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民主主義は、多数決で物事を決する。 代議員を決めるのに、住民の数が偏って、 1票に格差がでてきた。 違憲なる司法の判決がでた。 立法は0増5減なる協約をしたが実行してない。 人口比率で代議員が決まるのは正解。 人口が多いところに代議士を多く、少ないところは減らすという。 だが、その前に、なんで格差がでたのかを突き止め解消 する策をたてるのが先決でないだろうか。 代議士も減る。 過疎の対策では票にならない。 どうでもいい代議士しかいなくなる。 ますます過疎になる。 司法も「格差がでない施策を立法は考えよ」なる判決できないものか。 むしろ面積比率で代議員を選出すれば、過疎地が復活するかも。
2013年03月31日
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池田光政 播磨国姫路城主池田利隆の子。新太郎少将と称す。 利隆33歳で没。光政8歳。 「播磨は中国の要地なれば、領主幼少にては叶うべからず、依って因幡、伯耆に転ぜられしとなり」 との理由で鳥取へ池田光政はお国変えとなった。 一方、播磨にとって代わったのは、本多忠政。徳川4天王の一人。妻は家康の長男の娘。 忠政の子忠刻の妻は、千姫。 池田の祖?は、恒興(勝入斉)で長久手の戦いで秀吉方で家康と戦った。挙句家康家臣長井直勝に首をとられた。 恒興の次男輝政が関ヶ原で東軍に組し軍功あり、徳川方となり、姫路城主に、家康の孫娘督姫を妻とする。 輝政の子利隆が死して、光政が幼少ということで姫路を出され鳥取に配されたのは、やはり、恒興が徳川の敵であった事が因で、統治の策に差配されたのだろう。四天王に杯ありか。 のちに又、岡山、鳥取の池田の国換えが行われ光仲が鳥取藩主となるが、これも若殿の年齢足らずが因とされる。 さて、光政も光仲も池田の祖は恒興、勝入斉としてなかったという。 県博物館「鳥取藩研究」の講演会で発表された。 徳川の世で、敵した祖を表に出したくなかったのだろう。 疑問なのは、池田治世が、統治を区分してそれぞれの家老に託したが、倉吉の家老伊木長門守が御年6歳をなぜ認めたのかである。 しかも倉吉の歴史書には、光政の老臣伊木長門、士民の精神一致、藩主尽忠の為、主家の祖勝入斉信輝公の菩提寺、勝入寺建立したとある。 知りたいのは、この時に里見忠義が、主権の座を降り、下田中に行った経緯である。 雄誉霊厳上人が里見忠義を訪ねてきてる時であること。 上人は、穴鴨大雲寺、赤碕専称寺を開山してるという。かなりのゆったりした時間があったと思える。 聞くと、資料が焼けてわからないという答えである。 謎となると、よけいに知りたくなるもの。
2013年03月25日
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なにごとも人間の知恵でわかることではない。ただ、われわれはわれとしての、刹那刹那のベストをつくせばよいのだ。「生きがいの探求」出口日出麿著 より
2013年03月17日
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竹の猛威というか繁殖はすごいものです。 外材の台頭で山の木が採算が合わなくなり、手入れがなおざりになり、若者の流出も加え、放置山林となり、竹だけが増えています。 植林した杉、桧の中に竹が入ってくると杉桧が枯れます。 迷惑物として、竹を駆除するという視点で取り扱っていたのが、最近の傾向として、再生資源としての竹として目をむけられています。 今まで、竹炭や竹酢が盛んに作られていましたが、販買が具合わるく敬遠され気味です。 反面たけのこの干物加工や、竹塩、竹水などの商品加工がでてきました。 竹水とは、私は認識不足で、初めて今日のシンポジュウムで聞きました。 傷着いた竹の節に貯まる水のことらしいです。 猛威ある竹の勢力源が根から供給される、ミネラルをふくんだ水だからいいでしょう。 きれいにもなるでしょう、かぐや姫が飲んでいた水ですから。 さっそく調べました。日比谷の都会の先輩たちの研究です。これもびっくり。竹水 第3のエースとしてこれから台頭しましょう。
2013年03月16日
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2年の月日が過ぎた震災の日。 番組も震災後の状況を取り上げています。 大変でした。特に現地の人はこれからも大変です。 自然の脅威には、ただ驚くばかりです。 まだまだ復興が遅れて気の毒です。 集中して、国全体で力入れてください。 全国にわたった戦災を思うと、ピンポイント的にやれば早いでしょう。 しかし、原発の事故は完全に人災です。 見切り発車でなく、検証を徹底すべきです。 万年単位の別次元物質の利用は、アカデミックな分野の見解が主軸。 一般の○×で決めるべきものとは違います。 先端分野の学者の奮気を望みたいものです。 1000年に1度動く断層が、活か死かの論議はナンセンス。 日本列島は、フォッサマグナで折れてるぐらいです。 断層はどこにでもあると考えてかからねば。 フィールド調査で、断層の調査しても碗内だけでその外は皆目不明です。 碗外での事象で割れます。 耐震が先行でしょう。 東、南海地震の想定もされています。 東日本震災地を復興し、その教訓をいかして、先に繋ぐことが大切です。 不幸にして、2年前の今日。 お亡くなりになった方の御冥福をお祈りします。 うれしいニュース?。 取材記者のお話で、なくなった松原に「小さな苗木が芽生えてる」とありましたが、もしや、種が芽生えた事じゃないかと思うんですが、そうだったらうれしいんですが。(簡単なしゃべりの中でしたのでわかりません。)
2013年03月11日
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1本の松が枯れかけています。 40年生ぐらいです。 枝先には化石化したような松ぼっくりが落ちる力もなくびっしりとついています。 この木も又枯れるのかと思い近寄ってびっくり。 根元から5メーター地点の風下に3年生ぐらいの実生の松が数十芽生えています。 おそらく自分の生命が終わるのを数年前から感じ子孫を残す事をおこなっていたものでしょう。 みると風上5メーター地点には、2本の40年生くらいのすでに枯れてる松がありました。 どんなメカニズムで松の生木が枯れるのかわかりません。 松喰虫ばかりじゃないようです。 震災の一本松にかける思いもよくわかります。 自然の摂理でしょうが無性に感じた1日でした。
2013年03月06日
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原発で活断層がクローズアップしてきましたが、先日公民館で身近に活断層なるものの存在を聞きびっくりしました。 講師は放送大学の西田良平先生。 鳥取の地震研究では第1人者です。 「明日のことは今日やれ」が演題。 地震のメカニズムをお話になり、身近に活断層なるものの存在をしりました。 西部には 鳥取県西部地震地下断層、鎌倉山南方活断層 東部には 鹿野・吉岡断層、岩坪断層、雨滝・釜戸断層 中部には 大立断層、尾田断層、田代峠・布江断層 鳥取県も西部地震が最近あり、東部では1943年に鳥取大震災がおこっています。鳥取では都市のため、死者が1210人もあっています。 ここ中部は、大きな被害は、ありませんが、3か所の活断層の存在があるそうです。 エネルギーをため込むのに1000年ー3000年の周期があるとすれば、その年がいつかは、判定のしようもありません。いつでしょう。 大立の県道が崩壊してた事がありましたが、あのあたりでしょう。 中部の3つの断層線の方向は北西ー南東に連なり、構造線があるかもしれません。 これからの建設計画に加味していけば、千年の子孫が喜びましょう。 東日本の大震災は、3月11日で2年目になります。 南海トラフの巨大地震も想定されています。 津波はここまでは来ないという考えでなく、どう対処するかの関心はもっておくように申されました。 その時、出かけて遭遇するやもわからないから。 断層の存在すら、わかってるのは、一部です。、大地雷動して初めてわかるのがほとんどです。 河川はなんらかの断層後と考えられます。 あんまり深刻に考えないことです。
2013年03月03日
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