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約40日ぶりです。ご無沙汰してます。引越しのあと、やれやれ、としたところで・・・・実は、実家の母が11月の26日の夕方、救急車で搬送されまして。。。尿管結石⇒腎盂腎炎⇒尿毒症⇒敗血症とあっという間に次々と病名が増えまして。この26日、この日に限って姉が留守してた。その前日まで元気でしたし、何も変わったこともなくて、それで姉は来年4月から始める仕事のことで、26日の朝から東京へ出かけてました。26日の夕方、19時過ぎ、父から「お母さんがお腹が痛いって動かないんだ、少し熱もあるんだ、どうしよう・・・」と困り果てた様子で電話が来ました。どうしよう・・・って、主治医の先生に連絡するべきじゃ・・・・・って私も頼りない。父一人では、どうにも判断がつかなかったらしく、次に連絡が入った5分後には救急車呼んだから、でした。その時は、当直の先生が診察されて、主治医の先生にも連絡します。一応念のため、今夜一晩入院しましょう・・・だった。だから、母も姉には連絡しないように、心配して飛んで帰ってくるからって言ったらしいんです。ところが、主治医の先生来られて、検査を開始して、色々調べてるうちに、次々と病名が増えるし、口止めされた父も、不安で姉に連絡したのが、27日の午後12時過ぎ。姉は、打ち合わせを急遽中止して帰ってくることに。今までは、姉の食事療法や薬物療法でノビノビとなっていた、血液透析も27日から開始されました。姉は、空港からレンタカーを借りて、本当に飛んで帰ってきました。母の熱は3日ほど続いて、点滴を続行し、熱の原因となっていた尿毒症を起した最大の原因、結石をカテーテルで一旦移動させ、カテーテルによって尿を排出させたことで、熱は下がりましたが、その後も安静が必要ということで、姉は2週間、病院に泊まりこみ、その後も毎日朝6時頃から、夕方7時過ぎまで付き添ってました。基準看護の病院でしたが、母にとって、精神的な支えになったと思いました。私はというと、今度ばかりは別居してて良かった、と心底思いました。あの義両親が一緒にいれば、前回までのように、皮肉のオンパレードでしたでしょうが、娘を幼稚園にやったあと、実家に行って父の食事を作ったり、母の病院に顔を出したり。しかし、何か、毎日、疲れて、PCの前に座る気もうせて、ご無沙汰になってしまいました。母が今月23日に退院したのですが、その後、今度は姉が看病疲れでダウンし、また実家通いしてました。その姉も、復活し、やれやれと思ったら、もう年末ギリギリ。昨日・今日と姉と二人で、速攻でおせち作り。PCを触らないでいたら、なんと家計簿も付けてなかった・・・すごいレシートの山。これはみなかったことに・・・・しようと。ブログに来ない間、ふっと考えたりすることあって。あの方はもう赤ちゃん生まれたかな?あの方は元気に透析通ってるかな?あの方のご主人は年末まで何かまた笑わせてくれたかな?あの方の三人のお子ちゃまは?あちらの方のおにいちゃん達はどうしてるかな?あの方は元気にされてるかな、その後お薬が会わないことないかな?あの方のところのワンちゃんと坊やはどうしてるかな?あの方のお腹の赤ちゃんは?あの方のところのお嬢ちゃんは?っていろんなこと一人で思って、携帯で見ればいいんだけど、なかなか・・・やっぱPCの画面で見るほうがなぁ、なんてかんがえたりしながら。皆さまのところにも、1ヶ月ぶりの訪問を年明けとともに再開します。本当に今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします
2006年12月31日
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