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4月13日。午前5時33分ごろ。淡路島震源で地震発生。震度6弱。 鳥取は震度3だという。 虫の音が3回ほど聞こえた。と思ったらグラグラ。 地震だ。 程度をじっとして待つ。 揺り戻しはない。 たいした事はないと、寝につく。 後で聞いたら、携帯が地震予知情報流した音が虫の音の正体だった。 息子の部屋で、携帯2個が一緒に鳴った音。 淡路島では、大変な被害。 震源の深さは約15キロと浅い。 マグニチュード6,3 1995年、阪神大震災はマグニチュード7,3、 この時はノジマ断層。今回は別の断層らしい。 南海トラフが話題になって緊張がはしる。 だからと言って、すぐ変動が起こるわけでない。 いつか起こる。の年代は数年、数百年、千年のサイクルだから、やっかいである。 南海トラフの内陸地震は、1943年鳥取地震7,2が最近の鏑矢らしい。1995年の阪神淡路大震災。2000年の鳥取西部地震7,3と鳥取は関連が深いものだ。自然の構成は、察しがつかぬ。巨大と申す他ない。活断層の基準は第4期の活動からをいうらしい。260万年ほど前からの断層活動。それで新しいというから尺度は、現実とはなれてくる。五十六億七千万年の宇宙の中の一現象からみると些細かも。人智を尽くして現象に対応していく姿勢は必要。だが行く手は、神のみがしる世界かも。活断層が身近に
2013年04月17日
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爆弾低気圧。地震。活断層。津波。 耳に新しい事象がでてきます。 富士山の爆発も視野にいれねばならない時期。 春の一番の嵐も、経験値以外の事象でてんてこ舞いです。 大雨に、大風に列島おおあわてです。 地球活動も新時限に突入も視野にいれるべきかも。 プレートの活動も活発。 活断層も顕著に動くでしょう。 今までの安全神話も基準を変えて対処する要がありましょう。 自然突発現象を恐怖で迎えるでなく、人類みなで英知で対処する時期です。 ミサイルで相手を云々の時期じゃなくなる時期がきましょう。
2013年04月07日
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東日本の津波で1本だけ残った松の木に人は敬意をはらいました。 だが枯れました。 レプリカとして残すことに努力しています。 大山池のほとりの散策路を行くと、万満と雪どけの水をたたえ、鴨の群れが、三々五々泳いでいます。 静かなこの森ですが、大きな松の木の残骸があちこちに細切れにされて朽ち果てています。 十数年前の松喰い虫の被害にあった後らしい。 相当の浸食被害があったようで、数えるほどしかのこっていません。 その残った松の木、40年生位が2本昨年秋ごろから葉の色が変わったと思ったら、完全に枯れてしまいました。 池の鴨を眺めていた時です。 手すりの下に小さな松の葉っぱがみえます。 よく見ると、松の小さな苗がはえています。 ここにも、ここにも。 手すりをよじ登るももどかしく、かけつけました。 小さいが元気な松です。そっとさすってやりました。 去年土手の草刈りをなさって、太陽が当たる地になったそこで、前におちていた松の種が芽を出したというわけ。 まわりの草をとって「大きくなれよ」と声かけました。 あと5-6年すると松が大きくなって鴨の姿も傾げてみるようになるかも。 天然の摂理おそるべし。
2013年04月04日
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昭和27年の鳥取の大火は160万平方メートルにも及ぶ焼け野原、袋川沿いの桜も例外でなかったようです。 袋川の桜は、明治38年日露戦争勝利を祝って植えられ、大正4年、大正天皇即位のお祝いに補植され、1里の桜として見事な桜並木に成長してたようです。 2度の災害に復旧するために、桜どころではなかったようです。 大火より数年たって、匿名の桜の苗木が鳥取市長に送られてきました。 鳥取の桜の思い出に感謝の志とのことで、毎年送られて10年も続いたそうです。その数は800本以上になったそうです。 のちに贈り主がわかり、京都大学におつとめの瀬川弥太郎さんでした。 学生時代に鳥取で過ごし「ぜひあの見事な桜並木を復活させて」との願いからだってそうです。 「瀬川弥太郎と袋川の桜」として桜土手の桜を愛でる会が、大事にそだてられているようです。 観桜に出かける前に、心の中に満開していつまでも散りません。
2013年04月02日
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鳥取の大火は昭和27年4月17日。 その前鳥取地震が昭和18年。 2どの災難で鳥取市の方々は大難渋をされました。 震災では、死者1000人を越し、家屋7,000余の被害があった由。 終戦をしのぎ復興をなしてこれからという時の大火は、大変でしたでしょう。 4月17日。午後2時55駅前から出火。フェーン現象による強い風15mにあおられ瞬く間にひろがったようです。 応援の消防隊も近隣からきたが、6台の市の消防車のうち3台修理中。3台の消防車も2代が故障で水圧もひくくと条件が悪かったようです。 罹災者2万余名、死者2名。罹災家屋5,288戸で、鳥取市の所帯数は1万3千だったから市民の半数が罹災したことのようです。 焼け跡の写真をみせてもらいましたが、それこそなんにもなく、御寺の石塔だけが林立してるのが不気味とおもえました。 県立図書館の写真展示を見て、この難事を乗り越えてよくぞ立派な都市に蘇ったものと感心しました。 、
2013年04月01日
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