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これがあれば、何もいらないという人を2人は知っている。一人は私のオランダ系の連れ合い。しかし、こちらでは冷凍品だ。日本の実家で食べる枝豆には及ばない。
2008年02月28日
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「男は減らして勝つ、女は増やして勝つ。」最近読んだ本で見つけた言葉だが、う~と唸ってしまった。なんとも男女の差を言い当てていいる。男は、敵も見方もどんどんやっつけて減らして居心地のいい世界に安住する動物なのだろうか。女は、敵も見方もどんどんおしゃべりというツールで引き付け合って輪を大きくしてやっていくのだろうか。昔、裸で狩をしていた頃、男が命がけで獲物を捕獲しようとしていたとき、女は家事におわれ、井戸端会議で連帯感を強めていたのだろう。これが正しいとすると、男は年を取れば取るほど人間関係がまばらになっていくのだろう。そうでなくても、結婚式より葬式が多くなっていく。私も、もう少し「おしゃべり」にならないと、ふと気がついたら周りに誰もいなくなってしまうかもしれない。子供もいないし、猫もいない。もう一つ。日本に帰ると電車や街で見かける中高年の男のほとんどは、親の仇にでもであったような怖い顔をして睨んでくる。こういう人には、おしゃべりでもしようものなら脇差でもくらってしまいそう。私も含めて男はもっと笑顔を出さないとならないのだろう。そうすれば自然に「おちゃべり」になるのではないだろうか。もっとも125歳くらいでおしゃべり、とかだったら可愛くないジイサンとか言われそうだが。
2008年02月27日
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メルボルンには居酒屋が一軒しかない。そこで最後にラーメンでしめる。メルボルンの喜多方ラーメン。昔、銀座で飲んで最後にラーメンでしめていた頃を思い出す。
2008年02月25日
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バレーボール部の夏の合宿は終わった。長野県の松本からの電車の中で遠くに座っている裕子と目が合った。彼女は、同じ時期テニス部の合宿に来ていた1年4組の女子学生で、髪を太く1本でお下げにしていた。口もきいたこともない裕子だったが、学校ですれ違ったときなど、その後姿を目で追ったりするほど私の気持ちを捉えていた。遠くに座る裕子が私を意識していたとはどうしても思えなかった。10月の学園祭のとき、髪をばっさりと切ってボーイッシュにした裕子がギター部で歌っていた。お下げのときよりずっと大人っぽくなった裕子が歌っていたのは相良直美の歌っていた「いいじゃないの幸せならば」だった。世を拗ねたようなその歌は彼女には不向きなような気がしたが妙に色っぽくも感じた。2年のクラス編成が発表になった。行っていた高校は2年と3年はクラスは受験に備えて変わらない。学年は9クラスあった。私の名前は2年4組にあった。そして、裕子が同じクラスに入っていた。一瞬だけど胸が鳴った。しかし、結局それからの高校生活は彼女に対する片思いが募る2年間となり不完全燃焼となってしまった。学園紛争で過激に活動していた彼女は、大学受験では彼女は学芸大学にストレートで入った。私は大塚にあった武蔵予備校に入り浪人生活に入った。思い余って手紙を出した。私の思いには直接答えない返事がきた。「タコ君、人生、逃げて逃げて、とことん逃げてみるのもいいかもしれない。そこで、何かが発見できるかもしれないよ。それからももう一つ。もうちょっと、怒りっぽくないようにしなよ。」そう書いてあった。世の中、何をいっても絵になって格好いい人はいるもんだ。最初から役者も違うし出番もまったく違っていたのだろう。私の短気は今も健全だが。
2008年02月24日
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「タコさん、賄いができましたよ。」中国人のヤンさんは日本語が達者だった。勤めていた日本食レストランが閉店した後、このヤンさんが作ってくれる賄いが本当にいつも美味しかった。大体は、中華料理だったが、特にナスの味噌煮なんかアッという間に作ってくれる。実は、これは今、私の作る限られた日本食の一つになっている。そして、残ったものはパックに入れて持ち帰って、翌日の朝ごはんになった。1985年、永住権を求めて働いていた頃のことだ。レストランのあったサウスヤラから、フラットのあるトゥーラックに歩いて帰る。行きも帰りも30分ずつかけて歩いた。トラムに乗るのがもったいなかった。金は極力使わないようにしていた。金曜、土曜は帰りがいつも1時を回っている。メルボルンの青山六本木と私が勝手に言っているサウスヤラとトゥーラック、カフェなどはまだにぎやかだ。歩道に置かれたテーブルの横を通る。酒に酔った人たちが大声で騒いでいる。私は、今もらった暖かい残り物の賄いのパックをしっかり抱えて、人にぶつからないように歩いて帰る。若い金髪の女性達も目につく。きつい香水の匂いが追ってくる。皆、楽しそうに話している。私は、どっからみてもうらぶれた仕事帰りの背の高いアジア人だ。できるだけ早く通り抜けて歩いてフラットに帰った。道の反対側を通れば静かに帰れるのに、どういうわけかわざとそこを毎晩通ることにしていた。週75ドルのフラットに着くと、そこは全く一人の空間だった。貰ったテレビを見ながら、これも貰った丸テーブルでビールを飲む。疲れているから余計なことは考えずにそのあとすぐに寝る。来る日も来る日も同じパターンが続いた。だが、不思議と不安とかはまったくなかった。何の保証もなかったが、必ず永住権が取れると信じていた。これにはなんの根拠もなかった。33歳にもなって本当に楽天的に自分の将来を夢見ていた。物事を憂いたり、悲観し過ぎる人間だったら今私はここにいなかったかもしれない。ただ、皿洗いをし過ぎて手の皮がベロベロと剥けることが気になってしかたがなかった。それを、手紙で親に伝えたら日本からどっさりと「ニベヤ」のクリームが届いた。両親のためにも永住権を取ってしっかりとオーストラリアでやっていこと思っていた。
2008年02月23日
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随分前に何かの本で読んだ話だが、あるアメリカのプロゴルファーの奥さんがインタビューに答えて、「私の主人のゴルフボールは素晴らしく、飛距離も最高」といった途端、その奥さん急に真っ赤な顔になって言葉に詰まってしまったという。 これ、日本語であればなんの問題もなかったのだろうが、ballという英語であったがためにとんでもないことになった。この奥さん、この英語を複数形で言ったことで、意味がそれこそ二股にかかってしまった。即ち、これが「睾丸」の意味にもなり、正に「紅顔」。英語では、睾丸はtesticleという正式な言葉があるから、この場合は俗称、広辞苑にも堂々と出ている「金玉」に近いのだろう。 ところで、以前日本人なら誰でも知っている冬に男がまたがる火鉢を「金玉火鉢」というとこのサイトで書いたことがある。日本語ではこうして男性に関する表現は広辞苑にも数多あるが、こと女性の表現になると全く途方に暮れてしまうし、そんなことをしていると日も暮れる。日本語の男女性差別はこんなところにも幅を利かせていて、我々を悩ませる。 こちらも随分前にメルボルンの大新聞「エイジ紙」に、何かの卵の発育過程のような絵が出ていたので何の気なしに見たところ、なんと卵でなく睾丸の発達過程のイラストであった。右から二つ目には、ご丁寧にハサミの絵があって身が縮む。切り取って比べた後に、冷蔵庫のドアにでも貼っておけとでもいうのだろうか。 成人男子では、1.5センチから3.5センチが正常だといい、それ以下だといろいろと弊害があるらしい。 この弊害とは、男性ホルモンの一種であるテストステロン不足から、異常な眠気、無気力を起こし、不妊症の原因にもなるという。長期的には、骨粗しょう症の原因にもなるのだそうだ。本来、さお(これも広辞苑にあり)にではなく睾丸にもっと関心を持つべきだという。睾丸癌にかかる確率は、正常な睾丸サイズの人の2倍になるともいう。 この記事は、もっと子供のときから睾丸の発育に関心を持ち、それだけでなくちゃんと測定もした方がいいと述べている。睾丸の美少年、などと冗談をいっている場合ではないようだ。サイズが小さい場合は、それこそいろいろな治療方法があり、対処はいくらでもできるらしい。 「太郎ちゃん、最近、睾丸はどうなのよ。大きくなってきているの?」とか母子の会話がもっと期待されてもいいのかもしれない。しかしここで問題になるのは、日本のように学校で定期身体検査が徹底している国ならともかく、そういうものがないこの国では、どうやって測定していくかということである。そして、その日本においても、では一体全体、誰がどうやって測定していくかという問題につながる。更にそんな記録が通信簿に記載されたりすることにでもなったりしたら、今時の親からは反発の恐れもあり、「やや小さい、普通、やや大きい」などと括られてしまうことも心配される。 一つだけ日本に救いがあるとすれば、この事象が俗称も含めて公に語られる数限りない豊かな語彙に支えられていて、PTAの会合などでも、女子のそれに比べ話題にし易いということであろうか。いずれにしても各国、いろいろな困難な局面を乗り越えて測定方法を確立してやって行くべきであろう。 それにしても、オーストラリアの新聞記事は、実に具体的かつ実利的で役に立つものが多いことは認めるが、時としてあまりに直裁なところがあり、それが「玉にきず」といえなくもない。
2008年02月23日
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今夜、仕事の後で他の2組のカップルと6人で、エルウッドにあるセールという海辺のレストランに出かけた。生憎の天気だったが、海を見ながら(私は背にして)の食事だった。マグロの和えたもので、結構の味だった。隣の人のアントレ私のメインはラム。最近はラムが美味しく感じる。オランダ系の連れ合いのメイン二人でシェアーのデザート。ちょっとチョコレートがしつこかった。他の人のデザートこの三組のカップル、皆有名なエンターテイメントブックを持っている。これは、信じられないくらいのクーポンの本。このクーポンを使って、約100ドルディスカウントになった。基本的には、連れ合いはクーポンが使えないレストランには行かないようにしているので、私はその恩恵に与っている。
2008年02月22日
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汗びっしょりになる。週に1度、オランダ系の連れ合いとじっくりやっていた。連れ合いが、土踏まずを傷めてから4ヶ月ほどできなかった。私は、どうしても我慢できずに悪いとは思ったが1人で行ってお金を払ってやったこともあった。3、4年前から始めたロックンロールダンスがやっと復活したのだ。私は、相撲以外は得意なスポーツはないと言い切れる人生を歩んでいるが、ロックンロールだけは黙っていればいつまででも踊っていられる。このロックンロールダンスクラスに行くことが、先週から復活したのだ。100人以上の人が来る。すごい数と熱気だ。毎週水曜日に集まっている。初級から上級までのクラスがあるが、一応私達は上級のクラスに入っている。本来は中級だろうが。ロックンロール、ジャイブ、スイングの3つをそれぞれ一月ごとに学ぶ。以前は行ったり行かなかったりですぐに忘れてしまったが、この2年くらいは通いつめた。7時半に始まって最後までいると11時になる。自由に踊る時間も十分にある。一回一人12ドルだが、ジムなんかにいくよりよっぽど運動になる。レッスンは輪になって相手がどんどん変わるが、自由ダンスのときは連れ合いとずっと踊っている。名札をつけるから他の人と踊る時は、「ハイ、タコ!」とか言われて喜んで踊っている。社交ダンスと違って、ちょっと間違えたり足なんか踏んでも愛嬌で済ますことができるのがいい。前にも書いたが、運動の中でダンスだけがアルツハイマーの進行を抑えることができるとのこと。異性との触れ合い、スキンシップが脳の刺激になるからだろう。そこえいくと、日本の盆踊りなどはスキンシップがない。一人ひとりで踊ることが多いように思える。概して、日本の社会は男女のスキンシップが欠けているのではと思う。特に成人してから。(これは私だけがそう思っているのかもしれないが)ダンスで一番いいことは、世の中のこと全て、否ほとんど全てを忘れて没頭できるここと。そして、笑いが耐えないし、恥も外聞もない。週に1度くらいそんな一時があってもいいような気がする。長い間ホームステイがいて、連れ合いは晩御飯を作らないとならないこともあった。日本には昔からいい言葉がある。あの言葉だ。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆ならおどらにゃそんそん♪」これからも週に1回、楽しんでやっていきたい。
2008年02月20日
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幸か不幸か、オランダ系の連れ合いの家族は土建屋・大工でみな器用に何でもちょこちょこと作ってしまったり、修理したりする。そこにいくと私は、今までそんなことやってきた人生じゃないので、釘一つ打つのもままならない。こちらの亭主は、大工じゃなくてもけっこう何でもやってこなす。家なんか建てる人さえいる怖い国だ。「タコさん、家の修理とかなんかは、やれる人に任せて、タコさんは自分の仕事してたらいいんじゃない?そこが日本とは違うところなの?そういってしまえないところがタコさんの長所であり短所だね。でもね、できないものはできない!こんな立場は嫌だって言ってしまわないと『摂食障害』になるよ、ハッハッハッ。」ちょっと前に日本の友達から言われた。好きで来て、好きで一緒になってしまった今の環境。文句なんか言ったら罰が3重くらいになって当たる。連れ合いは、一族が土建屋・大工の世界で育ってきた人だから期待値が可也高い。週末は屋根に上がって修理しないとならない。無事に済むよう願っていて欲しい。
2008年02月19日
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我が家にいた日本人女子学生2人のホームステイ、1人は2週間前、そしてもう1人が今朝発って行った。朝、4時過ぎに起きて飛行場まで送っていった。24歳と20歳、いろいろな経験をして英語力もそこそそ身につけ帰国していった。これからの活躍に期待している。タコ社長、海外経験は21歳の時だから、調度この2人と同じ頃。アメリカだったが、連れて行ってくれたアメリカ人のご家族、私が部屋に篭っていることが多く心配をかけたようだ。あの頃は、物怖じのしっ放しの静かな青年、なんて今じゃ信じられないが、結構ホームシックになったりしていた。何せ、要領がつかめない。今日は何があるのか、誰が来るのか何処へ行くのか、周りの様子がつかめない。英語力の問題も大きかったのだろうが、積極的に訊いていく態度も欠けていた。しかし、約3ヶ月の滞在が終わる頃には、金髪娘とデートもどきなんぞしながらその要領もつかみかけていたが、その頃には残念ながら帰国となってしまった。我が家の老猫ルーシー130歳も昨年逝ってしまい、ホームステイも帰国、オランダ系の連れ合いと二人きりになる。それはそれで私には全然文句はないのだが、四六時中話していたい連れ合いは淋しくなる。かといって、犬とか猫は私がリタイヤするまではないと言われている。いっそのこと、オオムとかインコとか、それこそオオム返しが得意な連中を飼うのも一考。しかし、それも連れ合いと一緒になるとちとかまびすしいかもしれない。そんな訳で、ここ当分は静かな日が続きそうだ。
2008年02月19日
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メルボルンの朝日新聞「The Age」紙のスポーツ記事。
2008年02月18日
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投宿していたホームステイの女子学生最後の日曜ということで、ビクトリアマーケットにでかけた。ここへ行くと必ずホットドック。これにかぶりつく。スパイスのきいたソーセージがいい。ちょっと肉を、と買い込んてしまう。重かった。
2008年02月17日
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「誰これ、化け物みたいだね。お母さんはこういう化粧の強い人駄目だね。」子供の時、シャンソン歌手の大御所と言われていた方をTVで見たとき、秋田出身で百姓が嫌で東京に出てき、栃木出身の警察官だった父と浅草の小料理屋の二階で見合いをして結婚し、私が小学生の頃は73キロもあり近所の人から肝っ玉母さんと言われたりしていたが、昭和50年代の初めに高血圧で倒れかけ、昨年は胃がんを患らったが完治して今は50キロを割ってしまった母がその時そう言った。確かに、私達子供もどうしてこんなにメイクアップをしないといけないんだろうと不思議に思えたほどだった。「タコさん、歌って!」赤坂の小さなクラブ「フルフル」の山本ママさんが私にマイクを向けた。建設機械メーカーの営業部に在籍していたころの話しだ。この店は、ママさんのピアノの弾き語りで固定客をつかんでいた店だった。私は、この店に来ると必ず「サントワマミー」を歌っていた。「タコ君、日中の仕事は大したことないけど、夜になると俄然元気がでるね。」マレーシア担当の前川さんが、まんざら冗談とも思えないように言う。「はい、ありがとうございます。」私も、空かさずそうこたえた。下唇が派手なママさんも笑っていた。この、亡き大御所の歌う「サントワマミー」を今時々聴いている。なかなか、味がある。あの味はちょっと出せないフランスの味のように思える。しかし、母はたとえこの大御所が薄化粧だったとしても、やはりシャンソンよりは民謡とか演歌の方が好きだったのだから、何かしら文句は言っていただろう。母は、今でも千昌男の歌う「星影のワルツ」が大好きだ。
2008年02月15日
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サウナ日記の続編。今日は、バレンタインデー、日本と違ってこちらは男性から女性にプレゼントをする日。そんな訳で、会社の女性スタッフに朝一にチョコレートをプレゼント。さて、前回の日記のサウナの件でSweet Tomatoさんがドイツのお話を書かれておられる。オランダ系の連れ合いの従姉妹のダンナにピエールというドイツ人がいる。ある日ピエール、ジムに行ってサウナに入ったそうだ。ドイツでは普通のことなのでそのような姿になって入ったところ、監視員から注意されたとのこと。憤慨していた。所変われば、ということだろうか。もっとも、周りのオージー男女もビックリしたことだろうけど。日本のお銭湯・温泉・お風呂文化にも、外国人の方々は馴染むのに時間がかかるらしい。もっとも上の話しからドイツ人などは大丈夫と予想されるが。オランダ系の連れ合いは、九州の熊本に1年住んでいたことがある。連れ合いは温泉とかが大好きでよく行っていたようだが、オランダはドイツと同じゲルマン系とはいえ、生まれも育ちもオーストラリアなので最初は大変だったらしいが、その内なんでもなくなったとのことだ。「もしもし、大阪工場業務課の中村ですが、海外アジア課のタコさんですね。」建設機械メーカーの東京本社海外営業部で働いていたある日、大阪工場から電話がかかってきた。「実は、タコさん担当のインドからの研修生ですが、泊まっている独身寮の風呂にパンツをはいたまま入って、周りの日本人から苦情が出ているんです。」インド人は人前では絶対に裸にならないとその時知った。担当としては、両方に対して誠に申し訳ないことをしてしまった。「今度プールで泳ぐときは、Birthday Suits で泳いだらどう?」オランダ系の連れ合いが、我が家の日本人のホームステイの女の子にいうと、その子はきょとんとしていた。英語にも、こうした洒落た表現があって面白い。
2008年02月14日
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二年前までは近くのジムの会員になっていた。行くと、ウエートトレーニング、サウナ、水泳、サウナ、温水療法プールで浮いて帰ってきた。2時間近くのパターンだった。しかし、仕事が他州にも渡るようになり、だんだんといけなくなっていった。会員費の無駄ということで脱会し、残ったお金はオランダ系の連れ合いの会員費の足しとなった。ジムに行かなくなって一番淋しいのは男女共用のサウナにいけないことだ。狭いサウナで黙っていたら気味が悪いし、それこそ裸の付き合い宜しくいろいろな人と話すことができた。中には、わたしよりは一回りも年上のドイツ系のオバサンの身の上相談にまでなって上気しそうになってしまったこともあった。ロシアのエリツィン元大統領は「サウナ政治」を好んだという。面白くて二度読みに入っている佐藤優の「国家の罠」に書いてある。サウナで汗を流しながらウォッカを2,3本も空けて仕事の話しを詰めるというとんでもないスタイルだ。「エリツィン氏の場合、酔いが回ると、サウナの中では白樺の枝で友達の背中をたたいたり、また、男同士で口元にキスをしたりする。三回キスをするのがしきたりだが、三回目には舌を軽く相手の口の中に入れるのが親愛の情の示し方である。もうすこしレベルの高い親愛の情の示し方もあるのだが、それは日本の文化とかなりかけ離れているのでここでは書かないでおこう。」って、これだけ書いてそれはないだろう、などと思った訳ではないが度肝を抜かれた話ではあった。政争の話しはそっちのけで、こんな話しだけ頭に残る人生となってきているが。オランダ人なども頬に三回キスをする。二回では駄目で三回だ。でも、男同士でやったことは今のところ記憶がない。海を隔てた隣の国にすごい国があるようだ。でも、この話しを読んでからロシア関連の国ではサウナは遠慮したくなった。それにしても、レベルの高い親愛の情の示し方って一体どんな示し方なんだろうか。サウナの話しから、とんでもない方にいってしまってすっかりとのぼせてしまった。
2008年02月12日
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人生の泳ぎでは溺れることが多いが、小学校の頃は平泳ぎが得意だった。小学校6年生のとき、東京都練馬区大会で25メートル平泳ぎで優勝した。風邪で病み上がりだったが、隣の6年1組の睦さんに励まされて頑張った。とはいっても自分でそう思っていただけだけど。なんせ、一言も口も聞いたこともない子だったけど、なんだか子供のくせに銀座のクラブに出してもおかしくないような雰囲気を備えていて思いを寄せていたのだが、彼女もその水泳大会に出場するというので、無理を押して出ることにした。そういうわけで、俄然張り切ったタコ少年、練馬区新記録を樹立して睦さんの微笑みを勝ち取った。因みに、卒業までろくに口をきかずにお別れとなってしまったが。その後の消息はまったくつかめていない。当時の体にフィットしないだらんとした水着で「良かったね、タコ君。」とお祝いしてくれた彼女の笑顔が嬉しかった。因みに、当時すでに身長が170センチは超えていた私だから、飛び込んで差をつけ後は逃げ切るスタイルで記録を作ったと言えなくもない。海のない練馬区の水泳大会じゃ、ネパールのカトマンズー第二小学校で一番になったようなもので、そんなに大きな声でいうことでもないが、あまり自慢できることのない人生だから、たまにはお許し願いたい。オリンピックの年になると、小学校の頃もしかしたら自分はオリンピックの選手になれるのではないか、などと夢見ていた頃がどうしても思い出される。若気の大至りといえるだろうが、もし第2、第3そして第13くらいまでの睦さんがいてくれたら、オリンピック地区予選会くらいには出られたかもしれない。人生、そう簡単に睦さんは現れてはくれないということなのだろう。
2008年02月11日
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私は、アル中一歩手前か?朝から酒が飲みたくなる。
2008年02月11日
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我が家に50人を招待して、オランダ系の連れ合いの半世紀の誕生日。こんなに大勢の人を呼んだパーティーは初めてだった。何日も庭の掃除に明け暮れた日々が終わった。
2008年02月10日
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ヤギのチーズのとろけ味骨付き、鶏の丸焼き最近は、肉ならラムにしている
2008年02月08日
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我が家の老猫ルーシー130歳が他界してから久しい。ペットがいない状態が続いている。二人いたホームステイも、一人は帰国でもう一人もあと10日でいなくなる。家が静かになり過ぎる。「タコちゃん、プードルはいいよ。まず、毛が抜けない。それから、散歩もいらないんだよ。」オーストラリアに来て依頼の友人Hさんがいう。あっちこっち含めて毛が抜けるのは私だけでいい。そして、散歩がいらないというのがいい。犬の散歩は結構大変で、これができないだろうから犬は駄目だとオランダ系の連れ合いからいつも言われていた。昔から、母親の実家秋田の秋田犬みたいな大きな犬が飼いたいと思っていた。でも、散歩が心配だった。今は、毎日ウォーキングしているが、犬の散歩とウォーキングはちと違う。タバコを吸いながら犬に引っ張られていた人がいた日本の光景は別として、犬はいろいろなモノに興味を示して早く歩けないことがある。「プードルにしよう。黒いプードル。」「プードルは毛が伸びるので散髪でお金がかかるのよ。」連れ合いはランニングコストに厳しい。「4月に10日ほどシンガポールに旅行にいくんだけど、その間テアの面倒をみてくれないかな。」隣のリタイヤしているクリスさんが言ってきた。テアとは、奥さんとかじゃなく最近購入したゴールデンリトリーバーのことだ。毎日、朝と夜、それぞれ1時間ほど散歩に出ている。リタイヤしているクリスさんには問題ないことだし、第一自分の犬なのだから勇んでやっている。私が日本でいないときに、連れ合いの父親と一緒に二日がかりで土を堰きとめている柵を作り直してくれたクリスさんだ。これは重労働だ。この申し出を断るわけにはいかない。ということで、なんだか犬を飼う気持ちが萎えてしまい、プードルの話しは一時棚上げとなってしまった。
2008年02月06日
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「タコさん、その方の病院ならいい所を知ってるよ。」サラリーマン時代、建設機械メーカーの部品部にいた先輩の菅野さんが親切心から教えに来てくれた。昭和59年の春のことだった。「実は、会社を辞めて、その治療に専念しようと思ってるですよ。」「えっ!?手術で会社辞めんの。」菅野さんの声が余りに大きかったので、部品部の人たちが私達の方に一斉に視線を向けた。勿論冗談ではあったが、二日も休んだら席がなくなってしまうような会社だったから、まんざら冗談ともいえない部分もあった。菅野さんに紹介されたその筋では有名な横浜のM病院で、20年も連れ添ったその病に別れを告げた。2週間の入院なのに、術後間もない頃はなんだか一生そのベットに張りついていなければならないような錯覚に襲われた。見せたくない所をこれでもかと見せて、穴があったら入りたい穴に入って消えてしまいたかった。しかし、不思議なもので何日かすると、人間は環境の動物だと思い知らされる程しっかり順応してしまって、スパッスパッと下半身を出してくの字に丸くなることに何のためらいもなくなってしまった。病院で患者がためらっていたりしたら物事が進んでいかないしっかりとした環境に後押しされて。入れ替わり立ち替わり見舞いに来る六本木あたりの飲み屋の方々などが、下手にかち合わないよう気を使わなければならないことも面倒だった。「まめじゃないと女性とはつき合えないよ。」と会社の先輩前川さんにアドバイス願って以来、忠実に会社の力でその言葉を実行していた。どの方も基本的には営業成績を上げるための交際ではあったのだろう。しまいには、M生命保険の看板おばさん安田さんまで来てしまい、「私もその方の手術したのよ。」などと中年にもあって欲しい恥じらいを微塵も感じさせない元気さで、すでに私の交際範囲の広さに仰天している母にとどめを刺していた。 共に手術を受けた戦友もユニークな方が多かった。はっきりとカツラと分かるKさん、慶応大学卒の55歳。どんな時にもユーモアを忘れない人生経験豊かな人で、同じ日に手術をした隣の病室の住人だった。手術の翌日トイレの中で、自転車のチューブから空気が漏れるような音と共に、このKさんの唸り声を聞いた時にはそのあまりの切なさに嗚咽した。Kさんの同室で1日前に手術を終えていた福島弁の八巻さん35歳。何故か、自分をアマゾンと呼んでいて体中で笑いを誘う人だったが、どこか傷つき易い孤独なところも持ち合わせていた。「はちまきさん。」などとおどけて呼んでみて睨まれたことがあり、実は一番陽気なのは自分だったようだと思ったりもした。この八巻さん、ご苦労なことにこの手術2回目なのだそうで、冗談半分に「一度手術するとクセになるようで。」と辺りの新参者を震撼とさせていた。今でも思い出すのはオムツのようなフンドシを寝巻きでくるんだ皆の体が下半身だけやや大きめになって歩く姿だ。こんな姿で、見栄を張ったり威張ってみたりしても何の効果もないので、それこそ本当に裸のつき合いができて楽しくもあった。仕事とはいえ看護婦さん、ヘルパーさん達にも頭が下がった。いつも走っていた岡看護婦さん、決して文句を言わなかったヘルパーの鈴木さん、非常に働き者だった、がたいが良くぶつぶつ意味不明なことを言っていた宇野さん。皆さんの御かげで快感にも似た後半の入院生活をエンジョイすることができた。何年かして風の便りで、私に病院を紹介してくれた菅野さんも会社を辞めたことを知った。「私もこの病で会社を辞めました。」などと禁煙パイポ風に言って流すのが似合いそうな菅野さんだったが、もし手術をしていればそのゴリラにも似た風貌で病院中を楽しませてくれたことだろう。私はこのお陰で、そうでなければ知り合わなかったであろう多くの方々の知己を得た。そして、その人たちが今もメルボルンにいる私に痛いほどのエールをおくってくれている。
2008年02月05日
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半身浴で、読書。「国家の罠」、物議をかもした本だが面白い。
2008年02月04日
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明日が、オランダ系の連れ合いの半世紀の誕生日なので、メルボルンの酒蔵、ヤラバリーにあるワイナリーに一泊で行って来ることにした。ワイナリーに泊まるのは初めてだ。今晩は、運転を気にしないでゆっくりと赤ワインを堪能したい。勿論、飲むのは誰もシラーズ。PC持ち込みは連れ合いからOKが出ないので置いていくことになった。では、行ってまいります。
2008年02月02日
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