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生まれてこのかた見た橋の数、ビルディングの数、会った人の数、一緒に寝た女性の数を克明に数え上げる。そして、世界にある全てを済ませるまでにあと何年かかるのかと思い嘆息する。言っておくがタコ社長のことではない。アメリカのトーマス・ウルフという作家が夜中にベットで飛び起きてよくやっていたことらしい。作家になるためにはこんな努力が必要なのだろうか。果てしなく、とてつもない想像力がないと駄目なのだろう。因みに、私の場合はウルフの数えた最後の項目に関してはあっという間に終わる。「小説を書くということは、日本橋の真ん中で、素っ裸で仰向けに寝るようなものなんだ。自分をいい子にみせようなんて気持ちはすてなくちゃ。」こうのたまったのは、あの太宰治。今だったら、六本木ヒルズの真ん前でなんてところだろうか。私の日本帰国が迫ってきているが、まだ見たこともないヒルズに行った帰りに泥酔してこんなことでもしようものならオーストラリア帰国もままならなくなる。私の場合は、小説を書くとかいうことがすっぽりと抜けて、唯素っ裸になるだけなのでなんの恩恵も得られないし与えることもできないだろう。日米作家比較、こうみてみるとやはり作家と言われる人達は、尋常な精神の持ち主達とはいえないようだ。今度、夜中に寝られなくなったら羊なんか数えていないで、気取って橋の数でも数えてみようか。
2008年04月29日
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私は、ホームステイをしたことがない。シェアーをしたこともない。海外留学生の生活形態としてホームステイとシェアーはもっとも人気が高い。まだ日本でサラリーマンをしていたとき、赤坂のクラブで知り合ったサリーというアメリカ人がいた。彼女が見知らぬ台湾人の男性と同じアパートをシェアーしていると聞いたとき、私は少なからずいろいろなことを考えてしまった。男と女が日本の狭苦しいアパートをシェアーしているのだ。だいたい、そういう形態があることさえ知らなかった頃のことだ。あれは、ロサンゼルスオリンピックの年だったから1984年のことだった。因みにこのサリーには、きつい言葉を頂戴して終わりとなっている。「済みません、どうしてもやっていけそうにないので日本に帰ります。」最近1年の予定で英語を中心に学ぶために来た留学生が、到着2日目に言い出した。いろいろと話し説得したが、10日目に学校の授業が始まる前に帰って行った。入ったホームステイが、仕事としてやっているような所で確かに良くなかった。それで、他の所を探すことを提案しても、英語がほとんどできないこともあって全てに自信をなくしてただ帰りたいといい続けていた。選抜され、国費で留学なんていう時代とまったく違って今は、お金さえ出せば誰でも留学できる時代だ。ある意味ではいい時代になったのだろうが、ちょっと岐阜の高山に行ってくる、くらいの気持ちで来る学生も多い。「タコさん、私の場合は来た次の日に勝手に帰ってしまった学生がいましたよ。」西オーストラリアの教育機関に勤めていたピーターさんが言う。「まだ18歳の女子学生だったけど、未だにどうやってチケットを手配して帰ったのかわからない。」そういえば、私が始めて海外に行ったのはアメリカで、日本から行ったアメリカ人の家族といつも一緒だったけど、今では俄かには信じ難いが、ホームシックで部屋に閉じこもってしまったことがあった。21歳だった。一体、周りで何が起こっているのかわからなく、ただ日本から持ち込んだドーナツ版のレコードで「シバの女王」を何度も聴いて滅入っていた。これらホームステイでうまくいかなく帰ってしまった学生の年と、そんなに変わらない年だった。「何書いているの?」アメリカに一緒に行った家族には二人の小学生の男の子がいた。下の子とシアトルの親戚の家の同じ部屋で寝泊りしているとき、ジョエルといったその子が聞いてきた。「今、フランスで勉強している友達に手紙を書いているんだよ。」当時、付き合っていたフランス語専攻のYとは結局3ヶ月のアメリカ滞在中に2回しか手紙のやり取りがなかった。遠距離交際が、地球を3回り半くらいしているような感じで辛い思いでやっていた。どうせ、返事は来ないだろうと思いながら、薄暗い電気の下で手紙を書いていた。メールなどは夢の時代だった。考えてみなくても、私の場合ホームシックは情の絡んだそれだったようだ。英語もよく分からないこともあっただろう。そのくせ、金髪女性に当時長かった後ろ髪を目一杯引かれたりしていて懲りない一面は見せていたようだが。私の場合は、長い目で見るとアメリカでの体験が、将来の筋金入りの金髪好きに寄与してくれたこともあり、大いに役に立ってくれたと言えなくもないようだ。
2008年04月26日
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「タコさん、うちの嫁さん、今たまたま日本なんだけど、ちょっと困ってるんだ。」友人のSさんが言う。なんでも、日本語のできないオーストラリア人と英語のできない日本人の通訳を頼まれて日本で困っているらしい。奥さんはたまたま日本に帰国中だという。10年もオーストラリアにいたのだから、当然英語がペラペラなのだろうという前提で頼まれているらしい。でも、実際はそれほど英語ができないために大変なめにあっているらしい。法律が絡む話しなので余計問題だという。これは、本当によくある誤解だ。何年その国にいても、その国の言葉を自由に操れるとは限らない。そういう私もオーストラリア歴23年。自慢じゃないが、未だにオランダ系の連れ合いとの喧嘩は私の語学力不足からくるのが多い。新しい単語は、みごとなくらい右から左に抜けていく。こちらの学校に通って英語を勉強したこともない。ちょっと古い話しだが、アメリカのケネディー大統領を暗殺したとされているオズワルドだが、その前にソ連に住んでいて1年間でドフトエフスキーを原語で読んで理解できるまでになったそうだ。おまけにオズワルドはロシア人の嫁さんまでもらってアメリカに帰っている。語学ができるといろいろと国際関係の中でいい事もあるのだろう。彼の語学力は、彼のものすごい集中力と、のめり込む性格が助けになったのだろう。ところが、彼の場合は物事にのめり込み過ぎてとんでもない結末となってしまった。何事も、ほどほどがいいのかもしれない。せっかくの語学の能力もあんな形で終わってしまっては身も蓋もない。というわけでタコ社長、これからも連れ合いに英語の不備を突かれながらもほどほどに英語を学びながらやっていくのがいいのかもしれない。最も、オズワルドの例を出して自分の語学力を容認しようとこじつけているようじゃ望みはないだろう。
2008年04月22日
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ちょっと目が回るような日々だったので、週末は秋刀魚にした。齢を重ねるごとに日本食が似合ってくる。オランダ系の連れ合いは、ナイフとフォークで綺麗に小骨まで片付ける。私は、箸で対抗するが昔から魚をぐちゃぐちゃにする癖があって抜けない。こんなところにも日蘭、否日豪の文化が調和している。ところで、オランダ料理に豚の頭煮があると昨日知った。大きな鍋がいると思うが、豚の頭を丸ごと長時間ゆっくりと煮込むらしい。もう少し連れ合いに馴染んでからこの料理に臨席させていただけたらと地味に思っている。
2008年04月19日
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週末はドライブして、野菜の多い昼食。スモークサーモンも詰まっている。
2008年04月14日
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「我々は、既に敵に出会っている。それは我々自身だ。」先日であった言葉だが、人生に一度でもいいからこういうしゃれた言葉を残したいものだ。いろいろなドラマを経て、言葉は生まれるのだろうが私の場合は駄洒落しか生まれない。まだまだ修行が足りないのだろう。この言葉に関していうならば、周りに敵が多すぎて自分にまで目が届かないとか思っているわけではないが、なかなか急所を突いてくる。急所といえば、いままで突かれたことはあまりないが、5歳の時隣のイチジクの木に抱きつくようにして登り、下りるときにそこをえらい怪我をしたことがある。抱きつくものを間違えたなんて思っている暇もなく、大慌てした母が近くの医者に私を連れ込んだ。幸い大事には至らずその後の人生を顧みると、ある程度の貢献はできているように思えなくもない。こんなことを言っているようじゃ、やはり私の人生しゃれた言葉は生まれそうにない。「しつげんは続くよどこまでも!」
2008年04月12日
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京都の取引先の会社の住所に何度も何度も見入ってしまった。「京都府京都市上京区油小路通下立売上る近衛町、、、」この後に番地が入る。これは間違いなのだろうか。間違いでないとすると、私はこの会社を探し出す自信がない。どうも京都は難解だ。顰蹙をかうことを恐れずに言わせていただくと、私は京都の女性が苦手だ。厳密にいうと、今まで出会ってきた京都の女性が、ということだろうが。出会った京都の女性全員から「ぶぶ漬け」を出されたとかいう問題ではない。一千年に及ぶ日本の都の重みを感じてしまうからだろうか。基本的には、女性に苦手はない、というスタンスで生きてはきているのだが、歴史の重み、文化度の深さに東村山から出て来ている私は太刀打ちできないのだろうか。とはいえ、今から狂い咲いてしまうような京都の女性と出会ったりでもしたら、国際平和が維持できずにえらいことになるので、私の歴史認識はこれまでを踏襲させていただくことがいいようには思うのだが。
2008年04月10日
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♪ 私のお墓の前で 泣かないでください ♪早朝ウォーキングをしながら聴いていると、思わず立ち止まってしまいそうな曲だ。あまり考え込んでしまうような曲は、ウォーキングにはちょっと似合わない。先日、私と同じ年でこちらの女性と結婚しているHさんが遊びに来た。奥さんは、アデレード出身で、このイースターの休みに二人で遊びにいったとのこと。奥さんのお母さんはすでに5年前に他界していて、85歳になるお父さんが一人で生活しているとのこと。「このお父さんね、すごく元気で未だに車運転しているんだよ。」「すごいね、俺の親父は82歳で止めたよ。」私の父は元パトカーを運転していて、妙に自信があったようだが私達家族が反対してやっと運転を諦めた。「このお父さんね、毎日運転して行く所があるんだ。死んだ奥さんのお墓だよ。この5年間、毎日お墓参りしているんだって。」私は、一瞬いろいろなことが頭を巡って言葉が出なかった。
2008年04月08日
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メルボルンの朝日新聞「The Age」の今日の新聞記事からだが、今年は黒の下着が流行とかの話ではないようだ。左から、サイズ10,12,14の方々が行儀よく写っているが、女性自身は痩せ型を良しとする人が多いようだが、男性から見た場合は凹凸のはっきりと認識のできる14がいいらしい、ということを解説している。写真の主が大いに違ったら別な答えになるのでは、などといった下種の勘繰りはこの際置いておくとして、なんだか頷いてしまうような説得力もある。
2008年04月06日
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この人と一緒なら、いつかは「小金持ちヒイジイサン」とかにはなれそうな気がする。オランダ系の連れ合いのことだ。「テレビ買うことにしたわ。」連れ合いが言い出した。何せ、私達のTVは1985年もの。しかも、私が1989年頃に中古で買ったものだ。古いので、日本のビデオが見られない。日本のビデオをみるときは、私の小さなTVで見ている。私が捨てた物を見つけて回収するのが得意な人だ。中学生の頃、拾ってきたエロ写真本をゴミ箱に捨てたら当時警察官の父に見つかりえらいめにあったことがある。父も絶対に物を捨てない人だ。因みに父は、その本のページを丹念に確認しながら風呂を沸かすときに燃やしていたようだ。「LCDのTVだったらソニーがいいんじゃないの?」プラズマかLCDの選択が今いろいろ言われているが、今後20年30年は絶対に使うだろうから今最も新しいものがいいと私が提案した。「フィリップスのLCDに決めたわ。」品質と値段できめたとのこと。オーストラリア生まれの連れ合いだが、オランダ製品には愛着があるようだ。どうせ私はあまり見ないTVだから、今回の買い物は連れ合い主導で決めることにした。果たして、1985年もののTVの処理はどう考えているのだろうか。
2008年04月03日
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