全3件 (3件中 1-3件目)
1

別府駅 駅名標所用で大分県の別府まで行ってきました。合間を使って、別府で有名な「地獄めぐり」をしてきました。鉄輪地区の6つの「地獄」別府駅からバスで、鉄輪(かんなわ)まで行きました。鉄輪は別府八湯の一つでもあります。いわゆる「地獄めぐり」は、鉄輪地区にある6つの「地獄」と、鉄輪から3キロほど離れたところにある「血の池地獄」と「龍巻地獄」の計8つを巡るものです。各地獄とも入場料400円、8か所共通券が2100円です。地獄めぐりのHPで10%引きの券が手に入ります。今回は、「亀の井バス」の1日乗車券(900円)を使いました。別府駅構内の総合観光案内所で手に入れることができます。海地獄(国指定名勝)鬼石坊主地獄山地獄かまど地獄(五丁目)かまど地獄には一丁目から六丁目まであり、それぞれ異なるタイプの湯の池があります。鬼山地獄白池地獄(国指定名勝)温泉の熱を利用した温室や飼育されているワニを見ながら、約2時間。夏の最中に、100度近い湯の近くに近寄るのですから、暑くないわけがないですよね。「鉄輪」バス停からバスに乗って、「血の池地獄前」バス停で下車しました。血の池地獄(国指定名勝)龍巻地獄(国指定名勝)龍巻地獄は、いわゆる「間欠泉」です。30~40分ごとに吹き上げるお湯は100度を超えており、高さ50メートルにもなる勢いだそうです(実際には屋根があって止められていますが)。何時に吹き上がるのか、事前に調べようとしましたが分かりませんでした。現地に着いたらすぐに、吹き上がる時刻を確認しましょう。それにしても、暑かったです。できれば秋か冬に来たいですね。
2015年08月16日
コメント(2)

大阪市中央公会堂京阪・中之島線の「なにわ橋」駅の西側に、大阪市中央公会堂が建っています。目の前の交差点も「中央公会堂前」です。大正7年(1918年)に完成した大阪市中央公会堂は、鉄骨レンガ造りで、いろいろな講演や集会、コンサート、演劇などに利用されてきました。耐震性の問題がありましたが、平成11年(1999年)から始まった保存・再生工事が平成14年(2002年)に完了しました。また、同年、公会堂建築物として西日本で初めて国の重要文化財に指定されました。関 一(せき はじめ)氏の像大阪市中央公会堂の正面に立つように、一体の銅像が建てられています。第7代大阪市長だった関一(せき・はじめ)氏の像です。略歴を見ると、大正3年(1914年)に大阪市の助役に就任、大正12年(1923年)に大阪市長になります。中央公会堂が建てられたのは助役時代のときですね。関氏が市長だった間に、御堂筋の拡幅、地下鉄御堂筋線の建設、大阪市中央卸売市場の開設、市営公園の整備などを行い、「都市計画」という言葉を初めて使ったとも言われています。昭和10年(1935年)、在任中に病に倒れ亡くなりました。この銅像は、没後20年を記念して建立されたものです。
2015年08月12日
コメント(2)

京橋京阪・天満橋駅から東へ500メートル、土佐堀通から南へ分岐する道に「京橋」という名の橋が架かっています。大阪城の北側の入口(京橋口)で、ここから京街道を通って京都と結ばれていました。「砲兵工廠」の碑大阪砲兵工廠跡(大阪城北側)大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)は、太平洋戦争の敗戦まで、大口径の火砲を主体とする兵器の製造をしていました。アジア最大規模の軍事工場で、現在の大阪城ホール、JRの森ノ宮電車区、大阪ビジネスパーク(OBP)もすべて含まれるほどの広さでした。京橋口の巨石上の写真の正面は、大阪城の石垣で2番目の大きさの巨石です。昭和40年ごろまでは1番大きいとされていましたが、その後の測定で2位になりました。かつては「肥後石」と呼ばれていました。肥後とは、加藤清正(肥後守)のことで、「豊臣秀吉のために小豆島から運んだ」と言われていました。実際には、徳川幕府によって大坂城を再建するときに、池田忠雄(備前岡山藩主)によって築かれたものです。推定で100トンを超える巨石。いったいどうやって運んだんでしょうね。「豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地」の碑大阪夏の陣(慶長20年=1615年)で自刃した豊臣秀頼と淀殿。その自刃の場所を示す碑が、天守閣の北側、あまり人が立ち入らないところに建っていました。大阪城天守閣碑の前に立って見上げれば、大阪城の天守閣。夏の陣で炎上したので、昭和6年(1931年)に再建された現在の天守閣とは異なりますが、秀頼や淀殿も、ここから天守閣を見上げたのでしょうか。
2015年08月11日
コメント(2)
全3件 (3件中 1-3件目)
1