2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全23件 (23件中 1-23件目)
1
前回の旅行記の最後、パリ市内からシャルル・ドゴール空港に向かうバスの中で、「ここにはまた来るような気がする」と、特別な郷愁も抱かずに頭から確信した通り、再びこのフランスへの旅に赴くことができたのは、その確信に反して特別に感慨深いことであった。その理由は、前回の旅のおかげで、ヨーロッパが近くなったこと。もちろん、旅を終えて、それまで識りながら識らなかった西欧についての様々を、旺盛な興味関心でもって追体験したことも大きいだろう。 またこの感慨深さには、別の理由もある。前回は、フランス、それもルールドなど、一生に一度行くかどうかも分からない場所で、まさかあのタイミングで訪れることかなうとは思わず、しかしせっかく目の前にチャンスがあり、誘いもあったのだから、と半ば勢いに任せたような動機もあった。 今回は、このルールドという、きわめて特殊性の強い場所を目当てに、時を空けずニ回目の旅をすることがかなった、という優越感とも違う得意気があったことは否定しないにしても、やはり一度かの地を訪れているせいか、また逆に今回の参加には前回のような必然性がなかったために、それを埋め合わせるがごとくに、今回の旅に対する目的意識が、つまりは事前の思い入れが強くなっていて、それが純粋で生真面目であるほどに、軽くいなすことあたわず、したがって旅の直前まで入念な下準備や下調べが重ねられ、結局旅の前にひどく消耗してしまったというのが本当のところであった。(つづく)
2006/06/30
コメント(0)
「二作目は駄作」という、信憑性はさほどないが、よく聞く不文律がある。しかり、このいわば“二作目”にあたる旅行記は、一作目と異なる事実が盛り込まれている以外には、取り立てて取り柄のない駄作である。しかし、それは重々承知の上での執筆である。今後、旅を重ねる幸運に恵まれるかもしれないが、しかし手垢のつかないまっさらな感覚は、なかなか得がたいという予測も容易に立つ。しかし、さしあたり“目新しい事実”だけを記しておくだけでも、単純に、読む人にとってはある程度の娯楽性はあるであろうし、また書き手であり、旅に身を置いた私自身にとっても、そこから、無垢でも新鮮でもないが、しかし面白い目線や気づきを得られる可能性もあると確信しているのだ。また、全身で感覚した旅を、今こうして知覚のみで振り返る行為は、私にとっては知性的な運動であるから、それ自体に価値はあるものとも思うのである。 果たして、駄作に違いない旅行記がしかし、次の新たなる処女地の開拓にあたって、この細い躯体に一握りの閃きを準備する架け橋の役割を立派に果たすものと信じてやまない。(つづく)*前回同様、この旅行記はさらに今後、事実関係について必要最低限の修正が加えられる可能性があることを断っておく。また、フォントの関係で、一部のフランス語、スペイン語については、現段階では正しい表記がされていないことをあらかじめ断っておく。
2006/06/29
コメント(0)
フランス旅行記アップします、と告知してから早二ヶ月。いい加減に呆れてしまっている方も、相変わらずお待ちくださっている方も、本当にすみません。ようやく本原稿が脱稿しました。原稿用紙にして80枚弱。 帰国後は、なかなか集中できず、こんなに時間がかかってしまいました。やっぱりこの手の原稿は、帰って来てすぐに、一気にまとめるに如くはないですね。気持ちも落ちてしまうし。 ということで、本原稿にリライトをかけながら、今後毎日少しずつ、写真とともにアップを開始します。今回の旅行記は、前回とは違って、普段書く原稿のトーンに近い形で掲載します。また日記のタイトルの方は、前回とあまり乖離しないよう『フランス~スペイン旅行記』とシンプルにしたいと思います。 さてさて、長いこと引っ張りましたが、ようやく『フランス~スペイン旅行記』のスタートです。(了)
2006/06/29
コメント(0)
私、ビール飲まないので、知らなかったのですが、プレミアム・エビスビールなるものが存在するそうですね。何でも、5000本に1本の割合で入っているそうで、ビールの市場への出回り具合を勘案すると、まずお目にかかるチャンスが低いとか低くないとか(どっちなんだ)。ともあれ、その“幻のビール”を、ついに見てしまいました。 それは、いつもジュースを買う近くの酒屋さんでのこと。お店の奥さんが出てきて、「ちょっとアナタ、仕事がうまくいくありがたいビールがあるわよ」!!って、なんで今難航してるの知ってるんだ(考え過ぎか)???で、それがなんとこのプレミアム・エビスビールというワケ。 一体何が違うの???そう、ラベルが違うのです。どう違うの???な、な、なんと、恵比寿様が抱える鯛が二尾に!!オシャレに小脇に抱えてらっしゃる!! 細かすぎます・・・。でも、笑えました。奥さん、「写真に撮ったいた方がいいわよ」なんてけしかけるので、じゃ、遠慮なく、カシャリ。あんまり奥さんがハイテンションなので、こっちもつられてしまって、あ、コリャありがたい、ってな具合に、しっかりビンを撫でてきましたよ。二回も(飲ませてはくれないんだ、やっぱり…)。 ちなみに、当たり前ですが中身は通常バージョン(食玩じゃないんだから)と変わらないそうです。いやぁ、いいモノ見させてもらいました。心なしか、運も向いてきたような気もします。(了)
2006/06/27
コメント(9)
昨晩は、W杯、イタリア×オーストラリアを観戦しました。日本を苦しめてグループリーグを突破したヒディンク監督率いるオーストラリアの試合ぶりにも関心がありましたし、イタリアのスタメンにも注目していました。しかしオーストラリア、強いですねぇ。 私、サッカーはあんまり詳しくないですし、好きな国、好きなチームもないんですけど、選手個人にひいきがいます(これ、野球も同じです)。私は、デル・ピエロ選手のファンでして、これは98年大会の辺りから、まぁ、なんという綺麗な、華やかな選手がいたもんだと思い、注目してきました。顔とか、ファッション、といった外的な要因ではなく、佇まいが綺麗なんですね。まず、サッカー選手としてプレーが美しい。それから、ワンポイントで試合全体の流れを変えてしまう閃きが美しい。燃費がいい感じが美しいわけです(それだからこそ、大怪我のあと、筋肉をつけ過ぎて、キレがなくなったことが残念で仕方がなかったのですが、これについては当時のトレーナーが、「デル・ピエロのキャリアを摘んでしまったのは、怪我に堪え得る体を作ろうと筋トレを指導した自分の責任だ」というようなコメントをしていたのを読んだ記憶があります)。 そんなデル・ピエロ選手も、W杯ではなかなか結果が残せず、キャリアもピークを迎えています。ようやく代表に残ったW杯出場ですが、それも今回が最後でしょう。 そのデル・ピエロ選手、今回の大会もまだまだ活躍していないんですよね。で、昨晩の試合はスタメン出場。しかしやっぱり、彼らしいプレーができていませんでした。あきらかに、衰えと終焉を感じました。美しいものが散り行く様はまた美しく一抹の寂しさとともに観戦しました。ま、試合には勝ちましたので、今後の試合でデル・ピエロ選手が、最後の一花を咲かしてくれるものとまだまだ期待しています(インザーギ選手も、きわめて彼らしいゴールで復活をアピールしたことですしね)。 そしてトッティ選手。これまでも“王子”“王様”と呼ばれてきましたが、昨晩、あのPK一本で、本当の意味で“イタリアの王者”になったような気がします。そういう、ハッとする瞬間を目撃したような瞬間でした。ヒディンク監督率いる韓国にしてやられた前大会。今度はオーストラリアを率いた仇敵に対峙。思うところもあったハズ。一人退場で圧倒的劣勢。試合終了まで数十秒。ようやく勝ち取ったPK直前、画面には覚悟を決めた“男”の両目だけのカットが、長いこと映し出されました。あの、視線。そして、迷いなく、一発で試合を決める。 かつて個人的には、デル・ピエロ選手に比べて、トッティ選手は野蛮な感じだなぁ、品がないなぁ、美しくないなぁと思っていたのですが、昨晩、彼の「完成」を目の当たりにして感服しました。 昨日光っていたのは、他にはピルロ選手でしょうか。ちょうど、デル・ピエロ選手とトッティ選手のいいところを併せ持ったような、と同時に器用に過ぎるような選手ですが、彼の存在は今後のイタリア・サッカー、それもジラルディーノ選手やトニ選手ら新星たちを別の角度から刺激する存在になりそうだな、とあらためて感じました。(了)
2006/06/27
コメント(2)
![]()
YUI、最近よく聴いてますよ。えぇ、もちろん『タイヨウのうた』のアノ曲ですけど。映画そのものは、まだなんともコメントできない状態ですが、主題歌“YUI for 雨音薫/Good-bye days”、なんか耳に残るんですよね。 はじめ聴いたときは、パンチがないなぁ、元気がないなぁ、と思いました。でも、すごくマイナーな展開なのに、やたらにサビがキャッチーなんですよ。単調だけど、ドラマティックなメロディを持ってる。そして声。ガンガン聴かせるタイプではないけど、声ヂカラがあります。 一方で、日本音楽史でいうと、アイドルから派生した、半アイドル半アーティスト的な一番ストライクゾーンが広い場所で新陳代謝を繰り返してきた、ある意味で激戦区に倖田來未が今この瞬間いるとすれば、YUIはその対極。といいつつ、映画タイアップで打ち出すところは、ソニーさんも巧いね(中島美嘉と同じような、虚実をクロスさせた、つまり本人と劇中人物を非分離にする方法です)。 あんまりハッピーでもない。可愛いのかもしれないけど、華やかなオーラがあるワケでもない。トラウマ系でもなければギャル系でもなく、ストリートでだけど、もろフォークでもない。ナチュラル(だからこそ、宣伝側もいろんな色をつけやすいともいえるでしょう)。宇多田ヒカルや倉木舞が出てきた時のような、シンガーソングライターって何ぞや、的な問いもうまれそうにない。この地味だけど、滋味ある佇まい。言うなれば、キャロル・キング的か。つまり、純粋種のシンガーソングライター、てこと。(了)YUI for 雨音薫/Good-bye days*この一枚も注目されていたので、思えばその後が長かった・・・。 ↓【CD】YUI / feel my soul <2005/2/23>
2006/06/26
コメント(1)
今日は、以前知遇を得、私が「騎士道精神を捧ぐに足る数少ない現代女性」と呼んで尊敬する(実は大学の大先輩であったことも判明。大先輩は余計でしたね)Uさんのお誘いで、百合丘キリスト教会で行われる西由起子ソプラノコンサート(ピアノ:なかにし あかね)『はかり知れぬ愛』を聴きにいってきました。 真面目に教会に足を運ぶのは実に久しぶりですが、とても心温まり、心静まる時間を持つことができました。もともと学生時代からの友人という西由起子さんとなかにし あかねさんですが、息の合ったテンポ良い展開でコンサートは小気味良く進行。そしてとても感動的だったのが、このコンサートの後半で、作曲家でもあるなかにし あかねさんが、星野富弘氏の詩に曲を付けた歌曲が演奏されました。全7曲を西さんが歌い、最後に、様々な想いを込めて、また先の星野氏の歌曲を受けて、最後にじっくりと歌い上げられた『いつくしみ深き』(賛美歌312番)では、場内で感極まった人のすすり泣きも。 私もとても感動したのですが、それは星野富弘氏の詩にまつわるある思い出があるから。いくら私といえども、やっぱり時には運命にひじ鉄砲の一つや二つ喰らわされたこともあるわけで、少年時代、モヤモヤしてうまく自分を受け入れられなかった年の誕生日、母からもらったのが星野富弘氏の絵のついた誕生カードでした。それは、その後の私にとって、宝のような存在で、そこに込められた母のメッセージは単純なものでしたが、息子を信じる深い想いが詰まっていて、今でもあの時の喜びを忘れることはないのです。 それを思い出しながらしみじみとコンサートを聴き終えた私は、今何かと慌ただしく、少々疲れている母にプレゼントしようと、“星野富弘詩による歌曲集『二番目に言いたいこと』”のCDを一枚購入して教会を後にしました。(了)*星野富弘詩による歌曲集『二番目に言いたいこと』についてはコチラをご参照下さい。
2006/06/24
コメント(2)
今朝の日本×ブラジル戦、すごかったみたいですね。色々な意味で。ブラジルに一矢報いたのは嬉しいニュースですし、やっぱりここで敗退、というのは寂しいです。日本を盛り上げてきたジーコ監督と日本代表の労をねぎらいたいです。 ところで、今朝の試合もそうですが、なかなか敵陣でプレー出来ない試合ってありますよね。時間中ほとんど、自陣で苦しい防戦一方、というようなケース。ああいう時、「これ、ピッチの使用料、半額にしてもらえなかいかなぁ」(まぁ、そんなものがあればですけど)なんて思ったりします。半分しか使わせてもらってないじゃん、このチーム、と思うわけです。思い切って、敵陣でプレーすればする程使用料が減るとか、なんかメリット作ると、積極的なゲームが沢山観られるのかな、なんて素人くさい発想も。これじゃ何だか、携帯電話のサービス合戦みたいですね。 まぁ逆に考えれば、敵陣しか使わせてもらえない“強い相手チーム”も半額でいいのではないか、という意見もありそうですが(ないない)、そんなつまらない土地の「有効活用」や「コストパフォーマンス」に想いを馳せながら、日本の去ったW杯の舞台を見守っていきたいと思います。(了)
2006/06/23
コメント(0)
昨年、映画『ルパン』のPRキャンペーン(アフィリエイトのように、バナーから公式サイトに誘導し、アクセス数、つまり広告効果を競わせるスタイル)に参加し、訪問者の皆様のおかげで、ブログ立ち上げ半年の状態で、上位入賞することができました。そのとき感じたのは、同キャンペーンに参加した人たちが、いかに怪盗ルパンを愛しているか、ということ。結局、作品についてあまり知らない人でも、ネットに関する知識と技術があれば、結構なアクセス数を稼ぐことができるわけで、そのあたりの「思い入れ派と現実主義派のギャップ」が、一つの苦い課題として残ったようなのです。上位入賞者には賞品が出たこともあって、映画『ルパン』に愛着がない人でも参加することができたわけで、そのことで、キャンペーンそのものの意味の問い直しが、掲示板上で話題になっていたようです。 私個人としては、そのようなところまで考える余裕がなく、ただただ筆に任せて、可能な限りフェアな方法、つまり記事のみによってアクセス数を獲得するように心がけました(バナーも貼れませんでしたので、テキストリンク・オンリーでした)。私はルパン愛好者ではなかったのですが、子供のころに、ミステリーというよりは冒険活劇のジャンルとして飽きずに読んだ記憶がありました。しかし、ルパン愛好者の参加者の皆さんの熱意にも理あり、と思い、あらためて、文庫で入手可能な作品をすべて、半年かけて読破しました(勉強用、仕事用の読書量がかなりあるので、その合間にエンタテイメントのみを求めて本をまとめて読むのは結構大変でした)。 結果として、アルセーヌ・ルパンなる“人物”の理解が相当に深まり、これは世のルパン愛好者がそうであるように、ルパン自身が実在の人物であるという確信を得る域まで到達したのです。そして、可能な限り、長い間その世界観に首を突っ込んでいたい、という欲望を抱くまでに至ったのです。自己愛から自由になれない人間という存在-たとえ強烈な自己嫌悪も、強すぎる自己愛や、自己の理想像のゆえなのであれば-は、自己との同一性の高い対象に撞着を超えた思い入れを禁じえないのです。 それで、他に関連作品がないか探していたところ、なんとありました。それは、ピエール・ボアローとトマ・ナルスジャックという、それぞれフランス・ミステリー界で活躍する二人の大作家がチームを組んで(結成は1952年)、覆面作家(というより、アルセーヌ・ルパン名義で!!)としてアルセーヌ・ルパンを世に再登場させた1973年(実に、作者モーリス・ルブランの死後30年以上後のことでした)の作品『ウネルヴィル城館の秘密』。古書で入手し、これまたあっという間に読了。面白い!!やっぱりルブランとは、文体もまったく違い、キャラクターの造形も微妙にズレがあるのですが、それはむしろ味になっており、世界観そのものは最高度に模倣されており、読者の誰もがそこに怪盗紳士の復活を目撃したに違いありません。これは翻って、ルパンという多重性を生きているはずの“人物”が、強烈な軸を伴って受肉しているからこそ、多少の誤差も覆い隠してしまうからでもあるのではないでしょうか。ルパンという人物を愛し、分析し把握すれば、もしかしたら誰でも、“その人自身のルパン作品”が書けてしまうかも知れない、と言うのは極論でしょうか。 同じくルパンを愛してやまないこの二人の作家が、「あの興奮を風化させたくない」という思い、一種の英雄待望のメンタリティから放った渾身の一作はまた、彼らの遊び心にあふれて洒脱です。ちなみに、ボアロー=ナルスジャック版は、事実のシーケンスが多数挿入されているので、ますますルパンが実在して来る演出になっていますし、それは作家たち自身の願望の反映でもあるでしょう。個人的には、『バルカンの火薬庫』で、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵が登場する件には興奮しました。何という贅沢な競演!! 彼らは、『バルカンの火薬庫』『アルセーヌ・ルパン第二の顔』ほか、全五作(後半二作はチーム名義で発表)を通じて、アルセーヌ・ルパンにふたたび縦横無尽の活躍の場を与えたのです。 キャンペーン終了からずいぶん経ちますが、今振り返って、映画『ルパン』で私が、かの名高き怪盗・ルパンから盗んだ財宝とは、この熱狂と興味関心の“種”だったのかも知れません。 それにしてもしかし、ルパン再生の年が私の生まれ年だなんて、嬉しいなぁ。(了)
2006/06/23
コメント(0)
Art Critic for Ryusei MizunoThe Mystery covered by Color txt by Rui OtaThis might be way too hard for the dog, but dog, this poor animal is pitiful the 'Colour Blindness'. In its eyes, even the beautiful rainbow is just the grey arc. It knows neither the color of the sky, nor the master complexion.Remembered the first time that I saw Mr. Mizuno Ryusei work is inside the Image. Inside the image, the instantaneous for people is: This is the work that even the dog will appreciate. The unique color and the strength of the natural which infiltrates the entire work, determines the character of the work. This is also the fascinating point of his work. In fact, everyone who correlated to the fine arts had given him the extremely high praise for the utilization of color. And compare to the Niigata natural scenery which is severe but also a bit lonely his work lets the people feel of warm.Does not need to continue to watch the documentary also can suspect obtains, his work has gone far beyond the watching imagination, has the inseparable relation with the ink and wash painting. The ink painting he drawn, was possibly already aloof left the ink and wash painting domain, and has the unusual thing in inside. But we may still discover that he has used all the ink and wash paintings essential factor in his work.Return to the topic of the dog. I said his work is even the dog will appreciate I have the reason to say this speech. Such assessment is unavoidable to get others misunderstanding. All I want to say here is, please do not use the general aesthetic concept to appreciate it, but completely abandoned the color part. He has utilized the intense color in his work; which may be derived from the author's painting features, and also may be the energy thereupon his unique artistic understanding. This is indeed to bring the beautiful experience to the audience. Imagine that inducts the section of influence into the computer, and then intentionally makes the black and white effect.Can you imaging that? It is the completely ink and wash painting world. Even the whole color part been deleted from the work, still will not reduce the value of the work, instead, the artistic value will be upgraded. He might not perceive that even his works has the intense color; in fact the work he creates is black and white on the canvas. We may deeply feel his attainment on the Japanese painting and the ink and wash painting from those Niigata’s landscape painting. If just appreciate his works from the color aspect absolutely can not realize the point, but all the viewer who take the color part as the premise can now appreciate his work from a deeper angle.I believe that even the tykes loafing in between the mountains and plains in Niigatas, surely will also appreciate the painter’s work from the artistic angle. (Fin)▲Ryusei Mizuno Official Webe Site*以前日記でも書きましたが、日本と上海で活躍されている日本画家の方がこのたび中国の文化研究所から図録を刊行されました。その際、図録のトップに私の書いた評を採録してくださいました。この評は、もともと本人に読ませる気もなく書いたものだったのが、ひょんなことから手元に渡り、大変気に入っていただき、最初は画廊向けのパンフなどに差し込むなどして使って下さっていたようですが、とうとう並み居る大家や専門家の評と一緒に採録してくださいました。また、「本当に気に入ったので、一番最初に載せました」と仰ってくださいました。私自身、会心の出来と思っていますが、読み手に惚れ込んでいただけることこそ書き手冥利に尽きます。 個人的には、自分の原稿が多国語に訳されることが興味深かったのですが、今回は英語と中国語に翻訳して採録してくださったそうで、日記では英語版を公開いたします。しかし、うまいこと訳してるよなぁ。
2006/06/19
コメント(2)
はぁ(溜息)。今まさに、そんなプレーをスルナ、とでも言いたいところですが、気を取り直して(いや、半ば諦めて)、今日はスポーツ新聞の大見出しの“予想”をいたします。。。*「出た!ピエロ!」→なかなか出場機会の与えられなかった、今大会最後と予想されるデル・ピエロが後半に出場、見事勝ち越しゴールを決めたら。*「アンリまぁ」→今大会得点王も期待されるアンリ、思わずヒートアップして一発退場したら。*「カカ大勝」→並みいるスターを押しのけて、カカのシュートがブラジルを勝利に導いたら。*「カカ天下」→同じく、カカがハットトリックを決めて、ブラジルを今大会優勝に導いた翌日には。*「ジラされた」→二度のシュートチャンスをものにできなかったジラルディーノ、後半残り5分でようやくシュートを決めたら。*「トッタ」→怪我をものともせず、トッティの活躍でイタリアが悲願の優勝を決めたら。*「カフーは寝て待て」→入国のみならず、寝坊して試合にまで遅れてしまったカフー。それでもブラジルが優勝したら(ありえん・・・)。*「メッシ奉公」→輝かしいデビューを飾ったにもかかわらず、先輩を立てるプレーに徹し、アシスト続けてアルゼンチンが勝利したら。「ベッカムなっちゃった」→相手チームの激しいマークで耳から顔面を鉢合わせ。耳がベッカムなっちゃった!!ときに(苦しい・・・)。「喰らうチ」→大会中弛みに入った時、クラウチが意外にも“やせの大食い”だったことがパパラッチされたとき。うーん、どれもベタです。しかも、「ありそうであり得ない」のばかりですな。一つくらい当たるかしら。(了)
2006/06/18
コメント(0)
またまた、W杯を、別の角度から楽しもうという日記。今回のテーマは「良い子、悪い子、普通の子」。“子”が付く以上、期待の若手(&童顔)から選びますが、まさ、「良い子」筆頭はやっぱりブラジルのカカ選手でしょうかね。この人は見るからにクリーンで良い子です。イタリアのジラルディーノ選手もクリーン路線だけど、ちょっと“子”ってカンジはしないですね。 次に「普通の子」。これは先日W杯で最年少出場記録&得点記録を刻んだ、アルゼンチンのメッシ選手。落ち着いている、と言えば聞こえはいいけれど、ちょっと心配になるくらいお人好しそうなお面相。ギラギラしてないのがいいですね。 で、「悪い子」。悪童です。イングランドのルーニー・・・と言いたいところですが、彼の場合は風貌が“子”ではないので、違います。そう、今大会の「悪い子」は、ポルトガルのクリスティアン・ロナウド選手。ま、スキャンダルも多い選手のようですが、そんなことよりも、あの顔つき。冷たい。ニヒル。残酷。時々浮かべる薄笑いが、「俺って天才」ってな高慢で我がままそうな、だけどちょっと美しい冷酷さが出ていて、ダークな雰囲気まんまんです。ちょっと、人の手柄を横取りしたり、先輩を敬わず実力主義を貫いたりしそうなイメージ。 ま、どれもこれも、あくまでイメージに過ぎないので、実際のパーソナリティとはまったく関係ないのですが・・・。そんな風なイメージを持ちながら、若手の群雄割拠を俯瞰してみると、また別の物語がイメージ出来て楽しいです(ちょっと孤独?)。(了)
2006/06/17
コメント(2)
![]()
見出し:もしサラリーマンだったら、すべての人がキリストかもしれない。鍋谷憲一著『もしキリストがサラリーマンだったら』(阪急コミュニケーションズ) 書店で見て本を買うのが楽しいが、通販のシステムが向上してからは中身も良く知らずに本を買うことが多い。大抵、ハズレの本に当たったためしはないが、中身も知らずに買って手元にとどいた本が、予想よりもはるかに刺激的だったときの喜びは大きい。 さて本書である。タイトルに惹かれて購入したわけだが、実にうまいタイトルをつけたものだ。目新しいわけでもないのに、思わず興味が湧いてしまう。しかし、実はこのタイトルは、厳しく言えば羊頭狗肉である。本書に出てくるサラリーマンたちは、キリスト者ではあるがイエス・キリスト本人ではない。もし本書の主人公が、一般のサラリーマンとして働くイエス・キリストであったならば、もっと面白い本になったであろう。そして、だからこそ、このタイトルは嘘である。 しかしこれには然るべき理由がある。それは著者自身がクリスチャンであり、牧師であるがゆえに、救い主イエス・キリストを、サラリーマンにあたかも霊のように憑依させて、そのしがらみの中で物語を牽引させることは、信仰上できなかったからである(その旨は、潔く本書のプロローグに記されている)。またある面では、すべてイエス・キリストの愛と契約を交わした者は、キリスト自身の恩寵に満ちているわけであるから、キリスト本人(つまり、父なる神とイエス・キリスト、そして精霊から息吹をいただいて、キリストの創造物としてこの体を生きているという意味で、であるが)という方便もいえない事はない。ともあれ、出版に際しての“企画力”の意味(良かれ悪しかれ)を考えさせられる。 それで、内容がつまらないかというと、それはまったく逆で、タイトルとのマッチングが納得できないという以外においては、非常に面白い本である。著者自身が、団塊の世代、高度成長期の日本を支えサラリーマンであったこともあり、10章にわたる各物語は臨場感にあふれ、そのストーリーをいかにイエス・キリストと結びつけるかもさりげなく、無理がなくて好感が持てる(ちなみに、主人公をイエス・キリストにできなかった代わりに、その象徴としてすべての主人公の頭文字をES=つまりイエスとしているが、そこに遊び心と、著者自身の神への“仁義”を感じる)。 しかし私にとっては、もしサラリーマンがイエス・キリストであったら、という文脈においてより、成長期の日本が世界へと事業を拡大していった時代に、会社人間と呼ばれた男たちが、どのような環境で、どのような想いをもって大事にあたっていたのかを知ることができたことが何よりの収穫であった。私は会社勤めをしたことも、志望したこともなかったので、サラリーマンの世界を知らない。しかし、商社マンだった私の尊敬する父は、まさに本書の著者と同世代であり、本書の主人公のような仕事をしていたに違いない。この本の中に、決して器用ではなく、人間としての純粋さを貫いてなお、スーパーエリートではなったが人並みには出世することができ、世界中にビジネスを越えた友人を持つ私自身の父の、あるいは祖父の姿を見た。そして、うれしかった。だから私は、本書のタイトルへの不満足感も含めてこう言いたい。そう、すべてのサラリーマンが、キリストだったのだと。時には悪魔も囁くであろう。しかしあの時代、仮にもサラリーマンであるならば、人はキリストでなければ生きていけなかったはずだ。誰であれ人は、本来、愛にあふれた正義感ある存在なのではないだろうかと、持論の性悪説を覆しそうになる、すがすがしい一冊である。 “世界相手のサラリーマン”の倫理観が低下している現代日本において、「サラリーマンの仕事も悪くない」と思いながらページを繰ることができるだろう。団塊の世代のパワーを掘り起こそうではないか!! そして、今実業人として円熟期を向かえる父に、応援の意を込めてこの書評を捧げる。(了)もしキリストがサラリーマンだったら
2006/06/16
コメント(0)
去る5月21日のことですが。とうとうやってしまいました。これを道楽と呼ぶべきか。先日取材にうかがった、人間国宝で九谷焼の大作家、石川県が世界に誇る徳田八十吉先生の作品を購入してしまいました。銀座の骨董屋で観て、取材で陶房で観て、実際に取材して先生の情熱と個性に触れ、その都度一目惚れです。欲しい。手元に置いておきたい。しかし、金にあかせるよりもやはり身の丈に合ったものを選ぶのが粋だろう(その逆はなんとも野暮ですよね)と、私にふさわしい作品を探していて、ようやくお目当てを見つけました。 とにかくその青さと、ガラス器のような艶かしい輝きに引き込まれてしまって、一目見たその瞬間から、網膜の裏に、脳裏に、この青がびっしり、しっとり結露してしまったような感覚でした。この青から、様々なインスピレーションが感じられる!!そう思うといてもたってもいられなくなり購入したのです。それからは、毎日飽かず作品を眺め、蕩けるような面差しで、この官能的な青の耀きと対峙しています。(了)九谷焼 ほんだ
2006/06/14
コメント(2)
コートジボワールやら、セルビア・モンテネグロやら、トリニダード・トバゴやら、何だか長い国名が多いワールドカップ@ドイツですが、中途半端な思いつきで、ちょっとグループごと出場国の文字数をカウントしてみたんですよ(職業病か?)。合衆国とか共和国とか、そういうのは除外した表記で見てみましたら、最も短かったのはグループEとグループGで、ともに12文字でした。決め手は、それぞれ米国と韓国で、これをどう表記するかが鍵でした(大げさだなぁ、もう)。 日本代表が苦しいから、ちょっと現実逃避してるのかって?いえいえ、ちょっと違う角度から、サッカーの世界大会を楽しんで見ようという思考実験です!!(了)
2006/06/14
コメント(2)
観てしまいましたね、W杯日本×オーストラリア戦。いやはや、なんとも悔しい結果になりました。「どうして最後にこうなるのかなぁ」という思いだけが残ったわけですが、その前に行われたスウェーデン×トリニダード・トバゴ戦を観ていて感じたことは、つくづくと監督の力量の大きさ。トリニダード・トバゴなんて、人口130万人の小国です。それがエースを抱え、上位食い込みが予想されたスウェーデンと堂々の引き分けでした(しかも、スウェーデンの方は焦りばかりが目立ち、むしろトリニダード・トバゴのほうがいきいきとプレーしていました)。試合終了後に、まるで勝利の凱旋のようにトリニダード・トバゴの選手もサポーターも大盛り上がりしていたのも納得です。国に帰ったら英雄ですよ。で、そのトリニダード・トバゴの安定したプレーには、ベーンハッカー監督の戦術眼への信頼があり、選手たちはしっかりと作戦を遂行していたのです。だからこそ、それ以外の部分での個人の力量やモチベーションが高い緊張感を生み出したのではないでしょうか。 そして昨晩の日本戦。やはりオーストラリアのヒディンク監督の采配が大きかったのかな、と思いました。1点ビハインドの試合展開の中でも、つねに隙をうかがい、積極的に駒を差し込んでいった攻めの姿勢と、何よりも落ち着き。冷静に、最後の一瞬まで戦況を把握し、予測していたのではないでしょうか。 ジーコ監督が悪いとは思いません(何しろ、私はブラジル育ちですし、当時の英雄ですから)。ヒディンク監督が、自身のヴィジョンを信じ、徹底して選手に“仕事をさせた”のに対し、ジーコ監督は、日本選手の自主性を重んじました。個人技を重視するブラジル・スタイルのサッカーを推進したわけです。確かに今回の日本代表は、経験もスキルも、過去最高と呼べるラインナップです。ただ、個人技は、よほどのレベルまでスキルが到達しないと、かえってチーム仕事であるサッカーでは悪影響(試合のリズムについて)が及ぶ可能性も高いのではないでしょうか。ジーコ監督は、日本選手を信じていたのでしょうが、私個人としては、日本選手の個人技のスキルはまだまだ世界レベルではないと思います。そしてそのことが、ハーフタイムでジーコ監督が選手たちに出した「後半は、勝っているチームらしい試合をしよう」という言葉を、自信ではなく過信へと置き換え(つまり個人主義の暴走による緊張感の弛緩)させてしまった原因なのではないでしょうか。 ハートやマインドの部分では、日本選手は十分世界レベルに達していると思います。責任感も申し分ないでしょう。やはりスキル。それも、ジーコ・ジャパンの目指すプレースタイルにマッチするだけのスキルが、やはり足りなかったのではないかと感じています。そうであれば、今求められるのは選手の自主性ではなく、まずは監督の“雷”。徹底してチームプレーと戦略に沿った仕事を、選手たちにさせること。そして、監督を含め、“チーム”として一つの勝利にこだわる連帯感ではないでしょうか。 個人技の王国、それも、ジーコ監督が求めてやまないすべてを有しているとも言えるご本家・ブラジルとの試合も控えている日本代表。ここで、一つ大きな気持ちの切り替えをし、もう一波乱起こしてくれることを願ってやみません。ジーコよ、ふたたび英雄になれ!!(了)
2006/06/13
コメント(5)
![]()
日本レーシング界のスター・佐藤琢磨氏と、スカーレット・ヨハンソンがそっくりに見えて仕方がないのです。鼻筋といい、ちょっと虚空を見つめる表情と良い、骨格といい・・・。誰か賛同者が出ないかと期待していますが。(了)*ちょっと苦しいかなぁ。 ↓
2006/06/11
コメント(2)
![]()
非常にタイトなここ十日。木曜日は知人のパーティ、金曜日は大学時代の恩師との再会があり、ようやく泳ぎ付いた土曜日。ゆっくり休もうかとも思いましたが、先週末訪れるはずだったプラド美術館@東京都美術館ももう間もなく終了、土壇場の混雑が予想されるので今日辺り行こうか・・・と思い立ち、眠い目をこすって上野へ。 午後2時過ぎに到着しましたが、場内混雑で5分待ち。しかしこの入場制限が非常に効率的で、好感が持てました。入場制限をすることで、かえって中で比較的ゆとりをもって鑑賞する事が出来、「5分待ってゆっくり観られるなら」という木にさえなったほど。 さて内容ですが、贅沢です。スペインの画家だけを挙げても、日本人に人気のエル・グレコをはじめ、ベラスケス、ゴヤ、そして最大の目玉はムリーリョの『エル・エスコリアルの無原罪の御宿り』。他にも、イタリアやフランスなどから集められた貴重なコレクションが目白押しです。 プラド美術館と言えば、もう「まさにスペイン!!」な美の殿堂なわけですが、この企画展を観ても、つくづくスペインの美術は、光と影のアートだなぁ、と痛感。ありきたりに言えば、スペインの中世絵画とは、それまで平板だった宗教画中心の西洋絵画が、人文主義や自然主義、それに科学的な視座を得てルネッサンスを迎え、絢爛な芸術を経た後、あまりにカトリック的な厳格で質実剛健、そして栄光と落日を短い期間で経験する悲哀を反映した、あの静謐でいて滾るようなダークな情感が特徴なのですが、そのきわめて良い例が、ベラスケスの世界観なのかな、と思いました(エル・グレコもスペイン的なのですが、この人はまたちょっと異質な気がします。個人的には、アニメのルーツではないかと感じていますが)。ベラスケスの持つ静と動のコントラストが、そのまま中世スペイン絵画の光と影であり、スペインという国の歴史の陰影であり、同時にあの乾いた気候と照りつける太陽のなす陰翳を象徴しているような気がするのです。そしてまた、今回感じたのは、中世スペインの絵画の魅力は、そのワイルドでザラついた雰囲気にもあったのか・・・ということ。どんなに古典的なテーマや、寓意的な主題、華やかな階級の日常を描いていても、どこかに粗さがある。野趣とでも言えそうな、誇りっぽさと言うべきか・・・。だから、旧約聖書の世界を描いた作品は、妙にしっくり来ていたりして・・・。 こうしてきわめてスペイン的なる美意識を体感しつつ、展示の最後にロココの間に辿り着くと、急に変な気分になるのです。本来素晴らしいロココの作品も、なぜだか安っぽい作り物に見えてしまいます。視覚を通過して得た認識に馴れるということの怖さでもありますが、光と影の妙に浸ったそのすぐ後にロココの淡い光に包まれると、ちょっと興醒めかなという気もしました。 そうした展開に、個人的にはやや納得がいかなくても、これだけ豪華な作品を一挙に鑑賞出来るということは何よりも貴重なことです。未体験の方は、ぜひ会期中(6月30日から7月2日に会期が延びました!!)に足を運ばれることをお薦めします。(了)追)ムリーリョの『エル・エスコリアルの無原罪の御宿り』は大好きな作品で、いつか本物を・・・と思っていたので、さすがに対面に感動し、しばらくは動けませんでした。何だか涙が出てきてしまって・・・。ほかに素晴らしかったのは、『フリアン・ロメロと守護聖人』(グレコ)、『リマの聖ロサ』(コエーリョ)などでした。 【情報】プラド美術館~スペインの誇り、巨匠たちの殿堂~東京都美術館 企画展示室(上野公園)2006年3月25日(土)~7月2日(日)開室時間:午前9時~午後5時(入室は閉室の30分前まで)休室日:月曜日(5月1日は開室)東京都台東区上野公園8-36 Tel: 03-3823-6921プラド美術館名画に隠れた謎を解く!
2006/06/10
コメント(0)
FIFAワールドカップ開幕です。寝不足も「オッケー、ドンマイドンマイ」と許される(?)夢のひと時の到来です。とはいえ、ブラジル育ちでありながら、意外にサッカー詳しくないワタクシではありますが、ワールドカップの良いところは、何と言っても、顔。イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、中南米諸国。濃い!! 4年に一度、“濃い口の顔”が許され、注目されるありがた~いイベントなのです。不肖ワタクシ、かなり濃厚なお面相で、フェミニンなお顔立ちの男性がもてはやされる昨今にあっては、若干時代遅れな感もあるワケですが、ワールドカップ開催中は大手を振って歩けますからね。これでユニフォームのレプリカなんか着たら、「てっぺんからつま先まで、なりきりサッカーフリーク」の出来上がりなのであります。 前大会中は、某デザイン事務所のサッカー好き社長から、「今テレビでフィーゴの脂っこい顔見てたのに、今度はt-kieroさんかよ」とまで言わしめた濃厚フェイスを、開催期間中は満喫したいと思っておりマス。(了)追)なぜか猛烈に多忙で、珍しく三日もブログを放置してしまいました。コメントを下さった方、すみませんでした。追)そしてこんな内容の日記が、なんと記念すべき500件目の日記でした。
2006/06/09
コメント(4)
かねて日記で書いた通り、明日は山梨に取材に行ってきます。詳細はまた改めるとして、足掛け5年で取り組んできた『白地図国盗物語』も、残りわずかになってきました。ここへ来て、なんとこのテーマのお仕事では、徳島県と佐賀県が取材出来ない事になり(なんと、エリアの関係で取材先が存在せず、隣県と合同扱いなのだとか)、結局明日、山梨は武田信玄の領地を攻めれば、なんとまぁ、残るは“奈良の都”のみになります。奈良を取材すると、件の二県を除いて、日本全国を取材したことになるワケです。このまま行けば、間違いなく今年中には全国制覇になりそうな気配が・・・。では明日、行ってまいります!!ところで今の時期、山梨は何が美味しいんだろう???(了)
2006/06/06
コメント(0)
コクチナシでございます。告知なし、でございます。そんな薮から棒に!!で、どんな花か・・・と言うと意外に見てなかったりして。道ばたにいきなり「コクチナシ」という文字を見つけた事のシュールな感覚がたまらず、そちらにばかり気が行ってしまいました。嗚呼、もっと真面目に生きないといけないですね。。。(了)
2006/06/05
コメント(10)
今週は何かと人と会う事が多く、じっくり原稿に向かう時間が確保出来ませんでした。ブログで予告した旅行記のアップですが、今週は果たせませんでした。下原稿は、すでにフランスからスペインに入るところまで書き上げているのですが、まだまだ推敲が足りず、ちょっとアップ出来る状態じゃないのです。 今週はともかく、遅くまで仕事があるか、人と会うかのどちらか。今日は今日で、知人が演出する芝居(限られた空間を舞台にしながら、スピーディな展開を持ち、同時に締まった演出で、堅いモチーフの風刺劇ながら笑いのみに走ることなく、久々にシンプルでしっかりした芝居を観れて充実)に駆けつけたり、と出ずっぱりの日々でした。 来週こそは・・・と思っていますが、すでに山梨に飛べ!!との取材依頼が入っていたり、ちょっと落ち着かない雰囲気です。しっかり落ち着いて旅行記に集中したい!!(了)
2006/06/02
コメント(2)
今日は、これまで撮影等で外からしか見たことがなかった表参道ヒルズに足を踏み入れ(じっくり探索は後日改めるとして)、その後は、表参道ヒルズと同じ並びに位置するネスパス(新潟市サポーターズクラブのベース基地)に、父の誘いで行って参りました。 定期的にイベントを行うここネスパス。今回は、新潟市が生んだ大作家・坂口安吾生誕100年を記念し、かつ新潟市が政令指定都市になった記念の合併記念事業として設立された安吾賞創設を盛り上げるための集会およびイベントでした。地下では、お酒が好きだった坂口安吾に因んで、安吾'S BARなるブースを設け、初披露の日本酒を片手に、トークショーや語らいのひと時を持つ仕掛け。 安吾賞とは、新潟市の記念事業のアイディアを一般公募して出来た文化賞です。この賞の面白いところは、文学賞ではなく、文化賞というトコロ。つまり作家に因んでおきながら、文章も原稿も作品も必要ないわけです。坂口安吾を、権威におもねることなく、物事の本質を突くことで時代に旋風を巻き起こした人物と捉え、“現代の坂口安吾”的な人物を捜し出して賞を授与しようと主旨なのです。反権威の人・安吾を戴いて、権威の側が賞を与えることに矛盾はあるを承知で、坂口安吾の業績を称え、混迷する日本に活力を与えるきっかけになれば、というのが主旨だそうです。 県全体を挙げてのPRに力を入れてきた新潟県および新潟市のこの企画。果たして第一回目は誰が受賞するのか。パーティに出てしまったからには気になります。(了)
2006/06/01
コメント(2)
全23件 (23件中 1-23件目)
1