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前述したようにイルミネーション見物である。会場はホテルの前の小さな尾根なので部屋から眺めていて点灯後すぐに入場した。この種のイベントは最近全国で展開されており、その規模も拡大し続けていいる。日本一長いと称している光のトンネルは確かに長く、入口から主会場まで延々といろんな色で照明されたトンネルである。まっ暗い中での光のトンネルは通ったことが有るが薄明かりの空を見ながらのイルミネーションも面白かった。点灯直後で見物人が少ない電飾トンネル。それにしてもこのおびただしい数の光素子はLEDの賜である。これをすべて電球でしたら大変な電力量であろう。ただし、いくら一個当たりの電気量が少なくとも数を増やせば結果は同じである。ところどころでイルミネーションショウをすりスポットが有る。LEDはRGB(red,green,blue)の三色を組み合わされれば無数の色を出せ、いくらでも小型化できるため電飾界には大革命が起きた訳である。日本人3氏がノーベル賞を受信して一躍脚光を浴びたブルーレーザーであるがこれが無ければブルーレイレコーダーが無かったことはこととは別に、かなり以前から赤と緑のレーザーは存在したがRGBの内ブルーだけが欠けておりこれの発明で無数の色が造り出された。ここは直江津の近く、この地の武将上杉謙信の本拠地春日山城も近くにあり、信玄にまつわる逸話を示す電飾が多かった。軍旗に龍を描いていたため《越後と龍》とも呼ばれたためか龍を描いた電飾模様が多く見受けられた。湖面に映る景色や動く龍なども確かに美しい光景ではあった。人々が小高い場所に集まりだすと池に設置された噴水ノズルから水が噴射されて薄い水の膜が出来た。噴水ショウが始まるかと思ったがそうではなく、この膜にレーザー映像が投影されだした。時にイルージョン映像だったり、物語のシーンだったり、ファンタジックな映像だったりで楽しいショウであった。映像中央左に見える明るい点がレーザー光源である。山腹に描かれた竜の絵は会場で見るよりもホテルの部屋の前廊下から眺めたほうが全体像が見えて美しかった。先程黄昏空の下で歩いた光のトンネルも暗い空の下高い位置から見ると色の変化を見せながら延々と曲がりくねった様子がよく見えて美しい。
2015.09.28
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今回の旅は北陸新幹線に初乗車することと相棒の持病みたいなイルミナネーション見物で、妙高高原に有る大きなリゾートホテルがその会場である。初日は雨模様であったが次の日美しい青空に恵まれた。部屋の間近はゴルフ場で窓の下にカート道が走っている。私には縁が無いが雄大な高原でのゴルフはプレイヤーにはたまらないだろう。眼下に広がる谷間の街の向こう側に妙高山の美しい山容が有るが、天気は良いのにそこだけ雲が懸り結局今回は一度も姿を見せてはくれなかった。妙高山の山裾に赤い屋根の建物が望見出来たのでカメラをズームアップすると赤倉観光ホテルであった《緑の丘の赤い屋根とんがり帽子の時計台、鐘が鳴りますキンコンカン、メエメエ子ヤギもないてます》、少年時代毎日聞いて居たラジオドラマ《鐘の鳴る丘》を彷彿させる景色である。実際のモデルは近くの安曇野高原に有るようだが、以前このホテルに投宿した時、眼下に雲海が広がって谷間を覆い幻想的な景色であった。その雲海の上に今回泊まったるホテルが浮かび上がっており一度宿泊したいと前から願っていたのが今回実現した訳である。彼岸の赤屋根はすべてに於いて今回の大規模大衆リゾートホテルとは比較にならないハイクラスホテルでで、写真で一番下の階に黒く見える大露天風呂から眺める雲海はまるで仏になった気分がしたものである。前回に記したが汽車の便が極端に悪く、今回のホテルへのアクセスには少ないシャトルバス便で遠く離れた新幹線上越妙高駅まで出なければならなかった。しかしその道中、刈り取り前の稲田がまさしく《コシヒカリ》のゴールデンフィールドでその中に浮かぶ郷の村は《美しい日本の風景》であった。稲田の中の道は別として県道クラスになると歩く人もほとんどないのに歩道は幅広くさらに田んぼとの間には穂を垂れる前の薄の地帯が続いている。ここは日本でも有数の豪雪地帯である、冬の道路脇にはこのような雪を積み上げておく場所が必要なのだろう。積雪量を示す赤白の棒もたくさん立っている。冬はスキー宿でもあるこのホテルに泊まる人達は全く違った景色を見ることだろう。
2015.09.27
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今年の3月に北陸新幹線が開通したが私はまだ乗ったことが無い。秋の連休を前に新しく開通した区間の一部、上越妙高駅まで行ってきた。長野を過ぎると大体飯山線に沿って飯山まで進む、次の上越妙高駅まではほとんどトンネルの中である。数ある新幹線トンネルの中でもこの山脈を貫通するトンネルの長さは上越新幹線の谷川岳を貫通するトンネルとともに長く、飯山と上越妙高の2駅間はほとんど地中走行である。旧JR線は妙高高原駅から直江津までが《えちごトキめき鉄道》の《妙高はねうまライン》と言うのだそうで、さらに妙高高原駅から長野駅までは《しなの鉄道》の《北しなの鉄道》である。全国どこでもそうであるが新幹線が開通すると在来線は皆第三セクターになる、その際地方公共団体が出資者になるため県毎にブツブツと途切れた別会社になる。別会社になっても首都圏の私鉄の様に相互乗り入れして貰えば利用者にとって不便は無い。しかしその多くの場合、まったく別のダイヤを組んでいるので旅行者にとって不便この上ない事態となっている。ともあれ飯山を出て長いトンネルを抜けると上越妙高に着く、ここは町中から外れたところに出来た駅で田んぼの中に沸いて出た駅と言ってよい。昔の路線図を見ると飯山線に「脇野田」と言う駅が有ったが、今はそれが亡くなっているのでその位置に出来たのであろう。ホームから改札階に下りてもそこはがらんとした大きなホールで僅かに吉永小百合さんのJRポスターが有るだけで広告ビラも皆無である。ホールの側面には遠くに街並みと美しい田園風景が広がっている。反対側の光景も似たり寄ったりで、田んぼの中に生えた駅であることがよく分かる。改札を出てコンコースに出てもそこには小さなコンビニ店が一軒と駅弁屋、酒屋、居酒屋、御土産屋,食堂、観光案内所、待合室が一緒になったスペースが一部屋あるだけである。全面木調仕上げで広告ビラもゴミもまったくない駅舎を始めて見た。実に美しくすきっとした空間である、全国の駅でこれが実行できたら世界中の話題になることだろう。とにかくけばけばしいものは何も目に入らない。コンコースに有る一番けばけばしいものと言えば第三セクター《えちごトキめき鉄道》の改札口くらいである。駐車場と畑の広がる板北口に出ると新幹線ホームの脇下に美しい第三セクター《トキめき鉄道・はねうまライン》の美しい車輛が停まっていた。駅の反対側に回ると中央に八角形のファサードが目に着く、こちらが正面らしい。その内部はドームになっていて木枠構造に模せられている。八角形のドームは東京駅のドームや木製のパンテオンと言った感じである。そしてメイン棟に沿ってこの地方独特の《がんぎ通り》をイメージした通路が左右に広がっている。その《がんぎ通り》とメイン棟の間にはまだ植えたばかりの竹やぶが有る。もう少し生育して茂り、そこに淡雪でも降れば一層風情が増すであろう。広場にはこの地の武将上杉謙信の騎馬像が建てられているが、新しすぎるのと予算の関係であろうか余り手の込んでいない彫像で感動は薄い。上越妙高駅は駅舎のインテリア・エクステリア、調度品に至るまで木調にこだわったみたいでホールのベンチにも木目の美しい材が使われている。今回の旅の帰途、東山魁夷展を見るため長野駅で途中下車した。長野駅は以前数回乗り降りしたことが有るが、北陸新幹線開通に合わせて大改造されていた。以前は屋外通路・バルコニーだった部分も今はすっかり建物の中に収まり商業施設になっていてすっかり印象が変わっていた。それにしても昔初めて訪れた長野駅は大伽藍を思わせる寺社建築であった。それにしても昔の寺社建築が鉄筋コンクリートの外観で今のビル建築が木調を主張しているのは皮肉である。そう言えば奈良駅もそうであったが今はどうなっているのだろうか。
2015.09.26
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(1) 憲法違反、公序良俗 国家の形態として絶対君主制・立憲君主制・共和国制がある。絶対君主制では文字通り《朕は国家である》、立憲君主制では君主と言えども憲法の制約を受ける。共和制では大統領は元首であり同時に国民の構成員でもある。 日本はイギリスなどとともに立憲君主国である。したがって政治家も役人もまた国民全員が憲法を守る義務が有る。そこでは憲法に違反する法律は意味をなさない。 私は小学3年生の時終戦を迎えた、当時、終戦=敗戦 とは知らなかったが、大人達は決して敗戦とは教えてくれなかった。そして5年生の時、朝の朝礼で校長先生が「新しい憲法が発布された」 「明治憲法が発布された時人々は何のことか分からず、「天皇陛下が《堅布の法被》を下賜されると言う噂が流れたが、そうではなく新しい憲法は国のあり方を定めたものである」と教えてくれた。そして1947年には文部省が 《あたらしい憲法のはなし》 と言う中学校の社会科副読本を発行して配布した。私が中学に上がったのは1949年であるが初版本に比べてやや紙質がよくなったこの副読本が配布されて中学生最初の社会科の授業が憲法であった。教科書がすべて有料であった時代にこの副読本だけは無償配布であった。もちろんよく理解できたはずもないが《主権在民・戦争放棄・基本的人権》という言葉を刷り込まれた。 暴風に対して雨戸や鎧戸を降ろして防衛しなければならないことは言うまでもない。国家でも個人宅でもそれは同じである。ただしどんなに腹が立ち悔しくともやはりそれは憲法の枠内でなければならないことは言うまでもない。憲法を無視することは国家を否定することに繋がる。今回の安保法案は強弁を吐く人もいるが憲法学者を動員するまでも無く、日本語を理解するする人から見れば憲法の条文に照らして明らかに違反である。つまり今の状態は自己の存立を否定する方向に進んでいることになる。誤解されては困るが前言した様に国の戸締りは絶対に必要である、ただ順序が狂っていることを強く指摘しておきたい。 つまり今回の出来事は法律以前の問題で阿部さんが 《公序良俗》 に反する行為をしてしまったと言うことだろう。私は左翼でも右翼でも無く意気地なしの典型的日和見主義者であるが、簡単な日本語は理解できると自負している。要するに私が中学一年で理解した様に何事も憲法の範囲で行動しなければ国が存在し得なくなるという心配をしているだけである。 (2) 立憲制民主主義の御葬式以前にもブログに記したことが有るが、いろんな国の国会議事堂を見て日本の国会議事堂のデサインは際だっている。神話で成立した日本の国の伝統も近代日本の目指した形も、はたまた戦後の新生日本の意気込みもそこには感じられない。あの角ばった石造りのデザインは死者への廟堂として最高の形とデザインであろう。建築家は《軍国主義》 《民主主義の廟堂》を意識してこれを建てたのではなかろうか。 山本太郎と言う日本で最もポピュラーな名字と名前を持つ俳優は国会劇場での質問はさすがに俳優らしく台本を手にした芝居のリハーサルそのものであり、私は大いに違和感を感じていた。しかしあの採決の場での演技は抜群であった。喪服を着け、手首には数珠、手には水が入ったコップ、亡き憲法を悼み一歩、一歩ゆっくり歩んで一礼をして焼香札を投じた。日本国憲法が旅立ったのはちょうど彼岸の時期である。憲法はもう実態のない礼拝の世界に行ってしまった。 この廟を憲法が戦争を禁止する前に犠牲になった人達への弔廟として祀ることは良いことだっと思う、そして新しい国会議事堂はオリンピック後の国立競技場に移し 明治記念館を改造してこれに充てる。隣に有る秩父宮ラグビー場も残して議員達のスクラムの練習場にすると提案すれば議員達もまたスクラムを組んで議案を成立させることだろう。
2015.09.24
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国会猿芝居 - 演目 ルールなしスクラムゲーム 演出 与党執行部・理事 佐藤正久 出演 与党安保特別委員 ついに安保関連法案が成立してしまった?24年振り、ついに日本がラグビーワールドカップで勝った、しかも強敵南アフリカに勝ってしまった。前者は無法下での出来事、後者はルールに則っての出来事である。 前者は数えきれないラフプレー反則の連続である。後者の日本vs南アフリカは34対32の内、日本は五郎丸が6ペナルティーゴールで18点を稼いでいる。一方南アフリカは2ペナルティーゴールで6点である、ということは日本はペナルティーゴールで12点勝ち越し、トライ数では3対4で負けているのに勝者になった。ある意味で相手の自滅で勝ったと言える。 変わった書き出しであるが私が見たテレビ画面にはほとんど同じ光景が写っていた。安保特別委員会での光景は鴻池委員長の不信任動議が採決されている時、委員長と阿部さんら関係閣僚の中谷・岸田両氏がドアを開けて待っている。そこで佐藤自民党筆頭理事が議長席で「賛成の方起立を願います‐---。起立少数と認めます、依って不信任動議は否決されました」と告げた。不思議である、あとの人の多くが棄権したら《可決》と言うことになるではないか。少なくとも「棄権の方の起立を願います」の言が無ければ採決したことにはならない。 それはそれとして、それから議場で無法ラグビーが始まった。委員長はゆっくりとした足取りで入場、続いて閣僚達が入場するまで待って委員長が着席した。間髪をいれず与党議員が議長席に猛ダッシュしてスクラムを組み議長を囲む、するとこれまた間髪をいれずに野党議員が殺到する。そこでボール(マイク、原稿?)の争奪戦が始まった。ラグビーなら密集の中でボールを離さなかったらノッ・トリリースザボールで反則、膝や肘をついた人がボールに触ってもハンドの反則、横から密集に飛び込んでも反則、密集の上に飛び乗ってもオーバーザトップの反則である。ラグビーの反則はほとんどこう言った密集の中で起こる。これらの反則は相手にペナルティーキックが与えられ成功すれば3点が相手に与えられる。議事堂でのラグビーはどちらに反則が多かったのだろうか。あのスクラム後方でデフェンスしていたアメリカンフットボール選手のフォワードの様な人は誰だろう。そしてあの髭の理事はさすがに強い!イラク戦争で派遣部隊長を務めたあの《ヒゲの隊長》はオーバーザトップした野党議員の顔面をにストレートパンチ一発で密集から弾き飛ばしてしまった。風貌に似合わぬこの強力パンチはさすが現場で培ったパワーであるがラグビーであれば即退場である。 それよりも議長が「これより委員会を再開いたします」と言わなければまだ会議は開かれていないので採決以前の問題である。そして前日行われた公聴会の報告をし、質疑応答がなされなければならない。冒頭から議長は何か言っているのだろうがまったく誰も聞くことはできない状況、当日の速記録も「聞き取り不能」と記されている由である。ここであのマイクの奪い合いの意味が分かった。速記録は後で録音を聞いて書き改めるらしい。混乱の中でも議長はマイクに向かって次から次えと吹き込んでいるのだろう。 この間の密集の中で「議長! ただちにに採決の動議を提出いたします」 「ただ今の動議に賛成の方の起立を求めます」 「起立多数」「当該法案に賛成の方の起立を求めます」 「賛成多数、よって本案は可決されました」「委員会はこれにて散会いたします」 ただちに閣僚及び委員長退席、与党委員拍手しながら退場、 野党議員何が起こったか理解できず怒号を発する。《起立を求めます》の場面ではあの髭の隊長が与党委員に手でサインを送って、立ったり座らせたりした。この限られた時間でシナリオを描きリハーサル無しでこれだけの猿芝居を演じられるのはさすがに国会議員の先生達。バッジはダテじゃない。名優の証しか? 立ったり座ったりするだけの演技なら私でもできそうだ。 (2015年 敬老の日に79歳老 記す)
2015.09.21
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相棒の耳が遠くなり食事の間テレビ音声が聞きずらくなったと言う。そこでテレビの音声端子から撮った信号をBluetoothの電波で飛ばす発信機とそれを受信する携帯スピーカーからなる機器を通信販売で安く購入した。そのシステムはBluetooth発信機(黒)とそれを受ける携帯用のスピーカー(白)からなり、信号はスピーカーだけでな くBluetoothイヤホンでも受信できる。また受信スピーカーにはパソコンやタブレット、携帯電話からのBluetooth電波も受けられるので、手持ちの接続可能な各種機器をペアリングする設定に明け暮れ た。いろんな機器の接続を苦労しても使うのはその時だけで後は手順を忘れて殆ど利用しないことは分かっている。しかしこれも老人のボケ防止と決めて肩を凝らしながら頑張った。このスピーカーは手のひらに乗り持ち歩けるので以外と便利である。紐を付けてぶら下げればトイレで野球中継を聞くことが出来て便利である。環境音を絞るりアナウンサーの声を強調することも出来て分かりやすい。 2週間前に機種変更したスマートフォンとガラパゴスケータイの合いの子であるガラホ(変な呼称で私は嫌いだが)にパソコンから転送した音楽をBluetoothイヤホンで受けられる設定をし終えた。このAUのガラホはAndroid用のイヤホン差しても応答せずコンバーターを介して通のイヤホンを差しても無音であった。AUに問い合わせるとこのガラホのmicroUSBはイヤホン非対応との答え、Bluetoothでこの問題は解決した。 若い人には笑われるかもしれないが、IT知識のない私がトライアンドエラーで試みるのである、時間はかかるがボケ防止のため頑張っている。それにしても最近の取扱説明書はゴマ粒の様な字で大きな拡大鏡を駆使しての奮闘である。分からない用語はwikipediaに尋ね、Yahoo知恵袋に相談しながらの設定である。肩は凝るが認知症の発症は何秒か何分か遅らせることがえ来たのではなかろうか。下の写真はBluetoothイヤホンである、スポーツ仕様とてコードを固定するクリップやコードを束ねるピンもついて細かい配慮がされており、イヤホン部にはゴムの固定具がついており簡単に装着出来て外れない。音質にうるさい人にとってはどうか知らないが廉価品ながらなかなかの優れものである。以上典型的《きまぐれ日記》であるが私としてはかなり苦労したので記録に留めておきたかった次第。
2015.09.11
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前回のブログで室内から眺めた外の雨景色を記したが、自転車漕ぎ機の上で姿勢を変えると高架を走る電車がバルコニーの手すりの上に行ったり下に行ったりする。 視線を下げて草花と木の枝の間に視線を絞るとその隙間をいろんな電車が通り過ぎてゆく。雨模様の最後の日(3/10)中部地方を台風が通過している中、東京の空は時々陽が射し、またすぐ雨に戻ると言う繰り返しであった。夕刻のそんな時、東天に素晴らしい虹が現れた。西の空の一角の雲が切れ、そこから陽が漏れ東天は薄い雨空である。この雨粒に日光が反射して美しいアーチを描いている。それにしてもこんなに大きく完全な半円型の虹はここのところ久しく見たことが無い。私のカメラでは全体を視野に入れることが出来ないのでとりあえず2枚の写真に収めた。パノラマ撮影をすればよいと後で気がついたが文字通り後の祭りである。ぐずぐずしていると直ぐに輝き失うと思い慌ててしまった。画像処理でパノラマ化できるが最近は面倒くさくなってしまった。地表近くがこんなに輝く虹も久しぶりである。今回の虹が特別大きかったのはその位置が我が家に近かったためであろう。よく見ると二重の虹がかかっている。当然のことながら色の順序は1次虹と2次虹では逆になる、2次虹は雨滴で2回反射するために、ちょうど鏡を見た時のように逆転してしまう。よく小説などで鏡の中の自分を見て自分がそこに居るような記述が有るが、そこに居るのは全く別人である。鏡中の人は右に心臓を持ち顔の反対側に黒子を持つ人である。私の自転車漕ぎ機は窓に向かった置かれている、夜は窓のカーテンを開けておくと室内のテレビが窓ガラスに映るので漕ぎながら野球中継を見ることが多い。そこでは大谷投手は左投手に、清宮君は右バッターになりもう一つの野球を楽しむことが出来る。ぎこちないと思っていた左投手のフォームが右の画像で見ると美しいフォームだったりすることがよくある。話題が脱線してしまったが美しい虹を見ていろいろなことを考えることが出来た。雨の日の一つの楽しみである。
2015.09.10
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今日は約三週間ぶりに晴天である。長雨も昨日の栃木・茨城の大雨洪水で終わった。調べてみる先月23日(土)から18日間で晴れたのは2日ばかりである。私はこの間新しく入手した電子機器の設定・調整に明け暮れた。その間外出なると夕方一寸傘を持って散歩に出る位で、心に残る事象もない。運動不足を解消するため持ち腐れになっていた室内自転車漕ぎ機こまたがって雨の窓外景色を眺めていた。雨天の景色では遠方は霞み8階のルーフバルコニーに設けた花壇の光景が目前に迫り、初雪草、インパチェンス、、ゼラニウムの色が鮮やかに目に明飛び込んでくる。普段同じ姿勢で一つの光景を見つめることも少ないが、花壇の上を色々な電車が行き過ぎる。ここは西武池袋線、地下鉄有楽町線、地下鉄副都心線、東横線、横浜市営地下鉄線が一本に繋がって相互乗り入れをしているので色々な電車が入れ替わり立ち替わり走行している。中でも多いのは当然ながら黄色の西武線の車輛である。次いで多いのがこれも西武線の新しい車両でアルミ製のボディーにグレイに青と緑のアクセント。西武線に限らず最近は軽量で運航コストが安く、塗装の必要も無いアルミ車が多くなった。私鉄と言えばそれ特徴的なデザインと色調の車輛で見るのが楽しかったが最近は単調でつまらなくなってしまった。これもアルミ車両に青筋一本の地下鉄有楽町線の車輛。黄色ボディーに赤線は乗降口が少なく、たまにしか見られない西武線の旧型特急おう。白地に赤は東横線、東横線はこのほかにもいろんな車輛がやって来る。ベージュに茶色ラインは地下鉄副都心線、池袋・渋谷間を走るこの線の駅の一つ西早稲田駅は大学構内に直接通じている珍しい駅である。最近少なくなったが車輛全体をラッピングした車輛も良く走る、つい最近まで西武線に銀河特急などアニメを全面に描いた車輛が走っていたが最近見かけなくなったのはさみしい気がする。今回自転車をこいでいる間に見かけた車輛を紹介したがこのほかにもまだ数種類の車輛が走っていて室内自転車漕ぎの目を楽しませてくれる。
2015.09.10
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松本清張の名作「ゼロの焦点」を思わせるタイトルであるが、そんな大そうなものではない。他人が見ると輝かしい人生に見えてもその実無に等しい人生。『色即是空・空即是色』プラスでもマイナスでも無いゼロ、物を数えるために有った”1”から始まる自然数ではゼロは意味を持たない、しかし数学的には「私はゼロ個のダイヤを持っています」は立派に意味をなす。インドで発見されたと言う『ゼロ』は数学の成立には必須である。あるブログに『空即是ゼロ』と記されている、般若心経とゼロの概念がともに古代インドで生まれたのは両者に関連が有るのかも知れない。 前置きは大きく出たが、今日の主題は英語の単数・複数の問題である。NHKのBS放送で毎日MLBの放送をしており、日本人大リーガー達の活躍が報道され、私の好きなTVプログラムの一つである。その画像の多くは現地テレビ局制作で、そのテロップに 0 outs, 1 out, 2 outs とあった。最初私は 0 outs は多分現地スタッフの間違いだろうと思っていた。しかし冒頭のゼロに関するうんちくを考えると0は単数でも複数でもないのではなかろうかと思うようになった。すなわち0 outsは"no out"とすべきではないだろうかと考えた。物の数え方として、(無)、1,2,3--とすべきである、しかし数学的には 0x(outs)=no out なのでこれで良いようにも思える。 そこでWebに『ゼロは単数か複数か』で検索した。すると英語ではゼロは明確に複数であるとあった。さらにフランス語、トルコ語では単数扱い、英語、スペイン語、イタリア顎、ポルトガル語、ドイツ語は複数扱いと言う。ラテン語系、ゲルマン語系の分類でもなくまったく謎のままである。 ついでに名詞の単数・複数形について調べると、”s” を付けるほかに、単複同型も多い。shoes, socksは片方の場合shoe, sockが正しいと思われる。昔小さな子供が”Where is my sock" と言うのを聞いたことが有る。大人なら"Where is one of my socks ?"と言うのかもしれない。高校時代socks, glasses(眼鏡)は複数形しかないと教わった。わたしはsockは有ると信じているがglassとglassesでは別の意味になるので?である。 単複同型はもっと難しく、辞書には名詞がcountableかuncountableかで前者には "s" をつけると教わったが、carp, salmon, sardine, trout等多くの魚が単複同型なのは興味深い。bison, deer,sheepは同形なのにgoatの複数はgoats、羊と山羊で何が違うのだろう。あるブログには羊や魚はいつも群れていて数えられないので《羊(魚)の群れ》=《羊(魚)》なのだと言う強引な説明も有ったがこれは眉唾ものである。 ブログタイトルは《竜頭蛇尾》で、本意は文字通りゼロについて(焦点を合わせて)何かをものしたかっただけでる。言葉と言うのはまことに不思議なものである。多分外国語でもこう言った言語習慣をもじって慣用句や言葉遊びが有るのだろう、凡夫にはとても思いつかないことである。 私の語学は貧弱そのもので英語でさえも高校英語の域を超えない。それでもなおこんなことが頭をよぎり80歳に限りなく近い脳細胞を煩わし時を殺(killing time)している。
2015.09.01
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