全4件 (4件中 1-4件目)
1

1969年放送の『NHK紅白歌合戦』をまるごと再放送!貴重映像を最新技術でリマスター(THE FIRST TIMES) - Yahoo!ニュース第20回NHK紅白歌合戦|番組|NHKアーカイブス昨年12月の中旬に、2日間に分けて放送された「第22回NHK紅白歌合戦」。昭和歌謡ファン・懐メロファン・VTRマニアが狂喜乱舞した(と思われる)素晴らしい再放送だった。それに続いて第2弾!なんと2月11日に昭和44年大晦日放送の「第20回NHK紅白歌合戦」が全編リマスター再放送されるとのニュースが入ってきた。ただ、こちらは「第22回」と違い、今から24年と少し前の2000年のクリスマスの昼間に全編再放送されており、私はその録画をVHSで持っている。稀にYouTubeに違法アップロードされる(苦笑)44年紅白の映像は、ここから出ているものだろう。その再放送時はノイズなども除去されておらず、確か紅組司会の伊東ゆかりの歌う前、それからダーク・ダックスの歌の途中から中尾ミエの歌唱途中まで静止画だった。それゆえ、2時間45分の放送時間の紅白だが、このときは2時間42分ぐらいになっていたはず。ビデオを再生して確認すりゃいいんだが、面倒でね…(笑)。今回のレストアで、その伊東ゆかり歌唱前やダーク・ダックスと中尾ミエの歌唱部分がキレイに再放送されることを、切に願う。あのボロボロの46年大晦日を、あそこまで見られる状態にした技術があれば、今回のなんざぁお茶の子サイサイだと思うが…。そういえば、昨年末に日大の刑部芳則教授と電話で話したときに聞いた話だが、レストア前「第22回紅白」でのザ・ピーナッツの歌唱部分は、ホントにどうしようもなかったらしい!音声が歪んでて、もっとノイズが酷く…と言っていたかと思う。「それがあれだけになったんだから、凄いよ!」と言っていた。-----------------------------------------------------------------「第20回紅白」、惜しむらくはNHKに残っている映像がモノクロ…ということだ。カラー写真は現存しているのだから、それこそお正月にEテレでやった、三代目金馬師匠のようにAIでカラー化…ってことを望みたかったが、いくらかかるか分からんか…(苦笑)。この「第20回」が放送された昭和44年大晦日は……もうこの話を私は10万回ぐらいしてきたと思うが(苦笑)「年末3大歌謡番組」が初めて集結した大晦日である。TBSが、前年まで12月中旬に放送していた「レコード大賞」を大晦日カラー生放送に持ってきたのが、この年。会場はお堀端の帝国劇場。そして東京12チャンネルが前年から始めた「なつかしの歌声」の大晦日特番を、3時間に拡大&12チャンネル初のカラー生放送で歌舞伎座からぶつけたのも、この年!(下の写真)んでさぁ…そのTBSとテレ東がさぁ…カラーでピカピカの映像で保存しているのよ、今でも!なんでNHKだけが、映像保存に杜撰…というか、キチンと将来のことを考えておかなかったんだろう?そこだけは勿体ない、残念だと思うが…まあ高い技術力でにより、一層素晴らしい画質で「第20回」を楽しめることができそうだ。今回は1日で全部放送してくれるみたいだし(笑)。個人的な、この年のオススメ歌唱映像は…。まず白組。先だって亡くなったアイ・ジョージ「ククル・クク・パロマ」がギター1本の弾き語りで素晴らしい。完全に持ち時間を無視しているんじゃないか?と心配になるぐらい歌っていた(笑)。そして、我らが春日八郎御大の「別れの一本杉」!何度となくテレビで歌ってきた春日八郎御大の代表曲だが、ベストテークはこれかもしれない。御大の声の伸びも素晴らしいが、後ろでロマンチカの三條正人がずっと一緒に歌っているのが見切れているのがいい(笑)。三波春夫「大利根無情」ベストテークも、この44年大晦日だろう。まだ若々しい三波先生の、ド迫力の台詞回しが聴ける。ただ1番の途中だったと思うが、お客がカメラ前を堂々と横切ってしまっているのが残念(笑)。あとは村田英雄先生「王将」、水原弘「君こそわが命」もいいし、フランク永井「君恋し」、北島三郎「加賀の女」…まあ早い話がみんないいです(爆笑)。紅組も同様で…(笑)。トップバッターの青江三奈「池袋の夜」が素晴らしい。当時の紅組キャプテンだった越路吹雪「愛の讃歌」もいいテーク。自分の世界に皆を合わせさせる…というよりは、紅白に合わせて庶民的な感じを醸し出して歌っているのがいい。そりゃね…後ろで団扇や扇子で応援されながらだと、自分の歌の世界は出しにくいかもしれんネ(笑)。いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」、奥村チヨ「恋泥棒」、森山良子「禁じられた恋」、岸洋子「夜明けのうた」…今でも歌われる名曲がこれでもかと、満漢全席状態で出てくるから…まあ凄い!トリのお嬢「別れてもありがとう」も凄い!応援ゲストも…クレージー・ドリフ・藤田まこと・なべおさみ・森光子・黒柳徹子・左卜全(‼)・森繁久彌・関敬六・南利明…。そして、演芸ファン狂喜乱舞なのが、三遊亭小圓遊・月の家圓鏡(八代目圓蔵)・古今亭志ん朝という噺家のお師匠さん3人だよ‼もう夢のようだ…(号泣)。-----------------------------------------------------------------まだご覧になったことのない、若き昭和歌謡ファンの方々!これは本当に(大きなお世話ですが)絶対に見逃してはいけない再放送だと思います。「テメエに言われる筋合いはない!」とお思いでしょうが、言わせてください!再放送当日、大きな事件事故や気象その他が何も起きないよう祈りましょう。ニュース速報入れられたらブチ壊しですからね。
2025年01月31日
コメント(2)

享年97!もう本当の大往生と言って差し支えないだろう。非常に寂しいことではあるが…。NHKやテレ東の歌唱映像を見たり、SP盤を集めたりしていた私が生で歌謡ショーを見るようになったのは、2003年以降のこと。その頃で、大ベテランの位置にいたのがが田端義夫と青葉笙子。昭和20年代デビューのベテラン歌手が岡本敦郎・三條町子・久保幸江・安藤まり子・初代コロムビアローズ。その下の「昭和30年代スター」の中で中心的な位置にいた歌手が「Wこういち」のお一人、三浦洸一さんだったように思う。青木光一・曽根史郎・白根一男の3人も日本歌手協会「歌謡祭」に出なくなって久しく、近年は見に行くこともなくなった。正月の12時間放送も、所々しか見ていない。大津さんも体調を崩されたと聞いたし、こまどり姉妹も妹さんがソロで歌うようになっているし。-----------------------------------------------------------------昭和30年代前半の大スターだった三浦さんだが、当然デビューは昭和28年。2月にNHK・8月に日テレが開局した、テレビ元年のときのデビューである。お生まれは昭和3年(1928)の元日。神奈川県三浦市のお寺の三男。東洋音楽学校(今の東京音大)を卒業後、吉田正門下生となる。昭和28年にビクターから「さすらいの恋唄」でデビュー。芸名の由来は当然生まれ故郷からで、本当は「三浦光一」にするはずが、コロムビアに青木光一がいるので、「洸一」にしたという話がある。「さすらいの恋唄」は小ヒット…という感じだったみたいだが、次の「落葉しぐれ」が大ヒットしてスター歌手の仲間入り。その後は「弁天小僧」「あれが空似というものか」「東京の人」「あゝダムの町」「踊子」「街燈」「釧路の駅でさようなら」など、数々の大ヒットを飛ばした。「NHK紅白」には8回出場。昭和40年代の空前の懐メロブームでは東京12チャンネル「なつかしの歌声」に多数出演。大晦日「年忘れ大行進」には、昭和45年「第3回」以降、ほぼ毎年出演されていた。ところで…今回の訃報の中で、日刊スポーツとデイリースポーツに「春日八郎さんと三橋美智也さんと『御三家』で人気」という見出しが書いてあったが…そんな括りは聞いたことがない(笑)。これ、だいぶ昔に歌手協会の現理事長と銀座で飲んだことがあり、そのときに「『春日・三橋・村田』で『三人の会』だけど、本当に昭和30年代前半で人気があった並びだと『春日・三橋・三浦』か『春日・三橋・若原』じゃないの??」という話題で盛り上がったことがあったのだが、それをどこかで誰かが書いたか、又聞きで書いちゃったんじゃないか?とも思ってしまった(笑)。まあ確かに、人気は「春日・三橋・三浦」だったかもしれないが、それを「トリオ」「御三家」と呼んだ活字は見たことがない!誰が書いたんだ?この見出しは。…話がズレた。元に戻して…。私は小さいころで記憶が曖昧…というか殆ど覚えていないのだが、昭和58年には「笑っていいとも!」にレギュラー出演!おもしろいおじさん枠(?)での出演だったみたい。どういうこっちゃ??2011年ぐらいまでは、歌唱力が衰えつつも舞台に立たれていたが、2012年7月の靖国神社での「みたままつり・奉納歌謡ショー」が最後の舞台になられたようだ。--------------------------------------------------------------------三浦先生の他界で、日本から「折り目正しく真っ直ぐに歌う歌手」は絶滅してしまったのかもしれない。まあ、こう書くと一部で炎上するかもしれないが、そう思う。私は後年の舞台しか見ていないので、やや衰えた歌唱の印象があるのが残念ではある。それでも生で数々の大ヒット曲を聴けた、生の舞台に多く間に合ったことは、財産である。個人的に好きな三浦さんの歌だが、やはり「街燈」は外せない。レコードでは勿論知っていたが、平成9年の「第28回・夏祭りにっぽんの歌」で初めてテレビ歌唱バージョンを聴けて、より好きになったのを覚えている。あとは「弁天小僧」だろうか。私が昭和歌謡ファンになったキッカケの1つは春日御大の「お富さん」だが、平成2年の大晦日「第23回・年忘れにっぽんの歌」で、「お富さん」と「弁天小僧」が立て続けに聴けたのは嬉しいものだった。このときが「弁天小僧」の初聴きで、まだ小6だったからか一発で覚えて、よく歌っていたのを思い出す。渋いところだと、手拍子ものの「あれが空似というものか」も捨てがたい。十八番の文芸ものだと、やはり代表曲のひとつの「踊子」になるだろうか。テレビ東京では、大体メジャーな歌しか歌わなかった(歌わせてもらえなかった?)三浦さんだが、昭和49年1月の「なつかしの歌声」では、珍しく「釧路の駅でさようなら」を歌っている。この歌も好い。この歌は、確か2005年か2006年の「歌謡祭」で歌っていて、目の前で聴けて大感動して、小声で歌っていた…ゆうぽうとの客席で(苦笑)。あと「東京の人」も好きなのだが、この歌はあまり目の前で聴けなかった記憶がある。この歌は昭和46年大晦日の歌唱が素晴らしい。折り目正しいステージマナーも含めて。「落葉しぐれ」は、大晦日初登場の昭和45年の歌舞伎座のテークがいい。歌いだしで客席から拍手が来ていて、まだこの時点では、あまり「懐メロ歌手」ではなかったことが伺える。あとNHKの「ビッグショー」で、高島忠夫をゲストに招いてのワンマンショーがあって、この回も凄かった。滅多にテレビで歌わない「流転」(上原敏と別曲)や「舟唄」(八代亜紀と別曲)も歌っていて、感動したのを思い出す。歌は最高!でもトークが…(苦笑) | 日日是口実 - 楽天ブログ今になって読み返すと酷い文章だが(笑)、確かに全然フリーのトークが出来なくて、高島忠夫が進行していたんだった。----------------------------------------------------------------1月11日に老衰で亡くなられたという。97歳になったばかり…ということだ。ここ2年近くは入院をされていたようだし、ご家族は、さぞ大変だったかと思う。本当なら、NHKもテレ東も追悼特別番組を編成するほどのスター歌手なのだが…まあ、多分やらないだろうね(嘲笑)。BSテレ東の「プレイバック~」ではやるだろうけども…。とにかく日本歌謡界の大きな大きな星が、また消えた。三浦洸一さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2025年01月21日
コメント(0)
一昨日、ある落語関係の知り合いにダビングを頼まれて、昨年末ここで書いた「第22回NHK紅白歌合戦」を見ていた。その後に、続けて昭和38年大晦日の「第14回」も見ていて…。この紅白に出ていた昭和のスター歌手の訃報を連続で聞くことになって、非常に落胆している。アイ・ジョージさんが91歳、三浦洸一さんが97歳…そりゃもうお二人とも大往生に違いないのだが、とにかく寂しい。特に三浦先生は、何度となく生のステージを見ることができたし、2度ほどご挨拶をさせていただく機会もあった。------------------------------------------------------------------アイ・ジョージさんから。とにかく「あの声」であろう。力強く伸びと張りがある堪らない艶のある美声。そして「譜面どおりに歌わない」タメを利かせた(笑)歌い方は、私もよく真似している。ただ物凄く肺活量を必要とする歌い方なので、絶好調のときしか歌真似できない…。昭和8年に香港で生まれた。お母様がスペイン系のフィリピン人で、あのラテンムードは、そこから滲み出たものだろう。ご家族には恵まれなかった方で、祖母・父母も早くに他界されて、孤児のような状態で様々な職業を転々としたと聞く。流しの歌手をしていたときにスカウトされ、昭和28年「黒田春雄」という芸名でテイチクからデビュー。歌謡曲を歌っていたのだが、パッとしなかったために退社。また流しに戻った後、昭和34年に大阪のキャバレーの専属歌手になった。その後、同年「トリオ・ロス・パンチョス」来日公演で坂本スミ子と共に前座を務めたことで名が上がり、またテイチクと専属契約を結んだ。昭和35年に、自ら作曲した「硝子のジョニー」が大ヒット!同年の大晦日には「第11回NHK紅白歌合戦」に初出場して、そこから…昨年末に再放送された昭和46年の「第22回~」まで、連続12回の出場を果たしている。昭和38年には、興行的には失敗だったようだが日本人として初めてアメリカのカーネギーホールでの公演を行っている。--------------------------------------------------------------------紅白では「ポピュラー」を歌うことが多かった。とにかく(親友であり商売敵だった)フランク永井と並ぶ、歌の巧さがある人だったと思う。春日・三橋が「和」なら、こちらは当然「洋」ね。フランク永井が「柔」ならば、アイ・ジョージは「剛」という感じの声の違いがあったように思うが、私は2人の声は大好きだった。ただ…ウチの父親も言っていたのだが「山師」とでも言うのか、妙な「ひと山当てたい!」の気持ちがあった人らしく…。それで方々に借金があって、それこそヤ〇ザに追い掛け回されていて、なかなかテレビに出られない…みたいな噂も聞いたことがあった。91歳までお元気でおられたのに、平成以降、テレビやステージでその姿を見ることが殆どできなかったのは、ホント勿体無いとしか言えない。36年の間、懐メロファンをやってきて、過去映像ではなくリアルでアイ・ジョージの歌唱をテレビで見たのはただ一度、平成8年の大晦日「第29回・年忘れにっぽんの歌」の第2部だけ。テレ東の第1スタジオ(現・神谷町1スタ)で「ラ・マラゲーニャ」と「硝子のジョニー」を、全盛時と全く変わらない伸びのある声で歌い上げたのを、よく覚えている。一度でいいから、目の前であの美声を聴いてみたかった。今さら言っても仕方ないが…変な山っ気を出さず、歌の道だけに専念してくれていれば、「夏祭り」も「年忘れ」も「思い出のメロディー」にも、数多く出られたに違いない。声の衰えも殆どなかったと聞いているので、「硝子のジョニー」も「赤いグラス」も、数々のスタンダードナンバーも、画と音が多く残ったことだろう。それだけは本当に残念。個人的には、昭和52年と昭和58年の「NHK思い出のメロディー」で歌った「硝子のジョニー」が素晴らしかった。昭和56年7月のテレ東「第12回・夏祭りにっぽんの歌」で歌われたのはフルコーラスで、浅草国際劇場に響いたテークも捨てがたい。昭和43年12月放送のTBS「日本レコード大賞10周年記念番組」で「硝子のジョニー」を歌ったときは、あの”タメ”が効きすぎていて、1番の途中でバンド演奏とズレてしまう(苦笑)ところがあったが、あれも凄い声だった。「赤いグラス」は、昭和40年の紅白しか見たことがないからなぁ…。あと、どのような性格の方か知らないが、昭和40年代の紅白では…盛り上げ係とでも言うのだろうか?やたら奇声を発したり踊ったり、という場面を何度か見た(笑)。歌の印象と全然違うという…。特に昭和43年の第19回では、フランク永井「加茂川ブルース」の間奏で応援の三浦布美子が出てきたとき、ひな壇で「イヤ~ァ‼」と謎の奇声を発していたし(笑)、デュークエイセス「いい湯だな」のときは、頭に手ぬぐいを載せて、ひょっとこみたいな顔をして踊っていた…(汗)。昭和46年の「第22回」でもやってたみたい。まあ、そのような点も含めて、一流のエンターテイナーだったということは間違いない。自宅での急逝だったと聞く。近年はペースメーカーを入れていたという話だが、ヒートショック的なものだったのだろうか…。アイ・ジョージさんのご冥福を、心よりお祈りいたします。
2025年01月21日
コメント(0)

2025年!皇紀2685年!あけましておめでとうございます!本年も、何卒よろしくお願い申し上げます。…1月9日(木)にもなって、今さら何を言っているんだ⁉というクレームはなしで、重ねてお願いいたします(笑)。今年は昭和100年!というわけで、ポッドキャストは勿論ですが、いろいろ動こうと思っています。今のところ決まっているのは、下記の3つであります!是非ともご予定は空けておいていただければ有難いです!なんせ…全てが平日の昼間or夜の開催なんで(苦笑)。有休取って来てください!4月9日(水)夜…「第31回・歌で綴る昭和&平成の時代」会場…アートスペース兜座5階・演芸フロア*時間および入場料その他は未定。5月16日(金)昼…「レコードコンサートのゲスト」会場…神保町らくごカフェ*私はゲストで呼ばれているので、内容その他は未定!…というか何も聞いてない!6月25日(水)昼…「頼光・三朝・林田三人会(仮)」会場…神保町らくごカフェ*時間および入場料その他は未定あと、夏に(7月~9月の間あたりの昼間)に、私がひとりでらくごカフェで「ちょっと大きめの”昭和歌謡関連”の連続イベント」を考えております!こちらも本決まりになったら、大々的に宣伝させていただこうかと思います!本年も当ブログ・当ポッドキャスト・各イベントを何とぞよろしくお願い申し上げます!
2025年01月09日
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1

![]()
