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八軒家浜船着場と「アクアライナー」大阪市中央区北浜東京阪本線・天満橋駅より西へすぐ先日の陽気に誘われて、天満橋の周辺をぶら歩きしましておりました。「八軒家浜(はちけんやはま)船着場」は、淀川水系の大川(旧淀川)に面した場所にあり、大阪水上バス「アクアライナー」の乗り場の一つです。京阪本線の天満橋駅のすぐ西側にあります。整備された八軒家浜平安時代から室町時代にかけて、この付近は渡辺津(わたなべのつ)と呼ばれていました。西国や大陸方面と淀川水系を結ぶ水上交通の接点であり、熊野古道の起点でもあったため、交通の要所として繁栄しました。江戸時代には、京都と大坂を行き来する「三十石船」の起点となっていました。船宿などが8軒並んでいたことから「八軒家浜」と呼ばれるようになったそうです。八軒家浜船着場の西側には、平成21年(2009年)にオープンした「川の駅 はちけんや」があり、水都・大阪の再生拠点として、観光船案内所や情報発信施設、飲食施設などがあります。
2015年04月28日
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泉北高速鉄道 7000系 (南海電気鉄道 難波駅にて)所用で、泉北高速鉄道を利用しました。南海電気鉄道の難波駅の2番線に停まっていたのは、和泉中央行の準急。車両は泉北高速鉄道の7000系です。側面の「SEMBOKU」のロゴ泉北高速鉄道線は、南海高野線の中百舌鳥駅から分岐し、和泉中央駅までの14.3キロ、6駅を持つ路線で、営業を開始した1971年当時は、大阪府などが出資する第三セクターが経営していましたが、現在は南海電気鉄道の子会社「泉北高速鉄道株式会社」が運営しています。高野線との間で相互直通乗り入れをしています。7020系 和泉中央駅にて南海高野線6300系 和泉中央駅にて中百舌鳥駅から乗り入れてきた、南海の6300系です。和泉中央駅の駅名標中百舌鳥駅から光明池駅までは堺市に、終点の和泉中央駅は和泉市にあります。和泉中央駅が開業したのは平成7年(1995年)です。島式1面2線で、地上駅ですが、橋上に改札があり、ホームのほとんどが駅舎の中にあります。終点側終点側の先は、路線を延長する構想もあるのでしょうか。まだ続きそうな雰囲気です。和泉中央駅改札(ラチ外)和泉中央駅開業20周年記念の7000系模型お菓子でできています
2015年04月26日
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若宮八幡宮京都市東山区五条通東大路西入ル北側京阪本線・清水五条駅より東へ徒歩7分若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)という名前の神社は日本全国にあり、「八幡宮本宮から迎えた新宮」の場合と「八幡宮の若宮」の場合があります。前者は八幡神(応神天皇)を祀っているのに対し、後者では応神天皇の子である仁徳天皇を祀っています。五条坂の若宮八幡宮には応神天皇が祀られており、八幡宮本宮から迎えた新宮です。平安時代の天喜(てんぎ)元年(1053年)源頼義(よりよし)が六条醒ヶ井(さめがい)に創建したのが始まりと伝えられています。 源氏一族や多くの武士の信仰を受けていましたが、応仁の乱により荒廃し、場所も何度か移転し、慶長10年(1605年)に現在の地に落ち着きました。現在の社殿は承応3年(1654年)に再建されたものだそうです。昭和24年(1949年)に、陶祖神の椎根津彦命(しいねつひこのみこと)が合祀されたことから、「陶器神社」としても知られています。8月8日が若宮八幡宮例祭、8月9日が陶器神社祭で、協賛行事として8月7日~10日の4日間、陶器まつりが行われます。陶器で飾った神輿が練り歩き、大勢の人で賑わうそうです。姿見(拝殿の横)「身も心も美しく」という碑とともに、姿見が置かれていました。姿も心も清く美しくして信心しなさい、ということでしょう。絵馬お願い事が書かれた絵馬(といっていいのかな?)は、ハート形です。ハート形の石何のいわれも書かれていないのですが、ハート形の石が置かれていました。絵馬といい、ちょっと気になります。
2015年04月19日
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「清水焼発祥之地」の石碑京都市東山区五条通東大路西入ル北側(若宮八幡宮前)京阪本線・清水五条駅より東へ徒歩7分五条通にある若宮八幡宮の前には、「清水焼発祥之地 五條坂」と書かれた石碑が建っています。清水焼の起源には諸説があるようですが、慶長年間(1596~1615年)ごろには始まっていたと考えられているようです。およそ400年の歴史があるわけですね。東山一帯には名工が集まり、多くの窯が築かれたそうです。とくに五条坂の周辺がその中心地として広く知られるようになります。幕末の動乱、東京遷都などによって、公家、大名、豪商などの買い手を失い、焼物の需要はいっきに下落しました。輸出に活路を見出そうとしましたが、うまくいかなかったようです。そのような中でも優秀な陶芸家が出て、伝統工芸としての価値は高まっていきます。毎年、この五条坂一帯で「五条坂 陶器まつり」が開催されます。昨年は台風接近で途中中止になってしまったようですが、今年もまた8月7日~10日の4日間開催されるそうです。夏の風物詩ともなっており、例年、約400もの店が出て40万人が訪れるそうです。六兵衛窯若宮八幡宮の向かい側、五条通の南側にあるのが「六兵衛窯」です。江戸時代後期に初代六兵衛が開窯し、以来240年余りの歴史を持っています。当主は8代目だそうです。河井寛次郎記念館六兵衛窯の南に位置しています。河井寛次郎は大正から昭和にかけての陶工で、住まい兼仕事場を公開したのがこの記念館です。家具や調度類も自らデザインしたり集めたりしたものだそうです。
2015年04月14日
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六波羅蜜寺京都市東山区五条通大和大路上ル東京阪本線・清水五条駅より東へ徒歩7分六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)は西国第17番の札所で、天暦5年(951年)に創建されました。「波羅蜜(はらみつ)」とは悟りの世界に至ることです。「波羅蜜多(はらみた)」ともいいます。「六波羅蜜」とは、そのための6つの修行のことだそうです。ただし、地名では「蜜」が外れて「六波羅」として定着しました。六波羅蜜寺の開祖である空也(くうや)上人は、若いころから修行者として諸国を巡りました。「南無阿弥陀仏」を唱えながら、道路や橋をつくったり寺院を建てたりしたといいます。醍醐天皇の皇子とも伝えられていますが、実際にはあまりよく分かっていないようです。六波羅蜜寺には、木造の空也上人立像(鎌倉時代、重要文化財)があります。「南無阿弥陀仏」と唱えると、その音が6体の小さな阿弥陀仏像となって吐き出されているようすを示したものです。教科書などで見たことがあるかたもいらっしゃるのではないでしょうか。平安時代の終わりころになると、平忠盛(平清盛の父)がこの地に「六波羅館」を置き拠点としました。やがて、六波羅蜜寺やその周辺には平家の館が立ち並び、平家の軍事力の拠点となりました。鎌倉時代になると、北条時政が京都守護として六波羅に庁舎を建てます。さらに承久の乱の後には「六波羅探題(たんだい)」と改められました。長く軍事力の拠点だったこともあり、何度も兵火に見舞われたようですが、国宝の十一面観音立像ほか、多くの文化財が残されています。
2015年04月11日
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六道珍皇寺京都市東山区東大路通松原西入ル京阪本線・清水五条駅より北東へ徒歩10分六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ/ちんこうじ)の辺りは「六道の辻」といい、この世とあの世の境があると信じられていました。清水寺から西大谷付近の山側は鳥辺野(とりべの)と呼ばれ、葬送地として知られていました。仏教において「六道」とは、「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅(阿修羅)」「人(人間)」「天」の6つの道を指し、迷いある者は、その死後に六道を輪廻転生(りんねてんせい)する、つまり生まれ変わるとしています。六道珍皇寺には、小野篁(おののたかむら)が冥界に通ったと伝わる井戸があるそうです。昼間は朝廷に出仕して、夜は閻魔庁に勤めていたとか。なんでそんな噂が出たんでしょうかねえ。篁は平安初期の人物で、公家であり、古今和歌集などにも歌が載っており、百人一首にも入っている文人です。反骨精神があったそうで「野狂」とも呼ばれたとか(ちなみに「野」は姓の「小野」の略)。少し変わった人だったのでしょうか。
2015年04月10日
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五条の橋の上で出会った牛若丸と弁慶。切りかかってきた弁慶に対し、飛び退いた牛若丸が、持っていた扇を投げつけるシーンがあります。平安時代、扇は朝廷や貴族の遊芸用、あるいは僧侶や神職の儀式用として用いられていました。一般人の使用は禁止されていたそうです。扇塚五条大橋の西詰、北側内に「扇塚」と呼ばれるモニュメントがあります。昭和35年(1960年)、扇発祥の地を記念し、御影石で作った扇形の碑が建立されました。平安時代、平敦盛の妻は出家して「蓮華院尼」となり、亡き夫の菩提を弔うために、この地にあった「御影堂」に入りました。ここで寺の僧といっしょに作った扇が「御影堂扇」と呼ばれて有名になり、多くの扇工が付近に集まったそうです。御影堂は、新善光寺の別称です。太平洋戦争中に、疎開のため滋賀県長浜市に移転し、現在に至っています。
2015年04月04日
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五条大橋京都の五条通、鴨川に架かる橋が五条大橋です。橋の西詰から東を見ると、橋の先に清水五条駅の出入口が見えています。この付近、五条通は国道1号のルートで、交通量はかなり多いです。牛若丸(右)と弁慶の像五条大橋の西詰、道路中央の分離帯には、牛若丸と弁慶の像が置かれています。京人形風の、ぽっちゃりした感じの石像です。「京の五条の橋の上・・・」という歌詞がすぐに思い浮かぶのではないでしょうか? 牛若丸が弁慶と出会ったのが五条大橋の上だと言われていますね。もっとも、当時の五条通は現在の松原通の辺りだったそうですけどね。
2015年04月02日
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