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恒例の年に1回のゴルフ旅行だ。恒例といっても、私の場合は2度目。メルボルンのあるビクトリア州とシドニーのあるニューサスウエルズ州の州境にあるCorowaという田舎町に行く。ここのゴルフ場内の宿泊施設に3泊。嫌でも2回はしないとならない。昨年は、念願のゴルフクラブも新調して臨んだが、練習もせずに行って139、132も叩いてしまった。じゃ、一年間練習してと大見得を切って今年も参加を約束してしまった。ところが、大方の予想に従ってまったく練習もしないうちにこの日を迎えた。ワイナリーも近いし、ジャズフェスティバルもあるので、ゴルフをまったくしないことも可能だが、ゴルフ旅行でゴルフをしないのは、温泉旅行で風呂場を覗いただけで帰ってくるようなものでなんとも絵にならない。ということで、少なくとも1回はやろうかと思っている。本日夕方から3時間ドライブで出かけ、月曜日に帰って来る。火曜日は、メルボルンカップで競馬の祭典で祝日ときているので自主的大型連休となる。ところで、オランダ系の連れ合いはまったくゴルフをしないので、なんだかのんびりできそうで楽しそうだ。それでは、のちほど結果報告をいたします。行ってまいります。あ~。
2008年10月31日
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やっとほぼPCがクラッシュから復活した。メールが山ほどかたまって入ってきた。その内かなりはジャンクメールだったが。「僕も、この業界は45歳で引退を考えており、その後、弁護士を目指しています。かっこいい弁護士ではなく、無料の弁護士を生涯のライフワークにしていきたいと思っています。ちなみにプライベートでは、10月25日に第4子の男の子を授かりました。女、女、男、男とトランプのような順番で生まれ続けています(笑)あと1名生んで、打ち止めしようと思います。」日本で活躍する同業者の方からのメールだった。30歳後半の方だと思う。このメールで3つのことに驚いた。1 45歳で転身するということ。(私はこの業界の最長老56歳。)2 次の職業を弁護士としていること。(私は、弁護士のお世話になったことはあるが。)3 そして、子供を5人まで頑張るということ。カトリックの方か?(私は、子なし。)私は、使い古しのサンドバッグ状態でダウン、カウント8くらいでふらついている。なんという、共産党のような計画経済的人生か。そして、おそらくちゃんとそうされていくのだろう。それにしても、いまどき子供5人というのはすごいものがある。こうなったら私も65歳で転身を図ることを考えないとならない。それから、漫才師を目指そう。そして、犬を飼って、私の代わりに犬に励んでもらおう。最近になく刺激をいただいたメールだった。
2008年10月29日
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またやってしもうた。ちょうど、DVDで.山本一力さんの「あかね空」を見たところで関西弁になってしまった。PCが作動しなくなってWindowsが開かなくなってしまった。努力奮闘の甲斐もなく言うことをきかない。何時間もああでもないこうでもないとやっていて、疲れ果ててしまった。自動的にバックアップを取っていたと思っていたら、最後のメールのバックアップは7月26日!トホホだ。月曜日にならないと診てもれえない。そこで、納屋から8年くらい前に使っていたLibrettoを出してきてどうやらサイトのアクセスができるようになった。でもメールはできない。しかし、ラップトップ、昔のやつも十分に使える。恐るべしだ。ただ、オランダ系の連れ合いには大きな声ではいえない。だったらどうして新しいのを買ったのか、と問い詰められそうだ。実は、今使っているのはLibrettoからは2台目なのだ。どこまで修復できるのか、またはできないのか月曜が心配だ。私は、本当にPCをただ使っているだけで、その実態をつかんでいない。勘弁してくれやすだ。
2008年10月25日
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在郷軍人会は、その資金源にレストランやクラブ(ギャンブルができる)などを運営している。こんな所に車なんか止めたら吹き飛ばされそうだ。
2008年10月24日
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「私が先に死んだら、あなたはきっとすぐ誰かと一緒になるわね。」ドキッとしたわけではないが、オランダ系の連れ合いが私にそういう。私は、どうしてこう信用がないのだろうか。悩んでしまいそうだ。「すぐ」というところが、どうもいけない。それに反し、逆は絶対にないと信じられる私は本当に幸せものだと思う。人生、他に心配しないといけないことが山ほどある。「信ずる者は救われる。」これはやはり、真実ではなかったとしても真理ではあると思う。明日は、花でも買って帰ろうか。
2008年10月23日
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来年当たりから更に景気は落ち込み、食糧難になるからできるだけ自給自足を目指すようにと言っている人がいる。その人は、ほとんど放っておいても大丈夫な「キクイモ」というイモを作り始めることを提案していた。そこで、こちらで探してみた。英語の名前はJerusalem artichokeというらしいが、このイモ自体はエルサレムもアーティチョークも関係なく、全く名は体を表していない。味は、粘り気のないヤマイモに近いというが食べたことはない。ということで、やっと庭の片隅に小さな野菜畑の場所を確保、早速土を入れ替えたりした。この「キクイモ」、回りの人は誰も知らない。作ったり、食べたことのある方は教えていただきたい。ものの本によると、整腸の働きがあり、オナラが大いに出るということはわかった。この国、ゲップや洟すすり、音を立てて食べることなどはご法度だが、割とオナラには寛容な国。ということで、「キクイモ」に遠慮なく挑戦してみたいと思っている。
2008年10月22日
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顔はどうしてこう不公平に造られているのだろうか。この際、馬とかカマキリとかは置いておくとして、人間の顔の考察をしてみたい。私が不公平といっているのはこういうことだ。怒っているのに笑っているように見える顔。笑っているのに怒っているように見える顔があるということ。1984年9月にサラリーマンを辞め、10月には大変な手術の為に12日ほど入院、その月の終わりから9ヶ月の失業保険をもらいに毎月立川まで行っていた。オーストラリア移住に役立つであろうと思われた特殊技術、「指圧」の短期コースを立川のステーションビルの中の朝日カルチャーセンターで受講し始めた。「あ~、あれが伝説の浪越徳治郎さんか。」一度見たら絶対に忘れられない恵比寿顔。なんと徳な顔なんだろうと思った。あれでは怒っていてもわからない。オランダ系の連れ合いは、少々笑ったくらいでは評価してくれない。笑っているのに笑顔がないといわれた日にゃ、そのまま恐い顔になりそれで笑顔がないと更に嵩にかかってくる。私も、少々指圧をするが、そのくらいでは浪越さんのようにはなれない。生きていれば、秋田生まれの母と同じ年の82歳になっていたであろう憧れのマリリン・モンローをシャネルの5番だけの姿で指圧したという浪越さん。私もそういうことでもあれば、ちと顔が崩れていたかもしれないが。民主党のオバマさんのクール度はすごいものがある。そこへいくと、共和党のマケインさんは、座っているだけでブルドーザーのエンジン全開のような熱さが伝わり過ぎる。シニアの相撲大会にでも出したいほどだ。ここで、また不公平が出てくる。連れ合いを出すまでもなく、白人は怒ると真っ赤になるのが良くわかる。ところが、黒人はよくわからない。私なんかもいつも日焼けしているので、熱があって赤くなっても連れ合いからは「大丈夫」と日本語で言われてかまってもらえない。特に世界頂点に君臨するアメリカの大統領だ。感情をうまくコントロールできない人は選ばれない。選ばれても、クリントンさんのように、「私は絶対に不倫はしていない。」といいながら真っ赤になっていれば、これは怪しいと思うのが世の常でボロが出る。赤くなる点に関していうと、私はどちらかというとポーカーフェイスを保てる筈ではあるが、連れ添い18年目を迎える連れ合いには見通されてしまう。連れ合いには、どう転んでも勝ち目はない。この分野を究めるために、これから黒人で恵比寿顔の人を探してみようなんて思っているわけではないが、私の場合はもっと日焼けして、やり過ぎるくらいの笑顔でやっていくのがいいようだ。
2008年10月21日
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オランダ系の連れ合いは長女だ。下に妹が2人、そして弟が1人いる。すぐ下の妹には、22歳、20歳、そして17歳の3人の娘がいる。昨日はその一番下の娘アビーの誕生日でお祝いに行ってきた。どんなに物忘れが激しくなっても、家族の誕生日は忘れられない。「この間ね、それぞれのボーイフレンドが皆泊まっていったのよ。最近よくあるけど。」妹がいう。なんと、親公認で3人の娘がボーイフレンドと床を共にしているらしい。外で隠れて変なことをするよりいいということだろう。学校の性教育は13歳からオーラルセックスを教える国だ。大らかといえば大らか。陰にこもらずに、開けっぴろげな感じがする。私たちには子供がいないので、せいぜい野鳩なんかが外でさかっているのを見ていて心配する程度で済んでいて、私にとっては一応平穏な日々となっている。
2008年10月20日
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いよいよ始まったのかと一瞬血の気が引いた。毎日アクセスしているPCのパスワードが違っていて、何回やってもオープンしない。焦った。確かに、睡眠不足で、いつもより余計にボーっとしていたことはある。全く、頭が開店休業状態。しかし、パスワードなどは、別に考えなくても条件反射的に打てるもの。しばらく奮闘してやっと開いた。もしかしたら、半年後にはこのサイトのことを忘却していて、自分でアクセスしておいて、変なことを書いているオヤジがいるもんだ、なんて血迷っているかもしれない。ボケない人1 本、新聞を読む人2 物忘れを気にしない人3 書く人4 語る人5 人の世話をする人6 感動を忘れない人7 いくつになっても張りと甲斐を求める人とある。物忘れを気にしない人、とあるがパスワードを忘れるなんて、毎日の通勤の道を忘れるようなもので気になってしまう。RNAが急激に減少しているようだ。脳の機能を保持するためには、好奇心、喜び、心地よさ、性的興奮などの力が大きく作用するという。然もありなんと頷ける。ここでは、ひとつひとつの細かい分析は避けることにするが、いろいろと心してやっていかないとならない。何はさておき、笑顔と感動、これが一番のいい薬であるような気がする。
2008年10月19日
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和式、タイ式、西アジア式の折衷晩御飯。オーストラリアならでのことだろうか。
2008年10月16日
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ロードアイランドはアメリカで一番小さな州だ。ここに3週間ほど滞在した。1974年の6月、大学3年の夏休みを勝手に一ヶ月早く開始して、日本に住んでいたアメリカ人のピーターソンさんという家族と共に旅行をしていた。私にとっては始めての海外だった。滞在していた家の地下室の一部屋に寝泊りして、そこからNYやワシントンに出かけていた。正直のところ自分で計画した旅行ではなかったので、何が起こっているのか起こるのかわからないフラストレーションがあった。ピータンソンご一家はクリスチャンの家族で本当によくしてくれたが、なんだか良くされると逆にそれだけ一人ぼっちのような気にもなってしまった。与えられた地下室の部屋には、旧型の蓄音機があった。日本から、「シバの女王」と、ロバータ・フラックの「やさしく歌って」の2枚を何度も何度も聴いていた。部屋から出ない私を皆が心配していたようだった。直前に22歳になっていたが、今では信じがたいほどナイーブなところがあったようだ。「シバの女王」は付き合っていた好江にもらったものだった。ピーターソンさんの奥さんは、彼女のことをどういうわけかサザエさんと思い違いしてそう呼んでいて、彼女の話題が出るたびに寂しさがかき消されていた。度の最初の半分の反動だろうか、旅行が後半に入ってワシントン州のシアトルに移ってからは、急に女性も含め友達が増えて、今度は別な意味でピーターソンさんを心配させることが多くなってしまった。調子に乗ると、すぐに狂い咲いてしまう性格は今もあまり変わっていないようだが、そのときは初めての海外ということもあって、糸が切れた凧のようになってしまったようだ。ところで今、ほぼ一日おきに40分ほど腰湯をしている。i pod のシャッフルで気が散らない音楽を聴いたりして本を読んでいるのだが、その音楽の中にこの懐かしい「シバの女王」が入っていてる。しかし、今はこの曲を聴いても全く感傷的になることはない。なんせ、素っ裸で、汗をそれこそポタポタといわせながら流しながら聴いているので、無防備に聴き流すことができている。
2008年10月14日
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「象の背中」というDVDを見た。こちらの中国系のDVDショップで新しい日本のDVDが15ドルで買える。このところの急激な円高で、円換算すると1000円だ。(明日はどうなるか分からないが。)私は結構、この店で買っているが、中国語の字幕はあるが英語のが少なく、どうしても一人で見ることになる。オランダ系の連れ合いの日本語力はそこまではない。今回の映画は、それでも連れ合いも最初一緒に見ていた。連れ合いが席を立ったのは、主人公(役所広治)に愛人がいることが分かった後だった。恐らく、立つなと思っていたらやはり立った。実は、連れ合いは「不倫物」が大嫌いなのだ。長年一緒にいるので、好きなもの嫌いなものは分かる。人間が3人いたら不倫が始まる可能性が出てくるわけだから、どの国も同じだろうが、日本の社会の方が割りと受け入れ度が高いようで、「芸の肥やし」とかいう表現もある社会だ。そういった一部の日本人の態度が連れ合いには受け入れられないようだ。当然といえば当然のことではあるが。私もこのビデオを見ていて、ふと気になったことがある。主人公と奥さんが寝室を別にしていることだ。夫婦別室は結構あるのは知っているし、家庭内離婚も多いのでそういう意味でも別室があるのは分かる。でも、愛人はいるがそこそこいい家庭のように見えるこの主人公が別室になっていたことが気になった。仕事が遅くて起こすのが悪い、イビキ、歯軋り、寝言、寝相が悪い、寝屁が絶えない、などの理由も考えられる。夫婦でありながら、側にいるだけで、触られるだけで鳥肌、なんていう虚弱体質の方もいるだろう。実際に寝てみないと分からないので、それぞれの夫婦にはその数だけ問題もあるのだろう。オーストラリアでも、理由があってたまに別々の部屋で、なんていうことも聞くには聞くが、しっかりと別室というのは少なくとも私は聞いたことがない。じゃ、私が始めようかとかいうことも更々なく、そんなことをしたら追い出されるのは間違いないので思ったりもできない。では、皆さんの家はどうでしょう、とか野暮なことは伺うつもりはないが、一般的な話として教えて欲しい。それでも、どうしても言いたいという方は止めることはできなが。因みにこの映画、一番泣けたのは兄弟が一緒にスイカを食べるシーンだった。私も二人兄弟だからだろうか。兄の前だけでは、本当に素直に死の恐ろしさを告白できる。ご覧になっておられない方には申し訳ないが、自分が泣いているように見えてしまった。
2008年10月13日
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ロマンポルノの2本は、別々の箱に1本ずつ、箱の底に入れてその上に資料などをぎっしり詰めた。インドにセールスキャンペーンで他の部署の3人のエンジニアを連れて行くことになっていて、前の日に遅くまで16箱に及ぶ荷物をまとめていた。現地事務所から、お客さんへのプレゼント用にビデオを頼まれていて、わざわざ新宿まで行って買って入れた。まったく時間がなく、カバーもそのままにして入れていた。インドの大掛かりな出張はこれで2度目だった。1983年の11月のことだった。建設機械メーカーの営業をしていてインドとニューギニアを担当していた。1958年にフルブライトの留学生でアメリカに留学していた小田実は、留学が終わったあと世界一周コジキ旅行をして、それを「なんでも見てやろう」という本にまとめて話題をよんだ。旅の途中、テヘランからインドのニューデリーに降り立ったときに、巨大なウイスキーの瓶を持ち込もうとして税関で大きな問題になったという。禁酒国だったからだ。税関に何を勉強しているのかと聞かれて小田は、「大学院でギリシャ語を専攻している。」といって講釈をたれたとのこと。あまりに話しが長くなったようで、「しっかり勉強してくれたまえ。」といわれてウイスキーと共にそのまま開放された。ニューデリーの税関では、予想外に16箱全部開けられて検査されてしまった。前回はノーチェックだったので油断していた。すぐに、あのビデオが見つかってしまうと血の気が引いた。私は、小田のように講釈をたれるほどの中身もなく話しもできない。もうただ呆然としているしかなかった。問題は、16箱をそれぞれ私と、販売促進課の笠山さんの二人に分けて通関したことで、笠山さんはこのことをまったく知らなかったことだ。彼は、わたしより3つほど年上で腹の据わった面白い人だった。2本のポルノは運悪く笠山さんの担当荷物から出てきてしまった。それでも、笠山さんは落ち着いて対応して惚けたりしている。それから、笠山さんは税関の特別室に連れて行かれなかなか帰って来ない。その間、私たちは担当者に取り囲まれ、恐らく逮捕されるだろう、などと言われて当惑していた。翌日の日本の新聞に逮捕の記事なんか出たら、警察官の父親に合わす顔がないし、第一犯罪の格がどうも見栄えがしない。「ポルノ持込で逮捕!」あ~イヤダ!31歳にもなっていた私だが、胸が騒いで仕方なかった。この一件、迎えに来ていた政府系の提携会社の方が何時間も私たちが出てこないので心配して中に入ってきてくれ、お役所の力でなんとか収めててくれて事なきを得た。笠山さんはその間、私に一切文句を言ったり狼狽することもなく、淡々としかも時々笑顔を見せながら対応していた。特別室から帰ってきても同じだった。「ダメだよタコちゃん、ちゃんと言ってくれなくちゃ。」とやや低い声で私にそう言ったときも苦笑いしていた。私は、ポルノ逮捕を免れたことも嬉しかったが、こんな凄い人と一緒に仕事ができることが心強くて嬉しかった。この1年後に会社を辞めると言い出したときも、笠山さんはビックリすることもなく乾いた感じでうけいれてくれた。
2008年10月12日
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今回の旅では見るだけだった、マレー川のハウスボート。高級なものは、二階にジャグジーまでついている。そこで豪華に生活できるようになっている。友達や家族数家族とともに1週間から10日過ごす。喧嘩などしたら逃げ場がないので仲のいい人たちと行くのが原則。
2008年10月10日
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「一緒に来ているアジアの留学生もきっと楽しんでいかれるでしょうね。」今回泊まったキャラバンパークの管理人ミーガンさんが、オランダ系の連れ合いと両親が3人で事務所に行ったときにそう言ったという。「アジアの留学生」とは、どう考えても私のことだ。どうやらミーガンさんは、オーストラリアのホームステイホストの親子が留学生を連れて遊びに来ていると思ったらしい。若く見られるのは悪い気はしないが、もう4年もすれば還暦の私だ。ちょっと度が過ぎるように思う。もっとも、ミーガンさんに会ったとき、私は一言も発せず3人の後ろに立っていたので英語の全く分からない恥ずかしがりやの学生に見られたのかもしれない。後でミーガンさんに私の素性を伝えたところ、狼狽して私には絶対にこの話はしないでと顔を赤らめて言ったらしい。ミーガンさんに次に会ったら、しっかりと英語で挨拶して世間話でもしようと思っていたが、どうやら避けられたのかその機会もなく帰ってくることになった。
2008年10月07日
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オランダ系の連れ合いの両親と4人で出かけてきました。3泊のつもりで行ったのですが、私以外はみな4泊の予定であったと現地に着いてから知って後の祭り。実の両親とも2泊以上したことがないのに、連れ合いの両親とちょっと長い旅になった。別にまったく文句もなく、楽しい旅ではあったが戻って朦朧としている。4日で1,000キロ近い運転となった。おいおい写真をアップしたいが、とりあえず2枚。ネットも、携帯電話も繋がらない田舎のキャビンはマレー川沿い。朝のウォーキングは爽快。1906年に建造されたエミールー号。この船に一泊。私たち4人の他に14人。夕食と翌日の朝食付き。ベットは二段ベット。夕食は豪華だったが、ベットはイマイチ。上段から落ちそうになった。
2008年10月06日
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明日から3泊4日で、ビクトリア州の北にあるエチューカに行く。オランダ系の連れ合いの両親と4人だ。マレー川の観光蒸気船での1泊も入っている。これは、豪華さとはほど遠いシンプルな船だという。ベットもさっぱりとした二段ベットらしい。オランダ系の連れ合いがTVの申し込みで、2組目のカップルが只というスペシャルを当てて両親と行くことになった。ということで、日曜の夜までネットアクセスはできない可能性があります。酒酔い、船酔い、家族酔いに気をつけながら行って参ります。
2008年10月01日
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