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10分ほど前に、蚊は生まれて始めて水辺から飛び立った。本能は身を守るために警告した、満腹は命がけであると。本能は正しくて膨れた腹が破けがりがりになった体が足を宙に向けて今、ひんやりした畳の上に転がった、手のひらに僕の血を残して。#227
Nov 27, 2011
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確かに、この部屋には空中を泳ぐ金魚がいて、時々、ポチョンという金魚が水の中に飛び込むような音がする。金魚はわたしに見つからないようにいつもわたしからは見えない空間を泳いでいる。わたしが突然後ろをふり返ってもすばやい動きで、金魚は決して姿をみせない。最近、わたしは心配している。金魚が部屋から抜け出しわたしの後を密かに泳いでついてきているのではないかと。#226
Nov 20, 2011
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疲れた若者は日記に記した、女たちが信じられないと。深夜、添い寝する見知らぬ女の眼がぎろっと輝き蛙のように軟体化しとろんと液状化しその男の口から体内に入って行った。女は思った、弱い者にとどめをさしてあげようと。#225
Nov 13, 2011
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あの若い水泳の先生は恐らく溺れているのだろう。自分の実力をみせつけたかったのに違いない。流れの速い川に飛び込んでいって、もうずいぶんと長い間浮かび上がってこない。でも恐らくは大丈夫だろう。そのうち、ぷかりと浮かび上がってきて、周りの人々が気づいて陸に引き上げ、人工呼吸を行い、彼の鍛えられた肉体、特に呼吸器官のおかげで彼は助かるという筋書きだ。テレビドラマを10や20集めても一人の人生を覆い尽くせないのか、それとも、人生はしょせんテレビドラマの集まりなのか。テレビドラマならば、おそらく、あの水泳の先生は助かる。昔の私ならば、結末を知らないと気が済まなかった。しかし、年を取ると他人の結末などどうでもいいことだし、自分の結末など、誰も注目していないとわかるようになってきたので、多少の心の起伏があるとしても結末を知ることの重要性は低くなってきている。明日の新聞を私はおそらく読まないと思う。水泳の先生の結末を知りたくないからだ。でも、人生というのは、やはり予測のつかないものだ。私がもうひきあげようと、土手の方を見上げるとあの水泳の先生が悠然と歩いているではないか。テレビドラマよりつまらない日常に、私は軽く失望した。#223
Nov 6, 2011
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