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「家元、藤山先生の歌で2曲挙げましたけど、私はあと『長崎の雨』が好きなんです」「おっ!そうか。あれは作詞は丘灯至夫さんで、作曲は古関さんだっけ?歌詞は…」「♪今宵港に聴く雨は 沖のかもめの忍び泣き…」「そうだ!『♪ジャガタラ文なら 片便り…』」アカペラで、天下の立川談志と自分がデュエットをしている…こんな凄いことが現実に起きているのが本当に信じられなかった。しかも、歌い終わって一言。「お前、どうだ?俺の弟子にならないか?」信じられぬ逆スカウトである!しかしながら、これまた正直に言ってしまった。「申し訳ありません!私は落語は死ぬほど好きですが、プレーヤーとしたら、下手くそなんで噺家は無理です!歌のお相手でしたら、これから喜んで必ずお供させていただきます!」「そうか、落語が下手じゃ、しょうがねえな!」と家元は笑った。このとき、実はYさんは大しくじりをしている。ところが、この一件が、私たち2人がこの後、家元に信頼されるきっかけにもなったのだが。上記のやり取りの後、懐メロに関するエピソードを、家元は山のように話してくれた。「そういえば、島田磐也んとこに、石松秋二が…」と家元が言った瞬間に、Yさんが…。「ああ『九段の母』ですね!」と言っちゃったのだ。この話を説明すると、作詞家の島田磐也の家に、後輩の石松秋二が遊びにきた。そしたら石松は勝手に原稿や何かを見ていた。「何やってんだ!」とシマキンが怒ると「兄貴の戦時歌謡が上手いから、悪いけど勝手に開けて見てたんだ」と言ったそうな。それから、しばらく経って「兄貴のやつより上手い詞が書けた!」と言って、持ってきた詞を見たら「九段の母」だった、という有名なエピソード。「…落げを先に言われちゃったよ」と家元はガッカリ。2人揃って、ソファから飛び降りて「失礼しました!」と土下座である。ところが、この件で家元は我々が本物の昭和歌謡マニアだと思ってくださったらしい。
2013年01月23日
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家元は、私たちの顔を一瞥して、こう言った。「ほう…誰のファンなんだ?お前たち」まず私が先に「藤山一郎先生です!」と言い、Yさんが続けて「東海林太郎先生です!」と、まるで怒られたときの言い訳のような、怯えた口調で言った。「そうか…じゃ、2人のエピソードを話してやろう」家元は嬉しそうに、東海林・藤山のエピソードを話してくださった。今だから言うが、エピソードは懐メロファンなら、誰でも知ってるような話。でも、あの立川談志が自分たちにだけ、歌謡曲のエピソードを語ってくれている…これだけでもう胸がいっぱいになったのを、よく覚えている。「ところで、お前は藤山ピンさんの歌だったら何が好きなんだ?」私は、ヨイショでもなく、正直に言った。「『コンロン越えて』と『みどりの雨』です!」「偉え!!」そしてYさんに「お前は東海林さんの歌だったら何が好きなんだ?」Yさんも、少し食い気味で…。「『陣中髭くらべ』と『上海の街角で』です!」「偉え!!」そう言うと、家元はソファに戻っていった。私たちは、家元と話せただけで、もう大満足。もう帰ってもいいかね?なんて思ったほど。ところが、家元がソファに戻ってすぐ、マスターが大声で、私たちを呼ぶのが聞こえた。「談志さんが、『あいつら2人ここへ呼べ』って!」一緒に付き添いで来てくれたHさんが「よかったわね」みたいな顔をされたのを覚えている。恐る恐るソファの方に行ってみたら、常連客の数人をカウンターに移動させて、家元の隣が2席空いてる。「うわ~~~!!!どうしよう!!」ってなもんだ。しかし、ここで家元に遠慮して話さなかったら、私も懐メロマニアとしてのプライドが許さない。そして、折角隣に呼んでくれた家元にも失礼極まりない。私は積極的に、家元に話しかけた。
2013年01月20日
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私は相撲が好きだ…というより、正直な言い方だと「好きだった」。昨今の相撲は、外人が殆ど…ということもそうだが、平均身長・体重の増加なんかが原因で、技の種類が極めて少なく、「押し出し」「寄り切り」「はたき込み」ばかりで、本当に魅力が無い。歌謡曲・お笑い・映画・テレビと同様、大相撲も私は「昭和の」を愛好してしまっている(苦笑)。だってYouTubeで見返しても、昔の相撲は面白い!小兵力士が多かったから、技と技との真剣勝負が繰りひろげられるし、水入りはあるし。初代若乃花の「呼び戻し」なんざ、今見返してもゾクゾクする。市馬師匠も林家たけ平さんも相撲好き、歌手協会の友人Iさんも相撲好き…特に、たけ平さんとIさんと3人で飲むと、歌や落語より相撲の話が多いほど。初代若乃花・栃錦あたりから、私たちの子供時代の人気力士(千代の富士・大乃国・麒麟児あたり)の話で大盛り上がりになってしまう。今日の夕方、神保町のCDショップに落語マニアの仲間と2人で入ったところ、店内で文化放送のラジオ「親父熱愛」が流れていて、その途中で速報が。元横綱・大鵬の納谷幸喜さんの訃報だった。享年72。思わず「えーっ!」と声を出してしまった。昭和46年に引退しており、その後脳梗塞で倒れて療養されたりと、私の世代には表舞台に出ることが少なかった印象があるが、その名を聞けば誰でも知ってる「昭和の大横綱」。優勝32回は、今現在も破られていないという世紀の大記録である。「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉は、かなり若い世代でも知られているフレーズだし、ライバルの柏戸関と築いた「柏鵬時代」の相撲人気の凄さは、両親からも聞いている。三浦洸一に似ていることでも有名だった柏戸関は、若くしてこの世を去ったが、今日とうとう大鵬関も亡くなってしまった。昭和の名力士が、次々と鬼籍に入っていくことは、本当に悲しいことである。仕方ないけど。ここ数年は、闘病をされてて車椅子だったようだし、娘婿のトラブルで心労があったのかもしれない。色白で美男子で大柄で、土俵入りの姿も美しく、「戦後の大相撲の象徴」と言い切っていいレベルの大横綱だった。この何年間かに起きた、相撲界の不祥事に対して厳しい意見を述べられていたのを、どこかの記事で読んだこともある。個人的には、もう少しだけ長生きしていただいて、相撲界に厳しい意見を言って頂きたかった。納谷幸喜さんのご冥福を、心からお祈り致します。長い間、本当にお疲れさまでした。…代わりに、鳩山由紀夫が死にゃよかったんだ、あの売国奴&国賊の気狂いが。
2013年01月19日
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ついに、その日がやってきた。05年8月23日の夜、私は極度の緊張に震えながら、中野坂上の「艶歌」に向かった。一緒に行ったのは、私の懐メログループの名誉会長であるYさんと、例の「春日八郎を偲ぶ会」のHさん。私は、緊張はする性格だが、だからと言って何も出来ないというタイプではない。平気で人前で、喋るし歌えるし…というタイプだが、その直前の緊張状態たるや、半端じゃない。まして、憧れ続けた立川談志師匠に会える!喜びのウエイトの方が大きいのは当然なのだが、「余計なこと言って、怒って帰ったらどうしよう」と思い続けていたのも、また事実。Yさんはどうだったか知らんが、私は震える脚を必死で隠しながら階段を昇り、店の扉を開けた。「艶歌」という店は、入口の前にカウンターがL字形であって、スツールは7席。奥が上客(?)用のソファ席で、そこには大体7人ほど座れる感じだった。ライターの都築響一さんが取材されたときの写真が、ひょっとしたら、まだネット上で探すと出てくるかもしれない。で、扉を開けると、結構な人数の客がいた。時刻は19時前だったと思う。その奥のソファ席の中央に、すでに家元は来ていた。私はYさんと顔を見合わせ「うわっ…いるよ!」…そりゃ、家元に会いに来たんだから、来てるのは当然だが、思わずそう言ったような記憶がある。いきなり隣に行って「初めまして!ファンです!」などと言うような、状況判断の出来ぬバカではない我々。マスターが「後でタイミング見計らって、2人ともちゃんと紹介してあげるから」と仰ってくださり、我々はカウンターに座って、ソファ席から微かに聞こえてくる家元の懐メロ談義に、静かに耳を傾けた。家元の周りに、確か「艶歌」の常連客がいたように覚えているが、全員「昭和の歌が好き」というより「立川談志と一緒にいる私ってどうよ!」的な、「邪なスタンス」で来ている不純な人たちばかりだったように思う。だから、家元がマニアックな歌の話を沢山しても、暖簾に腕押し…ってな感じ。私たちが店に着いて10分ほど経ったとき、家元がトイレへ立った。トイレは、カウンターの突き当たりにあったので、必然的に、私たちの後ろを通らざるを得ない。トイレから出てきた家元に、マスターがここだ!と思ったのだろう。大声でこう言ってくれた。「談志さん!彼ら2人ね、年は若いんだけど物凄く懐メロに詳しいんだよ!」
2013年01月18日
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新春一発目の落語&歌謡曲の豪華ショー!いよいよ明晩開演でござんす!ムード歌謡に戦前・戦中・戦後歌謡、たけ平さんが歌う軍歌は、何と私の生伴奏(笑)!そして岡本敦郎先生の追悼と、歌謡曲コーナーの充実ぶりは、構成した自分が言うのも何ですが、過去最大級の充実ぶりであります!勿論、落語も講談もたっぷり!日本人に生まれてよかったと…必ず思えるかどうか分かりませんが(苦笑)、皆さまのご来場を心からお待ち申し上げております!「歌で綴る昭和の時代vol.4 『冬』」会場:新宿西口・ミュージックテイト西新宿店料金:予約1500円/当日1800円予約先e-mail:info@musicteito.co.jp開場…19:00 開演…19:30 終演予定…21:30もし明日、仕事が早く終わった、帰りに用事ない!という落語と講談と流行歌を愛する方(いるのか?そんな人)、是非ともお出でくださいませ!
2013年01月09日
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新しい職場での初日、7ヶ月ぶりの元の仕事に近い仕事、こんなに色々な規約を忘れていたとは我ながら思わなかった。明日っからは、また気を張っていかないと…。…とはいえ、これがまた気ィ張りすぎると、また精神の病気になるし。バランスが難しいもんだ。新しい職場に初出勤というこの日に、こんな大きな訃報が飛び込んでくるとは…新年早々、ホント辛い。正統派流行歌手最後の生き残り、岡本敦郎先生が、昨年12月28日に88歳で亡くなっていたという。何というか、ベテラン歌手の方が亡くなるたびに毎回「昭和歌謡の終焉」みたいに書いてはきたが、今回ばかりは、心底これを思う。昭和21年にデビュー、「朝はどこから」を筆頭に「街の艶歌師」「白い花の咲く頃」「チャペルの鐘」「青いガス燈」「リラの花咲く頃」「あこがれの郵便馬車」「高原列車は行く」「自転車旅行」など、数々のホームソング、ラジオ歌謡を大ヒットさせた。「紅白歌合戦」には9回出場、東京12チャンネルの「なつかしの歌声」には、昭和43年の放送開始から出演していた。「年忘れ大行進」も44年大晦日からずっと出演をし続けてこられた。存在は地味ながらも「懐メロ・歌謡番組に欠かせぬ大黒柱の一人」であったと思う。私が長を務める懐メログループの大幹部の一人に、Tさんという方がいる。この方が熱烈な岡本ファンで、音源収集は勿論のこと、ルックスまでが何となく似てる(整形抜きで)という凄い方!先ほど、「お力落としのないよう…」とメールしたが、物凄く大きなショックを受けておられるだろう。歳に不足はないが、こんなに突然亡くなられるとは思いもよらなかった。昨年夏「懐かしの昭和メロディ」で、いつも通りの元気なトークを見たばかりだったので…さほど歳を感じさせない、いつも通りの喋りだったから。数年前の夏、靖国神社の「みたままつり」に出演をされた際、松竹映画「君の名は」の副主題歌である「花のいのちは」SP盤の袋にサインをして頂いた。あの盤は、本当に宝物である。岡本先生、サイン有難うございました。そして、長い間本当にお疲れさまでした。心からご冥福をお祈り致します。↑昭和45年12月31日、歌舞伎座のステージで「高原列車は行く」を歌う。このスマートな舞台を、もう二度と生で観ることはできない。
2013年01月07日
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昨年6月1日から無事にスタート(?)をした、どこの何にも属さない「無職生活」も、7ヶ月と少しで、ついに今日がフィナーレである(笑)。…結局、殆ど元の仕事に戻るということになってしまったけれども、契約社員とはいえ毎月定期的に給料が貰える生活に戻るというのは、嫌な気よりは有難い気持ちの方が大きい。しかし、仕事内容に不安はない代わり「人間関係」の不安が、正直とにかく大きい。それさえ乗り越えりゃあとは大したこたぁないと思うのだが…。えーっ…そういう訳でございまして、明日からはこのブログの更新頻度は極端に減ることになるかと思います。何卒ご了承くださいませ。ああっ、心臓と胃が痛い…。
2013年01月06日
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支那・南鮮関連で、昨日今日と非常に腹の立つニュースがあったが、それと同じくらいカチンときてしまったニュースが、年末にあった。以下、サンケイスポーツより。大みそか放送の「第63回NHK紅白歌合戦」(後7・15)のリハーサルが30日、東京・渋谷のNHKホールで行われた。今年で63回の紅白はこれまでフルバンドによる生演奏だったが、今回は初めてフルバンドを入れないことが30日、分かった。伴奏は従来、NHKホールに近いスタジオでフルバンドが生演奏し、専用回線で届ける形。三原綱木とザ・ニューブリードが1972年から連続出演してきたが、今回はいない。 このため自前のバンドを入れる歌手以外は、ニューブリードなどの演奏で事前に伴奏をスタジオで録音。31日は、その音源を元に、いわばカラオケ方式で歌を披露することになる。理由について同局は、歌手が歌うバックの映像を歌に合わせて凝ったものにしているため、事前録音が適していると判断。演出効果を優先した形だが、「来年以降はどうするか未定」としている。一言で言やあ「ふざけんな!」である。歌番組は「生バンド演奏で歌うもの」が常識であり、事前録音だったら、テレビ東京でたま~にやってる「カラオケバトル」の番組と同じじゃないか。私は「紅白歌合戦」を一部しか見ていないが、舞台を無駄に広く使う意味が全く分からない。昔のように、紅組・白組にそれぞれのバックバンドが控えてて、ある程度の広さしかない舞台でも何とか歌っていくというのが、紅白の味だったのではないか。裏番組のテレビ東京「第45回年忘れにっぽんの歌」は生バンド演奏だったが、これもバンドが全面に出ずに、御簾(?)の向こうで演奏していた。生放送の歌番組は、生バンド演奏が命のはずなのに…それを軽んじたら、歌番組を名乗る資格はないと思う。昔の歌番組のセットを見て欲しい。昭和44年12月31日放送・東京12チャンネル「なつかしの歌声・年忘れ大行進」より生バンドが舞台に2組、舞台下に1組と合計3組!いいんだよ!歌番組はセットに凝らなくても、キチンと見える位置にフルバンドがいりゃあよ!同じ舞台を、別カットから見るとこんな感じ。↓昭和46年大晦日の歌舞伎座は、こんな感じ。↓…いいじゃないか!実にシンプルで(笑)。年末恒例の柳亭市馬師匠の落語会&歌謡ショーも、必ずこの形でやるから、客席も盛り上がるのであって、カラオケじゃ決して、ああは盛り上がらない。今年の紅白は(1月4日に言うのも何だけど)、必ず生バンド演奏、それも舞台上の「いちばんいい位置」にニューブリードを据えるべきであろう。カラオケ伴奏の紅白なんぞ、放送する価値は全くない。
2013年01月04日
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別に差別がどうとか、そういう話では全くないのでご安心を(何が安心なんだか…)。昨年大晦日「第63回NHK紅白歌合戦」において、最年長の初出場で美輪明宏が歌った、ご存知の名曲「ヨイトマケの唄」。この歌ほど、物語性があって骨太で、6分という長さを全く感じない歌も珍しい。感動的かつ貧乏臭い歌を嫌い、明るく楽しく朗らかで無意味な歌(笑)を愛する私ですら、この歌だけは激しく胸を打つ。この歌みたいな経験、皆無なのに。いわゆるメッセージソングの先駆けだったのだが、「土方」が放送コードに引っかかるという理由で長い間「放送禁止歌」に指定されてしまっていた。…いかに放送禁止用語を取り締まる人間、揚げ足を取る人間がキチガイかということが良く判る。内容を真剣に聴いたら、批判するほうが馬鹿だと思わないかね…それほどノータリンなんだろうか、差別を嫌う「『自称』正義の味方」は。そんなこたぁ、今日の話と全く関係ない(笑)。本題はここから。この歌ほど、様々な歌手にカバーされた歌もないと私は思う。何人くらいカバーしてるんだろう?えっ?誰の歌唱がベストかって?それを、これから書くの、これから!美輪明宏作詞・作曲なんだから、ご本人が歌うのがベストであることは言うまでもない。ただ、昭和40年のオリジナル盤と、ここ十数年テレビで歌っているのと比べると、近年の歌唱は「あまりに芝居がクサ過ぎ」だと思うのだ。大半の方は「嵐のような感動」をされると思うが、私は歌い方がクサ過ぎると、ドン引きしてしまうタイプ。お嬢の「悲しい酒」も同じだから。なので、美輪さん歌唱は「丸山明宏」時代の音源が、私はベストだと思う。テレビでの歌唱なら…感情注入が今よりクサ過ぎず、かと言ってオリジナルのように淡白でもないもの。今、YouTubeに上がっているが、昭和60年7月のテレビ東京「夏祭りにっぽんの歌」での歌唱が一番良いかもしれない。…っていうか、夏祭りで「ヨイトマケ」を歌ってたというのがビックリである(笑)。藤山・淡谷・ミネ・市丸・渡辺・二葉・田端というお歴々の前で歌ってたんだ、美輪さんは!…また話が逸れた(苦笑)。この歌、演歌・歌謡曲・フォーク…色々なジャンルの歌手がカバーしたのを聞いたが、歌いながら自分で泣いたり、感極まった顔になったりされると、私はホント引いちゃう(笑)。そういう点でいくと、私が一番「嵐のような感動」を受けたのは、なぎら健壱歌唱のものであった。メロディーに忠実、感情注入も殆どなく、悪く言えば「本当に淡白な歌唱」である。これが実に良い。私は本当に感動した。…ここまで書いて思いついたが、落語の聴き比べと「ヨイトマケ」の聴き比べ、イコールだと思う。演りながら自分で泣いちゃう人情噺と、さっぱりと演る人情噺なら、私は後者を100%取る。なぎら氏の歌唱は、落語で例えると小満ん、小柳枝、小燕枝、扇辰の各師匠の高座の雰囲気に似るように感じる。あとなぎら氏は子供の頃、実際に「ヨイトマケ」を見ていると思うので(恐らく)、それがまた歌に深みを与えているのではないかとも思う。演歌歌手のカバーはねえ…噺家に例えるとねえ…先代の「笑点」の司会者…アワワ(苦笑)!!それにしても、これだけのレベルの「スタンダードナンバー」を、今の私より若い年齢で作り上げた美輪さんの、若き日の才能には恐れ入る。凄い。子が母を思い、母が子を思う。どっちサイドからでも、受け取り可能(?)な無償の愛を鮮やかに描いた歌。こういう歌は、これからも益々歌い継いでいってもらいたいが、歌手の方々は少し「感情注入」を抑えて(笑)、歌っていって頂きたいと思う。そうした方が、より感動できると思うんだけど…そう思うのは私だけなんだろか?
2013年01月03日
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あけましておめでとうございます。早いもので2013年、平成25年になりました。本年も当ブログを、何卒宜しくお願い致します。さて、私は久しぶりに気楽に過ごしたお正月。元日は、ちょうど1年前に新しく誂えた和服を着て毎年恒例の赤坂・日枝神社へ初詣。その後は隣のキャピタル東急でビュッフェランチ。これまた相変わらず、ホテル中をうろうろしていた獅子舞に祝儀を切って、頭を噛まれて喜んだ(笑)。しかし…言いたくはないが、和服は本当に疲れる!そして、全身のコーディネートに気を配りまくると金がいくらあっても足りないのだ(苦笑)。「和服の安売りショップ」が出来れば…とも思うが、安物を着たら着たで見下されるという…(苦笑)。だから、着物は廃れたのでしょうか?実は、今度の土曜日(5日)に、私の懐メログループ始まって以来初の「新年会」を催すことになっていて、そこに着物で行くことに決めている。5日の集まり、正月ゆえに不参加者が多く残念だが、こればっかりは仕方がない。歌いまくり、語りまくる新年会で一年の幕を開け、来週月曜からの新仕事が、上手くいくよう祈りたい。てなわけで、今年も何卒宜しくお願い致します。
2013年01月02日
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