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今、大学時代の同級生と一緒にすすっているラーメンという炭水化物の分子鎖の先っぽにぶら下がっているのは、(そのラーメンがとてもおいしいので)希望であるのにちがいない。(僕の力はみなぎってきた!)こんなささいなことから生まれた希望に後押しされて、僕たち老人は、コップの中の泡の消えたビールを一気にあけると「人類の最先端を引っ張っているのは、老人の柔らかい意思である。」とラーメン屋で高らかに叫んだのである。#198
May 29, 2011
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都心の病院だというのに蛾がいた。 わたしは胸の手術が終わり、医者がなるべく体を動かしなさいというから、地下1階から自分の病室のある7階まで歩いていたときのことだ。 灰色のコンクリートの階段の隅に潜んでいたが、その薄く緑がかった白色の羽に眼を奪われた。それに加えてその小さな頭に付いてる白い毛の房のような大きな触角が異次元の生物を想起させた。 周囲の空気が冷たく張り詰め、わたしは威圧された。昼間の蝶のような感覚的な軽さはなかった。 同時に病的でもあった。その姿と色感は美しいと言っていいものであるのにちがいないのに、恐ろしい毒を内部に秘めていて近寄るものを速やかに、そしてまことに静かに倒してしまうような陰鬱な凶器を感じさせた。 この昆虫に触れてはいけないと思った。だからと言ってこのままこの蛾を無視して、今までと同じペースで階段を上り詰めていくことはもはやできなかった。 わたしは足を恐る恐る伸ばし、この驚異的な生物の心臓が鼓動していないことを願った。この冷たい存在感の理由を死に繋げたかった。 わたしのサンダルの先がそれに触れるか触れないかという極めて小さな接触があったとき、蛾はわずかに羽ばたき、いかにも本来の動きができないという風に再び地に這った。 階段の蛍光灯の光にこの蛾が封じ込められていることをわたしは知った。そして今なら逃げられると思った。わたしは急いで駆け上がり、一階の外来の出口から太陽の光の下に出た。万が一この蛾がわたしの後をついてきたとしても、初夏の強い日差しには勝てないと思った。そして、同時にわたしに取り付いた憂鬱も焼き焦がしてほしいと願った。 太陽の光はわたしを異様に高揚させた。病院を出ると、わたしは細い自動車道路を挟んで病院とは反対側にある堀の土手を歩きたくなった。土手の上に立ち並ぶ葉桜を圧倒するような強い日差しがわたしを誘導しているような気がした。 その土手を少し歩いただけであるはずなのに、病院に戻る道は思いのほか遠く、背中に汗をかいてそれがわたしの体を異様に冷やしていく。しばらく外を歩いていなかったからかもしれない。わたしの太陽に晒されている皮膚はじりじりと焼きつくのに、それはあくまでも表面的でわたしの内部は背中の汗で冷やされていく。このアンバラスな感覚からか、わたしは気持ちが悪くなった。 わたしは病室に戻るとベッドに体を横たえた。汗に濡れた下着を替える気力も失い、気持ち悪さをこらえて眼をつぶった。 消灯時間までまだ何時間もあった。昼光の下でまぶたを閉じて得られた柔らかい闇の中で、わたしはいつものように深夜眼を覚ますと思った。 深夜、病室の外側の窓が白く輝いていることに気づく。白いカーテンの引かれた窓の向こう側に何がいるか、わたしは既に知っている。あの淡く緑色がかった白い蛾が、何百、何千と集まり窓ガラスに張り付いている。 羽音のひとつも立てることなくわたしをじっと見張っている。 わたしの手術した胸の傷口に、呼吸器外科の医師が取りきれなったわずかな腫瘍にまとわりつく憂鬱に産卵しようと蛾が待ち構えている。
May 22, 2011
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いつものようにひっそりと家に帰って車を点検してみたわけだ。すると、炎の燃え尽きた跡。小さな女の子が人形のように笑いながら車のライトの中に倒れこんできたからああ、おとぎ話の始まりなんだなと本当に思っていたらそれで、その女の子の炎が吹き消されていたわけだ。深夜、水道から水滴が垂れる音がぽたんと響く。水がくしゃっとつぶれた感覚のためか、自分の内臓を吐き出したく。もはや耐えられないから、あの女の子はとても可愛いかったと明日、誰かに言おうと思っている。#197
May 15, 2011
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4月の中頃の朝9時半を少し過ぎたぐらいなのだが、空は晴れ渡り太陽を遮るものがなく、どうもこの季節にそぐわない。 桜の花はとっくに散っているのだけれども、褐変化した花びらがまだ路上の吹き溜まりにある。 男はそのビルにあるスポーツクラブで半時間ほども泳いでいて、ほてった体にはその日差しは強すぎた。自転車を置いたビルの脇の駐輪場に行くと、駐輪場の入り口には自転車を止めないでくださいという張り紙があったので、彼は自転車を少し奥に置いたのだが、そんなことはおかまいなしに入り口付近に自転車がいくつも置かれている。 自転車の鍵の入った財布を取り出そうとして、ポケットに手を入れたときに小さな紙があることに気がついた。感熱紙に104番と書かれている。スポーツクラブで自分が使用した、貴重品を入れる小さなロッカーの番号だ。暗証番号を設定し貴重品を入れてロッカーを閉じると、自動的に今物品を入れたロッカーの番号を示した感熱紙が出てくる。 皆が似たような位置のロッカーを使うためなのか、いつも男が使用する番号のロッカーは故障したらしく使用禁止になっていた。いつもと異なるロッカーを使用したので、ロッカーの番号を忘れてはいけないとその紙を取ってポケットに入れたことを男は思い出した。 男はもはや無用となった104番と書かれた紙を、自分の隣にあった自転車の買い物籠の中に入れた。その紙の大きさは、買い物かごの網目よりも遥かに大きくて、網目をすり抜けることはありえなかった。ひらひらと空中を少し漂い、買い物籠の隅の方にたどり着いた。ちょうどそのときである、わたしという意識がその紙に宿ったのは。 わたしは今日の天気であれば、こうしてこの自転車の籠の中にずっといてもいいかなと思った。しかし、そんなうまい話はないだろう。 あとしばらくすると、この自転車の持ち主が現われ、その籠の中の紙に気がつき、おそらくはくしゃくしゃに丸められて地面に捨てられることが容易に推測された。しかし、それで104番という紙であるわたしが終わるわけではない。丸められたわたしは、自転車置き場に敷かれている丸い小さな石の上に留まるかもしれないし、細い舗装された通路に沿って風で流されていくかもしれないが、ともあれ存在するわけだ。 わたしは存在に感謝した。わたしは永遠を手に入れたと思った。 この自転車の持ち主は、籠に白い紙の1枚ぐらいが入っていても、それほど腹を立てはしなかった。 彼はビルの隙間の駐輪場で、誰も見ていないだろうという開放感に浸った。彼は、わたしという紙を二つに折ってさらに二つに折って、それから、わたしを縦に横に引き裂いてしまい、わたしはいくつもの小さな紙片にばらばらにされてしまった。わたしが十分に小さくなると、それを空に向けて放り投げた。 「紙吹雪だ。」 さすがに彼は大きな声を出しはしなかったが、童心に一瞬返った。 柔らかい風が流れ、わたしは散った。 小さくなったわたしは風に乗り、吹き上げられた。 わたしは確かにここに存在しているけれども、他の切り刻まれた紙片にもわたしは存在しているのだろうか。この紙片にだけわたしがいて、他の紙片にはいないのではないかという気がした。同時に、そんな風に考えて自分だけが存在していると思っているわたしが、切り刻まれて生じた紙片の数だけいるような気もした。 あるわたしは風に舞い上げられ、ほとんど垂直に上昇し、このビルの裏側の道を挟んで反対側に流れる川にまで到達し、桜の花びらのように水に浮かんで海までいくかもしれなかった。 しかし、このわたしは、残念ながら風にうまく乗れず、2,3回くるくると回るとすぐに落下して、この駐輪場の舗装された通路に落ちた。自転車を置きにきた人々に踏みつけられる運命が待っているかもしれないが、わたしはともあれ存在していることに満足した。
May 8, 2011
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