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今日は、実家から婚家に戻ってきました。娘の幼稚園も今日から行かせました。元気なもので、お友達に会えなくて淋しかっただの、お弁当持って行けないから、つまらなかっただの、と、ブツブツ車の中で文句たれながらの登園でした。夕方は、歩いて帰るからね、今日はこっちの家に帰るんだからね、って言って幼稚園に送り出すと、判ってるって、言ったが早いか、お友達見つけて、ママ、バイバイ。それから、再度、実家に戻って、片付けて、週末に来るからという事で、帰ってきました。23日の運動会のお弁当で使ったお弁当箱が、食洗機に入ったまま。24日の朝から片付ける予定だったのよねぇ~なんて思いながら、窓を全開して、掃除して、数日留守するからと思って、喪服を取りに戻った時、冷蔵庫の中身も全部持って行ってたので、買い物行って帰ってきたら、階下のジジババが二人で庭にいた。キャア 珍しいけど、嫌な予感。一通りの挨拶して、サッサと二階の我が家へ。ホー、すんなり解放された、良かったぁ~、ってのは、そこまで。買って来たものを冷蔵庫にしまってると、来た来た。これまた珍しく二人揃って来た。珍しく、お茶菓子なんぞ抱えて・・・内心、賞味期限切れじゃないだろうね?って思っちゃった。お茶菓子抱えて来られたんじゃ、お茶出さないわけいかないし、そうなると、長引く予想できたけど、お迎えの時間まで、はるかにあるし、仕方ない。お茶出したら、さぁ始まった。・バアチャンは保険入ってたのね?・貯金は幾らぐらい残してたの?・土地や不動産は?・施設に払ったお金は戻ってくるの?・葬儀の費用は幾らぐらいかかった?・弔問客は何人ぐらいだった?・遺言書はあるの?・・・あんたらに何の関係があるの?って、まさか、あんたら自分もその分け前に預かろうって魂胆か?「私は、遺産に関しては一切、知りません。相続税払わなきゃいけないほど遺産残してるとも思えないし」・・・ここで話の腰を折られて、また始まった「いいや、学校の先生だったのだから、退職金も大きいはずだし、年金だって大きいはずだから・・・」そんなもん、知るかよ、バアサンが幾ら金持ってようが関係ないんだよって言いたいところをグッと抑えて「本当に私は一切知らないんですよ。葬式の費用が後から、割り勘で言ってくるかも知れませんけど、祖母の遺産・遺品に関しても全て管理は祖母が生前、弁護士さんに依頼してるようですし、わかりません。」すると、今度は、「陽菜子さん、あんたは嫁に出た身分なんだから、葬式の支払いの義務は無いさ、そんなの、はい、そうですか、って返事しちゃダメだよ、そこの所はきちんとしておかないとさ、うちのトースケみたいな安月給取りの嫁さんにそんな請求しなくても、向こうには海外に行ってる兄貴さんが二人もいるんだから」は?私には兄貴は一人しかいねぇよってんだ、一人は弟だ、アホ「そうですね、支払いの義務も無ければ遺産相続の権利も放棄しなきゃいけませんねぇ」すると、二人とも、ブツブツ・ゴソゴソ言いながら、じゃ、またね、って降りて行って。その後は、娘が幼稚園から帰ってきてから、一度、ただいまを言いに行っただけ。その時も、何か都合悪いような顔でいました。何も知らない娘は、向こうのおうちで従兄弟たちと遊んだことを嬉しそうに話してました。階下の住人、やっぱ、ろくなもんじゃねぇ。年内逃亡を何とか目指すぞ
2006年09月28日
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私は、このたび、つくづく思いました。冠婚葬祭互助センター?だったかな、そういうネーミングの業者があったようですが、本当、誰か詳しい人間でもいないと、一人じゃ絶対出来ないと思いました。今週の初めからがあまりに慌しかったので、今日は私は実家でゆったりとしながら、姉に言われた仕事を兄嫁と行ってたのですが。兄嫁と二人で、大変だネェって話したものです。亡くなった、で、スタート、それからというもの、何をやってたのか?私は姉の後ろを着いて歩いて、言われたとおりに動いてただけ。葬儀屋の連絡、身内関係の連絡、お寺の連絡、家では枕膳の準備、通夜ぶるまいの準備、お茶菓子の準備、ビール等の準備、ざっとノートに書いただけでも、こりゃえらいこっちゃと思いました。早朝から、兄と弟が祖母のいた施設に走り、私物を持って帰ってきました。その間、姉が役所関係、生命保険、金融機関などを回って歩いて、午後からは、みんなで祖母の遺品の整理を行いました。祖父との結婚写真があったり、祖母の尋常小学校の時の記念写真や女子高等師範の卒業写真などもありました。尋常小学校時代の記念写真に写ってるその顔は、ひ孫の3匹の顔にそっくりこれは間違いなく、子孫だねって言ったものです。午後から、私物を仕分けして、それぞれを箱に整理して。結構な量あるものです。古いものがたくさん残ってるんですよね。それぞれに、思い出の品なのでしょうが、その中に古いノートがありました。祖母が昔つけてた家計簿、家計簿もどきってものでしょうか。予算とか、そういった記載はなくて、ただ買い物したものを記載してるだけ。豆腐が幾ら、とか、お味噌がいくら、とかって書いてあるんです。その日付の横に、妊娠日記のように書いてあって、一人娘である母を妊娠中の時のもの。腹の赤子のために、今日は卵を買って来ました。ってありました。それを見ていたら、妊娠7ヶ月目まで働いてるんです。3月の年度末で、お産のために仕事をやめる、しかし、出産後もまた働きたい、と書かれてました。昔、産休制度が無かった時代のことだったのですね。その以前にも、誰先生が、心配して仕事を無理するなと声をかけてくれた、とか、校長が生まれた時は是非名付け親になりたいと申し出たが、あの校長は、胡散臭いから嫌いだから、断るとか、ですね。出産後、1ヶ月目ぐらいから、また記入が始まってて、赤ちゃんがおっぱいを何回飲んだ、吸う力が強くなった、便の状態はどうだった、などと今度は育児日誌になってました。それが途切れたのは、祖父が出征した日。本日、夫、出征す、駅まで見送りに行く、そうありました。それからは、祖母の独り言のような日記になって、それがまた途切れたのは、祖父の戦死の連絡のあった日、間違いであって欲しい、と、何度も書かれ、次に書かれてたのは、その日から4ヵ月後、遺骨を受け取りに行った日のこと、寒い駅での悲しかった思いが綴られてて、それからしばらくは、祖母も悲しみの淵にいたようです。しかし、その年の4月には、仕事に復活してました。思い出のノートなのだなって思い、箱にしまってると、兄貴が、「女性の花嫁衣裳の袖って固い物?」って言うんです。兄嫁やら姉と、「何言ってるの?」って笑ったら、兄貴が「だって・・・」と、言いながら、広げた着物は正しく祖母の花嫁衣裳。写真の衣装、そのものだねって見ながら、袖を触ると確かに何かしら固い・・・なんだろうねって言いながら、そろりそろりと袖を解いてみると、中から厚紙が出てきて、その中から数通の封書。結婚前の祖父母のやり取りした手紙でした。昔のことで、時候の挨拶のようなものでしたが、大事な思い出だったのでしょうね。また、袖にしまって、袖を元のとおり縫い付けて。遺影の祖母の顔が、ニッコリ笑ってるようでした。
2006年09月27日
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昨日は、たくさんのコメントや、私信へのお悔やみありがとうございました。祖母は、本当に幸せだったのだろうなと思いました。穏やかな、優しい、美しい笑顔で旅立ちました。祖母の葬儀を本日、執り行ったのですが、今の時代、ネットという素晴らしい環境があるもので、祖母に、担任をしてもらってた、英語を習った、師範学校時代の後輩だった、一緒に働いた、中には親子二代習ったのですよ、なんて方もいらして・・・話を聞いてると、メールで連絡が入った、って人が多くて。祖母の人柄だったのだろうなって改めて思いました。祖母は、波乱万丈で100年も生きてきたので、楽しい事もあったかもしれないけど、苦労も多かったのだから、新しい旅立ちには綺麗にして、と、祖母の持ってた着物の中でも一番いい黒留袖を着せて旅立たせました。いつか来る、この日のために、母は祖母の黒留袖を、洗い張りして、準備していたそうです。見送る母はこれまた穏やかな顔をしていました。悲しいとか辛いというものを超越したように思えました。まだ元気な頃、湿っぽい葬式はイヤだ、ニギヤカに送り出してほしいと言っていたました。お経が終わってから、祖母の好きだった邦楽のテープをかけ、静かに送り出すという事とは全く異なり、出棺の時、兄の二人の子とうちの娘の三人で、突然アンパンマンのテーマ曲を声高に歌い始めたのです。今までは、娘がアンパンマンを見るとき、聞き流してたアンパンマンのオープニングテーマでしたが、その歌詞の内容を聞いてると、祖母の生きてきた軌跡を歌ってるように聞こえました。最初は子供三人の合唱でしたが、次第に弔問客の方々も歌いだされ始めて、最後は大合唱になってました。全て終わって、帰宅してから、バアチャンの人生は、苦労もあったろうけど、いい人生だった、って今頃言ってるのかもねぇって話したのです。葬儀の始まる前、祖母の教え子という方、数名から話を聞きました。祖母は英語の教員だったのですが、その教え子さんがどうしても英語が苦手で、このままでは英語だけが他の科目より点数がかなり悪い、これでは進学に影響すると判断した祖母は、自宅にそうした生徒さんを放課後、数名招き、夕食を共にし、招いた時点から一切、日本語禁止で英語を教えてもらったとか、また時には、生徒さんの親御さんが寝込んでると聞いたら、お粥を炊いて持って行って看病してくれたとか、家で孫に見せてた顔とは異なる祖母の一面でした。60歳で定年になって、その後20年間、学習塾の教員を勤め、その後5年間は自宅で高齢者相手の英会話教室のような人生相談室のような教室を行い、85の年に老人ホーム見学ツアーなどと称して一人であちらこちらのホームを見学して歩き、最初に入ったホームが昨年、経営者が変わって、その頃に体調を崩して、入院し、そのホームを出て、今年初めに有料老人ホームに入居し、口癖は、「あんたらの世話にならないように生きてるんだ、だけど、葬式と後処理だけは世話になるわ」でした。祖父との結婚生活は、わずか2年ほどで軍人だった祖父の出征・戦死という形で終焉を向かえ、その後の再婚話にも耳を貸さず・・・これも、今日、祖母の師範学校の2年後輩という方から聞いたのですが、当時、祖母は、再婚なんてしない、旦那さんの葬式を二度も出すのはゴメンだわ、葬式って疲れるのよ、頭下げてばっかしでって笑い飛ばしてたそうです。明日からが、色々な手続きがたくさんあるようです。私は、とんとわからないけど、姉が殆どやってくれるらしい。。。。って言うのも、生前、祖母は姉の友人の弁護士さんを施設に呼んで、遺言書の作成やら没後の様々な手配を姉と弁護士さんに全て依頼してたそうです。役所やら、銀行やら、生命保険やら、郵便局やら、姉が書き出してましたが、けっこうあるものです。仮通夜、本通夜と二晩、徹夜で起きてた姉がダウンしないか気になって、近所の薬局まで行って、ドリンク剤とビタミン剤の瓶入りを買って来たら、姉が、「私は、今からドリンクの販売でも始めるか?」って。みんな考えることは一緒で、ドリンク一杯。ビタミン剤も3本もあった。結婚式ではいいお式でした、っていう事、よくありますけど、今まで、親戚の葬儀も何度も言って、知人・友人の関係のお葬式も何度も行ったけど、今回の祖母のお葬式は、身内が言うのも変だけど、本当にいいお葬式だったと思いました。
2006年09月26日
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電話が入ったのは、24日の朝8時15分でした。前日から、私の実家へ泊まりに来ていました。旦那は、仕事に行くのにも私の実家から出かけ、24日~1泊2日の行程の仕事へ、朝5時頃でかけてました。日曜ということもあり、また前日の運動会の疲れもあり、特に娘は運動会終了後、神社の秋祭りに姉と出かけ、運動会の疲れとお祭りの遊び疲れでぐっすり寝ていました。実家の電話の子機は、姉の部屋に1個とリビングに1個あります。電話を取るのは、殆ど姉で、姉が出やすいところで取れるようにしているのです。その電話が鳴ったのは8時15分、その時、起きてたのは、神棚と仏壇にお供えをする父だけでした。しかし、その電話で姉が起こされ、それから、即、家中の人間、と、言っても、母と私と娘の3人ですが、速攻で起こされて、7分後には車に飛び乗ってました。電話は、祖母の入所してる施設からでした。「急に意識が無くなった」という内容だったそうです。祖母は、いつものように朝起きて、洗面し、着替えて、施設の看護師さんに通常のように血圧測定と体温測定をしてもらったそうです。その後、朝食の時間になったので、担当の人が呼びに行ったら、ベッドに横になっていて、意識がなかったそうです。その間、わずか、15分ほどのことだったそうです。即、お医者様に診ていただいたそうですが、祖母が回復することはありませんでした。片道、通常1時間半近くかかる道を、姉は飛ばしたんでしょうね、8時半ちょっと前に家を出たのに、到着したのは、9時20分ぐらいでしたから。私達が部屋に行った時、お医者様と看護師さんとで一所懸命、心臓マッサージやら酸素吸入の措置を行ってくださってましたが、手も冷たくなって、呼びかけにこたえてくれる事はありませんでした。姉が、祖母を見舞いに行ったのが、22日だったのです。その時、祖母が、「長いことお世話になったねぇ、もう、人様がどう言おうと自分の信じる道を進みなさいよ、私みたいに、ガチガチに生きることもないよ」って姉に言ったそうです。姉はその時、ただ、祖母の手を握ったら、温かかった、温かい手だ、と思ったそうです。姉が手を握ると、祖母はにっこり笑って、姉の手を握り返したそうです。姉は、23日が菜豚子の運動会だから、後日、DVDを持ってくると話して帰ったそうです。それからわずか2日で、まさか旅立つなんて思いもしませんでした。祖母は、本当に静かに眠るような穏やかな顔でした。苦しむこともなく、痛むこともなく、笑ったような顔でした。100年と6ヶ月と25日生きてきた祖母の人生は波乱の人生だったのでしょうが、最期は、穏やかだったようです。朝起きて、顔も洗って痴呆はすこしありましたが、必ず朝から髪を梳いて、ファンデーションだけは塗る人でした。年寄りがスッピンでいると、シワとシミが目立つからイヤだ、だけど、色を入れるとそれは恥ずかしいという人でしたから、必ず、薄くファンデーションを塗って。働いてた頃は、常に洋服の人でしたが、引退してからは、真夏でもほとんど着物で過ごす人で、24日の朝も、着物に着替えたあとでした。祖母のお葬式を、施設のある都市で出すことも可能でしたが、現在、実家のある市は祖母が若い頃、戦死した祖父と短い新婚生活を送った土地でもあるし、また祖母が夫亡き後、自立する第一歩を歩みだした土地でもありますので、実家まで搬送し、実家で、通夜、お葬式と執り行うことにしました。斎場で行うことも、父は提案しましたが、祖母の娘である母が、自宅で行いたいという意向で自宅でとなりました。母が言うには、「今の時代、生まれ来る時は、病院で生まれる。だけど、祖母の時代は、自宅で出産を行っていた。だから、新しい旅立ちを家から送り出してやりたいのだ、と。」それに、祖母の友人といっても、もう年が年なので、昔からの友人の方々は殆ど亡くなっています。高等女学校時代からの一番の仲良し三人組というお友達の方が、昨年春に一人亡くなられて、もうお一方も現在は千葉県にお住まい。女子高等師範学校時代のお友達だったという方が、同じ施設にいらっしゃいましたが、その方はもう要介護5の状態で、施設を出発する前にお別れだけして。同じ施設には、祖母の教え子という方もいらっしゃいましたが、祖母自身が亡くなってしまったので、連絡先もよくわからない状態でした。そんな事もあって、自宅から家族だけで、静かに送ってやりたい、それが母の意向でもありました。葬儀社に連絡して、搬送してもらうように依頼したら、葬儀社の方は、料金の心配してくださいましたが、母と姉が言うには、「一回しか無いことだから」。搬送車には、父が付き添って、私達は姉の運転する車で。移動中、兄と弟に連絡し、こんな時、近くにいないって云う事は本当に遠いですね。兄貴は、即、連絡ついたのです。兄にも兄嫁にも。それで、至急、帰国の手続きを取って帰国するから、と。問題は弟、現在、パリに赴任中のはずなんだけど、いたのは、ベルリン。確か、時差が8時間ぐらいだから、日本時間で午前11時頃なら向こうは夜中だからって家に電話していない、何かあった時の緊急連絡先ってのを姉が知ってたので、そこにかけたら、いま、ベルリンに行ってると連絡先を教えてもらって、かけたが、電話に出た相手が、ドイツ語で一方的に喋ってくれる、私は、恥ずかしながら、ドイツ語というのは、聞き取りは出来ても話せない・・・仕方ない、日本語で、弟の名前言って、私は姉です、祖母亡くなったって言ったら、電話口の人、ソレハタイヘンデスネ、って日本語で喋る。喋れるなら、最初から喋ってくれ・・・それでも何とか連絡ついて、できるだけ早く帰国するようにするから、とのこと。それにしても、遠いものです。私が、四苦八苦してる間も、姉の運転は、通常より早かったのでしょうね、横にいた娘が、「追い抜いた、追い抜いた」って喜んでましたし、1時間ちょっとで帰り着きましたから。帰国する、祖母の二人の孫を待つため、仮通夜、本通夜、お葬式という手順となりました。お葬式って、誰でも避けては通れない道なんですよね。だけど知らないことばかり。なぜか、姉はそうしたことの準備も知ってて、枕膳の準備、精進膳の準備とクルクル立ち回って、私はその後ろで、ただひたすらノートに書いてました。帰り着いてから、思い出したのが、私の舅・姑。連絡してないこと思い出して、舅は山登り行って留守でしたので、姑の携帯の留守電にメッセージを入れて。葬儀屋さんは、斎場でなさいますと、こうしたお膳なども手配できるのですが・・・って言ってくれてたけど、姉も母も、笑顔で返してました。少し、休憩してから、一旦、洋服の喪服と着物の喪服、それに娘の黒っぽいワンピースを取りに戻ったら、姑が帰ってきて、人は出来るだけ早く帰りたいって思ってるのに、病気してたのか?とか、搬送したら費用かかったろう?とか、矢継ぎ早に質問攻め。もう少し、時と場合を考えろよって思いつつ、日程だけ話して、実家へまた戻りました。祭壇が作られ、その前に横たわる祖母の顔は、本当に綺麗な笑顔でした。まるで、今から起き上がって、笑い出すようなそんな顔でした。誰にも知らせず、ただご近所の方だけにはこうした事で、車の出入りがあること、お騒がせすることなどを話してただけだったのですが。仮通夜式の時間になると、一人、二人と弔問客が訪れ始め、ご近所の方がお見えになり始めてたのですが。そのうち、祖母の教え子だったという方、後輩だったという方、などがお見えになられてました。そして、今夜が、本通夜だったのですが、千葉在住の祖母の女学校時代からのお友達の方が来てくださいました。心なしか、祖母が笑ったように見えたものです。昨日、姉に、通夜ぶるまいの料理、どれくらい頼もうか?って姉に聞いたら、姉が、結構な量を手配してるんです。その他にも、姉は、たっくさんのお煮しめなども作ってました。思わず、二日分?って聞いたら、アホか!って怒られて、しかし、予想に反する弔問客で、綺麗さっぱり無くなりました。今日も、昨日は多かったけど、今日は・・・って言ってたら、昨日以上に多くて、祖母の教え子だったって方が、結構お見えになりました。献花や弔電も思いのほか、多くて、座敷に通じる廊下にはお花が一杯、玄関先もお花一杯。その一杯のお花を見て娘が、「ひいばば、嬉しいよ、喜んでるよ、こんなにお花たくさんで喜んでるよ」って。娘がどこまで判ってるかは不明です。ただ、お葬式は明日ですが、この二日間で思ったのは、きっと祖母は幸せだったのだろう、早くに夫と死別して、戦争を乗り越えて、85歳まで働き続けて、一人で頑張って生きてきたけど、貴方の人生は幸せだったのだろう、と。祖母の顔は笑顔です。
2006年09月25日
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今日は娘の運動会。田舎の町の小さな幼稚園の運動会だというのに、駐車場は車が一杯。朝から、設営の手伝いに行ってたうちの旦那の車は一番奥のほうへ。ま、いいか、最後、片付けも手伝って帰るから。少し早めに来てくれてた、実家の車も奥のほう・・・母曰く、いいんじゃない慌てて帰ることないもん。子供の数の4倍近い保護者の数、要するに、ジジババ親戚総出なのね。どこの家見ても、子供の両親の他に、色々といるんだなぁ。実家の姉が、弁当持って行っていいもんかねぇと言いつつだったけど、どこの家もすごい人。子供はどこにいるんだい?って感じ。9:30開始で昼、13時過ぎには終わる小規模の運動会だったけど、小さいながらに子供達は、みんな一所懸命。3月生まれのうちの娘は、クラスでも一番月齢が遅いほうだけど、横幅だけは大きいけど、縦はちょっと小さめ。去年のクリスマス前のお遊戯会のときは、他の2歳児と一緒に舞台に上がっても、みんなそれぞれだったのが、今年は、ダンスもみんなでするし、かけっこも頑張って走るし。一番驚いたのは、自分よりちょっと小さい子の手を引いて歩いて入場したこと。その小さい子、泣いてたんです。するとその子の頭を、ナデナデしてやってて、はぁ、成長したんだなぁって改めて思ったものでした。オニギリは、2個も食べるし、果物は一人で平らげるし、お弁当食べておなか一杯になったら、ママ眠いって愚図ってたのが、お友達が呼びに来たら走って行っちゃう。少しずつ、親離れ開始始めてるのねっても思った一日でした。
2006年09月23日
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明日は娘の運動会。夕方から、旦那がテント貼りに行ってました。すると、学生時代の同級生や先輩・後輩に会ったと感激しまくりで帰ってきました。ビデオカメラのバッテリーをチェックし、敷物を広げてチェックし、お皿やお箸、コップ類などをチェックし、まるで子供が遠足に行く前みたい。お弁当の下ごしらえも完了。明日は、私は5時おきでお弁当つくりです。姉も少し作ってきてくれるというので、打ち合わせして、私が作るのは簡単なものばかりですが。準備万端、後は明日になるだけです。
2006年09月22日
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今度の土曜日は、娘の幼稚園の運動会。このところ、娘は運動会の練習で少しお疲れ気味ではあるが、それでもご飯食べる元気と遊ぶ元気はあるらしい。今日は買い物もなかったので、歩いてのお帰り。帰り道、娘は・・・あと、一つ練習したら、運動会ねぇ。運動会終わったら、向こうのおうち(私の実家)にお泊り行って、神社のお祭りに行けるんだよね、とそんな事言いながら帰ってきた。娘は、運動会終わったらその足で、実家へ泊まりに行く算段。ブラリ、ブラリと帰ってきたら、舅が庭先にいた。何か、車に色々積んでいる。まさか、このジジィ、家出?と思いきや私「お出かけですか?」って声かけたら、舅「うん、明日から山行ってくるよ」私「そうですか、お気をつけて」舅「菜っちゃん、ジイチャンはね、お山に行って来るから、運動会にはいけないから」娘「うん、あたしも運動会終わったら泊まりに行くから」娘はどこまで判っていったのかは不明ですけど。来て欲しくは無かったから、バンザイってとこだけど、わざわざ、このジジィ、孫の運動会に山登りに行くかねぇ・・・って思いつつ、二階へ。娘にシャワー浴びさせて、着替えさせてたら、娘が、「おじいちゃんは何かあると、山、山って行くの。フフフ」って笑いながら言ってました。どこまで判って言ってるのかな・・・夕方、姑が来て、「今度の土曜日、仕事入ったの、11時から、だから運動会行けないの、ごめんねぇ」って言ってきました。私的には、万歳三唱なんだけど、そんな事できないから、「あらぁ、残念ですね。でも来年来てもらおうねぇ、菜っちゃん」って言うと、娘は、淡々と、「あとでDVD見てね、ちょっと頑張って走るし、ダンスもするの、ママとネエチャンがDVD撮ってrくれるから、それ見てね」姑は、そうねぇ、今は便利な時代だねって言いながら降りて行きました。夕方、帰宅した旦那にその事を話したら、旦那「孫の運動会、来るわけないだろ、自分達の子供の運動会だって一度も来なかったんだから、親父は、秋は登山にいい季節だって、日曜ごとに自分だけ山登り行くし、おふくろは昔から仕事、仕事って子供の運動会に一度だって弁当持ってきたこと無いんだから。いっつも、ばあちゃんと伯母ちゃんと伯父ちゃんが弁当作って持ってきてくれてたんだ。」私「うちは、運動会は両親揃って来てたよ、お弁当持って、果物持って、お茶も水筒2本ぐらい下げて、バアチャンも来てたし、お母さんの従兄弟のオバチャンが子供いなかったから、お菓子作って持ってきてたよ」旦那「寂しかったね。みんな、親が来てるのに、うちだけ、親じゃないんだよ。だから、ママにも仕事行かないで、家にいてって言うのはそれもあるんだよ。子供の運動会も出なかったから、孫の運動会にどうやって行けばいいのかわからないんだよ」って旦那は少し軽蔑するような笑い方をしながら言ってました。その後、旦那は、明日、午前中だけ打ち合わせで出勤したら午後から帰ってくるから、運動会の弁当のおかずを買いに行こうって張り切ってましたが、もう準備してるのよねぇ・・・それに、娘は、姉に色々電話でリクエストしていた・・・お赤飯のオニギリ、コロッケ、チキンナゲット、果物は、桃に梨にブドウって。そんなに食べきれるはずないのに・・・
2006年09月21日
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私達夫婦も秘かに脱走計画を遂行中で、現在、家探し。一軒、中古だけど、大家さんが売ってもいいと言ってる家があるので、それを、検討中なのですが、どうやら階下の姑も来年早々に離婚検討中らしい。姑は以前から、離婚をほのめかしていたが、来年4月から離婚時の年金の分割受給が出来るので、それを検討してる様子、実際、何度か弁護士さんのところにも足を運んでるらしいっていうのも、姑が私に言うのです。今日ね、弁護士先生のところで、お姉さんに会ったよ、って。姑が行ってる弁護士さんは、姉の友人ですから。そんな事があるせいか、今日、階下の冷蔵庫を開けて驚いた姉がおはぎを作ってきてくれて、階下の分もと持ってきてくれたので、仏壇にお供えした後、残りを重箱ごと、かまうかって冷蔵庫にいれようと開けた所・・・卵・ドレッシング・マヨネーズ・ハム、ソーセージの袋や肉類のパックに至るまで、名前が記入されてる。舅は留守だったので、姑が帰宅してから、低カロリーおはぎがあることを伝えて、冷蔵庫に入れてることを言ったら、姑曰く。冷蔵庫の中、驚いたでしょ、でもね、ジイサン、年金の残りが少なくなると決まってお金、お金って言うからね、私のお金は私のお金って区別しておきたいからね、だって、ジイサン、生活費いれないからね。なんか、それでも、一緒に暮らしてる階下の二人の心が判らない。年金を貰うためだけに、待ってるのも空しいような気がしました
2006年09月20日
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夕方、娘が突然喋りだしたので、誰と話してるんだろうと思ってみたら、家の電話で話してる。え、いつの間にかかってきたのかかってきたのではなく・・・、娘が自分で掛けてた娘はニコニコ笑いながら、話してて、電話の相手は姉。今度の運動会に来てね、の電話だったらしい。2~3分話してから、「ママに変わってよ」と受話器を持ってきた。チビが直接電話してきたので姉は驚いてたが、それ以上に私が驚いたわ姉との電話を切ってから、娘に、「菜っちゃんが一人でお電話しちゃダメよ、ママに言ってからお電話してね」って言うと、口答えすることもなく、「は~い、判った」とご機嫌なお返事。しかし、どうやって掛けたのかな?短縮番号を知ってた?まさか?と疑問はわくが、そのうちに聞こうと思って夕飯の支度を続けました。その後、旦那が帰ってきてから、娘が言った事。「あのね、パパ、お電話する時は必ずママに言ってから電話しなさいって」はいパパと出したのは、電話をかける時の押すボタンを絵で描いてる一枚の画用紙。どうしたの?って聞くと、旦那が、「うん、菜っちゃんがこの前、お電話したいって言うから絵に描いてやった。・・・」こんなもん、このチビに渡されたら、どれだけ電話されるかわかったものじゃない、余計な事しやがって
2006年09月19日
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台風13号、甚大な被害をもたらし北上を続けてますが、過ぎ去ってみれば・・・実家の前に飛んできていたもの。ベビーバス・自転車・新品なのでしょうね、紐でくくったプランター3個・どこかの看板の文字の一部?「ゥ」の文字・どこかの家の瓦・他に木の枝やら何やら。今日は雨もまだ結構降ってたし、風も強かったので、大きなゴミだけ片付けて、夕方少し早めに、実家から婚家は帰ってみれば・・・おい、舅、あんた家にいたんでしょって言ったところで、あのジイサンが片付けるとは思ってなかったけど・・・我が家の庭並びに周辺に飛んできてたものトタン板大小多数・バケツ、これが大小合わせて3個・植木鉢、これが植木はしっかり植わってる・ブルーシート・タオルが3枚・その他、割れた瓦に木の枝多数。これらを、明日から大片づけです。ベランダも、窓もジャンジャン水かけて流さないと、泥だらけって状態。台風も過ぎ去る時に、片付けてくれればいいのに・・・ちなみに、舅は、一人おかれた家の中で、ただひたすら寝てたそうです。ずーっと布団かぶって寝てたって。
2006年09月18日
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台風の到来、ほぼ確実だったので、早朝より寝てる娘を抱いて、4時に出勤の旦那とともに家を出て、私と娘は実家へ。なぜなら、婚家のこの家は、坂の上にあるんで風当たりが強い。結果、揺れる。家の前の坂は、川のように水が流れる。こんなところ、いれるかってんで、娘と犬のタラコと連れて実家へと避難。旦那には今夜は、実家に帰ってきてねと言って。それでも、我が娘、朝は8時までぐっすり。タラコにいたっては、まだ雨は降ってなかったけど、風の強い中、実家の吾郎と庭で風に吹かれてる。それでも、昼前には、家の中に入ってしまったけど。起きて実家にいた娘は大喜びで、さぁ、スカパー見るだの、あっちの部屋、こっちの部屋行っては遊びまくって、時折、停電で電気が消えると、「キャッ懐中電灯持ってきてぇ」と、喜んでる始末。夕方にかけて、雨風強くなってくると、ますます興奮しまくって。実家の隣の家の、瓦が飛んだり、雨どいが折れたりしてて、父が、お隣は80過ぎのオバアチャンの一人暮らしだから様子を見てくるって言うと、娘は自分も行くと叫んで、その時はダメって怒られて、それでも、何かしら、キャッキャッ言って喜んで。隣のオバアチャンは、こんな時のためにって、カップ麺やらをたくさん買い込んでて、大丈夫だろうって事で父が帰ってきて話してたら、ラーメン食べるって言い出すし。旦那は旦那で、こんな雨でも日帰り観光旅行が中止にならなかったので、高速走れないので、一般道を迂回、迂回で、夕方4時帰宅予定が、帰ってきたのは夜9時。しかし、お客様も観光どころじゃなかったでしょうにって言うと、それが違う、秋の味覚食べ放題ツアーだったから、見物なんか出来なくてもいいんだって。それでも、半分ぐらいはキャンセルされたらしい。お客様の家族も心配だったろうねって話をしたものです。上陸したら、スピード上げたみたいで、明日になれば風もおさまるのか・・・一応、姑の携帯に電話したら、姑は今日はパート先に泊まるとの事、舅が一人、家にはいるらしい。
2006年09月17日
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今日は、朝からポストに水道料金のお知らせ入ってました。一瞬、一階の?って思ってよく見直したら我が家のでした。夏場は、一日、何度もシャワー浴びるし、汗かいて着替えるから洗濯物も増えるしで、覚悟してました。ところが、考えてた水道料金より格段に安い。去年の同じ時期からすると水の使用量が半分よって、水道代も半分その原因となるのは、食洗機【送料無料!即納可能♪】食器洗い乾燥機National NP-BM1使い始めてから、まず自分の手あれがない、食器の汚れ落ちが格段に違う、コップなどは全然違いますね。あと、湯飲み類の茶渋の落ち方もいいし。で、なんと言っても、水道代の激減。今まで、こんなに食器洗いに水を使ってたんだなって思いました。買う時はちょっと悩んだけど、買ってよかったです。すぐ取り戻しますね
2006年09月16日
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今までも何度も別居しよう、別居しよう、と、思いつつも・・・娘の幼稚園を変わらずに・・・とか、この田舎町で便利なところ・・・とか、色々悩むこと多かったけど、もう絶対にこの変な生物の住む家から出て行ってやると決めました。私以上に、旦那が乗り気で、今日なんて娘を幼稚園まで送って行った後、帰ってこないから、心配になって携帯鳴らしたら、元気な声で「いま、不動産屋さん、幾つか、物件を見せてもらってるんだ」一人で行くなよなぁ旦那が資料貰ってきた物件は、いずれも娘の幼稚園へは今より近い。そして、今の家は坂の上だが、いずれも平地。庭もある。犬も飼える。そしてなんと、そのうち、1件の家は、大家さんが買うなら安くすると言ってるとのこと。何でもその大家さんは、離れたところに住んでて、転勤で移動したその土地が気に入ったので、その土地で新しく家を建てたので、こっちの家は貸家にしていたが、固定資産税もタダじゃないし、借り手がいるときばかりとは限らないしで、以前から売りたかったらしい。旦那が持ってきた資料は5件。明日から、実際に回ってみてみるつもりです
2006年09月15日
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「人間、何か一つ楽しみ無ければ、生きてる意味が無い 第一、俺のは借金ではなくて、全てローンだ。 フン」これは、今夜、我が家の1階で舅の言った言葉です。事の発端は、先週8日に舅が知人の保証人になると言い出したことが発端でした。9日、早朝、帰宅した旦那と舅は大喧嘩になり、その後、旦那が保証のことなどについて、姉から少し教わって。10日から昨日13日まで、私と旦那とこの際、姑も一緒になって、舅の借金の総額調査。最初は、本人に全部で幾らあるのかって訊いても、そんなもん知るか、の一点張り。挙句に言い出した事は、勝手に調べろ。そうですかって事で、私と旦那と姑の三人で、舅の部屋の家捜し。あっちの引き出しに契約書が1枚、こっちの引き出しに3枚、こっちの棚に1枚ってな調子で。バラバラに契約書は置かれ、中にはクシャクシャになったものもあれば、完済してるけど、丁寧にクリアファイルにいれてるのもあるし、いい加減もいい加減。その契約書の1枚、1枚の内容を読みました。金利も様々で、よくまあ貸すほうも貸したものだと思いました。姑の知らない借金も数件ありました。舅の借財を調べる一方で、私は、娘が幼稚園に行ってる日中、姉のところに行って、勉強してました。金利計算の方法⇒エクセルでやってみましたが、電卓叩いて、手計算でやったほうが、金利の重みを感じました。根保証について⇒これほど、アホラシイ保証はないと思いました。平成17年の4月から法律が改正されて、多少は改善はされたようですが・・・それにしても、ひどい保証もあったものです。融資金額が、100万でも、契約書に記された根保証の金額が1000万であれば、保証人に断り無く、追加融資が行われ、保証期間が終了した時点で債務額が残っていれば、それが確定した債務となり、その借金が終わるまでずっと保証人。法律が改正されて、無期限・極度額なしの包括根保証というものは、禁止されたそうですが、知らず知らずに署名捺印してまってるケースはるのではと思いました。連帯保証⇒保証というと、これが殆どなのでしょうけど、この連帯保証ってばかげた話しだと思います。自分が借りてもいないお金を借りた人と同じ立場で払わないといけないなんて。抗弁権というものが無いので、債権者が、払ってよって言ってきたら、払わないといけない。舅のお陰でいろんなことを知ったものです。総額を計算して、月々の支払いを計算して、元金と金利の一覧作って、それで、今夜、娘も寝てから、但し、二階に一人置いてて、突然、目を覚まして誰もいないと困るので、姉に来てもらってましたが。その借金の総額や一覧表などを舅に突きつけて、旦那が何でこんなに借金こさえたんだ、借金してまで、山登ったり、テニスしたり、ゴルフしたり、する意味があるのかって言ったら、舅の返事が最初の、開き直りだったのです。ローンは借金じゃない。って考えてるところが、アホとしか言えない。ここまで馬鹿だったかと呆れちゃった。怒るの通り過ぎて呆れました。そして、その上、いまだに、保証人になってやらなきゃって言ってるんですからねぇ。トコトン呆れ果てた舅です。古い家だけど、娘の幼稚園からそう遠くもない場所に借家が昨日から出てるから、そこに引っ越そうかなって、旦那とその算段も始めてます。前、住んでた人は、家を新築して出られたらしいから、ちょっと縁起もいいなって、話してるんです。アホな舅のそばにいるより、少々古い家でもそれがマシだよなって話に今夜はなってます
2006年09月14日
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今日、朝、仕事から帰ってきた旦那は、帰宅後10分もしないうちに階下のジジィに呼ばれて、その後5分もしないうちに、1階では、大喧嘩が始まって、怒鳴りあい、しかし、その時、我が娘の取った行動。「ママ、オジイチャンのところにお電話してお電話すれば、喧嘩やめるよ」そうね、と言って、ジィが出るなり非通知電話を切ってやった。旦那は、ブツブツ言って帰ってきたが、娘の顔見て、出かけようか。どこ行くの?って訊くと、ネエサンのとこ。急に押しかけて行って・・・と思いながら行ったが、娘は、喜ぶし、実家の父は今日は餃子を作るんだって張り切ってやってるし・・・娘の世話を母に頼んで、旦那が何をやりたかったと言うと、姉に教えてもらいたいと。保証人と、根保証と、連帯保証人。連帯保証と通常保証があるって事ぐらいは聞きかじり程度では知ってましたが、根保証という、とてつもない恐ろしいものがあることを初めて知って、正直青くなりました。また連帯保証というものが、借りてる本人と同格の扱いになるというのも初めて知ったし、また、今回初めて知った言葉に「追認」というものがあることも知りました。これは一度でも立て替えると、その人が支払う意思が認められる事なのですね。また、根保証なんてものを、闇金等でなく、銀行のような金融機関でも行われていたということも初めて知りましたし、書面で交付するとはなってても、どこまで理解できてるかというのは、簡単な説明で理解できてるのかはちょっと不安になりました。また、捨印というもの、口座引き落としの書類などで、押す場所があって何度か押した記憶があるのですが、あれは、訂正する権利を相手側に与えるモノなんだという事も初めて知りました。正直な話、旦那も私も今まで、銀行等からお金を借りたことがなくて、私は、子供の時からお金を借りるのは家を建てるときだけ、それ以外は絶対に借りてはいけない、と、言われて育ったので、借りたことなかったのです。旦那は旦那で、姑が昔からキュウキュウした生活をしてるのを見てたから、舅は昔から自分の事によくお金を使う人だったので、お金は少しでも貯めて、結婚したら奥さんに給料を全部渡して、自分の事は二の次にしなきゃ家族が可哀想と思って育った人間ですので、これまた借金の経験がないんです。それでも、安易な借金大王である、舅の状況を見てると、私も最近恐怖感を感じてましたけど、旦那も恐ろしくなってきていたようで、そこに持ってきて、舅の保証人騒動の件が持ち上がって、旦那もこの際、金利とか、保証人とか、金融関係のことを少しずつ勉強したいと思ったらしいんです。姉の話を聞いてて、借金がもたらす周囲の人々への「害」ってものは計り知れないと思いましたね。簡単に保証人になるって事は、とんでもないことで、また、自分が払う、迷惑かけないって言ったところで、支払いの分、収入が増えればいいけど、そうではないのですからね。こうした教育は、徹底してしっかりやってほしいと思って日でした。
2006年09月09日
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朝から娘を幼稚園へ送って帰ってきたら、舅が待ってましたと言わんばかりに上がってきた。一枚の書類をヒラヒラさせて。まともな話じゃあるまいし・・・と思っていたら案の定。舅「車の修理代払ったよ~レンタカー代もきちんと払ったからね~」私「そうですか」舅「これが、その請求書の内容、結構かかったけど、おたくのお姉さんの口利きで少しは安くしてもらってるみたいだけど、都会の車屋は高いねぇ、クラッチ交換の技術料ってのを取られたよ」当たりまえでしょうが、アホか私「技術料はどこでも取られるのじゃないですか?」舅「へぇそうなのかね、知らなかった、だいたい、いつも修理だしてるT板金からは、こんな請求書なんてもらったことないもんでね、ところでさぁ・・・その修理屋のT板金の社長ってのは、テニス仲間でね、長年の付き合いなんだよ、30年以上の付き合いでね。昔はよく一緒に登山もした仲間なんだけどねぇ・・・」私「そうなんですか、それでいつもそちらに修理を依頼されてるんですね」舅「そうなんだ、それでね、そのT社長が銀行の融資の保証人になってくれって言ってきたもんでね。金額は50万ばかりらしいんだが。第三者の保証人をつけないと銀行が貸さないって言ってるらしいんだ。お姉さんの友人のあの支店長、結構、キツイねぇ。」私「・・・・・」舅「それでね、僕の実印と印鑑証明の手帳は、カースケがどこかにしまってるだろ、出してもらえないかな?」私「さぁ、急に言われてもどこにしまってるか、私、知りませんから。普段、いないから銀行の貸金庫にでもいれてるんじゃないですかねぇ」舅「カースケはいつ帰ってくるのかね」私「明日の予定ですけど」舅「仕方ないなぁ・・・・ブツブツ言いながら降りて行きましたけど、つい先日、旦那が親父の実印と印鑑証明の手帳は預かるって持ってきてたんです。それは、今回のT板金の社長がどうやら保証人になってくれる人を探してるっていうのを、他の整備工場の社長さんから聞いてたから。午後から姑が来て、保証人のこと言ってこなかった?って言うので、午前中のことを話したら、姑も「絶対に保証人なんてダメ。何をとぼけてるのか、自分の子の車購入の時だって保証人にならなかったくせに、絶対にダメ」と繰り返してました。1時間ぐらい前に旦那から電話入ったときは、その話はしませんでしたが、当の旦那は明日の朝、帰宅予定、明日、ゆっくりと親子で話し合ってもらいましょう。
2006年09月08日
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今日、幼稚園から帰るとき、先生から、うちの娘が初めて喧嘩したことを聞きました。事の次第は、オモチャの取り合いだったらしいです。その相手の子は、今月から娘の通ってる幼稚園に通い始めた子供さんだったそうで。相手の子供さんのお母さんにも会い、お互い様ですからって話をして、帰りました。先生からは、娘が言い出すまで様子を見ていてと言われてましたので、こちらからは何も言わず。いつもの調子で、一日の出来事を報告した後、娘が、娘「ママ・・・明日、幼稚園行きたくないなぁ」私「どうしてぇ、何で行きたくないのかなぁ」娘「うぅん・・・あのね、花ちゃんと喧嘩したんだ」私「花ちゃんって今月から来た子だよね」娘「うん、あたちより少しちっちゃいの(娘より1週間誕生日が遅いだけ)」私「あらあ、どうして喧嘩しちゃったの」娘「オモチャを貸してあげなかったの・・・貸してあげれば良かったの」私「じゃあ今度は貸してあげるの?」娘「うん、貸してあげる、ねぇママ、花ちゃん、明日幼稚園来るかな、あたちがイジメルからキライって言わないかな」私「じゃあ、明日、お迎えに○○ちゃんちに寄ってから幼稚園行こうか」花ちゃんの家は、うちと幼稚園の中間地点付近なのです。娘「なんて言ったらいいかな?」私「おはよう、昨日はごめんねって言えばいいんだよ」娘「うんわかった」娘はご機嫌になったので、近所のスーパーへ、買い物に行きました。そこで、花ちゃんとママに会ったのです。花ちゃんもママと話をしたらしい。。。。子供達の会話娘「花ちゃん。おはよう、昨日はごめんね」花ちゃん「菜っちゃん。おはよう、昨日はごめんね」思わず、ママ二人は大笑いしてしまったし、子供達も、あれぇ、なんだか変だねぇって大笑いしてましたが、二人とも仲直りして、スーパーの中で、大きな声で歌って、帰り道も大きな声で歌いながら、きゃっきゃっ言いながら帰りました。
2006年09月07日
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yoshi377269さんからバトンが回ってきました~守らないといけない事が二つですねぇ●最後の質問以外の質問を1つだけ削除して新しい質問を追加する●{バトン○代目}の○をカウントアップするではでは、早速始めましょうQ1 幸せになれる食べ物は?そうですねぇ。焼肉・・・バーベキューかな、みんなでワイワイやって。Q2 過去に戻れるなら何がしたい?学校でて、しばらくは、キャリアを目指してた時期あったけど、そんな事しないでもっと早く結婚して、もっと早く子供産んで、気楽な40代を迎えられるよう準備したいですね。Q3 将来の夢は ? これを変更しまぁすQ3 どこか行きたい場所はどこですか?今、一番行きたいのは初秋の熊本・阿蘇、ゆっくり阿蘇あたりで休養したいQ4 透明人間になれたら何がしてみたい?この世で一番キライな奴を蹴飛ばすQ5 今一番したいことは?ゆっくり休みたい。時間が欲しいQ6 結婚(生活)ってなに?新しい家庭を作り始めること、夫婦が出来、家族が増え、家庭という庭を造ること。Q7 もしも宝くじ3億円当たったらどうする?半分は小分けにして貯金して、半分でもう少し便利なところに家を建てて、車を買いなおして・・・・家具を思いっきりパーっと買いなおすQ8 一日だけ大好きな芸能人と過ごせるとしたら何をする?ヒヒヒ。二人だけで過ごせたら、ゆっくり、語らいの時間がほしいなぁ。それから、食事して、握手してもらって・・・娘が一緒なら、三人で記念写真とってもらって・・・ドリームだわぁQ9 バトンをまわす「111代目」3人は?そうですねぇ。誰かご指名するのも悩みますので、どなたか欲しい方どうぞ持って行ってくださいだってご指名した方が他の方からもバトン回ってきてると大変なのでね。
2006年09月06日
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先週末の2日と3日の両日、義弟夫婦にまたもや振り回されたのだが、今日の日中、義弟嫁のアキコのお父さんとお兄さんが謝罪に見えました。結婚して独立した娘(アキコ)といい年した奥方(アキコの母親)のことで、謝りに来る親というのも大変だなぁと思ってみてましたけど・・・お父さんはアキコの親としてまた自分の奥さんの事で、お兄さんはアキコの兄として、また息子としてと思って謝罪に来られたのでしょうけど・・・なんか変?本当にお騒がせしました、反省してますって言うのは、お父さんやお兄さんじゃなくて。義弟とアキコとその母親が出てくるべきなのでは?って私は思ったのですけどね。今日は旦那も休みだったので、私と旦那と舅・姑、四人で話を聞きました。よくよく話を聞いたら、何とか(名称もよく聞かなかった)という宗教らしい。そこに、2週間ぐらい前に、アキコのお母さんが最初に行ったらしい。最初に何用で行ったかと言うと、義足が痛いから、で言ったらしい、アキコのお母さんは人づてに聞いて、肩こり、腰痛、など何でも治してくれると聞いた、らしい。思わず、鍼灸師かマッサージ院ですか?って訊いたら、全然、違ってて、何とか教会って看板が上がってて、そこで貴方が足を切断しなくてはならなくなったのは・・・って話になったらしい。それで、それから、毎日、アキコのおっかさんは通い詰め、昼間、お兄さんのお嫁さんもパートに出てる間に、タクシーで出かけてるらしいし、アキコもここ1週間ほど通い詰めらしい。宗教を信じていただくのは勝手ですけど、こちらまで、巻き込まれてもねぇって話をしました。帰られた後、二階に戻って旦那と話したけど、人間って、迷うこと、苦しいこと、辛いこと、そういう時に誰かにすがりたいって思うけど、解決の糸口を何か自分達を見つめなおす事で、案外、糸口は見つかるものでもあるかもねって。自分を見つめなおして、考えを改めもしないで、そういう方向に走ってこられては、神様も反対にいい迷惑かも?だって、そのメッセージは本当は神様が発せられたのではなくて、間に入ってる人間が発したものかもしれないし。しかし、アキコが持ってくる話はとんでもねぇ話しばっか。掃除機持ってくるかと思えば、今度はねぇ・・・
2006年09月05日
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週末、2日の朝から、娘は実家の姉のところへ遊びに行きました。娘曰く、約束していたのだ、と。やけに早起きだと思ったら、そういう魂胆だった。朝ごはん終わるなり、「ママ、ネエチャンに電話して。菜っちゃん、御用があるの」でんわすると、自分がさっさと受話器をとって「ネエチャン、ご飯終わったからお迎え来て、ガチャン」その早い事、早い事。自分ひとりでお泊り出来るのって準備すると姉が来るなり、「バイバイ、行って来ます。ママは来なくていいからね」イーダ、いいもん、ママは、あんたがいない間に家の中、大掃除してやるんだから。と。そう思ったんです。しかし、それはもろくも崩れ去った。娘が出かけて5分ほどしてからでした。家の電話が鳴りました。この後、本気で思いましたね。家の電話、取り外そうか、まともな電話、ちっともかかってこないからって。義弟のトースケからでした。至急、相談したいことあるけど兄貴は?って言うので、仕事で出てるから、月曜日まで帰らない旨、伝えると、少し、考えた様子でしたが、その後、ちょっと、相談したい事があるから、とりあえず行くから、と一方的に言って電話をガチャン。義弟のトースケは一人だけ来ました。嫁のアキコは?って聞くと、実家に帰ってるとの事。義弟「アキコの病気があり、アキコのお母さんが糖尿病の合併症で足を切断したりしたのは、これは全て、家の方角、先祖供養、が、悪いからだといわれた。そして、こんなに急に悪くなったのは、アキコがトースケと結婚したからであって、トースケの実家の悪いのが全てアキコとその実家に来たからだっていわれた」私「だったら、そんなもん、下に行って話してくれ、うちは関係ない」義弟「それこそ、上も下も我が家は関係ないんですよ。アキコのあの性格と言うか、あの状態は今始まったことじゃないし、アキコのお母さんの糖尿だって昨日、今日始まったのじゃない。でも、アキコもアキコのお母さんも、それを信じて、どうにかしろって言って聞かない」私「それこそ知らない、どうにかしろって言うなら、トースケがどうにかすればいいことで、うちは一切、関係ない。この家がおかしくて、嫁の実家にさわりがくるなら、私の実家はどうなの?」義弟「それも言った、するとアキコのお母さんが、義姉さんの実家は宗教を信仰してるから気がつかないだけだって」私「何よ。その宗教を信仰してるって、実家が何を信仰しようと関係ないでしょ、いい加減にしてよ、だいたい、誰がそんなこと言ってるの」義弟「アキコのお母さんがよく当たる占い師さんか祈祷師さんのところに行って聞いてきたって」私「あ、そう。あのね、あんたがそう思うのだったら、自分でやりなさい。自分で決めて行動しなさいよ、この家の方角が悪いならどう悪いのか、どうすれば改善されるのか。先祖供養が悪いって言うなら、どうすればいいのか、但し、この私達一家の生活に、寸分の支障も来たしたら、タダじゃおかないからね」義弟「そんな・・・だから相談に来たのに・・・どうすればいんですか」私「だから、知らない、自分で判断しなさいよ」義弟「だってアキコのお母さんが3000円も払って聞いてきたことだから、間違いないって言うんですよ・・・」さんぜんえんサンゼンエン確か、姉が毎月行く神社は、お初穂料が5000円~だよな。それって、鑑定料金安すぎじゃないの?って思ったけど、とにかく、この変な言い分の義弟を早く追い出したかったので、自分で考えろって追い出した。物凄いイヤな気分だったので、思いっきり、塩を玄関先に巻いたので、その後の掃除が大変掃除した後、どうにも納得いかないので、姉に電話したら、娘はすこぶるご機嫌で、母とお手玉などで遊んでるとの事。だったら、手が離せるねって話をして、トースケの言ってきた話をした。姉は笑いながら、金額の多少はそこそこによって違うから、なんともいえないけど、じゃあ、アキコの実家の方角やら、先祖供養はどうなってるんだろうね。うちが信仰してるから気がつかないって?冗談じゃござんせん、アホも休み休み言ってくれ、あんたもそういう話に付き合わないことよ、それが一番だからね。アキコの実家は無視。それで、この件は終わると思ってました。ところが、トースケは寄りにもよって、我が家を出た後、うちの檀那寺に行って、ご住職、息子さんの副住職ともお留守だったので、副住職の奥さんに先祖供養がなってないのでは?と話し、話を聞いた若奥さんは何のことかわからず・・・判らないでしょうね、一応、御住職、副住職、お帰りになったら、伝えておきますってだけおっしゃられたらしい、その後、今度は本家に行ってる。ところが、本家も、息子嫁さんしかちょうどいなくて、何のこっちゃ?みたいな感じで話を聞いて、一応、伝えておきますって言われたらしい。私もまさか、トースケがそんな事してるとはツユ知らず。土曜日の朝から嫌な事あったけど、娘がいない間に・・・と思って掃除してた。その時、階下に誰か来てるのは車の音と玄関の開く音で気づいてはいたけど、知らん顔。関係ないから。しかし、掃除機の音も消されるほどに、すっごい怒鳴り声が響いた。「帰れぇ」舅の叫び声。あまりの大声に、思わず、私も下へ降りてみようとしたし、窓から外をチラッと見たら近所の人が窓から顔を出してた。舅は叫び続ける、続ける、気が狂ったのじゃないかってほど叫び続ける。気になって降りてみたら、真っ赤になって叫ぶ舅の傍で、姑が、これまた負けず劣らずの大声で、「出てけぇ」怒鳴られてる相手を見たら、トースケの嫁のアキコ&アキコの母親アホなぁ・・・トースケの言ってきたことを、この親娘で言いに来たのねぇ、そりゃ怒るわ・・・アキコ親娘も負けじと、「こうなったのは全ておたくのセイですよ」って言い張ってるし。フライパンか何か持ってきて、全員、ポカポカって殴ったらすっきりするだろうなって思いました。まさか殴るわけいかないから、スリコギで、フライパンをガーンって叩いたら、停まった。とにかく帰ってくれ、と、アキコ親娘に言って、興奮してる義両親にお水飲ませて落ち着かせて、落ち着くまで1時間ぐらいかかったけど、トースケが朝から来たので、自分で判断しろって話したこと。そして私の実家には、そうした障りは何も無いこと、姉からも無視しろって言われたこともあって無視を決め込んだことなどを話したら、舅も姑も「そうだよねぇ。陽菜子さんの実家には何も無いし」とご機嫌よくなった・・・しかし、その後、本家から電話が掛かってきて、舅が飛び出していきました。こっちはまさかトースケが本家やお寺を回ったなんて思いもしませんから。舅が帰ってきたのは、夕方遅くでした。本家で、さんざん、油絞られ、本家にかけつけたお寺さんからどういう息子の育て方をしてるのだ、息子の嫁はどうなってるのかって言われ続けたらしい。もう性根尽き果てたという体たらくで舅は帰ってきました。舅、キライだけど、哀れに感じました。土曜日の夜、娘は泊まりに行っていないし、舅は帰るなり部屋に入って出てこないし、姑と二人でなんともいえない暗い夜でした。3日、日曜の朝から、舅はトースケを呼び出してました。2時間近く話し合ってたみたいです。その間、姑は気分悪くなると言って、2階に上がって来てました。一晩で、舅も姑も一気に年老いたようでした。トースケが帰った後、舅が上がってきて、「挨拶に行って来る。背広出して、」と姑に言うと、今度は私に向かって舅「お寺と本家と陽菜子さんの実家にも挨拶してくる」私「私の実家は・・・」って言うと舅「いいや、アキコが電話したらしいんだ、陽菜子さんのお父さんに色々言ったらしいんだよ。お父さん、何も言うまいと思ったんだって、だけど、アキコが昨日来た時言ってたから電話したら、聞き捨てましたって言ってたけどね・・・」今度ばかりは舅は自分で動いてましたが、なんとも後味の悪い出来事でした。人は、強い人ばかりじゃなくて、弱い人も多くて、誰かに何かにすがりたいと思う事は多々あると思います、しかし、そんな時に、自己責任ではなく、他人の責任にばかり、それも、宗教的な話などに差し向けるのはやめてほしいと思いました。人、それぞれ、考え方があると思いますが、アキコの病気は昨日今日始まったのではなく、小さい頃から症状はあったらしいし、アキコのお母さんの糖尿も何年も放っておいた結果だったのですからね。うちは間もなく、旦那が帰宅予定ですので、ゆっくり話してみようと思ってます。アキコのお父さんは、用事で他県に行ってるそうですが、お父さんも明日には帰る予定らしいから、そちらも何か動きがあるのかもしれません。娘が泊りがけで出かけてくれてたので、修羅場を見せることなく、それだけが幸いでした。
2006年09月04日
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週末、色々忙しくてバタバタと過ごして・・・本当に疲れてしまってました。週明け、1学期の時のように、さぁ起きてと声を張り上げなくなっても、娘が朝、起きるようになった事は、助かるのだけど・・・このチビ、うるさくなった。ママ、ご飯はまだ?お弁当はね、今日は○○のお弁当箱に持っていくからねその日の気分によって、ウサギだったり(USAHANA)、ネコだったり(キティちゃん)、犬だったり(スヌーピー)、パンだったり(アンパンマン)、どうやら2学期からその日の気分で決めるらしい。いっそのこと、自分でおかずも作ってくれぇって言いたい・・・娘を送って行った後、週末の疲れがたたってか、洗濯物を干したら、その後は完全に朝寝、続いて昼寝。気がついたら、娘を迎えに行く時間。買い物も行って無かったので、車でお迎えに行って、そのまま娘を車に放り込んで、買い物へ。ここでまたこのチビうるさい、オカズはね・・・・って。それでも、今夜は少々、手抜きバージョン。タラコスパゲティと野菜サラダ、それに何故か娘がご希望の目玉焼き。その後、娘はお風呂入ったら、今夜はおとなしく寝ました。娘が寝た後、窓を開けてみたら、秋の虫の音。日中は暑い、暑いと思っていても、夜になると虫の声。季節は、静かに移り行くものだと改めて感じました。
2006年09月04日
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夏休み終わって、今日から娘の幼稚園は始まりました。40日間も休みだったので、愚図ったりしないか。。。。ちょっと心配でした。しかし、幼稚園の近くまで行って、お友達に会うと、もうママなんて放り出し。園長先生がお庭にいらしたので、挨拶したら、「菜っちゃん、背が伸びて、言葉もかなりしっかりなって」と。毎日見てるから、そう気づかなかったけど、確かに背が伸びてる、でも横も大きくなってるなぁ。お友達とキャアキャア言ってたので、先生に挨拶して帰りました。しかし、今日はお弁当が無い午前中だけ。すぐ帰ってきます。お迎えに行ったら、行事予定表やら、色々と貰ってきてました。今月の行事、運動会。10月の行事、芋ほり、遠足 11月の行事 お歌の発表会 12月クリスマスと餅つき。その間にバザーやら、保護者懇談会もあるとのこと。娘は娘で、幼稚園で先生が説明されたのだと言って、2学期の行事を一つ一つ、報告します。夏休み入る前は、そこまでできなかったのにね。日々成長してるんだね。体重も増えたけどさ
2006年09月01日
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