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以上が今回の旅の顛末である。フランス~スペイン間を、ジグザグに移動したこの慌しくも贅沢な旅の全容である。 振り返れば、思いのほかそこに様々な意味?事実という“形”が、言外に、しかし雄弁に物語る表象の数々?を見出すことができそうだ。ルールドからスペインにいったん入り、またフランスの地を踏むという反復の意味。思いもかけず逡巡したことで、風俗の点から、つまりはより日常的な角度から、非日常を観察したことの意味。あるいは、意図した再会と意図せざる再会、そして意図しながら果たせなかった再会の意味。 旅は、目的の60パーセントが果たされれば良しとする心構えが必要だと、いつか聞いたことがある。今回の旅は、人によってはトラブルも多いものとなったが、私に関して言えば、幸運なことに、無事完遂することができたのは何よりである。 ありきたりな表現だが、「二度あることは三度ある」ともいうし、「三度目の正直」とも言う。次回、ルールドを、ヨーロッパの地を訪れるのはいつになるか、今の段階ではまったく分からないが、もし次回があるとすれば、今度はより力強い確信の中で、静かな祈りのためだけに、かの地を訪れることができることを今から祈っている。三度になればこの旅は、より真の意味での巡礼へと近づくのではないだろうかと、勝手な思い込みで自分自身を赦しながら。(了)*写真は、パリの空港で見つけた日本のマンガ。『奇面組』は海外でも人気。
2006/09/30
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この日、いよいよ日本へ帰国とは言え、フライトは最終の23時だ。午後もたっぷり時間はある。 希望としては、今年はギュスターヴ・モロー美術館を訪れたかったが、こちらも休館。昨年も訪れたピカソ美術館に、再度を向かう。その後は、パッサージュ散策、ヴァンドーム広場からリヴォリ通りに抜けるカスティグリオーネ通りの古い印章店を覗いていようと思っていた。 昨年は、フランシス・ベーコン絡みの企画展を催していたピカソ美術館であるが、今年はピカソの初期のミューズ、ド・ラ・マールをテーマにした特別展が開催中だ。昨年はベーコンを大々的に取り上げていたので、常設の作品も少し控えて展示してあったようだが、今年は、ピカソ関連では世界でもっとも充実した美術館という評に違わず、彼の代表的な作品を含めて、かなり膨大な名作の数々を鑑賞することができたのは収穫であった。ピカソの精力的な作品群を、これでもかとばかりに堪能する。傍で少女が、巧みにピカソを模写しているのを見ると、やっぱりピカソは童心の方が正しく観られるのかな、と思ってしまう。 メーデーにもかかわらずオープンしていたピカソ美術館の賑わいを後にして、今度は散策予定の通りを地図で確認するが、それらはどうも、ここから近いとも言えそうにない。旅の疲れもピークを迎え、敢えてという気力が湧かない。ならば、今日は夕方まで、とことんアテもなく歩き回ってみようと決心し、街の目線でぶらぶらと辺りを歩き出す。 これまた、果たして自分の歩いているところがどこなのか分からないが、少なくとも堂々巡りをしてないことだけは確かである。この辺りは、比較的高価なアンティークなどを扱うお店が並ぶが、どこも大抵閉まっている。 と、前方に、なにやら見慣れない表記の、異国情緒漂う瀟洒なお店が見える。表記はロシア語だ。もしや!?急に心当たりができて、ぐんぐんと近づいてみると、なんと、ファベルジュの工房の作品を置く宝飾店だ。しかも、しっかりオープンしている。 中で、ひとしきり、その精巧で、あまりに美しい楕円に見とれ、一つ一つ吟味した後で、お気に入りを求める。願う力とはこうまでも強いものか!! そこからはすっかり安心しきって、ふたたびアテのない散歩を続行する。気がつけばノートルダム寺院まで来ていたり、そうかと思えば、文房具屋さんばかりの通りに出たり、あるいはギャラリーばかり集まる一角に出くわしたり、ストリートミュージシャンのたまり場の人だかりから首を出したり・・・。ファルセットでオペラを歌う、ちょっとなよなよした男性歌手、マヌーシュ(ジプシー・ジャズ)を弾く若手ミュージシャンのバンドらが気に入り、しばし耳を傾ける。 どれだけ歩いたのだろうか。コーヒーの一杯も飲まず、ミネラルウォーター片手に、ひたすらに歩き回った。何を見たのか、あまり覚えていない。つまり、いたって普通の暮らしを旅したのだ。そろそろ日も暮れてきた。フライトまでは時間があるが、空港には夕食を摂って早めに向かわねばならない。バスティーユ広場の真ん中でタクシーを拾い、混雑を後にする。同時に、この旅ともおさらばだ。(つづく)*写真はパリ街中。交通事情はあまりよろしくない。
2006/09/29
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私が、ベルギー大使館の文化イベントの両国の調整役を務めた時以来交流のあるプロモーター/ミュージシャンからお誘いがあり、去る9月14日、渋谷のクロコダイルで開催されたナイジェル・マクレアンのライヴに行ってきました。 前半はスペシャル・セッション。水口昌明(ギター)、楠井五月(ベース)、 ゲストに北床宗太郎(バイオリン)といった面子。セッションは、ジャジーな雰囲気たっぷり。往年の欧風カフェ(ま、行ったことはないのですけど)のような猥雑なれど洗練されたムードの中で、ナイジェルのインプロヴィゼーションが炸裂。ワタシ、この方大好きで、何度かステージに足を運んでいますが、スキルもさることながら、ステージングがイイ。ジャムを楽しんでいるフィーリングが全身から出ていて、聴いてるコッチも盛り上がります。 自身のバンド“Blue Dugs”は大所帯のようで、ナイジェルはステージで、「今日は仲間を連れて来れないから、マックを連れてきたよ」とご愛嬌。しかし、個人的には彼のバンドの曲はプログレッシヴ過ぎて、いまひとつ好きになれませんでした。よく言えば、頭の良い音楽なのですが、アート性が強すぎて、身体性が欠けるような気がしました。ただ、こうした音楽的実験そのものが、あえて身体性を排除する意図だったのかも知れませんが。 気になるのは、ゲストで招かれた女性シンガー。バラード曲でのリズム感はもう一つ、という感じでしたが、難しいはずのアップの方は相当にレベルが高く、グロウルするところもパンチがあって素敵でした。とても美人だったので、詳細が知りたかった…と弟にこぼしたら、馬鹿にされましたけど。(了)●ナイジェル・マクレアン/Nigel MacLean オーストラリア出身のジャズフィドラー。米国ボストンにあるバークレー音楽院に奨学生として留学した後、プロのバイオリニストとして活動を開始。1991 年から94年にかけては、Diz Dizley、Bob Dylan、John Denver、Paul Kelly、Renee Geyerといった一流アーティストたちと共演するかたわら、オスカーに2度ノミネートされた実績を持つDavid Hirschfelderのオーケストラディレクターとしても活躍。『Elizabeth』や『Sliding Doors』、『The interview』などの作品も手がける。近年は、豪国きっての人気ピアニストJoe Chindamoのアルバムに参加するかたわら、1999年から手がける『Don Harper's Project』が2004年ついに完成。自身のリーダーバンドBlue Dragも本格的に始動。 2004年の初来日以来、彼のダイナミックで創造性に富んだ演奏は、観客ばかりでなく、数々の演奏家からも熱い注目を浴びている。
2006/09/28
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新潟県関連の文化事業の紹介や人的交流の場、情報発信基地を趣旨とする表参道のネスパスで行われた、坂口安吾賞(安吾賞には野田秀樹氏が選ばれた模様)のレセプションにてご縁をいただいた、新潟お笑い集団NAMARA(NAMARA=なまら、は新潟弁でスゴイの意)の江口歩代表から>エグチです。ご無沙汰しています。>本日発売されたAERA「現代の肖像」に記事が掲載されました。>五ページたっぷり紹介されていますので、良かったらじっくり立ち読み願います。とのメールを受け取った。かねてより、何度かメールでやりとりをしてきたが、江口氏の、過激にして本質を突いた活動が、徐々に全国区への階段を登り始めているという感触だ。 自殺率全国第2位の新潟を明るくしたい。それも、ただ面白いだけでなく、世に笑いの意味を問いかけ、「笑う」という行為の本質的な機能の復権を目論む新潟お笑い集団NAMARAは立ち上げから7年。 彼らの活動を、手塚眞氏(手塚治虫氏の息子でヴィジュアリストとして国際的に活躍)は好意的な意味で「見世物」と評したが、まさに、そのアンダーグランド的な演目は、“分別の仮面”をかぶる偽善者には「品が無い」と映ることだろう。しかし、周縁者として欺瞞的に憐れまれる人々を、嗤うのではなく笑うことで、演者も観客も、胸のつかえが取れる、一種のカタストロフィを感じるに違いない。そう、誰の心にも良心は宿っている。しかし、知らぬ間に刷り込まれてしまった“取り澄ました価値観”が、良心と義侠心にフタをさせてしまっているのだ。新潟お笑い集団NAMARAの活動はラディカルだ。しかし、その根底に流れるメッセージを、荒療治によって覚醒することができれば、自己に内在する“純正の良心”が稼動し始め、おそらく、真の意味でバリアフリー、ストレスフリー、そして共生のマインドに自らを解き放つことで、より自由な人道的フィールドに解き放たれる“心の軽やかさ”を体験できるかもしれない。●江口歩 プロフィール(“江口 歩、笑い、コミュニケーション”より) 1964年生まれ。レコード会社に勤めながら、1986~89年 劇団 遊◎機械/全自動シアターに所属し舞台に立つ。その後 出身地新潟へ戻り1997年 お笑い集団「NAMARA」結成。数々のイベントを企画、編集、総合プロデュース。ラジオ、TV番組への出演ほか、司会、執筆など様々な活動をしている。●新潟お笑い集団NAMARA連絡先(有)ナマラエンターテイメント〒951-8065新潟市東堀通6番町1051 G・Eビルディング2FTEL:025-222-1125 FAX:025-222-1126NAMARA事務局東京支局 東京都港区赤坂9-6-28TEL:03-3479-6026●エグチアユムのブログ ***お笑い集団NAMARA全国制覇への道***
2006/09/28
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ダウンロードしてみましたよ、Google Earth。グーグルのトップページから、マック/ウインドウズどちらのユーザーにも対応したGoogle Earthが、無料でダウンロードできるんです。前から話題になってはいましたが、ついに日本語版リリース。そして、実際に使ってみると…まだ何がなんだかワカラナイ。けど、オモシロイ。 早速大雑把に住所から検索してみると、衛星写真で自宅の屋上をかなりのアップで確認。吃驚仰天。画像も軽く、鮮明。すごいなぁ、と素直に感心してしまいました。 インターフェースもシンプルで使いやすく、慣れればかなり楽しめそうです。実用性、話題性だけでなく、ロマンティシズムも味わえるこの新サービスを体験してみない手はありません。使い方として、地図以上、遊び心以上の何か、あるいはネット社会上での意味付け/位置付けがどのように醸成されて行くかは、ユーザーの使い方次第ではないかと思います。 さぁ、老いも若きも、まずはGoogle Earthダウンロードです。(了)
2006/09/27
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あの究極のB級映画。並み居る大作の尻馬に乗った図々しいまでに不適な映画『カリビアンMEN・リターンズ』を知っているか!! 北を指さないコンパスだけを頼りに、特殊能力を持つ男たちが、ミュータントとの共存を恐れる人間社会に背を向けて七つの海に旅立つ。そう、ミュータントと人間の共存を実現させるという、伝説の“和平の護符”を捜し求めて…。 なんて映画は実在しないわけですが(したらむしろ見てみたい)。実は最近、まったく映画を観る時間がないのです。大作から小劇場系まで、観たい映画は山ほどあるのですがまったく観れない状況。フラストレーションを超えて、一種の焦りになってます。 最近はかえって小劇場系の映画の方が、すぐにDVDになったりします(ただし単価は高いですけど)し、この手の映画は、一人で家でしんみり観てるほうが好きだったりもするので、まだいいとして、大作はやっぱりデカイ画面で観たいもの。 で、その観たい作品をつなげると、表題のようなインチキB級映画になるのです。そう、『パイレーツ・オブ・カリビアン』、『X-MEN ファイナルディシジョン』、『スーパーマン リターンズ』。どれをとっても、自宅のDVDじゃ物足りない…。 しかもどれも夏映画ですから、ぼちぼち上映回数が減ったり、早々に上映終了になりそうな作品も…。どこかで時間を見つけて、一気にハシゴするしかなさそうですね。(了)世界2500個限定発売!マスターレプリカ社パイレーツオブカリビアン ジャック・スパロウのコンパスリアルアクションヒーローズ X-MEN ウルヴァリン (9/下 発売予定) <送料無料>アイロンパッチ(スーパーマン)
2006/09/27
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今朝はさすがに疲れが出たのか、あるいはパリの街もメーデーで、それほど急いで出かける理由もないからか、旅先には珍しく8時に起床する。今日は、一か八かで、パリでの目的の一つであった、タチアナ・ファベルジュのアクセサリーを買う予定だ。 なぜそんな買い物が、わざわざ訪れた旅の目的の一つにまでなるのか。実は前回の旅で母への土産に購入した珍しいペンダント。その独特の形状は“ファベルジュの卵”と呼ばれ、これまでに、数々のミステリーや小説で盗まれてきた(『オクトパシー』でボンドが盗み、『オーシャンズ12』でブラッド・ピットらが頂戴した)。このペンダント、その作品は国宝級の価値を持つ帝政ロシアの宝飾デザイナー・ファベルジュの後継者、タチアナの手によるものだったのである。前回、パレ・ド・コングレの宝飾店で、「これは珍しいし、絶対にお薦めよ」と店主に推奨されたのだが、後で調べてその魅力に取り付かれてしまったのだ。 実際、母にプレゼントしたものは、個人的にも気に入っており、一度贈ってまた取り返すことほど野暮なことはないと知りつつ、ぜひ一つ手元に欲しいと思い(実は、この作家の作品は、どれもデザインが女性的で、たまたま昨年母に贈ったのが、男性にも合うというだけの理由からではあったのだが)、今回はその“交換条件”に見合う逸品を探し出さなくてはならないのだ。そうでなければ、通る筋も通らない。 朝食後、コンシュルジェに、昨年“ファベルジュの卵”を買い求めたお店が、メーデーでも開いているかどうかを確かめる。このお店、パリ市内に二店舗あり、両方確かめてもらったがいずれも今日はお休みだという。落胆は隠し切れない。しかし、どうしても諦めきれない。それで、とりあえず午前中は、昨年訪れた店まで行ってみることにした。 とはいえ、折角のベルシー地区の静かな朝だ。そのまま目的地までタクシーで一直線、というのも味気ない話である。それで、とりあえず1時間は、行けるところまで、どこまででも歩いてみようと思い、俄然興味の薪が内側で燃え出した。 方角は間違いなくパリ市街地を目指している。それは確かだ。しかし、実際今自分がどこを歩いているのかはまったく分からない。薄暗い路地を避け、人気のある道を選んで歩を進める。メーデーとは言っても、花屋、パン屋など、日用品を扱う小さなお店は開いていて、眺めているだけで生活が分かり楽しい。 小一時間歩いたであろうか、いよいよタクシーに乗ろうかという段になって、この地区にはタクシー乗り場が少ないことに気がつく。急に、残された時間が気になる。何しろ、ホテルのチェックアウトは12時きっかりだ。 少し小道を入ったところで、人相のよろしくない運転手のタクシーに飛び乗る。そこからパレ・ド・コングレまで20ユーロだから、結構な距離である。 シャンゼリゼ通りをぶっ飛ばすタクシーは、観光用の二階建てバスに衝突しそうになり、悪相の運転手は、クラクションを鳴らして呪い言葉を吐き捨てる。石畳の上をひた走るタクシーは、きわめて乗り心地が悪い。 パレ・ド・コングレに到着。昨年のパリの滞在が一気によみがえる、この光景。タクシーを降りるが早いか、一目散にお店に向かう。このパレ・ド・コングレの地下にある高級ショッピングモール(もちろん、昨年泊まったホテル、コンコルド・ライファイエットにつながっている)は、テナントの入れ替えも激しそうなので不安ではあったが、目的の店ははたして、そこにあった。しかし、案の定閉店である。 ここまで来た。そして閉店だった。負けて悔いなし、である。気を取り直して、ベルシー地区までタクシーで大返しをしなくてはならない。(つづく)*写真はベルシー地区、セーヌ河畔。曇天の下のセーヌ川は隅田川と似ている。
2006/09/25
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『結婚できない男』最終回、観てしまいました。この番組は結構好きで時々観ていましたが、私はいつも最終回を見逃す男でして。変な時間に仮眠をとって、昼夜逆転しないための秘策としてずっとテレビを点けていたことが幸いしました(でも、結局その後も一睡も出来ず…無念)。今回はジンクスを克服しました。 終わり方、主人公二人の関係の行方、続編アリやナシや、はたまたDVD化決定の反響。イロイロございましょう。しかし、私は同番組のサイトに、金田裕之のHPがあることに猛烈に感動しまして、思わず日記をアップしてしまいました。まぁ、コアなファンの方々にとっては今さら…なんですけど、こういう遊び心、好きだなぁ、と。 実際金田のHPと交信しまして、「お、金田、更新してるな」と呟いてみたり(なワケない)。ギャラリーでは、番組に登場した画像があったり、WORKSがすべて工事中になっていたり、と思わずニヤリな仕掛けが。こうしてみると、金田も結構いいヤツじゃないか。愛すべき男です。ちょっといい友達が出来ました。(了)
2006/09/20
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見出し:関係性に働きかけるカウンセリングは、実践にこそ在る。国分康孝著『カウンセリング心理学入門』(PHP研究所) 刊行当時、もしこの本に出会っていたら、私はカウンセリングの勉強をしていなかったかも知れない。なぜなら、カウンセリングに当時抱いていたイメージと、本書の内容は大幅に乖離しているからである。 10年以上前、カウンセリングとは、“心”を扱う援助的行為と思っていた。しかし、実際カウンセリングが対象とするのはむしろ関係性(もちろん、個人の心も包含した)の方である。 私自身が、なぜカウンセリングを勉強し、今カウンセリングに対してどのような距離感を持っているのかを計るために、あえて入門書を手に取ってみた次第だが、改めて、カウンセリングは思弁ではなく、実践の中においてこそ存在するものだと気付かされた。(了)カウンセリング心理学入門
2006/09/20
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去る日曜日、実に何年かぶりに「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」を通しで観た。今や、日曜のプログラム、黄金リレーの二本だ。 「ちびまる子ちゃん」、オープニングテーマ変わってないんだ…。良き知らせである。何しろ、アニメのオープニングテーマは、番組のコンセプトやテーマ、メッセージやキャラクターを背負うものであるから、そうそうコロコロと変わっては定着もしない。最近は、タイアップなどでやたらテーマの変わるアニメがあるようだが、どう考えてもキャリア不十分か、もしくは停滞期に入ったアーティストの救済措置にしか思えない。子供はそんなに甘くない…と言いたいところだが、この件に関しては子供は所詮子供である。目先が変われば、すぐに新しいものに飛びつく。幼少の時期から、ブームに踊らされ、いたずらに消費欲求を刺激し充たすことに馴れさせるのはいかがなものか。 「ちびまる子ちゃん」。内容は相変わらずなんと言うことはない話。庶民の日常を描いたこの手のマンガ。「じゃりン子チエ」が「ちびまる子」ほどのブレイク(マーチャンダイジングを含めて)をしなかった、その境界について考える。或いは、「クレヨンしんちゃん」ブーム。 「クレヨンしんちゃん」が大嫌いだ。というよりも、あれは子供が観て楽しい番組ではないはずだ。「クレヨンしんちゃん」は、実際はかなりアナーキーでナンセンスな、大人向けの風刺マンガだと思うのだ。 話を戻す。まる子のお姉ちゃんは、クールビューティーだ。ある種の“萌え”である。エンディングテーマが変わっていた。西城秀樹氏が歌っていたこともあったような記憶がある。 それなりに「ちびまる子ちゃん」の世界を踏襲したテイストだが、ちょっと浮かれすぎな気もする。これでは、オープニングと締めが同じである。爆チュー問題とのコラボレートの必然性が見出せない。アニメーションの振り付けは、パパイヤ鈴木氏のようだ。 「サザエさん」が始まる。あぁ、これもオープニングが変わらない。良き知らせである。あのテーマ、いつ聴いてもモダンである。ストリングスとホーン・セクションのかぶせ方が、ものすごくファンキーにして上品である。特に、一番が終わって、二番に入る手前の間奏の音のハネ、粘っこいリズムが、実は相当に黒い。マーチとジャズの融合である。 しかし、歌詞は相変わらずひどい。魚を猫にくわえられれば、確かに話題にはなる。しかし、買い物に行って財布を忘れても、歌にするほどの目引きがあるとは思えない。不可思議だ。 カツオは駄目な子供の典型である。なぜなら、あの年齢ですでに“駄目な大人”になっているからだ。恐るべき子供。出世か、もしくはゴロツキのどちらかである。カツオにすぐにかつがれるサザエの勘の悪さよ。「女性の勘は鋭いのよ」説、全否定である。 波平は、まだ還暦前!?衝撃。フネは、理想の良妻賢母である。波平が、往年の女優の追っかけをし、ブロマイドに鼻の下を伸ばしていても、妬かない。大人である。 ノリスケは編集者だったのか。自宅で油を売っているのがばれそうになって、サザエからかかった電話に、息せき切らした声真似をして誤魔化そうとする。しかし並みの編集者の給料で、玄関から電話のある場所まで、息が切れるほど走らねばならないほどの豪邸には住めないはずだが。かつがれるサザエもサザエである。 いささか先生の声はセクシーである。あのヘアスタイルをなんとかすれば、ちょいモテの可能性も否定できない。マスオの存在には癒される。今こそ、マスオの時代と声を大にして叫びたい。人間関係の緩衝材である。 今日はワカメの登場が少ない。 エンディングテーマは変わらない。またまた良き知らせである。変わることが求められる時代。そこに、変わらないことでポジションを保つことの難しさと、スタイルの究極を知る。不易流行。日曜日らしい日曜日であった。(了)
2006/09/19
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昨夜は、帰宅して水が出ないとシャワーも浴びずに床に就いた。これで四ツ星とは。パラドールとは大違いである。今日は、ふたたびフランスへと戻る。バスは、バルセロナ空港を目指して朝の渋滞をかいくぐる。バルセロナ空港内には、珍しく囲いのない喫煙スペースがある。まもなく、我々はエール・フランスにてパリに飛び立った。 思い返せば、前回も含めた過去二回のフランスへの旅で、ここド・ゴール空港で降りたのはこの日が初めてだ(いつも乗り継ぎに使うばかりで、後は陸路でパリに入ったからだ)。空港から市内へはバスで行く。この日、パリは雲行きが怪しく、我々を迎えたのは雷雨だった。 途中、オニオンスープの滅法旨い店で昼食を摂り、一年ぶりのパリの名所をバスから高見しながら、まずは一路ノートルダム寺院に向かう。 「ギーガーのエイリアンの胃の内部」と昨年形容した、どうにも抗いがたい魅力を持つノートルダム寺院との再会もまた素晴らしく、やはり何度訪ねても心を蕩けさせられる。前回の旅行記にも書いたが、この建物は、後姿が妖しくも端麗で、私は好きだ。 落ち着かない天候は、今度は晴れ間と変わり、この雨上がりの空に型抜きしたようなエッフェル塔のシルエットは美しい。特に、激しい雨がスモッグを洗い流したかのように、エッフェル塔は鈍色に磨きがかかっているようだ。 駆け足ではあるが、一通りパリの街を眺めてからホテルへと向かう。ホテル・ソフィテル・ベルシーがあるここベルシー地区は、もともとフランス各地のワインを迎える港町で、倉庫街であったのを、遊び場・スポットとして再開発したパリでも新しく若い感性のあるエリアだ。ただ、所謂パリらしさはあまりないことと、パリ市街地からのアクセスがあまりよくないことが不便である。 夕食は、昨年と同じ店で頂く。昨年克服したエスカルゴ嫌いを証明するかのように、なぜか今回は14個のエスカルゴを平らげる。早いもので、明日はもう日本へ帰国する。慌しくも、西欧らしい国家間移動を堪能したこの旅も終盤に差し掛かっている。 セーヌ川の夜景を眺めながら気持ちよくホテルに戻るが、昨年の「重量制限20kgのトラウマ」が脳裏をよぎる。帰国前夜、明日時間ギリギリまで散策を楽しむための、“制限オーバーしない荷造り”に、今晩は、旅の余韻に耽るまもなく余念がない。(つづく)*写真はノートル・ダム寺院の内部。
2006/09/18
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ここ一年くらい、少しずつ健康について考えはじめています。ま、三十路を越えましたしね。でも片端からトライするというよりは、比較的保守派。結構ベタなものから手を付けています。その一つが豆乳。これ、結構続けています。 いままで豆乳というと、どうしても抵抗があったのですが、最近の製品は飲みやすく、クセもありません。その昔、父が商社マンだった頃、まだまだ日本にも世界にも豆乳が物珍しかった時代、その普及に奔走していたことを思い出しますが、当時の豆乳は何とも言えない臭みがあって、ちょっとエグかったような思い出があります。 しかしまぁ、豆乳とはよく言ったもので、豆のお乳ですからね。お乳というのは、ほ乳類が自分の子を養うために一定期間分泌する栄養分のこと(今さら言うまでもないですね、ハイ)で、豆にお乳とはいかなることか?まさか、豆が親豆のお乳を飲んで成長しているはずはないワケで。敢えて言うなら「豆汁(せめて韻を踏んで、“とうじゅう”と読みましょう)」じゃないのか??? っと、まぁ、そこまで深く考えても仕方がない話なんですけど、今では当たり前のように使われる豆乳なる言葉も、結構いい加減なネーミングですね。(了)*昔は飲みにくかったんだよなぁ、コレ。 ↓大豆イソフラボンたっぷり配合!かつての飲みにくい豆乳とは一味違う♪
2006/09/17
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またやってしまいましたね植草クン。冤罪でないともまだ言い切れませんが。植草クンの行為に対して、倫理道徳や社会的正義の観点から書かれたコメントは多数存在すると思いますので、ここでは別の角度から彼と彼の行為を、試みに考えてみます。 人は、誰しも欲求や欲望を持っています。その形は様々ですが、こうした原初的な欲求や欲望は自己実現の原動力となり、欲望や欲求に衝き動かされた行為を通じて、人は自己実現をしていきます。 では植草クンの抱いた欲望や欲求は罪悪だったのか、と言えば、そうではありません。それは、人間の性的欲求や嗜好の問題で、それを元とした欲望や欲求そのものは、例えば宗教的教義に基づいた信仰生活を送っているのでなければ、罪とは言えません。 成熟した大人は、人間(つまり社会的存在)であるために自制心を養います。自制心とは、欲望や欲求を行為に移す前に働く、成長過程で培ってきた善悪の判断をする正義観や、感情をコントロールするメカニズム、社会性―ひいては、その人自身の知性と言えるものです。この自制心を働かせ、欲望や欲求を行為に移さなければ、植草クンは犯罪者にはならなかったのです。 人は、自己実現のモデルの中に、“こうありたい自分”、“こう見られたい自分”つまり、自己が思い描く自分自身の理想像の他に、他者の認識を通じて自己の実現欲求を満たしたい理想像を抱きます。 植草クンが、今回の事件を否認し、「やってない」「でっちあげ」と毅然と答えたのは、一般的にはエリートと呼ばれる“社会的地位や肩書きはそのままに、痴漢行為を「やってない」自分”でありたいという自己実現の理想像があったからに他なりません。 人は、社会の関係性から疎外されることなく、自己及び他者が認識する自己の理想像を実現するために、欲望や欲求をそのままの形で行為にすることを控え、反社会的行為でない形で昇華する方法を学びます。これが自制心なのです。 植草クンの場合は、“社会的地位や肩書きはそのままに、痴漢行為を「やってない」自分”でありたい時にだけ、否認という形で、自制心を働かせたと言えるでしょう。しかし、働かせるべき自制心はその前にあったはずなのです。 植草クンには特権意識や女性蔑視のメンタリティが「ある」と読む向きもあるようですが、私は、植草クンにはそういう精神性の前に、自制心が「ない」のだと考えます。自制心を養うことが出来なかったのであれば、これは幼少時に行われるべき道徳教育のし直しをしなければ、残念ながら、この先彼は何度でも同じ過ちを繰り返すでしょう。 人の行為には、すべて有形/無形のメッセージがあります。意識的/無意識的に、その行為には「伝えたいこと/隠したいこと」が込められます。込められるというよりは、「伝えたい/隠したい」からこそ人は行為をするのです。 自分の立場(および自己の理想像たるエリートという肩書き)を十分にわきまえていながら、自制心を働かせることができず、欲望や欲求を、そのまま行為にしてしまった植草クンが、痴漢という反社会的行為を通じて、何を「伝え/隠し」たかったのか、その行為に託されたメッセージとは何かを分析することの方に、もう少し注目する必要もあるのではないかと考えています。(了)
2006/09/16
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とにかく問い合わせがすごかったんですってね、ギャッツビーCMの“声の主”について。過日、当ブログにも情報を寄せていただきましたが、ネット上では同じような話題がゴマンとありました。なので今更なのですが、“声の主”は日本で活躍するシンガー/ソングライターのGary Adkins氏だそうです。早速検索してみると、オフィシャル・サイトが!!日本絡みのCM、かなりこなしてますねぇ(ちゃんとギャッツビーのCMも試聴できるし…)。 ぱっと見、ありし日のフィリップ・ベイリー氏@アース、ウインド&ファイアみたいなお面相。ま、スムースつながり、ということで。シカゴ生まれで、アトランタ育ち。初期はアトランタで音楽活動開始。大物プロデューサーと契約して、活動拠点を米国外に移すことに(何だよ、モータウンからもオファーが来てたのか…スゴイ)。ブラジルからドイツ、韓国、香港、日本など、まさに世界を股にかける活躍。 その後米国に戻り、なんとマーヴィン・ゲイのカヴァー(しかも“Innner City Blues”。ほぼ全編ファルセットの原曲だけに、自分の魅せ方、わかってるなぁゲイリー氏)。ソロ活動もそこそこ当たったようですが、結局再度日本に戻り、職人気質全開!!鈴木雅之氏、SPEED、杏里、ハウンド・ドッグらのツアーやレコーディングでコツコツとその美声で貢献。かたわら、CMやジングルなども手がけた模様。その一環がコナミのゲームの中のカヴァー曲やら、今回のギャッツビーの仕事だったワケですね(確かによく聴くと、「愛がすべて」原曲よりも、フェイク部分のコブシ回しがもう一つ多い!!)。 ちなみにGary氏、好きな数字は3。ボクシングが大好きらしいです。(了)ギャッツビー ムービングラバー クールウェット 15g
2006/09/14
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元来コンピレーションものが嫌いな私。コンピレーションというからには、com(con)なわけですから、意味があってコンパイルされなければ意味がない。綿密だったり明確なコンセプトが一本あって、それに従って編集されてあることに妙味があるはず。しかし、昨今のコンピレーションものといったら、「女性」とか「癒し」など大きなテーマで括っておいて、あとは雑多に曲を並べるだけ。これ、福袋より酷い“一山幾らで持ってけドロボー”の世界です。音楽の叩き売りです。よって、レア・トラックなど、コンピレーションものでしかもはや聴けない曲目当ての時くらいしか買うことはありませんでした。 そんなこんなで、サントラなどは好きなのに、長いことコンピレーションものに抵抗があった私ですが、何と言っても音楽業界にあってはコンピレーションものは利益の効率の良いアイテム。コンピレーションというスタイルのパッケージが市場に出るようになったのは実は案外新しく、そう古いことではないのですが、何たって、過去のカタログ(音源)で一枚新譜を作ってしまうという、言わば錬金術みたいなモノ。しかも、売れるモノは、数万枚売れるというのだから、下手なアーティストの新作よりも、軽く売れてしまうのだから笑いが止まりません。 最近はコンピレーションもののリリースラッシュも安定期に入っています(レゲエやダンス周辺は相変わらずアゲアゲですが)が、CMで流れていて耳に付いてしまったので、『Beautiful Songs~ココロデキクウタ~』、買ってしまいました。ダニエル・パウターの“Bad Days”一曲のために…という、コンピレーションものにアリガチな衝動もありましたが、なかなかどうして、コンセプト通りに“ココロデキクウタ”かどうかは別として、ヒット曲集としてはボリューム満点の内容。こういうの、ズルいよなぁ、と思いつつ。ジェイムス・ブラント、ジャックス・マネキン、リサ・ローブあたり、惜しげもなく持ってきちゃう。 今回は完敗です。人間が丸くなる年頃なんでしょうかね?(了)Beautiful Songs~ココロデキクウタ~【メール便なら送料無料】ダニエル・パウター/ダニエル・パウター≪CD≫初回
2006/09/12
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ブログ開設二年目。ふと、去年の同じ日は何を書いていたのだろうかと気になりまして、アーカイヴからチェックすることに。こういう定点観測ができることが、日記の面白さでもあるワケですし。で、覗いてみると…『タイトル:木村拓哉氏と稲垣吾郎氏が2位に選んだ『ルパン』~SmaSTATION-4より~本文:知人のSMAPファンの情報では、最近のSmaSTATION-4(スマ・ステーション)で、今月の映画ベスト5の中で、木村拓哉さんと稲垣吾郎さんが、それぞれ2位に選んだのが映画『ルパン』だそうです(1位は『シンデレラマン』と『理想の女』だったとか・・・)。ご存知当ブログでは映画『ルパン』を、大好きなスター・ウォーズ並みに応援して来ました。皆さんもぜひ事前情報を収集して、“三世のじっちゃん”の夢とロマンの冒険を目撃しましょう!!(了) SMAP好きでも、ルパン好きでも、とりあえず映画『ルパン』公式サイトで情報チェックです!!(2005.09.12)』 そう、あの時期は映画の紹介キャンペーンに参加し、毎日コツコツとPR活動をしていました。ただ闇雲にPRしたりリンクを貼るのは避け、記事を読ませながらどう紹介するか、ということに挑戦していた時期でした。キャッチコピーもいくつか考えたっけ?傑作は、「クリックで救える怪盗がいる」なんてのもありました。この後、原作の読み直しで、一気に“アルセーヌ・リュパン”絡みの記事が増え、今ではすっかりリュパン・マニアになってしまったという…。 こうして時々日記を振り返るのも面白いですね。(了)*この映画をバックアップしていました。 ↓『ルパン』
2006/09/12
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見出し:読者を日常に帰してくれない、悪魔の本。“自分探し”ミステリーの決定版。カルロス・ルイス・サフォン著、木村裕美訳 『風の影(上)』『風の影(下)』集英社 内戦の傷跡の残る1945年のバルセロナ。10歳になったダニエル少年は父親に連れられ“忘れられた本の墓場”で一冊の本と出会う。過去のない作家フリアン・カラックスによる『風の影』。この一冊の本との出会いが、時間を超えて錯綜する愛憎のしがらみの迷宮にダニエル少年を誘い、成長という名の喪失を経験させることとなる。 私はこうした類の作品は、ミステリーであれ文学であれ“自分探し文学”と考えているのだが、まさしくこの一冊は“自分探しミステリー”と呼べるであろう。この表現の真意は、単にキャッチコピーとしてではなく、きわめて内容に関連しているのだが言及は避けよう。 このかた、ここまでのめりこんだ作品も珍しい。文字通り、魂を吸い込まれてしまい、読んでいる間、他のことが何も手に付かない。上の空である。かといって、所謂ページ・ターナーのような、スピーディで息もつかせぬハラハラドキドキな内容でも断じてない。むしろ、ねっとりと粘りつくように、いつまでもページが進まない。いや、「進めるのが惜しいだろう?」と洗脳されるような、仄暗い魅惑でもって、虜にされてしまうのだ。悪魔の本。 なぜ、これほどまでに我を失うまでに本書に魅了されてしまったのか。それは、この作品が持つ設定に拠るかもしれない。本書を読み進めるうちに、通常なら読者として主人公・ダニエル少年に思い入れを抱き、ダニエル少年として作中の世界を旅するはずなのだが、本書に限っては、いつしかダニエル少年の物語までが“劇中劇(パラドキシカルな表現ではあるが)”に思えてくるようになる。つまり、本書を読むと、主人公になりきるのではなく、読者自身が“忘れられた本の墓場”から見つけた本=つまりカラックスのではなく、今読んでいるこの『風の影』に運命を振り回されるような錯覚に陥るのだ。そう、私が書店の姿をした“忘れられた本の墓場”から、悪魔の本を買ってきてしまったかのように。そして、主人公・ダニエル少年の物語は、作品のメイン・コンテンツとして提示されていながら、“私自身の物語”の小道具に思えてしまうのだ。そう、メイン・コンテンツは、本書を手にした私自身の心の動きになってしまうのである。 内戦を経験したバルセロナの、頑迷固陋なイメージと、やがて訪れる近代主義の足音を、石畳の隙間からまで抽出したかのような細かい描写が、物語の臨場感を高めているせいもあろう。 先に、軽快に読めるタイプの本ではないと書いたが、過剰にレトリカルで感傷的な言い回しがくどいと思う人には不向きかもしれない。また、そういう作者であるから、語り口が個性的なほどにウェットで、それがため、登場人物の誰の独白や感覚表現も一本調子に感じてしまうのは、せっかくのキャラクターが多彩さを台無しにしている感もある(ただし、ダニエル父子の距離感の描き方が素晴らしい)。また、ストーリーに関しては、結末は、運命と時の残酷さ、あえて言うなら“己の若さ”にこそ復讐すべきであるのに、内戦というダイナミックな事実と、個人的な怨恨に収斂するところに首をかしげてしまうが、この不条理こそがこの世の残忍な真理とも思うことは可能かもしれない。もっとも本書は、結末ではなく伏線を味わう本であるから、オチのつけ方はさほど問題視すべきではない。 17言語、37カ国で翻訳出版された本書は、人間の惨めさ、残酷さ、罪深さ、愛の虚しさを、ダニエルとの旅を通じて痛いほど思い知らされながら、この血の通った世界観に中毒のように引きずり込まれる作品である。 “自分探し文学”。十代は『アルケミスト』、二十代は『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』、三十代は、『風の影』一冊で十分だ。(了)風の影(上)風の影(下)アルケミスト愛蔵版ピエドラ川のほとりで私は泣いた
2006/09/11
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少々温泉シーズンには早いかと思いますが、行って参りました熱海。実は仕事の関係で、結構上等な招待券をもらいまして、これが9月末日までということで「後半忙しそうだしなぁ」、などと思い立ったが吉日、気分転換のつもりで新幹線に飛び乗りました。 しかし近いですね、熱海。東京から一時間かかりません。車中でゆっくりする間もなし。ともあれ着いた熱海でまずは湯~遊~バスのチケットを購入。これ、終日バス乗り放題800円也。バス自体は二種類あるのですが、小さい方のバスは、平坦な道を走るにはデザインもかわいらしく快適なのでしょうけれど、山道坂道が多い熱海では、若干振動激しく、弱い人は酔うかも…。 なにせ熱海は、中学生くらいの時に家族で来て以来。何が名物でどこが名所かも思い出せないので、基本に返って、地図片手にバスと足で散策。まずは貫一お宮の像でしょう!! バスの中ではガイドのおじいさんが、貫一お宮の歌を歌ってくれるんですけど、長い上にあまり上手でなく、別の席からは苦笑いが。ちょっと気の毒だなぁ。で、降りたのが貫一お宮の像の前。お宮の松は代替わりして、樹齢300年の先代は輪切りで展示されています(現行の松は樹齢100年)。 ここからムーンビーチ~熱海ムーンテラスを涼しげにそぞろ歩く…予定が、あまりの暑さにトボトボ状態。砂浜が砂漠のように見えたほど。汗だくになってテラスから海を眺めると、ちょっと気が遠くなりそうな日差し。ここは早々に退散して、昼食、昼食。 昼食は、洋食の老舗スコット新館で。ここ、谷崎潤一郎ら文豪が足繁く通ったお店として有名とか。雰囲気のある二階の薄暗い部屋で食べた海老グラタン、美味しかったなぁ(毎週木曜日は休みです)。 お腹も一杯になったところでふたたびバスを駆って、錦ヶ浦自然郷へ。言わなくてもお分かりですね、そう、“火サス”の最後に出てきそうな絶壁です。自殺の名所なんて、ガイドさん、そんなこと教えてくれなくてイイですから…。 天気がよければさぞや、とは悔やまれるものの、靄の下でも十分の絶景哉!!ここで30分ほどタバコを吹かしたりなんぞしながら一服し、再びバスに。 途中熱海城(これ、実在しない城なんですってね。後世に、アトラクションとして作られたそうです)、秘宝館(あ、そんなのもありましたね)をスルーして、やたらに揺れる湯~遊~バスで、一路起雲閣へ。 起雲閣、良かったです。今回の旅で一番面白かった場所。もともとは熱海の三大別荘(他は岩崎別荘、住友別荘、つまり財閥の別荘です)の一つでしたが、昭和22年から旅館となり、山本有三、志賀直哉、坪内逍遥、谷崎潤一郎、太宰治、三島由紀夫ら、VIP中のVIPの文豪が宿泊し、カリカリと頭を掻きながら名作を生み出したとか…。 庭園も素晴らしいのですが、大正期のモダニズムを愛好する私としては、建築物の随所に見られる和洋の絶妙に混じり合った独特の美意識(そして、それは昭和以降には完全に失われてしまいましたが)に心奪われ、思わず溜め息が漏れるほど。贅沢とは、こういう空間に、入館者としてでなく、リアルタイムに実用として身を置くことに違いないと悟る瞬間。 夢見心地のまま、喫茶室でお抹茶と和菓子をいただき、一気に今晩の宿泊先ホテルニューさがみやへ。 熱海温泉は湯量が豊富なことで知られますが、このホテルから歩いて50メートルの所に、走り湯という、横穴式の湯が湧き出す珍しいスポット(?)があるようです。 招待券なので、内容はどうかなぁ、と思っていたら、特別室の次の部屋をあてがわれ、夕食のメニューもやたらに贅沢。いやぁ、もらいモノで悪いなぁ…。満腹満腹。夕食の後はホテル名物の海が見える大浴場、露天風呂、と堪能(家族風呂や、離れにある滝湯も名物のよう)。特に、潮の音を聞きながらの露天風呂は、湯加減も丁度良く、すっかりリラックス。ぐっすり就寝。 翌朝はMOA美術館を訪れました。美しさへの挑戦~ヘアモード・メイクアップの300年~と題された企画展が気になっていたもので。日本とヨーロッパの美への価値観の変遷を、化粧道具やヘアスタイルなど、モチーフを狭い範囲に絞って比較してみせたことで、企画の趣旨が散漫にならず、目玉こそなけれど見応え十分でした。イギリスのヴィクトリア様式の化粧ケースの豪華さには圧倒されます。日本人の“美人の条件”の変化を痛感する古いブロマイド写真にも興味津々。 美術館を後にして、駅に戻るとジャストのタイミングで東京行きの新幹線が!!あまりの暑さに疲れがどっと出て、せっかくのリラックス&リフレッシュが台無しになる!!と、その場でチケットを買い、早めに東京へ戻りました(駅前では、アントニオ猪木が、実兄の市長選の応援に駆けつけており、生ダーッを体感)。 さて熱海。箱根などに比べると若干寂れた感じもあり、少々物足りない気もしましたが、派手なものがあまりない場所で、山、海、潮風、そして温泉と海の幸に五感を癒されるのもまた、賑やかな場所では得難いひと時と実感。いい週末になりました。(了)*写真はスコット新館。
2006/09/10
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夏も終わり、秋の訪れというのに、相変わらず売れていますね,Bonnie Pink氏の『BONNIE PINK /Evry Single Day-Complete BONNIE PINK(1995-2006)』。ま、“A Perfect Sky”が大当たりしたから、夏のイメージが付いてしまいましたが,別に夏限定アーティストではないですからね、Bonnie Pink氏。 あの曲がなんで気持ちイイのかなぁ、と何度も考えてみたのですが、あの曲、ソウルの80's クラシックのテイストがすごくするんですよね。80年代に入って、ソウルがファンキーから少しアーバンに移行していった時期、クワイエット・ストームやらブラコンなんて言葉が出始めた時期の香り。どうりで、音の躍動感にも関わらず、涼しげなワケだ。 で、“A Perfect Sky”を聴いて思い出すのが、老舗アイズレー・ブラザースが見事に時代に挑戦して大ヒットさせた一曲“Between the Sheets”。そう、“シルクの似合う夜”ですよ(すごい邦題…)。頭の中で、“A Perfect Sky”から重めのビートを取り除くとあら不思議、“Between the Sheets”の味わい。さすがにセンスがいいなぁ、Bonnie Pink氏。 ちなみに“Between the Sheets”は、古内東子氏が『CRAZY FOR YOU』の中でカバーしており、これもまたイイ感じです(原曲を知る人には、思わずニヤリな歌詞の変更が!!)。(了)まだまだ現役。また若いコと再婚までしちゃったロナルド御大のベルベット・ヴォイスが堪能できる官能的作品。↓【Aポイント付】アイズレー・ブラザーズ Isley Brothers / Between The Sheets (CD)【CD】A Perfect Sky【通常盤】 / BONNIE PINK【送料無料】BONNIE PINK /Evry Single Day-Complete BONNIE PINK(1995-2006)
2006/09/10
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懐かしいですね。ギャッツビーのCMで流れている曲。The Stylisticsの“愛がすべて―Can Give You Anything (But My Love)>”ですよ。キャッチーなメロディでディスコブームの寵児となったThe Stylisticsは、一部のコアなブラック・ミュージックファンからは「ポップ過ぎる」なんていわれたりしますが、やっぱり耳に入ってくると自然と体が動きますよ。名曲ですもん。 ところで、“あぁ~い、Can Give You Anything ~♪~But My Love~♪”と歌われるこの曲、CMでは、“But My Love”のところが「ギャッツビー~♪」と歌われています。 元歌を聴きなおしてみると、声はもちろん、フェイクするところまで同じなんです。まさか、The Stylistics本人に歌わせるワケはないでしょう?編集でしょう??じゃ、あの「ギャッツビー~♪」の箇所は一体誰が歌ってるんでしょう???気になります。私は、もしかしたら、敬愛するシルキー藤野氏ではないかと勝手に思っています(あの雰囲気が出せるファルセット使いは、日本ではシルキー氏以外にはいないと思うのですが)。どうなんでしょうね。 あ、ちなみにこの曲のサビはもちろん、松田聖子氏の“青い珊瑚礁”ですよネ?(了)■送料無料■The Stylistics【Colezo! Stylistics】楽天ダウンロードはコチラからできます。↓THE STYLISTICS『<SPECIAL PACK>スタイリスティックス』
2006/09/07
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ちょっと慌しくしており、日記更新滞り気味のkieroです。昨日は、明治創業の珍しい薬局があると聞いて取材に行ってきました。 皆さん鳩のレースってご存知ですか。不肖ワタクシ、知りませんでした。鳩のレースは、北海道から1000kmを飛ばしてタイム競うそうですが、この薬局では、人間用はもちろんレース用の鳩の薬の注文があるそうです。レース用の鳩は一緒に輸送するので病気になりやすいとか。鳩も、口内炎や消化器の病気になるそうですよ。動物って皆一緒なんですね。鳩もビオフェルミン飲むそうですよ。 ところで、写真。そう、マタタビです。薬局で見つけました。「猫ちゃんよろこぶ」なんて書いてありますけど…。家政婦の猫村さんが見たら「これよ、これ!!これのせいで平和な猫村は…」と爪を研ぎながらむせび泣くこと必至。詳細はコミックを参照ください。(了)*余談ですが、取材終了後、お店のスタッフの方から「はい、お疲れ様」と飲ませていただいたのが、なんと“絶倫ギンギン”、みたいな強壮ドリンク。「お湯割りにすると効果倍増だから」なんてホットで出されまして。ちょっと私のキャラクターには合わないかなぁ、と思いつつ、せっかくオススメいただいたので飲み干しました。当然、帰りの電車では眩暈と、妙な火照りが…。私にはまだ必要なかったようです(涙)。きょうの猫村さん(1)きょうの猫村さん(2)
2006/09/07
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バルセロナ、それもカテドラルのあたりは細道が多く、壁が高いので、方角が捉えにくく、またそれがため景色も似ているので、案外迷いやすい。視界の上の方に、いつもカテドラルの先端は見えているのに、その下が複雑で、同じ場所をぐるぐると逡巡する羽目になる。文房具屋もすぐに見つかるだろうと高をくくっていたが、結局一時間も迷子になり(おかげでピカソの壁画は見られたが)、道行く人や商店に入ってたずねても、「そんなお店は知らない」と言われる有様。ホテルからは20分の距離のはずなのだが・・・。 結局諦めの境地へと到り、ホテルに戻ろうかと小道を一本入ると、そこに目当ての文房具屋が!!なぜ今までこの道に入ってみなかったのであろう!!そしてしかも・・・閉店である。あまりに非情な運命に、思わずシャッターを軽く揺さぶってみる。と、そこに女店主が登場。手振りで、窓の向こうから「ゴ・ジ・カ・ラ」と合図している。五時からオープン、か。15分ある。街角で一服しながら、右に左に、この狭苦しいカテドラルの周辺を行き来する人を、何とはなしに目で追う。 五時になる。同時に、私は店内にラッシュ(文字通り!!)する。さすがにセンスが良い。憧れて訪ねた甲斐がある。迷ったことも、待たされたこともすっかり忘れてしまった。棚の片端から、店内の隅々まで(そう広くもないのだ)、じっくりと、文具やノートの一つ一つを手にとって吟味する。父や祖父への土産、そして自分への土産としよう・・・。 いよいよ会計という段になって、なんとクレジットカードが読めないという。何度やっても機械が読み込まない。焦り。動揺。無論、沐浴など非日常に対峙しての動揺ではなく、日常の中の動揺。当たり前の日常に足を掬われた!!「これ、間違いなく買うから、このままにしておいて。今ホテル戻って別のカード持ってくるからさ」。それだけ言い残すと、ホテルへ一目散。カードを持ってトンボ帰り。はて、今度は15分でたどり着いたが・・・。 上等なノートや、使い切るにあまりに贅沢な革装の手帳、それに、このお店を描いた珍しいエッチングのカードらが、一連のドタバタ劇を忘れさせてくれた。(つづく)*写真は、迷宮のようなバルセロナの旧市街。
2006/09/04
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なんてったってアイドル、なCM、最近OAされてますね。小泉今日子氏ですよ。私の青春時代、全盛だったアイドルブーム。我が家は今時テレビ禁止の家庭でしたので、アイドルのことなど何も知らずに青春時代を悶々と過ごしたわけですが…。 とはいえ思い返せば、あの頃は純正アイドル、つまり60年代、70年代に確立されたアイドルの系譜がまだ存在し、そしておそらく最後の一花を咲かせていた時期だったのではないかと思います。小泉今日子氏もまさにその一翼を担っていたはずです。 その小泉今日子氏も、アイドルとしてのキャリア後半では、非常に良質な楽曲に恵まれて、今の半アイドル/半アーティスト(つまり非・純正アイドル)へとスライドして行ったのです。現在の音楽シーンは、半アイドル/半アーティストが、かつての純正アイドルの占めていた土俵でしのぎを削り、一方で役割の上では、ポロっとシングルCDなどを出すことで、タレントやモデルが、かつての純正アイドル的なポジションを演じているのではないかと勝手に分析しています。 しかしこれはあくまで純正アイドルの亜種であって、現在はポスト小泉とも呼べる純正アイドル、古き良きアイドルの正統継承者が見当たらない(特に、女性アイドル)な、と時の趨勢の激変に思いを馳せるのです。男性アイドルは、高度にシステム化した“ジャニーズ生産方式”があるおかげで、市場独占状態になっているとはいえ、安泰ではないでしょうか。 余談ですが、こうした業界の変化には、アイドルのカテゴリーに、非常にビジュアルに重点を置いたグラビア・アイドルという種族が登場し、急速に台頭したことも遠因の一つとなっている気もします。(了)
2006/09/02
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