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バタヤンが天国に旅立った…という事実。歌謡曲好きにとって、日にちが経てば経つほど、「今まで経験したことのないほどの強い虚無感」に襲われている。私だけでなく、我が懐メログループの仲間の大半もそうだろう。だって、名誉会長のYさん(この人も熱烈な田端ファンである)に電話かけても、出ない。…下手したら寝込んでるんじゃなかろうか?我が親友、林家たけ平さんが昨年出版した豪華本「よみがえる歌声」の帯のコメント文、おそらくこれが「最後の田端義夫としての仕事」になったと思う。確証は持てないが。そう考えると、あの本は私も資料提供で協力させてもらったから、「バタヤン最後の仕事」になった本に自分の名前も書いてあるというのは、誇らしいし、本当に有難いことである。実は昨日、某知人と話したのだが、2人で共通で出た話。それは…もう復帰は100%無理だと分かっていても、「バタヤンが生きている」という、ただそれだけに戦前~戦中の歌謡曲ファンは縋って生きていた節があった、ということだ。特にここ数年。一昨年夏の二葉先生、昨年2月末の青葉先生に続き、昨年暮れには、岡本敦郎先生が亡くなった。このトリプルパンチで、既に立ち直れないほどの大ダメージを受けていた昭和歌謡ファン。そこへ、一昨日のバタヤンとの別れ。戦前派では小笠原さん、戦後派で菅原都々子先生、三条町子先生がお元気でいらっしゃるとは言え…。一昨日、バタヤンを失ったことで「SP盤時代の流行歌の終焉」をいきなり眼前に突き付けられ、体の中に大きな穴が空いてしまった…というのが我々の現状であると思う。だって、バタヤンはカリスマだもの!ある意味。これは昨日も出た話で、前々から私が言っている意見なんだが…。戦前デビュー~戦後の歌手で、カリスマ的な存在、日劇でも国際劇場でも、超満員の客を熱狂させたお歴々は、圧倒的に「同性の支持」が凄い。東海林太郎、ディック・ミネ、伊藤久男、岡晴夫、田端義夫、春日八郎、三橋美智也、村田英雄。これらの方は、圧倒的に男性ファンが多い。男性スターで、女性人気が凄かったのは灰田勝彦、近江俊郎、小畑実、三波春夫、神戸一郎あたり。美空ひばり、松山恵子のご両人は、男性ファンより女性ファンが圧倒的に多いイメージがある。「同性支持の凄い歌手」に共通して言えることは、本人の寿命は別にして、人気の寿命が物凄く長いということだ。一度ファンになったら、死ぬまでずっとファンで、ほかの歌手に浮気することが絶対ないという…。そして「ファンは全員、その人の真似をしたがる」というのも共通点(笑)。今で言うと、永ちゃんが、まさにそれ。リーゼントで、首からタオル下げて「ヨロシク!」「バッチバチいかなきゃダメよね!」とか言ってるファンの人、大勢いますでしょ(笑)?私は、それの「お歴々バージョン」であるだけだ。バタヤンなら、ギター(に見立てたエレキウクレレ)抱えて「オーッス!」と言わなきゃ、歌いたくない。オカッパルなら、歌のテンポをガンガン上げて、歌の最後をオクターブ上げなきゃ、歌いたくない。東海林先生なら、センターマイクで直立不動でなきゃ歌いたくない…とか、そういうことよ(笑)。その最後のカリスマだったバタヤンを失った現実…受け入れ難いが、仕方がない。バタヤンの最後の3年間の入院生活&闘病を思うと、いい年して「いつまでも長生きして欲しかった…」と馬鹿なことは言いたくない。むしろ言えない。その程度の文で、追悼しているブログがあったなら、相当安っぽいブログになってしまう。ただ「生きてるのが当たり前」と思っていたのは、私の中にあった。だから、訃報を心から納得して受け入れるまでには、相当時間がかかりそうだ。
2013年04月27日
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NHK「ビッグショー 田端義夫・ギターかかえて37年」(昭和51年4月18日放送)より1ヶ月以上のブランクを経て、久々に書くブログ。…家元の訃報以来の衝撃と、強い虚しさと悲しみで書かなくてはならないのが辛い。体の中に、寒風がビュンビュン吹きまくっていて、その風が吹くたび、涙が出そうになってしまう。予知夢…とは思えないのだが、今朝、夢にこの人が出てきたので、昼過ぎに訃報を聞いて驚いた。「田端先生の歌で、私はこれが好きなんですよ」と、うちの懐メログループの名誉会長のYさんと2人で、延々と当人に話してるという、妙な夢だった。享年94。先だっての三國連太郎氏もだが、芸能人としては十分すぎるほどの大往生である。ご家族も、介護がさぞかし大変だっただろうし(医療費や入院費とか)、本人に言うよりも、まず、奥様やお子さん(ちなみに娘さんは、私と同い年!)に「本当にお疲れさまでした」と言わなきゃならないんだろう…とも思う。しかし…小学校4年生から懐メロファンになって、早四半世紀。東海林・藤山などなど、好きな歌手は大勢いるが、その中でも「トップクラスで大ファン」だった人の訃報は、大往生でもやっぱり悲しいし、淋しい。平成元年4月、初めて「昭和の歌」をテレビで聴いて、好きになった歌の中の1曲が「大利根月夜」。♫「今日は涙の顔で見る」の箇所を歌うのが難しく、当時、母親に何度も駄目出しされたのを思い出す。それより何より、胸の所にボロボロのギターを抱え、威勢良く「オ~~~~ッス!!」と挨拶してから歌う、その独特のスタイルに、子供心にハマってしまった。学校の体育の時間、テニスやバトミントンの授業だと、大半の奴ぁ、ラケットを手にした瞬間、ギターを弾く真似をする。今でもそうだが、ロックの連中は、ストラップを異常に長くして、かなり下の方でギターやベースを弾いている。周囲はその真似をしていた。そして勿論、歌うのは、そのとき流行っている歌。…私だけは違った。ギターに見立てたラケットを抱えるポジションが、周囲に比べて、かなり上(笑)。どういう訳だか右目をつぶり、眩しそうな顔でみんなの前に出て、いきなり「オ~~ッス!!」♫「小島離れりゃ舟唄で…」とか、♫「波の背の背に揺られて揺れて…」とか、♫「情け知らずと嘲笑わば笑え…」とか、そういう歌しか歌わなかった(笑)。掃除の時間に、箒を抱えていたときも同じだった。…それから25年。「昭和の流行歌オタクへの道」を爆進していく中、この人の存在は、年々自分の中で増していった。私はギターは弾けないが、ウクレレは弾ける。勿論「この人の物真似」をするために始めたのだが、どうもやっぱり、物足りない。牧伸二先生の真似を始めてしまうんでね(笑)。そんなとき、ヤフオクで見つけて「これだ!」と思ったのが、「エレキウクレレ」!「テナーサイズ」という大きいサイズのウクレレで、色合いも形も「この人のギターにそっくり」!購入して何年も経ち、今ではいい具合に使い込んで適度に汚くなり(笑)、ますますいい感じ。年に一度の、仲間と集まっての懐メロ大行進では、私は必ずこのウクレレを持っていき、この人の歌を歌いまくっている。後援会に入っていた訳ではないが、SPもLPもCDも買いまくったし、本人を何度も生で観たし、一度靖国神社の「みたままつり奉納歌謡ショー」で挨拶させてもらい、サインをもらって、何と一緒に写真まで撮ってもらった。それだけ、私はこの人のファンだった。戦前デビューの大スター歌手は、今日でこの世から1人もいなくなった。時の流れだから、どうしようもないが、虚しい。現世が本当につまらなくなってしまった。田端義夫という偉大な歌手と、同時代を過ごせた。…過ごせただけでなく、話もできたし、同じ空間で生歌を何度も聴くことができた…というだけでも、私(と懐メロ仲間)は、ラッキーだったと思う。田端義夫先生…と呼ぶのは、どうもピンとこない。そりゃ当人には、現実でも夢の中でも「先生」って言ったけどさ(笑)。やっぱり「バタヤン」って言うか、いつもどおりに。バタヤン、73年間(!)の歌手生活、本当に本当にお疲れさまでした!ありがとうございました。家元と、白山先生と、トップ先生と、玉置先生と、「艶歌」のマスターがあの世で待ってると思います。また家元に「渋めの歌」を歌ってあげてください!私も、いずれそっちに行って、歌が聴けるのを楽しみにしております…。心から、ご冥福をお祈り申し上げます。
2013年04月25日
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