドボードに有るが、今回のサンドアートはそれにも勝る感動ものであった。 こんな素晴らしい技術を持っているのは年配者かと思いきや若い青年であった。演技(奏)後、ピアニスト、バイオリニストとともに観客との写真撮影に応じていたので叶わなかったがもっと色々お話を伺いたかった思いがする。
2015.10.24
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オルゴールと言えばついジュエリーボックスや貯金箱の様な小さなものを想像してしまうが、そういったミニチュア型はもやはスイスの特産ではなく、現在は日本の諏訪地方が生産中心である。しかしこのミュージアムに有るのは現代ものではなく、歴史的に意味のあるものばかりである。オルゴールには上に記したドラム式と鉄の円盤に針をつけたり穴をあけたりして音を出すディスク式がある。さらに厚紙に孔をあけ空気を送って管楽器をならす手回しオルガン等もオルゴールの範疇に入るだろう。ヨーロッパの街かどで良く目にする折りたたんだ紙を利用した手回しオルガンなども含まれるかもしれない。上の写真はバイオリン・ピアノの奏器で、中には本当のバイオリンが3基セットされてお り、そこから音を出している。各バイオリンはそれぞれ違った音域を担当しているのだろう。水平に設置された丸い弓は回転しているのか左右に振れてい るのかはよく見えなかったが本物の馬の尻尾だそうだ。ストリングの選択はバイオリンの角度を変えてされているのだろう。下の部分はピアノになっており、このオルゴールからピアノとバイオリンの協奏が聞け・見える。Phonoliszt社が製作したこのモデルは超一流のホテルなどに購入されて、 Wikipediaによると現在63基もと言うか63基しか残っていないそうである。下の写真で一番左が上に記したmusic boxで、その右の大型music boxは奇跡的に難を逃れたと言う《タイタニックモデル》 のオーケストリオン。複数の楽器を協奏させる多楽器演奏オルゴールをorchestorionと呼ぶみたいである。右方のいくつかはそれぞれ美しい扉を開けると色んな楽器が現れそれぞれ持ち場の楽器をその動作と共に演奏するオーケストリオン。段々楽器が増えて複雑になる。これらは演奏機能もさることながら入れ物の装飾が皆高い芸術工芸品である。寺院の祭壇の飾りであり、わが国で言えば豪華な仏壇を思わせる。式台に位牌を備えた音楽好きのためのオルゴール仏壇など有っても良い気がする。小さなものでは鳥籠型の《シンギングバード》やどこにも固定されていない宙に浮いた針の動くクロックオルゴールなども珍しい。下の写真はあの狂王と呼ばれるル―ドヴィッヒ2世がバイエルンのキムーゼ城湖畔にベルサイユを模して作ったと言うヘレンキムーゼ城のジオラマ。鏡の間の豪華な広間では多くの貴族・婦人達がオルゴールの演奏に合わせて踊るのだそうだが、残念ながら今は演奏していないようだった。美術館のヒストリーホールの舞台が展示室にもなっており定期的にオペラ歌手が色んなオルゴールの伴奏で歌ってくれる。この日はオペラ歌手の土井尻明子さんが蝶々夫人のアリアをたっぷり聴かせてくれた。下に示すのはディスク型オルゴールであるがこれはまさしく円盤レコードのジュークボックスを思わせる大きさと形状である。ただしディスクは鉄板で譜面は孔で描かれている。中央の棒のようなものが検音器で所々のふくらみはそれぞれの楽器に対応している。ディスクはいちいち手で取り換え、動力はゼンマイ式である。下段はディスクケースになっているが共鳴箱にもなっているため演奏時は必ずドアを閉じる。時代が下るとまさしくジュークボックスのようにダイヤルをまわすと検音棒が降りてきてディスク交換の手間が省けたものも出ている。人のいない展示室で係の方との問答が繰り返され、楽しい時間を過ごすうち人がいないのを幸いに渡された懐かしい2セントの銅硬貨を投入すると大きな音の音楽が流れてきた。電気は一切使っておらずばねの動力だけの発音である。箱の細部、台、引き出しなどすべてが共鳴箱となってこんな大きな音が出ると説明されて驚いた。
2015.10.23
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オルゴールミュージアムではこの時期にもかかわらず色々な花が園内を飾っている。真っ赤に紅葉したベゴニアの一鉢も我が家ではみすぼらしいがところを得ると輝いている。時々噴水ショウも行われているが中国人観光客のグループが通り過ぎる以外は空いていた。連休後の週日にもかかわらず河口湖駅周辺は観光客で溢れている駅前で英語と日本語でバス案内をしているお嬢さんの話によると平日は8-9割が外国人だとか、それもこの時期はほとんど中国からの観光客だそうだ。日本の観光産業も様変わりしてきたみたいである。バスの運転手にしても"number thirteen stop" "OK OK" "two people, two forty yen" などと正しいかどうかは別として確実に用を足している。こうして島国も段々国際化して行く、これで良い。まだ箱根や日光、富士山などに限られた地域の現象かもしれないが地方の小さな町にも外国人観光客が来てくれるようになることを願っている。政治家同士が建前論でぎくしゃくしている間に民間の人物交流は確実に進んでいるように見えて嬉しかった。中国人の爆買い等が誇張されるが人物交流はビジネス面に留まらず文化交流・相互理解が進み、それが国の間の相互理解につながることは間違いない。 季節の花々を見ながら園内の散策も楽しい時間であった。屋外カフェで移り行く雲を眺めながら悠久の富士の姿を愛でるのも一興である。 小規模とは言え無人の花の小道や人影まばらな紅葉直前の湖畔を逍遥 するのも楽しい一時であった。
2015.10.22
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河口湖周辺の紅葉はまだ早いので湖畔のオルゴールの森美術館で一日を過ごすことにした。ここは箱根仙石原のガラスの森美術館と姉妹館で八王子高尾山下の鳥料理屋「うかい鳥山」が運営する美術館。料理屋の社長のコレクション趣味が嵩じてガラス美術品やオルゴールの展示館をヨーロッパ風建物に収めて美術館にしたものであろう。美術館と言うとちょっと違和感を感じないこともないが一種のテーマパークと思えば楽しいところである。そんな訳でここは施設の内外とも撮影自由である。コマーシャル施設の10月は昔なら神社の秋祭りが中心だったが今はもうカボチャのハロウウイン一色である。50年以上前アメリカに住んでいたが、この季節よく田舎の自動車道路脇に大きなカボチャを積み上げて売っていたのを思い出す。観光客は一抱えもあるカボチャを買い込んで車のトランクに収めていた。それをくりぬいて家の玄関先などに飾っていたが、それは素朴なもので今の日本の店頭の様な派手なものではなかった。日本語のオルゴールはオランダ語orgelから由来したものらしく、英語ではmusic boxとかmusical box と言うようである。もっともそのorgel も現代オランダ語ではオルガンを意味し、オルゴールはmusiekdoos(music-case)と言うので英語と同じである。orgel は本来オルガンを意味するが、日本語ではオルガンとオルゴールは別物でmusic boxと言えばむしろジュークボックスを連想する。この美しい言葉が残る日本語は素晴らしい。オルゴールはシリンダー型とディスク型があるが前者が最初で時計工業と共にスイスで誕生し、後者は主としてアメリカで流行ったものらしい。そのためかここの建物はスイス様式で赤地に白十字のスイスの国旗まで立っている。河口湖畔の狭い土地を巧みに利用しているが、こんな田舎の地なのだからもう少しゆったりした公園に仕上げたほうがよかったと思う。小さいながらも展示物は充実しており、ゆっくり説明を聞いたり次々と催されるパフォーマンスを楽しんでいれば結構時間は過ごすことが出来る。天気のいい日で久しぶりに人の少ない園内でパラソルの下の屋外ランチも美味しく頂いて食後は湖岸に出て散歩し、晴天の下気持ち良いハイランドの空気をいっぱい吸い込んだ後ハイウエイバスで帰京した。
2015.10.19
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河口湖への旅2日目はほぼ一日湖畔で過ごしたので嫌でも一日中ほぼ同じ角度から富士山を目にすることとなった。朝の初冠雪の姿は何と無く神々しく映る。一日前に来ていたらこの光景は無かったと思うとちょっと得をした気分である。日中の山容は陰りもなく輪郭のぼやけた、あえて言えば魅力の無い姿であるが午後も真昼をすぎると薄くたなびく雲が現れてきて、薄衣を纏ったような富士も一つの魅力である。風向きによっては富士の谷間から白い雲が黙々と湧き出ることもある。そうかと思うと谷間から湧き上がる雲の群れとは別に、横から流れてきて棚びいた雲が重なり、ふたつの雲群が混じり合って複雑な模様を描くこともある。夕暮れが近づくと周りがほんのりと紅を刺してくるはずであるがこの日天気が良すぎて山影が美しく染まらない。天気が良すぎるのも考えものである。以前反対側の相模湾から真っ赤に染まった富士山を見たことがあるが、山景色も巡り合わせで季節、天候、場所によって刻々変化するものであろう。ものの見方、考え方につい一つのものや概念も見る方向や考え方によって全く違ったものに見えることを話す時、私は駿河の富士と甲斐の富士を例題に示すことがよくある。
2015.10.18
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10月の新聞休刊日の旅は我が家のツァコンダクターの企画で河口湖・富士ビューホテルの特別廉価版である。そうは言っても私はこのホテルについて何の前知識も持ち合わせていなかった。河口湖巡回バスでホテル前まで行き小さな坂道を歩いて玄関に向かったが、玄関のドアノブが古めかしくて由緒有りそうであった。わが家のツァコンに聞くと戦前からあるホテルで箱根・富士屋ホテルの系列だと言う。太平洋戦争の戦時下谷崎潤一郎が投宿して「細雪」を執筆し、ここの情景が詳しく描写せれているそうであるが、私は残念ながら読んでいない。また地元の老婦人に聞いたところによると戦時下はドイツの大使館がここに疎開し、戦後は進駐軍の保養施設として徴用されていたらしい。辺りは広大な敷地でいまは一般に開放されているが湖岸も一種のプライベイトビーチであったらしい。車寄せからは正面に初冠雪の富士の姿が美しい。初冠雪とて晴天が続くと消え去るかも知れないとのことである。土地の人にとっては毎年感慨をもって迎えられる大切な季節の便りである。ロビーの片隅にはジョンレノン・小野ヨーコの色紙や昭和天皇・今上天皇の写真なども飾られていた。この地から見る富士山は静岡側から大きく見えるる宝永火口峰が全く見えず、実に対照的な形である。頂上見える頂きは最高点の剣ヶ峰(3776)ではなく、二番目に高い白山岳(3756)である。富士山にはその河口壁(御鉢)に《八神峰》が有り富士山という山の頂上は無い。普通剣ヶ峰が富士山頂とされるが、正確にはこの《八神峰》の集合体が富士の山頂である。下の写真で剣ヶ峰は白山岳の右後に見える突起だろう。雲が発生しているところは五合目のスバルラインの終点で、富士山本体よりも古い火山の《古御岳》で、ここには大きな観光施設が有り、時々白く光って見えた。古御岳からは手前に向かって小さな尾根が手前に向かって伸びており、左の谷からの上昇気流が新しい雲を発生させている。富士山は日本では特異な高さと形状の山でここでは特有の雲の形が生まれる。富士山の雲の写真を集めた本も何冊か出版されている。ホテルは高い木立の囲まれた5階建てであるがその屋上に展望室が設けられおり、そこから眺めると木立の上に美しいすそ野が広がっている。NHKのブラタモリと言う番組で、富士山の美しさはこのすそ野の広がりであると言われて納得した。確かにインドネシアなどで富士山形の山はたくさん見たがこのすそ野の広がりは無い。溶岩流の粘度が重要で硬過ぎても鋭角的になり、柔らかすぎてもキラウエア火山のように平板的になってしまうとの説であった。赤く染まる富士を見ようと長時間展望室で頑張ったが残念ながらこの日は雲が少なく夕日の反射光が無いため空も山も余り赤くは染まらなかった。展望室の反対側窓からはヒョウタン型の河口湖のくびれた部分が眼下に広がって見える。ホテル側には民家な無いないが対岸には村が広がっている。
2015.10.17
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秋の好日、体育の日の翌日は10月の新聞夕刊日である。休刊日には隣人に新聞の処置をお願いしなくて済むので一泊旅行に出掛けることが多い。マンションではドアまで新聞を配達してくれるのは有難いが新聞受けが小さくて2日分は無理なためである。さて今月は河口湖に出掛けてきた。前日は雨で富士山地域もかなりひどい雨であったらしい、夕方雨が上ってみると山頂は八合目まで白く、甲府気象台は夕刻になって、急いで富士山の初冠雪を発表した。前年より5日早く、例年より11日遅いようである。そう言った訳で晴れ渡った空に白い帽子の富士山を朝から見るのは今年この日が初めてであった。今回のホテルは名門の富士ビューホテル、なぜかこの日は廉価特異日で簡保ホテルよりも安い宿泊料が設定されていた。河口湖を巡るバスで「敷島の松」という停留所で下車、チェックインには少し早いので湖畔の遊歩道を歩いてみた。少し色は薄いがノコンギクの様な野菊が咲き乱れていた。河口湖にちょっとだけ突き出た岬の先端にはアーチに吊るされた《愛の鐘》と称するものと谷崎潤一郎の文学碑が建っていた。無人の遊歩道の傍らで何やら赤い実をつけた小枝を集めている老婦人がいたので話しかけると、くわしい観光案内をしてくれた。まず真っ赤な実をつけた小枝はバラの枝で生け花にするため採集していると言う。なんでもこの辺りは自動車道を挟んでホテルの敷地で、谷崎がこのホテルに滞在して名作「細雪」を執筆したためその一文がこの碑だと言う。実はバス停名にもなっている「敷島の松」はどの木でしょうかと尋ねたのがこの婦人との話のきっかけである。なんでもこの人は戦前この地の生まれとかで、戦後ホテルが進駐軍に徴用され、人気のないこの地で米兵からよくチュウインガムを貰ったそうである。そして敷島の松は一本の木ではなくこの辺りの松全体を指すもので主体はホテル敷地中を走る自動車道路際に並ぶ松林だと教えてくれた。チェックインした後広い庭園と言うよりは深い木立の林を散歩した。園内にはゴルフのショートコースもあり、散歩が楽しめる。歩道に沿って茂る松林の下に大きなキノコが生えていたり、ピラカンサスやバラの赤い実が鮮やかに散在している。驚いたのは歩道に沿って何種類ものアジサイがまだ咲いている。秋明菊であろうか秋の主役ぞとばかりに佇んでいる。
2015.10.16
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前ブログで高い空に浮かぶ秋の日の雲を時間を変えて撮影し、その特徴について調べたことを記した。今日10月15日(木)午前のコーヒータイムに空を見上げるとまたまた高くて美しい空であった。先日の写真は一日の長い時間にわたる写真であるが、今回はコーヒーカップを置いたまま、午前11時12分から16分の4分以内に撮影された写真である。一度にこんなにいろいろな形の雲が見られるのも珍しいのではないかと思いシャッターを切った。すべて高空に浮かぶ卷積雲であるが今日中にアップロードするため分類をする暇が無かった。また分類できたとしてもみんな卷積雲で鱗雲の亜種であるから大きな意味はないであろう。気がつくのがもう少し早ければ整然とした筋雲や鱗雲が見られたのであろうが撮影時はもう大分風化して羊雲とか綿雲と言われるものに近く見えた。ほぼ中天に太陽が有るため自動露出ではどうしても雲が薄く写りがちであるが実際にはもう少し雲の影が濃いことを断っておく。また太陽の周辺は私の腕では撮影不可能なので、どちらかと言えば南天の雲たちである。そして掲載した雲たちはすべて空の違った方向に同時に出現したものであり、写真はほぼ東天から西天に向かって移動しながら撮影したものである。
2015.10.15
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今日は10月10日、あいにくの曇り空であるが1964年のこの日は東京オリンピックが始まった日である。統計的にこの日は晴天の確率が最も高い日であったと聞いている。この日を体育の日として祝日にしたが、毎年催される各種スポーツ行事が雨天中止になった例を思い出せない。しかるに2020年のオリンピックは8月中旬の開催とか、テレビが《熱中症にご注意ください》と連呼する中でマラソンをするらしい。オリンピックはまさしく《不健全な反スポーツ競技》に落ちぶれてしまって単なるコマーシャルイベントとなった。一部の人達のために国税をたらい流しすることの意味を考えるべきである。選手は単なる道具にされてしまう。さて《天高し馬肥ゆる秋》と言われる、確かに秋の空は高く見える。実際湿気が低く空気が澄んで高くまで見える訳だ。湿気が少ないと言うことはより高空でより温度が下がらなければ水滴にならず雲が発生しない。つまり秋の雲は薄くて青空に融け込んで美しい紋様を描くことが多い。先の暖かい1日、我が家の屋上バルコニーに出て時次刻々の秋の空を眺めていた。高空の気流は低空ほどの乱れはなく、したがって規則的な紋の雲が多い。典型的秋の雲は卷雲、卷積雲、積雲に分類されるが、いずれも3千メートル以上に浮かんでいる。卷積雲はよく《鱗雲》と言われるが、薄く筋状の雲が少しずつ千切れて鱗状になったものだろう。さらに鱗雲が団塊に分かれるとイワシが群れて泳ぐ様子に似ていることから《鰯(イワシ)雲》と呼ばれる。鱗雲も時間と共にばらけてくると、鯖(サバ)の背中の模様に擬えて《さば雲》とも言う。さらに鱗模様がばらけてくるともう鱗雲ではなく、俗に言う綿雲となる。上に記した様に鱗雲は卷積雲で高い、夕焼けが近い西の空を見ると高空の鱗雲のなれの果ての白い雲と地表に近い山際に出来た黒い帯(棚)雲が見える。いつも地上で見ている2次元的に見える雲の分布が飛行機から見ると何層にもなっていることを認識することがある。夕焼けは下層から始まり卷積雲が赤く染まるころには青空全体が黄金色に染まって来る。そして辺りがたそがれる頃ともなると山際は真っ赤から黒いシルエットと移り行き街の灯がビルの屋上から灯り始める。こう言った雲の時間変化を見ていると、つい《女心と秋の空》の語を思い出す。女性の恋愛感情が変わりやすいことを指すらしいが、この語は本来 《男心と秋の空》であったらしい。封建時代男の浮気心は移りやすく、浮気心が解放されていない女から見ると《男心と秋の空》になる。女性がたくましくなった現代ではン女の移り気を示す言葉となったのであろう。《女心と秋の空》は最近の語で古い辞書には無いそうである。ところで秋の空は変わりやすいのだろうか、私には冒頭にも記したように安定した空模様に思える。考えてみると真夏の天気はいつも干々照りの印象に対し、初秋の天気は移りやす右思える。一方日単位で見てみると夏は晴れたり曇ったり夕立の犬猫降りが有ったりと忙しい。つまり《男・女心と夏の空》でも成り立つ。男でも女でもよく、夏でも秋でも良いとなるとことわざの意味がなくなる。実際《ことわざ》などと言うものは真逆のものがよくある。《色即是空 空即是色》 やはり俗眼では物事の本質は見えにくい。
2015.10.10
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練馬美術館では夏の船越保武彫刻展に続いて秋は《印象派、空と水辺の風景画家》と題する印象派の画家アルフレッド・シスレー展が開かれている。年寄りは無料と言うこともあり、ほぼ毎回出かけている。本ブログの写真は例によってパンフレットの小さな写真だけであるが私の個人的記録として記しておくことにする。アルフレッド・シスレーはモネとともに印象派を興した画家であるが、日本ではモネの睡蓮に隠れた感じの画家である。印象派画家の多くがパリ、セーヌ河域のイルドフランス地区、ジベルニ―などセーヌ中流域、オンフルールなどセーヌ河口域での戸外制作をしている。彼らが好んで描いた北フランスの空景色は地中海沿岸の南フランスの空景色と異なるのだろう。印象派の描く青空には濃淡はあるにしても常に綿雲が描かれている。日本では丁度今頃、秋の景色として綿雲が現れるが乾燥して温暖な北フランスの気候はそんなに快適な日が続くのだろうか。19世紀末は技術や産業が飛躍的に発展した時代で、印象派の絵を見て鮮やかな青が印象的であるが、それは化学顔料が出現しチューブ入りの絵の具が出現して野外製作が容易になったことが有るようだ。それ以前では画家が自分で油と天然顔料を混ぜて自作の絵の具で描いたため、印象派が原則とする移り変わる光を捉えた野外製作はできなかったらしい。また化学顔料の場合ベルリンブルーとかペルシャンブルーと言った様に化学組成を変えることによって微妙な色調の違いも出せるようになった。今回の展覧会のサブテーマとして《空と水辺の風景》と謳われているが、この時代に発達した科学技術が絵画にもう一つの影響を与えている。それは水辺の風景で、当時パリ近郊ではセーヌの流れは結構急で浅瀬が多く、大きな船は航行できなかった。大型船運航のためには流れを緩く水深を深くする必要が有った。そこで水運のために水路とロックを作り静かな流れと大型船の航行を可能にした。これは工業資材の運搬を可能にし、かつパリ市民には恰好のレクレーションの場を提供した。印象派の画家達が好んで描いた水辺の景色はこうして人工的に作られた水辺であった。この展覧会ではブースの一つがこのような絵画と近代技術の相関について解説展示がなされていた。さらに同時代の江戸から大正時代にかけて旧隅田川の流れが埼玉県の岩淵水門で荒川放水路に導かれ、近代都市東京が出現した様子などが説明されている。パリも東京も人工的セーヌ川と人工的荒川の開鑿で恒常的洪水の災害から逃れ近代都市になれたと説明されていた。そしてシスレーの絵にはセーヌ川の洪水の風景なども多く描かれていると言う。印象派の絵は発表された当時は不評だったこともあるのかアメリカで好まれ、日本にも多くが所蔵されている。とにかく日本人は印象派の絵が好きである、私も例外ではない。芸術性の素養がまったくなく、観賞・批評力を持ち合わせない私であるが、短いフランス旅行の間に,パリでは印象派の語源となった《日の出・印象》(マルモッタン美術館)や《睡蓮》のオランジュリー美術館、、ジベルニーに有る睡蓮に満ちたマネの家、マネやモネに大きな影響を与えたブーダンの生地でセーヌ川河口の街オンフルールに有るブーダン美術館を訪ねたことが有る。観光的な大規模美術館を別にして他にはあまり印象の残る美術館が無い所を見ると私も印象派しか見ていないのではないだろうか。国立や都立と言った強力なバックの無い区立美術館の限界で、展示品は日本国内で所蔵されているものに限られるので大作も少なく点数も多くは無い。しかし《印象派》と《近代技術》など新しい切り口の展示は工夫がされており充実した展覧会と言えるだろう。
2015.10.03
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今日所用が有って西武池袋線の桜台駅で降りた。エスカレータを避けて無人の階段を下りていると階段の隅っこの壁際に5センチほどの布を切りぬいて作ったアクセサリーのようなものが落ちていた。よくみると紙の様に薄くて立体感が無く薄暗いこともあり虫にはみえなかったが指を近づけてみると、なんとそれが羽ばたいたのである。急いで携帯を取り出して写したのが下左の写真である。 よく見ると蝶ではなく蛾の一種のようだ、これを何色と記そうかと思い萌黄色と言う色を思いついたが色辞典を見てもちょっと色調が違う。、さらに調べると《柳色》と言う色が有る。確かに柳の葉の裏はこんな色である。昔この色の布を織るためには縦糸に萌黄色の糸、横糸に白い糸を使ったそうだ。捕獲しようにも入れ物が無く、そのままにしてその場を去った。訪問先で小さな紙箱を貰い、まだそこにいることを願って一時間半ほどたっての帰りにその階段を上って行くと先ほどとまったく同じように階段にくっ付いていた。紙箱を使って捕獲に成功したが、確かめようとして少しだけ蓋を上げた瞬間隙間から飛んで行ってしまった。その後あたりを挙動不審者の如くきょろきょろしながら構内を探したが発見できなかった。緑色の蝶や蛾を見るのは80年近い人生で初めての経験である。後で調べてみると《アオシャク》と言う属の蛾が緑色をしていることが分かった。このアオシャクも古い個体は段々褐色に変色するみたいである。ここでもうまく見つけられなかったが探しあぐねた挙句、やっと見つかったものを基に作図したのが上右の絵である。私が見つけた実物は孵化してまだ間が無いものらしく、触覚もまだ生えてないし頭もあるかないか分からない程度のものであった。《アオシャク》と言う語は何から来ているのか見当がつかないが「アオ」は日本人の色彩感覚の欠如で緑=青「シャク」は「尺取り虫」のことらしい。アオシャクの幼虫はいわゆる《尺取り虫》だそうだ。また《カギバ》は「鍵羽」で羽の先が曲がっていてL字形の昔のカギに擬えたものらしい。とにかく緑色の蛾を見たのは初めてだったので大いに興奮した一日であった。
2015.10.02
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